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2018年09月01日

【いくぜ東北!③】 小坂鉄道で, 24系寝台特急『あけぼの』に再会!

【いくぜ東北!③】 小坂鉄道で, 24系寝台特急『あけぼの』に再会!




9月1日(土)14:56
秋田県鹿角郡小坂町
『小坂鉄道小坂駅』






小坂鉄道は、奥羽本線大館駅から小坂駅まで22.3kmを結ぶ貨物輸送主力の私鉄。
他に長木沢支線、花岡支線がありました。

小坂鉱山から産出される銅、亜鉛、鉛の精鉱や、小坂精練が製造する濃硫酸を輸送していました。

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旅客輸送は1984年廃止。
貨物輸送は2008年休止後、2009年に廃止。
2016年6月『小坂鉄道レールパーク』として再生。

旧小坂駅構内全体に、DD13などの機関車や、気動車、貨車が保存されています。

一部は動かせる状態として整備され、動態保存されています。

(☞小坂鉄道レールパーク 公式ホームページ)

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小坂鉄道レールパーク動態保存車両最大のハイライトが、
24系寝台客車『ブルートレインあけぼの』


2014年3月 上野-青森間の寝台特急「あけぼの」が定期運転を終了し、予定臨に格下げ。

2015年1月 臨時となった寝台特急「あけぼの」が最終運転となり、事実上廃止されました。



そして2015年10月小坂鉄道レールパークにオープンした、列車ホテル『ブルートレインあけぼの』。

電源車カニ24を含む24系寝台客車4両が、小坂鉄道レールパークに譲渡されました。


小坂鉄道保存車両の最大の特徴は、日本で唯一、動かせる24系客車で営業している列車ホテルであること。

(@_@)


小坂駅舎奥の駐車場です。24系24形寝台客車が、懐かしい姿で停車していました。

手前から、オハネフ24-12、オハネ24-555、スロネ24-551、カニ24-511の4両。
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寝台特急『あけぼの』は、1970年7月上野-秋田間を奥羽本線経由で結ぶ臨時列車として運転を開始。その年の10月、運転区間を上野-青森間に延長して定期列車化されました。

当時の車両は、1958年寝台特急「あさかぜ」でデビューし走るホテルと言われた20系寝台客車。


しかし投入された20系は新車ではなく、寝台幅を70cmに拡大した24系が京都-長崎間「あかつき」に投入され、捻出された20系が「あけぼの」に転配されたもの。
20系の寝台幅は52cm。デビューから12年経過した当時としては、古く狭い印象が拭えませんでした。


『あけぼの』への24系投入は1980年。当時既に寝台車の主力は、サービス改善と合理化を両立させた2段式B寝台 24系25形となっていました。人気列車だった寝台特急『あけぼの』は定員を減らすことが難しかったため、3段式の24系のままでの転配でした。


1982年、急行「津軽」1往復を特急に格上げし増発された『あけぼの』にようやく2段式B寝台を投入。

その後、24系24形も2段式B寝台化改造が行われ、1983年に「あけぼの」用全編成の2段寝台化が完了しました。
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24系寝台客車は1972年から製造。

前述のとおり、1958年当時としては画期的な冷暖房完備で「列車ホテル」とまで言われた20系寝台客車。

サービス電源を供給する専用の電源車を連結する集中電源方式のため、行先の異なる列車を連結する分割併合運転の場合には、付属編成のためにもう一両電源車を用意する必要がありました。またB寝台の寝台幅は、戦前から標準の52㎜。横になると寝返りも打てない大きさで、次第にその狭さが「サービス水準の低下」と指摘されるようになってきました。


これを解決したのが、1971年登場の14系寝台客車。

1970年の大阪万博輸送のため増備された12系客車をベースに、編成中数量の床下にディーゼル発電機を分散配置し、B寝台の幅を70cmに拡大。居住性は大幅に改善されました。

しかし、1972年急行「きたぐに」北陸トンネル火災事故が発生。火元は食堂車オシ17の石炭レンジとされているのですが、「ディーゼル発電機を寝台車の床下に配置する14系は防火対策上問題がある」とされ、14系の増備は中止。

そして、14系のサービス水準、車体構造はそのままに、20系と同じく専用電源車を連結した集中電源方式の24系が登場します。


24系はその後、2段式寝台の24系25形に発展。
初期登場のグループは24系24形として区別されます。

当時の外観上の特徴は、24系24形が青20号塗装に白帯、24系25形が青20号塗装にステンレス切抜き帯でした。

その後のアコモデーション改造で金帯車が登場し、この区別の意味が薄らいでいきます。

小坂の保存車両は寒地向け、アコモ改造車なので金帯です。


左がオハネ24-555、右がオハネフ24-12の連結部。

「ブルートレインあけぼの」なのに、列車名が「北斗星」となっているのは誤りではなく、青森車両センター所属のオハネフ24-12は上野-札幌間寝台特急「北斗星」にも運用され、方向幕には「北斗星」の行先も準備されているのでした。
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さて14系寝台客車は、「さくら」、「みずほ」や、「あかつき」、「明星」、「彗星」など、長崎・佐世保行、長崎・熊本行、などの分割併合運転の需要も根強いため、エンジンの防火防炎対策や、火災時の自動消火装置を装備して引き続き使用されました。

のちに、25形に倣い、当初から2段B寝台の14系15形も登場します。


JRになってから、14系、24系の全車2段寝台化改造に加え個室寝台車化も進み、14系と24系(25形含む)の連結改造も行われるなど、ソフト、ハードともに複雑な改造がされていきます。



個室B寝台「ソロ」のオハネ24-555。オハネ24-42から改造。

B寝台車ですが、線路に平行な向きに配置した2段ベッドは、上下段で完全に仕切られ、プライベート空間を確保した個室、となっています。

2階室の窓が屋根まで回り込んでいるのが特徴的です。
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今夜「乗車」する、個室A寝台スロネ24-551、シングルDXです。オロネ24-1から改造。
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こちらは、廊下側。元車オロネ24の窓配置が残ります。

(上段用補助窓は埋められています。)
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電源車カニ24-511です。

4両の車両番号が500番台なのは、酷寒地向け改造車であることを示します。

動くことができるカニ24はもちろんここだけ。
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LEN吉LEVINから24系を見る、夢のような非現実的ショット。
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カニ24-511とAE86LEN吉LEVINを並べてみます。

\(^o^)/
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シングルDX スロネ24-551の宿泊乗車は、「小坂レールパーク」が閉館する17:00から。

まだ時間があるので「小坂レールパーク」を見学します。

1960年-70年代の、小坂駅時刻表が掲げられていました。

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国鉄奥羽本線の乗換駅は大館です。

岱野は大館の手前の駅。花岡は、大館から先に延びていた花岡線花岡鉱山の終着駅。

急行「千秋」「みちのく」や急行「しらゆき」「きたぐに」、特急「日本海」、特急「白鳥」の列車名が懐かしい…。

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改札口と時計は、当時のまま。
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小坂鉄道11号蒸気機関車と貴賓客車。線路幅が762㎜の時代の車両。

「秋田県指定有形文化財」に指定されています。
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本日乗車する24系の編成端、緩急B寝台車オハネフ24-12。

「小坂レールパーク」の見学時間帯は、自由に立ち入ることができます。

「ブルートレインあけぼの」列車ホテルのときは、宿泊はできませんが、車内で飲食もできる休憩スペースになっています。

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動態保存されている、ディーゼル機関車DD13 3。

「ブルートレインあけぼの」構内運転のとき、24系を牽引、推進します。

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駅舎横の踏切から小坂駅構内を望む。

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検修庫内にも保存車両があります。

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DD13は全部で4両。

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小坂鉄道のDD13は、国鉄DD13を基本に作られていますが、国鉄DD13は入替え作業の効率化のため運転台が運転室中央横向きになっているのに対し、小坂鉄道のDD13は、本線運転が主な任務のため運転台はDD51のように第1エンドと第2エンドそれぞれに、進行方向に向いた運転台が設置されています。
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国鉄DD13より、少し角ばった車体。

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ラッセル車キ100形キ115。貨車扱いの除雪車として動くことのできる数少ない車両。

青森の弘南鉄道では、降雪期、電気機関車に押されるキ100形キ104が今も現役の除雪車として活躍しています。

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木造無蓋貨車トラ4002.

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小坂線廃線後、パナソニックがEVOLTA単一乾電池99本で電車を走らせるイベント『EVOLTA電池・廃線1日復活チャレンジ』を開催した際に走らせた乾電池式電車。大館側のやく8kmで実験が行われ、予定区間を完走!

EVOLTA号は、由利高原鉄道鳥海山ろく線でも実験が行われています。

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濃硫酸輸送のタンク車タキに差し込まれていた列車票。

京葉線・越中島貨物線越中島まで運転されていたのですね。

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小坂駅構内を奥に進みます。

構内を走るモーターカーTMC200形とトロッコ客車。
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構内300mを「自力で」走る「レールバイク」に乗ってみます。
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TMC200形と、旅客用気動車キハ2100。
キハ2100は2両ありますが、なぜか保存車両リストに載っていません。

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キハ2100、車体の痛みが目立ちます。このまま朽ちていくのを待つだけなのか…。
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バラスト散布用ホッパ車、ホキ909。

こちらは再整備を受け美しく復元されました。今年4月にお披露目会も実施。
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300mを足でこぐのは、意外と距離があります。
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鉄製有蓋緩急車、ワフ28000。

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濃硫酸のタンクが残っています。

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折り返し点近くに、もう一両のキハ2100。

日本車両製の私鉄気動車です。弘南鉄道黒石線でも同型車が運用されたことがあります。
何とか再整備できないものでしょうか。

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折り返します。

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24系「ブルートレインあけぼの」が見渡せます。

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カニ24のある風景がイイですね(^^)

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カニ24-511の側面。ディーゼルエンジンDMF15G-Zと発電機DM109を搭載。

酷寒地向け改造も施されています。

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A個室寝台スロネ24-551の客室側です。全部で11室あります。

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小坂駅に戻ってきました。

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閉館間近の「小坂レールパーク」。閉館後は、宿泊客だけが出入りできます。
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大館方の腕木式信号機。
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今にも列車が向こうからやってきそうな雰囲気。



24系寝台客車の乗車は、もうすぐ~♪

【行くぜ東北!④】に続く。
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ブログ一覧 | 鉄学 | 日記
Posted at 2018/09/25 06:40:48

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この記事へのコメント

2018年9月25日 7:53
お早う御座います

待ってましたー\(^o^)/
待望の「小坂あけぼの」
宿泊おめでとうございます♪
自分は小坂ではシンデラに二回と
ソロに二回ですが訪問をしています
「ホキ」の再生復活の過程は素晴らしいものでしたね!

コメントへの返答
2018年9月26日 1:27
こんばんは(^^)

私も来てしまいました。「小坂あけぼの」
実は、遊佐のイベントは9月第1週と読んで、3月の年度初め、宿泊受付開始時に予約しておりました。次回来るときは月光に照らされるソロもイイですね。
ホキ902はピカピカでした。これに続けて、キハ2101の再生と、24系展示線の屋根設置をお願いしたいです。
寄付を募っても良いのでは?
(^^)b
2018年9月25日 8:40
車庫のある駅舎は
線路の敷き方が絶妙で、
見ていて飽きませんね♪
コメントへの返答
2018年9月26日 0:09
メインは旅客輸送より貨物でしたから、貨車の仕分けと解結のための配線になっている訳です。
駅ホームは短いですが、構内は広いです。
2018年9月25日 10:03
小阪駅構内のレイアウトがいい感じですね〜♪

腕木式信号機なんて残っているのがすごいです。

24系24型ブルトレの誕生がよくわかりました(^^)
コメントへの返答
2018年9月26日 0:14
駅舎、ホーム、検修庫、なるほど模型的なストラクチャーの配置(^^)b
小坂レールパークが凄いのは、信号やポイント標識に灯が入っていることです。線路が生きているのを感じますねー。

24系24形は1年しか増備されたかったので少数派なんです。改造され混用されて、区分があいまいになっていきますが・・・。
<(^^;)
2018年9月25日 15:58
こんにちは。
こんな感じのレイアウト作ったら楽しいでしょうね。それにしても、キハ2101は痛々しいですね。状態不良で廃車解体なんてなる前に、何とかしてあげたいですね。
 さて(笑)、好例の屁理屈コーナーですが、この24系25形及び14系15形の有為転変といいますか、激動の生涯にはある意味驚くばかりですが、白帯、銀帯、金帯については、金帯はともかくとして正直蛇足というかやりすぎだと思っていました。というのは、自分が主に見たのは東海道山陽系のブルトレですが、帯が混じっていて非常に見苦しい感じがしたものです。趣味的には面白いというか興味の対象にもなりますが、14系から24系への改造なども行われたりする中で、同時期に導入されたにも関わらず、車体細部の構造が統一されていない(電源系統の違いによる渡り関係は勿論別ですが、車端のハンドレール部の構造や入れ替えステップ)点は、何の理由があるのか不思議に思っております。
 もしかして、形式の誤認によるミスを防ぐためなのかもしれません(直流と交直流の特急電車の車端ダンパーの逆向き設置は、多分この理由でしょう)が、だとすると、両者間での改造による混在を想定していなかったのかもしれませんね。
 オマケにもう一点、客車の系列って何なの?っていう話です。JR&JNRは14系15形、24系25形と最後まで言っていますが、別に15形、25形でも良いんじゃないの?ってことです。ただ、座席車を含めるとややっこしいんですよね。座席車も14系の一部ですが、オハフ15っていうのが居るんですね。こいつは14系15形とは言わないですね。12系に至っては、座席車だけを12系と言っていて、オハネフ12、オハネフ13、オハネ12は、その出自からしても10系客車に入るわけで、軽量構造客車を10系として、そこでどんどん割り振っちゃったところに、12系、14系を入れたのがこうなった原因でしょうね。いっそ、固定編成は全て20系以上を割り振るようにすれば、少しはすっきりしたのかもしれませんね。私の好きなこれも重箱の隅の一つかもしれません。(爆)
コメントへの返答
2018年9月26日 1:41
こんばんは。
広い構内に比べて、駅舎、ホーム、検修庫は小ぶりなので、より模型的な面白さがありますね。
はい、受けて立ちます(^^)
客車、いわゆる旧客は元々1両単位で完結していましたから、車体や装備、製造年で系列に区分されていても、1両単位で運用が可能でした。固定編成という概念はご承知のとおり20系からです。
旧客の系列と車号の付け方には、なんとなく決まりごとがあるようで、なんとなくというのは必ずしも一筋縄ではないからですが、例えば「スハ43系」というと、スハ43に加え緩急車がスハフ42と1番下がります。北海道向けはスハ45とスハフ44で、暖房強化や二重窓が違う。これの軽量車体がオハ46とオハフ45、台車をTR47からTR23に振り替え車重を下げたのがオハ47とオハフ46。特ロ(特別二等車)スロ51、52からマロ55。食堂車はマシ35とカシ36・・・、などまだまだ荷物車、郵便車にもバリエーションがあります。同じ車体構造で、ロマンスシートと小窓なのが特急用のスハ44とスハフ43。特急旅客の手荷物輸送用オハニ35を加えてスハ44系、と呼ぶこともありますが。これらを見ると、構造が変わると車号を変えるのは当然として、その緩急車は1番減らす、というなんとなくの原則があります。
転じて10系客車は、ナハ10に始まり改良型ナハ11、これらの緩急車はナハフ10とナハフ11なので1番違いのルールではありませんが。特ロがナロ10でその冷房化改造がオロ11。寝台車はナハネ10に始まり車掌室と手ブレーキを設けてナハネフ10。その冷房化がオハネフ12。室内拡大改良型はナハネフ11で冷房化されてオハネフ13に。台枠流用の車体乗せ換えがオハネ17でその冷房化がスハネ16と番号が割り振られました。
食堂車は台枠流用でオシ17とビュッフェのオシ16が作られ、郵便車にはオユ10から13がありました。
これらの中で空き番になったのが、普通車の12、13と、14、15で、これは12系にオハ12、オハフ13、スハフ12が、14系にオハ14、オハフ15、スハフ14が割り振られています。寝台車の空き番は14、15で、ここに14系と14系15形のオハネ14、スハネフ14、オハネ15、スハネフ15、があります。結局のところ、10系と言っても10番台の12系、14系は別系列ですから矛盾と言えば矛盾。それでも、旧客でさえ細かく車番を割り振っているのですから、24系24形と25形、14系14形と15形を区分して車号を付けたのはは、必然と言えば当然の種類分けなのだと思います。
14系と24系車端の手すりの違いは、仰せのとおり、異系列の誤連結を防ぐためだったのではと推察します。尾久や品川、宮原、早岐、青森には14系に24系24形、24系25形も出入りしていましたから、故障や検査周期のための編成中から抜き取り差し替えはそこそこ頻度があったはず。推進回送していざ連結!という段でジャンパー栓が合わないのではロスタイムが大き過ぎますね。手すりが違えば車扱い係が気が付く可能性が高い。のちに系列間改造(14系⇔24系)も行われますから、有名無実なものになっていきますが。 
東海道ブルトレ末期、「さくら」と「はやぶさ」が併結になったときは、24系25形と14系が混結されました。電源はそれぞれの編成で完結していて、24系はカニ24、14系はスハネフ14から給電。編成間の渡りは、ブレーキ管のほかはドア扱いと放送用のジャンパーだけだったそうです。
客車は電車気動車以上に、原則と例外が混用されていて奥が深いですね。
<(^^;)
2018年9月25日 17:58
小坂駅の時刻表なんですが
行き先が大舘駅ではなく
ふと気になり調べて見ました
同和鉱業花岡線という路線があって
旅客で乗り入れていたんですね
昭和⇔平成のころ(まだ小坂が元気なころ)
営業でよく行きました。なつかしいです
コメントへの返答
2018年9月26日 12:41
はい、大館駅から小坂線が折り返すように分岐して花岡線が花岡鉱山に延びていたようですね。この頃の旅客列車は岱野行を除いて全列車が小坂-花岡間を結んでいた、というのも面白いです。
気になるのが、小坂0:20初の岱野行。なんで夜中の0:20発で、行先が大館手前の岱野なのか、と。岱野はホーム1面1線の中間駅でしたから、回送を必要とする理由も思い当たらず。交代勤務者のシフト輸送用なら大館まで行くはずですし、不思議です。
小坂や大館にも仕事でお出でになっておられたのですね⁉ 小坂、企業城下町の風情を残すいい街でした。
(^^)b
2018年9月26日 20:34
こんばんは
懐かしさ満載に魅了しました😋
ツーショットいいですね👦
また自分は本当のこどもだったんで 博多駅とか通過する車両をみてるだけてした😅
昭和の車両、車も最高ですね
ちょっとうるっと涙しました👦
ありがとうございます❗
コメントへの返答
2018年9月27日 0:23
こんばんは(^^9
北九州、福岡だと、早朝からお昼前にかけて、九州内夜行、山陰始発の夜行に始まり、関西-九州ブルートレインに583系寝台電車と夜行急行、東京-九州ブルートレインが次々と発着していましたねー。

そっ、そこまで(感激していただけるとは!
ほんの10年とちょっと前までは当たり前の風景だったのですけどね…。
<(^^;)
2018年9月26日 21:37
動く24系客車!
素晴らしいですね!(^o^)
私も伺ってみたいです(*^_^*)

車掌室があるので
ハイセンスのセレナーデを鳴らして
車内放送(おはよう放送orおやすみ放送)をしてみたいです(*^_^*)

北海道の雪対策で改造されたので仕方ないですが、
乗降口はやっぱり折戸式の方ががいいですよね(^_^ゞ
コメントへの返答
2018年9月27日 8:41
動くんです!24系。
素晴らしいです。
是非、是非是非、足を運んでください。
大阪からだと約1000km、クルマで13時間。
新幹線+新幹線+花輪線+秋北バスで8時間です。

そこ、重要でして、宿泊者特典、構内乗車体験とおはよう放送では、ちゃんと「ハイケンスのセレナーデ」を流してアナウンスがありました。しかも、元車が24系24形だからか、電子音ではないオルゴール原曲。

冬の「日本海」に乗ると、東北地方では雪が折戸の隙間から入り込み、デッキに積雪したりしました。ドアが凍結して開閉せず遅延の原因にもなり、酷寒地ではレールヒータ付き引戸の信頼性は絶大なものでした。引戸の客車は国鉄晩年からJRの光景ですが、これはこれで地域性を感じさせるものがあったと思います。
折戸の、バタンという音や、挟まり防止のトラロープは味わいありましたけどね。
(^^;)>
2018年9月27日 19:52
こんばんは。

ダッタダッタダッタン ダタンダタン ダタンダタン ダタンダタン.......ダタ ガー!!!(ダタン)

という、独特の音が聞こえて来そうな風景ですね。

ここ、東北だからなのか、馴染みがないと思ってましたが、国鉄(JR)ではなかったからなんですね。
横川とともに訪ねてみたいところですが、残念ながら共感して同行してくれる人がいなくて...

でも、宮城在住のうちに行くべきなんでしょうね。どうせなら積雪時に行ってみたいですが、重量級のFRでは怖そうです。

24系について、勉強になりました。全盛期の頃、なにも考えずに24系25形と暗記してました。24系の改造車くらいに思ってましたが、オリジナルの24系があったとは...

青い車体、日本のどんな風景にも合いますね。
コメントへの返答
2018年9月30日 21:46
こんばんは(^^)

この通過音は・・・・・!
EF64の後ろに連なる、オハネフ+オハネ+オハネ+・・・+カニ。 カニが後ろなので、東北・上越スジのブルトレだと「上り」ですね⁉ 1990年、上野駅に出入りしていた電源車付ききブルトレは、騒音、排ガス対策で編成方向転換され、上りの最後尾が電源車になりました。

小坂鉄道は歴史遺産として小坂町や秋田県の助成の下、小坂鉄道保存会がパークの運営、車両や施設の整備をしています。小坂鉱山は採掘をやめましたが、小坂製錬はケ-タイやパソコンの基盤から貴金属を取り出す、いわゆる都市鉱山のリサイクル事業で知られています。

小坂まで仙台からクルマで3,4時間ほどですから、是非訪れてみてください。ただし降雪地なので、11月3日以降の冬は「ブルートレインあけぼの」はお休みで、冬の間24系は、2km離れたトンネルに疎開します。その回送運転も見ものだそうです。廃線ですが私有地なので警察の許可を取ると運行できるのですね。
レールパークは通年営業しています。

乗車、宿泊記は次のブログ④に続きますのでご笑覧ください。
(^^)/
2019年2月23日 12:53
こんにちは。
自分も訪問しました。24系に泊まれるなんて、本当に素晴らしい施設ですよね。
自分が行った時は、キハは検修庫に格納されてましたが、これは傷みますね・・・。キハにも十分集客の魅力はあると思うので、どうにか維持してもらいたいものです。
コメントへの返答
2019年2月23日 23:59
こんばんは。
動態保存車に宿泊、というのが素晴らしいですねー。
キハは2両ありましたが、いずれも未整備で放置されているかのようでした。同じ同和鉱業系の片上鉄道では保存会が気動車を整備して保存しているだけに、なんとかならないものかとの思いです。
24系も今はキレイな状態を保っていますが、春夏秋の公開中は基本的に雨ざらし。冬季のトンネル内保存も、湿度の影響など心配してしまいます。今年もまた行こうかな。

プロフィール

「@essay@ さん、はい。Web版と朝刊3ページに写真が掲載されました。インタビュー記事が無いのが残念ですが…。」
何シテル?   05/06 22:41
柴犬のLEN吉、本名「レン」永遠の12才です。 クルマでお出かけするのが大好き。 イベントで見掛けたら、声を掛けてください。 (^^)/
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