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菊菱工廠のブログ一覧

2023年12月28日 イイね!

「TIME KEEPER」ではないけれど 服部時計店 17型商館時計 明治34年頃

今年最後になりそうな更新も時計ネタになりました。
時計修理は駆け出しの趣味ですが、色々な個体を買い集める内に惜しい物もいくつか溜まってきました。

即ち、単品やモグリ級技術での修理は利かずとも、手放すには少々状態が良い…「ここが足りれば」という物達です。
今回もそんな内の一つとなりかけましたが、無事復活できましたのでご紹介しましょう。







相変わらず商館時計ですが、こちらは完全な輸入品ではありません。



裏蓋には三雁印があります。
服部時計店による製品です。
ムーブメントは海外製ながら、ケースは服部時計店による国産品。
その証拠に、ホールマークの類が一切ありません。
商館時計はスイス製が多い為、大抵はCapercaillie(カパーケリー、ヨーロッパオオライチョウ)のマークが入ります(コインシルバーの場合)。
このケースの銀は0.900で、コインシルバーとスターリングシルバーの中間です。
ちょっと良い奴。

サイズは商館時計として見ると小さめの17型で、ケースで測ると直径約46mm。
60mm近い立派な物も魅力的ですが、コンパクトなのも可愛らしくて愛いものです。
商館時計と言えば男のステータスアイテムでしたが、実は女性向けもあったそう。そちらはこれより更に小さかったようですね。

同社初の自社製造品としては「TIME KEEPER」シリーズが有名ですが、それに先んじてはムーブメント(エボ―シュ状態でしょうか)のみ輸入して自社製ケースに入れて販売…という方式を取っていました。
全体を通してのプロセスは外国商館の時計と同じながら、ケース工房と販売を自社で手がけていたという事になります。
但し輸入部品は自社ではなく、アメリカのブルウル兄弟商会やスイスのコロン商会を通していたそうです。

ちなみに…この時計も手掛けたであろう、服部時計店創業者として有名な服部金太郎氏は、代金支払いの期日をきっちり守る方だったと伝わっています。
そのため外国商館からの信頼が厚かったとか。
それまで日本の商習慣では支払い期限は(良く言えば)柔軟だったため、そもそも海外のビジネススタイルとは異なっていたのだそうです。

なお、この個体の三雁印は商標登録第15902号、明治34年3月22日出願・6月7日登録になっています。
よって明治34年頃の時計と言えるでしょう。
初代TIME KEEPERである20型の発売が明治29年、続く18型が明治35年との事ですから、丁度その間くらいの製品となるでしょうか。
この輸入機械タイプとTIME KEEPERシリーズの展開は、確か平行していたとどこかで見ました。

ところで、現在TIME KEEPERはプレミア価格になっていますが、同時に売られていた別シリーズとなるとほぼスルー(他の商館時計と同じ相場)になってしまうのも面白いものです。
数種あるマークすら、しっかり調べないと「これが服部時計店のマーク」とは出てこない点も。
三雁の他には、兜・軍配・月鳥・富士山・牡丹などがありました。
何れも社名の併記はありませんので、そうと知らなければ服部とは分かりません。

さて。
今回は服部時計店、現セイコーの時計となりますから、その点の概要は要らないような気がします。
いや、扱いが雑というよりも…普通に情報がたくさん出てきますので。


ここからは分解に入ります。
最終的な課題は3点…それは何処でしょうか。



まずダイヤルと一緒に機械を取出し。
ダイヤルには「Switzerland」。
商館時計の時代らしくスイス製をアピールしています。
当時の服部時計店 輸入機械仕様には、他にも「Happy Time」等がダイヤルに書かれているものがあったそうです。

この時点で分かっているのは、ダストカバーの風防が欠品しているのと、龍頭巻きに手ごたえが無いのでゼンマイが切れているだろう事。
テンプが無事なのは良いですが…ゼンマイは何とかなるかなぁ。



ともかくダイヤル分離。修理の記録等は特になしでした。
シリアルはケースとかなり離れており、それだけならばリケース品にも思えます。
ですが先述の通り、この個体に関しては服部時計店謹製のケースに輸入機械が入ったもの。
なのでそれぞれのシリアルで管理されていても不思議ではないでしょう。
現に変な加工跡もありません。
同じ服部のケースへ替えられていたところで、実質オリジナルだと言えましょう。



こちらのパーツは小さいながら少ないので、サクッと外して裏面へ。



よくあるフルブリッジスタイルの機械ですが、今回は少々小さいサイズ。
風防が無かったにしては錆も無く奇麗ですが…ゼンマイの状態が気になります。



途中経過。



今回のアンクルはお手本のように大きな爪石が付いていました。



全バラできました。
数えた結果、10石のムーブメントでした。



香箱の中は…真(アーバー)にかなり近い位置でゼンマイが切れていました。
前回のファブルブラントを思い出す錆も。
鍵巻きでもないのに何でよ?
嫌だなぁ…怖いなぁ…
継いでもまた切れそうで。



と言うところでジャンク登場。交換後の写真ですが、これが救世主となるか。
ロスコフウォッチの部品取りから出してきたゼンマイを切り詰めた物です。
良い感じに巾が合い、厚みも変わらない程度。
これがダメならオリジナルを加工しましょう。



ここまで分解して気付きました。
地板にリンゴに矢が刺さったマークが入っています。
これはかの有名な、スイス・フォンテメロン(FHF)社の古いマーク。
ウィリアムテルマークと呼ぶそうです。
これにより、ムーブメントはフォンテメロン製と判明しました。
ダイヤルの「Switzerland」にも偽り無しですね。



洗浄後に組み立てて動作確認。
初回の巻き上げはバツンと行かないかドキドキします。
オリジナルよりやや細いゼンマイになりましたが、テンプが元気に回っています。



こんな風にホコリを避けつつ丸一日放置してみます。
その日の就寝前、とりあえず3時間ほどは問題ない事を確認しました。

からの悲報。2番車以降の動きは快調のようでしたが、ゼンマイはダメでした。
救世主ならず。
24時間以上元気に動いていたので2回目の巻き上げをしたところ、途中で切れました。
切れたのはオリジナルとほぼ同じ、アールのきつくなる香箱真直前の位置。
難しいですね…

で、結局オリジナルの補修を試みる事にしました。
今回のは17型と小さめなので、新品(と言ってもNOSですが)のゼンマイも見つかりました。
それはそれで手配しておき、最後には交換する前提で色々と実験してみます。



結果がこちら。一つの禁じ手を試す事になりました。

それは「ゼンマイのロウ(ハンダ)付け」。
大正期に書かれた修理指南書に、「やってはいけない」と記載があるのです。
それと一緒に、引っ掛けて繋ぐ正しい方法も。

理由を考えてみれば、恐らくは熱の影響とハンダの質の2点でしょう。
ハンダ付けには当然熱をかけますので、最低でも施工部分のゼンマイの特性が変化してしまいます。
引っ掛け加工時の鈍しよりも、範囲や程度が大きいせいでしょう。
当時のコテは電気コテじゃなかったと思いますから、狭いゼンマイの隙間でのピンポイント加熱も難しかったでしょう。
バーナーやトーチの類なら猶の事。鈍しに使うアルコールランプならどうだろう…

質という点では、当時のハンダやロウは現代とはかなり異なります。
電気回路用で見ても、含まれるフラックスからして違いますので…当時は松ヤニ、現代は活性ロジンかな。
当時(真空管時代)は電線や部品の脚をしっかり絡めないと不良を起こしたものですが、今ではちょっと触れ合う程度でハンダを盛ってしまっても問題ありません。
つまり今よりずっと弱かったという事。

では何故自分が引っ掛けにしなかったのかと言えば、それは一重に自分自身の問題。
まず鋼に穴を開ける工具がありません。
ドリルでは難しいですし、ルータを使えば行けそうですが、細いダイヤモンドビットを持っていません。
仕方なく横向きに溝を掘って簡易に引っ掛けましたが、それだと香箱内に干渉してまともに動作しませんでした。
まぁ当然だろうなぁ。というか当時はどうやって加工してたんだろうか。

そんな折、海外の方がハンダペーストで繋いでいる動画を発見。
まぁやってみても良いかなという体で、鈑金ハンダを使って繋いでみた次第です。

その後は…意外にも切れず。
この時点でまだ数度しか巻いていませんが、しっかり巻き上げられて、テンプの動きも戻りました。
鈑金ハンダ強い。

なお、前回のファブルブラントで学んだ(?)事として、「一回切れたゼンマイは全体が脆くなっているかも」と言うのがありました。
そのため仮に正攻法で繋いだとて、またすぐ近くから切れるでしょう。
簡易引っ掛けで繋いでも、初回の巻き上げ中に切れましたから。

なので今回は「どうせダメなら」と「どうなるか見てみよう」が合わさって、予めゼンマイ全体を炙っています。
確実に性能は落ちるはずですが、切れ防止にもなるはず。
それが偶然にしろ効いた可能性もあります。
やはり経験しないと分かりません…実際に動かすとまた問題が起きるかもしれませんし。
例えば不規則に時間がずれるとか。
適当に炙った事で、ゼンマイの特性が均一になっていない可能性が大きいですから。
まぁそれは実際に動かしてみて確認しましょう。



とまぁ、機械はなんとか復活したようですのでケースの再生に入りました。
まずは欠品している背面風防を手配すべく採寸。
撮影の都合上ノギスの当て方が変になっていますが、その点はお気になさらず。
この値にピッタリかやや大きいくらいで、薄め且つフラットに近い物を探します。

ついでに…以前直したオッペネメール商会の背面風防も、削った際についた傷から割れが出てしまいましたのでやり直します。
風防は最後に付けるので、作業はこのまま進めていきます。





そして完成。
正直に言うとスペード針はあまり好きではないのですが、ダイヤルに一言入っているとまた違って見えてきます。
無銘ならブレゲやルイが良いですが、銘入りならスペードもアリだな…と勝手ながら感じます。
ふと思い出せば、アメリカンな雰囲気だからしっくりくるんですね。
WalthamやElginの古い時計に、銘入りダイヤルとスペード針のペアがありました。
裏面も奇麗で、全体的に大きな傷の無い良いコンディションです。



裏蓋内部。
本当はグラスバックとして風防が入りますが、入手した物は惜しくも全高オーバーで蓋が閉まらず。
直径はぴったりだったのに…この個体の場合、ほぼ平面じゃないとダメみたいです。
とはいえ、「蓋を開くと機械が見られる」というのが商館時計の一番の魅力なんじゃないかと思います。
透明プラ板でとりあえず作ろうか。



どの個体もこの面は奇麗。でもちゃんと磨くと一層奇麗になります。
三雁印とシリアルだけのシンプルな裏面。
ガタガタな事が多いシリアルの数字がキッチリと並んでいるのは、服部氏のこだわりポイントでしょうか。



最後に、手持ちの中でも最大サイズのオッペネメール商会と比較。
こんなに違います。
今回の物は後の精工舎 エンパイヤにも近いサイズですので、持ち歩き中の違和感は少ないでしょう。
まぁ大きいのに慣れてしまうと物足りないかもしれませんが…
とりあえずは平たい風防を早く入手したいものです。
Posted at 2023/12/28 22:44:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 時計他アンティーク系 | 趣味
2023年12月17日 イイね!

鍵巻き時代の一等品 ファブルブラント商会 商館時計 明治32年頃

またまた時計ネタです。
気分も大分リフレッシュできてきたので、そろそろ溜めている扇風機にも手を付け始めようかと思います。
好きな事でもあまり連続すると飽きてきますので…

さて、今回の個体はこちら。









手持ちとしては2個目、自前修理としては初となる鍵巻き式の時計です。
ファブルブラント商会の盾獅子印。
同社はグレード別にマークを分けていたのですが、その中でも一等品を示すものだそう。

時代考証は商館概要ともリンクしますが、盾獅子印の商標登録が明治32年4月28日(第12370号)なので、素直に明治32年頃としました。
というのも、鍵巻きは掛け時計の機械と共に最も古い巻き上げ・時刻合わせ機構でして、その後ダボ押し・剣引き剣回し→龍頭引きと変わって行きます。

そして商館時計に多いダボ押し式が大体1900年を中心に前後10年、20年間ほどしか見られなかった(ポケット・ウォッチ物語より)との事なので、ダボ押し式の初め頃にはオーバラップする形で出回っていたのだと思います。

当時は今より情報の流れがずっと穏やかだった時代。
欧州の時計産業界が各国・各地域で分業独立状態だった事もあって、新技術の伝達に数十年がかりというのも珍しくなかったそうです。
これもポケット・ウォッチ物語の受け売りですが、イギリスがバージ脱進機・鎖引きの古い機構を使い続けていた間に、フランスではシリンダー脱進機が普及していた…とか。

そのため、ダボ押しが主流と思える時代に鍵巻きの新品が売られていてもおかしくはないかと。
証拠と言えるかどうかはわかりませんが、機構自体は古い鍵巻きながら、脱進機はシリンダーより新しいアンクル式です。
新旧織り交ざった感じでしょうか。


そしてファブルブラント商会についてですが…
ファブルブラント氏は親日家で時計業界以外にも様々な功績を残されたとの事。付け焼刃で色々語るのは避けた方が良さそうに思います。
というかレストア記事の前置きにはとても書ききれないし。

とりあえず…ファブルブラント商会(C&J.Favre-Brandt)は、1864年(元治元年)に横浜で創業した商館です。
慶応の大火(豚屋火事とも)で一度焼失しますが、移転再開して関東大震災まで営業していたそうです。
C&Jとある通り、経営は兄のチャールス ファブルブラントと弟のジェームス ファブルブラントの兄弟でした。
時計の他にも機械や宝石、武器も扱っており、戊辰戦争にて薩摩藩の武器をほぼ一括して納めたりもしたそうです。

日本で活躍されたのは主にジェームス氏の方。
日本人と結婚されており、お墓は横浜外国人墓地にあります。
関東大震災のひと月ほど前に病気で亡くなられたとの事で、この点はレッツ商会のフリードリヒ レッツ氏と似ていますね。

時計の方面から見てみると、日本人時計師のスイス留学斡旋や指南書の出版などに尽力されたとの事。
商館時計のブランドとしても多くの個体が残っている他、日本語で商館名が彫られていながら、所謂商館時計の様式ではない時計(つまり現地仕様のもの)もあるようです(他の商館にもある例ですが…)。
鎖国が終わり一気に海外の技術・文化を取り入れて行った時代でしたから、貢献の度合いもさぞ大きかったでしょう。
何か雑だなぁ…


それでは再生へ。
勉強になると共に苦労しました。



いつもの通りダイヤルの分離から。
少々カビていますが奇麗なようです。
機械は表側や香箱まで全面ペルラージュ仕上げで、既に香箱が完全に見えています。



シリアル確認。ナンバーズマッチです。
今回のダイヤル裏には修理歴ではなく、シリアルが書き込まれていました。
アメ車だとエンジン・シャーシフレーム・ボデーの3つですが、こちらはムーブメント・ダイヤル・ケースの3つ。



表側から外せるのはとりあえず日の裏車系だけでしたので、早速裏側です。
ダボ押しに係る機構がありませんのでシンプル。
しかし鍵巻きは初挑戦。基本は同じフルブリッジですが…どうでしょうか。



龍頭巻きの場合の角穴車に相当するであろう部分。
ガイドの金具は外れましたが、これ以上は外れない模様です。



ブリッジを外していくと一気にスッキリ。

脱進機はアンクル式ですが、そのアンクルが長い。
カウンターウェイトはほぼ円に近いC字型で、ガンギ車の真に貫通する形となっています。
上手く言えませんが…凝っていて面白い。
そしてクラブトゥース式のようです。



組んだ状態でも見える位置ですが、地板にはFAVRE BRANDT LOCLEの文字。
LOCLEはスイスの地名、ル・ロックルの事でしょう。



で、香箱さん。
同様のムーブメントの整備動画を見てみましたところ、この部分は外せない構造の場合があるそうです。
これもきっとそうなんだろうなぁと思い、このまま進めます。



開けました。
何だか錆っぽい。





ゼンマイを取り出すと薄く錆びが付いていました。
そして2枚目の通り、切れたであろう箇所を継いであります。
多分プロの仕事なのでしょう。



洗浄後になりますが全バラの図。
地板の石が入る部分は別パーツになっていました。
予想通り、香箱やゼンマイの錆は超音波だけでは落ちませんでした。
手洗いしましょう。



まず香箱。錆は筆で洗って落ちました。
ゼンマイは錆び落としを使いましたが…後の事はこれのせいではないはず…

なお、生の鉄でも屋内で湿気に曝さずにおくと、意外と錆は出ないのです。
湿気と空気(酸素)がやはり重要で、赤錆が出た状態でも乾燥を保ってケースやカバーに包まれていれば、然程進行しません(使える状態や強度を保つかは別として)。

なのでゼンマイの場合、湿気という点では時計ケースと香箱で二重に包まれていますので、普通に使っていれば問題ないでしょう。
密封でないにしても、空気の出入りもかなり限られるはずです。
香箱内は少量ながらグリスを入れます。なので油分も少しはあって、防錆になるでしょう。

そして組み立てて動作確認をしたところ…切れました。
テンプの振りが弱かったので、点検のために巻きを開放した際に切れたようです。
そもそも一世紀が経っているモノですし、錆でもダメージが来ていたのでしょうか。

切れやすいと分かったところで、修理法を中心に調べてみました。
するとやはり勉強になる点が色々と出てきまして、先に書いた継ぎ目についても、古くからある繋ぎ方だった事が分かりました。



試しに切れ目を入れて引っ掛けて繋いでみましたが、案の定切れました。
その度に分解組み立てが(一部とはいえ)出ますので、少々うんざりしてきます。
まぁ素人が手探りでやってるんだから仕方ない。

しかし更に泥沼化。



一気に3か所切れました。もうやだこの子…
しかも継いだ所以外の3か所という。

と、ここで一度落ち着いてみる事にしました。
そもそもゼンマイが切れずとも、あれこれと組んでバラしてを繰り返したため、色々と狂いが出ているでしょう。
そして大いなる過ちだったのが、紙を敷いた上に素手で作業をしていた事。
呆れられそうですが、あまり疑問に思わずにやっていたのです。
これが素人、無知というもの…

気付いた切っ掛けは、交換を前提にゼンマイの諸々(サイズの割り出し方や修正方法など)を調べていた時。
上記の事とは別に新たに調べ直しました。
英語でしたのでアメリカかイギリスでしょうか、引退された時計師さんの動画を見つけました。
それが作業の基礎から教えてくれる内容でして、「ダメな事ばかりしていたじゃん」となったわけです。

で、ゼンマイのサイズを知るには香箱の内寸が必要。
どうせ素手で触れた&焦って組んだ事実がありますから、反省の意も込めてもう一度分解し、全パーツを洗い直しました。
そして落ち着いて組み直したところ…テンプの振りが良くなった。

ゼンマイは更に継ぎ直したため、短くなって条件は悪くなった筈。
なのにこうも変わるものかと驚きました。
時計というモノの精密さについて、全く意識が足りなかったと反省できました。

なお、一応はまともに動くようになった(っぽい)ものの、あれだけ破断が続くと現状のゼンマイはもう限界と見えます。
というかパーツの出る状況なら迷いなく交換しています。
この年代でも、アメリカの時計ならしっかりシリアルから製造年やモデルを割り出せますので、特定が容易でパーツ自体もある程度揃うらしいです。
ニコイチもしやすい。
一方スイス製は小さな工房製の機械が多く、今では実質ワンオフ状態。そうは行きません…

予想通り、20時間程動かした後に静かに巻き上げたところ三度切れました。
サイズ(巾・強度・長さ)を計算すると19セイコー用がほぼぴったりのようですので、鉄道時計のジャンクあたりから移植しましょうか。
或いは他の商館時計ジャンクから。大体近いサイズのはず…

そしてここでふと思いつく。
ゼンマイの補修や修正の際は焼き鈍しを行いますが、それは飽くまで加工する部分に限っての事とされています。
加工部を折れにくくするためですが、性能が変わったり、性質が不連続になって切れやすいポイントを作ったりしてしまうからでしょう。
しかしここまで脆くなった場合、とりあえず生かすのを考えますれば…全体を炙ってしまえば良いのでは…?
どうせ交換が前提なら、疑問の答えを実験で確かめてみましょう。

という事でやってみましたところ、外観の変化としてはフリー状態での径が広がりました。
熱した瞬間にスッと広がる感じ。
元々黒系の仕上りではなく白かったのですが、焼き色がついてブルースチールの一歩前くらいに。
あまりやりすぎてもと思い、程々にしておきました。
しかしこの「形が変わった」という変化を以て、何となく内部が再生されたように思います。
バネとしては柔らかくなっても、切れにくくもなった気がします。
果たして無事動かせるだけの性能は出るのでしょうか。

…一応何とかなったようです。
テンプの動きは幾分か弱くなり、熱する直前の動作確認ほどの勢いは無くなりました。

巻き回数は最初8回で2回目以降は4回ほど。動作時間も半日強となりました。
ゼンマイ加工が原因で間違いないでしょう。
何度も折れて短くなっていますし、熱した影響で反発も弱まっているはず。
引っ掛けて継いだので巾方向にずれやすいですから、解ける途中で抵抗が増すのかも。
或いはテンプを回す程の力が残らないのか。

とはいえ、力のある内は平置き・縦向きでも良い感じに動いています。
緩急針を2目盛り遅れ側にして、日差1分以内。
輪列に問題ない事の証左と言えるでしょうか。
でもこれだとゼンマイ替えたら結構進むかも。



そんなタイミングでジャンク集が来ました。
部品取り機の寄せ集め状態で買ってきましたが、良さ気なゼンマイが入っていました。

写真はエンドの引っ掛け部分が別形状だったので、香箱に合わせて削りを入れたところ。
この時計のオリジナルは、よくある香箱の一部が内側へ出っ張っているタイプではなく、ゼンマイ後端に突起をつけてあるタイプでした。
なので香箱には角穴があるだけ。
こうして差し込まれる部分を作る必要がありました。



長さは測っていませんが、香箱サイズがほぼ一緒だったので問題なさそう。
巾と厚みは元とほぼ同じ。
こちらの香箱へ移植してみたところがこの写真です。
ゼンマイの占有具合も良い感じ。

そして結果は非常に良好。10回目(実動10日)までは行っていませんが、今の所は巻き上げ中にも切れていません。
テンプの振りは勢いが戻り、巻き回数8回程度(鍵巻きなのでこの位です)、24時間以上の連続動作を確認できました。
やはり進み傾向になりましたので、また持ち歩いて調整としましょう。







さてさて…勉強になる回り道がありましたが、ひとまず完成へ漕ぎ着けました。
外観は無銘のシンプルなローマ数字ダイヤルに、ブルースチールのブレゲ針が決まってます。
ジェントルな佇まい、とはこんな感じかしら。

ボウに鍔が無く、更に鍵巻き故に玉ねぎ龍頭が無いのもスマートに見える要因でしょう。
この2点はどちらも商館時計らしい要素ですが、違ういうのもまた良いものかと。
背面のななこ模様も摩耗なく綺麗な状態。
大事にされてきたであろう事が窺えます。



鍵穴のあるガラス風防が特徴的な裏蓋内部。
その分だけ埃は入りやすいですから、今後の取り扱いにも注意しないと。
思えば、機械(特に2~4番車の表面)がかなり綺麗だったのに、ゼンマイだけ錆びていたのはこれが原因かな。
動かすには鍵で巻き上げますので、手から伝った僅かな水滴が入り込んだのかもしれません。
Posted at 2023/12/17 22:21:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 時計他アンティーク系 | 趣味
2023年12月10日 イイね!

商館時計ガチャ? 中身不明で博打購入した2個(の内一個) R.シュミット製(ワーゲン商会扱い) 明治23年頃

結局まだ扇風機のストックには手を付けられていない今週末。
天気が良かったので、溜めていた家周辺の掃除を済ませていました。

で、今回も時計ネタ。
とあるストア出品にて発見した出物でしたが、裏蓋を開けた写真が無いものでした。
そのため商館時計らしい事は分かっても正体不明。
商館時計は飽くまでその時代の様式から派生した日本向け仕様なので、元となった現地仕様かもしれません。

中身も無事かもしれなければ酷いジャンクかもしれない。
当たりを引けば無事な高級機、外れを引けば手の施しようが無い普及機という博打です。

こんな感じで同時に複数出品されていましたので、扇風機で鍛えた観察眼を信じて2個購入。
思った通り格安で落札できました。
後は開けてみてのお楽しみですが…大外れを引いたらどうしようかしら。



来ました。
総額1万なので並品以上なら十分お得なはず。
何…〇番くじ辺りに数万突っ込むのに比べれば安いもんさ…

買ったのはこの2つ。
共にボウに鍔がある事から、商館時計なのは間違いなさそうと判断しました。
針も揃い(短針に飾り石が無いのをよく見るのですが、これってそういうもんなのでしょうか?)でぱっと見大きなダメージ無し。

それでは裏蓋を開けてみましょう。
…と言うか片方デカいな。







まずは右の大きい方。
ワーゲン商会扱いのR.シュミット社製でした。
機械にも錆は無く、振るとテンプが回る。致命傷は無いようで一安心。
石もそれなりに入っていそうです。
龍頭の押しがかなりショートストロークで硬いのは気になります。







ではお次。ダイヤルにクラックが入っていますね。
…って、こっちもR.シュミットかい。
しかも直営なので被り無し。
しかもしかも、残りのへロブ商会扱いは既に入手済みなので、一気にR.シュミットの歴代マークが揃ってしまいました。

で、こっちもテンプは無事そうなのは良かったのですが、よく見ればスネイルカム式の調速機が付いています。
緩急針の微調整ができるので、高級機によく見られるそうです。
調べると戦前頃のロンジンの機種が多く出てきます。
石もシャトン留めですから、ちょっと良いムーブメントなのが予想されます。

気になるのはダボが押せない事でしょうか。
中で何か起きているのでしょう…直せる原因だったら良いなぁ。

そしてムーブメントの刻印は、もう片方がワーゲン商会のイニシャルだったのに対し、R.Schmidと騎馬武者のマークが刻まれています。
そもそもR.シュミットは専業の商社ではなく時計メーカなので、自社の名前がムーブに入っていても不思議はないと思います。
取り扱いはワーゲン商会→ヘロブ商会→直営と変遷しましたが、先に手元に来たヘロブ商会扱いのも後者と同じムーブの刻印でした。
なので、機械に商館名が入るのはワーゲン商会だけorそれが多いという事なのかも。

という事で、現時点ではガチャは大当たり。
まずはワーゲン商会の方から手を付けていきます。



その前に恒例の商館概要。

上記の通り、R.シュミット社(Rodolphe.Schmid&Co.)はそもそも時計メーカですが、商社としても活動しており「R.シュミット商会」とも呼ばれます。
途中で直営にもなりますから、その点でも合っている呼称でしょう。

一方で日本への輸入にあっては取り扱った商館が別に存在しまして、それがまた上記の通りワーゲン商会とへロブ商会に加え、最後に扱ったナブホルツ&ヲッセンブルゲン商会。
二重に商館名を持つ時計と言うのは一つの個性ではないかと思います。

で、今回の個体を扱ったワーゲン商会については、明治10年~23年にR.シュミット商会の時計を扱っていた事が分かっています。
その後明治23~27年がヘロブ商会、同28年以降が直営となり、同42年にはナブホルツ商会となりました。

なお、ナブホルツ商会へ扱いが移る際、懐中時計の販売責任者となったのが中島与三郎氏。
色々あって一時閉鎖されていた尚工舎時計研究所の設立者・山崎亀吉氏と組み、シチズン時計として再出発した際に初代社長となった方です。
中島氏はシチズン時計設立の際に、ちょうど規模縮小するシュミットの工場から部下だった鈴木良一氏を連れ、生産設備も買い取ったとの事。
今日の日本の時計ブランドとも関わりの深い商館なんですね。
ちなみに「シチズン」と言う名称は、シュミット氏が先にスイスでの商標を取っていたとか。
現在も同名の車が違うメーカと国で売っていたりしますが、昔から同様の事があったみたいです。


それでは整備に入りましょう。

ワーゲン商会扱いの個体ですが、こちらは明治23年かその少し前位のものと考えています。
そもそもワーゲン商会自体が明治23年まででR.シュミット製の時計取扱いを終えていますし、その一方で時刻合わせがダボ押し式だからです。
ダボ押し式と剣引き剣回し式はちょうど明治23年、つまり1890年頃からの20年程に限られるそうなので、ワーゲン商会の末期頃かなと予想しています。



早速機械を取出し。
この時点である程度テンプが回る状態でした。





ダイヤル分離。
裏面には過去2回と思われる整備記録がありました。
10年と13年ですが…平成なのか西暦なのか分かりませぬな。
まぁいずれにせよ10年以上経過しているのは事実です。





シリアルをチェックすると…今回は揃いでもニアピンでもない微妙な離れ具合です。
しかし凡そ70番違いと然程遠くない事と、ケース・機械ともR.シュミット(ワーゲン商会の銘も有り)である事、あからさまな加工痕も見られない事からオリジナルの組み合わせと思われます。
こんな事もあるんですね。

当時の時計はアメリカなどのしっかり量産体制が整っていた場合を除いて、似ているようで一品物と言うのが普通との事です。
ケースと機械をそれぞれ専門の工房が作っていて、それぞれ沢山あったという事です。
なので規格はあってケースの入替自体はできても、オリジナルのペア以外ではピンと切り欠きが微妙に合わないとか、龍頭の固定方法が違って新たな開口が必要だったとか、リケースの当たっては加工が付き物のようです。



こちらは龍頭ですが、軸と本体が固定されていないものでした。
このため、ケース側と機械側の両方にビスがありました。
ケース側はこれまでに何度も補修されており、現在機能しているビス穴は3か所目か4か所目のようです。



地板の直径を測ってみました。
約50㎜…大きいサイズです。
機械、つまりムーブメントのサイズを測る規格は、現在主流のランカシャーゲージと、古い時代に用いられたフランスの単位「リニュ」に基づくドゥージエムゲージがあります。
恐らくこの時代なら後者なのでしょうけれど…この位の直径に当てはまる一覧とかが見当たらないのです。
精工舎タイムキーパーの初代が20型なので、その出品情報なんかを参考にして適当に言っている状態…
一応、49.76mmをリニュに置き換えてみると凡そ22と出ました。とすれば、この機械は22型となるでしょうか。
もっと勉強が必要です。



さて、日の裏車と続いて鼓車関係を取り外して、さくっと裏へ行きましょう。
特に変わった機構は無いようです。



裏面。ここからが本番。



あっという間にこんな感じ。
アンクル回りはどうなっているでしょう。



オーソドックスな二股のカウンターウェイトが付いたアンクルでした。
ガンギ車の歯に返しがついているのでクラブトゥース式ですね。
この写真では見えませんが、しっかりと爪石も入っており…



テンプの方もダボ石が入っています。
ひげゼンマイは平ひげタイプですが、結構良いグレードじゃないでしょうか。
最終的に数えたら15石でした。



そして香箱。今回も開けます。



ゼンマイが取れました。
特に損傷は無いようで何より。



これでほぼ全バラ完了。
やはり筒かなは抜けませんでしたので、無理せずこのまま進みたいと思います。
その分念入りに洗う事としましょう。









そして組み立てとケース再生を済ませたら一旦完成。
動作確認を行い、何処か変ならばその部分まで分解整備となります
(後から知った事ですが、本当はムーブだけの状態で埃避けをしつつ暫く見るそう…今度からそうしよう…)。

正直に分解清掃だけでちゃんと復活できたので、かなり運の良いパターンと言えると思います。
変わった形のチェーンも付いてきて、言う事無し何じゃないでしょうか。

そして…扇風機の記事と異なり組み立て工程を省いていますが、それは一重に「見た目上の違いがあまり無いから」でございます。
扇風機の場合は埃や汚れの有無でビフォー・アフターが分かりやすいのです。
配線交換も多いので、その意味でも見た目が変わります。
しかし時計の機械は目に見える部分はそうそう汚くはないので、清掃前後を写真に撮っても今一つ分かりにくい。
分かりやすいのはケースや風防の方です。
なのでシンプルに結果だけ掲載としています。
ケースの再生自体も取り立てて言うような事はしていませんし…ぶっちゃけ扇風機の真鍮羽根再生とほぼ同じですから。

そしてこちらの個体は今のところ調子良く動いており、このまま行けそうな感じ。
後は実際に持ち歩いてみて、ズレが出たり調子を崩したりしないかを見ればOKでしょう。

で、ここまで来て気づきましたが、グラスバックのダストカバーはオリジナルではないようです。
カバーのリムには位置決めの切り欠きがあるのですが、ケースの方には対応する凸部がありません。
とはいえちゃんと嵌っているのでヨシ。

矢継ぎ早ではありますが、続いてもう一つ…シュミット直営時代の個体へと参りましょう。
Posted at 2023/12/10 21:56:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 時計他アンティーク系 | 趣味
2023年12月03日 イイね!

9年ぶりのヘッドライト交換、PIAAのHIDからfclのLEDへ

車の事を書くのがえらく久しぶりな気がします。
そして内容も久しぶりな事で。

タイトル通り、今回のテーマはヘッドライト交換。
ですが納車から9年、もうすぐ10年目を迎えるパジェロ君は、納車の半年後にHID化して以来一切ヘッドライトは手付かずで済んでいました。
改めて考えると驚きですが、9年間バーナーすら切れずに過ごせてしまいました。
まぁ3万キロしか走っていませんし、昼間の割合の方が多かったとはいえ…

そしてリフレクタの焼けも気になっていたので、ユニットごと新しくする事にしました。
とはいえガワは同型の中古美品利用ですが…





まずはこちら。
コルトプラスのHIDでも使っていた、fcl社のLED(H4切り替え)。
ちょうど良くブラックフライデーに当たり半額で買えました。





それとこれ。
レイブリックのマルチリフレクタ(ブルー)。
新品にしたかったのですが、ブランド統合で「レイブリック」が消滅したため、現行品にはレンズ中央のロゴが無いそう。
どうせならロゴ入りが良い、と中古を探して上手く5000円ほどで入手できました。

外は寒いので、まずはこの2つを組んでしまいます。



バルブ比較。
ヘッドライト内に収まる部分はほぼ同寸。



説明書通りに進めますが、このLEDはベース部分と本体が分離式になっています。
まずはベースをライト側へ固定。
フック側は一段高い方を押さえるので正しいようです。



そしてライト側付属の防水ゴムの後にLED本体を取り付け、角度調整して完了。
LED端部の銅色部分が台座下部の切り欠きと直角になるように、との事。



「エフシーエル」とカタカナ書きされています。
今回もダブルネームです。



裏面はファンがあります。
配線は普通にH4コネクタを繋ぐだけ。
エンジンルーム内がすっきりしそう。

という事で交換へ。



助手席側の現状。
リフレクタの上側が焼けているのが分かります。
もうほとんど樹脂の色が出ています。
運転席側よりこちらの方が何故か酷い。
これまでに2回ほど不点灯が起き、たまに微振動が起きていたのもこっち側。
やはり9年も使えば不調は出るでしょう。



PIAAのHIDでしたので、これまでもダブルネームでした。



運転席側。こちらから作業します。
納車からあまり経たない頃、ほぼ最初の本格的な弄りがこれでした。
ステーの取り回しは今見ても「よくやったなぁ」と。
これらは不要になるので外していきます。



9年ぶりの目無し状態。
滅多に触れない部分なので、ついでに拭き掃除しました。



新旧比較です。
右が取り付けるLED入り。
左が取り外したHID入り。
HIDの方もよくあるレンズ劣化は無いものの、代わりに内部が焼けてぼんやりしています。



点灯状態の比較。
向かって右がHID、左がLED。同じ6000Kでも色味が違うものです。
HIDを組んだ時にも思いましたが、ブルーメッキとの相性なのか、意外と黄色みのある光に見えるのです。
点灯直後は真っ青なんですけれども…
今度は納得の白さになりました。



ロービームはこちら側が光るようです。



ファンの音がするのが新鮮。
これの寿命にLEDの寿命が握られている感があり、今までどうも避けてきましたが…果たしてどうでしょうか。
LEDヘッドライトがメジャーになっているので、その辺も進化しているだろうと期待したいところ。

配線は純正同様へ戻ったので、予想通り大変すっきりとしました。



この通り。
バラストとイグナイタが居なくなりました。



助手席側も同様に…



広々としました。
HIDの配線は汎用品だけにかなり余裕があり、かと言って切り詰められないので束ねていました。
それが結構場所を取っていたんです。

なお、寒冷地仕様だと2バッテリなので、空いているスペースには80サイズのサブバッテリが収まります。奥のメインも同じ80。
うちのはシングルなので95サイズが1個だけ。ですがカオスなので容量は145。
1GZの指定と同じだったりする。



両目がLEDになりました。
作業の感想としては、HID配線の撤去が思った以上に大変でした。
最初にやった配線だけに、後から増えた分の下になっている箇所が多かったのが影響大。
特にヒューズから運転席側にはエンジンルーム後端を伝わせていたため、そこが一番の難所(というか面倒なポイント)でした。

夜の見え方がどう変わったかは、明日以降に乗ってみての確認となります。
リフレクタは同じですが、発光部分の形が変わったので配光も若干変わりそう。
ちゃんとした光軸調整は来月の車検で。

そういえば、今まではHIDの特性上、ごく短時間の点灯やパッシング操作は避けてきました。
説明書にもそう書いてましたし。
それが今まで無事だった秘訣かもしれませんが、LEDではあまり神経質にならなくて良さそうです。
Posted at 2023/12/03 22:46:00 | コメント(1) | トラックバック(0) | | クルマ

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