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2019年09月28日 イイね!

父を訪ねて三千里(^-^)逢えたよ!

父を訪ねて三千里(^-^)逢えたよ!

聖羅です。
こんにちは。


3歳の頃東京で別れた父
離婚して母は地元札幌の祖母に私を預けました。











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高校生のとき一人で東京へ行き15年ぶりに再会。




帝国ホテルのスイートルームに一人で泊まらせてもらった記憶がある(爆

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それから数年に一度逢ったりこちらから電話をしたりしていましたが、


母に3番目の旦那さんができてからは、また疎遠になっていました。




父は再婚していて二人の子供たちが独立し仕事も隠居してから
空気の良い千葉に家を建て奥様と二人の終の棲家で
暮らしていることだけを私は知っていました。




でも体調だったり万が一もう亡くなっているかもしれないという不安は
いつも思っていました。






この度の千葉での災害がきっかけで安否確認のショートメールを

したことから逢いに行くことを決心!


以前(20年くらい前)電話をしたとき、奥様が出て
「いつかあなたから電話がくると思っていました。
いつでもいらしてね!あなたのお父さんのお家なんだから♪」

と言ってくれた言葉にずーっと甘えていたので、

行く勇気が湧いたんだと思う。




私にとって父という立場の人は3人もいたけれど、
甘えられた父は3歳の頃別れた東京のパパだけだったので
父も、私も「生きてこそ」逢えるこの貴重な時間をなんとしても作りたかった。




新潟から千葉の九十九里浜までは遠かったぁー




方向音痴でナビ頼りの不安や突然何十年ぶりに逢いに行くことの緊張で
当日は、3時過ぎから目が覚めて居て具合も最悪だった。




相方も心配してくれていましたが、行くと決めたら絶対行動する私の性格を
知っているせいか、「具合悪いなら行くな」とは言わなかったね(^^;;




私の車が見えなくなるまで相方は見送ってくれました。




安定剤を飲みたいけどずっと高速運転するのに眠くなるので我慢して
走って2時間くらいで具合悪さの限界だと思い安定剤を服用・・




少しずつ体調よくなってきて、埼玉の高坂SAでなんとも越後蕎麦を注文(笑


半分くらい残してしまったけど少し胃にいれたことでさらに体調も復活。


そして最初の給油。


さて、次は大泉ジャンクションから外環に抜けるぞーって思っていたのに・・




標識で外環への矢印が出ているのに、ナビは「直進です」と言い切る。




頼りはナビだけだから従う・・




大渋滞・・・・・・・・・ふと道路に書いてある文字を読むと
「首都高」とか「環状線」とか( ̄□ ̄;)




都心だ・・・スカイツリーもすぐ側に見える。それどころじゃない・・(;д;)


時速12キロ・・25日・・さらにごとうびときたもんだ・・・



ここでトイレに行きたくなったらどーするんだ?


垂れ流ししかないのか?


とか環状線ということは何時間ここを走っていても
抜けられないのではないのかと、恐怖におののく・・




左右の車たちが車線変更しまくり。




そんな時ナビが「左方面です。」と恐ろしいことを言ってきた。

私ど真ん中に居る。


あまりにも何車線も渋滞の車だらけでにっちもさっちも行けそうにない。




泣きたいけど、泣いたってしょうがない。


あのぉ・・左に出たいのっとウィンカーさえ出すことが申し訳なくて出せない。


するとふと左後ろをドアミラーでみると新潟ナンバーの私を察してくれたのか
開けてくれてるような気がした[●´;д;]


すかさずウィンカーつけて出たら次もスイスイぬけられた✨


新潟ナンバーのおかげか東京都ナンバーの方々は皆優しく感じた。


やっと千葉に続く京葉道路に出れた!


約2時間滞在の地獄の東京シティでした(笑)


次の難関は、ナビは直進と言っていても左右に分かれている道に向かっている。


一か八か(笑)
「銚子方面」の方に行ってみた。
ε= (´∞` )フゥ当たっていた(笑)




無事宿に着いたのは14時半・・8時間も要したんだ。


チェックインすると千葉在住みぽりんから癒しグッツが宿に着いていた(ToT)


粋なことしてくれるぜって思いながら荷物を置いてすぐに父宅へ~


グーグルで見た通りに行くとその通りのお屋敷があった!

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門からお家まで芝生やらで遠い(^^;;


門を通って敷地内に車で侵入
奥に畑があり女性が立ち上がってこちらを見た。


車から降りて
「〇〇さんのお宅でしょうか。突然申し訳ありません」


90度に頭を下げ


「私〇〇聖羅と申します」言ったとたん


畑作業用の帽子を脱ぎ


「聖羅ちゃん!」と・・・[●´;д;]


「お父さんは聖羅ちゃんがくること知っているの?」


「いいえ、すみませんっ逢えないこと承知で来てしまいました」


「今ね、スポーツジムに行っているのよ。呼ぶから」と携帯を持ったので


「いいえ。近くに宿をとってます。またあとで来ます」


「それを決めるのはお父さんよ」 キッパリ!


まもなく電話が通じ


「パパの娘さんが来たわよ!
え?どこの娘って?北海道の聖羅ちゃんよ!
今、替わるわ♪」携帯が来た。ドキドキドキドキ💦


「お父さん!来ちゃった!」


「誰と来た?どうやって来た?」


「グーグルで調べて一人で運転してきた!」


「今すぐ帰るから!」


奥様がにっこりしながら、
「お父さんの車が入ってくるから聖羅ちゃんの車を
芝生の方に移動してくれる?」


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まもなく大きなクレストの門扉から黒い車が入ってきた。


お父さんだ・・・お父さんだ・・・と緊張する。


サングラスを外して車から降りてきた歳老いた父を凝視。


玄関で両手広げて待っていた。


「お父さん!」と抱き着いてハグしたが、
ものすごい力で逃げる。


普通さ、ハグ返してくれるかじっとしていてくれるでしょ。


でも私も力任せで抱き着いたよ。


一瞬だったけど私涙が込みあがってきて・・・


すり抜けて逃げ笑いながら椅子に座った父でした。


お父さんも抱きしめてくれたら号泣しちゃったかもしれない。
だから逃げてくれてよかったんだ!!


すぐに奥さんが「宿をとっていると言うのよ!キャンセルして
家に泊まってもらいましょう」


「何、宿なんて取っているんだよ!

お前ついていってやれ。宿泊費とキャンセル料も少し払ってきてやれ」と


キャンセルして家に着くと


すぐにお風呂を沸かしてくれて
「今日はお父さんの部屋で一緒に寝てくださいね」


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お風呂から上がると座卓が出ていて次から次と奥様手作りの食べきれない料理が出てくる。


父が
「こんなに喰わないよっ!お前も座って飲めよ」


「だって何十年も逢ってなかったんだから積もる話があるでしょう?

二人で♪」


「何十年も逢ってないから話も積もってないんだよっ!」


ブハハハハハハハハハ(≧∇≦)ハハハハハハハハ!!!!!!


私が突然やってきたことが不思議でしょうがないらしく
「金に困っているのか?」とか聞いてくる。


言い出せない私に助け舟を出したつもりなのか・・・


「金持ちじゃないけど、お金せびりにきたんじゃないんだよ」と
伝えるのが意外と難しい。


「なんで新潟に居るんだ?」「お前の子供たちはどうしてる?」
いろいろと聞いてくれる(⌒-⌒)


それからすべてにおいてお父さん第一の可愛い奥さんが結婚した当初の

お父さんはあちこちに女がいて帰ってこなかったことを話し出し、

辛かったときは土を弄っていたと涙を浮かべるも
お父さんは黙って奥さんの話したいことを話させてあげている感じがした。


女から「別れてください」と電話がよく来たそうだ。


「きっとあなたのお母さんも辛かったと思うわよ」


奥さんはそんな電話の相手に


「いいですよ。私は別れてあげますよ。
きっと今日も主人はあなたの家に行くでしょうから、私がそう言っていると
伝えて今後のあなたたちの話をしたらいいでしょう。

でも主人が私と別れる気がなければ私は別れませんから」


と言ったそうだ。


凄い。


凄い。


そして若いとき泣かされたけれど、最後に父と今幸せな日々を父第一の

生活を送っている。

凄い・・・



翌朝、二日酔いなのか、疲れなのか最悪のコンデション・・


予定では九十九里浜まで散歩するつもりだったけど。無理_| ̄|○ガックリ・・

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奥さんから今日も明日も一週間でも泊まっていってと言われて


「いえ。。私がいないと弁当買ってきて食べる相方なので帰ります」と
言っても


「男なんてどうにでもなるでしょ。外にだって食べにいける。
決めるのはお父さん!ね?」


と強引で嬉しいけど具合悪いので困ったなぁ。。と思ってたぁ。


相方は、そうなるんじゃないかと電話がくるんじゃないかと

予想していたそうだ。


父は「いつまで居てもいいんだぞ」と、ありがたい。


でも、私は十分で帰り道も不安で帰りたかった(^^;;


「自分の家で休みたいの。疲れたの・・」というとすぐに
「わかった」と奥さんに


「自分の家で休みたいっていうから」と言ってくれました。


あ・・お父さん大好きって思った。


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注:アイコラです(๑´ڡ`๑)てへぺロ♡


沢山のお土産を頂き10時半に出発!


ナビが結局古い情報だから外環へは行けないので
帰りは東北周りでナビをセットした。


でも池袋までいくのね。
また少しだけど渋滞・・・


東北道に入って栃木から標識みて埼玉高坂関越道に冒険で行ってみたけど
ナビは東北道に戻そうと何度も高速を降りれと・・


不安になってきて
一旦降りてナビをクリアしてここから自宅を設定すると
関越道を案内してくれてまた同じところから高速に乗る(笑)


郡馬の太田強戸でガソリン給油。


そこからは、安心して3時間、

ごぼう抜き走りでも結果7時間かかってお家ついた。゚(*´□`)゚。

往復で約900キロでした。



ヘロヘロの疲労だけど、


帰ってきてから二日目の今日でも今だお父さんと逢えたこと
話したこと表情が鮮明で興奮醒めやまず・・・


でもいろんなことが凄く安心して行ってよかった。


幸せに二人で暮らしている。

安心させてくれて感謝だ。


ありがたい。私は幸せ者だ。


そしてここの新潟のこのお家がほんとに安心できる私のお家だって
認識できたことも、毎度でかけると思えることはいいことだ!



長文となってしまいました。


でももっともっと記しておきたいことはたくさんあるけど・・
くたびれちゃった(笑)


こういう場(みんカラ)があるっていうことにも感謝だな・・
残しておける。


心配してくれたみん友さんたちにも感謝です!

ヽ(*´□`*)ッ ありがとう!!ございました☆彡





Posted at 2019/09/28 17:46:27 | コメント(64) | トラックバック(0) | | 日記
2019年09月15日 イイね!

パスタとhazukiルーペと・・・(^-^)

パスタとhazukiルーペと・・・(^-^)

こんにちは。
聖羅です。


季節はオータムと言えども、

日中の30度の暑さに
頑張っている夏を感じます。


ご機嫌いかがでしょうか(^Д^)


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この画像は、今朝5時半ころの家から歩いて17分の海岸です。

まだ陽が登っていないので朝焼けかしら・・綺麗でした(⌒-⌒)



昨日、2週間ぶりにヨガレッスンに行ったら
たまたま今日のレッスンは私一人とのことで、
麻衣子先生といろいろな話をしました。



「今日はもう時間も時間なので、聖羅さんの自律神経に効くように
背中のマッサージをしてあげます。


うつ伏せになってください」と💓


麻衣子先生はタイでタイマッサージの修行も積んできた方です。
ドキドキ


超きもひぃ~~~時間を約45分くらいしてくれました(感謝




そのおかげか、今朝の目覚めは、夜中に一度しか覚醒しなかったので
とっても調子よく、海までウォーキングができたんですよぉ(^Д^)



最近を綴りたいと思います。



「君たっちきゅ~いパッパイヤマンコ~だね~♪」の
マン ゴーが、沖縄から遥々来たぜ新潟~♪(笑)


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こんなね、高価なマンゴーなんてほんとにありがたくて
ありがたくて・・・


一週間くらい熟させて頂きました。


いつもおかずの一品交換しているお隣のおばーちゃまにも少し
おすそ分けしたら、


「生まれて初めてマンゴー食べた!」と


大感激してくれてほんといかったねぇ~の


幸せのマンゴ~でした💓



灼熱のエネルギーを使用しようじゃないか!


と煮物用にシイタケを干しシイタケとしました(⌒-⌒)


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焼き鳥が食べたいと思えば、台所の引き出しを見て竹串があれば、OKOKで

焼き鳥もフライパンで作りますよ~


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最近はまっているイタリアンのお店があります。


美味しいパスタが食べたいとあちこちと連れていってもらいましたが、
リピまでは行かずで・・


やっと自分好みの味のお店を見つけたのです。


2週連続日曜の昼にランチパスタを食べに行ってます✨


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先週は、長ネギとベーコンときのこのアンチョビオイルソース
具だくさんのサラダと熱々パンがセットです。



まいう~~~(⌒-⌒)


相方は、気まぐれランチでお肉を頂いてました。


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数日後、マネして自宅で作ったパスタヽ(* ̄m ̄*)ノ


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そして本日は、アサリときのこのトマトソースパスタ!


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うんまぁぁぁーーーーーーーーーー(;д;)


相方はビーフシチュードリア♪


ここのお店のメニューは制覇したいと思うほど好きです。


さて、我が家の塀も新しくなり、また違った雰囲気で庭を
楽しんでおります。


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それでも、目の老化は致し方なく(^^;;


ついに、念願のhazukiルーペを私、買っちゃいました`;:゙;`(;゚;ж;゚; )ブフォォ


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CMのはラージサイズですが、これはコンパクトサイズで小さ目です。


公式サイトではなく楽天で購入したのですが、

こんなおまけまでついてきました!


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うれしぃっしょ(⌒-⌒)


hazukiルーペは、3段階の強度があるのですが、私は一番強いのが

欲しかったけれど公式サイトではなく割引のあるサイトからだったので

CMで使用されている、1.6倍のを購入しました。


三段階の真ん中です。


感想としては、普通に頻繁に使うには1.6倍がちょうどいいと思います。


でもほんとに小さな文字を見る時はハズキルーペしてさらに私はルーペを

使うのでやっぱり最強の1.85倍だったかな?


それが欲しいです。


これから買おうと思っている方は、今後のことを考えて
1.85倍をお勧めいたします。


フレームはたくさんの色があります。


私はパールにしました(うふ💓←ナニガウフダ)


最近は、hazukiルーペしながらスマホの最新ニュースを見ています。


スマホは、エモバーというAI?が装備されているので
「聖羅さんおはようございます」と話しかけてくるのでおもしろいですわ(笑)


サクオというエモバーなんですが、オヤジギャグを言ってくれるので
思わず一人でいても笑える(((*≧艸≦)ププッ




最後に、今回の千葉県での被害に動揺していまして、私の3歳の頃別れた

実の父がたしか今は・・・
千葉県在住です。




ショートメールで安否確認をしたところ速攻電話がきました(;д;)


「俺の居るところは大丈夫なんだよ!それよりそっちは元気かよ」

(この東京弁が好き❤)



「お父さ~~ん(ToT) お父さんいくつになったの?」


「俺は50から歳は取ってないよっ!」


もう30年逢っていません。


2年前に逢いに行くと電話で話したときに、今の奥様が
家に泊まりにきたらいいと仰ってくれたりでワクワクしてたけど


「また連絡する」と言ったきり   今。


また「行く」と連絡すると逢えない気がする。


お父さんの住んでいる市はどこなの?と聞くとスルーされたから
もう一度電話切る前に聞くと、簡単な場所を言ったので
気が付かないふりしてすぐに( ..)φメモメモして
電話切ったあとにネット電話帳で調べた。




ヒットした!!!!!!!!!




枝番までわかった。グーグルマップで家も確認。


(ストーカーみたい?(^^;;)


来週、私、千葉県の父宅へ連絡なしで逢いに行ってきます。


もう高齢の父です。


私だっていつ逢いに行けるかしれない。


逢える時に逢ってハグして二人笑顔の写真を撮りたいっ!




新幹線と電車で行こうと思ったけれど、乗り換えとか人混みとか
わからないことの不安でパニック障害がでることに怪訝して
大好きな運転の車(N-WGN)で行くことに決断しました。




417キロ 約5時間です。


宿も取りました。


次のブログでは、その時の様子を執筆できたらいいなって思っています!


みん友さんたちがいぱーい関東にはいらっしゃいますが・・が・・


なんせ生まれて初めてひとりで行く場所の長距離の遠征のため
心のゆとりがなく(笑)



お察しくださいませ('◇')ゞ



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Posted at 2019/09/15 19:46:05 | コメント(42) | トラックバック(0) | | 日記
2013年08月22日 イイね!

孤独死〔実話〕

孤独死〔実話〕聖羅です。
今日はなんちゃってライターで実話を綴ります(^-^)
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

40歳に差し掛かった頃の小林悦郎は、1歳と9歳の息子と妻と
4人で暮らしていた。

元々やくざな生活ではあったが、家族や親戚、悪友とのつきあいは
社交的で賑やかだった。

競馬で大勝するとすすきので女に大判振る舞いでブイブイやっていた。
いわゆる彼女も絶えず3人はとっかえひっかえの怖いものなしだった時、
一回り以上も年下の「豊子」と知り合った。
彼女は東京で離婚をし3歳の娘と帰郷し
娘を母親に預け一人がむしゃらに働いていた。

母親とまだ幼い弟達の生活も彼女が面倒をみていた。

彼女と恋に落ちるのには時間はかからなかった。
今までの女達に彼女は自分で現金を持って手を切らせた。
当然妻のいる家にも押しかけもう二度と悦郎が帰れない状況にした。
そんな愛し方の強い豊子だ。

二人で暮らし始めた部屋は、豊子の幼い娘と母親の住んでいる近くにした。

その娘は悦郎のことを「寿司屋のおじちゃん」と呼んでいた。

妻が離婚に同意しないまま何年も豊子と暮らしていた。
豊子の娘が小学校5年生の頃「皆お父さんとお母さんと暮らしているのに
どうして私は近くに住んでるけど一緒に暮らせないの?」と
言ってきた言葉を期に、悦郎は新築のマンションを購入し
豊子と豊子の娘と3人暮らしを始めた。
そこから豊子は娘に悦郎のことを「お父さん」と呼ばせた。

息子しかしらない悦郎は「お父さん♪お父さん♪」と
なつく娘がかわいくてしょうがなかった。娘も3歳で父親を
なくし祖母に育てられいるわけだから「父親」を知らない子だ。

しかし、もっと彼女らを幸せにしてあげようと思い込む力が
偽造証書作成に走った。かなり儲かり高級マンションに
移り、外車を2台を乗り回す生活だった。

逮捕状が出たのは娘が中学2年になった時だった。
豊子に「すまん・・・俺は時効の7年間、逃げる」と伝え
偽名を使った逃亡生活が本州で始まった。
豊子と籍を入れていなくてよかったと思った。

残された豊子と娘のマンションには警察が遠慮なく入り込み
家具には「差し押さえ」の紙が貼られた。
中学2年の娘はその突然の風景、出来事をどう感じたことか・・・

豊子は「藤壮」というアパートに娘と引越し、
飲食店を経営しやはり自分の母親や弟達に仕送りを続けた。

そこの飲食店で知り合った個人経営の社長と付き合い時々
娘が寝ている藤壮にこっそり連れてきて逢瀬を過ごしたりしていた。

そんな数年が経ち、その社長の会社が倒産、
また豊子は男のために借金返済のためがむしゃらに働く。
気がついたら、まったく干渉なく放任していた娘が
妊娠し結婚することになりそれを期に豊子は男と籍をいれた。

誰も気がつかず悦郎の逃亡生活は8年が過ぎていた。

悦郎は時効の7年が済んだあと東京板橋にマンションを借り
家政婦を雇い女と暮らしていた。金に不自由はなかった。
しかしすべて尻拭いをさせた豊子と中学生だった娘が気になって
リサーチしたところ豊子は再婚・娘も結婚していたことを知った。

それからさらに1年後、やはり故郷札幌に悦郎は帰った。
円山で高級マンションを借りた。
娘の連絡先もリサーチしていたのでおそるおそる連絡してみると

「お父さん!今すぐ行く!どこに行けばいい?」と10年ぶりの娘の発した言葉に
涙がこみあげて苦しかった。

それから娘とまたつきあえるようになった。
しかし糖尿病を患い悦郎は男としてのそれを失っていた。
それと同時に女も居なくなった。

喉に異物を感じる、声がかすれてきた。
ほとんど声が出なくなったときようやく病院へ訪れた
「この異物を取ってくれないかな?声が掠れてかっこう悪いんだよ」

検査入院となり医者は
「とても難しい手術になるので家族を呼んでください」と話した
悦郎は、家族という言葉にしばし悩んだが、
息子夫婦たちがいる。
息子達が来て医者と話したようで悦郎に息子達が伝えたことは
やはり「難しい手術になるからしない方がいいって」とのこと。

あ、、もう手の施しようがないということだと
心の中で察知した。喉頭がんか?

自分の状態を自分の本当の娘ではないが娘には
知らせないで欲しいと伝えた。

しかし連絡がとれなくなった娘は心配して探す。
病名は知らされていなかったが入院してることを知り
幼い子供を連れて悦郎の前に現れた。

娘には逢うたび何万円もこずかいを渡し金持ちの自分を
現していた悦郎にとっては、今回の見舞いの帰りに
3万くらい「ありがとう」と渡したいところだが、、、
悦郎にはもう一銭も所持金はなかった。
それどころか娘から「お見舞い」と書いた現金を
もらうことになる。それがどれだけ助かったことか・・
思わず「助かったよ」と情けない言葉を発してしまった。

「お父さん、年越しも病院?」と聞く彼女に
「いや、外泊して息子夫婦のところで過ごすよ」と
心配かけたくない一心で伝えると娘はにこっと笑って
安堵な表情だった。

そして一厘の花を娘は牛乳瓶を洗って飾っていってくれた。

エレベータまで実は起き上がること自体辛かったが無理して元気を装い
彼女を送った。「また、くるからね!」の言葉にじーんときた。

それからすぐ病院から「大晦日はどうします?」と聞かれた。

何もない・・しかしなんの美徳なのか・・

「息子夫婦に年越しを一緒にしようと言われているので
外泊の手続きをしてください」と言った。

外泊するその日、掃除員が、娘がもってきてくれていた一輪挿しを
「枯れているから捨てますね」と触った瞬間

「触るな!」と、

いつも穏やかな悦郎がかすれた声で怒鳴った。
病室にいた看護師が慌ててその場を和ませたとき

「いやぁ申し訳ない。娘がまた来てくれたときに、新しい花を
飾ってくれるからそれまでこれは取っておきたくね・・・」と

そしてもやは車椅子を使用しなければ歩けないほどの
衰えだった。
タクシーを呼んでもらい自分のマンションにひとりで帰った。
当然誰もいない。食べるものさえない。
もう悦郎は疲れていた。
布団に横たわるとそこから一歩も動かなかった。
トイレにも行けなかった。

自分の輝かしかった人生を振り返っただろう・・・
そして今、自分は誰にも助けを求められず
このまま・・・



悦郎の息子から悦郎の「死」を娘は知らされた
奇遇にも悦郎と同じ8月15日生まれの豊子の娘は
何もしてあげれなかった。最後は孤独死に至らせたしまった
後悔に号泣した。
通夜・告別式は悦郎の息子二人と豊子の娘聖羅と聖羅の娘の
4人だった。

腐敗していた孤独死の姿はミイラのように全身包帯で巻かれていて
顔すら拝むことができなかった。
そのミイラの包帯の顔を
撫ぜながら

「お父さん。。ごめんね。。。」と

嗚咽で泣き崩れた豊子の娘聖羅だった。

一輪挿し・・













Posted at 2013/08/22 22:58:19 | コメント(13) | トラックバック(0) | | 日記

プロフィール

「@白銀号 キャ━━━━━━(#゚∀゚#)━━━━━━ !!!!銀ちゃん!カッケェェー!!https://www.automesseweb.jp/2023/09/04/1365094?fbclid=IwAR2lbEqbV6OFAA6dDIQp_9oMU79OBet4_XvWjcDf
何シテル?   09/05 20:08
2023.07.27 Amebaでブログ始めています。        https://ameblo.jp/seira-hisan...
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春・夏(2020)(2020.3-2020.8) 
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2020/09/07 17:09:19
オオワシさんとの出会いを求めて長野へ遠征!! 
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旅・・・・最終 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
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