
11月も今日で終わりですね。
9月の初めあたりから始ったこのクソ記事の連載も、
約1クールを終えようとしています。
毎日読んでいた皆様、そして新しくお友達になってくれた皆様、本当にありがとうございました。
最後まで記事はクソ記事のままいきたいと思います。
ちなみに昨日の記事は完成させたのでヒマならご覧下さい。
『みんカラ』にはスーパーカーのオーナーがたくさんいます。
日ごろ私達は
フェラーリや
ランボルギーニを見たら
『おっ!スーパーカー!』とか思いますが、そもそもスーパーカーの定義とはなんでしょう?
ぶっちゃけスーパーカーは
禁則事項ですなわけで、
定義なんぞがそもそもあるのか?
広辞苑では、
「高出力・高性能で、特徴的なデザインのスポーツカー」と説明している。
大辞泉では
「性能・美しさ・装備のよさ、価格、
検閲により削除などで並の自動車を超えた車。スポーツカーの中でも特に大型、強力で、手作りに近いもの。」と説明している。
そもそも一言で言ってしまえば
『外見が実用からかけ離れており、一部の性能だけが極端に飛び出しているアンバランスな車』のこと。
以下の条件の幾つかに当てはまることが多い。
①利益を上げるための強欲な価格設定。
普段はドケチな金持ちでも、唯一財布がゆるくなる瞬間が高級車を買う時である。自動車メーカーがこれを見逃すわけがなく、利益を釣り上げるために不当な値上げをする。
また金持ちは値切るという行為を知らないため、言い値で買ってくれるという利点を活かした商品戦略でもある。
②最新技術の実験台。
量産型の車に導入したい最新の技術があっても、庶民向けの価格ではまだ搭載できるほどコストダウンが進んでいない、または新しい技術の安全性を確かめるという目的でスーパーカーが活用される。
つまり、もともと価格を釣り上げているので高価なシステムを載せることが出来るし、メーカーでは確かめようがない数百台規模の安全性に関する実験を富裕層自らが引き受けてくれるのである。
特に前者の『最新技術の搭載』は、その最新技術が本当は高価でなくても購買層向けには価格を上げる
検閲により削除になるため、全世界的に好んで行われる。
③安全性を誤魔化すための少ない生産台数。
スーパーカーには安全性が定かではない技術が多数投入されている。
そのため当然、初期不良や故障は多い。
それを誤魔化すために生産台数を引き下げるのである。
例えば300台に1台の確率で故障する技術があったとしよう。
これを30万台生産する車に搭載したらどうだろうか?30万台のうち1000台が故障し、その車を販売したメーカーは非難轟々といったところであろう。
対応に失敗すれば、社会問題に発展する可能性すらある。
だが300台のみの生産となれば故障するのはたったの1台である。
メーカーは限定生産によるプレミアム感の演出が可能になる上、1/300の確率で故障するというデータを得て今後の技術開発に改善点を反映できるという、まさに一石二鳥の商品戦略なのである。
④狂ったデザインと不必要な速さ、劣悪な居住性。
金持ちが自己顕示欲を追求した結果として、スーパーカーには
検閲により削除なデザインが多い。
必要のない機能が多数搭載されていることがステータスだとする考えのもと、乗り心地などは無視される。
その結果として
『エンジン音が室内に響いてうるさい』『エアコンがないから夏には蒸し風呂になる』『オーディオもない』『隙間からの雨漏りするので雨の日には走れない』『デザインのせいで座席が低く全く周りが見えない』等、最悪の居住性が実現してしまう。
また速い車が好まれるゆえに不必要な高性能化を行った結果、なかなか始動しないエンジン、鉛のように硬いクラッチ、筋肉が鍛えられるぐらいに重いギアチェンジ、しばらく走らないと効かないという
検閲により削除のブレーキなどが付随してくるようになってしまった。
富裕層や車マニアはこれらの使いづらさを
『スーパーカーゆえの特徴』と脳内変換することで、辛うじて満足感を得ようと努力している。

車が発明されたのもヨーロッパ、また現代の富裕層の元型が最初に現れたのもヨーロッパだったため、
スーパーカーを作るメーカーはヨーロッパに多い。
特にイタリア、フランス、ドイツ、イギリスなどでは金持ち向けの派手派手しい車のみを作るメーカーがいくつか存在する。
マクラーレン、フェラーリ、ランボルギーニ、ブガッティ、ポルシェなどが代表例である。

もともと富裕層という概念がヨーロッパのものであったため、日本ではスーパーカーという文化があまり発展しなかった。
だがいつまでも欧米の真似をしたいという日本人の
禁則事項ですゆえ、第二次世界大戦以降そういった車が開発されてきたという経緯がある。
漫画『サーキットの狼』がバブル期と重なって日本でもスーパーカーブームがおこったのである。
以下に
日本のスーパーカーとして取り上げられたことがある車を挙げる。
○市販車
・トヨタ・2000GT
・ホンダ・NSX
・レクサス・LFA
・日産・GT-R
・三菱・GTO
GTOは見た目がフェラーリっぽいだけである。
だが上記の全ての車において「スーパーカーではない」とする意見が溢れかえっている。 が、そんなことは
誰も気にしない。
●プロトタイプまたは未発売に終わった車
・日産・MID4
・日産・R390
・日産・スカイラインGT-R LM
・トヨタ・GT-One TS020
・ヤマハ・OX99-11
・童夢-零
以上の車は未発売に終わった。
車としての完成度は高くてもスーパーカーとしては微妙なのが日本製スーパーカーの特徴である。
メディアによる
検閲により削除全盛期の1970年代、アニメ・漫画に釣られた少年たちがスーパーカーに興味を持つようになっていった。
その世代が成長すると、まず最初に
禁則事項ですのドリフト走行ブームが1980年代に流行した。
なお現在でもドリフト走行ブームは続いており、日本の
検閲により削除ではタイヤと自分の寿命を必要以上にすり減らすレースが未だに行われている。
特に
禁則事項ですのランボルギーニ・カウンタックは人気を博し、『最高速300km』
『ガルウィングである』という
禁則事項ですが全国に蔓延した。
スーパーカーにはガルウィングが多いが、ガルウィングが全てスーパーカーかというと、そうも当てはまらない。
『トヨタ・セラ』はガルウィングを搭載していたが誰もスーパーカーなんて呼ばない。
70年代に少年だった世代が車に乗れる年齢になる1980年代後半に、バブル景気が到来した。
大都市では
イタリア製スーパーカーに乗ることがステータスになったため、人々はこぞってこれらの車を
検閲により削除に購入し、転売した。
これら日本人が購入したスーパーカーは、バブル崩壊とともに人々の負債となって世界中に転売されたため、日本の富のグローバル化に貢献することとなった。

スーパーカーブームを経験した世代が中年を迎える現在では、スーパーカーは
『自分がイケている』と思いたい
禁則事項ですが中年の危機を乗り切るためのツールとして認識されている。
また
妻子に理解されない趣味ランキングでは常に上位を占めており、妻に
『そんな家計に負担がかかることはしないで!』と言われたり、息子や娘から
『車なんていらないし、興味ない』と言われながらもスーパーカーに固執するのがこの世代の特徴である。
ちなみに、これは昨今の離婚率の上昇の一因であるとも言われている。
上記のような
禁則事項ですがあるがそれらの
問題を乗り切った者達がスーパーカーを所有する。
なお、あくまでスポーツカーの一種なので、たとえ高出力・高額・特徴的なデザインであってもリムジンやマッスルカーなどはスーパーカーにはならない。
クライスラー300cHEMIの霊柩車を以前にアップしたが、価格もパワーも桁外れなのだがやはりスーパーカーにならない。
トヨタのセンチュリーも国産唯一のV12搭載車だがスーパーカーにはならない。
何がスーパーカーで何がスーパーカーでないか、専門家やエンスージアストなどの間でも議論になることが稀に良くある。
スーパーカーとそうでない車の間の線引きが明確にある訳ではないのが現状である。
『プリウスにフェラーリのエンジンをぶち込みました。』といってもスーパーカーにはならない。
なぜならプリウスだから。
逆に
『フェラーリにプリウスのエンジンをぶち込みました』というと多分スーパーカーになるのである。
なぜならフェラーリだから。
ではこの車を見てどう思うだろう?

日産のGTRである。
3.8LのV型6気筒DOHCツインターボエンジン搭載NISMO仕様で600PS/6,800rpmを搾り出す。
数値だけ見ればスーパーカーのような気もするが、GTRを羅列してもスーパーカーフェスティバルなんて呼ぶ人はまずいないだろう。
ではレクサスLFAはどうだろう。

なんとなくスーパーカーではないだろうか。
でもスペックはGTRに劣る。
GTRに比べ、レクサスLFAがスーパーカーと呼ばれるのは
価格と限定台数車であることだ。
スーパーカーに求められるのは
検閲により削除なデザインと
検閲により削除なエンジンを併せ持つ事である。
また1990年代以降に登場したVEMAC、トミーカイラ・ZZ、ASL・ガライヤ等といった少量生産スポーツカーを「スーパーカー」の範疇に入れるかどうかも、人によって意見が分かれる。
一方で日本国外のメディアでは、GT-R、LFAのみならず、ランサーエボリューションやインプレッサまでもがスーパーカーの部類に入るかのような表現をされるケースもある。

じゃあスーパーカーって何なの?って言われた時は自分の判断基準で決めれば良い。
ランボルギーニが低価格で量産され全世界に走り回るようになっていたらランボルギーニの車はスーパーカーではなくなるだろう。
希少種であることと
禁則事項ですと
検閲により削除を併せ持つ車こそ真のスーパーカーと言えよう。
私の中では純正で300km/h以上出る車か、見た目のデザインが
禁則事項ですに当てはまるのがスーパーカーである。
パワーウエイトレシオを限界まで追求した
アリエル・アトムV8はスーパーカーとは呼ばない。
ありゃ~
公道を走るフォーミュラーカーである。
スーパーカーとは似て非なる存在であろう。
スーパーカーの強化バージョンになるとハイパーカーという車種になるかもしれない。
1台1億円は当たり前のハンドメイド品で、走る姿は普通の車というよりはレーシングカー。
例えていうなら下記の車種が当てはまるかもしれない。
・パガーニ全般
・ケーニグセグ全般
・ブガッティ・ヴェイロン
・ランボルギーニ・ヴェネーノ
・エンツォ・ラ・フェラーリ
↓例:ランボルギーニのハイパーカー↓

良くわからんがスーパーカーの域を飛び越えてハイパーなのか何なのかも分からない。
触ると突き刺さりそうなボディはどんな狂ったデザイナーが作ればこうなるのか謎。
なんかスゲェワケわからんけど狂乱めいてるのだけはわかる。
所詮物事の価値観を決めるのは自分である。
自分がスーパーカーだと思えばそれはスーパーカーなのである。
カローラにフルチューンのRB26-DETTをぶち込めばそれはそれで立派なスーパーカーである。
憧れの存在であり続け、人々に夢を与えるのがスーパーカーであろう。
最後くらいはかっこよく、感動できるような記事にしたかったけど、私の力量じゃ無理ですね。
最後くらい
『みんカラ』っぽく車の記事にしました。
いつの間にか画像を一括アップロードできるようになってて便利だ!とか思った。
(´∀`*)ノシ Good-Bye!Thank you!