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ぴこちゅのブログ一覧

2016年12月07日 イイね!

幽霊ネタやる時は慎重に

幽霊ネタやる時は慎重に今日は相棒が放送される水曜日!
水曜どうでしょう?
本日も傾奇者のぴこちゅがお送りします。
何を送るか?駄文ですよだ・ぶ・ん!
夏になると肝試しとかでてきますよね?
冬はなんで肝試ししないんだろう。
肝試しの定義は何か!そんなとこから切り込んでまいりましょう。



肝が据わってるヤツはビビらない。
別に夜のお墓とか心霊スポットに行ってもそれは単なる遊びで肝試しではない。
本当の肝試しとは街歩いてるチンピラにツバ吐きかけるとか、ヤ○ザの事務所に石や爆竹をぶっこむのが本来の肝試しである。
幽霊とかいうと昔も書きましたけどなんで女性が主な対象なのか。
リングしかり、貞子も女だし、別に貞夫でもいいわけで・・・
幽霊とかでぐぐると圧倒的に女性が多く出てきます。
ニューハーフ、ゲイ、課長クラスのおっさんの幽霊なんてひっかかりません。
昔聴いた話ですが綺麗な人が死んだら幽霊、そうじゃない人が死んだらお化けになると聞いた事があります。
だから暴力団組織に入ってるような恐モテの幽霊は存在しないんだとか。
そもそも幽霊に暴力団はいるのか!政治家の幽霊とかいるのかっつう話ですよ。
誰もが死んだら幽霊やお化けになるわけですから、生きてるより死んでる人の方が圧倒的におおはず。幽霊が見えるとかいうインチキ霊媒師が本物ならそこらじゅうに幽霊を見ることができるはずです。
それこそその辺が渋谷のスクランブル交差点並みの人が見えるはずである。
しかしそんな人は聞いた事がない。
たいてい1人の霊が見えますとかワケのわからない事をいいます。
昔イオンで「おじいさんが見守ってますよ」とか霊媒師に言われましたが当時おじぃちゃんは生きてました。
生きてるおじぃちゃんが見守ってるとなるとストーキングされてるって事になるんですかね?ヽ(´ー`)ノ
幽霊なんていうのは結構東洋だけだったりもする気がする。
海外ではゴーストとかゾンビやポルターガイスト現象が霊現象である。
ゴーストってのはデーモン閣下みたいなやつです。

日本で死んで幽霊やお化けにならずにデーモン閣下になる人はいるのでしょうか?
死んだら自分の事「我輩は「ウハハハハ~お前も蝋人形にしてやろうか」などと言うのか疑問です。
誰か教えてビーム(,,゚Д゚)ノ------------>・ω・´)bグサッ
幽霊の記事を探してみたのですがタイトルだけで探すのはほぼ無理に近い。
カテゴリで探してみたけどどのカテゴリなのかが分からない。
結果わかったことはブログのタイトルはわかりやすく付けよう!ということです。
ブログ一覧ドバーってでてきてもどの記事に何を書いてるのか私の場合分かりません。お目当てのブログ探すのって一苦労です。
しかも過去の記事が無駄に長いのでさらに探しにくい。
本日の教訓:ブログのタイトルはわかりやすく!
で終わりたいとこですが、それじゃああまりに普通すぎるので、我輩は適当な事をもうちょっと書こう。
宗教にもよりますが死ぬと人は幽霊の世界へ行くのか新たに生き返るのか謎です。
死ぬと神様になれるという宗教もあれば天国と地獄と普通の幽霊社会に行くという意見もちらほら聞きます。
普通の幽霊社会って何よって我輩も思っておりますがそこは誰も気にしない。
気にした方が負けになるので、基本誰も気にしないで下さい。
ここで幽霊の住む世界霊界について考えてみましょう。
とあるサイトから引っ張ってきてまとめたもので信憑性は限りなくゼロに近いです。
他界者は、死の眠りから覚め、死の自覚を持つようになると、いよいよ霊の世界(霊界)に入って行くことになります。霊界といっても最初に赴く所は、霊界の最下層で「幽界」と呼ばれている世界です。初めて幽界に足を踏み入れた新参者は、幽界での生活を通して地上臭を拭い去り、本格的な霊的世界へ行くための準備をすることになります。
霊界の最下層域である「幽界」は、これまでサマーランドとか夢幻界とも言われてきましたが、それは南国の美しい島々のような、そして夢の中のような世界、という意味です。ここでは、その幽界について見ていくことにします。
(一)幽界の様子と生活
地上とそっくりな世界
幽界に入ったばかりの他界者は、その環境があまりにも地上と似ているため一様に驚きます。そこには山もあり川もあり、野原や海や湖もあります。村も町も家もあり、大人も子供も、犬やネコもいます。幽界には、地上世界に存在しているものが何でもあるのです。幽界が地上とそっくりな所であるため、他界者の多くが「自分は本当に死んであの世へきたのだろうか?」と思うのです。
幽界に存在するすべてのものが、地上世界と同じように感じられます。感触も地上と同じで堅さもあります。叩けば音を出すこともできます。水に触れれば冷たさも伝わってきます。
地上時代と同じ身体
死によって肉体を脱ぎ捨てた人間は、霊的身体で生活することになります。その「霊体」は、肉体よりもはるかに精妙であるため、肉眼で見ることはできませんし、肉体の手で触ることもできません。霊体にはもちろん手も足もあり、外観は地上時代と何も変わりません。ただ霊的身体には老化というものがないため、どの人の霊体もみな若々しいときの状態を保っています。
一方、地上時代に身体的に不具であった者は、ここでは五体満足となり障害や不自由さはなくなります。地上時代には肉体の一部分に障害があったものの、霊体には何ひとつ問題はなかったのです。
地上時代と同じ考え・性格
死によって肉体はなくなっても、霊体に属していた心(精神)はそのまま幽界に持ち越されます。死んでも人間の心は、すぐに変わるわけではありません。したがって死後もしばらくは、地上時代と全く同じ考え方・性格・癖・人間性を維持します。地上時代の人格を、そのまま保ち続けます。
すべてが地上より美しい
先に述べたように「幽界」は、地上とそっくりな世界です。そこでは地上の生活と同様、自然の中を散歩して、いろいろな景色を楽しみ、小鳥の声を聞くこともできます。しかも幽界では、すべてのものが地上より一段と美しく、明るく輝いています。地上にあったような醜さは全く見当たりません。地上の暗さはどこにもありません。空はあくまでも澄みわたり、明るく輝いています。周りの景色は、地上の最も美しい所だけを寄せ集めたようです。花々は宝石のごとく輝き、色あせることがありません。小川のせせらぎや小鳥のさえずりは、地上では聞いたこともないような美しい音色を奏でています。「何と素晴らしい所か、夢のようではないか!」と、誰もがその光景に感嘆します。
また、幽界には地上のような夜はなく、日が暮れることもありません。そこには地上のような太陽がありますが、それは地上の太陽よりも美しく、すべての住人は、この太陽から直接エネルギーを受け取っています。地上の日光浴のようなことをすれば、それでエネルギーがすぐに満たされるのです。
思うことが何でもかなう
ここでは老衰はなく、大半の人々は若返って青春時代の容貌にもどります。また地上時代に憧れていた顔かたちやプロポーションがあれば、幽界ではそれが現実のものとなります。場所の移動も自由自在です。「そこに行きたい、その人に会いたい」と思うだけで、アッという間に移動することができます。地上時代のように歩いて行きたいと思えば、もちろん歩いて行けますし、空を飛んで行きたいと思うなら、空を飛んで行くこともできます。
このように幽界では、心で思ったことが、そのまますぐに実現するようになっています。幽界は、まるでお伽噺そのものの世界なのです。
自分の思いが環境をつくり出す
さらに驚くべきことは、本人の願望や好みが、その人間を取り巻く環境をつくり出すということです。一度も外国に行ったことがない日本人の周りには、日本風の景色や家屋・町並みが広がっています。一方、外国が好きで憧れていたような人の周りには、本人の気に入るような環境が自然とでき上がります。生前に田園風景が好きだった人は、豊かな自然に恵まれた静かな田舎で過ごすようになります。
幽界で住む家は、自分の趣味と完全に一致しています。家の中の調度品や家具も、すべて自分の好みのものばかりです。着るものについても同じで、地上時代に好きだった衣服が自由自在につくり出され、思う存分楽しむことができます。
食べる必要がない・睡眠をとる必要がない
もはや肉体はないので睡眠をとる必要はありません。地上での病気や身体の不快感や重苦しさ・疲れは一切なく、身体は軽くて風呂あがりのようにすがすがしく、爽快そのものです。さらに大切なことは、すでに肉体はないので、この世界ではもう飲食の必要がないということです。
しかし中には、地上時代の習慣をいまだに引きずっている人がいます。そうした人は、幽界でも依然として飲食の欲求を持っています。そして「あれを食べたい、これを飲みたい」と思うだけで、欲しいものが瞬時に目の前に現れます。ところが実際にそれを口にしてみても、肉体のないところでの味覚は何となくパサパサとして味わいがなく、おいしくありません。やがて食べること自体がつまらなくなり、どうでもよくなって飲食の欲求を捨ててしまうことになります。
辛い労働もない・お金も必要がない
「食べる必要がない、お金も必要がない、欲しいものは何でもすぐ手に入る――何と素晴らしいことでしょうか!」――地上時代は、生活のため、食べるために必死に働いてお金を稼いできました。毎日毎日、辛い思いをして働かなければなりませんでした。地上人生の大半を、お金を稼ぐために費やしてきました。多くの人々は、お金こそ最も頼りになる大切なものだと考えています。そしてお金やモノの奪い合いから、犯罪や戦争が引き起こされてきました。
しかし幽界には、そうしたものは一切ありません。他人と争ったり、奪い合ったりする必要は全くないからです。ケンカなど馬鹿馬鹿しくてやっていられなくなるのです。
テレパシーで通じ合う
霊の世界では、お互いの心は“テレパシー”で通じ合います。言葉は地上世界だけの物質的な伝達手段であって、幽界ではもはや不要となります。交信は、言葉を介さずにストレートになされます。まさに“以心伝心”なのです。外国人とも何不自由なくコミュニケーションができるようになります。
しかし言葉が必要だと思い込んでいる人は、幽界でもしばらくの間、地上の言葉を使います。
心の中が、周りの人々に知られる
幽界では、心の中身(本音)が周りの人々に知られるようになっています。そこでは、自分の心を隠すことはできませんし、過去の行為を隠すこともできません。人目を欺(あざむ)くために仮面をかぶることもできません。幽界では、地上生活につきもののウソ・偽善・タテマエは一切通用しなくなります。
ウソつき・偽善者は、恥ずかしくなって皆と一緒に住めなくなります。そして自動的に人々との交わりを避け、低くて暗い所へ行くようになります。そこで同じような人間と一緒に生活するようになるのです。
幽界とは、霊界へ行くための準備をする所
以上で、幽界での様子・幽界での生活が、どのようなものであるのかが明らかになりました。では私たちは死後、この幽界で、ずっと生きていくことになるのでしょうか? そうではありません。実は「幽界」は、さらに次の段階である霊界へ行くための準備をする場所なのです。幽界について最も重要なことは――「純粋な霊的世界(霊界)へ行くための準備をする所である」ということです。
幽界は、多くの点で地上とそっくりな世界、地上のコピーのような世界であることを述べましたが、どうしてそのような世界が存在しているのでしょうか。それは幽界が、他界した人間が永遠に住むことになる霊的世界に無理なく適応することができるようにとの「神の配慮」によって造られた世界だからです。そうでなければ新しい霊的世界に順応するのは、とても難しいことになります。こうした神の配慮があるために、霊界への移行はスムーズに行われるようになるのです。
(二)幽界の生活への飽き
幽界は、地上の夢がそのまま実現する世界です。考え方によっては幽界は、まさに地上の楽園・極楽浄土と言えます。思いや願いが何でもかなうこの楽園で、ある者はぬくぬくと何もせずに暮らし、ある者は趣味三昧(ざんまい)の生活を送るようになります。またこれといってしたいことがない人は、地上時代と同じ仕事を続けるようになります。最初は誰もが、「ここに永遠にいたい……」と思うのです。ところが、やがてすべての者が例外なく、この楽園の生活に“飽き”を感じるようになっていきます。
幽界の生活への飽き・嫌悪
幽界に入った当初、大部分の人々は「ここは何と素晴らしい所か、いつまでもここにいたい!」と思うものです。しかしそうした人たちも、少しずつ幽界での生活に“飽き”を覚えるようになっていきます。思うことが何でも自由に実現する世界には、奮闘努力した後に得られる心の充実感がないからです。
しかもよく考えてみると、実現するものはすべて自分の好みであり、その大半が肉体的な欲求に関連したものばかりです。要するに自分の中にもともと内在していた欲望を、何度も繰り返し満たしていたにすぎなかったのです。ただただ“自分の欲望を満足させる”というワンパターンの繰り返しだったのです。地上では、それを実現するのにエネルギーと時間をかけなければなりませんでしたが、幽界ではあまりにも簡単に実現するために、飽きてしまうようになるのです。
次のようなことを考えてみれば、よく分かります。皆さんが旅行に行って、高級ホテルに泊まったとします。そこでは美味しいごちそうを、好きなだけ自由に食べることができます。おそらく最初の日は、ふだん食べたこともないような豪華な料理にきっと大満足するはずです。そして二日目も、その満足感は続くことでしょう。しかし三日目ともなると、少し飽きてきて「何か他のものを食べたい」と思うようになるのではないでしょうか。次の日また同じ料理を出されると、今度はうんざりし始めるようになります。そしてさらに次の日になると、もうその食事がどうにも耐えられなくなり、ホテルを出て、街角の大衆レストランや食堂を探し求めるようになることでしょう。
実は幽界の生活もこれと同様で、自分がつくり出した“欲望”という料理が、毎日毎日出されるようなものなのです。初めは誰でも満足しますが、徐々にその生活がイヤになっていきます。そして自然と、別のものを求めるようになるのです。地上時代に持っていた自分の欲望・欲求を心ゆくまで満たすことができる幽界は、まるで地上の楽園のようでしたが、やがてその世界にも飽きがきて、別のものが欲しくなるのです。
地上臭を取り除き、純粋な霊的存在になる
地上的な欲望や喜びだけを追い求める生活に嫌気がさすにともない、新しく精神的なものを求めるようになります。つまりごく自然な形で「霊的意識」が芽生え始めるようになるのです。特別、他人から教えられるわけでもないのに、おのずと本人の心が精神的な方向へ向いていくようになるのです。幽界とは、こうしたプロセスを踏むことによって、地上的なもの・物質的なものを心の中から取り去り、霊界へ行くための準備をする所なのです。純粋な霊的世界へ行くための準備をする境域なのです。
幽界では、地上的なものに魅力を感じるうちは、どれだけでもそれを楽しむことができます。いまだ“地上の喜びに心が惹かれている”ということですが、無理にそれを捨てさせようとする監視者はいません。本人自ら幽界での生活に飽き、魅力を感じなくなるまで、そこに留まり続けるのです。そして地上的なものに嫌気がさし、決別したいと思うようになると、いよいよ霊本来の世界、霊界に入っていくことになります。そして気がつくと、いつの間にか次の世界に入っています。
このように「幽界」とは、地上臭を拭い去り純粋な霊的存在となって、次に行くことになる「霊界」での生活に向けて準備をする所なのです。
幽界の生活は、他界者の霊的浄化プロセス
以上の話から幽界の生活は――「他界者の霊的浄化プロセス」となっていることが分かります。それをもう一度整理すると、次のようになります。
幽界は、ありとあらゆる地上的欲望を満たすことができる世界です。しかし、やがて誰もがその欲望に嫌気がさすようになります。何の努力もなしに満たされる生活に飽いてうんざりし、虚しくなるのです。そして「霊的目覚めの時」を迎え、本格的な霊の世界である「霊界」に入っていくことになります。このように“神”は、幽界において人間の物質的な夢を思う存分に実現させ、その夢が本物でなかったことを悟らせ、自然とそこから抜け出すための意欲を生み出させるのです。外からの強制ではなく、自発的に霊的進歩の道を歩ませようとされるのです。
これが、一般的な人間の幽界でのプロセスです。しかし、この幽界にほとんど留まることなく、単に素通りしていく、ごく一部の霊もいます。生前から霊的知識に通じ、それを実践し、地上にいながら霊的存在として歩んだ者は、肉体を脱ぎ捨てると同時に、霊界に直接赴くようになります。
(三)自分自身の心がつくり出す暗黒地獄
宗教では「善人は死後天国に行き、悪人は地獄に堕ちて苦しむ」というようなことが言われてきました。有名な霊界探訪者であるスウェーデンボルグも、幽体離脱の状態で天界や地獄を見てきたと述べています。
そうした“地獄”というような世界は、本当に存在するのでしょうか。もし地獄があるとするなら、どこにあるのでしょうか。また“地獄の苦しみ”と言われてきたことの真意とは、いったい何だったのでしょうか。
宗教で言われてきたような地獄世界は存在しない
結論を言えば、これまで宗教で言われてきたような地獄の概念は正しくありません。教訓的目的から説かれた地獄の様子は、その多くがフィクションであり、事実とは懸け離れています。従来の宗教で説かれてきたような、限定された特定の地獄という場所は存在しません。ダンテの『神曲』やスウェーデンボルグの著作、また仏教の説話の中で述べられているような、天国に対峙する世界としての地獄は存在しません。
では、霊界には暗く醜い場所(境界)はないのかといえば、そうではありません。実際、地獄と言ってもいいような醜悪な場所・暗黒の場所があるのです。地獄を「邪悪で醜い悪人が集まる所」と定義するならば、地上に最も近い幽界の最下層の一部が、それに相当します。幽界の下層には、現実に“地縛霊や低級霊”が集まっている醜い境域(世界)が存在します。そこには魂の中身が極悪で、利己性がきわめて強い者がたむろしています。いつまでも地上的感覚を拭い去ることができず、享楽・快楽に耽溺(たんでき)したままの醜悪な霊たちが大勢いるのです。そうした醜い心の持ち主の思念は、醜い環境をつくり出します。当人たちには、それが一番心地よく感じられるのですが、外部から見れば、そこは暗く醜悪性に満ち満ちた“暗黒地獄”となっています。
そうした所には、長い時を経ても霊的に目覚めることができない者が留まっています。極端な唯物論者や、間違った信仰をしてきたために自分が死んだことを認めようとしない者たち、また本能的な欲望が強く染み付き、死後においても依然としてそれを求め続ける者たちが“地縛霊”となって幽界下層に居座り続けているのです。
自分の欲望が引き起こす地獄の苦しみ
幽界では“ああしてはいけない、こうしてはいけない”という規則も制約もなく、したいことが何でもできます。まさにやりたい放題の世界なのです。守銭奴は、大好きなお金を何の苦労もなく貯められます。美食家は、終日好きな食べ物を思う存分食べ続けることができます。ケンカ好きは、心ゆくまで他人を苛(いじ)め、それを楽しむことができます。セックス愛好家には、セックスはしたい放題、乱交パーティーなど思いのままです。彼らにとって、そこはまさに“地上の楽園”です。
しかしこうした住人たちも、やがて猛烈な苦しみを体験するようになります。守銭奴はどんなにせっせとお金を貯めても、それが全く無用であることに気がつき、虚しさに落ち込むようになります。自分の人生には全く意味がなかったことをイヤというほど知るようになります。美食家は食べても食べても食欲が満たされず、飽くことのない自分の欲望から欲求不満に陥り苦しむようになります。乱交パーティーも、肉体のないセックスではいつまで経っても満足が得られず、不満が募って苛立ちと苦しみだけが大きくなっていきます。思いのままの手軽なセックスの連続は嫌気が増すだけです。しかもイヤな相手が自分を離してくれないので、いっそう苦しみは激しくなっていきます。
これは、まさに地獄です。自分自身の地上的欲望がつくり出した地獄です。地獄は神が造ったものではなく、人間の心がつくり出したものなのです。これまで宗教で説かれてきたような地獄は、実際には存在しません。“地獄”とは、自分自身の醜い思いがつくり出す心の状態であり、自業自得の世界なのです。地上時代に権力や金銭に執着していた者が、こうした世界に多くいることは、今さら説明する必要はないでしょう。
“後悔の念”という地獄の苦しみ
地上時代に利己的な生き方をしてきた者、他人を苦しめてきた者、善行をするチャンスがありながらそれを無視してきた者は、死後、霊界(幽界)に行ってから、その愚かさのツケを払わされることになります。幽界では、自分の地上人生がいかに間違っていたのか、そしてせっかくの霊的成長のチャンスを捨て去ってしまったのかを実感するようになり、大きな後悔と苦しみの中に立たされることになります。
地上で肉体に包まれているときには、心の呵責(かしゃく)や後悔をそれほど強く感じることはありませんが、思念の世界である霊界に入ると、後悔の苦しみが何十、何百倍にもなって迫ってくることになります。そして自分が地上世界で犯してきた罪を、自分自身で裁き、自分自身で罰するようになるのです。これも“地獄の苦しみ”となります。
宗教で言われてきたような、死後の世界におけるサタンの讒訴(ざんそ)や閻魔(えんま)大王の審判、また終末における最後の審判などというものはありません。死後は誰もが幽界で、自分の地上での行為を反省し、自らを裁くという状況が生じるのです。罰を与えられる特定の場所(地獄)があるわけではありません。幽界では、地上時代になした愚行によって自分で自分を責め、後悔の念で苦しむことになるのです。“地獄の苦しみ”とは、そうした魂の苦しみ・心の苦しみのことを指しています。この意味で――「地獄は一人ひとりの心の中に存在する」ということなのです。
幽界における苦しみによって霊的に覚醒するようになるまで、自分自身でつくり出した暗黒の境涯(地獄の状態)は続くことになります。
“地獄霊”の救いの道
地獄と言ってもいいような暗い境涯で時を過ごした霊にも、遅かれ早かれ、苦しみを通して少しずつ進歩への欲求が芽生えるようになります。しかし中には、あまりの霊性の未熟さゆえに、いつまでも一人では更正の道を歩み出せない者がいます。そうした霊たちに対して、高い世界から常に救いの手が差し伸べられています。霊界には、地獄にいる住人を救い出すことを使命として働く高級霊たちがいるのです。
とは言っても、本人自身が“進歩したい”という欲求を持つようになるまでは、たとえ高級霊といえども導くことはできません。長い苦しみの時を経て進歩への欲求が芽生えた者のみが、この救いの霊に助けられ、少しずつ進歩の道を歩み出し、次の世界へ入っていけるようになるのです。また地獄に堕ちている霊の中には、地上時代に犯した大きな罪や間違いを償うために、半ば強制的に地上へ再生させられる者もいます。こうした再生霊の地上人生は、苛酷(かこく)で厳しいものとなります。

特定の宗教は無しという事で記載しました。
宗教によって死後の世界は違いすぎるのでここには記述しません。

北欧神話とかの世界もここには記載しません。
どちらかというと筆者は北欧神話の世界観の方が好きなのですがね。
ユグドラシルの物語の方がファンタジー感があって楽しいですよ(*´・ω・)(・ω・`*)ネ
今日の記事こそ全部読む人はいないだろう( ´_ゝ`)フーンで終わる記事である。
ネタがないときは過去のネタを引っ張って使いまわす!これ簡単。

本日の教訓:北海道は食べ物が高い!
Posted at 2016/12/07 14:28:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治・経済 | ニュース
2016年10月17日 イイね!

人は皆 自分という檻を破る脱獄囚

人は皆 自分という檻を破る脱獄囚本日はご機嫌いかが?
今日も傾奇者のぴこちゅです。
そうです、見た目に反するぴこちゅです。
そういえば昔一生友達でいようねって言ってくれた学生時代の友達達に誰一人連絡が取れないのだけど、みんな死んでしまったとでしょうか?
謎につつまれています。
そんな事思って1日過してました。



まぁそんな事はどうでもよくて今日のネタですね。ハイハイ・・・

( ゚д゚){ネタがねぇよ!


どうしたもんでしょう。こういうときはくだらない事殴り書けばいいのですね。
題して!カトリック教会とプロテスタントとイスラームの違い等々・・・
キリスト教が世界的にひろまったのには、原因があります。ローマカトリック教会の定めた教え以外の宗教を滅ぼしてきたためです。
同じ考えをもてとか、それ以外疑問に思うなとかいうのは、そうでないと死刑にしてやったという悪事を働いてきたためです。
マリアが処女で神の子を生んだ、とか、キリストを信じない者は、地獄に行く、とかいう宗教的な迷信のレベルならばまだよいのですが、地球は回っているとか、進化論とかの科学的真理までも、異端者として滅ぼそうとしてきた悪いくせが、今でも消えないためです。敵を愛せと、師匠から言われているのに、敵はおろか、味方であっても、少し考えが違うだけで殺してしまう・・・・そんなレベルの宗教であるため、言い訳がましく、押し付けがましい人たちだといえるのです。
カトリックはマリアやイエスの像をつくって拝んでいます。それが偶像礼拝でないとお思いならば、カトリックに行くことは出来ます。
カトリックはマリアが無原罪であり、人間の中でもっとも神に近い場所にいる存在であると信じています。これもそう思えるならば、カトリックにゆくことは可能です。カトリックはどちらかというと、聖書とともに(よりも)教皇の判断の方が第一と考えられているようです。教皇は、歴史的に数百万人の異教徒を殺して来た中心人物です。その教皇をイエスと同じくらい信じられるならばカトリックに行くことは可能です。プロテスタントは、偶像の礼拝とか、マリア信仰、教皇絶対主義がなくて、気楽に聖書にもとずく信仰に生きていると考えて良いでしょう。プロテスタントの方が、聖書に元ずいているように感じます。「教会へ行きたい時、ふつうに自由に」ゆくには、偶像の礼拝とか、マリア信仰、教皇絶対主義がないほうがいいのではないでしょうか。
建物の外見が、人を突き刺すやりのようにとがっていて、攻撃的な印象を与えるのが、カトリックです。
十字架にやりは付き物だからでしょうかね。
プロテスタントは、普通の家みたいな教会に入ったことがありますが、アットホームな雰囲気でした。
カトリックは過去に悪事を働いてきましたが、当時のままの組織なので、悪いことをしたと思っていないようです。
プロテスタントはカトリックの悪いところを改善しようとして出来たようです。聖書とイエスに忠実であろうとしているようです。が、いろんな宗派があって、一概にはこうだといえないところがあります。
カトリックが、イエス像やマリア像をつくって置いているから、そこにあります。カトリックが、置いているイエス像やマリア像のことは、一般に「偶像」といいます。ユダヤ教や、プロテスタントや、イスラム教では、こうした偶像があってはならないと考えているようで、拝まなければよいということでは、ないようです。カトリックは偶像崇拝禁止と考えているようで、拝んでいないので問題ないという解釈のようです。が、ユダヤ教や、プロテスタントや、イスラム教にとっては、マリアを崇拝していること自体が「ちがうだろ!」という感じのようです。
イスラム教では、最初ガブリエルが出てきて、「主」と言っていたように思います。キリスト教でヤハウェといっていたのは、ユダヤ教の聖典の中で、神がそう名乗ったとされるからであったわけです。ユダヤの聖典のあとにイエスが出てきましたが、やはり「主」「父なる神」と呼ばれていて、ユダヤ聖典の引用の中で、わずかに1回か2回引用文として神の名を口にした、と新約に書かれているのみです。ですので、厳密に言うと、イエスはヤハウェとは呼ばれていなかったと考えて良いかと思います。イエスのあとに新約と旧約ができましたが、この時に聖書作成者によってヤハウェとイエスの主なる神とが同一視されたと見ることが出来ます。
イスラム教のコーランの中でマホメットに出てきた神は、自らをアッラーフといいました。本来は「神」という意味だったようです。ユダヤとの違いという点では、たしかイスラム教ではメッカを作ったのは、アブラハムの最初の子供だったとされていたと思いますが、本妻の子として生まれた次男イサクの宗教と砂漠の長男の宗教という感じの区分け意識が、砂漠の民にはあったように思われます。そのため、こちらの方が本物の宗教だという対立意識が、同じ神であったとしても相手の宗教は間違っているから、こちらはこちらの呼び方でいくのが当たり前ということではないかと思います。アッラーフとされた「主なる神」は、最初山の上で出現していた当初はユダヤ教とルーツは同じ身内のようなことを言っていましたが、カアバ神殿に移ってからは、性格が変わったみたいにユダヤ人の虐殺を命じたりしています。
イスラム教とキリスト教との違いとしては、元もとの勘違いもあったようで、コーランの神は自らをアッラーフといいましたが、本来は「神」という意味で、たまたま偶像の中の宇宙の主の名もなき神というのと同じアッラーフであったため、砂漠の民は、キリスト教の力ある神をそれにして拝んでいたというわけです。キリスト教の神はヤハウェとは違うとアッラーフ自身が思っていたようで、キリスト教のマリア信仰を否定しています。コーランに出てくる神は、意外なほどにキリスト教について無知であったといえそうです。余計に混乱したかもしれませんが、今述べたことにからんで、なりすましのヤハウェや、ガブリエル、アッラーフ等の登場人物が考えられます。
回答からです。
イスラム教では、アブラハムには過ちがなかったとされていますが、実は大きな過ちを犯していたと考えます。それが、召使に生ませた長男を、本妻の子が生まれるときに砂漠におい出したということです。それによって、結果的には後の世に正当な次男のユダヤ教、軽るんじられた長男のイスラム教が別々になったとも考えられます。キリスト教はユダヤの教えがあまりにも形式的になったためにイエスが改革しようと教えを説きました。ユダヤ教はイエスをキリストとしていませんし、イエスも自分がユダヤ教の言うキリストとは考えていなかったようです。現在流行しているキリスト教は、社会制度に適合しづらかったイエスの教えを改革した一部の弟子の教えを、200年位してからローマの皇帝が旧約と新約という観点から完成させたと見ることができます。ですので、キリスト教はユダヤ教のパクリですから、分かれていて当然ということができます。
余談ですが、イスラム教では、原罪を身体的なものと捉えているようです。マホメットが天上の世界に行くとき、天使によって心臓を取り出して洗ったとされていますが、それによって原罪のためについているしみを消したという言い伝えがあるようです。清い水で心臓を洗えば落ちるタイプの原罪ですね。
尚、聖書がカトリック、プロテスタント、イスラム全てにあります。
カトリック(ユダヤ教)が旧約聖書、プロテスタントは新約聖書、イスラムはコーランとご存知ですよね?
実はこの3つ違うようで同じ内容なんです。
ベースは紀元前、つまりイエスキリスト誕生前に書かれた旧約聖書。
そしてキリスト誕生後に纏められたものが新約聖書。西暦700年頃に旧約聖書と新約聖書を混ぜて改良したのがコーランというわけです。
なので3つの宗教とも崇める神は「ヤハウェ」になるわけです。
時に宗教は政治に用いられ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


本当はこの5倍くらい書きたいのですが長くなるのでここまでにしておきます。
もう時間遅いですし、たぶん全部読む人いないだろうし。



本日の教訓:イエス!高須クリニック!
Posted at 2016/10/17 21:12:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治・経済 | 日記
2015年12月23日 イイね!

タイトルだけじゃ映画の面白さはわかんない

タイトルだけじゃ映画の面白さはわかんない本日はちょいと趣向を変えて特殊なお話でもしましょうか。
しかも画像多用しまくるため現段階でかなり読みにくい記事になるに違いない。
ある意味狂ってるブログの頂点を極めるかもしれないし、最悪の場合消される可能性もあるので見れたらラッキーとでも思って下さい。
タイトル画像もすでに挑戦であり、タイトルと内容は全く関係ありません。

最近話題になっているといえば、クリスマスなどではなく『軽減税率』である。

20日にとある雑誌のインタビューに自民党税制調査会の宮沢洋一会長と、公明党税制調査会の斉藤鉄夫会長が答えた記事を見つけたのでまとめる。

消費税率を10%に引き上げた場合の軽減税率について、公明党の斉藤会長が飲食料品を中心に幅広く対象にするべきだと主張したのに対し、自民党の宮沢会長は、増収分を年金や医療などの社会保障費に充てるとした「社会保障と税の一体改革」の範囲内にとどめるべきだとの考えを示し、基本姿勢の違いが浮き彫りになった。

消費税増税と同時の導入を目指すことや、導入時には事業者に商品ごとの税率や税額を記した「インボイス(税額票)」を義務付けることは見送り、事業者の負担を抑制する簡素な仕組みを導入することでは一致した。

●軽減税率の対象範囲をどう考える?
与党税制協議会の中で(1)精米だけ(2)生鮮食品(3)酒類を除く飲食料品-の三つを検討してきたが、それぞれ問題点もあればいいこともある。

今回、これしか検討しないというのではなく、いろいろな角度から自民党内で検討していく。食料品以外でも、社会政策的に配慮が必要なものについては検討していかなければいけないだろう。

●軽減税率による税収減はどれぐらいの金額までなら認められるのか?
軽減税率の財源は、社会保障と税の一体改革の枠組みの中で議論すべきだ。

消費税収の使途は決まっているわけで、その中で対応できる金額だろう。
酒類を除く飲食料品を対象にすると税収は一・三兆円減るが一兆円というような規模でないことは確かだ。

●事業者の経理事務負担をどう抑制する?
年末に与党で最終的な合意ができた後、法律が年度末直前ぐらいに成立することを考えると、施行まで一年しかない。零細な事業者に混乱が生じない制度をつくらなければならない。インボイスにしても公明党の案でも、一年という短期間で義務付けることはできないと思う。

●自民党内には軽減税率に消極的な意見もある。
少なくとも税調の幹部の段階では軽減税率を何らかの形で2017年4月1日に導入する方針は確認した。
いろいろな意見が出てくるとは思うが、納得できるような案を作っていく事になる。

◆公明・斉藤鉄夫税調会長:現状の8%が大前提!

●軽減税率を適用する対象品目をどうするか?
痛税感の緩和を実感できることが譲れない一線だ。

対象品目の線引きによる混乱をできるだけ小さくするため、外食を含むより幅広い品目を対象にするというのがわが党の基本的な考えで、酒を除く飲食料品を対象にしたい。

また、精神の健康を保つ新聞や書籍など活字文化も人間の生活には欠かせない。
●外食を含む飲料・食料品を8%にした場合、年間1兆3000億円の税収が目減りする。その財源をどう埋めるのか?

現在行われている簡素な給付措置などに年間四千数百億円を使っており、それが発射台の財源になる。残りの財源をどうするかは、消費税だけではなく、税制全体の中で考えることが今の基本姿勢だ。
●8%以下に軽減する選択肢はないのか?
現場を歩くと5%に戻してほしいとの声も聞くが、財源の問題で現状の8%から上げないということが議論の大前提になる。

●事業者に課す経理方式に対する考え方は?
現在の請求書等保存方式に、請求書の発行義務を売り手に課す方式を、自民公明は提案している。
これなら消費税8%で売ったものに印を付けるだけだ。

印が付いたものとそれ以外を別々に足し算する必要はあるが、さほど手間は増えない。

自民党でもっと簡単な方法はないか検討しており、今後議論するとの事。

スタートから三~五年後にインボイス方式を導入すべきである。

そもそもの<軽減税率制度>食料品など生活必需品の消費税率を低くして家計の負担を軽くする制度が軽減税率制度だ。
所得が低い人ほど消費税の負担を重く感じる「逆進性」を和らげる目的があり、欧州などに例がある。
税収減や企業の事務負担が大きいとして自民党は採用に慎重だったが、公明党の要望に沿って安倍晋三首相が14日、自民党の宮沢洋一税制調査会長に、2017年4月の消費税率10%への引き上げと同時の軽減税率導入を考えるよう指示している。


やばい!全く意味のわからん記事になった・・・これは過去に例を見ないほどのクソ記事だ。
ひよこ殿下が現れてもいいくらいであるが殿下はでてこない。
文章だけ読むと軽減税率の現状がわかりますが、間に画像が入ってるので邪魔くさいと思うだろう。
ちょっとプレビューで見てみたけど全く意味がわからない。
これでホンマにPV伸びるのか?伸ばす意味とかもわからんが・・・
男性女性も楽しめるように前半は男性向き、後半は女性向き画像を多様してみたが、やはり意味不明な記事に。
でも、書いてる内容は今後の問題だからみんなもちゃんと軽減税率について理解しようね。

本日の教訓:まぜるな危険!意味不明



※明日から出張なのでコメントに返信できなかったり、新規で記事上げられない可能性があります。
Posted at 2015/12/23 16:55:16 | コメント(2) | トラックバック(0) | 政治・経済 | 日記
2015年12月03日 イイね!

一時停止はうまい具合には止まらない

一時停止はうまい具合には止まらない12月に入ってからいきなり冬になった気がするが、冬になるのがいつからかなんて人それぞれであって私が口出しすることではない。
私の中での冬は厚手のコートを必要とする時である。
本日は出張で札幌へ来ていて、夜はお酒の付き合いがあり帰ることができない。


【全面改装リニューアル】

札幌は北海道の中ではデカイ。
そして人も沢山いる。


地下街もあり多くの企業が立ち並ぶ北の東京である。
『政令指定都市』の1つであり10の行政区に分かれていて人口はおよそ190万人強の都市である。
『政令指定都市』としては面積も『浜松市』『静岡市』についで第3位、人口密度は1700人程度であり広さの割りに人口密度は少ない部類であろう。
ご存知の通り東京は『政令指定都市』とは言わず東京23区は『特別区』と呼ぶ。
日本でいえば『特別区』は東京だけにしか存在しない。
大阪市長の橋本も大阪都構想を抱いていた1人である。
例えば大阪市と堺市は『政令指定都市』で、普通の市より権限が強い。
小中学校の教員を独自に採用して学力アップのための取り組みをしたり、児童相談所をつくって学校や幼稚園と連携した子育て支援を行ったりできる。
これらは一般の市ではできないことで、ほかにもいろいろなことが特例的に認められている。
じゃあどんな市が政令指定都市になれるか?
人口50万人以上の国が指定した市で、横浜市や名古屋市、福岡市など全国に20ある。
大阪市は昭和31年に指定されたが、堺市は平成18年に指定されたばかりでである。
これらは人口も多いので、行政を効率的に運営するために「区」も置くことができる。
区は今も、大阪市に24、堺市に7ある。橋下市長が目指す『特別区』とどう違うのだろう?
今の区は『行政区』といって、市民は市長を選挙で選び、住民サービスの決定権を持つのは市長。
区長は市長の部下の市職員だし、各区で行われるサービスはほぼ一緒。
特別区は、その区の区民が区長や区議会議員を選挙で選んで、税金をどのように使うかも区で決めることができる所に違いがある。
より住民に身近なサービスができるのである。
ただ、一方で新しい区をつくれば区議会議員や教育委員会もそれぞれの区で必要になるので、それだけコストもかかる。
要はコストとサービスのバランスをどう取るかが大事である。
今は大阪に例えたが東京にも歴史がある。
文献で読んだだけなのだがかつて、東京には東京府と東京市があった。
日本三大都市として、当時は東京、京都、大阪が選定されていたので、それぞれの3都市には府と市があった。
しかし、戦時下に首都である東京の行政機構をスリム化して戦時下態勢に動員していく必要があったことから、半ば強権的に東京府と東京市を合併して、東京都が誕生した。
そして、元々東京市があったところがそのまま『特別区』となり、東京市の行政区分をそのまま引き継いで23の特別区になった。
今でも大阪府と京都府はいずれも府と市があるので、この当時の東京が持っていた仕組みをそのまま維持している。
大阪については大阪府と大阪市を合併して大阪都を設置、さらに特別区を設けるという政治活動が現在も行われている。
大阪都構想のメリット・デメリットについて整理する前に、大阪都構想とは何なの?という点についてざっくりと整理しよう。
現在の大阪府は、大阪府の下に大阪市とそれ以外の市町村がぶら下がっており、さらに、大阪府の中心都市である大阪市にはその中に区がぶら下がっている体制である。
そして、大阪市には権限と財源が集中し、大阪市長の権限と発言力は大阪府知事と同等と言っても良いレベルにあるだろう。
また、そのため、「大阪府と大阪市で二重行政になっている」との指摘があり、大阪府知事と大阪市長の意見が対立した場合になかなか政策が進まない、といった問題が生じてきた。
大阪都構想とは、大阪市を5つの特別区に分け、その上に大阪都を置くという構想。
つまり、大阪都の下に5つの特別区とその他の市町村がぶら下がっている体制になる。
その結果、大阪市は無くなり、当然だが大阪市長という存在も無くなる。
そして、大阪府知事は大阪都知事になる。
メチャクチャ大雑把な感じだが、これが大阪都構想のイメージです。
現状では大阪府知事と大阪市長の2人がそれぞれ広域行政を担当していて、長期的視野にたった広域行政・経済成長戦略の実行が困難だが、大阪都知事に権限を集中することで、長期的な成長戦略を立案し実行することが出来る。
①二重行政が解消して、財政健全化が進む。
②特別区区長の権限を強化することで、行政が迅速化し住民サービスが向上する。
③東京一極集中が解消して、日本の経済に活気を与えることが出来る。
④その他、大阪都に権限を集中させることで、様々な政策を迅速に立案・実現していくことができる。

このように、大阪都構想のメリットの根幹にあるのは、「二重行政の解消」「大阪都知事の権限強化」である。
大阪都構想の特徴は、「大阪都知事への権限集中」「特別区区長の権限強化」だと言える。
身近な例であれば、これまでは大阪市民の要望を区長に伝えても、区長には決定権が無いので、区が大阪市・大阪府にお伺いを立て決定してもらい、それからやっとその要望が実現される、と言う風に行政サービスの遅滞化が問題になっていた。
大阪都構想が実現すれば、大阪市を5つの特別区に分けてそれぞれの特別区長の権限を強化するため、より迅速な住民サービスを提供することが可能になる、と考えられる。
現状では、大阪府知事の権限・影響力と大阪市長の権限・影響力が拮抗していて、これまで大阪では事ある度に、両者が対立してきた。
そのため、大阪全体として長期的な視野に立った政策を立案・実行していくことが難しかった、という経緯がる。
現在は、松井大阪府知事と橋下大阪市長が共に日本維新の会なので、当然、政策も一致していて行政や改革をしやすい状態にある。
しかし、別の府知事・市長に今後なった場合に、大阪の政治が遅滞するという事態になることが考えられます。
大阪都構想が実現されれば、大阪都知事に権限が集中するため、このような対立が生じ得ず、大阪の政治が円滑に進んでいくと考えられています。これも大阪都構想の大きなメリットの1つであると考える。
大阪都構想のメリットをまとめれば、
「二重行政を解消することで財政難の解消、行政サービスの改善・迅速化を達成し、大阪都知事に権限を集中することで、大阪をさらに成長させていく」
というふうになるかと思う。
このように、大阪都構想のメリットだけに着目すると、
(,,゚Д゚){大阪都構想、ええやんけ!
となりますが、物事にはオモテウラがあるので、デメリットもたくさんある。
大阪都構想推進派の日本維新の会に対して、自民党大阪府支部連合は徹底的に反対の姿勢。
様々なデメリットを示し、大阪都構想に真っ向から反対しています。
大阪都構想のデメリットを下記に書く。
①「大阪都構想実現で二重行政が解消することによって、年間4,000億円の支出節約になる」との主張があるが、実際には検証したところ支出節約効果は30億円程度と、効果は限定的。
②一方、都構想実現にかかる費用は800億円と莫大な金額。
③二重行政は、大阪都にしなくても解消する。府知事と市長が連携すればよい。
④都構想の実現であらたに5つの特別区が作られ、それぞれに議会・教育委員会等を作る必要があり、議員の数も増えてしまう。
⑤住所が変わるため、企業・住民に負担になる。
⑥財政難は都にしなくても解消可能
⑦特別区ごとに住民サービスの格差が出るし、手続きが煩雑化する。

などなど、デメリットを挙げ出したらキリがありませんよ!というのが、自民党大阪府支部連合のスタンス。
反対派の主張の根幹にあるのは、今のままの制度でも、大阪の改革は出来る
という考え方。徐々に改善していけばいいじゃないですか、というものだ。
確かに、住民サービスの向上・迅速化は、別に都構想を実現しなくても、コツコツとやっていけそうだし、二重行政の解消によって本当に年間4,000億円の支出が節約できるの?という疑問はごもっとも。
いままで4,000億円も無駄なものに使っていたの?本当に?
という話になるから。さすがに政治家・公務員もそこまでバカではないのでは?と思うからである。
ただ、「二重行政は、大阪都にしなくても解消する。府知事と市長が連携すればよい。」という反対意見の、「府知事と市長が連携すれば良い」というのは理想論であり、実際これまで対立があったことを鑑みると、難しいのかな、と考える。

大阪都構想についてメリット・デメリット書いたが、印象としてはデメリットの方が大きいのでは?と思われる。
それ、都にしなくても改善できるんじゃないの?
というポイントが結構あるからである。
しかし、橋下市長は大阪都構想に向けて猛烈に進み、異常なまでにこだわっています。
その理由は何でしょう?
その理由は、橋下氏は、大阪都知事としての強権を発動して「大阪を大変革したいから」というものだと考えられる。
橋下市長が大阪府知事になった際、当時の大阪市と対立したという経緯がある。
その経験から、「このままじゃ大阪に変革は起こせない」と考えたのではないだろうか。
大阪市長という府知事(都知事)に匹敵する力を持つ存在を消し、大阪都知事に権力を集中させる。
そして、自分が大阪都知事になって、大阪をドラスティックに変革しまくる。
橋下市長は、コレがしたいのだと思います。たぶん。
また、大阪「都」構想には、東京に対するライバル心も見え隠れします。
いつまでも、大阪が東京に次ぐ2番手の都市でいる、ということに我慢できないのではないだろうか。
だから、大阪府ではなく大阪「都」にして、日本にはトップの大都市が2つあるという認識を持たれたいのでは?と、考ええるのが妥当。
さらに言えば、大阪都構想を実現し、自ら大阪都知事として改革の手腕を振るって成果・実績を出したあとは、国政でも同じようなことをするのではないか?と予想する。
つまり、『内閣総理大臣の座』を淡々と狙っているのである。
大阪都構想の実現とその後の改革の実行は、内閣総理大臣に向けた布石となるわけだ。
そして、大阪の次は、日本を改革していく。
橋下市長は、ここまでイメージが出来ているのではないか?
橋下市長が大阪維新の会を立ち上げ、国政に参戦した当初、橋下への国民の期待は相当なものでした。
大阪都構想を実現し、実際に大阪を成長・発展させることに成功した場合、再び、橋下氏への期待は急激に高まることになります。
そうすれば、国政選挙での過半数での勝利も見えてくる。
橋下氏は、政治家としてはまだまだ年齢が若いですから、これくらいの長期的なビジョンを持っていてもおかしくないだろう。
着々と進む橋本の理想とする世界。
橋本は現在議会への進出を狙っているだろう。
この男は日本を変えようとしているのだ。
賛否両論の意見あなたはどう思いますか?


話が逸脱しすぎて変な記事になりました。
自重忘れてました。
何が言いたいかまとめると、大阪はタコ焼き食ってりゃ問題ない。

結論:札幌の夜は綺麗。一度はお越しになってみては?


Posted at 2015/12/03 16:49:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治・経済 | 日記
2015年11月25日 イイね!

未定は未定であって決定ではない

未定は未定であって決定ではないPCやスマホにはスクロールバーというものがある。
これが小さいとスクロールが少なくて文章や写真が少ないなぁと判断することができる。
たいていはこれを目安に記事を読んでくれると、『今日の記事はクソ長いのか・・・』等と判断できるのある。
気休めに覚えておくといいかもしれない。
私のタイトルの法則をマリオ・マスターさんに見破られたがこのまま続ける。
ぶっちゃけもう皆さん気づいてるのかもしれないし、気が付いてないのかもしれないけど誰も気にしない。
ちなみにオリジナル記事とは自分自身が体験したこと新たなる発見をした記事であり、最近の私の記事は過去の記憶の蓄積から引っ張り出してきたり、どっかのサイト見た時に覚えていたりTVの内容を記事にしてるのでほぼ90%以上の記事はパクリだと思って良い。
それをうろ覚えで書いてるのだから全てを信じてはいけない。

今日の記事は比較的長めのエンドレスエイトです。閲覧注意。

第二次産業革命以降世界の産業は変化を遂げた。
燃料として石炭ガスの代わりに石油を使って革新を遂げたのはドイツの『ゴットリープ・ダイムラー』であり、これが数年後には自動車に適用された。
現在で言う『ダイムラー・クライスラー』は、この『ゴットリープ・ダイムラー』から名づけられている。んじゃねえの?
ちなみに自動車は『ゴットリープ・ダイムラー』『ヴィルヘルム・マイバッハ』も同様の発明をしていたが、互いのことは知らず、『カール・ベンツ』の方が特許を先に取得し、その後内燃機関を自動車の動力に使うためのあらゆる特許を取得した。
現在の『メルセデス・ベンツ』の基盤を築いたのは『カール・ベンツ』である。
『ダイムラー』『マイバッハ』も自動車メーカーですね。
ちなみに『メルセデス』ってのはどっかの知り合いの娘の名前らしい。
さらに後に、アメリカ合衆国の『ヘンリー・フォード』が内燃機関を大量生産して社会に大きな衝撃を与えた。
自動車会社『フォード・モーター』の創設者でもある。
2サイクル石油内燃機関はイギリスの技師ジョセフ・デイによって発明されたが、この特許をアメリカの起業家に使用許可し、それが直ぐに「貧乏人の足」オートバイ、モーターボートやポンプになって、電力が普及する前には小さな工場の安価で信頼できる駆動力ともなった。

こうして自動車産業は急速に発展を遂げた。
ちょっと前まで自動車のエンジンといえば主に「3種類」に分類出来ました。
それは「レシプロエンジン」「ディーゼルエンジン」「ロータリーエンジン」の3つである。
「ディーゼルエンジン」もレシプロ構造なので「レシプロエンジン」の一つなのだが、ガソリン車と比べて燃料に軽油を使用することや燃焼の仕組みが違う為、分けて記載する。
しかもメチャクチャ簡単に記載する。
・レシプロエンジンは空気とガソリンをシリンダー内にぶちまけて圧縮したところをスパークプラグでドカンと爆発させてピストン運動を起こす。


・ディーゼルエンジンとガソリンエンジンとの大きな違いとしては、スパークプラグが無いという事。
圧縮して高温になった空気(600℃以上)に軽油をぶちこんだ時に起きる「自己着火」をもとにした爆発でピストンを押し出す方式である。
ゆえにディーゼルエンジンはガソリンエンジンに比べ圧縮比が高いのである。


・ロータリーエンジンとは、本来は『ヴァンケルエンジン』という名称で、「ロータリーエンジン」という名称はマツダが勝手に付けたんじゃね~かと思う。
なんかわからんがオニギリみたいなピストンがクルクル回っててローター1回転で「吸気」「圧縮」「燃焼」「排気」の工程を行うよくわからんエンジンである。
ローターには「エキセントリックシャフト」という芯のずれた軸が取付けられていて、これがレシプロエンジンでいう「クランクシャフト」の役割をしてる。
ローターの回転運動を動力に伝えているんじゃないかと思う。
回転比はローターが1回転するとエキセントリックシャフトは3回転しするはず。
まぁ良くわからんがシリンダーの中でオニギリが回転して空気とガソリンが混じって爆発して、そのついでに排出するとか思ってれば良い。

↓これは私の勝手な想像図↓

RX7とか研究しようと思った事が無いのでそんくらいしかわかりません。
もしかしたら上記3つとも適当に書いてるので仕組みが違うかもしれないが、そんなこと私のブログなんかでは誰も気にしない。
本来ならここで3つのエンジンの長所や短所を書くところだが面倒くさいしやってらんないので詳細は勝手に調べましょう。
まぁどのエンジンも共通して言える事は化石燃料を使うので、排気ガスをガバガバ出しながら走っているということですね。

ここまでは単なる前置きであり、本日の記事とは一切関係ありません。
最近は自動車業界でもEV、HV、PHV、FCV、CD等ワケのわからない自動車用語(カテゴリー)が増えている。
これらはポスト・ガソリン車として、耳にするようになったキーワード群である。
皆さんはそれぞれの特徴や違いを正確に把握しているだろうか?私は全て把握していて細かな説明もでき・・・るはずがないので、なんとな~く違いを書いてみよう。
今後、クルマを購入する際の最も重要な選択肢になることは間違いない。
環境面だけでなく、世界情勢や円相場によって価格が敏感に反応するガソリンに比べ、より安価なエネルギーの実用化に注目が集まっている。
では、ポスト・ガソリン車の大本命は何か?次世代自動車のそれぞれの特徴をコストや環境面、走行性などから比べてみたが、現時点ではどれも一長一短である。
現在政府が注目しているのはEVである。
政府はいつだったか1000億円超を投じ、普及のカギを握る充電設備のインフラ整備に乗り出した。
これにより、現在全国に約4700基といわれる充電ポイントが、1万2000基と急拡大する予定をしているが実現できるか謎なうえにFCVも登場してきたのでEVが伸びるのかFCVが伸びるのかは謎である。
またコスト高が懸念されていた車両価格も量産効果により抑えられ、メンテナンス費を含む維持費はガソリン車と同等以下になると言われている等と自動車雑誌に書いていたがにわかに信じがたい。
さらにトヨタは世界に先駆けFCVを市販した。『ミライ』である。
東京オリンピックが開催される2020年には、街を走るほとんどの車両が次世代自動車になっているかもしれない。って雑誌に書いてたけどぶっちゃけあと5年じゃ無理だね~。
するとガソリン車に乗ってる私は環境に対して悪い人間という事になる。
ポルシェなんぞ燃料をドバドバシリンダーにぶち込み、CO2や窒素酸化物(NOx)、炭素水素(HC)、浮遊粒子状物質(PM)を排出しまくる地球破壊マシンである。

では説明しよう!全部知ってる人は読み飛ばして下さい。

○EVとは?

Electric Vehicleの頭文字で、つまり電気自動車である。
現在の主な車種はトヨタ『リーフ』、三菱『i-MiEV M』、ホンダ『フィットEV』、マツダ『デミオ』あたりか?
エンジンの代わりにモーターと制御装置(インバーターなど)を搭載。
バッテリーに蓄えた電気で走る。
インバータとは、直流電力から交流電力を電気的に生成する電源回路、またはその回路を持つ電力変換装置のことである。
逆変換回路、逆変換装置などとも呼ばれる装置である。
簡単に書けば電気の種類は2タイプあります。
一般家庭用コンセントの電気はAC100V(交流100V)というものです。
クルマのメインバッテリーやサブバッテリーは一般的にDC12V(直流12V)です。
DC12V(直流12V)では家電製品が使えません。
DC12V(直流12V)のバッテリーで家電製品を使う為には電気の種類をAC100V(交流100V)に変換する必要があり、その変換を行う機器がインバーターと呼ばれている。
また、バッテリーの直流電気(DC)と呼ばれているものの電圧(V)は12V、24V、36V、48Vなどの仕様がある。まぁそんなことはどうでも良くて・・・
日産『リーフ』の場合最大航続距離は30kWh駆動バッテリー車で約288kmと書かれている。
24kWh駆動バッテリー車『リーフ』は1回の充電で228km走行可能(JC08モード)。坂道走行、高速走行の度合いで異なるとは思うがまぁそんなもんだろう。
総総合距離は一般的には約200kmとされ、買い物や通院など生活圏内の日常的な使用には十分だと思う。
対応充電設備があれば自宅でも充電が可能。ただし設備投資がクソ高いのを付け加えておく。
充電時間は約8時間。例えば夜間の電気料金(11.85円/kWh)なら満タンで約300円。
オイル交換も不要。メンテナンス費も安価に抑えられる。
自宅に給電設備を備えれば駐車中に給電可能。
ただし現時点では公共エリアでの給電設備の普及はほとんど進んでいない。
スポットを確認しておく必要がある。
バッテリーが原動力なので、振動や騒音はほとんどなく、非常に静か。
カーオーディオを楽しむ環境としてもよく、例えば音楽好きなら車の中でも装備さえ整えれば常に最高の音楽を楽しむことができる。
走りとしてはモーター駆動の回転のピークに早く到達することが特徴。
スポーツカーのような加速感も体感できる。街中でのストップ&ゴー走行に向いている。
排出ガスについては走行中、ガスは一切、排出しない。
一般家屋の屋内に駐車させることも可能である。
家屋内でのオーディオルームとしての活用するのもどうだろうか?
ただし、メリットもあればデメリットもある。
メリット
エンジン音はないため、高級車のように静かでスポーツカーのように出足が速い。意外に運転していて気持ちよくなるクルマだ。
デメリット
しかし、車両価格が高価すぎる。1充電で走行できる距離がまだ200km前後。現状では長距離ドライブなどレジャーには向いていない。
余談だがBBCTVの『TopGear』で日産リーフを路上で充電切れにして日産を怒らせ、テスラ・ロードスターをテストトラックで2台も充電切れにしてテスラモータースからは訴訟を起こされた。

○HVとは?
Hybrid Vehicleの頭文字で、つまり異種のものを組み合わせたものである。
つまりエンジンと電池ですね。
リチウムイオン電池とかニッケルイオン電池とかはまたいつか別の記事で・・
主な車種はトヨタ『プリウス』、ホンダ『インサイト』、スバル『インプレッサXV』ほかいっぱいあります。
もちろんポルシェもフェラーリもHVがあります。
ガソリンエンジンと電気によるモーターの2つの動力源を持ち、走行状況に応じて併用する。
最大航続距離は例えばトヨタ『カローラ アクシオ HYBRID』の場合約1188kmと書いてある。
33.0km/Lの走行燃費を実現し、満タンで36Lのガソリンを使用した場合の想定値。HVにおいてはバッテリーの大容量化とガソリンエンジンの省エネ化が進み、相乗効果で低燃費化が加速。
車両本体価格が安いのもポイントである。
トヨタ『カローラ アクシオ HYBRID』の場合192万5000円~
小型軽量、高効率の1.5Lハイブリッドシステムを搭載。
クラストップレベルのJC08モードの走行燃費33.0km/Lを実現。
BMW、メルセデス・ベンツ、ポルシェなど欧州勢も参入。
ただし、高級車やスポーツカーのHVシステムはエコの為ではなく加速するためのモーターシステムであるため燃費とか考えてはいけない。
HVはガソリン車同様に給油するため、インフラ整備はガソリン車と同等。
またガソリン走行をしながら発電し充電するため給電は不要。
遠距離のドライブも可能である。
ガソリンエンジンを動力で使用する場合、ガソリン車同様に振動、騒音はある。
ただし、信号待ちなどで停止中やモーター走行時は至って静かで、快適。
プリウスHVをたまに乗るのだが手動でHVシステムをOFFにすることができる。
私がたまに乗るプリウスHVは、なぜかガソリンだけで走ったほうが高燃費を叩き出すという謎の車だ。
スタート時の加速などモーターで走行する際は、ガソリン車以上の加速を体感できる。
車重はかさむがサスペンションなどを最適化し、操縦安定性も向上。
排出ガスはガソリンエンジンを動力とする時はガスを排出する。
『カローラ アクシオ HYBRID』の排気量は1496cc。
ただし低燃費なので、ガスの排出量は基本的に少ない傾向にある。
ただし、メリットもあればデメリットもある。
メリット
車種が豊富で大型サイズでも低燃費が期待できる。バッテリー交換時の価格や不具合も不安視されたことはあったが、現実的にはほとんどない。
デメリット
部品点数が多く、車両価格も一般のガソリン車に比べ高価。
またメンテナンスに関してはオイル交換など、通常のガソリン車同様にかかってしまう。

○PHVとは?

Plug-in Hybrid Vehicleの頭文字で電池容量も拡大させた「充電できるハイブリッド車」です。
主な車種は三菱『アウトランダー PHEV』、トヨタ『プリウス』、ホンダ『アコード プラグインハイブリッド』他にもあるかもしれない。
走行はエンジンとモーターの効率のよい方式を使用し単独では足りない場合、補助しながら双方で動力を発生する。
最大航続距離は三菱『アウトランダーPHEV』の場合約897kmと書いてある。
HVの時の燃費(18.6km/L)をメインに試算。
ガソリン仕様車を上回っている。
またモーター駆動のみによる走行距離も伸びてきており、SUVでの採用も増えつつある。
値段の方はというと同程度のガソリン仕様車の車両価格に比べて100万円ほど高い。
ただし、『アウトランダーPHEV』の場合、エコカー減税と補助金で最大51万4100円がサポートされることになっている。
電気は家庭で、ガソリンはガソリンスタンドで給油できるので使い勝手はよい。
『アウトランダーPHEV』は無給電でもエンジンで発電するのでモーター走行が可能。
やはりガソリンエンジンなので騒音や振動は多少あるものの、振動を抑える設計技術が導入されており、燃費設計はもちろんのこと、最近は静粛性も高まっている。
出足は俊敏。長距離ドライブも安心して楽しめる。
出足は俊敏とはいうがフェラーリやランボルギーニなんかとは比べてはいけない。
排出ガスはガソリンエンジンを動力で使う際は、ガソリン車同様ガスを排出する
ただモーター駆動や中距離走行はエンジンを使用しない場合もある。
実際乗ったことが無いのでいつ切り替わるのかが良くわからない所でもある。
ただし、メリットもあればデメリットもある。
メリット
自宅でも充電が可能で、エンジンで発電することも可能。日常的にはロングドライブでも、存分にモーター走行が楽しめる。
デメリット
ガソリンタンクとバッテリーのスペースが必要で、荷室はスペースに制限がある。ガソリン車同様のメンテナンスが必要。

○FCVとは?
Fuel Cell Vehicleの頭文字で燃料としてガソリンや軽油ではなく、水素ガスを使う。
トヨタが『ミライ』を昨年末発売した。
水素と酸素の化学反応によって発生した電気エネルギーを使い、モーターを駆動させて走行する。
FCVは、走行時に「H2+1/2 O2=H2O+電気」と、CO2は一切排出せず水しか出ない。それゆえ、「究極のエコカー」と呼ばれている。
2011年以降、クルマ業界では、水素で走るFCVがブームの兆しを見せている。
2011年9月にルノー・日産自動車とダイムラーが燃料電池自動車開発分野での共同開発に合意、2013年1月にトヨタとBMWが提携、同月にルノー・日産自動車とダイムラーの提携にフォードが加入、7月にホンダとゼネラルモーターズ(GM)が提携している。
そして、2014年12月に、世界で先駆けて、トヨタがFCV『ミライ』を発売した。
2015年には、ホンダも発売を予定でしている。のか?
余談だが、自動車業界がこぞってFCVに進む中、映画「アイアンマン」のモデルにもなったイーロン・マスクがCEOを務める米テスラモーターズは、迷うことなく電気自動車(EV)路線を突っ走っている。
EVには、スピードが遅く、見栄えが悪く、航続距離が短く、性能も低い上に、価格だけは高いという悪いイメージがある。
テスラモータースは、このイメージを一新するため、2008年に1276~1481万円の超高級車「テスラ・ロードスター」を発売した。

1回の充電による航続距離は394キロメートル、時速0キロメートルから97キロメートルまで加速する時間は僅か3.7~3.9秒。このポルシェ並みの加速性能が評判となって、ハリウッドスターたちが買い求めた。
ちなみに見ての通りベース車両とされたのは『ロータス・エリーゼ』である。
関係ないがこの『テスラ・ロードスター』を実物で見たことが1回も無い。
現存するスーパーカーの中でもかなり希少な部類に入ると思われる。
話が脱線したのでそろそろ戻す。
『ミライ』の最大航続距離は700km以上と言われる。
70MPaの高圧水素タンクを搭載。燃料電池スタックの効率向上を図り約700km以上を達成したらしい。
また-30℃の寒冷地でも走行可能な技術を持ち、実用性も高い。
予想生産台数よりも受注が上回りまくったため、現在ディーラーで注文してもすぐには納車されることは無い。
平成27年11月時点で『ミライ』の納期は平成30年以降となるはずである。
上記記載したように水素を燃料として走行し、温室効果ガスである二酸化炭素は排出せずに、水を排出するという究極のエコカーです。
燃料である水素は満タンで4.3kg入り、現在の価格ではおよそ5000円以下(予想)とお財布にも優しいのですが、唯一優しくないのが7,236,000円という車両価格。
最新の技術が使われており、手作りでのパーツ製作も多いとのことでコストがかかっているのでこの価格になるとか雑誌で言い訳をしていた。
いくつかの補助金の対象にもなる。
エコカー減税として、自動車重量税(30,000円)自動車取得税(180,900円)が減税。
自動車グリーン税制で翌年度の自動車税(22,000円)が減税。
クリーンエネルギー自動車等導入促進対策費補助金として2,020,000円を支給。
ということで、実質的な車両価格は7,236,000-2,020,000=5,216,000円である。
500万円強でしたら、クラウン・マジェスタ(6,274,286円)より安いですし、頑張れば手に届くという方も多いのでは無いでしょうか?
しかし世の中そんなに甘くない。エコカー減税を受けるには条件がある。
【「エコカー減税」の対象車は、自動車取得税の軽減措置が平成29年3月31日まで、自動車重量税の軽減措置が平成29年4月30日までの新規ご登録車が対象となります。】
『ミライの納期は平成30年以降となるはずである。』何が言いたいかというと・・・
つまり生産できてないし新規登録できないから『補助金間に合わなくね?』って矛盾が発生している状態である。
インフラについては水素は貯蓄方法やインフラ整備が最大の課題。
メタノールやガソリンを改質する方法などと比較し、安全性の高い方法を研究中。急速に拡大する可能性もあるしないかもしれない。
燃料電池は電気化学反応によって発電する方式であり、ガソリンエンジン車と比較して騒音・振動は格段に低減できるはずである。
都市全体の騒音対策にも効果が期待される。
走りはトルクが大きく、加速感がいい点はEVと同様。
燃料の充填には課題てんこ盛り。
ちなみに『ミライ』の諸元はこんな感じ
・乗車定員 4名
・全長 4,890mm × 全幅 1,815mm × 全高 1,535mm
・車両重量 1,850kg
・最高出力<ネット> 113kW(154PS) 最大トルク<ネット>335N・m(34.2kgf・m)

クラウン並みのデカさと重さに対して出力は154PSである。
水素燃料にどれだけのパワーを秘めているかは謎である。
走行距離は約700kmとトヨタはのたうちまわっている。が!確かめようがないため謎であるのが現状だ。
見たこともないし乗ったこともないのでなんとも言えない。
排出ガスは化学反応により走行時に排出されるのは水蒸気のみ。
CO2や窒素酸化物(NOx)、炭素水素(HC)、浮遊粒子状物質(PM)なども全く排出せずやはり究極にクリーンなエンジンだ。
ただし、メリットもあればデメリットもある。
メリット
ガソリン車のように燃料を素早く充填し、有害物質を一切排出しない点は理想の方式。
寒冷地での走行や航続距離も延長され、実用化に近づいた。
デメリット
最大の課題は非常に高価な車両とインフラの整備。
2015年には大都市圏で整備が進むとされているが、全くすすんでいない。その給油所の数や価格に注目したい。


○CDとは?

コンパクトディスクの略で音楽を聞くための・・・・ではなく
Clean Dieselの頭文字で燃料として軽油を使用する。
主な車種はマツダ『アテンザ XD』、三菱『パジェロ』、メルセデス・ベンツ『E350』、BMW『X5』『320d』『520d』など欧州車は比較的豊富である。
最近ではVWの排ガス規制が問題になった。
従来よりもディーゼルエンジンの排気ガス中のNOxやPMを従来比100分の1にまで抑えられるシステムを採用。
最大航続距離はマツダ『アテンザ XD』の場合約1240km
ディーゼルエンジンはガソリン車以上に低燃費。
そのうえマツダは世界一の低圧縮比(14.0)を実現し、従来のクリーンディーゼルに比べても燃費効率を約20%も改善させた。
値段の方はマツダ『アテンザ XD』の場合290万円~
同社の「スカイアクティブテクノロジー」によって開発された画期的なクリーンディーゼル。
そのほか従来のシステムを生かし、生産コストはEVなどと比べると低く抑えられている。
燃料は普通のガソリン車同様、ガソリンスタンドで軽油を補給する。
特別なインフラの整備は必要なく、従来のガソリン車同様に利便性は高い。
ガソリン車に比べれば、振動や騒音はやや大きいが、ほとんど気にならない。
各社の様々な技術によって従来のディーゼル車に比べて格段に抑えられた。
走りの方はディーゼルエンジンゆえのトルクで加速性能は高い。
排出ガスはガソリンエンジンに比べれば、NOxやススの排出量はまだ多いが、ターボなどを採用することで燃焼効率を高めることで、排出を大幅に抑えている。
ただし、メリットもあればデメリットもある。
メリット
従来のディーゼルに比べて格段にクリーンで、低燃費。
しかもトルクの上ではガソリンを超えている。
スムーズな加速感はまるでスポーツカーに近い。
デメリット
CO2ほか各種ガスの排出を完全に抑えることはできない。
また生産コストが高いため、本体価格も高め。
ただし補助金で、埋め合わせることができる。


気が付いた人は気が付いただろうが最初の1項目を作ったら後はコピペして内容をちょっと変えただけの手抜き記事である。
なので正確な情報ではないかもしれないけど、おおよそこんな感じってのは伝わったかな?
この中でも究極のエコという面で考えればFCVである。
ちなみに『ミライ』は水素を燃料とするため排出ガスを出さない、つまりマフラーが無い。
どこからかわからんが水が滴り落ちてくるだけであろう。
水素というと危ないようなイメージが付いて回る。
水素爆弾や福島第一原発でいう水素爆発だ。
水素爆発は酸素濃度が5%以上、水素濃度が4%以上混ざった気体に点火すると起こる爆発のことです。
温度が500℃よりも高くなると自然に発火し、爆発が起きてしまいます。
原発で起こった建屋の爆発は、自然発火というよりも何らかのきっかけで着火したものと考えられます。
水素は宇宙で一番軽い原子で、とにかくメチャメチャ軽いので、大気中に放出されると、非常に速い速度で拡散し、宇宙空間まで飛んでってしまいます。
また、たとえばライターで火を点けるとかしない限り、自然発火するということはありません。
つまり、水素というモノは、我々がイメージするほど危険な気体ではないということです。
正直、私も実感としてはよくわかってないのですが、ガソリンも漏れると危ないですよね?
でもガソリンスタンドで、ちょっと垂らしちゃったくらいは平気でしょう。
それと同じくらい気をつければ大丈夫なのかもしれません。
また、燃料電池車や水素自動車の水素タンクは、水素という気体の特性上、非常に頑丈に出来てありピストルで打っても穴が開かないように作られます。
なので、衝突事故があっても、そう簡単にシューシュー漏れるようなことはないと思われます。
もちろん、検知器が何重にも付いていて漏れそうであれば強制的に弁を閉じるような仕組みを取っているでしょう。
今後水素レシプロ・水素ロータリーが開発されたら、水素燃料の車が圧倒的シェアを占めるでしょう。
インフラやコストという面をクリアできれば、地球環境を汚すことなく車で移動できるのです。
究極のエコを目指すなら地球単位で開発やインフラを進めてもらいたいものです。

これまで人間は地球環境を破壊し続けてきました。
だからこそ、今度は地球環境を守るべきだと私は思います。
思ってるだけで実際にもう研究者でも設計者でもなんでもないので私は何もできませんが、そうなったらいいな~くらいは思います。
まぁガソリンエンジン派の人もいるので一概に究極のエコが絶対的に良いとは言い切れませんがね。


車にはミライはあるのに、私には未来がない・・・(ノД`)
Posted at 2015/11/25 20:00:32 | コメント(4) | トラックバック(0) | 政治・経済 | クルマ

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