赤道の少し上、北緯3度に位置する、
マレーシアの首都クアラルンプール。
11月から4月までは雨季、
と言われます。
マレーシアは、マレー半島の南半分と、ボルネオ島の北半分からなる国家。
マレー半島の先端はシンガポールで、ボルネオ島はインドネシアと接しています。
首都はクアラルンプール。
そして、その西側のセランゴール州シャーアラムやクランに工業が集まっています。
雨季と言っても、1日中雨が降り続くことはなく、逆に乾季でも、強い日差しで積乱雲が発達してスコールが降るので、年間を通じて気候の変化はそれほど感じない南国なのですが…。
12月16日木曜日から降り始めた雨は、一日中降り続き、夜になっても止む気配が無く…。
17日金曜日も朝から土砂降りの雷雨が続く。
さすがにこれは何かおかしいぞ、と思い始め…。
セランゴール州を流れる河川は、クラン川に集約されて、重要港湾クラン港に注ぎます。
そのクラン川が、シャーラム近くのほか、10カ所で堤防が決壊し氾濫。
のちの発表で、クアラルンプール周辺の1日の降雨量は400㎜以上に達した、とのこと。
セランゴール州の場所によっては、1か月分の降雨量が1日で降ったらしい。
18日土曜日、
当社の第3工場屋上から見えるクラン川です。
川幅が異常に広がっています。
工場裏手を流れるクラン川の堤防が決壊して越水した、と動画が送られてきました。
同じ頃、18日土曜日の朝、
外国人労働者宿舎から交代勤務者を乗せた通勤バスから、
『道路が増水して前に進めない』
と、連絡が入りました。
タイヤ高さの水の中をバスが進もうとする動画が送られてきました。
バスのマフラーが水没し、激しく泡立っています。
さすがに「これは危険!」と判断。
工場に向かわず、すぐ宿舎へ引き返すよう指示しました。
18日土曜日朝、
第1工場から第4工場まで、この日の操業停止を指示。
その後、
工場内まで浸水してきたとの情報が入り、
出勤者へ『総員退避命令』を発出。
避難開始時、水位はヒザ上くらいまで達していました。
『総員退避!』など、これまで発出したことも無ければ、自身が経験したこともありません。
とにかく人命優先です。
避難用に手配したバスが待機するところまで、水の中を歩いてもらいました。
当社の工場は第1工場から第4工場まで半径1.5kmの範囲で分散しています。
18日土曜日の夜から19日日曜日にかけて増水は続き、比較的高い位置にある第1工場と第4工場は浸水しなかったものの、最下流側にある第3工場は床上5~60cmまで浸水し、1階にある殆どの機械と、その制御盤、受電盤が水に浸かりました。
その近くの第2工場は床下20cmくらいまで浸水したものの、建屋内まで水が入ることはかろうじて免れました。
周辺の高速道路、主要道路は相次いで通行止めに。
18日土曜日から19日日曜日にかけて、セランゴール州は大規模な洪水に発展。
クアラルンプール市内も低いところは浸水が始まっています。
18日土曜日撮影、水没したクランの市街地。
(共同通信ニュース)
(時事通信ニュース)
(共同通信ニュース)
外国人労働者宿舎の周辺です。18日土曜日撮影。
スコールで低い土地の浸水は頻発するものの、ここまで大規模な洪水は、数十年に一度のレベル。ウチの会社がマレーシアに進出して33年になりますが、工場が浸水したのは初めてです。
幸い、今私が住んでいるコンドミニアムは高台にあり、直接の洪水の影響は受けませんでした。
浸水し、水位が上がる中、工場と従業員を守ってくれた、ガードハウスのセキュリティチームです。
最深水位では、ガードハウスの床上まで水が入りましたが、パニックにならず冷静に対処してくれました。
「ありがとう」
18日土曜日の第3工場周辺です。
19日日曜日、ようやく雨は小康状態に。
雨が上がったのを見計らい、通行止めを避け、クルマで通行できる道路を乗り継いで、工場の様子を見に行きます。
第3工場周辺は浸水したまま…。
第2工場の中に入りました。
電力会社の変電所が浸水したため、安全のため受電盤主電源をカット。
工場内は停電したままですが、床上浸水は免れました。
20日月曜日、マネージャークラスを召集し緊急対策会議を開いて、
・従業員の安否確認と出勤可能者の把握
・各工程の状況、仕掛品の状況
・各機器の停止状態
・電気、水、空圧などユーティリティ
など、各部門での、わかっていること、これから把握すること、を再確認して、逐次報告するよう指示しました。
そして、安全を確認した工程から、順次操業を再開。
21日火曜日、すっかりいい天気になり、クラン川の水位も下がりました。
しかし、シャーアラムやクランの海抜の低い地域は、まだ水が抜けていないとの報道が。
21日現在、今回の洪水の死者は全国で17名、と伝えられています。
洪水の規模の割には犠牲者が少ないのは、日本のような鉄砲水にならず水位上昇がゆっくりなので、逃げる時間がある、ということか。
21日火曜日、第3工場の構内も周辺も水が引きました。
保険会社に同意を得たのち(現状保存しないと査定できない可能性があるため)、出勤してきた従業員で、片付けを開始します。
第3工場構内に残され流されたクルマと、空のドラム缶。
ボンネットまで水没したのがわかります。
泥水なので、水が引いても泥が残り、一面被ったようになります。
皆んな、黙々と働いてくれています。
会話が明るいのは救いですねー。
片付けは進んでも、水没、損傷した機械の復旧はこれからです。
電気系統がやられているのですが、世界的な半導体不足の今、交換用、補修用の基盤や電子部品がスムースに入荷するのかどうか、かなり怪しい状況...。
感染も防止しなければならず、
本社や営業への説明と生産調整も続いて…。
全然、退屈する暇は持たせてもらえません...。
さあ、令和の今、
ニッポンのビジネスマンの私は、24時間戦えるでしょうか?
五里霧中、暗中模索が続きます...。
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Posted at
2021/12/22 06:23:59