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菊菱工廠のブログ一覧

2023年01月22日 イイね!

国産初のプラスチック羽根採用機~三菱電機 D-10B型「10吋小型高級扇」(昭和27年)

久々…と言いますか、ほぼ初となる50年代の小型扇風機です。
これまであまり力を入れてこなかったジャンルの物ですが、この度入手してみました。

というのも、この機種は「国産機として初めて羽根にプラスチックを採用した機種」だから。
エポックメイキングな一台という事で、気分転換も兼ねて買ってみた次第です。



10吋なので普通の扇風機よりも小型です。
構造もかなり簡略化されており整備性は良いですが、メカ的な面白さや「息を飲む古さ」みたいな迫力が今一つのため、これまで手を出さずにいました。
プラ羽根が各社増えてきた年代で、強度が心配だったのも理由の一つです。

また、デザインがステレオタイプなレトロ系で安定した人気があり、長期的にそれなりに値が張っているのも原因でした。
…と、ネガな事ばっかり書いてますが、気に入っていますし他社製の同年代機も好きですので悪しからず。


そしてこの機種の名称は、「10吋小型高級扇」。
型式名がどこにも書いていないので、この名前が分からなければアイデンティティを持たせた呼び方ができない代物です…





こちらが銘板。
縦長の銘板が配線カバーとスイッチパネルまで兼ねており、配線関係はこの中で完結しています。
速度調整も無いため、純粋に単相モートルの前にスイッチが入っているだけというお手軽さです。
しかしどうやら、スイッチがこのように「ON-OFF」だけのものと、「HIGH-OFF-LOW」の2速のものがあるようです。

そして何故か…逓信省の認定番号が空欄です。マークは刻印されてるのに。
タイトルに載せた「D-10B」という型式も書かれておらず、なかなか謎な銘板。
2速のタイプは型式認定がしっかり刻印されているようですが…
機能面での進化と見ても、こちらの1速タイプの方がより初期の型か、あるいはモデルチェンジで別の型式名が付いていたのかもしれません。

とはいえ型式認定が義務化されたのは昭和10年とこの機種の時点でかなり古く、表示しないと販売できなかったのでは…
しかし別件で入手した東芝冷蔵庫(昭和33年)のカタログにも「申請中」としてある機種がありましたので、実は意外と柔軟なルールだったのかも…?

そもそも、この扇風機の事を知ったのは川北電氣企業社の「タイフーン」を検索していた時の事でした。
「産業技術史資料データベース」というサイトがこの時ヒットし、その流れで同サイト内で見つけたものでした。
このサイトの写真は白黒な上にかなり小さく、詳細までは見られない解像度でしたが、本体のシルエットとガードのデザインから実物を見つけてきたわけです。

サイト中に「D-10B」という型式名と1952年(昭和27年)製造という事が記載されていたのですが、銘板は上記の通りですし、箱付きで出品された時の画像を見つけ出しても「10吋小型高級扇」しか書かれていないようなのです。
ここまで型式名と実物が結びつかない奴って…今まで無かったような気がします。

なお、他社にも似たような状況が発生しており、東芝の「花シリーズ」は、花の名前と型式名の結びつきを知るのが困難だったりします。
こちらも花の名前が箱とカタログにしか無く、画像検索で箱付き個体がうまく見つかるかカタログを入手できなければ闇の中…となります。

製造年については、いつもの通り特許周りから攻めようにも、3つ記載のある内でヒットしたのは1件のみ。
それは昭和25年の実用新案で、この扇風機の特長でもある「シンプルな構造」についての申請でした。
スイッチを独立させてパネルを銘板と一体にする事で、組み立ても修理も簡単になる…と言った感じの内容でした。

という事で、これがそのD-10Bであり、国産初のプラスチック羽根採用機であろうと考えています。



さて、ここからはレストアのコーナー。
50年代製という事で楽な整備になると思いますが…果たして。



分解していきますが、このデザインだとあまり「マイクスタンド」には見えませんね。
ガードの固定にも小さい金具が使われていましたが、奇跡的に欠品無し。
電源プラグまで元のままの完全オリジナルコンディションでした。
「ヤレてるけど現役の未再生フルノーマル旧車」みたいな感じ。



モートル前側の寄り。
右側に窪みがありますが、これは恐らくファンの固定ビスを回す際のドライバーの逃げ。
それだけモートルとファンが接近した構造という事です。
デザイン上の、一体感の演出でしょう。



続いて後側。
カウル付きデザインのセオリー通り、後端のビス一本を外せば良いわけですが、その前に首振りのアームを外します。
カウルの穴とカムがずれているのはわざとで、カウル脱着の際の逃げを考慮した設計です。



カウルが取れました。
…というか、乙型ギアボックス君じゃないか。
戦後も戦後、しっかりモダンなデザインに進化した機種ながら、完成された機構は引き続き採用されていたのですね。
寸法的にも戦前の乙型と同じに見えます。



一旦下側に行きます。
銘板兼配線カバーを外したところ。
本当にシンプルに、スイッチを挟んでモートルを回すだけの配線です。
なおこの個体は不動品として購入したのですが、スイッチの感触が怪しかったので接点復活材を吹き込んでしつこく動かしたところ復活。
スイッチの動作不良による不動でした。

ぶっちゃけスイッチ自体は普通のトグルスイッチで、取り付け穴径も現在と同じです。
交換してしまえばそれまでなのですが、つまみ形状が今は無い木琴のマレットみたいなタイプですから、復活してくれて嬉しい限りです(とはいえ、あれを入れすぎると今度は絶縁不良を起こしかねないので要注意です)。
ビニールテープがオリジナルかは怪しいですが、コードのカレンダー処理はオリジナルでしょう。
壊さないように外します。



また上に戻ってギアボックスの外し。
蓋は乙型そのものでしたが取り付け方法が変化しており、芝浦同様の表からのビス止めとなっていました。
なお、この周りの素材も進化しており、亜鉛合金からより軽量なアルミ合金になってるようです。
戦前の三菱や富士電機で結晶粒界腐食を起こすのは、亜鉛合金の方でしょう。



外したエンドベル。
配線引き出し部は切り欠きになっており、わざわざ配線を通す必要が無いよう工夫されています。
戦前型と違って鉄鋳物じゃないので、裏面も綺麗にフラットです。
今じゃ当たり前なのでしょうが、普段戦前の機種ばかり扱っていると、こう言った点が有難く感じられます。



モートルのコイルです。流石に近代的で奇麗です。
単相モートルなので隈取り巻き線ですね。



モートルの去った後の基台、ネックピース部。
このベアリングも戦前から三菱製に採用されていたタイプ。
非分解の代わりに取外しできるので、結果的に洗浄しやすいのが個人的に気に入っています。
それにしても、首振りアームは完全なストレートですね。
三菱造船と同じ…というのは偶然でしょう。







いつもの面倒ポイント、ギアボックス清掃です。
構造もやっぱり乙型そのもの。
クラッチ機構の付くギアがベークライト製なのも一緒です。





ここからはひたすら清掃と磨きパートに入ります。
まずはエンドベルから。
年代なのか素材なのか、パーツクリーナでスッと落ちてくれました。
緑は元からの塗装の名残なのでこのままにします。





本体外装はピカールで楽に仕上がりました。
塗装まで削らぬよう注意ですが、汚れや下地の種類によっては塗装面にも効果的だったりします。



今回嬉しかった点の一つ、オリジナルのプラグです。
ビニル成型品のプラグボディに、端子を差し込む形で組み立てるタイプです。
現在も主流の最中合わせタイプと登場は近かったようですが、こちらは主に既製品に採用された一方で、早々に非分解の一体成型タイプへ進化したようです。
そのためきちんと残っている個体が少なく、ビニル自体も経年で硬化しているので、慣れていないと扱いにくさ爆血です。

本当はコード類の清掃写真…なのですが、撮り忘れました。失礼…
この年代以降の機種は構造的に楽な一方、ビニル電線の扱いに一工夫必要な事が多いです。
黒や白なら素直に交換しても良いですが、この様に本体に合わせた色の場合は新品がほぼありませんので、出来る限り生かしたいものです。

経験上、清掃にはセスキ炭酸水がかなり威力を発揮しますが、芯線まで濡らさぬようご注意を。
被覆が破れていれば切り詰めるか交換しましょう。
状態の良い色つきビニル平行線も機会を見て入手しないと。







お次はファン。
これが国産初のプラ羽根…周囲が劣化していますが、全体的にはしっかりしているようです。
しかし劣化故に匂いも出ており、ポリコンテナを野ざらしにした時みたいな刺激臭が若干しています。

とはいえ成型も分厚く小径という事もあって、ポッテリしたシルエットが愛いですね。
裏面にはハブが取り付けてありますが、ボス・ダボに金具の穴を差し込んで溶着する方式のようです。







清掃完了。
塗装仕上げでもないので、プラ用コンパウンドで磨きました。
ワックス入りなので後は特に何も塗らず。



最後はファンガード。長崎屋。それはサンバード。
こちらも軽く汚れ落としをした程度で、主な手入れはエンブレムの再生。
真鍮プレートが左右端一杯に渡っていますので、ここが光ると一気に奇麗に見えるでしょう。



奇麗になりました。組み立て後ですみません。
シャンパンゴールド系の色はどうしても油じみや錆びの影響が目立ってしまい、落とす手段も無い(ですよね?)ので、ある程度の変色は味として受け入れましょう。
後はどうしても傷ができやすい且つ塗装の剥げやすい部分なので、錆びも出やすい傾向にあります。

続いて銘板兼配線カバー。
これが綺麗になればかなり見栄えがしますが…



ディモールトベネ。こちらも撮り忘れたので完成後の写真です。
戦後の銘板は造りこそ戦前同様のエッチングですが、塗装が各段に落ちにくくなっていますので、幾分か安心して磨けます。



後は組み立てるばかり…かと思いきや、最初に復活しかけたスイッチがまた不調になってしまいました。
やっぱり付け焼刃ではダメですね…ちゃんと打ち直さないと。
という事で分解整備します。
普通は交換するんでしょうが、カシメ部分を斬り飛ばせば開けられそうなので。





はい開きました。
予想通り、接点の汚れが原因に思われます。



磨いてみました。
この時点でローラー状の接点を置いて測ると、しっかり導通が取れました。



後は接点グリスを注して組み直し。
長リベットの代わりにM2のビスを入れました。



そして完成。
各部にヤレはあるものの、全体的に綺麗目な仕上がりとなりました。


…では終わりません。
折角「1952年・昭和27年」というピンポイントな製造年が分かったので、ちょっと資料を探してみました。



そして見つかったのがこちら。
扇風機関係論文の参考文献でもおなじみのアサヒグラフです。
1952年5月14日号。
その裏表紙には…





三菱扇風機の広告が。
その中には「10吋小型高級扇」の姿も。
そして気づけば、既に持っている機種も2台写っています。
あれらも同期だったとは…



という事で昭和27年の三菱が3台揃いました。
こうなると他のも集めたくなってしまうので困りものです。



さて…次は何を直そうか。
そう言えるくらいにはストックがあるわけですが…
一体何台あるんだか。多分50台は超えているはず。
Posted at 2023/01/22 22:23:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | アンティーク家電 | 趣味
2023年01月22日 イイね!

戦前三越の扇風機を修復~芝浦電氣扇 7017型「三越特選品」(昭和2年頃)

2回連続「芝浦電氣扇」のお話。
今回はまたしても変わり種で、「三越特別仕様」の睡蓮になります。



まずは入手時の姿から。
電線が替わってはいますが、よくあるビス頭の潰れやP剥げが見られません。
良く言えば状態が良いですが、悪く言えばあまり手入れされなかった可能性…

そしてこの時点で、本体色が茶色なのが分かります。
注意すれば、ファンがシルバーメッキなのも見て取れるかと。



その理由がこちら。
この個体は機能的には普通の睡蓮ですが、外装が特注仕様となっている「三越特選品」。
個人向けの高級仕様と思われますが、型番的にも以前ご紹介の高級仕様(C-7067高能率型、こちらからどうぞ)より前の物と思われます。

この「黒の上から別の色を塗装して、各部をシルバーメッキ化」という手法が高能率型と同じなので、茶色の本体色もオリジナルと見た訳です。
各部の塗分けも丁寧で、銘板も塗装してから取り付けたのが分かりました。これも理由の一つです。
更には京都電燈の管理タグも付いており、そこには塗料が着いていませんでした。

製造された時代的には、ちょうど「三越呉服店」から「株式会社三越」へと変わる昭和3年近辺に当たりそうです。
なぜそうなるかと言うと…

まず、この扇風機の型番は「7017」で本体の設計は大正末期、7007型(こちら、「病院の扇風機」です)ともほぼ一緒です。
芝浦は昭和に入って少しの頃に「C-○○○○」という型式ルールに変わったようですので、この事から大正末期~昭和初期であろうとまずは予測できます。

そして注目するのが「睡蓮」の由来たるファンガード。
これまた前回紹介した写真を使いまわしますが、





これが睡蓮の初期型。
型式は同じ「7017」で、銘板も全く一緒なんです。

しかしながらガードのデザインが若干違います。
前後最中合わせ構造は一緒ながら、三越の方は縦枠のカーブが逆になっており、花模様に見えるデザインに進化しています。
固定方法も、両端+下端の爪3か所を引掛けて上端を留める(留め金かどうかは不明)から、4本のビス止めになっています。

この違いは意匠登録にしっかり現れており、初期型は第28521号「煽風型扇風機保護枠」で、登録は大正14年。
三越とそれ以降の睡蓮は第36243号「花辯型電氣扇保護枠」となっており、こちらは昭和2年です。

本来は銘板にこれらの番号が刻印されるので、今回の「三越特選品」に36243が無いのは少々変ではあります。
とはいえ、良く見ても塗装も含めてオリジナルであろうと思われるので、銘板の方が間に合わずに見切り発車して製造されたのかな…と考えられます。
すると「花辯型」ガード時代の極初期と予想されるので、そうすると昭和2年頃ではないか…となるのです。

この辺りは三越のカタログでも出て来れば良いのですが、これがまた難しいんですよね。
カタログやチラシは時期が過ぎれば捨てられるのが常ですし、戦争や災害を挟んでいるので数が少ないのです。
とはいえそれ自体はまま出てくるので、今後ゆっくりと探してみたいと思います。

という事で、この個体は「昭和2~3年頃かなぁ」でよろしくお願いします。



さて、以下はいつもの通りでレストア作業のご紹介。
毎度同じ流れですが、ちょこちょこと発見やチップスを挟んでいきますので、興味ある方はご覧頂ければ幸いです。




何はともあれ分解から。
この個体は変に手を付けた形跡が無い一方で注油もあまりされなかったらしく、各部が固着しており意外と難儀しました。
塗装の皹やビニール線の硬化からすると、湿気と温度変化の影響を受けた可能性が考えられるでしょう。

写真は珍しくファンが抜けず、仕方なくエンドベルから外した所。
この後はロータの通気穴にドライバーを挿して、シャフト共に持ってロック。ファンを左右に回しながら何とか抜けました。

その間、元が奇麗な分だけ分解にも気を遣うのに、上塗りの茶色が弱くてポロポロ剥げる始末。
この辺りはもっと腕を上げねばなりませんなぁ。



碍盤です。
コードが白系のビニールになっている通り、後年に手入れがされています。
奇麗な三つ編みになっているのと、モートルのコイル側もしっかり仕上げられているので、ちゃんと技術のある方による整備と感じられました。

ですが時代感が合っておらず、尚且つビニール被覆が硬化していたので交換します。
リスペクトを込めて。
なお、マーキングは油性ペンで1本~3本の線を入れました。交換するのでこの方が好都合。





最近はこればっかり扱っている、「大正末期の芝浦ギアボックス」。
これの洗浄はやっぱり一苦労ですが、今回は見慣れないワッシャ(シム)が入っていました。

3つ穴プレートの左に居るのがそいつですが、初めはこの並びの通り、クラッチ付きヘリカルギアとの間にありました。
しかしこの順で組んだところ動作が非常に重くなり…結局は一つ上、クラッチハウジング(でいいのだろうか)内部が正解のようでした。



ここまで来ると予想できるのですが、その通りにモートルのネックピース(仰角調整部軸受け)もしっかり固着。
またまたCRCとトーチの出番でした。
そして何とか分離できたと思えば…君、何か曲がってない?
ここが曲がってるって初めてなんだけど。



という事で荒療治。
プレスベンダに引掛けて、適当な所までハンドパワーで曲げます。
このままではベアリングの蓋も取れませんので致し方なし。
ロックビスの入る細い所が折れないように注意です。



無事シャフトの曲がりも治り、ベアリング蓋も取れました。
シャフト自体も傷か何かで太っていたので、ペーパー掛けして更に修正しています。
ここからは引き出し線の交換です。



いきなりですが完成形。
この後エンパイヤチューブを被せるので黒くなくてもまぁ良いのですが、エンドベルの通気口からチラ見えする部分もあるので黒が一番です。
分解時の通り、銀のマーカーで配線箇所をマークしました。



修正したシャフト。何でここが曲がってたり荒れてたりするんだろ…
特に粗く扱った痕跡は無いんだけど…
とはいえファンの角が一部凹んでいたので、もしかすると落下とかあったのかもしれません。
絨毯等の上なら本体は傷付かず、軸にだけ負荷がかかった可能性があります。



組み立て途中です。
ネックピースは軽く錆び落とししてもまだ嵌め合いがきつすぎたので、平やすりで少々削っております。それでもまだ重いですが…

ゴムブッシュは実は上下でサイズが違います。
恐らくは断線防止スプリングの有無によるものかと。
小さい方はラストだったので、また仕入れないといけません。



ベアリングのボールも奇麗にして再利用。
この時はグリスを接着剤代わりにすると楽に組めます。
どうせグリスで満たすので、これで良いんです。



そしてここにも見慣れないパーツが。
切れているのでスプリングワッシャみたいに見えますが、ゴムか圧縮紙っぽいワッシャが入っていました。
これまた普通の芝浦扇では見られないパーツ。
高級仕様なだけに、ギアボックスのシムしかり各部のガタを低減する目的があったのでしょうか。



碍盤も戻します。
…これ以上言う事が無い(笑)
強いて言えば、碍盤は毎度清掃に留まらず、摺動部を磨いて接点グリスをさしています。
劣化を防げるばかりか手ごたえも滑らかになるので、これはお勧めです。
接触不良が原因の不動も起きなくなります。



本体が茶色なので、電源線も茶色の袋打ち。秘蔵の未使用良品のラスト1/2です。
1969年製造ながら、ゴム被覆も新品のようにプニプニ。
確か10mくらいのデッドストックを買いましたが、またこういうの出てこないかなぁ。
端末処理はこのように、外装編み込みを中へ折り返すのが正しい方法(綿打ちも同様です)。



こちらはファンのすぐ後ろに付くグリースカップ。
油を落としただけの状態ながら、驚くほど奇麗でした。



それを軽く磨くとこう。
ファン同様に、この部分までシルバーメッキだったのですね。
下部もバリは、旋盤加工時の突っ切りバイトによるものでしょう。
折角なので残しておきます。





銘板の磨き。
ここは悩みどころで、銘板も一応シルバーメッキが掛けられていました。
とはいえファンやグリースカップと異なり非常に薄く、軽くこすっただけで落ちてしまう弱さなんです。
なので手を付けないか、敢えて地金を出すしかありません。
今回は後者を取りましたが…うーん…



そしてガードのエンブレムも。
ここはシンプルに磨くだけで済みました。
ここだけは元から真鍮地金でしたが、理由は不明。
後の「高能率型」ではシルバーメッキなんですが、マイナーチェンジの進化過程という事でしょうか。
あるいは早い段階で塗装込みでのメーカ修理がされており、本当はシルバーメッキエンブレムに初期型ガードだった…のかも…?







後は組み立てて完成。

ファンもやっぱりきつかったので、シャフトと穴の両方をごく軽く削って調整しました。
プラグも最近入手した茶色のポニーキャップでフィニッシュ。
マツダじゃなくてフタバなのが惜しいですが、これは仕方ないでしょう。

後はモートル横が顕著ですが、上塗りの茶色がド派手に皹割れています。
他の状態を考えると惜しい部分ですが、これがオリジナルである以上、そっとしておくのが良さそうです。
芝浦は機械的な質が早い時期から高い一方、塗装が微妙な個体がままある気がします。



さて次回…まだまだ続く扇風機修理です。
車は先の記事の通り、元日からバッテリ交換とかしたのですが、こう寒くてはやる気も起きませぬ。

扇風機としてはまだまだ修理待ちが沢山居ますので、どれを手掛けるか。
芝浦続きでちょっと飽きてきたので、別メーカのが良いかな。
Posted at 2023/01/22 20:40:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | アンティーク家電 | 趣味
2023年01月22日 イイね!

6年ぶりのバッテリ交換とBASURI搭載(オフロード専用)

今年初の車ネタになりますが、作業したのはしばらく前…バッテリ交換は元日ですし、BASURIに至っては去年10月。
書きそびれていたものです。


さて、年間の距離が少ないパジェロの方は、元々大きいバッテリを積んでいる事もあって随分と長持ちしていました。
caosだったのも良かったのでしょう。

しかし流石に6年も使っていると少々不安になってきました。
なので交換を…と思ったのが去年の夏頃。
夏の茄子で買おうと思っていたら他に取られ、気づいた頃には値上がりしていました。
という事で旧型のC7を使う事になりました。



こちら。
前回と同じPanasonic caosです。
サイズ的には95ですが、caosでは容量が大きく設定されているので145D31Rです。
センチュリーと同じサイズだとか。
そんでこれ…20kgくらいあるんですよね…



こちらが既存の品。
6年で約2万キロなので、実にスローペースですね…
この20kgを出して入れてしないといけません。



まずは外しに成功。並べてみました。
ちょっとずつデザインが変わっているんですね。



で、無事収まりました。
体感できた変化はと言うと…
零下でのセルの回りが良くなった事と、アフターグローで12Vまで落ちていた電圧が早々に14Vまで回復するようになりました。
これで一安心…かと思いきや、昨日受けてきた1年点検では「健全性76%で要交換」。

おいおい…もしかして長期在庫だったのかい君は…
ちょっと気にしつつ乗りましょうか。


そしてBASURIの方。
日本では欧州経由で有名になりつつあるようで、「アラビアホーン」とも呼ばれるようですが、私はインドネシア関連のネタから知りました。
昨年やっていたトラックRC製作の絡みです。

で、この度v1のホーンセットにv2・v3のコントローラが揃いましたので、飽くまで「路外専用」として載せてみました。
ステアのホーンボタンで鳴るのは普通の電子ホーンなので、「警音器」はそっちであるのが大前提です。







過去の写真より。
コントローラに内臓のPICで、20~30曲程度(バージョンによる)を鳴らせます。
インド製なので地元インドでも有名ですが、あちらではROOTSのHexatoneというそっくりなのもメジャーらしい。
どっちが本家なんだろうか…

そして、インドネシアやマレーシアでも主にバス用として人気なようです。
欧州ではトラクタヘッドでしょうか。
地域によって人気の曲も異なり、欧州では代名詞にもなっている「BabyShark」、インドネシアでは「Nagin(v1)」や「magic In The Air(v3)」など。
v2には「CoffinDance」や「IevanPolkka」なども収録されています。



という事でコントローラ用のステーを作ります。
折角なのでSUS板で。



切って曲げて穴あけして完成。
ここに収めると…



こうなります。
スイッチプレートはスペースの都合上、両面テープ固定です。
インドネシアの例を見ると、並列にする場合も特に逆電圧等は気にしなくても良さそうですが、一応ダイオードを入れた分岐ハーネスを作りました。
カプラーオンなのでBASURIの付属ハーネスは無加工です。
ちなみにカプラーはMOLEX の5556・5557の8極です。





場所はここ。
大型車なら色々とスペースがありそうですが…
一応心配なので、風抜けも考えて防雨カバーを作りました。
余計な穴や曲げ直し跡は気にしないように。



コントローラはここに。
傾斜計はちょっと左に移動してもらいました。


なお、これに合わせて配管を引き直したり、漏れ箇所を調べたりもありました。
今現在新品のBASURIはユニオンになっているようなのですが、私の買った個体は古いタイプで、配管の口が独自のチューブ専用になっていました。
幸い、その根元が3/8(っぽい)だったので変換で済みましたが…

後はどこで音を聞くかですが、路外かつ人と家の無いところが前提になります。
…ほぼ山奥限定じゃないか。
現地じゃ普通に鳴らしてますが、こちらではそうはゆきませぬ。
レギュレータを噛ませましたが、0.5k程度の圧でもかなりの音量が出ます。
何なら0.1kでも鳴るくらい…色々凄いなこれ。
Posted at 2023/01/22 20:15:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | | クルマ
2023年01月15日 イイね!

病院の備品だった扇風機のレストア~芝浦電氣扇 7007型「日本赤十字社 大坂支部病院第154號」(大正10年頃)

本年最初のネタも扇風機にてお届けいたします。
1月も折り返してしまいましたが、また一年間どうぞよろしくお願いいたします。


今回は眠らせていた扇風機の整備の2台目、少々特殊な出自の芝浦電氣扇のご紹介です。




ぱっと見は後付けガードのいかつい大正期の芝浦電氣扇。
型式的には7007で、雷光型ファンガードの外周リムが前後二重になっているタイプです。
同型を15年ほど前に木箱付きで入手しており、その箱に大正十四年と書かれていた事から、個人的には大正14年型と呼んでいるものです。

この時点での特徴はというと、針金編みではなく鉄線溶接でしっかり専用に作られた後付けのファンガードと、ファンが黒く塗装されている事。
ですが最大の個性は…



これでしょう。
「日本赤十字社 大阪支部病院 第154號」の銘板がリベット留めされています。
つまり、病院の備品だった扇風機という事なのです。

どこかの会社で備品だったというのなら数多くあるでしょう。
しかししっかりと銘板を取り付けて管理された個体というのは珍しいのではないでしょうか。
しかも名の知れた大きな組織の出身というのも、本来は門外不出であろうという想像から一層魅力を増して見えてきます。

この銘板自体も、果たして納入後に病院サイドで取り付けされたのかは分かりません。
下穴を開けてリベットを打つのには道具と技術が要りますので、もしかすると数百台単位で芝浦にオーダーされ、出荷時点で取り付けされていた可能性もあります。
今で言うなら社用車とか作業服の名入れみたいな感じで。

そしてやはり気になるのは、「何年生まれなのだろうか」という事。
元より経験則的に「大正14年」という情報はあれど、「日本赤十字社 大阪支部病院」の沿革と照らし合わせるとどうでしょうか?


現在は「大坂赤十字病院」となっている同病院は、明治42年に「日本赤十字社 大阪支部病院」として設立されました。
昭和2年から9年にかけて北・中・南の3病棟が完成し、昭和12年には「大坂陸軍病院赤十字病院」に改称…となっています。

設立の時点でこの名称となっており、且つほぼ全ての国産扇風機よりも歴史が古いのですね。
一方で扇風機はというと、国産最古と言われているのが明治27年の芝浦製作所製ですが、これはプロトタイプである上に東芝のいわば自称でして…
古すぎて情報がいくつもあるのが現状ですが、ある論文の調査によれば、より古い年の新聞に自社製品の公告を打っていた企業があったともされています。
また「量産第一号」なら川北電氣企業社の「タイフーン」ともされ、こちらはテスト的な輸入が明治45年、国内生産開始が大正2年です。

という事で、「日本赤十字社 大阪支部病院」の名前が付くであろう範囲は「明治42年~昭和11年」と大体見る事が出来るでしょう。
…結構開きがあるな。

ここで唐突に別件を引っ張ってきて申し訳ないのですが、直近で入手した個体も併せて見ると、もう少し年代が絞られてきます。





それがこちら。
みんな大好き(?)芝浦「睡蓮」。
戦前から戦後の1950年代半ばまでマイナーチェンジしつつ生き続けた、超ロングセラーモデルです。
国産アンティーク扇風機を代表するモデルですが、その中でも初期の物と思われる個体です。

この個体の詳細は別の記事にしたいと思いますが、ニックネームが「睡蓮」たる所以のファンガードが意匠登録されたのは大正14年の事。
第28521号の「煽風型扇風機保護枠」です。

このガード、実は大多数の「睡蓮」とはデザインが異なり、「前後の重なりで花に見える」という特徴がありません(縦の枠が前後とも同じ方向にカーブしています)。
名称も「煽風型」となっていますので、そもそもは花に見える事は意図していなかったのでしょう。
その後の一般的な睡蓮ガードは意匠登録も別になされており、昭和2年登録の36243号「花辯型電氣扇保護枠」です。
こちらは名称からして既に「花の意匠です」と言っていますね。
しかしながら、古い方が扇風機呼びなのが面白い…

そしてこの初期型睡蓮の型式は「7017」。
今回メインの「病院の扇風機」とも近い番号です。
各部の設計も共通しているので、かなり近い時期にモデルチェンジしたものと思われます。
芝浦電氣扇の型式命名規則が分かれば良いのですが、今のところそれは叶っておりませぬ。

以上より…煽風型(初期の睡蓮)ガードの登場をもって雷光ガードは廃止となり、それは恐らく大正14年が境目ではないかという事がわかりました(なお、通称「鳥籠」と呼ばれる睡蓮以前の細かいガードも存在するので、雷光型からいきなり睡蓮に進化したわけではないでしょう)。

以上より、今回の扇風機の凡その製造年は、「大正14年頃」と、かなり絞られました。
…結局、大阪支部病院の情報はあまり関わりませんでしたね。

そしてダメ押しに銘板を見てみると、特許関連の最新番号は58166。
これを検索にかけますと…芝浦製作所による実用新案でした。
タイトルは「ゴム、ブッシング」とあり、内容は膜付きグロメットとゴムブッシュの中間みたいな構造のブッシングで、どうやら電線の引っ張り力を吸収する効果を持たせているようでした。
で、こちらの出願・登録は大正10年。
つまり私がこれまで「大正14年型」と呼んでいたこのタイプは、恐らくは大正10年型なのだと思われます。

最終的にまとめますと…「大正10年~14年頃」。
モデル的に言えば「大正10年モデル」という事になりましょうか。
折角なので大正10年頃って言っておこう。



さて、ここからはレストアパートになります。
いつも通りに作業順にご紹介。





とにかく分解からスタート。
後付けガードの外しに始まって、ここまでは固着も無くスムーズ。
軽整備で良いかなと思っていましたら、羽根は後塗装された上にやすりで剥がそうとした跡があり、なかなか深い傷が残っておりました。



この部分。磨くうちに色落ちしたのかと思いきや、しっかり削ってありますがな。
しかも「病院で使ったなら、羽根の反射とかを気にして塗ったのか特注したのか」と考えたところ、どうもそうじゃなさそうな塗り具合…
病院以降の歴代オーナによる塗装と剥がし掛けでしょう。
塗り直すにしても、下地は整えないといけません。

本体塗装の方もオリジナルながら劣化しており、特にモートル辺りは皹割れている状態。
塗料の種類による差でしょうが、芝浦の古いのは細かい皹が入るのがままあるようです。



碍盤の外しです。
セロハンテープの通り、やはり後年に手が入っているようですね。



場所をメモして半田外し。
これでモートルを外せます。



芝浦はギアボックスのビスが外に出ているので、エンドベルより先にギアボックスを分離できます。



…で、この先で少々スピードダウン。
モートルのシャフトに若干の焼き色があったのですが、あまり手入れされずに使われた時期があったようです。
それがこの写真の部位…ネックピースにも表れており、錆びで固着しておりました。
という事でいつもの通り、奥に見切れているCRCを吹いて放置し、更に炙ってようやく外れました。



シャフトの焼き色はこちら。
段摩耗も出ていますが、しっかり注油すれば大丈夫でしょう。
どうせ連続使用するものでもないので…





外したギアボックスです。
一度清掃した後にグリスを交換します。



パーツ一式。
こうして見ると一瞬ですが、この古いグリスの清掃が結構面倒なんです。
大部分はドライバーで掻き出してしまえば良いのですが、残った部分をパーツクリーナで溶かすのが地味に手間…

なお、芝浦は首振りカムがシャフトにカシメ止めされており分解できません。
なのでカムとファイナルギア(って言うのかしら)の間にあるグリスは、できるだけ掻き出した後はつこく洗浄する他ありませぬ。
それがやっているといつまでも溶けだしてくるもんで、ある程度で見切りを付ける必要があります。
越年灯油辺りに漬け込むと良いのかも。
相性次第では塗装も溶けるので注意ですが…

後は表面を掃除すれば、本体は準備完了です。





お次は問題のファン。
これは塗装を剥いだ状態ですが、あまり見た事の無い酸化具合です。
しっかり茶色い割には艶があり、もしかしてもう一層塗られてる…? といった質感。
飴色って奴か。
ですが錆び落としをすると…





落ちました。やっぱり酸化膜だった模様。
一部は塗装が落ちずに黒いままですが、この程度ならあまり労せずに落とせるでしょう。



さて…どうしたものか、このやすり跡。
一部だけなので、全体を研ぎ直してしまうのも勿体ない気がします。











少々考えて、地金の目に沿って傷部を研ぎ直す事にしました。
写真はやすりの番手を上げて行った順。600~2000です。
1200番を越えてくると、削るよりも磨く感じの手ごたえになってきます。





そして仕上げるとこう。
上出来じゃないか。
少々の磨き跡はどうしても残りますが、地の風合いも上手く残せたので良しとします。

研磨し直した箇所以外も、後塗装の皹による酸化度合いの違いが模様になってしまい、バッチリ綺麗な仕上がりとは言えません。
ですが、これもこの個体の経てきた歴史という事で尊重しましょう。



一番の課題がクリアできたので、後は幾分か気楽に行けます。
ダカール海岸くらい…それは言い過ぎか。

この写真は分解前に撮ったものですが、次はファンガード中央のエンブレムが凹み修正。
これも一度取り外して直します。

取り外し自体は裏面の爪を起こすだけなので難しくありませんが、この時にどうしても塗装も落ちてしまうのが悩みどころです。
オリジナルの塗装はできるだけ残したいですので…とはいえ、今時点でそれなりに剥がれているので補修してしまいましょう。
なお、このエンブレム裏の構造についても特許が取られており、撮影しておけばよかったと後になって気づきました。



凹みが直りました。
後はいつも通りに磨いて塗装の補修です。



酸化膜落としと磨きが完了。



これで良し。写真を忘れたので完成後の様子になります。
P剥げの補修に使ったのは、車でも使っている(と言うか本来はそちら用に買った)ソフト99のタッチアップ用艶消し黒。
これが当時の黒い扇風機の質感にマッチするんですね。
特にエンブレムの補修はほぼ境目の分からないくらいになります。
車用だけあって、プラモ用と比べると塗膜の薄さと隠蔽力が両立されている感があります。
余談ですが、一眼オールドレンズのP剥げや加工部の補修にもお勧めです。



組み立ては分解の逆手順なので省略しますが、碍盤取り付け前の一枚を。
配線はゴム被覆下の糸巻き(ラジオだと絹巻きだったりします)で色分けされていました。
当然ながら被覆はポロポロと崩壊してしまう状態でしたので、熱収縮チューブで保護しました。
元のゴム被覆が中に一部残っているので、所々に凹凸が出ています。



最後はこれ。
後付けのファンガードです。
メッシュ部分は細い鉄線で作ってあるので、錆びで折れてしまった箇所がいくつかあります。
鉄の針金を半田付けして補修していきます。

とはいえ全体的にしっかりした造りとなっており、エンブレム部もきちんと抜きがかけられています。
更には下部の基台逃げ部分までフィットするように作られており、恐らくは当時あったというガード専門メーカの手によるものでしょう。

飼育小屋によくあるような六角網の手作りファンガードは時々見かけますが、このように製品らしく仕上げられたものは珍しいと思います。
恐らくは、病院で使用する事から安全性を重視して当初より取り付けられたものと思われます。



欠損箇所の補修完了。
裏側の方は一か所だけだったので写真は省略します。
全体的に錆が塗装の下に入り込んでしまっており、触るたびに塗膜がポロポロと落ちてきます。
なのでこちらは一度剥離とさび落としをした状態。
ここから再塗装したいと思います。



乾燥中。
別に後ろの植物を自慢したいわけではなく、偶然にも「フックの引っ掛かる返しがある棚板」で「緩く風の当たる場所」だったというだけです。
使ったのはMKWの時と同じ錆びの上から塗れる塗料なので、塗膜は厚く乾きにくいです。
匂いも石油臭く、何となくシャシブラックに近い感じがしますね。
霧も粗く結構飛散するのですが、手にかかったりするとなかなか落ちません。







そして組み立てれば完成。
銘板は元から薄くなっており、特に病院銘板の方はほぼ地金が出ています。
補修するか悩みましたが、自分がミスって薄くしたわけでは無いので、とりあえずこのままにしました。

病院の方は前後で明らかに薄くなってはいるのですが、どうも油汚れで黒くなっていただけのようで…
まぁ、今後気が変わったら補修するという事にしたいと思います。
ごく僅かに残っている「赤十字」の赤色も、塗り潰してしまいたくはありませんし…

電源コードは購入時にビニール線となっていたので、当時モノの綿打ち電線を部品取り機から移植しました。
折角大正期の機体なので、ポニーキャップ型のプラグも逓信省型式の無い時期の物としました。
古い電線、そろそろまた仕入れないと…

完成した姿は後付けガードにより折角の雷光ガードが目立たなくなっていますが、この個体の場合は来歴を考えると、この姿こそが「正装」じゃないでしょうか。

…まぁ、同じ機種持ってるから雷光ガードはそっちで拝めって事ですね。
あっちはあっちで、駆け出しの頃に手掛けたものなので手直しが必要ですが…
場所も今回の課題と同じ、羽根の磨き方です。
モートルの引き出し線も半端に変えてしまったので、それも引き直しか。


さて…年末年始で一気に台数を増やしてしまったので、元の整備待ちが更に増えてしまいました。
積みゲー・積みプラならぬ積み扇風機。
どれに手を付けようか…次こそは手軽に終われそうな奴にしたいなぁ。
Posted at 2023/01/15 22:26:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | アンティーク家電 | 趣味

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