10月12日
今日は「六連星」ブランドの会社へ、
三鷹の東京事業所に、日帰り出張です。
鯖江から681系「しらさぎ54号」米原行きに乗車。
米原で、N700A「ひかり512号」東京行きに乗り換え。
Express予約で指定を取ったのは一日前。
窓側は既に埋まっていて、3列通路側C席です。
「B席じゃないだけマシか・・・。」
2時間弱で新横浜へ。
車体の『A』マークが大きいこの編成は、改造N700Aではなく製造当初からのN700Aです。
横浜線に乗り換えます。
205系は既になく、233系がすっかり馴染んでいます。
菊名で東急東横線に乗り換えです。
乗車したのは、東京メトロ7000系 副都心線・西武線直通の、
東横特急「Fライナー」小手指行き
東京メトロ7000系は、有楽町線用として1974年から製造されました。
副都心線を走る車両としては再古参となります。
1971年登場の千代田線6000系と共通設計。
前面は非常口を片寄せした、当時まだ珍しい近未来的な左右非対称状で、制御方式も当時最先端の界磁チョッ制御を採用。
21世紀に通じる車両を目指してデザインされました。
さて「東急電鉄」、正式社名『東京急行電鉄』
路線延長
97.5kmと、大手私鉄としてはそれほど規模は大きくありません。
渋谷を起点に「東横線」「田園都市線」の2大基幹路線を擁し、都心部に複数の支線があります。
東急の創始者は、東京地下鉄にも出資した実業家「渋沢栄一」と言われますが、事業を今日のスタイルに拡充し「東急コンツェルン」を築きあげたのには「五島慶太」が大いに貢献、とされています。
そして、私も調べていて初めて知ったのが、阪急の前身である「箕面有馬電気鉄道」を創業、乗客誘致のため「宝塚歌劇団」を創設し、阪急王国を作り上げた「小林一三」の東急とのかかわり合い。
「小林一三」は、東急の前身である「田園都市株式会社」の経営に参画。
しかし、大阪と東京を月1回往復する身では、なかなか具体的な経営を実行できないとして、鉄道省出身の「五島慶太」をヘッドハンティング。自身の後任として経営を託したのだそうです。
そして「五島慶太」がその手腕を発揮して、今の東急を形作ったのでした。
東京急行電鉄の前身『目黒鎌田電鉄』開通目前の写真、
左端は五島慶太、右から3人目が小林一三。(Wikipediaから)
今でも私鉄ターミナル最大規模を誇る阪急梅田駅、
その周辺は阪急むらと言われ、一大大規模商業施設群を形成しています。

こうしてみると、阪急神戸線と東急東横線にはいろいろと共通点があります。。
都心の梅田と渋谷が起点で、途中に芦屋・夙川と田園調布の高級住宅街を経由し、神戸と横浜の国際港が終点。 また沿線宅地開発を行い、学校を誘致し、ターミナルにデパートを作って乗客を誘導するビジネスモデル、など。
ただし最近は、阪急神戸線は山陽電鉄との相互直通運転を解消したのに対し、東急東横線は積極的に他社線直通を行っている点は、状況が違ってきています。
その、東急東横線の相互直通運転について。
田園都市線は、東京メトロ半蔵門線から東武伊勢崎線久喜と日光線南栗橋まで。
東横線は、西は横浜・中華街まで横浜高速鉄道みなとみらい線と、東は東京メトロ副都心線を経て、西武池袋線飯能までと、東武東上線森林公園まで、5社直通の相互乗り入れをしています。

以前の東横線は、横浜を出て桜木町が終点でした。
横浜港みなとみらい地区の再開発に伴い、高島から海底トンネルでみなとみらいをくぐりり抜け、元町・中華街まで新線が開通したのが2004年。
京浜東北根岸線に並行していた横浜-桜木町間は廃止され、全列車が元町・中華街へ直通。
みなとみらい線は第三セクターの「横浜高速鉄道」が経営母体ですが、列車の運行は、東急が東横線と一元管理を委託されています。
横浜高速鉄道は東急5000系と共通設計のY500系を保有しているので、運行上は相互直通運転ということになります。
横浜高速鉄道「みなとみらい」駅です。(2015年5月)
地下4階のホームから地上2階のクィーンズスクエアまで吹き抜けになっています。

副都心線直通車両
東京メトロ10000系 東京メトロ7000系

東急5000系 横浜高速鉄道Y500系

東武50070系 東武9000系

西武6000系
そして、田園調布では目黒線が分岐しますが、東横線の田園調布-日吉間は複々線化されていて、目黒線の電車は日吉まで直通しています。
目黒線には東京メトロ南北線と都営地下鉄三田線が乗り入れており、さらに南北線は埼玉高速鉄道と直通していて、東横線には、南北線、埼玉高速鉄道線、都営三田線の車両が日吉まで乗り入れています。
東急3000系と5080系

都営三田線6300系
東京メトロ南北線 9000系 埼玉高速鉄道2000系

東横線の相互直通運転としては、長い間、中目黒から東京メトロ日比谷線を経由し、北千住から東武鉄道に乗り入れる直通がメインでした。
日比谷線は、路線規格がやや小ぶりで、1車両長18m3ドアが標準。従来は東横線もこの規格でしたが、現在の関東私鉄は国鉄-JRと同じ1車両長20m4ドアが主流。
2015年の副都心線直通と引き換えに、日比谷線との直通運転は解消され、日比谷線電車は全列車中目黒駅横浜方の引き上げ線で折り返していきます。
中目黒駅では、今でも東武20000系の姿を見ることができます。
東京メトロ日比谷線03系と 東武20070系

日比谷線は2020年頃までに、車両限界を見直し曲線通過設計に配慮した、20m級4ドアの次世代車両13000系に置き換えられ、東武側も20m4ドア車が直通する予定になっています。
東京メトロ13000系
渋谷に到着。副都心線直通に置き換えられた渋谷駅は、優雅な高架の終端駅から、やや天井の低い感じの地下中間駅になりました。
2面4線の下りホームには東急5000系。
迷路のような渋谷の地下を、案内版に沿って移動します。
地上に上がり、マークシティのエスカレータを2階に駆けあがると・・・、
京王井の頭線 渋谷駅。
京王電鉄井の頭線は、どちらも若者の街、渋谷と吉祥寺を結び、途中下北沢で小田急小田原線、明大前で京王線と接続しています。
最近では珍しい、他社線直通がなく分岐駅もない、全線複線12.7kmの単独路線。

線路幅はJRや東急と同じ1067mm。 京王線は東京馬車鉄道規格の1372mmですから、同じ会社ですが、車両の直通や転配ができません。
歴史的には小田急系の帝都電鉄線として開業。
戦後の会社再編で京王帝都電鉄が京王線と井の頭線を経営権を獲得。
他線直通がないので専用車両が投入されています。
現在は1000系が主流。3000系から始まった、編成ごとのカラーリングが継承されています。
ライトグリーン、サーモンピンク、

吉祥寺に到着。オレンジの2編成並び。
2011年まで使用されていた3000系、通称「ステンプラカー」
ステンレス車体に前面FRPだったのでこの愛称が付きました。
パノラミックウインドウの後期編成が勢揃い。
3000系は1両から3両単位で地方私鉄に譲渡され、今も活躍しています。
北陸鉄道8800形(3000系初期片扉車) と 岳南電車7000形(両運転台改造車)

伊予鉄道3000形 と 松本電鉄3000形

おっと、今日も仕事でした。先を急ぎます。
吉祥寺駅の改札を抜けてJR中央線へ。
JR中央線快速高尾行きに乗車
三鷹を過ぎ、「武蔵境」で下車。
今日の出張先はココ!
「富士重工業_東京事業所」
スバルの生産本拠地は群馬県太田工場ですが、ココは技術開発の拠点。
以前はスバル研究所と称されていました。

正門で受付して、構内に入ると、
「おおーっ スバル車だらけ!」
(@_@;)
「おおおー、ピカピカのトラヴィックがぁー」
(;^^)V
(構内は撮影禁止です・・・。)
打合せ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、
・・・・ ・ ・ ・
「FINISH!」
中央線快速で東京へ戻り、いつもの北陸新幹線。
E7系 「かがやき517号」金沢行きで帰路に就きます。
今日は3号車10番A
金沢で乗り換え、いつもの681系「ダイナスター4号」で福井へ
最終ランナーは、521系262M「普通敦賀行き」
隣はこれも最終の363M「普通芦原温泉行き」
いつもの、23:21北鯖江到着~!
さて、今度はどこへ行こう・・・。
(あくまでも仕事の行き帰りです)
(^^)b