
気が付けば、2015年の3月以降、定期運転している夜行列車は、高松・出雲市⇔東京を結ぶ寝台特急「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」(岡山⇔東京間併結)と、青森⇔札幌間の急行「はまなす」だけ・・・。
臨時列車扱いの札幌⇔上野「カシオペア」と「北斗星」合わせても、1日あたり3往復しかか走っていない勘定です。
つい5~6年前まで、その数を減らしながらも、日本列島の東西南北は寝台列車ネットワークがつながっていて、新幹線や特急の走らない深夜帯の移動手段をカバーしていました。
今回は、記憶の彼方に消えつつある寝台列車を記録すべく、これまで乗車した寝台列車の思い出を振り返り、徒然なるままに書き綴ってみることにします。
(運転区間は最終乗車時のもの)
寝台特急『北陸』 金沢⇔上野
EF81(金沢‐長岡)/EF64-1000(長岡-上野)+14系8両
2010年3月廃止、乗車回数、数十回
上野駅 EF64-1031は自連-密着双頭連結器装備です。
運転距離が500km余りと、歴代ブルートレインの中では最短ながら、金沢あるいは上野を22時から23時頃発車し、終点には6時台に着くダイヤで、乗車前に一杯やって飛び乗れば翌朝目的地という、非常に効率的な移動が可能でした。
乗車券は東京往復よりも安くなる北陸-上越-東京-東海道-北陸の1周切符を活用。
東京方面出張のときは、日帰り扱いでも前夜に家を出て「北陸」に乗るのが定番。
毎月のように乗っていた時期もあり、常連と化していました。
客車8両中、A寝台を含む4両が個室寝台車、B個室ソロの2号車にはカード式シャワー室が2室、という隠れた豪華編成。
B個室ソロは、2段寝台を互い違いに仕切ってあり、天井は低いものの、座ってしまえばプライベート空間が確保されます。しかも料金は普通の開放B寝台と同じでリースナブル。
寝台急行『銀河』大阪⇔東京
EF65-1000+24系25形6両編成
2008年3月廃止、乗車回数 10数回
東京駅
運転開始は1949年9月。
その後49年間、一貫して、東京-大阪間の『急行』夜行列車として東海道を往復。
新幹線開業後も、新幹線最終のあとに出発し、始発の前に到着するダイヤは、ビジネス客から評価され、一定の需要を確保していました。
『急行』ながら常に特急並みの編成が用意されていました。
20系が最初に急行転用されたのも『銀河』でした。
晩年は24系25形の2段式B寝台+開放式A寝台オロネ24で組成。
プルマン式と呼ばれる開放式A寝台車オロネ24は、最終的には『日本海』と『銀河』でしか見られない、貴重な姿を残していました。
この日は、スーパーレインボー塗装のEF65-1118が牽引
東京駅
米原駅で223系との並び。米原到着は朝5時過ぎ。
前夜東京で呑んで乗り込み、米原から北陸線の始発に乗ると、福井の職場の始業時間に間に合うので、何かと重宝する列車でした。
寝台特急『はやぶさ』東京⇔熊本
寝台特急『富士』東京⇔大分
EF65-1000(東京-下関)/EF81(下関-門司)
/ED76-1000(門司-熊本、門司-大分)
+14系15型6両+14系15型6両
2009年3月廃止 乗車回数数回
最後まで残った、名門東海道-九州ブルートレイン
晩年は、14系15型6両編成を2組、東京から門司まで併結して運転されていました。
元々はそれぞれ単独の列車として東京から九州を往復。
『はやぶさ』は東京-博多-熊本-西鹿児島、『富士』は東京-大分-宮崎-西鹿児島を結んでいました。
特に『富士』は24時間以上走り続ける特急としても知られていました。
関西-九州ブルートレインは、2008年に全廃されていましたが、『はやぶさ』『富士』の、下り京都0.37発、大阪1:08発というダイヤは、“かろうじて”関西→九州の夜行移動を可能にしていました。
九州出張のときは、最終のサンダーバードで京都に向かい、『富士』か『はやぶさ』のB個室ソロあるいはB寝台に潜り込むのがパターンでした。
EF66(東京-下関牽引)下関駅

『はやぶさ』ED76(門司-熊本牽引) 門司駅
『はやぶさ』門司-熊本牽引ED76 博多駅

『はやぶさ』14系(機関車連結前) 門司駅
『富士』門司-大分牽引ED76 門司駅

『富士』14系 門司駅
B個室ソロ オハネ15-2000

B個室ソロ上段、高いアイポイントが魅力です。
かつての関門トンネル専用交直流機関車EF30
下関-門司の全列車を牽引していました。
(横川鉄道文化むらにて、静態保存機を撮影)
その後EF81に代わり、現在の貨物列車はEH500が下関から九州内まで直通しています。
『あさかぜ』下関⇔東京
EF65-1000+24系25形13両
2005年3月廃止 乗車回数数回
東京-九州夜行の嚆矢として1956年に東京⇔博多間で運転開始。
大阪を深夜帯に通過して東京と九州を結ぶダイヤは画期的でした。
当初は戦前型A寝台車+食堂車オシ17+10系寝台車+10系座席車、の雑多な寄せ集め編成。
ブルートレインの名前とイメージを築いた20系客車が開発されるとすぐに20系編成に移行。
最盛期には3往復(1往復は東京-下関間)走っていた『あさかぜ』。
その内1本は 個室車含むA寝台5両、グリーン車1両に食堂車を連ね、当時としても超豪華な編成となっていました。
その後、新幹線が博多まで伸びると、九州ブルートレインは徐々にその本数を減らしていきます。
博多行きが廃止され、最後まで残ったのは下関-東京間『あさかぜ』
有効時間帯は、山口、広島エリアですが、上り『あさかぜ』の大阪発時間は0:32、並行して走る『サンライズ瀬戸・出雲』とともに、ギリギリ大阪から東京までの寝台利用を可能にする列車でした。
『瀬戸』から転用されたロビーカー兼電源車、スハ25が連結されています。パンタグラフとインバータを搭載し、直流電化区間での電源供給が可能な、エンジン音のしない静かな電源車。
東京駅
スハ25の車内、シャワー室もありカードを購入すると利用できます。
この夜、ロビーでは森山未来と長澤まさみの「世界の中心で愛をさけぶ」が流れていました。
B寝台廊下
伝統的な寝台車の室内です。幅70cmの二段式が標準。
昔は、B寝台と言えば幅52cmの三段式が普通でした。
『トワイライトエクスプレス』
大阪⇔札幌
EF81(大阪-敦賀-青森)/ED79(青森-五稜郭)
/DD51×2(五稜郭ー札幌)
+24系10両
2015年3月廃止 2014年8月乗車
JR発足後の1989年から臨時運行開始。
人気があり、乗車率が極めて高いにもかかわらず、北陸新幹線開業に合わせて廃止。
車両の老朽化が廃止理由とされていますが、北陸新幹線開業に伴い、直江津-金沢間が3つの第三セクター鉄道に分断。
車両使用料、乗務員の扱い、牽引する機関車など、機関車牽引の旅客列車を直通運転するための会社間の調整がうまくできなかったことが本当の理由では、と言われています。
個室寝台車を主体に食堂車を加え、最後尾は最上級の展望室付きスィートといった、豪華寝台列車として知られていますが、Bコンパートと呼ばれる従来型のB寝台車も連結し、一般の利用も考慮されていました。
ここが『ななつぼしin九州』など、時刻表には載らない団体扱いの超豪華列車とは異なるところです。
2014年8月7日、翌年の廃止が発表されていた最後の夏、ということで、最初で最後の乗車のため、息子と飛行機で札幌に向かいました。
台風11号が接近し、運休の不安も抱えての渡道でしたが・・・。
乗車は8月9日
DD51の重連を先頭に札幌駅入線

札幌駅唯一の大阪行
上りは、札幌を発車すると、食堂車でティータイム営業があります。
下りのランチ営業はよく知られていますが、ティ-タイム営業はあまり紹介されていません。
という訳で、昼間からビール。
B個室ツイン オハネ25-500
2段式のソファー兼ベッド、上段は電動昇降式です。
大沼湖畔と駒ヶ岳
五稜郭到着。 函館へは寄らず、ここで青函専用機ED79に機関車を交換。
遠くに、青函トンネル新幹線電圧対応のJR貨物EH800の姿が見えます。
食堂車スシ24、元は碓氷峠対応装備489系電車の食堂車サシ489.
貴重なキノコ型クーラーAU12搭載車です。
食堂車通路
営業前です。
パブタイム営業で食堂車へ

サーモンのマリネとソーセージの盛り合わせを・・。
ロビーカーオハ25-500
早朝の長岡駅、最後尾のカニ24
朝9時25分 芦原温泉駅で臨時停車。
台風11号の接近に伴い、関西一円のJR路線はすべて運転見合わせとなり、私たちを乗せた
『トワイライトエクスプレス』も芦原温泉駅で抑止(足止め)。
芦原温泉は臨時停車のため本来ドアは開かないのですが、食糧調達に配慮してドアが解放され、駅売店はバブル景気で長蛇の列に。
初めは列車撮影などで時間をつぶす人も見られましたが・・・。
夕方16:00 非常食としてカロリーメイトとミネラルウォーターが配られました。
抑止されてから9時間が経過。運転再開の見通しは立っていません。
行程では大阪まで乗り通す予定だったのですが、翌日は仕事と学校のため、泣く泣くここで列車を降りることに。
それでも、止まっていたとはいえ、28時間もトワイライトエクスプレスの中で過ごす貴重な体験ができたのですから、十分満足ではありましたが・・・。
情報では19時過ぎに運転を再開。
走ったり止まったりを繰り返しながら終点を目指した模様。
大阪到着は日付の変わった8月11日0時過ぎだったとのこと。
できれば最後まで乗りたかった・・・。
夜行高速バスとはまた一味違う夜行列車の旅・・・。
記憶の彼方、過去の思い出となりつつあります。
国鉄民営化にあたって、全国ネットワークを維持したJR貨物が寝台列車の運行主体となっていれば事情は変わっていたかも・・・。
8月の廃止まで予約が殺到している『北斗星』には、もう乗れないですね・・・。
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以下、写真がないけど、これまでに乗車したことのある夜行列車をリストアップ。
(運転区間と、カッコ内は乗車した区間。 カッコ無しは全区間乗車)
寝台特急『サンライズ瀬戸』
高松-東京
寝台特急『サンライズ出雲』
出雲市-東京 (大阪-東京)

寝台特急『北斗星ニセコスキー』
札幌-(山線回り)-函館-上野 (森-上野)
急行 『きたぐに』
大阪-新潟・青森
急行 『立山』
大阪-富山・立山
(大阪-富山)
急行 『能登』
福井・金沢-上野
(画像は、上野駅を再現した鉄道博物館(大宮)にて)
寝台特急『日本海』大阪-青森・函館
急行 『越前』 福井-上野
急行 『のりくら』 金沢-名古屋
急行 『八甲田』 上野-青森(青森-仙台)
急行 『ちくま』 大阪-長野(米原-松本)
急行 『すずらん』 函館-札幌
急行 『狩勝』 札幌-釧路
急行 『利尻』 札幌-稚内
急行 『大雪』 網走-札幌
普通 44レ 札幌-函館
普通 347M 東京-大垣(富士-名古屋)
普通 441M 新宿-松本(新宿-小淵沢)
さあ今夜も、缶ビール片手に上野発の夜行列車で北へ・・・・。