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2020年03月29日

【リバイバル投稿①】追憶!寝台列車 (Twilight Express乗車記ほか)

【リバイバル投稿①】追憶!寝台列車 (Twilight Express乗車記ほか)



5年前の2015年3月12日、

その日の発車列車をもって、

大阪-札幌間の寝台特急

「トワイライトエクスプレス」が廃止。




外出自粛ということで、鉄道モノのDVDを見ていたら夜行列車について語りたくなり、5年前の記事をリバイバル投稿します。(一部内容修正)

(元の記事はこちら☞2015年7月4日投稿)



気が付けば、2015年の3月以降、定期運転している夜行列車は、高松・出雲市⇔東京を結ぶ寝台特急「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」(岡山⇔東京間併結)だけ。


2015年3月以降臨時列車となった札幌⇔上野「カシオペア」と「北斗星」は2015年8月までの運転。

2016年3月の北海道新幹線新函館北斗開業まで残った夜行客車列車は、青森⇔札幌間の最後の急行「はまなす」だけに。

つい10年くらい前まで、その数を減らしながらも、日本列島の東西南北は寝台列車ネットワークがつながっていて、新幹線や特急の走らない深夜帯の移動手段をカバーしていました。

今回は、記憶の彼方に消えつつある寝台列車を記録すべく、これまで乗車した寝台列車の思い出を振り返り、徒然なるままに書き綴ってみることにします。
(運転区間は最終乗車時のもの)


1.寝台特急『北陸』 金沢⇔上野 
EF81(金沢‐長岡)/EF64-1000(長岡-上野)+14系8両


2010年3月廃止、乗車回数、数十回

上野駅 EF64-1031は自連-密着双頭連結器装備です。
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東京方面出張のときは、日帰り扱いでも前夜に家を出て「北陸」に乗るのが定番。
毎月のように乗っていた時期もあり、常連と化していました。


運転距離が500km余りと、歴代ブルートレインの中では最短ながら、金沢あるいは上野を22時から23時頃発車し、終点には6時台に着くダイヤで、乗車前に一杯やって飛び乗れば翌朝目的地という、非常に効率的な移動が可能でした。

乗車券は東京往復よりも安くなる北陸-上越-東京-東海道-北陸の1周切符を活用。
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客車8両中、A寝台を含む4両が個室寝台車、B個室ソロの2号車にはカード式シャワー室が2室、という隠れた豪華編成。
B個室ソロは、2段寝台を互い違いに仕切ってあり、天井は低いものの、座ってしまえばプライベート空間が確保されます。しかも料金は普通の開放B寝台と同じでリースナブル。
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ケータイの電源を切ってしまえば自分だけの世界へ。(仕事では許されませんが…。)

社会と隔絶された、夜行列車で過ごす時間と空間が好きでした。




2.寝台急行『銀河』大阪⇔東京
EF65-1000+24系25形


2008年3月廃止、乗車回数 10数回

東京駅
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運転開始は1949年9月。
その後49年間、一貫して、東京-大阪間の『急行』夜行列車として東海道を往復。
新幹線開業後も、新幹線最終のあとに出発し、始発の前に到着するダイヤは、ビジネス客から評価され、一定の需要を確保していました。

『急行』でしたが、常に特急並みの編成が用意されていました。
20系が最初に急行転用されたのも『銀河』でした。

晩年は24系25形の2段式B寝台+開放式A寝台オロネ24で組成。
プルマン式と呼ばれる開放式A寝台車オロネ24は、最終的には『日本海』と『銀河』でしか見られない、貴重な姿を残していました。

この日、スーパーレインボー塗装EF65-1118が牽引 、
東京駅で。
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米原駅で223系との並び。
米原到着は朝5時過ぎ。
前夜東京で呑んで乗り込み、米原から北陸線の始発に乗ると、福井の職場の始業時間に間に合うので、何かと重宝する列車でした。
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大阪発東京行の「銀河」にもよく乗りました。大阪を22時過ぎに発車し、東京は6時過ぎに到着。米原発が日付が変わる直前、23時過ぎなので、北陸線最終から乗り継げられました。

開放A寝台オロネ24にも乗車。

台風でベタ遅れとなり、熱海で打ち切りで新幹線乗り換えとなると案内放送があり、確認に来た車掌に「東京まで乗りたい」と言ったら、24系25形電源車込み7両編成は、事実上私だけの貸し切り状態で東京へ。

ただし車庫(旧品川客車区)回送の関係で品川までの乗車となりました。





3.寝台特急『はやぶさ』東京⇔熊本
4.寝台特急『富士』東京⇔大分
(乗車区間は「はやぶさ」京都-博多)


EF65-1000(東京-下関)/EF81(下関-門司)
/ED76-1000(門司-熊本、門司-大分)
+14系15型6両+14系15型6両


2009年3月廃止 乗車回数数回


最後まで残った、名門東海道-九州ブルートレイン
晩年は、14系15型6両編成を2組、東京から門司まで併結して運転されていました。

元々はそれぞれ単独の列車として東京から九州を往復していた、名門九州ブルートレイン。
『はやぶさ』は東京-博多-熊本-西鹿児島、『富士』は東京-大分-宮崎-西鹿児島を結んでいました。
特に『富士』は24時間以上走り続ける特急としても知られていました。

関西-九州ブルートレインは、2008年に全廃されていましたが、『はやぶさ』『富士』の、下り京都0.37発、大阪1:08発というダイヤは、“かろうじて”関西→九州の夜行移動を可能にしていました。

九州出張のときは、最終のサンダーバードで京都に向かい、『富士』か『はやぶさ』のB個室ソロあるいはB寝台に潜り込むのがパターンでした。
 
EF66(東京-下関牽引)下関駅
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『はやぶさ』ED76(門司-熊本牽引) 門司駅
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『はやぶさ』門司-熊本牽引ED76 博多駅
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『はやぶさ』14系(機関車連結前) 門司駅
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『富士』門司-大分牽引ED76 門司駅
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『富士』14系 門司駅
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B個室ソロ オハネ15-2000
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B個室ソロ上段、高いアイポイントが魅力です。
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かつての関門トンネル専用交直流機関車EF30
下関-門司の全列車を牽引していました。
(横川鉄道文化むらにて、静態保存機を撮影)
その後EF81に代わり、現在の貨物列車はEH500が下関から九州内まで直通しています。
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5.『あさかぜ』下関⇔東京

(乗車区間は、大阪ー東京)

EF65-1000+24系25形13両

2005年3月廃止 乗車回数数回


東京-九州夜行の嚆矢として1956年に東京⇔博多間で運転開始。
大阪を深夜帯に通過して東京と九州を結ぶダイヤは画期的でした。

当初は戦前型A寝台車+食堂車オシ17+10系寝台車+10系座席車、の雑多な寄せ集め編成。
ブルートレインの名前とイメージを築いた20系客車が開発されるとすぐに20系編成に移行。

最盛期には3往復(1往復は東京-下関間)走っていた『あさかぜ』。
その内1本は 個室車含むA寝台5両、グリーン車1両に食堂車を連ね、当時としても超豪華な編成となっていました。

その後、新幹線が博多まで伸びると、九州ブルートレインは徐々にその本数を減らしていきます。

博多行きが廃止され、最後まで残ったのは下関-東京間『あさかぜ』
有効時間帯は、山口、広島エリア。

上り『あさかぜ』の大阪発時間は0:32、並行して走る『サンライズ瀬戸・出雲』とともに、ギリギリ大阪から東京までの寝台利用を可能にする列車でした。

『瀬戸』から転用されたロビーカー兼電源車、スハ25が連結されています。パンタグラフとインバータを搭載し、直流電化区間での電源供給が可能な、エンジン音のしない静かな電源車。
東京駅
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スハ25の車内、シャワー室もありカードを購入すると利用できます。
この夜、ロビーでは森山未来と長澤まさみの「世界の中心で愛をさけぶ」が流れていました。
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B寝台廊下
伝統的な寝台車の室内です。幅70cmの二段式が標準。
昔は、B寝台と言えば幅52cmの三段式が普通でした。
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6.『トワイライトエクスプレス』
大阪⇔札幌 

(乗車区間は、札幌ー芦原温泉)



EF81(大阪-敦賀-青森)
/ED79(青森-五稜郭)
/DD51×2(五稜郭ー札幌)
+24系10両

2015年3月廃止 2014年8月乗車


JR発足後の1989年から臨時運行開始。
人気があり、乗車率が極めて高いにもかかわらず、北陸新幹線開業前に廃止。
車両の老朽化が廃止理由とされていますが、北陸新幹線開業に伴い、直江津-金沢間が3つの第三セクター鉄道に分断。 
車両使用料、乗務員の扱い、牽引する機関車など、機関車牽引の旅客列車を直通運転するための会社間の調整がうまくできなかったことが本当の理由では、と言われています。

個室寝台車を主体に食堂車を加え、最後尾は最上級の展望室付きスィートといった、豪華寝台列車として知られていますが、Bコンパートと呼ばれる従来型のB寝台車も連結し、一般の利用も考慮されていました。
ここが『ななつぼしin九州』など、時刻表には載らない団体扱いの超豪華列車とは異なるところです。


2014年8月7日、翌年の廃止が発表されていた最後の夏、ということで、最初で最後の乗車のため、息子と飛行機で札幌に向かいました。
台風11号が接近し、運休の不安も抱えての渡道でしたが・・・。


乗車は8月9日
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DD51の重連を先頭に札幌駅入線
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札幌駅唯一の大阪行
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食堂車スシ24、元は碓氷峠対応装備489系電車の食堂車サシ489.
貴重なキノコ型クーラーAU12搭載車です。
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上りは、札幌を発車すると、食堂車でティータイム営業があります。
下りのランチ営業はよく知られていますが、ティ-タイム営業はあまり紹介されていません。
という訳で、昼間からビール。
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B個室ツイン オハネ25-500
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2段式のソファー兼ベッド、上段は電動昇降式です。
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大沼湖畔と駒ヶ岳
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五稜郭到着。 函館へは寄らず、ここで青函専用機ED79に機関車を交換。
遠くに、青函トンネル新幹線電圧対応のJR貨物EH800の姿が見えます。
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食堂車通路
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営業前です。
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パブタイム営業で食堂車へ
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サーモンのマリネとソーセージの盛り合わせを・・。
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ロビーカーオハ25-500
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早朝の長岡駅、最後尾のカニ24
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朝9時25分 芦原温泉駅で臨時停車。
台風11号の接近に伴い、関西一円のJR路線はすべて運転見合わせとなり、私たちを乗せた
『トワイライトエクスプレス』も芦原温泉駅で抑止(足止め)。
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芦原温泉は臨時停車のため本来ドアは開かないのですが、食糧調達に配慮してドアが解放され、駅売店はバブル景気で長蛇の列に。
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初めは列車撮影などで時間をつぶす人も見られましたが・・・。
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夕方16:00 非常食としてカロリーメイトとミネラルウォーターが配られました。
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抑止されてから9時間が経過。運転再開の見通しは立っていません。
行程では大阪まで乗り通す予定だったのですが、翌日は仕事と学校のため、泣く泣くここで列車を降りることに。

それでも、止まっていたとはいえ、28時間もトワイライトエクスプレスの中で過ごす貴重な体験ができたのですから、十分満足ではありましたが・・・。
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情報では19時過ぎに運転を再開。
走ったり止まったりを繰り返しながら終点を目指した模様。
大阪到着は日付の変わった8月11日0時過ぎだったとのこと。
できれば最後まで乗りたかった・・・。


夜行高速バスとはまた一味違う夜行列車の旅・・・。
記憶の彼方、過去の思い出となりつつあります。

国鉄民営化にあたって、全国ネットワークを維持したJR貨物が寝台列車の運行主体となっていれば事情は変わっていたかも・・・。

8月の廃止まで予約が殺到している『北斗星』には、もう乗れないですね・・・。

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以下、写真がないものもありますが、これまでに乗車したことのある夜行列車をリストアップ。
(運転区間と、カッコ内は乗車した区間。 カッコ無しは全区間乗車)

7.寝台特急『サンライズ瀬戸』
高松-東京
8.寝台特急『サンライズ出雲』
出雲市-東京  (乗車区間は、姫路-東京)

285系
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9.寝台特急『北斗星ニセコスキー』 
札幌-(山線回り)-函館-上野    

(乗車区間は、森-上野)

24系24形25形
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10.急行   『きたぐに』
大阪-新潟・青森 

乗車区間は、客車時代 大阪-青森

高校の頃、夏休みに北海道をテツ旅するとき、大阪から青森まで12系座席車に乗り通し。

始発大阪では座席を確保するため、中央コンコースに設けられた待合い看板の前に発車5時間以上前から並んで座席を確保。ボックス席4人掛けで青森まで19時間乗車。若かったんだなー


583系電車時代、大阪-新潟

583系最後の定期列車。

全車寝台ではなく、普通座席車、グリーン車が連結されているのがポイント。

2段式に改造された開放A寝台車もありました。


東京出張のとき、同僚と呑んで、最終の北陸線連絡「ひかり」に乗車。北陸線乗換駅「米原」で寝過ごし、京都で降りることがよくありました。

落ち込んだ気持ちを抱えつつ京都駅で待っていると、1時間くらい後に「きたぐに」新潟行が入線。これに乗ると、武生には午前2時に着き、今夜中にウチに帰れるのです。
クハネ581の3つの前照灯の光は、まさに救いの女神に見えました。

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11.急行『立山』   
大阪-富山・立山
475系(457系)
(乗車区間は大阪-富山)

その昔、特急「雷鳥」を補完する列車として急行「立山」が3往復走っていて、そのうち1往復が夜行列車でした。。下りは、北アルプスを目指すワンゲル部などの山屋さんご用達の列車でした。

学生時代に乗車。

列車末期には583系が使用され、寝台営業もしたことがありました。「立山」廃止のあと14系だった「きたぐに」が583系になりました。
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12.急行 『能登』   
福井・金沢-上野

(画像は、上野駅を再現した鉄道博物館(大宮)にて)

489系、14系客車、10系寝台+スハ43系
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このほか、これまでに乗ったことのある夜行列車。

13.寝台特急『日本海』大阪-青森・函館
14系、24系  (大阪-青森、福井-函館)

『瀬戸』から転用のシングルデラックスオロネ25-300にも乗車。

14.急行『越前』福井-上野
10系+スハ43系

(碓氷峠通過のため準軽量のオハ46, 47主体で編成)

15.急行『のりくら』 金沢-名古屋
キハ58系

16.急行『八甲田』 上野-青森
(青森-仙台)12系

17.急行『ちくま』 大阪-長野
(米原-松本)12系、383系

18.急行『すずらん』 函館-札幌      10系+スハ43系(45形)

19.急行『狩勝』   札幌-釧路       10系+スハ43系(45形)
『狩勝』では東海道線『つばめ』の生き残り、特別2等車スロ54に乗車。

20.急行『利尻』  札幌-稚内       14系

21.急行『大雪』  網走-札幌       10系+スハ43系(45形)

22.普通 44レ 札幌-函館        
函館本線普通44列車は、当時、青函連絡船を介して本州との郵便荷物輸送を担っていた荷物列車に客車を連結した列車です。下り姉妹列車は43レ。
長編成の荷物車と郵便車に3両の客車がぶら下がっていました。

23.普通 347M 東京-大垣
(富士-名古屋)
ムーンライトながらの前身ですね。
165系, 167系にグリーン車サロ165を2両連結。

24.普通 441M 新宿-松本(新宿-小淵沢)
115系で運転された夜行列車。北アルプスへ向かう山屋さんご用達。

25.急行『はまなす』札幌ー青森
定期列車では、最後の急行にして、最後の客車夜行列車。
2016年2月にお別れ乗車を決行。

(急行「はまなす」もリバイバル投稿します)





さあ今夜も、缶ビール片手に上野発の夜行列車で北へ・・・・。

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良き時代でした。






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ブログ一覧 | 鉄学 | 日記
Posted at 2020/03/30 06:35:07

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この記事へのコメント

2020年3月30日 1:10
こんばんわ。
外出自粛の長期化はには参りましたね。

懐かしい夜行ネタに反応してしまいました。
色々な列車に乗られていて凄い!トワイライトや北陸・・・今は無き夜行の記憶が甦ります。近年は客車自体が消滅しそうな情勢で残念な時代となりましたね。(;´∀`)

かつての10系寝台急行『越前』や東北筋の『新星』は乗ってみたかったなぁ。12系でしたが急行『十和田』や『津軽』には乗車出来たことは今となっては貴重な体験でした。
コメントへの返答
2020年3月30日 6:50
こんばんは(^^)/
マレーシアはPartial RockDown状態。日々増える感染者と規制強化に戦々恐々…。

という訳で、久々の夜行列車ネタ、と言っても過去の投稿焼き直しですみません。
学生の頃、北陸-東京夜行は、特急『北陸』と急行『能登』『越前』の3本建てでした。長編成の『北陸』『能登』に比べ、信越線碓氷峠を越える『越前』は8両編成。10系寝台+スロ(スロフ)62+スハ43系でしたが、少しでも軽量化してEF63の負担を軽くするため座席車はオハ46またはオハ47でした。運用の都合か、たまにオハ35が組成されるときもあり、クッションが薄いので当時は避けてましたねー。
大学上級生の頃には上越『能登』が廃止され、『越前』は14系化されて金沢発着となり『能登』に改称されました。
『十和田』『津軽』は乗れなかったです…。残念!
<(^^;)
2020年3月30日 7:31
偶然にも昨夜トワイライトエクスプレスの
動画に見入っていました
上野から2基の機関車けん引で信越線の峠越え
切り離して日本海村上へ向かいバスに乗り
温泉入浴そして鶴岡から再び青森まで
向かうという乗り鉄さんのYouTubeです
2名で52諭吉という破格のツアーで
タマげてしまいました(≧▽≦)
コメントへの返答
2020年3月30日 18:17
おはようございます(^^)/
コメントありがとうございます。
おそらくその列車は「カシオペア紀行」「カシオペアクルーズ」というJR東日本のクルーズ列車かと思います。時刻表に時間が載り、誰でもみどりの窓口で切符が買える寝台列車は「サンライズ瀬戸・出雲」だけになりました。
今、各地で話題のクルーズ列車「ななつぼしin九州」「トワイライトエクスプレス瑞風」「トランスイート四季島」などは、団体貸切扱いの列車です。
「カシオペア」も以前は時刻表に載る列車でしたが、今はツアー形式のクルーズ列車として上野から東北地方を周遊するコースで運転され、上越国境を機関車重連で山越えする姿が話題になっています。
クルーズ列車は仰るとおりツアー料金が数十万円以上と海外旅行並みで、庶民が気軽に乗れるかつての夜行列車とは程遠い存在です。
<(-_-;)
2020年3月30日 7:54
おはよう御座います😊

私が結婚する前に、両親の銀婚式と父親の還暦祝いで、兄妹三人でお金を出し合い、トワイライトエクスプレス乗車の旅行をプレゼントした事があります。

妹にチケットの手配を頼みましたが、一番後ろのラウンジタイプが取れたそうで、両親はとても喜んでくれました。今でも、あの時の旅行が一番の思い出と言ってくれます。25年ぐらい前でいくらぐらいだったか覚えてませんが、良かったと思っております。個人的にも寝台列車は一度は乗ってみたいですね☺️
コメントへの返答
2020年3月30日 9:10
おはようございます(^^)/

それは親孝行されましたね。良い思い出になったことと思います。

それは凄い!
最後尾の展望室スイートA1はプラチナチケットと言われ、旅行会社担当者でもなかなかGetできない豪華個室でした~♪

機会があれば是非っ!
<(^^;)
2020年3月30日 11:59
お疲れ様です(^.^)
私が最初に寝台列車に乗ったのは大阪深夜発の『あさかぜ』の3段式B寝台に母と2人で中段でしたね(笑)。小学1年でもその狭さにはびっくりしました。落ちることはありませんでしたが、起きた時に天井にゴツンとやりました(爆)。
それから583系『金星』に乗り、前後方向の寝台に感動しました😊。
学生時代は18キップで夜行鈍行を乗り潰す旅が楽しかったですが、4人ボックス席にくの字によく寝ていたなと思います。今では無理ですね…。
就職してからは新幹線全盛でしたがわざわざ『富士』、『あさかぜ』で熱海から下関へ乗ることが多かったです。
コメントへの返答
2020年3月30日 12:30
こんないちは(^^)/
3段式の中段、しかもお母様と2人!? (@_@)
583系は3段でも空間にゆとりがありましたね。下段は窓際で中段の天井が上向きに斜めになるので何とか起き上がって座れました。
『きたぐに』12系のボックス4人掛けで大阪,青森間19時間、が自分の最強(最困)記録です。
ボックス席占領してくの字に寝るのを「エビ寝(海老寝)」と言いました。旧客の『能登』『越前』のスハ43系や475系『立山』でやりました。12系はシートピッチが広いので足が辛くなりそうでしたね。
『能登』は14系化されましたが、14系の簡易リクライニングシートはロックできないので、寝返り打つと座席が戻りバタンバタンとうるさかったです。
<(^^;)
2020年3月30日 12:19
お疲れ様です。
わたし、旅に出ると、乗り物に座ると根が生えます♪
到着まで動きません♪
夜行以外は、ずっと寝ることなく景色を楽しみます。
あまり高速道路に乗らないのも、地方の景色を見たいからかも♪
鉄道はあまり多くの種類に乗っていませんが、何だかワクワクが止まりません♪
孫も列車が大好きです♪
コメントへの返答
2020年3月30日 12:39
こんにちは(^^)/
わかります。でもトイレくらいは行くかと…。
私もそうです。何をするでもなく、窓の外をボーッと見ているのがいいですねー。B寝台車では、通路側の補助椅子に座って外を見るのが好きでした。
最近の鉄道人気は女子鉄、ママ鉄も増えて凄いですね。
もう少し早く鉄道人気が上がっていたら、普段使いの夜行列車ほぼ全廃という事態は避けられたかもしれません。
<(^^;)
2020年3月30日 12:45
寝台列車(客車も電車も)に乗車するのは小学生の頃から憧れていました(*´ω`*)
当時は大阪駅に九州方面へ出発する寝台列車を何度か見に行ったことがあります(^o^)
「いつか大人になったら乗るぞ!」と思っていましたが、
社会人なって時間とお金に少しだけ余裕が出来た時には廃止や淘汰が進んでいて
数える程しか乗車出来ませんでした(´・ω・`)

たくさん乗車されたLEN吉さんがとても羨ましいです。
もう乗車することは出来ないので、
機会があれば写真と一緒に乗車した時のエピソードをじっくり聞かせてくださいね(*^_^*)


個人的には寝台列車は豪華列車と違って簡単に乗車出来るのがいいと思います。
コメントへの返答
2020年3月30日 15:08
「寝台列車」という言葉の響きに夢がありました。時刻表の定義では『寝台車を主とする全車両が指定制の列車』となっていて、寝台車を連結していても座席車が自由席の場合には「寝台列車」とはならなかったんです。

「寝台専用列車」という少し古い言い方もあり、駅の案内板や車掌さんの放送で聞くことができました。

私の心残りは、大阪・新大阪発の九州、山陰夜行に乗れなかったこと。
伊丹の祖母の家に行くとき大阪駅2番線で福知山線旧客レの発車待ちのとき、お隣3,4番線から10系寝台を連ねた寝台急行が次々と発車していきました。
ほどなくそれらは特急格上げされ、ブルートレインや581系,583系に変わりましたが、結局乗ることができませんでした。
クルーズトレインは現実離れし過ぎていていわゆる「夜行列車」「寝台列車」とは呼べないですね。最低基準は時刻表に乗っていること、です。
<(^^;)
2020年3月30日 14:04
こんにちは🍀

もう既に懐かしい・・・と、なっちゃいますかね。

自分は2008年秋に鉄ちゃん復活したので、富士を皮切りに北斗星や日本海・あけぼのなど乗りましたが、きたぐにと北陸に乗らなかったのを後悔してますが、トワとカシオペアに乗れたのはラッキーでした。西で117系を改造した夜行列車がデビューしましたが、なんだかなぁ〜な感じです。
コメントへの返答
2020年3月30日 14:53
こんにちは(^^)
「北陸」「能登」の廃止から10年、「トワ」「北斗星」「カシオペア」廃止から5年、「はまなす」から4年が経ちます。
「WEST EXPRESS 銀河」ですね。「やまぐち号」用に35系4000番台客車を新製したJR西でしたから、ここは客車列車にして欲しかったところです…。
それでも、ノビノビ座席扱いの簡易寝台、簡易個室主体で、週2往復ながら定期運行されるのは嬉しいです。ちゃんと時刻表に載せてもらえる列車なのであれば…。
<(^^;)
2020年3月30日 19:01
こんばんは〜
短いコメでごめんなさい🙇‍♂️
寝台列車と言えば、
九州から大阪まで、
修学旅行で行ったきり
でも夕方列車に乗る時は
ワクワクして、
寝れるかなぁ😅なんて
思いながら、乗り込み。
カタンコトンの音と揺れに
いつの間にか寝てしまい。

気がつけば大阪😊
なんか不思議な感じがしたのを
今でも覚えています❣️

新幹線も良いですが
ゆっくり列車の旅も
またしたいなぁと思いますね😊
コメントへの返答
2020年3月30日 21:04
こんばんは(^^)
いえいえ、お気軽に。
今でこそ修学旅行と言えば、
新幹線や飛行機が当たり前、
海外も珍しくありませんが、
少し前までは、修学旅行で、
友達と一緒に列車で遠くに行けるのが、
大冒険でしたねー。
夜行列車もボックス席に、
2人掛け3人掛けだったりして、
それでもワイワイ楽しかったんですね。
今では、お金を出さないと、
のんびりした旅行ができない、
という何だか本末転倒な鉄道ですが、
少しずつ、
当たり前だった昔の良さを、
取り戻す動きも見られます。
効率が全てではないんですよねー。
鉄道の旅、好きです。
<(^^;)
2020年3月30日 21:21
こんばんは。楽しく読ませて頂きました。

昭和55年くらいから国鉄に乗るのが趣味でした。北陸線ではゆのくに、雷鳥、くずりゅうなどに乗りました。雷鳥の食堂車も何度も利用しました。廃止前に架線下のディーゼル急行と話題だったしらゆきにも乗りました。
夜行は、ちくま、銀河20系、雲仙西海14系、日本海24系、きたぐに583系、などなど。はくつる24系のさよなら列車にも乗りました。青森駅の横断幕と上野駅での車掌アナウンスに泣きました。さよなら列車なんて乗るもんじゃないなと思いました。私には重すぎました。
北海道に住んでいた事があるので、日本海には何度もお世話になりました。トワイライトは6度、スイート(2号車)、ロイヤルと両方経験しました。北斗星は4度、カシオペアにも一度乗りました。
でももう遥か遠い過去ですね。

変わり種では、普通山陰オハネフ12でしょうか。鳥取から京都まで乗りましたけど、各駅停車の寝台車ってとても不思議だなと思った記憶があります。
またこんな夜行の旅が出来るといいですね。
コメントへの返答
2020年4月5日 10:23
こんばんは(^^)
焼き直し原稿ですみません。
北陸線の懐かしい列車名が連なりますねー。「雷鳥」の自慢は、食堂車が編成から外されるまで、全ての特急「雷鳥」が食堂車営業していたこと。一時期583系も戦力に加わりましたが、「金星」間合いの「しらさぎ」では休止したサシ581も「雷鳥」では営業しました。
架線下DC「しらゆき」、下りは糸魚川で松本行き「白馬」を分割、秋田で秋田止の編成を切り離した後ホーム転線して盛岡からの「きたかみ」を連結。東北多層建て急行の一角を成していました。
私も函館に住んでいたことがあり、「日本海」には何度か乗りましたが「トワイライト」は記事中の一回だけ。スイート羨ましい。「北斗星」は1回、カシオペアはないんです。
「白鳥」「しらゆき」から青函連絡船夜行便に乗り継ぎ、寝台船室に乗ったことがあります。
寝台連結の普通列車ありましたね。そう大抵はオハネフ12が1両。「山陰」「南紀(はやたま)」「からまつ」「ながさき」結局乗ることはできず仕舞い。
10系寝台は「すずらん」で。20系には結局一度も乗れませんでした。
JR西日本、35系4000番台の次は、10系4000番台や24系25形4000番台とか作って、走らせてくれないかなぁー。
117系改の「銀河」だけでは、まだちょっと寂しく…。
<(^^;)

プロフィール

「@バツマル下関 さん、そして長野『大雪渓』の燗と、『大信州』純米大吟醸のコップ酒…。たまりませんね―。」
何シテル?   05/03 21:38
柴犬のLEN吉、本名「レン」永遠の12才です。 クルマでお出かけするのが大好き。 イベントで見掛けたら、声を掛けてください。 (^^)/
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