GW中にスキーの板を屋根裏の物置にしまいに行くついでに
探し物をしました。
じゃじゃ~ん。コレコレ\(^o^)/
↓
みなさんご存知の走り屋カリスマ読本「バリバリマシン」略して「バリマシ」。
当時この雑誌に色々載せるのが憧れでした。
当時の私のマシィ~ンはこれ。
HONDA NS50F改。
この時からすでにUPハン仕様です。
当時からNチビは早くて当たり前の時代だったので
フルサイズでNSR50(Nチビ)に勝ぁ~~~~つ事を念頭に
仕上げています。
E/.GはNSR80、チャンバーはBRD カートコースチャンバー(懐かしー!!)で決まり。
この当時BRDのチャンバーと言えば音質、パワー共に最高でした。
足回りはNS-1前後移植。当然Rrもディスクブレーキです。
今と同じく当然ながらスピードメータは付いていません。
でかくて格好悪いからスピードは風を感じながら体感速度計をフル活用。
ミラーはナポレオンの通称「グン」ミラー。
そうですバリ伝の巨摩グンのCBについていたタイプです。
この仕様で名古屋の西枇杷島緑地(豊公橋の新幹線置き場の所)を
ホームコースとし、名古屋港名港大橋下海運トラック業者駐車場、
木曽岬干拓と毎週土日は大体走り、夜は稲永公園(90度高速コーナーの所)、
東海市の9号地、名古屋城正門前駐車場に良く走りに行っていました。
この頃有名なチーム言えば来夢来人。(ライムライトと呼びます。字違ったかな???)
枇杷島緑地、鍋田のゼロヨン、本宮山スカイライン、矢作ダム・・・
カウルサイドにゴジラがスパナを持っているシールを貼っていたので
覚えている人も多いのではないかと思います。
そしてγ兄弟。兄500γ、弟250γで共にウォルターウルフカラーでめっちゃ渋でした。
また、西枇杷島緑地で最大のライバルはTZR50改の和●田君。
当時私と和●田君が走り出すと徐々にコースからはバイクが減り
2台のバトル専用コースになったものです。
私は後攻めタイプなので和●田号が逃げ切れば勝ち。という感じでバトルしてました。
和●田号もめちゃくちゃいじっており立ち上がり加速は和●田号に軍配、
突っ込みは私の軍配ということで突っ込みで追突しそうな位に接近し、
加速で離されないようにフルバンクでの微妙なアクセルワークで
離されないようにしていたのを昨日のように思い出します。
これを読んで私のマシン知ってるよ!!一緒に走ってたよて言う人がいたらコメントしてください。
(そんな人はいないかな?すでにみなさん40過ぎのおっちゃんですね)
よろしくです。
Posted at 2013/05/02 12:12:37 | |
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