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菊菱工廠のブログ一覧

2025年01月05日 イイね!

サバーバンのパーツ集め~時計付きメータなど

今年最初の更新は、みんカラらしく車ネタで。
また1年間、どうぞよろしくお願いいたします。


Instagram投稿とは前後しますが、車がまだ来ていない内に部品が集まってきました。
去る2024年12月、茄子の時期となりましたので第2回の輸入を敢行。
アメリカ各地の出品者から購入したモノが、うちのサバーバンの地元でもあったLAへ集合、空輸にて到着しました。



かさばるものがありましたので2個口。
国際送料は諭吉さん改め渋沢さん2人くらい。
発送指示は熱に魘されながら。



中身その1。

大量の梱包材(アメリカ独特の香りのするあの紙)を抜き出して、出てきましたのがこちら。
まずは小物系…エンブレム類と純正シフトノブ、そしてジャッキ工具。
当時はコロナから病み上がり切っていない頃の事で、開梱だけで疲れる始末。



この「2500」のエンブレム、1500の方は国内でもちらほら売っているのですが、2500となると皆無。
実際に2500の積載量・牽引力を必要とするパターンは国内では稀でしょうし、一方でボデーは一緒なので、並行輸入車は2駆も4駆も1500が圧倒的多数なんでしょう。
そして、アメリカンなサイズを追求するなら一気に3500になりますから、敢えて2500を選ぶのは…変態か通か。

これはフロントドア前端に着くもので、モールに重ねるタイプと裏がフラットなタイプで型番前後賞。
うちのはモール付き(シルバラード)ですのでモール用。

シフトノブは現状ビレット製に換えてあるため、純正品確保の意味で買ってきました。
一応あちらもノブ部分がネジ込みで外れるのは確認済みながら、HURSTノブのピッチ変換アダプタが合うかどうか不安だったので。
しかし…



アンタ、スプラインなのかい。
これを合わせるにはタップを立てないといけませんね…
アダプタ以前の問題でした。
そのままビレットを使おうか。

ちなみにこちら、ステアリングコラムのチルト有無で内部の爪が違うようです。
ちゃんと自車がw/tilt columnかどうかチェックして買いましょう。



次。「SILVERADO」のバッジ。
リアドア後ろのピラーに貼るもので、これまた角の丸いのと角いのがあります。
89年式は角い方ですが国内に無いので輸入です。お安いリプロ品ながら良い感じ。

後はバックドアの「SUBURBAN FUELINJECTION」で、前回も買ったものなので割愛。
水染みから劣化していくようなのでスペアです。

ジャッキ工具については、ジャッキ本体しか無かった事に気づいて急遽購入。
サバーバンを含めたSquarebody世代各車は、ジャッキと関連工具がエンジンルームに格納されます。
年式やボデータイプによって若干異なりますが、各工具がタイヤハウスの上に金具で留めてあり、サバ―の場合は運転席側にジャッキ・助手席側にクランクとホイールレンチです。
それが微妙に写っていた写真を見たところ、固定金具しか無かったようでした。

国産車だとレバーとレンチを合体させてジャッキのクランクにするのが定番な一方、こちらはクランクが2つ折りの1本モノになっています。
車体が大きい上にサスアーム(ホーシング)へかけるジャッキのためか、かなりの長さになります。
クランクのピッチが何となく小さい気がするものの、恐らくはスクリュージャッキなのでしょう。

ところで君、「だろう」「でしょう」を多用するレベルで車買ったのかい?
そうさ…俺はまだ、実物を3回くらいしか見ちゃいねぇ…

誰と話してんだ。横浜最速伝説。
Limousineは2代目タウンカー後期、BlackDragonはC3コルベット前期で、アメ車もちょっと出てくるんですよね。アレ。



初めて現車確認した日の写真。
ジャッキはこの右端に写っている黄色ラベルの奴です。

パッと見は油圧のボトルジャッキながら、よく見ると回せるっぽい部分が。
説明書を見る限り、昔ながらのバンパージャッキらしいです。
クランクとレンチは左端、ウォッシャタンクの裏を通して固定します。

で、ホイールレンチは…まぁ装備品でしょうね。実用するのは手持ちの奴をソケット交換すればよろしいかと。



中身その2。大物です。
メータクラスタとステアリング。
ステアリングは前も買ったじゃない。というところですが…





この違い。分かるでしょうか。
前に買った方はシボ加工のみですが、今回の方は革巻き風にステッチ模様があり、プレスラインも追加されています。
前回のはアストロ他用で、ステッチ付きの方が本来のサバ―用なのです。
まぁ…どうせ社外にするでしょ、と言われればそれまでですけれども…グラントのウッドにしたいなぁと既に考え中。



ホーンパッド無しでしたので、前回のから移植して完成。
これでとりあえず純正戻しができる。



お次にメータクラスタです。これが今回のメイン。
81年以降のガソリン車用。ディーゼル車用は燃料計のコーションが「DIESEL FUEL ONLY」になります。
取外し車種は「81~87年のSquarebodyのどれか」以外は不明です。
後から気づきましたが、88年以降はトリップメータのリセットノブが付きます。

お目当ては写真の通り、左下の時計ただ一つ…まぁ不随するインナーパネルとレンズもですけれど。
これも年式やモデルで様々あったらしく、Squarebodyではここがただの蓋になっている場合と時計の場合があります(79年以前だと、上段も含めて4眼警告灯のパターンがあったようです)。
そして、サバ―は乗用ワゴンの味が強かったにも関わらず、一貫して蓋だったみたいなんですね…時計はオーディオに付いてるでしょ、という事か。

で、立派なオーディオを乗せる気のない私としては、メータが一個空いているのも気持ち悪いので埋めたいところ。
なので純正時計を移植してしまえと、メータごと買ってきました。
タコメータが無いのでそれでも良かったんですが…

うちのサバーもこのメータ同様、大きい2眼の片方が思い切り燃料計となっています。
ガス欠が時に生死を分けかねない環境や、イージーオペレーションを重視する設計思想が窺えるかと。
勿論、国産車同様タコメータの場合もあったようですが、細かい車種別の詳細はまだ調べきれていません。

それでサバーのメータについて調べると、時計無しメータはハウジングの裏面が塞がっている模様。そりゃそうか。
「蓋」についてもインナーパネルと一体成型のようなので、クラスタ丸ごとを買って正解だったようです。
しかし時計無しでも内部のビス用ボスは立っているらしく、ハウジングに穴を開けてしまえば移植できるっぽい。
プリント配線も時計の部分は丸く抜けているのが共通のようでした。

なお、時計は時刻合わせノブの位置で2種類あり、8時位置のこちらは81年以降用。
73~79年用は12時位置にノブがあります。
…80年はどうなんだろうか。前期グリルで唯一の角目だから前期準拠かな。

そして先に書いた通り、このメータにはトリップのノブがありません。
なのでうちの89年以前のタイプ…時計用のレンズ穴あけを避けたかったのに、結局要加工。
しかも時計の穴にはブッシュが入るので、加工跡は隠せるという…
現車が来たら見比べて考えるか。



メータの梱包箱にはこんなラベルが。
出品者さんのショップですね。
イラストもモンスタートラックに改造された最終型K5ブレイザー。
アメリカらしくて良い雰囲気です。



肝心の時計は、端子が錆びていて不安でしたが無事動作しました。
本来はコネクタながら、端子自体は平型250でした。使う時もそれで良いでしょう。

それにしても、Squarebody各車はリプロ・カスタムのパーツ供給やユーザ人口も多く、大体の事はDIYの方法が動画で見られます。
当然、時計を移植した方もおられまして、電源の取り出し位置も教えてくれていました。
人気のある車種だとこういった点が助かりますね…
「古いアメ車入門ならオールドシェビー」と聞く理由が窺える気がします。

という事で、来るべき納車を夢見つつ準備です。
時計の取り外しと清掃、レンズ・インナーパネルも外して綺麗にします。
現車のハウジング開口を済ませれば、後はこの3点の移植で良さそうです。



レンズが外れました。
いきなりインチの洗礼を受けまして、レンズの固定ビスは1/4の六角頭。ソケット買いました。
しかしシフトインジケータだけは7mmという謎よ。



ところで、メータには謎のデバイスが付いてきました。
調べるとクルコン用のスピードセンサだそう。成程。
ではこのメータも、何かしらのシルバラードから取られた可能性が高そうです。



レンズとインナーパネルを洗いました。
レンズの傷をどこまで磨けるかが勝負かな。
インナーパネルは、箱入りお菓子のトレーをちょっと厚くしたような感触。
バキューム成型かしらね。
一か所亀裂がありますので補修しておきましょう。





そしてこの傷を…





磨きました。先にInstagramへ上げた写真です。
この後に「ノブが無いな」と気づいた訳で…



一方の時計。
時刻合わせノブは軸が錆びていましたので、軽くペーパを掛けて塗装します。
併せてノブのメッキも錆び落とししてリフレッシュしましょうか。
動作も数時間ずつ見てみて問題無さそうでした。
筐体はブリキのおもちゃよろしく、スチールの爪を曲げて組んであります。
動いているので、無理せず分解はスルー。

なお、これ自体も単体でリプロの新品が手に入ります。
ですが、レンズ等々周辺の物も欲しかったので、敢えて今回は中古狙いでした。



こんなもんで良いでしょう。
なお、乗せられていた年齢の頃も含めて、アナログ時計の車は記憶上初体験。
「これがメータに付くのかぁ」と眺めつつのテストでした。
当然ながら常時電源ですので、キーを挿さずともずっと動いている訳です。


という事で、そろそろボデーの仕上がった姿でも拝みたい今日この頃でございました。
次の輸入ではフードマスコットでも買おうかしら。

ついでに言うと、前車パジェロはまだ販売中。
素性は確かなので狙うなら今です。
本アカウントを特定下されば、癖やら何やらのご説明もいたします故。
サバ―の納車とパジェロ次オーナ決定はどちらが先か。
Posted at 2025/01/05 22:13:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車(サバーバン) | クルマ
2024年12月28日 イイね!

貴重なフラットエンブレム 芝浦電氣扇 2020型(初期生産タイプ?) 大正7年頃



さて、コロナに罹る未来が待っているとはつゆ知らずの11月。
ここは自宅の工作室。整備済みの陳列2軍機達と、レストア待ち個体の置場。
いつもと違う書き出し。

今回のターゲットは、トラックの荷台裏から頭を覗かせている奴。
このトラックも製作から2年、まだ外では走らせていない状態…何しろデカくて重いので、1階へ降ろすまでも方法を考える必要があります。
製作時に付けたナンバーの期限が切れてしまいました(笑)
屋外未走行の内にリメイク入るかもしれません。
スマトラ風で作った筈なのに、フロントリッドだけジャワ風になってるし…



この記事の主題は扇風機です。
目的のものを引っ張り出してきました。
収納のために分解してあるので、入手直後からこの状態。
入手の正しい年月日は不明…ですが、今の家に来てからなので5年以内です。

大正時代の雷光ガード採用機、その中でも割と初期の型として定番の芝浦2020型。
12吋の首振り無し。カタログでは「並型」と呼ばれるタイプ。

実は既に、大正8年型の同型番を整備済みで持っています。
10年ほど前、2000番台で最初に買ってレストアした個体だったと思います。
では何故買い増ししたのかと言えば…





エンブレムが違うから。
この型以前の(例えば2005型等)に見られた、芝浦でも特に初期のフラットなエンブレムが付いています。
更に…



エンドキャップも無印で深い形。
マイナーチェンジ前の形状と見て良いでしょう。
その他にも違いがちらほらとございます。
全体のコンディションは然して良いとは言えないながら、これまた地味にレアな1台という事になります。
エンドベルは上下逆さに付いているようですね。

しかし惜しいのは、シリアル刻印が無い為に、両者がどのくらい離れているのかが想像できない点。
とはいえ型式が同じですから、近い位置には居そうです。
なので、カタログで年式の判明している方のちょっと前…という事で大正7年頃と見ました。
大正7年と言えば、三菱造船がMKWエンブレムの機種を作り始めた年です。
その事も説得力を付けてくれそうです。

そんな個体を眠らせて置いて、何故今更やる気を出したのかと言えば…



この2台の買ったから。
片方は芝浦2021型を大阪市電気局で改修したもの。銘板まで電気局仕様となっている個体です。
そしてもう1台は部品取りの戦前型睡蓮。

今回の2020型は諸々の部品欠品があるため、電気局仕様のレストアと共に、睡蓮にはドナーとなってもらいます。
ドナーが必要な個体はどうしても先送りしてしまうので、こうして別の要ドナーな個体が入らない限りは、やる気が起きなかったという次第。
いつも基本的に単品修理できそうな個体を買うため、そうそう同じメーカ・近い年式で要ドナーなんて揃いませんので…

という事で作業開始です。
いきなりモートルの分解から。



ロータはグリスの硬化でネットリとロック状態。
しかしダメージは無さそう(こっちにはね…)。

コイル側も無事そうですが、右上のバインドが切れていて…一瞬断線かとヒヤリ。
何故か写真が見つかりません。撮り忘れたか。



裏蓋です。
3か所のビスは、欠品・ピッチ違いの擦り割り・全く合わないプラス頭のジェットストリームアタック。
全部交換ですね…



取れました。
碍盤もビス穴が若干欠けており、これまた3か所中1か所しか止まっていません。



外してみると…よくある昭和時代の修理跡。
配線は間違ってなさそうなので、テープを剥がして収縮チューブへ替えましょうか。

この段階で気づいた事で…



この個体はモートル配線の引き出し穴にブッシュが入らない設計。
奥に見えるモートル側の穴も、線とピッタリのサイズです。
故に基台側は布巻きが擦り切れています。
幸い長さは余裕ありありなので、ちょっと引き込んだ位置で修理しましょう。

なお、モートル側の引き出し位置もその後の個体と異なります。
単に前方・後方ではなく、前方同士でもこちらは軸の真下。
普通の2020型等では向かって左にオフセットしていて、線に負荷が掛からない位置になっています。
当然ブッシュも入ります。
この辺りを見ても、扇風機自体の黎明期の機種なのだと伝わってきます。



ビニールテープ撤去。
巻いていた意味がよく分からない程度には、元の絶縁処理が生きています。
で、黒い2本のうちどちらかは白だと思うのですが…まぁ良いか。
そうじゃない可能性もあります。



全バラできました。
首振り機構が無いと作業が早く進みます。
ちょっとの違いとはいえ。



ロータ清掃後。
シムはあまり見ない位に沢山入っていました。
リアは真鍮製とゴム製の間に圧縮紙製が4枚も。
いくつか欠けてたりするのが多いので新鮮です。
真鍮製の段摩耗が軽めでしたので、悪いコンディションで動いていた事は少ないのかしら。
それとも運転時間自体が然程でないのか…しかし後に、この予想が真逆だったと分かりました。



こちらはモートル。
埃取りと表面の清掃をします。



やっぱりブッシュは入らないよなぁ。



グリースカップの取り付け部を清掃すると…スリーブとの穴ズレを確認。
組付け時にズレたのか。或いは軸の回転方向なので、長年の運転で少しずつ動いたか…?
とりあえず簡単には戻らなかったため、この間にフェルトを通しましょうか。

塗装面は全体的に薄っすらと錆びており、一応磨いたものの大して変化無し。
ラットロッドよろしく「そういう味になった」って事で。



こちらはリアのエンドベル。
中々奇麗なので油の清掃が主でしょう。
それと…



これ。
エンドキャップの凹み修正。
出品時点からか運送時の事かはもう忘れましたが、とにかく凹んでいます。





外しました。叩いて直します。
裏から見ると凹み具合がよく分かりますね。

なお、このエンドキャップは「SEW」のプレスが入るタイプよりも厚手です。
細かい成型を必要としない分、強度へ振れたのでしょうね。
一応この写真からも見て取れはします。
無地なのもあって、修正前後があまり変わらないのは良い点。
しかし叩くのは少々時間がかかります。当然ながら。

仕上がりは完成写真にて。



こちらは碍盤。清掃とスイッチつまみの再生が必要です。



現状はテープ巻き。
それなりの頻度で見かける補修です。
他に出てくる機種であれば、こうなっているのは避けるのですが…
しかし複製品で直せそうなので、新しい補修法を試す機会にもなります。



テープを取りました。元のベークつまみは完全に失われています。
しかし抜け止めの穴や切り欠きがあるのは好都合。
同じ2020型から型を取り、樹脂に抱き込ませて直してみましょう。

型取りには碍盤を一端外しますので、ついでに違いを比べましょうか。
ほぼ同一ながら、スイッチレバーの曲げ方や電源線端子の手回しナットが違いますね。

今回レストアしている方は、コイル下で凸型の曲げが入っています。
ナットは十字型を曲げてタブにした形。



型取り中。
表と側面3面ができれば良いので簡易的に。





そしてプラリペアを流して固めれば完成。
裏面とバリを整えれば、中々の再現度になります。





お次は銘板。
本体の錆び具合に対して銘板の状態は良さげです。



結構うまい具合に磨けたのではないでしょうか。



やってきましたファン磨きのお時間。
まずは酸化膜を落としましょう。
変な塗装や磨き跡が無い分、100年かかって作られた強固な被膜があります。



約3回処理してこんな感じ。
これ位の色になれば手磨きで十分です。



そして完了…の前に気になった点。
ファン固定ビスの穴が何故か埋まっています。
軸穴から覗くと、薄い真鍮パイプみたいな感じの物が入っている…?



ドリルを引かっけて取り出せました。
これ…何でしょうね?
ファンがガタつくから入れたスペーサなのか、はたまた製造時のバリなのか。

ヒントになりそうなのは、

・軸のDカットにビス跡があった
・これ自体が真鍮製

の2点でしょうか。
ビス跡は、少なくとも1度は本来の固定方法が取られた証拠です。

前者だとすると、そもそもそこまでのガタはありません(手前側の穴径より)ので、固定ビスの効きが甘くなるデメリットの方が大きそう。
後者と考えると軸の跡と不整合が出ますが、仮に製造時のバリがビス穴手前で引っ掛かっていて、いつかの整備でファンを脱着した際に奥へ行ったとすると説明がつきます。
潰された形になっているのもそう言えば自然です。

という事で、何となく「100年前のバリ説」の信憑性が高そうに思います。
バリ一つ取ってもこのくらい話の巾を広げられるのが、100年の重みですね。

なお、磨いても鏡のような艶が出ないのが芝浦製の特徴で、2000番台に限らずややマットな感じに仕上がります。
経験上、一番艶の出る真鍮ファンは三菱ですね。
MKWから神戸の末期まで、見事に輝きます。
その分、地金の状態が顕著に仕上がりに出ますので、磨き方も然ることながら、「良い個体を引く」と言うそもそもの運も重要という。
また、この特徴はプレス金型や圧延材の仕上がりに依存しそうなので、黒塗装されるようになった名電以降も、塗装を落とせばそうなるのかもしれません。


そして組んでみたところ…コロナで2週間ほどお休みとなりました。
とはいえ無事動くのを確認したのですが、何だか出だしが悪い。
回ってしまえば良いものの、何となくゴロゴロ言ってます。

で、ファンを付けるまで行って気づいたのが「フロント側のベアリング・軸が減ってる」という事。
100年経ってるので仕方ありませんが、それでロータ・ステータの間隙が変になっている模様。
そしていざファン取り付けをしてみれば、イモネジで僅かにセンターがずれる事で、スピンナとエンドベルが干渉。
もしかすると、あのバリはこれを避けるために…



だってこうしたんだもの。
なお、これでもまだ擦ります。
根本的な解決には、ベアリング(スリーブ)の打ち換えか軸の肉増し…本格的な事を言うなら金属溶射とかになるんでしょうけれど、そんな事が必要になります。
流石にそれは無理なので、短絡的にはスピンナの干渉部分を削ってしまう事ですが…それも何だかなぁ。勿体ない気がします。
ガラガラ言いつつも一応動きますし、何より実用するものじゃありませんので、とりあえずはこのまま完成まで走りたいと思います。
原因は分かってるから。



ガードです。
こう見えて結構曲がってました。
酸化が著しいですが真鍮製です。



エンブレムは文字部分だけ磨きたいと思います。



裏側の下端には、謎の追加ガードが。
こんな形はみた事がありませんが、後付けにしては非常によくできています。
とりあえず残す事にしました。



という事で完成しました。
コロナ感染はファンを磨いた後、油を塗る前でしたが、数日保管するつもりで袋をかけておいたので酸化を免れました。





エンブレムとエンドキャップ。
なかなか綺麗に鈑金できたのではないでしょうか。



よく見るほうの2020と。
パッと見はエンブレム以外殆ど一緒なのですが…



まずはエンドキャップの違いから。
今回のは無印、よくある方はSEWのロゴ入り。





そしてモートルの配線引き出し位置。
上の写真は今回の方で、ブッシュ無しのフロント側真下引き出し。
下の写真がよくある方、これまたお馴染みのフロント側斜め下引き出し。



コロナで苦しんでいる間に茄子も出まして、既にストックを増やしてしまいました。
ですが流石に、年内はこれがラストの作業かなと思います。
手を付けるかもしれませんが、年内完成に間に合わせようとは思いませんので…
車のパーツも買いましたから、そっちも少々手を付けたい。
車自体がまだ無いのにねぇ…
あっちの鈑金も早く出来上がってくれないかしら。
Posted at 2024/12/28 20:22:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | アンティーク家電 | 趣味
2024年12月21日 イイね!

2/2 国産機の始祖・幻の”旋風”機~川北電気企業社 タイフーン型(明治45年、先行輸入型?)

川北タイフーンのレストア、後編です。



まずはグリースカップの分解から。
構造不明でしたが、素直に右ネジでした。



タンクと蓋の2ピース構造。
蓋は給油口とオイル溜めの窪みがある通り、グリースというよりオイルを想定した造りですね。
私はこのパーツを「グリースカップ」で通していますが、由来は昭和11年版の三菱電機扇風機 部分品型録。
なので、本当はメーカ毎に呼称が違う可能性があります。
中に入るフェルトが短い気がしますが…これで正しいっぽいですね。





その他無垢パーツを含めた、磨きのビフォーアフター。
意外にもエンドキャップの磨きが一番しんどかった。
錆び落としの時間が短かったためか、酸化膜がまだまだ厚い内に磨いたせいかも。





アームは塗装面の他、基台との差し込み部分の錆を除去。



そしていざ組み立て…と来たら、片方のモートル固定ビスが詰まる。
原因は製造時のズレらしく、本来はモートルのステータまで刺さるはずが、穴を覗くと若干ズレていました。
少々叩いたくらいでは修正できなかったため、無理をせずビスを切りました。
貴重なオリジナルビスに加工をする…少々背徳的。なんだそれ。



姿が戻ってきました。
首振り機構が無いので作業がスムーズです。
変な汚れの無いコンディションだったのにも救われました。



ここまで一気に組んでしまったのは、これを磨きたかったから。
モートルケース天面に付いている、「SPECIALLY MADE for KAWAKITA & Co., Ltd.」の銘版。
本機が他社(シーメンス)製である事を匂わせるものです。
とはいえ、川北の名前はここ以外に一切書いていないのですが…
シーメンスに関してはヒントすら無い。
「OEM製品には自社名を入れない」というのは、この時代からあったルールなのでしょうか。
当然と言えば当然でしょうけれども。

なお、周辺の黒塗装は既に磨いてあります。
ピンストまで残っているなんて…本当に奇跡。



文字が奇麗に浮かび上がりました。
可能な限り陽刻部分だけを磨くよう工夫するのですが、どうしても陰刻の黒が薄くなりがちです。
ただ、そこもある程度酸化していたのだとすると、特別削りすぎた訳でもなかったり…?
まぁいずれ酷ければ補修する事になります。



磨き終わったエンドベル。
オリジナルの漆塗装らしく、これもまたしっかり輝いています。

後側の皹についてはタッチアップしました。
元からある錆やP剥げは良いとして、事故でできた皹の部分は痛々しいので隠します。
思った以上に目立たなくなって何より。



自動調心軸受けとグリースカップは直接組まれます。
何か不思議な見た目。

実際にエンドベルに組む時には、グリースカップの首がエンドベルを貫通します。
それで脱落防止と前後方向のガタを制限する仕組みのようです。



エンドベルを戻しました。
多くの機種が後方からロータを入れる構造のため、先に後側を閉めるのは新鮮というか違和感というか。
軸受けも先に入れてあります。

全体的に高度な技術を要さない工夫がされていつつ、エンドベル固定ビスの穴は、結構薄手のモートルケース端面に開口してあります。
また、前面がファンガード固定金具と共締めする関係か、その後の多くの機種と異なり、ビス3本での固定となっています。
ビス自体も定番の貫通全ネジではない、普通のマイナスビスです。

本機の後側エンドべルの場合、グロメットの付かない穴を配線が通る事と、それに重なる位置にビスがあるのが注意点でしょうか。
前側は頂点にビス穴がありますが、3本の固定ビス穴が前後で上下逆配置となっています。
必然的に配線を通してからのビス固定になる訳ですが、どうしても配線にドライバが当たる。
その為か当初より締め切られていませんでした。
断線や被覆損傷にちょっとヒヤヒヤしつつ取り付け完了。



本体の構造が簡易なので作業が捗ります。
ファンとファンガードにやってきました。

ガードの造りは後のN型にそのまま引き継がれたもので、外周との固定はスポークの先を1段細めて穴へ差し込み+カシメ留め。
1か所補修済みながら、それだけで済んでいるというのが奇跡です。
未塗装なのもN型と同じため、オリジナルがこうだったと見て間違いないでしょう。



まずはいつもの通り酸化膜落とし。
初めから光っている僅かな箇所は、経験上ニスか何かが残っている。
そちらは剥離剤で除去。

…と、一回の施工では酸化膜が落ち切らず、ファンの表1枚を磨いた段階でかなり大変と判明。
仕上がりに偏りが出るので表は頑張って磨き、裏とガードはやり直し。
ファンは3度洗ってようやく磨ける状態に。
焦っちゃいけないねぇ。





やっと終わりました。
結局、しっかり下地処理をやり直した後も時間を要し、ファンとファンガードで合計2時間半程かかりました。
ひたすら磨き続けるので…当然腕が疲れました。
しかし労力をかけるだけの価値ある1台なので、文句を言ってはいられません。

ガードは全体が黄金に輝いていると、雷光型も相まって神々しい。
タイフーンと言うよりもサンビームなオーラ。



次はいよいよ不足部品の製作です。
スイッチつまみがありませんので、近い形のものから複製して取り付けます。

そこで選ばれたのは綾鷹でした。

違う。川崎でした。
川崎型電氣扇の前期・後期からそれぞれつまみを外して型取りします。

写真はまず片面を作るべく、粘土に半身を埋めた図。
空気抜きの穴が無いとか合わせのダボが無いとかはご愛敬。
何せ2年ぶり2度目なので、すっかり忘れていました。

そしてシリコーンもレジンも、あまり少量の使用では無駄が多く出ます。
ので、1度に2個作れる型としました。
…それでもちょびっとなんですけれども。





枠を組んだところと、シリコーンが固まって粘土を外したところ。
この時、型枠も重なる方向を見事に間違い、この後の裏面製作でダダ洩れを起こす事に。



こんな風に。
まぁこの程度で固まってくれたのでヨシ。



何とか両面型ができました。
ダボは裏面を作る前にポンチで抉って窪みを作り、リカバーできました。
空気穴は仕方ない。
どうせレジンが1kg単位でしか売っていないので、上手く行くまでトライする事にします。

余談ながら、黒のウレタンレジンって扱いがあまり無いのですね。
今回の場合は質感の他、触っても色落ちしない事を考えると、樹脂自体に着色されているのがベストでした。
この後、一度は手持ちの白に黒顔料を入れましたが、見事にグレーになったので買い直しています。
その際は探した末に1kg売りを見つけましたが、多くは2kgで…
白の手持ちですら、今は無き日新レジンのホビーキャスト(500g)でした。

シリコーンも1kg缶が多いので、ちょっと複製したい程度では余してしまいます。
かと言って型取り用のシリコーンは鮮度が重要らしく、未開封でも長期保管はNGだとか。
劣化しない内に別の用途を探そうか。



そしてこんな風に複製できます。
趣はガレージキットそのもので、若干グレーなのは離型剤によるもの。
後はこれを削り出します。

ベースにした川崎型のつまみは天面に矢印が付いていますが、タイフーンは別途矢印パーツが付きますので不要。
なので天面を削り取ります。
樹脂の色をそのまま生かすため、白っぽくならないよう仕上げるのがコツでしょうか。
…でも、ミュージアム展示機には天面の矢印があるようにも見えるんですよね。
本当はどっちなんでしょうか。



そして本体もテストへ。
まずはトランスとスイッチの戻しから。
配線はこれが正しい筈です。
一部欠けているとはいえ、当時のクワガタ(Y型)端子まで残っています。

なお、スイッチは接点が近年ペーパ掛けされており、割と最近まで動いていた形跡がありました。
そこから敢えて磨く事はせず、接点グリス塗布と軸の注油に留めました。



戻しました。
戦前型は各社とも往々にしてやりずらい箇所で、更に本機はスペースの少ない中、スイッチとトランスが分かれています。
なので、線の取り回しを考えると結構大変でした。



動作確認のため仮組みです。
前後の軸受けをズレないようにするにはグリースカップが必要…こんな時、分割式だと写真の通り助かるんですね。
「AC50V」の真偽を確かめるべくスライダックを用意しました。



傘マーク時代の東芝製。標記も東京芝浦電気。

その結果は…1速のみ回りました。
2・3速は唸るのみで、試しに90V位に上げてみると元気よく回ります。
なので、銘板の打刻が誤りだろうと分かりました。

脱線ながら…硬貨のエラー品って高値が付きますが、こんな打刻ミスはどうなんでしょうか。
商館時計の緩急表示二重打刻とか、昭和40年代の扇風機の電源プラグ穴位置ミスとかも持っていますので、気になる所です。
まぁ少なくとも「貴重な1台」のイチ要素にはなりましょう。



いよいよ終盤、細かい部分を再生しつつ組んで行きます。
写真はグリースカップに入る給油フェルト軸ですが、片方は崩壊してしまったので作成。
残念ですが、120年くらい経っているフェルトが無事な方が奇跡です。
以前と同じく、オービタルサンダー用フェルトバフから切り出しました。



ガードを組む前にスイッチつまみを仕上げます。
六角ナットは残っていたため、それが入るよう穴を拡大します。
ちょうどφ6.5で圧入できるくらいでした。

脇に刺さっているのはM3ビス。
イモネジもこれから作ります。



良い所で切ってすり割りを付けたらハイ完成。
つまみ側はある程度粘る樹脂なので、このままねじ込んでOKのようです。
タップを立てる必要は無さそう。

ここでちょっと脱線しますが…もう20年くらい前にプラモ少年だった頃は、限定版とかでレジンパーツ入りのキットは一段と高額だった記憶があります。
ガレージキットに代表される通り、少量生産に向くのがウレタンレジンですから、メーカが出すとなると自ずと割高になるのです。
なので、今でも「レジンパーツ=高級品・上級者向け」という意識が抜けきらず、つい腫れ物扱いみたくなってしまいます。
しかし加工をしてみれば、意外と強度のある樹脂のようですね。
軸穴をドリル加工していても全く平気、ナットの圧入にも普通に耐える。

…と、そんな事を削った時のあの匂いで思い出しました。



という事で装着。
この向きが正しいかは不明で、ミュージアム展示機ではこちらから90°回した位置のようです。
つまり、矢印とつまみの長い方が被る位置。
ただ、展示機は矢印パーツが損傷しているようなので、千切れた跡から推測するしかありませんでした。
…こっちの方が違和感無しですよね?



2速まで回してみるとこんな感じ。
矢印を見やすくするには、つまみは横向きにするのが自然でしょう。



最後は電源プラグです。
一度はM矢マーク入り松下製を出してきましたが、やはり陶器製が合っていると思い直しました。
陶器製は流石に貴重なため、より古く貴重で思い入れのある1台に使う事としています。
ですがこれは、既に芝浦2024型に付けていたもの…手持ちで空きがありませんでした。

2024君には別のプラグで我慢してもらいましょう。
またいつか手に入ったら戻すから。





そして完成へ。
ファンの取り付け具合に調整が要ったものの、それ以外問題無し。



銘板が正面、スイッチが背面に付く独特の配置です。
キャリーハンドルもありません。
その上でガードが地金仕上げなので、何処を持つのが正解か迷います。
Yアームを下から両手で持つのが良さそうです。



動作中。令和の電気で明治の風が吹く。
1速は正しくタイフーンの名に恥じぬ勢いで、少々心配になる程の元気さ。
歴史的価値を考えても、1速で始動して早々に3速に落とすのが無難に思えます。



モートルを後上方から。
戦前型と言えど初期も初期となりますので、大正後期以降の機種とは違ったオーラを放ちます。
モートルが前後方向に薄いんです。



そして、後の同社製N型と2ショット。
ガード周りの構造や仕上げが一緒でして、タイフーン型を手本にしたのだと分かります。
但しモートルや基台、碍盤といった主要部分は完全独自設計となりました。

なお、同じN型でも国内生産型タイフーンのガード構造に倣った個体もあります。
上の写真はシリアル70000番台後半の首振り無しですが、90000番台中盤・首振り付き個体はそうでした(部品不足にて未着手です…)。
N型にも前期・後期があって、それぞれタイフーンの各タイプに倣っていたら…と考えると興味深い。





エンブレムのデザインも一緒。
KDKマークはこのデザインが最古なのでしょうか。


以上、普段より多くの写真でお送りしましたタイフーンのレストアでした。
今後、このくらい歴史的価値のある個体を扱う事はあるでしょうか…
もしあったのなら光栄な限りです。

…さて、他のストックにも手を付けなければ。
でも車の部品も手入れしたいし。やる事は尽きません。
Posted at 2024/12/21 19:39:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | アンティーク家電 | 趣味
2024年12月21日 イイね!

1/2 国産機の始祖・幻の”旋風”機~川北電気企業社 タイフーン型(明治45年、先行輸入型?)

12月頭にコロナに罹りました。
アレが世の中に出てきて早5年、初の感染です。
当時別件で体調が悪く、ワクチンを打てないまま5年持った訳ですから、それは凄いと言えば凄いか…

ちょっと喉が痛いなぁから数時間で高熱になり、インフルかと思えばコロナ氏。
インフルなら1週間で持ち直すところ、2週間以上経過してもまだ引きずる手ごわさよ…
寝込むレベル自体が15年以上ぶりでしたから、熱が下がるまでの5日間は特に辛かったですね。
熱(+食欲減退)→胃腸→咳と嫌がらせの如く襲ってきました。
もう2度と御免であります。

という事で、本当はもう2週間ほど早くアップしたかったこの記事。
修理待ちのストックは増えるばかりですが、先日の三菱に先立って取り掛かっていました。



知っている人は知っている。伝説の、そして幻の一台。
国産の量産型扇風機の始祖である、川北電気企業社のタイフーン型です。
写真すら貴重な、現物を目の前で見られる事も滅多にない1台。

タイトルの「煽風機」は、見ての通りタイフーンに掛けたものですが、昭和初期頃まではこの字で書かれる事も多くありました。
「扇風機」という表記が定着するまで、更にもう1つ2つ表現があったようですね。

そしてレアリティは間違いなく最高レベルでしょう。
しかも、ネット上で情報の出てくるタイフーンは大正2年に国産化されたものですが、この個体は恐らく先行輸入型。
明治45年にドイツ・シーメンス(当時の読みはジーメンス)社から輸入され、テストベッド的に販売された内の1台となります。

…と、何故そんな事が書けるのかと言えば、2年前に同型を入手しており、その際にパナソニックミュージアムの方に資料と情報を頂いていたからです。



左の個体です。実はシリアルは若干こちらの方が後だったり。
本当はこちらを直そうと画策していたのですが、状態が悪くて部品も諸々足りず、今まで進められていませんでした。
こちらもまた先行販売タイプのため、同ミュージアムの方よりその旨をお聞きしていました。

タイフーン型の実機は同ミュージアムに展示されており、イベントに出る事も時々あるようです。
紙面に載る事も。
しかしそちらはエンブレム部がシンプルな円環になっていて、その状態がオリジナルとの事。
ガードの組み方も異なります。
なので少なくとも「製造時期が違う」というのは事実として確定しており、その前後関係が焦点だった訳です。

まぁいずれにせよ、国産扇風機の魁である事に間違いはなく、また現存数が極めて少数である事も同様です。
事実、約17年に渡ってオークションを毎日巡っていても、これまで出品されたのは計4回。
うち、オリジナルを留めていたのは3台で、動作状態の1台は国産化以降の型で銘板は失われたようでした。
輸入型は手元に来た2台だけで、更にまともに修理可能なものとしては今回の個体だけ。

で、合計で単純計算すると5年に1台ペースで出ている訳ですが、これは飽くまで結果論。
「バーンファインド」的な個体はこれがラストの可能性すらあります(とは流石に言い過ぎでしょうけれど…)。



以前入手の際にはご紹介していませんでしたので、タイフーン型に関する蘊蓄を書かせていただきます。
まず「日本初の扇風機」は定義によっても諸説あります。

現在有名なのは、「国産初の製作」は明治27年の芝浦製作所(現:東芝)による直流エジソン式扇風機(WH社製のリスペクト品)、「国産初の量産」はこのタイフーン型という話です。
なお、芝浦より更に前の明治19年末の新聞記事には、東京電灯会社が自前の機種を(翌年夏から)販売すると掲載があります。
これは実現しなかったようですが、明治22年には同社からアメリカの品評会に扇風機らしき品を出典したとの報道もあり、真の日本初の製作はそちらの可能性があるとの事です(論文「扇風機のデザインにおける歴史的研究(1) 明治・大正期における扇風機の発達」より)。
芝浦自身も「作ってみた」的な感じだったらしく、後に量産化されたのは、2000番台でおなじみの雷光ガード卓上型だったようです。

一方タイフーン型は、ネットを検索すると出てくるパナソニックミュージアム所蔵の1台が、最も知られている(知る事ができる)個体でしょう。
そして松下精工(現:パナソニック株式会社 空質空調社)の「風と空気をつくる : 松下精工30年のあゆみ」を読むと、以下の記述があります。


明治45年5月:扇風機タイフーン型をドイツのシーメンス社より購入し発売


「あれ、日本初の国産量産機じゃなかったの?」とパナソニック本家の沿革を見れば、


1913年 日本初の量産型交流12インチ扇風機「タイフーン」の量産を開始


とあるのです。
1913年は大正2年ですから、「タイフーン型」には、実は国内生産型と輸入型の2種が存在する可能性が出てきました。

この点を確認すべく、問合せフォームより質問をさせていただいたところ、最終的に実機の写真まで頂く程のご対応を賜りました。
この場を借りて感謝申し上げます。

そしてやはり、本機には明治45年の輸入型と、大正2年以降の国内生産型に分かれる可能性が高いとの事でした。

更には、ミュージアムに展示の個体はシリアルは60000番台のようで、そちらが国内生産型ではないかと推測できました。
手持ちの個体は、以前入手のものも今回のものも、共に50000番台です(規則が不明なので、正直に生産台数の通し番号と捉えるのは、現存数からしても早計でしょう)。
外観も上記の通り、ファンガード中央が円環かエンブレムかで違う他、ガードの組み方や取付金具の構造など(それぞれ後継の川北製が同じ造りを採っています)、各部が若干異なるようです。

このような理由から、当方所有の個体は「明治45年の輸入型と考えられる」とお墨付きを頂くに至りました。
ガードの「TYPHOON」エンブレムに至ってはこれまで未確認の代物だったとか。
なお、どちらにしろモートルはシーメンス製でしたので、モートル天面には「SPECIALLY MADE for KAWAKITA & Co., Ltd.」の銘版が共通して付属します。


現存数が極めて少ない理由を考えてみると、タイフーン型の国内製造が大正2年~5年に限られている(いただいた資料年表より)というのが一つでしょう。
他の機種は、大正3年にMarelli型※が、大正5年に独自設計のS型がデビューし、翌6年からはN型が加わって以降は独自機種で展開して行きました。
そもそもの販売期間が短かかったのです。

またタイフーン型が販売された明治45年~大正5年頃は、扇風機自体が大変高価だった事、電気を引いている家・施設がそもそも少数だった事などから、販売台数がごく少数だったのだと思われます。
更には輸入品が多数派だった時期でもあり、これも母数が少ない理由になると思われます。
「大正時代の扇風機」と一括りに見れば芝浦2000番台が今も多く見られ、時々上記のN型やS型、日立のTO-A12型なども見られますが、それらはいずれも大正中盤以降のものです。

三菱も大正7年から扇風機を作り始めましたが、会社がまだ三菱造船の時代。
電機製作所を経て三菱電機として独立するまでは、同じく少数しか出回らなかったと思われます。
以前レストアした「MKW」の2台や「初号扇12吋」も、その後の菊水ガードタイプとは比較にならない程見かけません(というか、今まで出品されたのがそれっキリのレベルです)。
芝浦ですら2000番台の初期(2005など)はかなり少なく、大抵は大正8年の2020系以降となっています。



ここで登場した「Marelli型」について気になったので、少々脱線ながら調べてみました。
マレリは車の分野でも知られますが、元はイタリア・ミラノで電気器具や電装部品の開発製造を行っていたマニエッティ・マレリという会社です。
マルティーニカラーのランチアラリー037やデルタでもおなじみのスポンサーですね。
扇風機の国産化成功(@イタリア)で成長を遂げた歴史があります。

川北の「Marelli型」という機種は年表上でしか存在を確認できていませんが、仕様の欄には「Typhoon型」と名称が併記されており、あたかも同じ物のように見えます。
そして「marelli vintage fan」等で検索を掛けると、本家マレリ社の扇風機が出てくるわけですが、それもまたタイフーンとそっくりな特徴を持っています。
しかしデザイン等の全体的な特徴は、以降昭和初期まで続く「そのような造りが当時一般的だった」という時代・業界のトレンドです。

そこで注目したいのがガードの構造。
タイフーン型でも輸入タイプと国産タイプでガードが違う、というのは上記の通りですが、国産型とした方のガードは本家マレリ社製にそっくりなのです。
ついでに言うと、N型にもこの形のガードが存在します。
中央部が円環になっており、外周との接続は雷光スポークを巻き付ける構造です。

そこからすると、名称は「タイフーン」と統一しつつ、製造時期によって「TYPHOON型(恐らく前期型)」と「Marelli型(同様に後期型)」に分かれる、という意味の可能性もありではないでしょうか?
となれば…「先行輸入型」・「国内生産型」という分け方よりも、上記の方が正しくなりますね。
真相は如何に。



…と、色々書いてみると本機の凄さが何となくお分かりいただけますでしょうか。

そんな幻の初期型タイフーンが2台も集まった訳ですが、1台は写真の通りかなりのジャンク状態。
上記の事情も鑑みれば、目立つ欠品がスイッチつまみ程度な今回の個体は、正に奇跡のサバイバーと言えるでしょう。
しかし…



運送事故発生。
エンドキャップが凹んでるな、と思ったのも束の間、エンドベル自体が割れているのに気づいて呆然。
道理で軸がいつまでも渋い訳だ。
出品写真では無事なのが分かっていますので、某社が輸送中にクオリティを発揮してしまったようです。
大変残念ながら、余計な傷を負ったまま再生させるしか無いようです。

まさかこの1台にそんな事が起きるとは…この前買った芝浦睡蓮なら、いくらでもジャンク機が出るのに。
そちらは大坂市電気局仕様とその部品取りで、今後レストア予定です。

しかし幸いな事に、何とか曲げ直して軸受けの直線は出ましたし、最悪はジャンク機から移植という逃げ道が確保されています。
後述しますが、「自動調心型軸受け」という構造を採用しており、そのお陰で軸自体も無事で済みました。
エンドキャップも叩けば戻りそうですが、ジャンクの方は無傷なので移植しても良いでしょう。


という事で少々躓きましたが、恐らくこの先は二度と無いであろう、タイフーン型のニコイチレストアという贅沢極まりないプロジェクトがスタートしました。



まずは現状確認として、断線の有無をチェックします。
裏蓋と留めビスもキッチリ残っていて、本当に奇跡のような個体です。



内部のトランスは図解される通りの構造。
付いて来た電源線に中間スイッチがある事、本体のスイッチつまみが失われている事から、晩年はそれで操作されていたようです。
内部配線も変えてある可能性があります。

まずはスイッチの各ポジションでテスタを当て、その後通電してみましたが…
どの位置でも回る。
何故じゃ。



という事でジャンクの出番。
良い塩梅に断線しているので、スイッチとトランス一式が奇麗に外せます。



取れました。
スイッチは予想通り、軸が接点の1か所とショートしており、回す毎にその他接点と通電する構造。
各接点に繋がっているトランスは、一目瞭然で巻き線の短い順(1速がスタート用で最速、戦前機の定番配置)。
軸とショートしている接点がOFF位置になります。



では一旦戻りましょう。
モートルから始め、上から順にバラして行きます。

ガードに続いてファンの取外しですが…これまた初見の構造。
エンドベル側に穴が開いており、ファン固定ビスはエンドベルに隠れる造りです。
必然的にシャフトへの噛みが浅くなりそうですが、緩み防止(というより脱落防止でしょうか)には効果的かもしれません。



スイッチです。
つまみは失われているものの、圧縮紙製らしき矢印型の指針が残っています。
つまみが指針を兼ねているデザインはラジオをはじめ多く見られますが、これはまた珍しいのではないかと。
というか…よく残ってたなぁ。
こちら、パナソニックミュージアムの展示機にも名残が見られるので、オリジナルパーツだと思われます。



早速モートルの前側が開きました。
ガードとエンドベルの固定ビスが兼用でしたので、ガードを外した時点で取れました。
普通、戦前型では(前側が開かないのが多数派なのはさておき)エンドベルの組み付けで軸受けとのアタリを取るのですが、特殊な軸受けのお陰でそれが不要なのが本機。
黎明期中の黎明期の機種ながら、流石ドイツ製といった合理性でしょうか。



部品取り機が背後で見守る中、ロータとコイルが出現。
単相式なので隈取巻き線です。
ロータの通風孔はストレートで大きく、穴というより3本スポークのホイールのよう。



こちらがエンドベル(前側)の裏面。
スプリングが露出したグリースカップが特徴的で、その構造がずっと気になっていました。



軸受けを取り出しました。
軽い打ち込み程度で固定されておらず、細長い形状。
両端に向かってテーパが付いています。

これが「自動調心」の肝で、モートル軸がある程度自由に動ける事で、勝手に一番抵抗の無い位置に収まるという理屈です。
ケース側で精度を出すのが諸々難しかった時代に編み出した工夫ですね。

そして、グリースカップは軸受けに直接固定されます。
なので軸受けの傾きと共に動きます。
スプリングはグリースカップの緩み止めのため、テンションを掛けるものでした。
実際の分解は後程。



基台へ戻ってきました。
改造された形跡はありません。
ただスイッチ周りの配線を変えてあるだけでしょう。



トランスを外しました。
モートルへ行く線もオリジナル。やはり奇跡。



そろそろモートルを外す段階、一方の固定ボルトが置き換わっていました。
ここも部品取り機から移植しましょう。
しかし海外製のお陰か謎規格ではないようで、この六角頭もちゃんと合うピッチでした。



取れました。
そういえば、この構造…ワンウェイロータリスイッチにY字型アームでモートルを支える造りは、後のオルビット型・川崎型と同様です。
関係があるかは不明ですが、当時海外製には割とあった設計だったのかもしれませんね。
YアームについてはGEでもそうですし。



普段は載せないところも、特別な機種なら話は別。
自動首振り機構が無い本機は、Yアームの基部で左右に向きを変えられます。
その固定ビス、イモネジとなります。

川北は後に二重首振り機構(実用新案第50219号、大正8年10月25日登録)を発明しますが、そのヒントになったのはこの部分かもしれませんね。



サァやって参りました事故の傷。
全く遣る瀬無い。口惜しいとも言える。
芝浦製作所 2024型の時と全く同じ「モートル後部の緩衝が甘い横向き梱包」で、落下の衝撃を真に受けた事によります。
壊れ方は芝浦製作所 7017型(煽風型扇風機保護枠仕様)の時と同じです。

そして一点物の場合、補償を受けるにはモノは引き渡さなければなりません。
事実と再発防止をお願いする旨だけお伝えして、こちらは粛々と再生をするしかありません。

策は色々考えましたが、裏面の傷部分を少し削って鈑金ハンダを盛る事にします。
若干染み込んでくれる事も期待しつつ。
もし含侵のようになってくれれば、それなりの強度で補修ができると予想します。

ただ、鋳物にはハンダは乗りにくいぞという意見もあり…
まぁやってみるしかあるまい。



裏面です。
表ほどではないものの、しっかり亀裂が確認できます。



まずはルータで塗装を剥ぎ、少し窪みをつけてやります。



それからハンダ。意外なほどしっかり乗ってくれました。



1か所忘れていますが、これが亀裂の全体像。
本当に際どい所で耐えてくれました。



これでどうだ。ちょっとは安心感が増した気がします。
後はフラックスで錆びない内に洗浄しましょう。

ここから先は汚れ落としと磨きの工程です。



基台は目立ったP剥げも無く、戦前機と一括りに見ても大変奇麗。
資料によるとエナメルと漆らしいので、磨けばもっと光るでしょう。





その前に銘板を磨きました。
元々黒い背景も薄くなってきていたため、今回は普段と違う方法で磨きました。
要は1文字ずつやった訳ですが、中々の仕上りではないでしょうか。
…と、当初より気になっていた点が。



定格50V。
何じゃそりゃ。しかも100の上から打刻し直してあります。
この「AC50V」という見慣れない電源について、当時の扇風機や電気の事情からふと思いつき…

「商船の電気艤装・電気機器」という資料を見てみます。
すると、昭和初期の豪華客船(日本郵船サンフランシスコ航路用、竜田丸・秩父丸)の装備に以下の記述があります。

航海計器(より抜粋)
電気式テレグラフ(シーメンス社製、AC50V,50Hz,セルシン式)

また、「通信講習用 船舶電気装備技術講座[電気機器編](初級)」には、このような記載も。

2.電気機器
2.2.3 保護構造

(2) デッドフロント形
操作する盤面に充電部分がなく、操作する際、人間が通電部分に触れる危険性のない構造のもの。
線間電圧又は対地間電圧が直流50V、交流実効値50Vを超える配電盤はデッドフロント形でなければならない。

つまり、AC50Vかそれ以下に用途を限定すれば、その配電盤がデッドフロント型でなくても良いのです。
構造が簡単になる=コスト低減可能、という解釈で合っているならば、それが理由で50V駆動の機器があったと予想できます。

そして、このタイフーン型もシーメンス製ですから、もしかすると船舶備品向けの1台だったとか…?
三菱造船(後に電機製作所→三菱電機として独立)の扇風機も船舶用からスタートしているようですので、十分あり得るでしょう。
川崎造船も勿論。

…で、100Vでテストしちゃったよ。
テストはスライダックでも咬ませましょうか。
打刻が合っているかどうかも未確定ですから。

それでもし、タイフーン型の先行輸入タイプで更に船舶向けともなれば、もうこの1台くらいしか現存しないのでは…と考えてしまいます。
今更ながら、とんでもない歴史的大物を引いてしまったのかもしれません。


第2回は真鍮小物とYアームから取り掛かります。
後半へ続く。
Posted at 2024/12/21 19:16:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | アンティーク家電 | 趣味
2024年11月24日 イイね!

菊水ガード風の小さい奴 三菱電氣扇 10吋(昭和10年頃)

気づけば11月はまだ何もアップしていませんでした。
今回の1台もまた、購入後暫く寝かせていたものとなります。
部屋の配置換えで見える位置に持ってきたため、手入れせねばとなったもの。
こんな感じのストック機がまだまだあります。
何かしらの切っ掛けが無ければ、買った時の熱が冷めると暫く放置してしまいます。
とりあえず買っておこう、で届いて安心して放置…のパターンもあり。



三菱電氣扇。
一見するとよくある菊水ガード…でもファン径8吋の小型。
「菊」部分が省かれています。じゃぁ水(すい)ガード? なわけあるか。
安全性に難ありの雷光ガードから進化した、昭和初期の定番スタイル。
昭和9年のカタログに載っている、雷光ガードタイプのマイナーチェンジ版と思われます。



銘板です。
昭和9年版と同じく交直両用。
カーボンブラシ式のモータ搭載です。

三菱の楕円銘板は菊水ガード後期~戦後のエトラ扇まで多く見られますので、製造拠点が名電になってから少し経った頃の機種でしょうか。
それでいて逓信省型式認定が付いていないので、それでも何とか許されそうな(?)昭和10年頃かなと予想しました。
参考までに、昭和12年のマイカルタ羽根エトラ扇には、楕円銘板の上に認定番号の銘板が追加されています。

本機の状態は中の下でしょうか。
現状、モータ配線の劣化が著しく、仮の通電も許してくれなさそうでした。
なので未テストです。
昭和9年版では布巻きだった線が、何故かゴム被覆…今でいうキャブタイヤケーブルとなっていて、見事に崩壊しています。
戦後も暫くは布巻きが定番だった事からすると、イレギュラーというかチャレンジングというか。

早速分解していきましょう。





前面ガードとファンを外しました。
次は背面ガードですが、ここに一工夫を発見。
左右で取り付けビスの数が違っていて、最終的にガード中央のエンブレムが正しい向きになるよう作られています。
芝浦のガード取り付け基部の切り欠きと同じ理由でしょう。





マイクスタンド。
真正面から見ると分かる通り、モータを支えるYアームがちょっと歪んでますね。
後で直しましょう。





モータ配線を外すべく裏面へ。
昭和9年版には無かった壁掛け金具が付いています。

このサイズで壁掛けにすると能力不足になりそうですが…1人の周辺空気を循環させるならアリか。

外してみれば、金具はヒンジにスプリングが入っており、勝手に裏蓋の方へ畳まれる構造でした。
対して基台側にはJ型のスプリングとボスが付いており、壁掛け金具を出した状態でロックできる造りに。
なかなか凝っています。

今は錆で固まっていますので、何とか復活させたいところです。



蓋が外れました。写ってほしくない物が撮れていたので一部加工してます(某昆虫の卵殻…古い扇風機やラジオを扱っていると慣らされます)。
ミニサイズながら見慣れた配置の碍盤です。
電源線はカレンダー処理からすると、オリジナルの可能性が高いでしょう。
かなり短いのは後から詰められたか、それともサイズ由来か。



碍盤の上側。裏面。

流石に小型で変速も2段のため、コイルはかなり簡素。
モータも2線でシンプル。
こちらにも同じくカレンダーが入っていますので、やはりキャブタイヤがオリジナルだったようです。



でも割れてます。
破片が揃っているので接着補修です。



モータ後側を見てみましょう。
P剥げが気になりますが、それより気にすべきは地金。
この時期の三菱製扇風機のウィークポイント、「ダイカスト部品の結晶粒界腐食割れ」です。

と言っても全ての個体に起きる訳でもなく、一番ハズレ率の高い12吋菊水ガード(名電製造時代)でも、何事も起きていない個体があったりします。
エトラ扇以外は信頼性が云々と言っている方も居られるようですが、個人的な感想では芝浦より整備性も良く、無事な個体を選べば一番とも言いたいくらい。
特にファンが真鍮無垢仕上げの神戸造船所時代(甲型ギアボックス)なら、この問題はほぼ起きませんし(甲乙の比較記事はこちら)。
芝浦は当時からトップブランドでしたが、現代でレストアするにはモートル配線が交換必須(概ね7000番台以降)ですし、2000番台以降はギアボックスの完全分解が難しい造りですから。

本機に戻ってみると、既に上側が2か所不自然に抉れています。
その他、ササクレのように割れてきている所や皹の入り始めた所も…
このモータケース、結構危ういかもしれませんね。
今は無事に再生できても、いつまで持つかは不明でしょう。
ネジ系部品が締め付けられていないだけ幸運か。

尚、昭和9年版にも同じ症状は出るのですが、そちらは仰角固定の蝶ナットが欠けるのが多いようです。
現に手元にある個体もそうで、モータケースは…どうだったかな。マシな位でやっぱり危うかったか。

ここで少々脱線しますと、8吋クラスの小型機種は三菱に限らず希少でして、寧ろ三菱が一番(それなりに)出てくる印象があります。
先日、日立の戦前型で小型というのも入手したのですが、出物の数は芝浦の雷光ガードが次点かなと思います。
それでも数年に1台レベルかなと。

理由を考察してみると、このサイズでは戦後の「パーソナル扇」よろしく1人で使うのが主な想定でしょう。
現代のUSB扇風機のようなイメージです。

一方、扇風機自体が高価だった大正~昭和初期には、ユーザの多くは富裕層や商店…広間や店舗といったある程度の面積に対応できるサイズが良く売れたのでしょう。
レンタルにしても、私の見た数少ない資料では12吋と16吋しか掲載されておらず、そもそも選択肢に無かったようです。
家族の共用と別に自分専用まで買えた相当な余裕あるユーザか、現代のガジェットマニア的存在の購入が主だったのでしょう(なお、昭和9年のカタログには「風速が12吋の約半分のため、書斎や理髪店、また家庭の中でも化粧台・寝室等と設置場所を変える必要のある向き」と書かれています)。

という事で、そもそもの母数が少ないのが主な理由かと思われます。
そこに三菱の場合は腐食割れの問題が重なるので、現存数が少ない事に拍車をかけているのかもしれません。
折角モノは悪くないのに…という点を含めて、何だかアルファスッドみたい。
それでも一番多く出てくるという事は、各々母数が少ないながら、比率としては三菱が突出して多かった可能性もあるでしょう。



とりあえず分解を進めましょう。
モータ単体になりました。





ロータです。
ブラシ式のため電動工具のよう。
ブラシ自体は短めながら無事で、シャープの芯は使わずに済みそう。



分解前の写真を忘れました。
こちらは作業後の写真になります。
モータ配線を交換するにはコイルを外さねばなりませぬ。

しかし後ろのブラシホルダは外し方が分からず、どうしたものかと思ったら…
前面に出ている端子のハンダを取ればOKでした。



これで線を交換できます。
本当は同じゴムのキャブタイヤにしたいところですが…仕上り外径6mmなんて今時無いですって。
かと言ってビニルシースの2芯ではいきなり現代的ですので、単相にあやかってジャンクの細い綿打ちにしてしまいましょうか。
それならオリジナルとは離れますが、時代には合います。
それもサイズが合わなければ、潔くビニル線+エンパイヤチューブにしてしまおうか。



綿打ちの細いのが生憎見つからず、オリジナルの芯線と同じ白黒のビニル配線としました。
これにエンパイヤチューブをかけます。

なお、小型故か固定の糸は通し直しができず、仕方なく接着で対応する事に。
久々にホットボンドを使いました。



前側エンドベルの裏面です。
小虫の抜け殻があったので、写真は清掃後オンリー。
腐食割れの皹も心配ですが、ガード取り付けビス穴の裏には金型(鋳型)改修の後が。
昭和9年版では左右1本でしたので、中央のビス穴用の逃げが残されています。
この部分を見ても、後年のマイナーチェンジ版である事が分かります。



ロータを清掃しました。
カーボンブラシとの接点が輝いています。
やはりコンディションの良い個体だとやる気も起きるのですが、根本的な部分に弱りが出ている(個人レベルでは対応の難しい部分のある)個体では勢いが続きません。
ただ小型で簡素なので、何とか突っ走ってしまいましょう。





基台です。
塗装は良い感じにヤレているので、敢えて磨かずに置きます。
銘板の再生が主となりますが…よく見ると、定格銘板は中央付近が既に薄いですね。





できましたが…陰刻部分をもっと傷めない方法を考えるのが課題です。



蓋を閉めたら壁掛け器具の戻しです。
これが普段の状態で、蝶番のスプリングにより蓋の方へ貼りついています。



本来のロック機構が復活しましたので、このように固定できます。
基台下部のボスを押し込み、プレートのロックへボスのスプリングを引っ掛けます。
ボスが出っ張るようテンションを掛けているスプリングが、ロックに引っ掛かるバーも兼ねています。



ガードも洗浄して曲がりを修正。エンブレムも磨きました。
そして完成へ。
表面が荒れているため、あまり奇麗には見えませんが…それも味としましょう。



背面。

動作は非常に良好で、戦前型としては珍しいくらいに1速・2速の差があります。
しかも2速の方が速いというのも珍しい。
大抵の戦前型は1速から順に低速になる配置で、1速はスタート用も兼ねています。

本機は2速がかなり高速回転のため、これなら確かに壁掛けでも行けそう…と思わせてくれました。
但しブラシ式なので、風は特有の金属臭を帯びています。
ミニ四駆でもお馴染みの「モータの臭い」。



昭和9年タイプと共に。
大まかにはガードが変わっただけなのが分かりますね。
背後の広告は戦後のアサヒグラフよりスキャン。
ここは交直両用・小型機のコーナー。



最後は16吋・12吋の菊水ガードと。
まるで親子、家族写真のよう。
そして背後に見切れる三菱造船のご先祖様。



以上、三菱の小型扇でした。
タイフーンは作業は終わっていますが、モノがモノだけにしっかり詰めて書きたい。
ので、掲載にはもう少々かかります。
Posted at 2024/11/24 22:05:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | アンティーク家電 | 趣味

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「真下を向く天井扇 三菱電機 CY-30B 昭和39年 http://cvw.jp/b/2115746/48618862/
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菊菱工廠と申します。 「工廠」なんて言いましても、車いじりは飽くまで素人。 電装系なら結構自前でこなします。 ちょっとした金具作りなんかも。 ナ...
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