2016年03月19日
前項で尾崎豊の「卒業」を取り上げたのでこの機会に。
以前にもちょっと書きましたが私が尾崎豊を(きちんと)聴いたのは彼の死後で
そんなニワカの私が訳知り顔するのもおこがましいのですが
一応一通りアルバムは聴いてきた中で一番好きな曲はこの曲です。
シェリー 俺は転がり続けて
こんなとこに たどりついた
シェリー 俺はあせりすぎたのか
むやみに何もかも 捨てちまったけれど
シェリー あの頃は夢だった
夢のために生きてきた 俺だけど
シェリー おまえの言うとおり
金か夢か わからない暮しさ
若い時には誰もが辿る自己確立の過程。自分探しの旅。
正しい生き方、あるべき自分を探し求め、道に迷い、もがき苦しみ
崩れ落ちそうなアイデンティティーを必死で取り繕わなければいけない時・・・
それが実在する具体的な人物であれ、漠然とした肖像であれ、
人は自己承認出来ない自分を、認め、許してくれる他者を心に描く。
そんな想いを、尾崎はこの「シェリー」という名に託したのではないでしょうか?
転がり続ける 俺の生きざまを
時には無様な格好でささえてる
シェリー 優しく俺をしかってくれ
そして強く抱きしめておくれ
おまえの愛が すべてを包むから
10代でデビューしてすぐ「若者のカリスマ」として崇め奉りあげられた尾崎豊。
それとは裏腹に後年の彼の創作活動は作り上げられたイメージからの脱却と
新しい自分への再生(誕生)の為の自己確立の戦いでした。
そんな時も彼を支えたのは、彼の心にいる「シェリー」だったのではないでしょうか。
シェリー いつになれば 俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば 俺はたどりつけるだろう
シェリー 俺は歌う 愛すべきもの すべてに
26歳と言う若さでこの世を去った尾崎豊。
彼の最後の言葉は「僕、本当に勝てるかな」だったと伝えられています。
はたして彼の「シェリー」は、死の間際、尾崎になんと答えたのでしょうか・・・
尾崎豊の死は世の若者たちに立ち直ることが困難な程の衝撃を与えましたが
同じように影響を受けた人物は芸能界の中にもいました。
ドラマ「北の国から」の「純」役でお馴染みの吉岡秀隆さんです。
幼少期から芸能界に身を置き、北の国からで一躍時の人となった吉岡。
そんな彼が尾崎豊に心酔し兄として慕うようになっていったのは
「世間から与えられた自分」と本当の(あるべき)自分との間で葛藤する尾崎の姿が
吉岡秀隆自身の境遇と重なったからなのかもしれません。
そう。彼にとっての「シェリー」が、尾崎豊その人であったのかもしれません。
そんな彼が尾崎の死の二年後に書き上げたのがこの曲。
一人ぼっちで僕はどこまで
歩いてゆけるというのか
背負いきれぬ痛みの数だけ
夢を見てしまうのは何故だろう
闇の中 君の言葉を信じて生きてきたさ
もう君の後も追えない
光をなくしてしまったまま
自らの主演映画の主題歌として作られた曲ですが
彼自身が作詞した歌詞の内容も、絞り出すような独特の歌唱法からも
尾崎豊へのオマージュの色合いが強いことが窺い知れますね。
今こうして歌ってる 君の痛みを抱きしめたまま
今こうして歌ってる 生きてくつらさをかみしめるため
君のために
今では味のある個性派俳優として立派に大成された吉岡秀隆さん。
彼の「シェリー」は今でも彼の中で変わらず生き続けているのかもしれません。
そして今、尾崎豊のDNAを受け継いだ若者が父がこの世を去った年齢になり
一人のシンガーとしてマイクの前に立つまでになっています。
少し前までは父・尾崎豊の楽曲を歌って一部メディアに取り上げられたりしていましたが
今はオリジナル曲を作りCDデビューを目指して地道に活動をしているそうです。
歌の道を進む限りどこまでも付いて回るであろう「尾崎豊の息子」というレッテル。
その大きすぎる看板とどう向き合い、そして乗り越えていくのか?
彼の行く道が決して容易くない棘の道であることは想像に難くありませんが
父から受け継いだ声と、敢えてこの道を選んだその熱意さえあれば
おのずと道は開けるような気がします。
まだ2歳の幼子を残してこの世を去った彼の「シェリー」は
今、空の上で息子の成長をどんな思いで見つめているのでしょうか?
Posted at 2016/03/19 04:47:55 | |
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