
こんにちわ。
クリスマスをいかがお過ごしでしょうか?
聖夜はいかがお過ごしかな?
いつもの傾奇者のぴこちゅが記事を書いてみたり。
記事休載からはや5日。
原作者の都合により休ませて戴きましたが、ちょっとだけ記事を書きます。
クリスマスですから記事のクリスマスプレゼント!
飽きたから記事を書くのをやめたのでもなくストックが無くなったから記事を書かなくなったわけでもなく、単純にアニメにハマッたから毎日少しずつ見るために記事をお休みにしました。
そのアニメは『とある魔術の禁書目録』2期まで放送されて映画まで作られた作品。
これを見るために記事はお休みとさせていただきました。

まだ『とある魔術の超電磁砲』をみてないのでこれからも記事が続くか謎です。
みなさんのもとにはサンタクロースがやってきましたか?
残念ながら私の所にはサンタクロースはやってきませんでした。
12月だけいい子にしててもサンタクロースはやってこないみたいですね。
ここである重大発表。
来年から立ち上げる予定のみんカラ苫小牧ぴこちゅ会をやる意味があるのかどうか、ブログを休載中に考えてみました。
新しいチームを作り上げるという選択、今まで通りみんカラ苫小牧の枠に収まって参加できる人だけ参加するという選択肢です。
朝起きて歯を磨くのが先か顔を洗うのが先かと人生は何気ない選択肢で溢れています。
それが大きなことか小さなことかは問題ではないのです。
今日ここに記事を書くか否かそれもまた選択肢の1つであり記事を書くと選択しました。
理由なんかありません。それは運命が決めた事なのかもしれません。
ここでは省きますが『運命』と『宿命』は似てるようで全然違います。
1つ言える事は運命には逆らえるということです。
運命に逆らいこうして記事を書いてるのですから。
今日はクリスマス。運命なんかひっくり反せる日。
みなさんはサンタクロースをいつまで信じてましたか?
言い換えればいつまで子供のままでいられましたか?
大人たちはなぜか子供達にサンタクロースの存在を信じ込ませようとします。
サンタクロースなんてものはいないのになぜそのような嘘を信じ込ませようとするのでしょう?しかもキリスト教でもないのにクリスマスを祝う意味はなんでしょう?
私は元クリスチャンでサンタクロースを信じ込ませられましたが、わりとはやい内にサンタクロースなるものの存在を否定しました。
否定するならばそれなりの証拠が必要です。サンタクロースがいるという人間に対してサンタクロースはいないという証明を立てるにはサンタクロースを全世界から探し出していないんだという事を証明しなければなりません。
これいわゆる悪魔の証明でもありますが、逆にサンタクロースはいるという人間に対しても悪魔の証明の成り立ちます。
サンタクロースとは大人が作り出した子供立ちへの幻想です。
信じ込ませる意味なんて今でも解りませんが、子供達が喜ぶと思っているのでしょうが、その子供達が大人になるにつれサンタクロースはいないんだという現実を突きつけられます。それは子供にとってショック以外の何物でもないでしょう。
そして自分が騙され続けてきた事に疑心暗鬼を覚える人も中に入るでしょう。
でも私はサンタクロースがいると信じています。
なぜなら私は本物のサンタクロースに会ったことがあるからです。
小さな時クリスマスイヴの夜私はリビングのツリーの下で寝ていました。
すると寒さに目が覚めた時窓の外にプレゼントを持ったサンタクロースがいたのです。ぴこちゅがいい子にしてたらまたプレゼントを持ってくるよ。とサンタクロースは言いました。夢かもしれませんが私はサンタクロースを見た思い出があるのです。
それは大人がサンタクロースと連呼してるから子供ながらに脳にサンタクロースという存在がインプットされ夢という形で具現化したと私は思います。
ゆえにサンタクロースはいると信じているわけです。
カトリック系の幼稚園に通っていた私はクリスマスの日にプレゼントが玄関に置かれていたのを覚えています。
それは大人が仕組んだこととは知らずに大喜びしていました。
子供が喜ぶためなら平気で嘘をつく大人もどうかと思います。
本当はいないのにいると信じ込ませたる理由はなんででしょう。
なぜ夢をあたえなければならないのでしょう。
この世にあるのは全て現実であり、夢というものは科学的に存在しません。
クリスマスの奇跡とか言ってる人がいますがどのへんが奇跡なのか教えて欲しいものです。
奇跡というのはそう簡単に起きる物ではありません。
起きないからこそ奇跡なのです。
だから起きない奇跡を貫くためサンタクロースを今でも信じる事にします。
現実ではビール飲みながらHDDに録画したTVを見ていてもどこかでサンタクロースが来てくれるのでは・・・とおとぎ話みないな事を思ってみたり。
信じるものは救われる。これは宗教の中の話で現実は科学の世界です。
どちらを選ぶかは人それぞれの自由だと思いますが、今こうして記事を書き、誰かが読んでくれてるという事は完全に科学サイドの人間だということです。
科学に奇跡は起きません。実験や試験の繰り返しで結果を得るのが科学であり超常現象やサンタクロースなんてものは科学サイドではありえないのです。
現在宗教に入っていても何らかの科学的恩恵を受けているのが今の現状です。
科学の力で電気や電話等が使われています。
宗教側だけでこれをやるのは現状無理です。
科学側と宗教側どちらかを選ぶのは個人の自由ですが、今あるこの環境は科学がもたらしたことにかわりはありません。
私が記事を書けるのも科学が発達したおかげであり、宗教が発達した世界ならばこうしたことはできないでしょう。
宗教側もツイッターやYoutube等科学を利用しています。
現在では科学社会と言ったところでしょう。
テロ組織イスラム国だって宗教の教えを守るといいつつも動画やネットで信者を増やしており、科学の力に頼っています。
それこそ奇跡が起きない限り科学サイドと宗教サイドの比率がひっくり返る事はないでしょう。
どのような道を進むかはあなたの自由です。
選択するのは自分であるけれど、それは運命が決めた事かもしれません。
突然宗教に走っても科学からは絶対に抜け出せないのです。
電気、ガス、水道、携帯、ネットが無い世界を想像してみて下さい。
地球には優しいでしょうが不便でなりません。
人はそれでも生きていくでしょうが、便利になるために何かを犠牲にして便利さを手にしてるのです。
科学の進歩はもの凄い速度で成長しています。
私が生まれた頃には薄っぺらいIhoneが電話になるとは想像すらできませんでした。
300年前、つまり江戸時代の日本には家電製品等一切ありませんでした。
究極のエコの世界です。今から江戸時代に戻り不便な暮らしをしたいと思う人はいないでしょう。
今後も科学は発展し続けます。それは選ぶ余地がないのです。
2045年にはシンギュラシティが来ると予想されています。
シンギュラシティとは脳みそをデジタル化できるようになるというような事です。
人間は身体を必要とせず脳だけでの存在が可能になる、つまり視覚的聴覚的に完全なヴァーチャル・リアリティ環境は、今世紀の最初の数十年間で全面的に普及して、どこでも好きなところに住んで仕事をするという傾向がいっそう強くなる。
五感全てを組み込んだ完全没入型のバーチャル・リアリティ環境は、2020年代の終わりには実際に手に入ることになるが、そうなると、現実のオフィスを使う理由はまったくなくなる。不動産は、ヴァーチャルなものになる。
それこそが科学を越え神の領域、すなわち宗教時代が来るのではないかと予想します。
脳を完全にデジタル化しスキャンして保存しておけば肉体はほぼ必要としなくなるわけですね。
そんな時代がきたら人間は必要とされなくなり機械が機械を制御する時代になります。科学サイドの求めてる究極とはそこにあるのです。
それがシンギュラシティ。
人は色々な選択をし人生を過していきます。それは出会いであり別れであり日常であり様々です。しかしそんな必要の無い世界が構築されたらどうでしょう。
それは幸せに繋がるのか?
科学の発展がもたらす物は決して善だけではないのかもしれません。
こうしてブログを打ち込むことも、大量のネットワークから情報を拾うことも脳ができてしまえば人は考える事をやめてしまいます。
人は考えた事をやめたときにどこに立つのか。
科学や宗教を超越した時代が来るかもしれません。それも決して遠くない未来に。
車の自動運転だってそうです。極論を言えばオートマだってそうです。
車のエンジンをクランクを回してマニュアルで乗ってた時代からまだ数百年も経っていません。
それがいまや人は考える事無く車に乗る時代はもうすぐそこまできているのです。
人は人のクローンを作る事ができます。
それはもう神の領域を超えた科学です。
宗教的な意味ではなく人が神になるということです。
人が神だとするならばキリストを神と崇める宗教者も結局は科学を崇めている事になります。
キリストの誕生から2016年が過ぎようとしています。
何もない混沌の宗教時代からわずか2000年で科学が進歩しました。
正確にはここ30年の間で科学は急激な成長を遂げています。
機械が人間を支配するまで30年を切っています。
そこで私達ができることはなんでしょう?
人は利便性を求め続けます、それが結局自分自身の身を滅ぼそうとしていることを。今は機械文明です。始まりがあれば必ず終わりま来ます。
機械が発展しすぎたのならば人間は必要とされなくなり機械のシステムの一部としてしか機能する事はなくなるでしょう。
人は考える事をやめたとき、それは機械が支配する文明です。
機械に支配された人間の下にはプログラミングされたサンタクロースがみんなの前に現れるでしょう。
2~30年前のSF映画でありえない事が今は普通にありふれています。
人類は科学という武器を持っています。頭に思え描いたことを具現化させてしまいます。
空を飛ぶ自動車なんて今では考えられないけれどそれが当たり前になる時代が来るのかもしれません。
以上、夢のあるクリスマスサンタクロースのお話でした。
( ´Д`)ノ~よりよき未来を Good-Bye!Thank you
本日の教訓:どらえもんは終わらない。