
今回の九州・熊本地方を襲った大地震で亡くなられた方々の御冥福を祈り謹んでお悔やみを申し上げます。
被害に遭われた方々に心より御見舞い申し上げ、皆さんの健康と一日も早い再建をお祈りしております。
人には意志に関係なく人生の針路を変えた忘れられない、忘れてはならない記憶がある。
阪神・淡路大震災の発生は寒い真冬の1月17日 まだ暗い早朝だった。
当時、自分は仕事の利便性から芦屋の山腹にある古いマンションの5階に住んでいた。
午前05時46分
ゴーッと唸る地響と共に棚から食器が飛び出し、TVが飛び跳ね、夢現から飛び起きた。
街を見下ろせる南側ベランダ窓に閃光が走り、もの凄い衝撃が来てガラス鏡を叩き割る
激しい揺れが家具を薙ぎ倒し、鉄骨が軋み、コンクリートが砕け、鉄筋が弾ける破断音。
核攻撃か!!!?
自分は揺さぶり振り回され転がされ、立上がれず滑り落ち窓から外に放り出される勢い
建物が折れて南側のテ二スコートに傾いて倒れるくらい強く激しい振動と揺れが続いた。
実際の揺れは僅か20秒足らずだったが揺れが収まるまで1分にも2分にも長く感じた。
経験のない激振と轟音に核兵器と思い構えたが、熱線や衝撃波、爆風は来なかった。
いったい何処の国が攻撃を?・・・
これが地震、自然に拠る力だと頭で理解しようとしても直ぐには実感が湧かなかった。
足を切らぬようスリッパを履き懐中電灯を手に物が散乱する真っ暗な家の中を見て回る。
TV、冷蔵庫、レンジ、FAX、食器棚、テーブル、椅子が暴れ全滅、自宅放棄を即時決定。
野戦用防寒服を着て貴重品を持ちブレーカーを落し、歪んだ玄関ドアを蹴り廊下に出る。
無理矢理ドアを蹴り込み何とか施錠し、ヒビ割れた階段を降り外側から建物の被害を見る。
駐輪場にあるバイクの無事を確認、地割れしてガスが臭う駐車場から
W126 を脱出させる。
3ヶ月前に中央区から西区の郊外に移り生活していた母の安否と被害を車中で確認した。
神戸市内にいる親戚家族と祖母を連れていく旨と「俺が行くまで絶対に動くな」と伝える。
地震発生直後はNTTの携帯は使えたが市内数ヵ所に連絡を取った後に直ぐ不通になった。
東から順に先ず被害が気になる東灘区海浜地区に移転後間もないHQオフィスに向かった。
夜が明けて辺りは明るくなって来ていたが、この時はまだ道でスレ違う車は殆ど無かった。
家の塀や石垣、電柱が倒れ、切れた電線がうねった道路に横たわり信号機は動かない。
また通りには着の身着のままパジャマ姿や毛布に包まった人達が家から出て来ていた。
国道2号線に降りるとアスファルトが大きく裂け出来た高い段差でポルシェ911が立往生。
段差を斜めに跨ぎ亀裂を避けながら進み、芦屋から神戸に入った所で43号線まで下ると
マジか!? ・・・・・
何時も頭上に有るハズの阪神高速が橋脚から折れて地面に落ちている。
映画の中で見たような光景と絶望的な現実に言葉を失い、暫く口が開いたままになる。
車載
インダシュTVではNHKが呑気に通常の地震情報を言っているのに腹が立った。
「おい! これが見えんのか!」
と思わず叫んだが、被害は自分の回り限定で日本全滅ではないと知って少し安堵した。
高速道路から
落ちた車に人の姿はなく、下敷きになって潰れている車の中は分らない。
東灘の海浜地区は液状化現象で砂が道路や舗道上に噴出し川底のようになっていた。
オフィスに到着してみるとコンピューター、テレックス、FAX、タイプ、無線機器も全滅。
関西空港支局と携帯が通じ伊丹、成田、横浜、名古屋、門司に当面の業務を振分けた。
通信機能を喪失した拠点の放棄撤退を決定、重要書類を持出し元電源カット戸締を厳に。
後髪を引かれたが腹とスカートを擦りながら頑張った相棒 SELを駐車場に残すことにした。
高機動四駆ターボディーゼル、定員8名、高積載、大径タイヤの
スペースギアに乗換える。
デリカはLSD、デフロック、GPS、無線、100V電源、探照灯、作業灯、牽引フック装備
ワイヤ、ロープ、スコップ、ジャッキ工具、救急箱、燃料・水タンク、毛布も積んである。
平時は出番が少ない長距離移動や訪船出張と海山用の戦闘車両が市内で必要になった。
人工埋立地の道路や建物は陥没しガントリークレーンは倒れ岸壁は海面下に沈んだ。
神戸大橋とポートアイランド、新港突堤、埠頭、ドック、港湾施設も甚大な被害を受ける。
この時既に自分の職域でもあった神戸港は国際貿易港としての機能を失い壊滅していた。
次に大型重機、クレーン、ダンプ、発電機、ポンプと何でもある親戚の建設会社に到着。
顔面をケガして血を流している叔父と話し、自分は市内の親戚を集め郊外に避難させる。
水と燃料を調達し整備倉庫から重機を積んで戻る。と、打合せて祖母の家に向かった。
再び2号線を街の中心部に進むと道路沿いのビルから凄い勢いで火炎が噴き出していた。
もの凄い火炎にビビって数台前の車がビルの直前で停車して進まず自分の前方を塞いだ。
おいおい、ビビって止まるな!
車はそう簡単に燃えもるのではない。
だが車を降りて、いちいち説明説得する時間が惜しい。
自分は前車を除けてビル側の車線から追い越し加速して噴き出す火炎を素早く通り抜けた。
この他市内各所で大火災が発生し消防士も消防車も全く足りず道も瓦礫で閉ざされていた。
また運良く、消防士が現場に到着しても消火栓は機能せず消火に必要な水が無かった。
六甲道・甲南間の祖母が住むマンションに到着すると1階の駐車場と階段が潰れていた。
近隣住人が車に走り寄り「ガス漏れしているから向こうに行って!」と喚いたが無視する。
潰れて傾いた2階階段部分から建物に入り、5階まで昇り部屋のドアを叩いて呼び掛けた。
部屋の奥の方から助けを呼ぶ祖母の小さな声が聞こえる。
だが玄関の鉄ドアは枠ごと歪んでいるうえに中から施錠されて手で引っ張っても開かない。
ドアを壊す道具もなく5階階段踊場の壁手摺を乗り超え外側に出て部屋のベランダに回る。
この時、曲がりくねったJRのレールと折れ落ちた架線電柱を上から見て再び唖然とした。
ガラスを壊して入ると祖母は真っ暗な奥の部屋で倒れ箪笥と鏡台の隙間で動けずにいた。
運良く祖母は無傷だったが我慢していたトイレの後、着替と貴重品を急いで纏めさせる。
中から玄関の厳重に掛っていた鍵を解錠し鉄ドアを思い切り蹴破り部屋から連れ出した。
祖母のように自力で出ることが出来ない人がマンション内に残っていないか気になる。
階段を降りながら他の部屋にも声を掛けたが、既に避難したのか何処も返事が無かった。
2階まで階段で降りたが1階の階段が使えず祖母にカーテンを巻きロープで縛って降ろす。
余震が続く家具の下で3時間以上動けずにいた独り暮らしの老人が無事に外へ出られた。
祖母は運が良い、神戸空襲も経験し今回はマンションが全壊したがケガもせず生き残った。
阪神ではお年寄りだけでなく多くの方が家屋の下敷きや家具の転倒で圧死されている。
三宮駅の北側にある弟の会社に行くと正面がめちゃくちゃに壊れ室内は物が散乱ていた。
築年数が浅く建物躯体に大きいダメージは無いが、近隣の複数のビルが傾き倒壊した。
木造家屋は潰れ
ビル・マンションは折れ大橋や
鉄道橋も落ち
線路が飴の様に曲がった。
一瞬にして街は空爆され壊滅したレバノン内戦時のベイルートのような姿に変わった。
翌日、第二工区のLPGターミナル爆発の危機に広範囲7万人に対し避難勧告が出された。
幸い爆発は免れたが、疲れた多くの被災者が混乱の中を避難所から避難所へ避難した。
強大な自然エネルギーの圧倒的な破壊力に対し、人間は剰りにも非力で為す術がない。
崩れ落ちた屋根、太く長い梁や柱、コンクリート壁、鉄骨は大人5人でもビクともしない。
点検整備中の
重MS のアタッチメントを
フォークタイプのマニピュレーターに交換する。
燃料タンクをフルにして
輸送用トレーラーから鉄脚のまま市街地のアスファルトに降りた。
緊急車両ではない重機が優先され、消防士や警察官、自衛官、一般市民が交通誘導した。
重MSで瓦礫や潰れた車両、電柱を路上から強制排除しながら国道を鉄キャタピラで走行。
普段、街中では疎まれている大型重機もオペレーターも既に足りなくなっていた。
泣きながら救出を待つ家族の目の前で息絶えた遺体を倒壊した家屋の下から探し出した。
家も病院も安置場所も無く葬儀もできない多くの遺体がシーツに包まれ舗道に並べられた。
真冬の夜に家も電気暖房も無く、被災者は倒壊した自分の家を燃やし焚火で暖をとった。
暗闇に舞う火の粉、揺らぐ炎が人々の暗い顔を照らし被災地の夜は中世に引き戻された。
消防士、警察官、医師、看護士、市区役所員、教員、鉄道員、皆が被災者だった。
消防署、警察署、病院、役所、GS、駅、コンビニも倒壊する等の被害を受けていた。
死者 6,434名 行方不明者 3名 負傷者 43,792名
多くの知人や友人が亡くなり、多くの人達が生活と人生を変えられた。
自衛隊は即応し災害派遣の準備に入り偵察や先遣隊は来たが災害派遣要請が遅れる。
渋滞と法に阻まれ災害派遣部隊本隊の到着も遅れ本格的な救援活動は三日目だった。
水やおにぎり、弁当、生活用品の配給されるようになったのは何日か後のことだった。
自分は一度だけ地元の人が炊き出した暖かいうどんを頂いた以外、全て自己調達した。
飲料水もペットボトルや湧水を郊外から毎日運び燃料も安全なタンクに確保した。
自分は職業柄、水や電気は自ら作るもので水の重要性を理解し節水にも慣れている。
地震発生から風呂には10日以上入っていないが、湿ったタオルが有れば充分だった。
贅沢は言えない、亡くなった人達はもう二度と水も飲めず暖かい風呂にも入れない。
下着や靴下は替えたが、迷彩の上下は汚れは目立たず何日も洗濯などしなかった。
少々の音や振動、揺れなど平気で何処でも寝れる自分はストレスを全く感じなかった。
だが身寄りのない独り暮らしの年寄りや病人は健康を維持できない過酷な環境だった。
電気を除き、市内の上下水道、ガス、鉄道などのインフラが復旧するまで数ヶ月掛る。
救助活動の後は道路の上を塞ぐ多くの倒壊家屋、障害物の撤去作業が待っていた。
空爆と砲撃で完全に叩き潰された様な街は二度と元通りの姿には戻らないと思った。
発生後暫くはトラック荷台乗車、原付に2,3人乗り、車検切れ、もう何でもありの状態。
信号も機能してないが、皆が譲り合い市内ではクラクションが鳴り響くことは無かった。
フェラーリは走れず埃を被りロングサイズの
メルセデスは
ランドクルーザー77に変わった。
解体の埃と重機やダンプの音、溢れ返る自転車と原チャリの群れにヘルメットとマスク。

歴史あるオシャレな港街神戸は陥落解放直後のサイゴン・ホーチミンになった。
定員積載量が多く機動性も高い四駆ディーゼルの厚いタイヤはパンクにも強かった。
自分には許可標章があり通行できたが、国道43と2号の一部区間が一般車両は通行禁止。
生活・復興物資輸送ルートだけではなく裏道でも慢性的な大渋滞で移動が困難になった。
この交通規制と渋滞は倒壊崩落した阪神高速3号神戸線が復旧する翌年の夏頃まで続いた。
自分はTSだったが陸自偵察部隊が使う XLRなどオフロードバイクは渋滞にも強く役立った。
当時はポケベルもまだ多く、携帯メールやスマホもタブレットも無くノートPCも普及前。
この時、自分は Inmarsat 衛星携帯電話が一番欲しかった。
救急セット、無線機、発電機、ウインチ、ワイヤーロープ、簡易コンロも威力を発揮した。
復興はインフラ復旧と余震や自然に倒壊する恐れのある建物の解体撤去から始まった。
道路や河川、護岸、岸壁改修、擁壁、砂防、防火水槽、シールド、高速や橋梁の新設工事。
忙しい建設業の手伝いを頼まれ工事課長や現場代理人所長として長く務めることになった。
病院、学校、公園、スタジアムから民間のビル・マンションの建築工事も沢山やってきた。
震災で職を失った会社員や商店主、多く人達が慣れない建設業に参加して街を作った。
「がんばろや! We love KOBE 」とか、善意でチャリティーするのは良いし否定しない。
だが毎日、毎日、同じ復興ソングを がんばろや!とラジオで聞かされたら嫌になる。
言われんでも、もう充分頑張ってるが・・・がんばろや!って、これ以上何を頑張れと。
自分は綺麗事は言わない。
家族や家を奪われ理不尽だろうが自然災害は誰のせいでもない。
震災の日に人生を終えた人達、強制的に人生をリセットされた人達がいる。
家だけでなく店や仕事を失った人達に干渉に浸り泣いている余裕も時間も無かった。
食べさせなければならない、何をしてでも食べて行く、それが人の自然な流れだった。
殆どの人は、復興!とか We love KOBE とか、ノリではなくて生きる為、生活の為。
また地震保険を掛けず壊れた自分達の物を自分達で治すのは当り前のことだった。
人間は危機的困難に直面すれば無意識に生存本能と集団的自衛本能が働くものだ。
地震発生から自分も本能と直感に従い行動していたが自分自身の針路変更点が来る。
海上勤務復帰や得意先の官庁や会社から横浜に来るようにと有り難い言葉も頂いた。
超大手企業が資本を出すだけでなく、待遇を保障し住居まで用意してくれると言う。
暖かい心遣いは弟の葬儀の時に分っていた関空オフィスにHQを移乗して仕事はできる。
得意先への義理もあるが、自分は生まれ育った街への義理を勝手に感じ神戸に残った。
叩かれても後退するより前進、ヤラレっぱなしのまま退却や転進するのが嫌だった。
自分の場合は、ただの自己満足である。
「火垂るの墓」
1945年(昭和20年)神戸大空襲 罹災者54万人、死者8千人、負傷者1万7千人
当時、祖母と幼い母と2才の妹は葺合区から叔母の家に移り東灘区の本山で生き延びた。
母達は三ノ宮駅から岡山に疎開、終戦後に神戸に戻り、母方の祖父は大陸から復員した。
三ノ宮駅・阪急電車・布引・御影公会堂・石屋川・酒蔵・夙川・回生病院・神戸の街と言葉
空襲と疎開、駅で置引きに遭い優しい巡査、防空頭巾を肩に掛ける母の写真は節子の様。
三ノ宮駅には母と同年齢で親を亡くし行き場のない多くの戦災孤児が居た事を母に聞いた。
自分にとって「火垂るの墓」は他人の話しではなく、幼い節子が不憫で何十回も泣いた。
清太も駅で衰弱死、ドロップの缶に納められた節子の小さな遺骨は駅員に投げ棄てられた。
すべてを失った節子と清太に比べてはいけないが、自分の被災など恵まれ過ぎていた。
だが帰える家が在りながら、帰りたくても帰れない福島の人達は辛い。
東北の町を襲い全てを奪い破壊する津波に涙が止まらなかった。
神戸では震災で生き残った人が将来に絶望し自ら命を絶ち、老人の孤独死もあった。
でも生きてさえいればバカなことをして笑える。 ただそれだけかも知れない。
実は「日本なら何処でも良い。」とは言わないが、自分は神戸に拘っていない。
北は北海道から本州、四国、九州、沖縄まで日本には好きなところが沢山ある。
自分は熊本や大分、東北で被災した人達に「頑張って」とは言わない。
他人から言われなくても頑張るし、もう充分以上に頑張っている人達が沢山いる。
今は神戸の街も古い建物が新しく建替わり震災の傷跡も見えなくなって来ている。
自分は自宅と会社が半壊の被害に遭い使用不能になって仕事も同時に無くした。
だが他人から言われても、自分自身が「被災者だ」と思ったことは一度も無かった。
それは単に自分が「被災者」という言葉のレッテルが嫌だったのかも知れない。
多くの人が亡くなったが自分はケガ一つ無く生きているだけでも儲けものだと思った。
被災者=弱者、難民同様に気の毒な人達というイメージも自分は好きになれない。
実際の被災者は災害の敗者ではなく災害に齎された困難と戦っている人達だと思う。
これは自分個人の定義で当然、お年寄りや病人、女性や幼児は平時に於いても弱者。
強い余震が続くなら被災弱者は暫く地元を離れ政府が用意した無料宿泊施設を利用。
大型フェリーやホテル旅館、県外の公営住宅に滞在して心身リフレッシュも良いと思う。
弱者は被災地で無理に頑張らなくても良い。
熊本城は日本人すべての違産、阿蘇、由布院は日本が誇る名所であり心の故郷。
日本中の人が貴方達の味方、熊本や大分だけではなく日本の国が貴方達の故郷。
子供達には被災地での大人達の手伝いも疎開して違う町で過ごすのも良い経験。
心に無理をさせてはいけない、繊細な女性や子供達はPTSDになる。
地震の直撃を受けた方々は、みんカラを見ていると思えないが。
九州で頑張っている皆さん、健康と安全が第一。
「原発が無ければ死ぬ人は少ないだろ。」・・・
いい加減なことを言うな。 原発で何人亡くなったのか?
「朝鮮人が井戸にキムチを投げ込んだ!・・・象やライオンが逃げ出した!」
無責任にデマを流し混乱させて喜ぶバカがいる。
「民主党が学校のプールにガソリンを溜めるぞ!」・・・安住、お前はバカか。
これはデマではなく、本気で言ってたから本当にヤバかった。
揮発気化引火誘爆、小学生でも判る事が解らん奴らが国会議員・・・Orz
コンクリートから人へ?
違うだろ。
左巻きのバカには解らんのだろうが、コンクリートも人も強化が必要だ。
東日本大震災では火に油を注ぐような非常識なことを言うアホ議員が政府を運営していた。
菅直人内閣・・・北朝鮮献金問題で退陣寸前の首相官邸はメルトダウンを隠した。
無能な総理が浅知恵と見栄で干渉し現場を混乱させ嘘をつき初動や避難を遅らせる。
枝野は直ちに影響は無いと己だけ完全防護服を着て自分の家族は海外に非難させた。
農相赤松は口蹄疫を無視し対応せずに外遊して宮崎県と農家に早く殺せ!と喚いた。
「2~300年に一度の洪水の為にスーパー堤防を作るのは無駄使い!」???
治水の重要性を理解出来ない民主と共産のアホ議員が人命を救うダムや堤防建設を凍結。
蓮舫は事業仕分け地震再保険特別会計・学校耐震化予算・スーパー堤防を廃止した。
民主党は耐震や河川拡張護岸整備を潰し国土強靭化と自衛隊の強化を反対妨害した。
本当に悔しいが、幾ら想定し備えても備えきれないのが自然災害。
また個人的な事情に生活環境や経済力の違いもあり、全ての住宅に耐震補強は施せない。
免震耐震補強と耐火防火を施しても強大な津波の破壊力に前には高い防潮堤も非力だ。
河川拡張護岸整備にも限度があり、山崩れ洪水に対して家屋補強は頼れる手段ではない。
転居もまた先祖代々親兄弟と引継いで来た稼業や家土地、田畑も簡単には棄てられない。
防災には限界があり自治体は避難と救助計画、生活復旧体制を整えるのが責務である。
備えあれど憂いあり。
自然災害から国民の命を護る公共事業を無駄使いと言うな。
学校・病院・河川・海岸・治山治水・道路・鉄道の強化は計画し始めてから何年も掛る。
何もしない無能野党はせめて安倍政権が推し進める国土強靭化計画の邪魔をするな。
「安倍は初動が遅い!口だけ無能安倍はスコップ持ってけ!神は安倍政権を見放した!」
バカがバカを言うな。
民主政権下、現地に向かった従弟の陸自災害派遣部隊は前進途中で停止命令を受ける。
PAで長時間待機させられた挙句、駐屯地まで戻され数日後に再出動し被災地に向かった。
「安倍は高級スーツを脱いで作業服を着ろ!現地へ行って食糧や毛布を配れ!」
首相が現地へ行けば行ったで批判する。
「自衛隊の災害派遣なんて存在意義を誤魔化すためのパフォだからな。」・・・
お前らはいったい何処まで捻くれ性根が腐っているんだ。
泣きながら無事を祈り救出を待つ家族の目の前で
倒壊家屋の下から遺体を掘出してみろ。
瓦礫の中から遺品が見つかる度に重機を停めて、泣いている遺族と一緒に手を合わせた。
こんな自分でも瓦礫と悲しみの重みに押し潰され、何度も胸が張り裂けそうになった。
被災者にとって瓦礫は単なる廃棄物ではなく遺品であり想い出、生きて来た印だった。
東北の瓦礫処分受入についてもネット上で根拠もない無責任な拡散と誹謗中傷が酷かった。
安倍が、安倍は、安倍の、毎度、毎度、災害が起る度に無脳サヨクが湧いて来る。
被災したでもなく、何にもしない、何にも知らない連中がネットでせっせと政権攻撃。
国土強靭化と自衛隊の強化に反対した奴らが無神経に被災者に成りすまし政府を喚く。
非常時、国難まで野党と野党支持者の安倍憎し政府政権批判のツィートや書込は目に余る。
これを災害被災者の政治利用と言う。
建物の防災耐震補強も重要だが、人への耐心補強も必要だ。
困っている者が、より困っている者を支え、弱い者が、より弱い者を助ける。
心身が健康でも、これができない、しない大人がいる。
だが被災地では学生から小さな子供達まで大人を手伝っている。
自衛隊に「がんばり賞」 熊本・西原村の子どもたちが手作りの賞状を贈る。
「迷彩服で学校に来るな」と言い、自衛隊の配給待遇に不満を言うダメな大人達がいる。
じゃあOD、カーキや黒一色なら文句ないのか。
己の思想アレルギーや偏食、贅沢を子供達にまで押付けるな。
自衛隊はケータリング出張サービス風呂屋ではない。
被災者に暖かい食事を提供し自衛官は缶飯やレーションを食べサービスに務めている。
また東北では学校で先生と一緒にいながら津波から逃げられず多くの子供達が亡くなった。
教育者は思想教育に励む前に子供達の生命を守る方法手段を学び教えるべきだ。
「迷彩服の戦闘集団ではなく災害救助を目的とした国際救助隊を作れ。」・・・
アホか。
救助ヘリ、輸送病院船、救難飛行艇、輸送補給車両、化学防護車、重機、装備医療品
これらを自衛隊と別に運用する為に掛る余分な人権費、維持費、訓練学校、基地施設
我儘を言う、お前らが払え。
日本全国に優秀な消防レスキュー隊、警察救助隊、機動隊が既にある。
消防や警察だけで人員装備が足りず緊急を要するが故に自衛隊と海保が支援している。
災害や訓練が無い時は災害救助隊に何をさせるつもりか。
は?国際救助隊を作れ・・・
サンダーバードの留守中に日本で大災害が起れば本末転倒、全く意味が無い。
「軍部独走だ、クーデターだ。」・・・
災害派遣をシビリアンコントロールと絡めるバカども。
現実の災害非常時に政府が現場に対し細かい指示を出すなど非効率、不可能である。
指揮系統遵守は当然だが通信麻痺や指揮中枢が被災すれば全体機能に支障をを来す。
非常時に現場は臨機応変に対応行動し現場から政府に要求や指示を出すことも正流だ。
日本国憲法は国の主権者たる国民の生命と自由、幸福追求の為になければならない。
自分は重機で国道を鉄履帯で走行し潰れた家屋や車両、電柱を路上から強制排除した。
車検も自賠責もプレートも無い重機の公道走行は道交法も運送車両法にも違反 している。
当時、例え潰れていても家屋や車両は個人の権利、所有者の確認許可なく撤去できない。
明白な憲法違反だったが救援救助の障害は憲法も民法も無視して現場が独断で撤去した。
常に最悪の事態を想定し、最悪の事態に備え、最善を尽くす事が国家と政治家の責務。
人命と国民の利益を優先し、憲法も法律も時世の変化に拠り改正整備していく必要がある。
また災害派遣を要請するのは市民ではなく内閣総理大臣や各地方自治体の長である。
総理大臣や知事の危機管理意識や判断能力など動きが鈍ければ派遣要請が遅れる。
自衛隊や救助隊がいくら優秀でも到着や初動の遅れは死者を増やし被害を拡大させる。
脳天気、無能、お花畑が総理大臣や知事なら市民は災難、国民を不幸にする。
地震発生後、自分が自宅を出て事務所で車を乗換え打合せ祖母を収容するまで約4時間。
この時点に至っても村山総理大臣も貝原兵庫県知事も自衛隊に派遣要請を行っていない。
これに因り自衛隊の派遣要請を市町村長や警察署長が行えるように改正された。
当時、一早く救助体制を整えた横須賀在港の米海軍第7艦隊が空母インディペンデンスでの救援を日本政府に申し入れたが、自衛隊の派遣にも遅れた村山政権は受入体制の未整備を理由に米軍の支援を拒否した。
阪神の時も、そして今現在でも自衛隊の災害派遣や米軍の支援に反対する者がいる。
被災者の生命健康より、自分の政治思想を優先する愚か者が偽りの平和を言う。
偽りの平和に騙され、溺れたり付き合わされ犠牲になるのは弱者だ。
これを無能政治家、偽善者の人命軽視と言う。
今回の熊本地震では援助物資輸送支援に当たっている在日米海兵隊所属の垂直離着陸輸送機 MV-22オスプレイの救援活動を何時ものメディアが批判的に報じた。
「必要性に疑問の声、露骨過ぎる同盟のPR、オスプレイの安全性宣伝だ。」
「政府は誤魔化すな!米軍オスプレーは救助活動は例外で戦争目的だ。」
「危険なオスプレイよりCH-47の方が安全でオスプレイより物資輸送に適している。」
何を根拠に・・・
CH-47JAは熟成された信頼性も高い良い機体であり自分も好きだ。
だか速度、航続距離、作戦行動範囲などMV-22の性能には及ばない。
援助に必要性? 同盟国が協調し、オスプレイの安全性を証明して何が悪いのか。
ボランティアを装い被災地でビラを巻き政治思想活動をやる奴らはどうなんだ。
アホの眠辛党 原口がまた・・・
「砂を吸い込んで落ちるオスプレイが噴煙に対して大丈夫なのか、是非やめて欲しい。」
なら、お前が運べ。
オスプレイを避難所に直接降下着陸させたり砂漠で使う Desert Storm ではない。
MV-22 オスプレイもサンドフィルター改良が施されている。
CH-53 シースタリオンは成熟発展しているが墜ちる時は墜ちる。
毎度アホ過ぎることを言い被災者を不安にさせてるのは、お前ら低脳民進党だ。
これを救援活動の妨害と言う。
MV-22オスプレイの性能云々以前に他国からの緊急援助の申入れに対し援助物資輸送機の機種にまで難癖つけるは無恥な非常識。
左傾バカも休み休みにしろ。
援助物資を待ち望む被災者の立場になって考えろバカども。
被災者は輸送機がオスプレイでもチヌーク、シースタリオン、竹コプターでも良い。
民共はまったく被災者を無視して国会で不毛な質問を繰返しバカな政権批判をやる。
国難や非常時くらい政府の足を引き邪魔するのを辞めよ。
Operation Tomodachi 「トモダチ作戦」
東日本大震災の甚大な被害に対して米国は陸海空3軍と海兵隊が連携して統合軍の形態を執り、将兵2万4000名、航空機190機、艦艇24隻、数100台の輸送及び工事用車両が自衛隊と共に人命救助や捜索救難活動、救援物資輸送、災害復旧に参加した。
現地では被災した多くの人達が同盟国米軍の迅速且つ、暖かい救援に感謝している。
休暇を返上しボランティアで災害復旧作業をしてくれる多くの米軍兵士諸氏に感謝したい
アリガトウ。
だが左傾マスコミは故意に報道を避け、沖縄と北海道の左巻地方紙は感謝するどころか
「救援で在日米軍基地の重要性を不謹慎にアピールしている。」と恥知らずな記事を載せ
「震災の政治利用は厳に慎むべきだ。」と何もしない奴らが礼儀も知らず救援を批判した。
「米軍に頼るな税金泥棒、全自衛隊員を現場に行かせて働かせろ。」・・・
アホの極み。
即応する自衛隊も陸海空、施設、掃海、高射、担当任務も部隊装備も全く異なる。
それでも普通科以外の連隊からも災害に対応し救援部隊を編成し派遣している。
陸自にいる従弟の所属は機甲科戦車部隊だが福島に長期派遣され他の災害にも出動。
ナホトカ号の重油流出事故にも派遣され漂着した重油の回収作業に従事している。
自衛隊が動けば武器弾薬を置いても人員・食糧・燃料などの補給、兵站が必要となる。
左翼ゾンビどもよ、たまには死んでる脳ミソも使え。
大体、全海域、空域、駐屯地を留守、空っぽにしてどうする。
この間にも中共は日本の領海を侵犯し、防空識別圏に侵入挑発を繰り返している。
挑発は大規模な災害時に於ける陸海空自衛隊の防衛体制を偵察する意味もある。
日本の災害時に周辺国に拠る侵攻や動乱、衝突紛争勃発の可能性は無視できない。
また同時に他の地域で別の災害やテロなど不測の事態が発生しないとも限らない。
近年、度重なる災害出動で自衛隊の災害派遣部隊としてのスキルは上がっている。
自衛隊は常に即応、組織、志、心身、知識、戦術、装備共に精強であれ。
自分が懸念しているのは兵力装備ではなく実力部隊としての有時の即応性と戦闘力だ。
応射反撃もない動かぬ標的、予算消化と無事故だけが目的のイベント、お祭り的演習。
一度の実戦は100回の演習に匹敵する。と言わないが実戦に即した訓練を増やすべき。
上にも記したが指揮系統遵守は当然だが通信麻痺や指揮中枢の機能喪失も有り得る。
合流集結を優先するも「兵は考えるな」ではなく個々責任を持ち考えて任務を遂行させる。
部隊の孤立時には臨機応変に小隊、班単位で対応行動または遊撃できるスキルも必要。
また情報管理、民間よりスペックが劣るPCやOS、通信機を使うのは如何なものか。
演習で紛失したと称する30万円程の小銃一丁を莫大な労力掛けて師団に捜索させる。
銃火器や官給品の紛失は以ての他であるが、解決の方法が間違っていると考える。
法改正し自衛隊内に軍法による捜査取締など警察権、裁判権を持つ組織も必要である。
「支援のやり方も甘い、自衛隊きちんとして欲しいね。」・・・
自分はホルモンは食べない。 特にミノは焼いてもモンタは食えない。
自衛隊の動きが悪いと言いながら、法改正に反対し今でも少ない防衛費削減を言うな。
自衛隊の災害派遣部隊の支援装備充実も防衛費に含まれる。
日本国自衛隊は日本独自の誇りある最強の実力組織であり、その責任を自負している。
これからも自衛隊は日本の国土国情の変化に合わせ柔軟に進化して行かなければならない。
「これまでの教訓が活かせてない。」・・・
バカの一つ覚え。
教訓と一口で言っても、北海道南西沖から中越、阪神、東北、御嶽山、台風、豪雨、洪水。
一つ一つ被災地の地域性や被害の規模、種類、季節、期間、被災者数に年齢層も違う。
発生時間により就寝中、通勤帰宅途中、就業就学中、自宅、車内、野外、被災場所も違う。
残念ながら中越、阪神の後で起きた東日本大震災では2万人近くの方が亡くなっている。
突然の自然災害に見舞われ犠牲になられた方に何の罪も落度もない。
阪神大震災の教訓は自衛隊と米軍アレルギーのバカ左翼を国政に介入させない事である。
奉仕活動は良いことであるが、ボランティアとは即ち「志願兵」「義勇兵」。
困っている者が、より困っている者を支え、弱い者が、より弱い者を助ける。
自分は聖人でも善人でもない。
重機の操縦から始まった撤去救出、捜索救助、消火防火誘導は人して当然の義務。
水食糧・医薬品輸送、病人搬送、安否確認、哨戒巡回防犯、乗合バス、通訳なども
自分ができる範囲の人助けや奉仕は当たり前のようにやって来たつもりだ。
被災した小学校や老人ホームにも行ったが、ルミナリエ会場の清掃は違うと思った。
震災当時の悪いイメージがあり正直、自分はボランティアと言う言葉が好きじゃない。
自分はボランティア活動をした。とは思っていないし ボランティアに向いてもいない。
ボランティアより、応援や支援、御手伝い、援け合いという言葉なら自分も抵抗がない。
医師や看護市、介護士などのプロフェッショナルで組織的な支援は本当に有難い。
プロでなくても目立たない地味な汚れ作業をコツコツやれる人は皆の助けになる。
社会勉強や点数稼ぎ、自己満足であっても被災地の為になるなら構わないと思う。
だが準備も心構えもなく被災地の足を引き負担を増やすだけなら行くべきではない。
アレはしない、コレはできない、では返って現場の迷惑になることも実際にあった。
ボランティアを装い被災地でビラを巻き政治思想活動をやる左翼どもはカスである。
当然だが、被災した全ての人が善人ではない、また被災しても善人にはならない。
勿論、自分を含めて神戸にも悪い輩がいる。
無料の住宅に住み義捐金や生保を貰い健康でも奉仕もせず働かず仕事も探さず。
たまに気分転換は必要だろうが、毎日、避難先でパチンコに通ってた奴もいる。
このように被災地にも礼儀知らずで感謝どころか横柄な態度をとる人もいる。
反対に来てやってる助けてやってると態度に出ている横柄なボランティアがいた。
感謝を求めないはずのボランティアが頭にきてトラブルを起こすのは以ての外である。
また現地に乗込むだけが、ボランティアではなく後方支援でも充分、人助けになる。
当時も被災者に無料で配給する飲料や弁当を平気で食う遠征自称ボランティアいた。
ボランティアは自給が前提だが食糧に余裕があり汗を流した人は一緒に食えば良い。
自分はボランティアの若い学生達に飯を奢り、差入したこともあるが賄賂ではない。
マスコミも然り。
地元紙や地元局は作業の邪魔をせず、被災地に必要な情報を取材し流し続けてくれた。
地元の記者やカメラマンも被災していたからだ。
インフラの復旧状況や病院の受入、仮設住宅の受付、役所の手続、代替交通の情報。
自分は毎晩、TV画面に流される死亡者の名簿の中に知人や友人の名前を見つけた。
報道しない自由を最大限発動させる左マスコミが「ジャーナリズムの危機」などと嘯くな。
災害を政治に絡めて偏った目と耳を通し偏った煽動記事しか書けない脳ミソが偏った頭。
己の愚かさに気付かないバカどもは一党独裁国の思想壁新聞、折り込みチラシ以下だ。
救援作業の邪魔をしたり被災者の気持ちを無視した強引な取材や無神経な撮影をやる。
国民の代表に選ばれてもいないマスコミに何の特権があると言うのか、野次馬にも劣る。
過去の災害を検証し過ちを反省、教訓を活かさず一番学習出来てないのはマスコミである。
被災地の不自由な生活の現状を伝えることは重要なマスコミの役目の一つだ。
だが被災した人達が政府自治体に不平不満ばかりを言っているようにとれる報道をするな。
自分は瓦礫の夜間撤去作業で重機に乗って、Nステーションの生中継に出たことがある。
アングルや照明の事前調整、要求、本番の時だけ作られたレポーターの高いテンション。
ヤラせとは言わんが、これを現場の実況中継、ニュースと呼べるのか。
そう言えば国会議事堂前で人命、人権、生活保障を喚く、シールズが全く静かだな。
災害大国日本。
古来、災害列島に暮らす日本人は自然を恐れ神を敬い知恵を絞り助け合い生きて来た。
日本列島では災害は持ち回り、被災は回覧板。
地震、津波、台風、洪水、被災地の順番は何時か回って来て明日は誰かが被災者になる。
被災してない地域の者が極端に自粛することなく通常の経済活動で被災地を支える。
そして復興した被災地が次の被災地を支える支援リレーを続けていく。
とは言え無理や背伸びして支援する必要はない、出来る時に出来る事だけで良い。
何も出来なくても心中に留め置き被災した人達の健康や再建を祈るだけでも良いと思う。
人が家族や周りを優先するのは当然であり、家族を守れない者が他人様を守れない。
故に他人を優先し自己を犠牲にできる自衛官、警察官、保安官、消防士には敬意を払う。
また日本には会社や己の利益経営を無視して支援援助してくれる企業や人達が多くいる。
感謝。
愁傷を口に出したり文章にする必要もないし「自粛しろ不謹慎だ。」を振り回す意味もない。
嫌なら無視すれば良いし、一見不謹慎な奴が裏でめちゃくちゃ支援しているかも知れない。
実際に家族や家、仕事を失った者でなければ、被災地と同じ気持ちや立場になどなれない。
現在、同じ神戸の街に住んでいても体験者と非体験者の間には見えない境界線がある。
また、同じ日に被災しても地域や被害の度合に拠って考え方や生き方さえも違って来る。
自分の裁判相手の
腐れ外道や
部長のように喉元過ぎれば熱さを忘れた人達も多くいる。
しかし同じ国に暮らす者が、まったく無関心ではいけないだろ。
自分は政府から水や食糧配給、仮設住宅、支援金も義捐金など1円も受取っていない。
ただフルスケールで被災者を支援し被災地を復興するには税収を上げないと金が無い。
被災した人達のことなどどうでもよく、2%増税の方が気になり自衛隊を疎み忌嫌う者よ
繰り返すが日本は災害大国、日本に安全な場所など何処にも無い。
大型台風に大洪水、震度7、マグニチュード9 以上の超巨大地震に大津波は必ず来る。
また無差別な犯罪テロや核弾道ミサイルが飛んで来ないなどと誰にも約束出来ない。
覚悟し心せよ、明日は我が身だ。