12月12日(月)
かなり強引に出張を絡め、関西私鉄乗り鉄を強行!?
「おけいはん」の京阪特急に乗車します。
「京阪電車」のお話し
関西の私鉄は、親しみを込めて『〇〇電車』と呼ばれることが多いのです。
正式名称は『京阪電気鉄道』
大阪、京都、滋賀にまたがる、路線営業キロ91.1kmの大手私鉄。

京都と大津を結ぶ京津線は京都市営地下鉄東西線と直通運転しています。
以前は、三条から蹴上を通って山科に向かう区間は路面併用軌道でした。
三条付近を走る京津線80形(Wikipediaから)
現在でも、浜大津の手前に路面区間があり、16.5m×4両編成の800形が路面を走行します。
(国交省の特認を受けています)
鉄道線車両が路面を走るこの圧迫感!
江ノ電や福井鉄道でも見ることができます。(Wikipediaから)

また、京津線には61‰の急勾配区間があります。
路面軌道時代には、蹴上付近に碓氷峠と同じ66.7‰の区間がありました。

と、脇道に逸れるだけ逸れたところで、今回は京津線には乗りません。
京都、大阪を結ぶ京阪本線とその支線は、他の私鉄や地下鉄とは線路がつながっておらず、相互直通運転しない独立路線となっています。
京阪線の主力車両
左から、6000系、10000系、新3000系、8000系、7000系、5000系
(京阪電車ファンコーナーから)

京阪電鉄の関連会社には、大宮から太秦、嵐山方面の「京福電鉄」、京都市内周辺に路線を持つ「京都バス」、福井県内に路線を持つ「京福バス」、京福電鉄から独立し出町柳と鞍馬寺、八瀬遊園を結ぶ「叡山電鉄」などがあります。
さて、12日は名古屋へ出張なのですが、集合は午後15:00 という訳で、相当大回りなルートで名古屋へ向かうことにしました。
まず前日11日夜、京都へ移動。
明けて12日の朝、京阪電鉄「出町柳駅」に立っているのでした。
1番線には、10000系のトップナンバー10001形が先頭の「準急淀屋橋行き」
2番線は、中之島線開通時に増備された新3000系の「特急淀屋橋行き」
新3000系は3扉セミクロスシート車です。
お目当ては、8:59発特急淀屋橋行き、これは2扉クロスシートの8000系特急。

京阪特急は、日中15分間隔で運行していますが、全てが2扉の8000系ではなく3扉車とほぼ交互に運行されます。3扉車もセミクロスシートの3000系とは限らず、6000系以降の新系列ロングシート車も特急に運用されています。
駅の時刻表(LEDではなく、一覧表の駅時刻表)には、発車時刻の横にドア数を示すⅡやⅢの記号があり、Ⅱが8000系使用であると解ります。
京阪特急8000系が入線。

2008年中之島線開業以降、塗装が変更されました。
特急新塗装は、旧塗装の胴部赤、窓周り黄を逆転させた配色。
間には金帯が入ります。
旧塗装の8000系(Wikipediaから)
京都寄り4号車は、ダブルデッカー2階建て車です。
折り返しのため、車内整備の後、扉が開いていよいよ乗車。
デッキのプロムナード部分です。
階段を上がって2階席へ。
2階席、転換クロスシートが並びます。
天井が低いのですが、座ってしまえば気になりません。
始発の出町柳ではまだ空いています。
枕カバーには「ELEGANT SALOON 8000SERIES」の文字が!
京阪電鉄の駅着発メロディは、元カシオペアのキーボード奏者で、今は鉄チャンでも有名な『向谷 実』氏が作曲を担当しました。
結構、遊び心が満載なフレーズが印象的。
向谷実 京阪発車メロディ
KEIHAN
さて、京阪特急です。
1934年運転開始、京都の路面軌道も挟んで大阪淀屋橋と浜大津を直通した特急「びわこ」号に起源を発します。
天満橋‐大津間72分、「びわこ」号として開発された60形は、京阪線と京津線で送電方式が異なったためダブルポールとパンタグラフを装備、路面区間走行に備え、通常のホーム高さのドアのほかにデッキ付きドアもあり、さらに日本初の連接車だった、など特徴的な構造を有していました。

鴨川沿いに四条通りを横切る60形。
(1934年頃Wikipediaから)
京阪本線は「京阪電鉄カーブ式会社」というダジャレがあるくらい、右に左に曲がりながら走ります。
京都-大阪を結ぶ都市間鉄道としては不利な条件であったため、1922年京阪電鉄は、新京阪鉄道を設立。天神橋から京都大宮までの鉄道建設に着手。これが、のちの阪急電鉄京都線となります。
京阪本線についても、天満橋‐寝屋川間12.5kmに急行線を増設して複々線化するなど時間短縮に積極的でしたが、カーブの多い線形はどうにもならず、淀屋橋‐出町柳間は最速特急でも52分を要します。
京阪本線には戦前の「びわこ号」以降、長らく特急が設定されていませんでしたが
1950年ようやく京阪間の特急が設定されます。
1937年製の流線型1000型を使用した急行
(TETSUDO.COMから)
1951年 特急専用車1700系が製造されます。
黄赤ツートンの特急色もこの系列から採用されました。
(TETSUDO.COMから)
1953年、日本初のカルダン駆動新性能電車として1800系が登場します。
1800系では、京阪特急ならではのテレビカーが生まれました。当然ながら白黒ですが、当時まだ珍しかったテレビ。
特別料金なしで乗れたクロスシートの特急でテレビ放映は破格のサービスとして人気を集めました。
(TETSUDO.COMから)
1963年登場の1900系
前面のバンパーが特徴の近代的なスタイルは京阪特急のイメージを確立します。
(hobidas.comから)
1971年 国鉄新快速(当時は急行型153系の転用)や阪急京都線2800系への対抗策として、冷房付き、全席転換クロスシート、カラーテレビ装備の3000系が製造されます。
京阪3000系 (Wikipediaから)
1989年鴨東線(三条‐出町柳間)の開業に合わせ、現行の8000系が登場。
二階建て車を組み込んだ8両編成1編成を残して、3000系は順次淘汰されていきます。
その最後の3000系も、2013年完全引退します。
さようならテレビカー 新旧3000系の競演
3000系の一部は、先頭車2連に組み替えられ、富山地方鉄道に16両と大井川鉄道に2両が譲渡されました。
しかし京阪のレールは標準軌1435mm、富山地鉄や大井川鉄道は狭軌1067mm。
このため、台車を東京メトロ日比谷線3000系の廃車発生品に交換して転用されました。
大井川鉄道譲渡車は昨年廃車され、金谷駅に留置されています。
富山地方鉄道には、その後観光用として2階建てダブルデッカー車1両も譲渡され、8編成17両全車が健在です。
富山地鉄譲渡車のうち6編成12両は、台車を国鉄DT32に換え、モータが120kWのMT54に換装されています。
富山地方鉄道10030系(「北陸の私鉄」H.SUWA HOME PAGE から)
第2編成 モハ10033-サハ31-モハ10034
電鉄富山駅に進入するダブルデッカーエクスプレス10030系3連。
鳩マークついてます。
電鉄富山駅に停車中の10030系 ダブルデッカーエクスプレス。
ダブルデッカーの元京阪8831型(地鉄形式サハ31)
時代絵巻のイラストは健在です。
さて、京阪8000系ダブルデッカーの旅は続きます。
13000系とすれ違い。
6000系
樟葉に到着。
枚方市
向かい側には電気椅子付き5扉車の5000系が停車中。
旧塗装の5000系、片側5扉なのがわかります。(Wikipediaから)
2番と4番のドアはラッシュ時のみ使用し、それ以外の時間帯は締切にして、上から椅子が降りてくる仕掛けになっています。これを称して電気椅子。
これは別の日に捉えた、5000系のキリ番、5555形。
出町柳から52分、淀屋橋に到着しました。
8000系第8編成は、特急出町柳行きとして折り返していきます。
淀屋橋から、地下鉄御堂筋線で難波に向かいます。
次は近鉄「しまかぜ」!