今日からタイトル画像を貼ってみることにする。
どうやら8行目から文章を書かないとタイトル画像の横に文章が表示されてしまうらしいっぽいのだが、これがいいのか悪いのかは分からないし個人の意見が分かれると思う。
私は
ロゴの横に文章が表示されるのが嫌なのでソースで言う『<br />』を8個挿入している事になる。
でも画像の横に文字がないのはなんか寂しい気がするので、本日の迷言とかいれるかどうか迷うところだ。
しかもタイトル画像を使うと1番上部にタイトルが画像が強制的に貼られるために、それ以上の上に画像を貼ることができないような気がする。
何が言いたいかというと、私の記事でコレは
『秀逸な記事だよ』って記事には
『ひよこ殿下』を入れている。
↓こんなやつ↓

この画像が載っている記事は秀逸な記事である。
これを冒頭に貼りたいのだがむやみにソースをいじっていいものなのか、いささか疑問が残る。
たとえ
『ひよこ殿下』を入れてもその下にはタイトル画像が無理矢理割り込んでくるだろう。
しかしどんな工夫をしても記事の内容がクソなので
誰も気にしない。
昨日のブログに初めて3件のコメントがあった。
正直いってコメントを返すのが面倒くさいと思うのと同時に少し嬉しいという感情が産れた気がする。
感情があるって事はやはり人間なのかな?
知合いでブログにコメントが多いなぁと思う代表は
よっし~♪さんや
まみちゃんさんである。
全てのコメントに返信してるのだから凄いとしかいい用がない。
私はあまり有名人でもないのでコメントを付けてくれる人は限られているので楽な方である。
クソ長い文章を書いた後にコメントがドバーーーーーッと来るとたぶん拷問に感じるであろうと私は思う。
コメントにきちんと返してあげるのも楽しそうなんだけどね♪
何が言いたいかと問われると返す言葉も無い。
なぜなら
単なる愚痴を書き込んでるだけなのだから。
以前タバコのロングかショート派かでブログに載せたアホな子が頻繁に家に来るようになってしまった。
どこのブログ記事かわかりません。タバコ関係で探して下さい。
↓こいつである↓

出合った日から毎日LINEや暇な時間があれば喋るようになったのは良い事なのか悪いことなのか、少しずつ仲が良くなっていった。
私の家は繁華街のど真ん中にあるため、アホな子が仕事終わった後に頻繁に泊まりに来るようになってしまった。
いつの間にか私の寝室にアホな子のパジャマやら化粧品やらが散乱しているのが現状で全く持って困り果てている状態である。
週に3回以上は泊まりに来ている感じだ。
最初はアホな子だと思っていたが、意外と物覚えが良くて私のパソコンの中身や私が集めている啓発本をいつも読んでは質問してくる。
さしずめ
先生といった感じなのだろう。
私はあんまり相手にしたくないので分からない事があればパソコンで調べて、それでも分からなかったら聞きに来いと言い聞かせている。
パソコンで調べても分からない事があればもちろん聞いてくるのだが最近物理学に興味を持ったらしく、
聞き方が曖昧なのでさすがに分かりやすく答えるのが難しい。
簡単に言えば幼稚園児に方程式を説明するような感じだと思って良い。
私は素人なので物理学や心理学のプロでもなければ教授でもないので、他人に分かりやすく教えると言うのは非常に考え込んでしまう。
自分で物事を考えるより他人に説明するのは非常に難しいと実感している今日この頃である。
ちなみに私の部屋は私のベットしかないので普段は1人で寝ている。
アホな子にはリビングのソファーで寝るように指示しているのだが、これがまた言うことを聞かずに私のベットに潜り込んでくる。
しかも寝る前に必ず裸になりたがると言う狂乱めいた性格をしているので、私がいつもパジャマを着せてあげている。
まるで親になった気分でもある。
どう育てたらそんな性格になるのかが分からないし理解に苦しむ。
そして私に1円も払わないくせに朝になるとモーニングーコーヒーとトーストを注文してくる。
基本的に私の好きなものを注文されたものに関しては断れないため毎回コーヒーを作っている。
豆を挽き1杯のコーヒーを作るのに10分はかかる。
私はレストランもビックリのコーヒー通であるがゆえに作り方も徹底して作る。

コーヒーを美味しく作るコツはコーヒーの粉の上限よりも9割程度の熱湯でそこそこ高い位置からじっくり落とす事が大事である。
もちろん大量にお湯を入れるわけではないので1滴1滴落ちてくるのがメチャクチャ遅いのだが、その1滴にコーヒーの本物の旨みが凝縮されるのだ。
結果的には濃くて濃厚なコーヒーが出来上がる。
杉下右京のように狂ったような位置からはコーヒーは作らない。
まぁ杉下右京は紅茶なのだからそれでもいいと思うが。
このようなコーヒー1杯をアホな子は平気でオーダーしてくる。
朝の時間はとても貴重だ。
でも、美味しいと言われるとやはり作る甲斐があり嬉しいものである。
昨日の記事では出会いは大切にして守るべきものは守れと書いたが、やはりいらない出会いもあると思いたい。
現に私はアホな子のせいで精神的に苦しんでいる。
それが自分の信じた道ならば貫いていこうとは思う。
私の尊敬する人はこう言ってました。
『どんなに不本意な人生であっても明日を向かなければ生きていけません。
それがどんな結果であろうとそれはあなたが選んだ道です。』と。
私は今も心にこの言葉が残っています。
これは私が選んだ人生の1つなので、この先どのような結果がでようと明日を向いて生きていき、自分の信じた道を歩き続けようと思います。
1杯のコーヒーを他人の為に入れてあげる。
それも私の大切な人生の一部なのかもしれません。
それが本意であっても不本意であっても現状がそうなってる事に変わりはありません。
違う言い方をすれば人間はいつでも生れ変れるのです、紙一重という言葉がありますが紙を越えるか越えないかではまったく別の結果が出ます。
人生とは選択の連続です。
超大雑把に例えます・・・
1分先にハンバーガーを食べようが10分先にハンバーガーを食べようが1時間後には結果としてハンバーガーを食べたという結果が出ます。
しかし1分先に食べたのと10分先に食べるのでは結果が同じでもプロセスが違ってきます。
今はハンバーガーに例えましたがこれは仕事でも恋愛でも友情でも成立する理論であり、いつ行動を起こしたかで未来のプロセスが変わってくるという話です。
私は昔からポルシェに乗ってます。
でもフェラーリやランボルギーニを選択していたら違う人生でみんカラでも違う友達が出来たのではないかと仮定してます。
車屋で同じ500万の車を買っても、それがスポーツタイプなのかワゴンタイプなのかクロカンタイプなのかでカーライフも全然違ってきます。
そう考えれば人生は選択の連続であり、選んだ結果によっては無限にも等しいパラレルワールドを生きているわけです。
今あなたがこの記事を読んでいるのならば思い出してみてください。
高校が違っていたら、大学が違っていたら、会社が違っていたら、恋人が違っていたら、乗ってる車が違ったら・・・様々な選択の繰り返しの中の1つを選び、今の世界を構築しているのです。
運命というものがあって、全てストーリーが構築されていて人生が必ずその筋書き通りになると言う考え方もいます、いわゆるアカシックレコードとかいうやつです。
未来が決まっているのならば何をしても無駄になります。
私はそうは思いたくありません。運命とは自分の力で切り取っていくいくものであると信じたいです。
どちらが正しいかなんてのは証明がないので分かりません。
ちなみに宗教的な話を書いてるわけではありません、あくまで個人的見解を書き込んでるだけです。
何が正しくて何が間違ってるなんか私には言えません。
自分の人生は自分で切り開いて、1歩ずつでもいいので前に進んでみてください。
そして自分の人生を振り返ったときに自分が正しいと思った選択をし続けて下さい。
自分が死んでしまったとき、後悔の無い人生を送れたらそれは幸せな事でしょう。
でもね、生きてるうちに頭皮の毛根が死んでしまってる人はもう手遅れです。
いくら生えると信じても無駄です。死んだ毛根は二度と生き返りません。
ハゲはハゲ続ける事もこれまた運命なのです。
頭皮の運命だけはどんな努力をしても変わりません。
ハゲは遺伝です。家系にハゲがいたら自分もハゲると思って下さい。
ちなみにどんな育毛剤を使用しても、アデランスに行っても死んだ頭皮の毛根だけは生き返りませんのでご注意を。