• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

菊菱工廠のブログ一覧

2022年12月31日 イイね!

三菱造船「MKW」電氣扇(大正7年頃)のレストア

今年ももうあと少し。
全く年末という気がしませんが、今年最後の記事となります。
皆様、今年もありがとうございました。


という事で、令和4年の締めくくりも扇風機の記事になります。
前回ご紹介しました、「MKW」のエンブレムが付いた三菱の扇風機。
それの三菱造船銘板の方をレストアしましたので、今回はその記録になります。
歴史的一台という事もあり、写真がかなり多くなっております。


さて、前回と同じ写真になりますが、まずは入手時の写真です。



「ちょっと痛んでる古い扇風機」といった、ジャンクの定番コンディション。
年式とレアリティから言えばかなりの良品ではないかと思われます。

ファンガードが一部欠損している他、ファンが少々曲がっているようです。
よく見ると羽根のピッチがずれており、4枚羽根の隣同士が90度ではなくなっています。
一言で言えば、「昔の鉄製ラジエータファンみたいな形」…余計分からないか。

ファン自体はその後の三菱電機製と同形状なので、部品取り機から移植で済みそうです。
ガードが欠損している事も含めると、過去に転倒したか何か重い物が倒れてきたかで変形してしまったのでしょうか。

他に気になる点と言えば、この時点で分かったのは現状不動という事。
しかし大元の電源コードに断線箇所があるようで、テスト用に用意しているビニル平行線へ変えたところモートルが唸りました。
とりあえず重傷ではなさそうです。


という事で分解パートです。
まずはファンガードとファンを外します。
この時期のものは三菱に限らずガードが一体物なので、知恵の輪のようにファンを避けつつガードを潜らせる必要があります。



いつもの「マイクスタンド」状態。
この機体の古さについては前回の記事を参照頂ければ幸いですが、こうして見るとその後の三菱製とはかなり異なっているのが分かります。

モートル上のハンドルが「初号扇12吋」以上に高さがある事に加え、リベット留めで外せない構造です。
そして2枚目の通り、モートルの通気口が芝浦と同様の水滴形。
「初号扇12吋」の時点では丸穴になっており、戦後型まで同様ですので、三菱製ではこの時期にしか見られない特徴ではないでしょうか。



モートルを基台から外すべく、次は碍盤を外します。
奇跡的に裏蓋が残っていたためそれを外すと、前回も掲載しました碍盤が見えます。
これまたその後のモデルとは色々と異なる設計です。



参考までに、「初号扇12吋」の碍盤です。
これ以降は特に大きな変化無く戦後まで続いたようですが、スイッチバーにかかるアーチ金具の有無などが異なります。



碍盤が外れました。
緑のビニールテープがある通り、比較的近年に手入れがされているようです。
そのためか固着箇所が無く、最後まですんなりと分解する事ができました。



折角だから、俺は十干で分類するぜ…という(どういう?)事で、甲乙丙と振ってみましたが…
この配線、何かおかしくない…?



この「丙」の辺り…3つ並んだナットの内、中央にはトランスからの線が巻いてあります。
つまりは中継端子のはずなのですが…先には何も繋がっていません。
最初にモートルが唸るだけだったのは、てっきり油切れか何かかと思っていましたが…モートル・碍盤間の配線が間違っている可能性が大です。



とはいえ、他の整備を先に済ませてしまいましょう。
お次は首振りアームの外し。
ローアングルからの煽りですが、基台側のビスが代用品となっているようです。
何かそれらしいものを見つけないと…



アームのカム側を外せば、いよいよエンドベルが外せます。
というところで一旦観察…
写真は首振り機構のギアボックスですが、三菱電機の「甲型」「乙型」のいずれとも異なる形です。
エンドベルに一体成型されていますし、全体的に甘いというか粗いというか…黎明期感溢れる作りになっています。
内部は後程…





エンドベルが外れました。
首振り付きの機種なので、主軸の後端にはスクリューギアが切ってあるわけですが…これまた粗いピッチのギアになっています。
技術水準的にそうなったのか、歯の強度を重視したためかは不明ですが、これも「初号扇12吋」以降と異なる点です。
幸いにも異常無さそうですが、摩耗させてしまうと終わりになる恐れが大きいでしょう。



モートルを外しましたが、先に首振りアームをお見せします。
良く見れば心なしかカーブしていますが、ほぼ直線形状です。
作り・塗装からするとオリジナルと思えますが、ここまで真っ直ぐなのは見た事無いかもしれません。
それに、ビス穴の根元で少々くびれている辺りが大変レトロ。
これだけ見ても、相当古い設計であるのが窺えます。
真鍮製なので強度を稼ぐべく、その後のモデルや他社の鉄製のように、薄い板状に補強リブという構造ではありません。そのまま正直に太い造りです。

こうなると、首振りの動作はなかなかぎこちないんじゃないかなぁ…やっぱり極初期の製品と見て間違いなさそうです。
一応は基台側・カム側でビス穴径が異なっているため、前後方向では間違わないようになっています。



モートルの去った後の基台。
少々奥まっていますが、首振り動作用のベアリングは一般的な構造でした。
この辺りから古いグリスとの戦いが始まるのですが、今回は前例に無い程の「粘土化」したグリスでした。
「ベジマイト化」は定番なんですが…そこから更に油分が抜けると、粘土になってしまうのでしょう。



という事で、エンドベルとギアボックスに入ります。
初めて扱う型なので、どんな構造なのか気になるところです。



裏側。ビスが無い事からも分かる通り、ギアボックスは一体成型です。



開けてみました。
グリスの状態はまぁ置いておくとして、減速機構はGE製を彷彿させる「2段スクリューギア」方式。
先日の展示会にも出した川崎電機の戦後型もそうでした。

軸方向が2回変わるのが特徴で、この機種では2段目のスクリューギアが取外し不可能な設計になっていました。
軸受けの固定がイモネジではなくピン打ち込みになっており、外すならドリルで揉むしかありません。
そんな事をするなら、しつこくパーツクリーナで洗浄してからスプレーグリスを吹き付けた方が良いでしょう。



粘土のようなグリスと戦う事暫し。無事奇麗になりました。
首振りカムは珍しくイモネジでの固定でしたので、これまた簡単に外す事ができました。
普通はロックピンを圧入してあるので、プレスを使わなければ外せません。



ギアの近影です。
手前の高枝切り鋏みたいなのがクラッチ兼首振り切り替え機構。
今までに見た事の無い形です。
シャフト部分には、写真中央のリングギアと隣のワッシャが入ります。
ワッシャの溝は…グリスの循環用でしょうか。

首振り切り替えの仕組みについては、以下の感じになります。
シャフト部の太いところに写真左端のスプリングが内蔵され、「鋏」部分は普段閉じた状態となります。
写真上端の蓋にあるノブを押し込むと、その先端が「鋏」に入り、梃子の原理でスプリングが圧縮されます。
それと同時にシャフトから出っ張っていた「鋏」の反対側が引っ込み、リングギアがフリーになる(首振りオフ)…という仕組みです。

つまりは、「ノブ引き上げで首振りON、押し下げでOFF」という、その後定番となった機構とは逆の操作となるのです。
何とも珍しい…

そして良くできていますが…これ、本当に独自設計かなぁ。元ネタがありそうだなぁ…

と思っておりましたら、偶然にもそれらしいものを見つけました。
先に「GEを彷彿させる」と書きましたが、そのGE製「AOU」という機種です。
1920年頃の機種という事で、時代的にも合っています。
「Loop Handle」という愛称があり、その名の通りリング状の支柱の上下でモートルを支えている構造が特徴です。
碍盤の作りも非常に似ているようですので、後の三菱電機がウェスティングハウス社と提携する以前には、GE製を参考にしていたと推測されます。

先の記事で匂わせた下りはここに繋がるのですが、三菱造船から電気製作所が立ち上がった際、パテント的な理由で首振りをオミットした可能性を考えました。
より後年の機種が機能的に退化するのは一見すると不自然です。
ですがもし、電機製作所(Electrical Engineering)銘板のラインナップに首振り付きが本当に無かったのだとすれば…こう解釈する事も出来るのではないでしょうか。
…ちょっと穿った見方ではありますが。



ギアボックス側の清掃も完了。
左のビス穴や首振りカムシャフトの穴がセンターからずれているあたりも、手作り感や駆け出し感が見られるポイントでしょう。
いやしかし…ギアの下に入り込んだグリスを取るのがなかなか難儀でした。



こちらはギアボックス蓋の裏面。
首振り切り替えノブのシャフトには板バネが仕込まれており、これで引き上げた状態を維持するようでした。
緩んでいたので、マイナスドライバーで少々コジっておきました。



珍しい機種なので、普段なら省略する部分も撮りました。
こちらはモートルのロータ。
シャフトの前後には結構な枚数のシム・ワッシャが入りますが、これでも盛大に前後のガタが残ります。
とはいえ摩耗でもなさそうなので、当時の仕様という事で納得したいと思います。
なお、シムはロータに近い側から真鍮・ゴム(リアのみ)・圧縮紙・ゴム(リアのみ)という並び。
正解かどうかは不明ですが、手違い以外で変える部分でもないでしょう。



こちらはモートルケース(コイル付き)。
コードが前方引き出しタイプのモートルなので、ロータ取外しはしやすいですが断線時が厄介です。
ゴムブッシュも失われているようで、跡が残っていましたが…穴とケーブルの隙間がけっこうクリティカル。
入るサイズあるかなぁ。
というか、そもそもゴムブッシュだったのだろうか。
時代的に、タイトか何かのブッシングだった可能性があるかも。

で、汚れに関してはほぼ油汚れでした。
パーツクリーナと研磨剤で、当時の塗装が奇麗に蘇りました。
上記でも特に溶けたり削れたりする様子が無かったので、恐らくは漆の焼き付けでしょう。
グリースカップはフェルト軸共々、シンナーに浸して一晩放置しました。



単体になった基台です。
こうして見ると、その後のモデルよりも扁平な形になっているのが良く分かります。



この辺も油汚れでしたが油分がすっかり飛んでおり、パーツクリーナより研磨剤の方が効く印象でした。





銘板も磨きます。
今回は少々工夫して、背景の塗装部をできるだけ落とさぬようにしてみましたが、良い感じではないでしょうか。

銘板の右寄りの箇所には、恐らくファンガードが当たったらしい傷があります。
ガードの欠損と羽根曲がりに何か関係あるのかもしれません。
やはり重い何かが落ちてきて当たったか、地震か何かで頭から転げ落ちでもしたのかもしれません。
いずれにせよ、これも歴史の一つでしょう。

次はいよいよ配線の謎解き。
分解の時点では、本来の位置とは異なる箇所からモートルへ行っていました。
設計もその後の三菱製とは異なるので、どうなるかと思いましたが…



これが正解でした。
つまりはその後のモデルと同じく、中継端子から3本出す方式。
後は三相の並び順を1/9で確定させるだけでした。
余談ですが、最初に振った文字で言えば左から丙乙甲。

しかしながら、線の固定位置…碍盤の表か裏かは微妙な所です。
理由は基台が扁平形状で高さ方向の逃げがあまりとれない事と、ちょうど基台の引き出し穴と合う位置に碍盤の切り欠きがある事。



なのでこうしてみました。碍盤の裏から逆留め。
元々、分解時点でモートル配線に圧迫痕があったので、この方が断線予防にもなるでしょう。
ゴム被覆も奇跡的に弾性を留める範囲ではありましたが、すぐに千切れてしまう程度には弱かったので収縮チューブで補修。
長さに余裕があって良かった。



適当なビスで代用されていた、首振りアームの基台側ビスも交換しました。
…適当な穴埋め…いやいや、誰の事でもないですぞ獪岳殿。

段付きビスは芝浦睡蓮から拝借し、イモネジはジャンクから漁ったJISのすり割りがぴったりでした。
切ってから新たにすり割りを入れ直してイモネジとしても良かったのですが…何となくこのままとしました。
なお、この部分は元から雌ネジが切られておらず、そもそもイモネジだけで留める構造のようでした。
これまた初見の設計也…



組み立て途中。グリースカップも綺麗になりました。
モートルも見違えるように輝いております。

モートルの引き出し線にも、無事ブッシュを通せました。
ブッシュの内に入る側にちょっと加工を施しまして、押し込むだけで済むようにしたのが良かったようです。
基台に入る方も無事通過。懸案事項が一つクリアです。



お次はその欠損したファンガードの再生です。
歪みを修正して補修部材を載せた状態です。
真鍮線とはいえ、Φ4をペンチだけで手曲げするのは難儀でした…力が無いだけか?

このファンガード、外周の円は鉄線ながら、雷光部分と背後のビス穴の線は真鍮です。
なのでオリジナルに沿って真鍮線を使いました。
オリジナルは大体Φ3.5~3.6程度のようでしたが、そんなものは無いので素直にΦ4を使用。
黒塗装で引き締まるのを考慮すれば、やや太めでも問題無いでしょう。





作った部材のペンチ跡を削り、鈑金半田で固定。
エンブレム部は敢えて接着等せず、取り付け時のストレスを吸収するようにしました。
このタイプのガードはどうしてもビシッと寸法を出せないので、ある程度撓らせて取り付けする事になります。
するとどうしても半田部に応力が集中するので、それを少しでも逃がせれば…と思っての工夫です。
何処まで効くのかは不明ですが…

後はエンブレムをマスキングして塗装します。
2枚目の写真は作った部材とオリジナル部分の地金の比較です。
元の塗装は少々引っ掻くだけで落ちる状態でしたので、一通り剥がしています。

なお、ここで考えたのは「オリジナル塗装は生かしたいが、補修部材だけ塗るのも変なので全塗装するしかない」というジレンマです。
普段から「オリジナル度の重視」と言っていながら矛盾する事をしているようですが、実はこれも一つのこだわりでして…

今回、奇跡的に部品取りの個体もあり、ビス類の一部は拝借しています。
ガードも無事だったので流用しようかと思ったのですが…前回の記事の通り、僅かな年式・会社組織の違いで素材が変わっていました。
そこで安易に交換してしまうと、「ガードが鉄と真鍮の合わせ技だった」というオリジナル性を失う事となります。

対して塗装は変われど同じ真鍮線で補修を行えば、その点は維持されるわけです。
塗装と言うのは得てして痛みがちで、ファンガードは本体よりもはがれやすい傾向にあります。
現にこのファンガードのオリジナル塗装も、爪で引っ掻いた程度で剥がれる程度に弱っていました。

なのでここは素材のオリジナル性と仕上がりの自然さを優先し、敢えてガードのみ再塗装としました。
この辺りの判断は、結構迷うものです。



乾燥中。錆の上から塗れる塗料なので、強い代わりに乾燥が遅いです。
この時期の様に寒いと尚の事…







最後にエンブレムの陽刻部分だけ塗装を剥がし、磨いて完成。
2枚目の写真は塗装を剥がした後、続いてリュータで地金を出した段階と磨いた後です。
この部分はいつかの時点で再塗装されたようですね。



ファンガード再生と並行して、ファンの再生にも取り掛かります。
元々のファンはハブが曲がってしまっているので、幸運にもすっかり同形状の部品取り機から拝借し、塗装剥がしと磨きをかけます。



…と思ったのですが、剥離剤を4回かけ、内2回を半日ほど放置してこの程度。
全く効かない訳でもなく、明らかに気泡やムラがあったので後年の自家塗装でしょうが…ここまで厄介なのは初めてでした。



という事で作戦変更。
塗装が頑固な方はバランスは良い感じなので、元のファンをそれと重ねながら矯正します。
やればできるもので、許容範囲内には収まりました。
写真は修正後、酸化膜を落とした段階です。
「曲げ直しってこんなもんだっけ?」というのが正直な感想ですが、それは後ほど分かる事に…







そして磨きました。1枚目は磨き具合の比較です。
最近の自分のやり方として手磨きオンリーで仕上げましたので、バフや研磨剤の飛び散りを防げました。
液体ピカールとかだと結構飛ぶので、なかなか厄介なんですよね。
それに意外と疲れるので、手磨きの方が幾分か楽で早かったりもします。
変な磨き跡も付きませんし。
この季節は工作室も寒いし…夏は暑いんですけどね。

ところで、モートルや基台の設計はこの後の三菱電機「初号扇12吋」で一新レベルの変化を遂げているのですが、ファンの設計はこの時点で完成されていたようです。
というのも、三菱のファンはハブの羽根取り付け部に進角が付いており、羽根先端が回転方向と逆へスラントした独特の形状になっているのです。
その特徴がはっきりと現れています。
しかしやはり、後年の物とは細かく違っておりました。







後は組み立て、ファンに油を塗り完成。
読み通り、ファンガードはエンブレム部から少し引っ張られる感じでの取り付けになりました。
塗装されていない部分も引き出されましたので、タッチアップ的に塗り直しています。

それにしてもこの個体、現存しているであろう数を考えれば、奇跡的なコンディションではないでしょうか。
最初こそそれなりかと思った塗装の状態も、磨いてみれば大部分が奇麗に生きておりました。
欠品もモートルのエンドベル側ナットが一個と、ファンガード固定部の変形ワッシャが2個無い程度。
これも良くある欠品で、部品取り機からの調達で無事解決できました。
首振りアームの段付きビスも、芝浦と同じ径だったのは幸運という他ありません。

更には、モートルへ行くケーブルがオリジナルのまま生きているのが嬉しい点です。
交換した場合はエンパイヤチューブでそれなりに仕上げる事もできますが、やっぱりオリジナルには敵いません。
前方引き出しタイプなので、交換自体もなかなか神経を使いますし。

動作も当時の元気が蘇りました。
先述の通り首振りアームがほぼストレートなので、首振りの動作は正面から向かって左寄りに偏っています。
当時は機能をここまで漕ぎ着けるだけでも苦労したのでしょう。
予想通りかなりぎこちない動きで、ロータの前後のガタも相まって不器用感ありありな動作をします。
それもまた愛いのでOKです。

ただ、配線がまだ間違っているのか、あるいはそういう特性なのか、初動のトルクが弱く手のアシストが必要です。
動いてしまえばケガをしそうな程の勢いに至るので、単に始動時だけの問題なのですが…
そういえば、ミニ四駆のモータでタッチダッシュってありましたね。あんな感じです。


という事で、三菱電機という会社自体よりも古い三菱の扇風機が当時の姿を取り戻しました。
この機種の部品については「三菱電氣扇部分品一覧 昭和十一年度」にも一切登場しないので、早々にモデルチェンジしたのでしょう。
もしかすると伝説の川北電氣企業社「タイフーン」よりも、レアリティは高いのかもしれません。

いつか何かの形で、公式にも注目頂ければなぁ…なんて思いますが、それは贅沢というものでしょうね。
とりあえずは現役復帰という事で、それだけでも感謝です。残ってくれていてありがとうという思いです。

まともに現存する個体は、もしかするとこの一台だけかもしれません。
少なくともレストア済の実働機としては間違いないんじゃないかと…
それは言い過ぎかなぁ。

ではせっかくなので、「初号扇12吋」とも比べてみましょう。



こうして見ると背の高さから違うんですね。
右が今回直した「MKW型(造船)」、左が「初号扇12吋」です。



まずはこちら。基台のデザインが違います。
MKWの方がより扁平で、初号扇はそれ以降にも受け継がれる少々縦長のデザインです。





続いてモートルの前端。
1枚目が初号扇ですが、通気口が丸穴でケーブルの引き出しは向かって左寄りです。
首振りアームの固定箇所も向かって左側と、他社と同様になっています。

しかしMKWの方は、ケーブル引き出しは中央。
通気口も水滴形で首振りアームの固定は向かって右。
基台の左から刺さる仰角固定ボルトの向きで決まっているので、これが正解です。

引き出し位置の変更については、実際に動作させると理解できました。
中央引き出しだと、向かって左に首を振り切った際にファンとケーブルが接近します。
それで断線する事故を防ぐため、ケーブルを左寄りの逃げられる位置としたのでしょう。



後ろ姿。
ギアボックスが違います。





1枚目は初号扇。この後の神戸製作所時代を通して使われた「甲型」ギアボックスです。
対して2枚目のMKWは、甲とも乙とも違う構造。
名称も不明(そもそもなかった可能性)で、恐らくはこの一代限りではないでしょうか。





そしてファンの裏側。羽根の固定されるハブ部分にご注目。
これも1枚目が初号扇、2枚目がMKWです。

リベットの配置も若干違いますが、リベット穴部と軸の間にある「捻り」の部分が異なります。
MKWの方がかなり細いのです。
つまり、歪みを手で直せる程度の強度だったという事…
今回は良い方へ転びましたが、転倒や異物衝突で変形しやすい弱点があった事でしょう。





表から見るとこんな感じです。
一番大きな差はハブが貫通しているかどうかでしょう。





お次はスイッチ部。並びは上記の通りです。
スイッチつまみのデザインが異なり、MKWの方がローレット模様が粗いです(陶器製で欠けていましたが、金属部が出ていないので敢えてそのままとしました)。
スイッチ銘板も様式は同じながら、左下の小さな番号は「928」から「M.928」になっています。
三菱電機として独立した頃という事を念頭に置くと、MitsubishiのMなのかなぁ…造船にしろ三菱なんだけど。



以上、奇跡の一台と思われる、三菱造船の扇風機復活の記録でした。
さて…次は同じ「MKW」でも「電機製作所」銘板の方。
あちらは塗装もなかなかの荒れ具合なので、一苦労しそうです。
先に別の隠し玉を済ませようかなぁ…
赤十字病院の備品銘板が付いた、大正末期の芝浦電氣扇です。
これまたいろんな歴史を経験していそうな物で。
いずれにせよ、乞うご期待。

そして、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
車の方もやりたい事はあるので、ちゃんと手を付けたいと思います。
Posted at 2022/12/31 16:54:33 | コメント(2) | トラックバック(0) | アンティーク家電 | 趣味
2022年12月25日 イイね!

三菱電機「初号扇」より古い? 三菱造船・同電機製作所「MKW」電氣扇

雪と氷の季節となりましたが、扇風機ネタがアツい今日この頃。
暫く眠らせておいたものを掘り出して参りました。

ですがその前に…まずは先日の展示会で出させて頂きました、三菱電機の「初号扇12吋」をご覧ください。



雷光型ガードと真鍮無垢羽根が何ともレトロな、大正期を代表するスタイルです。やっぱりカッコいい。
そしてこれが、三菱電機が最初に販売した扇風機とされており、羽根ガード以外の各部はその後の同社製に通じる部分が多く見られます。

…が、同じ三菱ながら更に古い機体があるとしたら…どうでしょうか?




「MKW」のエンブレムが目を惹く扇風機。
雷光型ガードが示す通り、「初号扇12吋」にそっくりの大正期の機体ですが…正体は何でしょうか?
実はもう1台(正確には更にもう1台で計3台ですが、そちらは部品取り)ありまして…



それがこれ。
正面から見るとほぼ同じですが、首振り機構の有無がまず違います。
そして銘板も…





上が最初の写真の方、下が2枚目の方の機体です。
少々見にくいですが、それぞれ「Mitsubishi Zosen Kaisha. Ltd.」と
「Mitsubishi Electrical Engineering Co,. Ltd.」となっています。
そして共に、「Kobe Works」とも刻まれています。

そうです。「三菱」ではありますが「三菱電機」ではなく、「造船」と「電機っぽいけどちょっと違う」会社の製品。
いずれもかなり古そうですが、これだけでは良く分かりません。

MKWというエンブレムも含め、これがどういう事かと言いますと…
まずは三菱電機という会社の興りから知る必要があります。

以下、このMKWエンブレムの機体を「MKW型」、2台を分ける場合は「MKW型(造船)」並びに「MKW型(電機)」と便宜上呼ぶ事とします(型式名が無いためですが、公式の名称ではありません)。


さて、三菱電機や三菱重工(当時の三菱造船)ホームページにある沿革には、簡単に各時代のハイライトが紹介されていますが、それだけでは不十分でした。
そこで社史や資料として残されていないか、あるいは公式の時代推定やそのヒントを頂きたく、三菱電機へ質問を出させて頂きました。
ここからの情報は、掲載の許可を含めて回答を頂く事が出来た内容を含みます。
この場を借りて感謝申し上げます。

まず三菱電機の前身から独立までについて、扇風機を主体とすると下記のような流れになります。
三菱重工・電機両社の沿革および、三菱電機より頂いた情報を合わせております。


大正6年
「三菱合資会社 造船部」が「三菱造船株式会社」として独立(神戸)

大正7年
三菱造船神戸造船所で扇風機の生産を開始(初号扇12吋の発売)

大正8年
三菱造船の電気部を分離し「電機製作所」を設立

大正10年
「三菱造船 電機製作所」を母体に「三菱電機株式会社」が独立

昭和9年
「三菱電機 名古屋製作所」(通称「名電」)で扇風機の生産を開始
(Wikiによれば、この時点で三菱電機本店も名古屋へ移転しているため、生産拠点自体が名電に移転したと思われる)


という感じになります。
つまり、「三菱電機」という名称よりも、「Zosen(造船)」や「Electrical Engineering」の方が古いであろうと推測できます。

「Electrical Engineering」は三菱電機を「Mitsubishi Electric」と表記する事を見れば、それとは異なる組織と考えられます。
直訳すると「電気工学」となるため、「三菱電気工学会社」みたいな意味になるのでしょうか…? いや、それは安直すぎるでしょう。

恐らくは大正8~9年に存在した、三菱電機の前身である電機製作所の英語表記ではないかと考えています。
とはいえ三菱重工の沿革をグローバルサイトで見てみても、「Electrical Engineering」の表記はありませんでした。
三菱電機サイドとしても不明との事で、推測の域を出ない内容です。


続いて2台の「MKW型」の正体ですが、三菱電機より頂いた回答では、「大正7~9年と大正10~昭和9年の間にそれぞれ作られた製品ではないか」との事でした。

「MKW型(造船)」の方が社名からしても古く、上記年表の通り大正7年の生産開始から大正10年の三菱電機発足の間、即ち大正7~9年と推定されるわけです。
また「MKW型(電機)」については、「Kobe Works」の表記もあることより、大正10年の「三菱電機」の誕生から昭和9年の名電への移転までに製造されたと推測しますとの事でした。

ここに私のこれまで見てきた経験を合わせますと…
まず「MKW型(造船)」については、大正7年かそれに近い年の生産と見て間違いないでしょう。
シリアルが7568とかなり若く、そもそも社名が「三菱造船」となったのが前年の大正6年、そこから「電機製作所」が分離されるまでも2年しかありませんので、それが理由です。

また「MKW型(電機)」については、三菱電機サイトの沿革では「大正10~12年に約1万台の扇風機を生産」とありますので、大正10年頃ではないかと考えます。
あるいは、「Electrical Engineering」が「電機製作所」ならば、大正8年頃でしょう。
大正10年頃と見た場合の理由は、下記の写真をご覧頂き…



これは本エントリ最初の写真「初号扇12吋」の銘板ですが、シリアルは16912と、通し番号ならばなかなか進んでいます。
「大正10~12年に約1万台の扇風機を生産」からも7000番近く足の出た数字です。

一方で「MKW型(電機)」のシリアルは4940と非常に若い数字です。
なので首振りの有無で番台を別にされていないと仮定すれば、より生産開始年に近いものではないかと考えています。
そして銘板の様式は同じ。社名も両者「Electrical Engineering」なので、あまり離れていない年式という事になります。

するとこの「初号扇12吋」(シリアル16912)については、展示会では大正7年と記載したものの、改めて考証するともう少し後の可能性が大でしょう。
上記の通り、同じ会社名ながらより古い「MKW型(電機)」が大正10年頃だろうと言うのも理由です。

もう一つの理由ですが、これは唐突ながらカナデンという会社のお話を出さねばなりません。
その沿革にはこの様な記載があります。

「大正11年夏、三菱電機株式会社が新製品として扇風機を開発し、三菱商事株式会社経由で販売を開始(中略)生産台数は年間約3万台であり、当社の取扱量はその10%、3,000台であった。」

そしてページ内には「初号扇12吋」の写真も掲載されています(「第1号電動扇風機(12卓上扇)」と表記、上記文とも「カナデンを知る」より引用)。

即ち、この辺りで既に大規模な生産能力を三菱電機は持っていたと考えられます。
昭和9年の名電移転より前の大正12年には、米国ウェスティングハウス社との技術提携も結んでいます。
銘板から「Kobe」が消える前に通称「菊水ガード」の機種まで進化した(こちらのエントリ参照)という流れの速さも、「初号扇12吋」がもう少し新しい理由の一つと考える事ができるでしょう。

「MKW型」から「初号扇12吋」までには各部の設計が大きく進化しています。
その進化がカナデンの沿革にある「大正11年の新製品」かもしれませんし、それこそが「初号扇12吋」の登場年なのかも知れません。

なお、MKWが何を意味するのかはエビデンスが失われているようでした。
ですが芝浦製作所(Shibaura Engineering Works)が「SEW」とイニシャルを取ったエンブレムとしていた事からも、何等かの略称であると考えるのが自然です。
そこで「Mitsubishi (Zosen Kaisha / Electrical Engineering) Kobe Worksの略ではないでしょうか?」とお聞きしたところ、恐らくそうでしょうとの事でした。

ちなみに「初号扇12吋」で検索をかけると本エントリ最初の写真と同じ機種がヒットするのですが、それより古い「MKW型」をそう呼称するのはNGとの事です。
これも掲載に当たって三菱電機へ確認させて頂いた点なのですが、考えてみれば同社の製品と確定できない(完全独立以前の製品である)以上、それを「初号」と呼ぶべきかと言えば答えはNOでしょう。
重ねてになりますが、上記(本エントリの写真を見比べても、基台のラインが若干異なっています)の通りで設計が大分進化していますので、その有無も関係するはずです。


…という事で、正体が見えて参りました。
まとめてみますと、

1.
2台の「MKW型」は「初号扇12吋」より古いが、「三菱電機の初号」ではない

2.
「MKW型(造船)」は大正7年頃、「MKW型(電機)」は大正10年頃の製造と考えられる

3.
MKWとはMitsubishi (Zosen Kaisha / Electrical Engineering) Kobe Worksの略である

4(おまけ).
「初号扇12吋」は大正11年型を示すのかもしれない

となります。

しかしここで、一つの疑問が湧いてきました。
鋭い方はお気づきかもしれませんが…「MKW型(造船)」の方が古いであろうに、「MKW型(電機)」の方がシリアルが若いのです。
この矛盾についても質問していたのですが、そもそもシリアルが通し番号であったか自体が不明との事(芝浦等、機種別に番号だけの型式名が存在したパターンもあるため)で、真相は忘却の彼方です。

しかし一つの仮説としては、「三菱造船」から「三菱電機」として新たに独立したため、その時点でシリアルもリセットしたのではないか? と考えられます。
そもそも同じエンブレムを使っており、設計も細部以外ほぼ同じなのでシリアルも連続するものとばかり思っていましたが、それが先入観というものでしょう。

ここでふと思い出したのは、測定機器の「hpがAgilentになった」という出来事でした。当時はまだ学生でしたが、実験室にはエンブレム違いのマルチメータとかが混じって置かれていました。
同じ製品のままエンブレムだけ変わったりしていたので、このような落とし穴にはまったのでしょう。



そしてここからは、「造船」と「電機」2台の「MKW型」の違いを見ていきましょう。

まず最も大きな違いは、機体背面の首振り機構です。





これは機種の違いと言っても良さそうですが、手元にある「Electrical Engineering」名の2台は共に首振り無しです。
会社が新しく独立したのに機構的に退化するというのも不自然ですので、繰り返しになりますが機種的な違いでしょう。
でももしかすると…





続いては碍盤。
分かりやすくはスイッチバーに被るアーチ状の金具の有無です。
上の写真の「造船」にはありますが、下の「電機」にはありません。
スイッチバー自体の成型も変化しています。
その後の「初号扇12吋」から戦後型に至るまでの同社製にもありませんので、早々にオミットされた部分なのだと推測できます。



参考までに、こちらが「初号扇12吋」の碍盤。
基本的な配置は似ていますが、細部に違いが見られます。

そして、実はこの部分と「造船」の首振り機構には元ネタがあるようなのですが…それはレストア記事の方に書きたいと思います。
上記の「銘板の違いと首振りの有無の繋がり」にも関係するかもしれません。

後は写真には撮りませんでしたが…羽根ガードの素材の違い。
どちらも同じ構造で作られた雷光型ガードで外周部分は鉄ですが、「造船」は雷光部分とそれに連続する背面は真鍮製です。
まさかの異種金属。

一方で「電機」の方は、雷光部分も鉄製。磁石がくっつきます。こちらは溶接での接合でしょう。
なので、今後の整備にあたっては「造船」の方から着手しますが、部品取りの「電機」の方からの移植は避けた方が良いかもしれません。
そちらは損傷も無いのですが、「造船」共々奇跡的な現存機なので、できるだけオリジナルに忠実にしたいと思います。

なお、羽根自体は共に真鍮製で形状も同じでした。
オークションでも良く見られる、その後の三菱電氣扇と同じタイプ(ハブの羽根取り付け部に進角が付いているタイプ)でした。
但し、軸穴が貫通しているのはこの時期だけのようです。



…という事で、普段よりアカデミックでマニアックな内容となりましたが、いかがでしたでしょうか?
やはり古い物というのは、辿ってきた歴史やその中での立ち位置が気になるところです。
そしてそれを知る事ができた時、より愛着が湧き、他の同時期の製品との比較もでき…つまりは楽しみが増すのです。

古い物自体の良さに留まる事無く、そこから一歩踏み込んだ世界も知ってみる…というのは、謎解きや冒険のような魅力があります。
戦前の製品であれば当然戦火を潜り抜け、金属供出も免れてきたわけですし、扇風機ならば当時は高級品ですから「どんな所に居て、どんな景色を見てきたのだろう」と思うだけでも面白いものです。

そういった「モノ」にまつわる歴史や背景も愛し、知りたいと興味を持つ事…とある友人は、それを「抒情性・リリシズム」であると表現しました。
先日の展示会を開催頂いた「道具屋ホリデイズ」の代表です。
彼もまた「抒情性」を大切にする方でして、古物商という本業と兼ねる上での割り切りの一方、単なる「売れる・売れない」だけではない扱い方をしたいと言っています。
私自身も同じ思いです。

かなりディープかつニッチな話題にはなりますが、これからも「この物の正体は、背景は何だ?」と掘り進めたいと思います。
お付き合い頂ける方が居られましたらご幸甚でございます。
Posted at 2022/12/25 22:42:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | アンティーク家電 | 趣味
2022年12月03日 イイね!

三菱電氣扇のマイナー比較(大正末(?)と昭和10年頃の機種について)

先日の展示会に際して扇風機の話題ばかりとなっておりますが、今回もその余波(?)を受けて扇風機ネタをお送りいたします。

さて、展示物の内では、箱付き個体ながら「箱だけ」を展示したものがありました。
それは三菱電機の扇風機でしたが、実に10年ぶりに箱から出したという始末でした。

当時愛知に居た私が例によってオークションで入手した個体でしたが、そこでのレストア以来開けた記憶がありません。
なので羽根はすっかり曇っておりましたが…箱というのはやはり影響が大きいのでしょう。
普通に置いていた場合とは比べ物にならない程に、酸化膜は弱いものでした。

というものを折角なので再整備したわけですが、ほぼ同じ型の年式違いを持っております。
なので今回は、その2台の比較でもしてみようか…という内容です。



こちらになります。
左の真鍮無垢羽根の方が古く、恐らくは大正末期か昭和初頭の機種。
右は銘板の特徴を他の個体と比較する限り、昭和10年頃までの機種です。

一見すると羽根の仕上げ以外に違いが無いように思えますが、よく比べるとほぼ別のモデルとも言えそうな相違点が見られます。

この写真の時点で既に異なる部分があります。
両者とも「菊水ガード」という呼び名をどこかで見たデザインですが、「菊」の花弁部分が12か所から10か所へ減っています。
それに伴ってスポークも10本となり、羽根ガードのロックの数(右:6か所(1か所欠損)、左:5か所)も異なっています。





まずは違って当然な銘板から。
上が古い方で、右下には「Kobe. Japan.」の文字があります。
三菱電機は大正9年に三菱造船(神戸)の電機製作所としてスタートしていますので、恐らくその時代の機種であろうと推測できます。
しかし翌年には工場を大曾根(通称「名電」、実は勤務経験あり)に移し本店は名古屋→東京と移っていますので、それまでのわずかな期間の製品なのかなぁ…とも思えます。
にしてはそれなりに見かける気がするので、当時年間三万台とも言われた生産数によるものか、はたまた別の理由なのかは分かりませぬ。

下は楕円形にスリーダイヤが赤くなっていますが、先日展示した「昭和12年 エトラ扇」と同じ様式ながら、そちらには上部に追加されている逓信省の承認番号銘板がありません。
なので、恐らくは逓信省の電気用品取締規則が制定された昭和10年以前という事が分かり、かつその近辺であろうと推測が可能です。
こちらにはKobeの文字がありませんが、後年に「風の中津川」と呼ばれる中津川製作所は戦時中の移転先との事なので、名電生まれなのかもしれません。



続いて後ろ姿。
これはギアボックスの違いが最大の相違点でしょう。











上が古い方、同社部品カタログにおける「甲型」ギアボックスです。
芝浦等と同じ、遊星ギアを使った方式です。
この個体の個性なのか、結構なガタつきが見られます。
カムとネックピースの軸穴にそれぞれ遊びが大きく、それによるものです。

下は新しい方で、同じく「乙型」です。
これは戦後のエトラ扇まで引き継がれたカウンターギア式ですが、これを採用した機種はギアボックス等が脆くなり、崩壊しているものが多いです。
こうして無事なのはごく一部…戦後の問題無い品質の部品に交換され、ギアボックスとモートル受け(ネックピース)だけ緑色という個体もちらほら見られます。
この「乙型」は崩壊するのは別として、元より精度は高いように感じられます。

そして最後の3枚は「三菱標準型電氣扇 部品型録 昭和十一年度版」。
その中の各ギアボックスのページです。

この二種の特徴として構造以外に見られるのは、「乙型に崩壊しているものが多い一方、甲型ではほぼ無い」という点です。
ギアボックスとその下の首振りカム、ネックピースの三点が同じ症状に見舞われますが、甲型ギアボックスの個体はその他の部分も無事である事がほとんどのようです。

崩壊具合は個体にもよりますが、総じて「部品全体が膨張してひび割れ、脆くなって崩れる」という感じです。
運が良ければ、首振りの軸が締め付けられてロックされる程度で留まるようです。

甲型・乙型ともダイキャスト(恐らくは亜鉛合金)で、モートルのエンドベルは鉄製ですが、形状以外の条件が同じである事から異種金属接触腐食(ガルバニック腐食)ではありません。
内部のギアやシャフトも真鍮や鉄ですが、そこにはオイル・グリスが介在しますので直接の接触は起こりにくいでしょう。
また、異種金属が接していない部分まで均一に崩壊している事も理由になります。

この崩壊現象の正体は「粒界腐食による割れ」と推測されます。
古いダイヤペットなどのミニカーにも一部車種で起こりますが、製造時の不純物濃度が規定外にあると、時間経過と共に金属結晶内で析出してしまい、コンクリートで言う爆裂のように崩壊が起こるものです。

そして両者は、モートルの線の引き出し箇所も違っています。



少々暗いですが、古い方はモートルの前方、羽根に近い方から引き出されています。
これは芝浦も同様で、初期型のみこのような仕様となっているようです。
確かにエンドベルから出ているよりもスマートで引っかけにくくもなっていますが、いざ断線した時の修理を考えるとコイルを引き出さなくてはいけません。
なので、早々に後ろからの引き出しに変えたのではないでしょうか。

当時は扇風機は高級品で、個人が使えたとしても月賦購入か貸し出しが普通でした。
故に壊れれば直すのが当然で、メンテナンス性も製品の出来を左右する重要なファクターだったと思われます。

最後に…これは写真を撮っていて気づいた点ですが、かなり微妙な違いになります。





羽根ガードを支える、丸穴の空いたステー。その穴の大きさが違います。
何とも微妙ですが、モデルチェンジに当たってこの部分まで作り直したのでしょう。
ここまで来るとそうした理由は分かりかねますが、穴が小さくなっているという事は強度面での不足があったのでしょうか。
芝浦等でもこのような「微妙な違い」は見られますので、マイナーチェンジやモデルチェンジで細部まで作り変えるというのは、当時普通だったのかもしれませんね。


という事で、同じような機種の違いについて見てみました。
今度は羽根が黒い方のとその高級版(チョコレート色とマイカルタ(ベークライト)羽根の個体)でも比較してみましょうか。
Posted at 2022/12/03 20:16:07 | コメント(2) | トラックバック(0) | アンティーク家電 | 趣味

プロフィール

「中身も伴った大型機 R.シュミット(ワーゲン商会扱い) 24型商館時計 明治22年頃 http://cvw.jp/b/2115746/48476479/
何シテル?   06/08 22:43
菊菱工廠と申します。 「工廠」なんて言いましても、車いじりは飽くまで素人。 電装系なら結構自前でこなします。 ちょっとした金具作りなんかも。 ナ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2022/12 >>

    12 3
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 31

愛車一覧

三菱 エクリプスクロス 三菱 エクリプスクロス
アウトランダーPHEVと迷った結果、偉大な先代、コルトプラスの跡を継ぐこととなりました。 ...
シボレー サバーバン シボレー サバーバン
Super Wagon, Texas Cadillac… それはアメリカで最も長く続くモ ...
三菱 コルトプラス 三菱 コルトプラス
家族の車です。 私が免許を取った際の練習にも活躍しました。よって、免許取得以前からの付き ...
三菱 パジェロ 三菱 パジェロ
荒野の山猫、パジェロの初代後期型でございます。 88年9月MC版、4D56 I/Cター ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation