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菊菱工廠のブログ一覧

2024年03月31日 イイね!

ヤーゲンセン様式のちょっとイイ奴 レッツ商会 22型商館時計 明治40年頃

予告通り今回も時計ネタになりました。
整備ストックがいくつかあるので順次取り掛かって行きます。
やる気のある内に…

今回の個体は当方2個目のレッツ商会扱い。







朝日印の個体です。
1個目は変わり種の真鍮側・3/4プレート式で、旭日(勲章かも)印のものでした。



前回は「風防が無いじゃない」でしたが、こちらは「割れてるじゃない」案件。
それ故か、穴の開いた箇所のブリッジに腐食らしきものが発生しています。
錆びてるじゃない。いやどうだろう。
穴が開いてから暫く経っているのには間違い無さそうです。

テンプの動きはこの時点で悪くないため、上手く清掃できれば復活できるでしょう。
勿論風防も交換します。

この個体は…恐らく明治40年頃か少し前位かなと思います。
機械が龍頭巻き専用設計になっており、尚且つアンクル脱進機でそれ以上に古い要素が見当たらない為です。
但し素人目なので見当違いの可能性は十分あり得ます。

レッツ商会については以前書いていますので、このまま整備に入ります。
変なダメージは無さそうですが…どうなっているでしょうか。



まずは機械の取り出し。
今回もダイヤル裏には何もなく、シムも無しか…と思いきや、洗浄後に発見しました。
油で貼り付いていたのです。

ダイヤルまで汚れが回っていますが、どうも油汚れが凄いようです。



ナンバーズマッチ。オリジナルのペアです。
変な加工跡の無いものを買っているつもりですが、現状リケース品を引いていませんね。





裏面です。
ブリッジにも「Fr Retz & Co.」の刻印があります。
商館時計で上級グレードとされる要素の一つとして、機械に商館名が入っているというのがありますので、この点からもそれが窺えます。
穴石がシャトン止めとなっているのも。
レッツ商会の時計は普及帯が多かったと聞いた事がありますので、こうした個体はちょっとレアなのかもですね。
尚、2番車のルビーは飾り石なので軸受けとしては機能していません。


ちょっと話が逸れますが、この機械は「ヤーゲンセン様式」と呼ばれるスタイルのようです。
商館時計を集め始めた辺りで、カッコいいなと思ったのがこの形の機械でした。

2・3番車→テンプ→ガンギ車と各ブリッジが連続するラインになっていて、テンプを取り囲むデザインになっています。
そしてテンプが大きく、したがって緩急針も長い。
これらの特長を備えるのが典型的なヤーゲンセン様式だそうです。
ちゃんと名前のあるスタイルだったとは知りませんでした。
そこで「ヤーゲンセンとは何ぞや」と調べてみました。

ヤーゲンセンと言うのは人名及び会社名でして、社名なら1834年(天保5年)創業のJules Jurgensen(ユール ヤーゲンセン)社を指します。
デンマーク・コペンハーゲンの会社でした。
当初の名称はLarpent & Jurgensenとの事。
Julesの名前は創業者ヤーゲン ヤーゲンセン氏の子孫との事で、後にスイスのル・ロックルに渡ったそうです。

有名になったのはその頃の事で、ユール氏の手による時計が高級機として評判を得たものでした。
それがかのホイヤー社の目に留まり、大正時代を迎えた後の1920年には買収に至ったものの、結局第二次大戦直前の1936年には売却。
買ったのはニューヨークのメゾンルイ・ハイゼンスタイン社でした。
その後は製造拠点こそスイスに留まったものの、1957年までの活動期間で製造したのはアメリカ式の時計だったとの事です。

大きな会社に振り回され、最後は残念な感じになってしまった同社でしたが、ヤーゲンセン(恐らくはユール氏)とその一門の時計師による造りがこの様式との事です。
また、同じスイスでもジュネーブ様式と言うのが他にあるそうですが、そちらは3/4プレートに近いもののようです(もの凄く端折って言うと)。



分解を進めます。
いくつか部品を外していくと、緑の汚れがしつこく付いています。
やはり油っぽい。
これはしっかり洗わないといけませんかね…



2・3番ブリッジに珍しく紙が入っていました。
アガキ調整のためでしょうから、無くさないように取っておきましょう。



全バラできました。
ゼンマイも異常無しのようで何よりです。
こちらの個体は地板の隠れる箇所にも刻印無し。
ちょっと残念ですが、あったらラッキーという方が正しいのかも…?

石は14石で、2番が飾り石のため実質13石。
それでも多い方ではないかと。





こちらは部品洗浄後の容器の写真…しっかり目に見えるくらいの汚れが出てきました。
油まみれだったお陰でこの通りですが、風防割れからの錆び発生に対してはしっかり防御できていたようです。
メッキの変色は若干ありましたが、緑の汚れはこれで大部分が落ちました。
気になる箇所はその後で拭き掃除。



そんなこんなで組みあがり。
とりあえず平置きでの動作はOKのようです。



テンプのひげは青焼きのブレゲ巻き。
「イイ機械」の要素の一つ。



次はケースの再生へ。
ここはやる人とやらない人で分かれるだろう箇所です。
自分は酸化をしっかり落としたい派なので磨いていきます。
ついでに凹みも直そうかと。



側面にいくつか凹みがあります。



内側から叩き出したりして調整の結果、こんな感じ。
余り深追いせず、この程度で十分としましょう。
墓穴を掘りそうなので…



更に風防。
裏の風防は割れていたので交換ですが、前面は無事ながら全体的に傷が入って曇っています。
これもザックリと磨いて透明感を出していきます。
仕上がりは完成写真にて。



背面風防は新品交換です。
加工無しでぴったり嵌る物が見つかりました。
やや厚みは増しましたが、ギリギリ干渉せずに蓋が閉まります。



ダイヤルです。
今回はここまでしっかり汚れているのでご紹介。



染みの跡はある程度仕方ないですが十分奇麗。
クラックに染みてしまった部分は流石に取れません。







組み込んで完成となりました。
内外とも見違えるレベルの再生となったのは初めてかもしれません。

背面風防の割れや前面風防の傷に対して、随分と裏面の摩耗がありません。
使い込まれると真っ先に摩耗するのが背面…だと思うのですが意外。



前面風防の傷も大体消えました。
中央に深いのが残ってますが、まぁ大目に見ましょう。





油汚れの落ちた機械。
ケースに組んで風防も付くと、より立派に見えますね。

よくあるテンプの石交換(金属板で置き換え)はされておらず、その為か姿勢差が大きいようです。
平置きと縦置きでテンプの振り具合が目に見えて違う。

一応実用目的とするため、調整は縦置きで行いました。
結果、一応日差-30秒~1分程度になったようです。
緩急針がほぼ中央でこのレベルなのは優秀ではないでしょうか。
…きちんと調整できる腕が無いだけで、その個体ごとの状態に頼っているのが現状という事ですね。

まだまだ時計ネタは続きます。
車…早く出てこないかしら。
Posted at 2024/03/31 22:35:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 時計他アンティーク系 | 趣味
2024年03月23日 イイね!

鍵巻き兼用、英式レバーの3FB エストマン商会 21型商館時計 明治30年頃

今日も引き続き商館時計の再生です。

古い機械式懐中時計に嵌って暫く経ちましたが、基本的に惹かれるのは商館時計ほぼ一択。
裏蓋を開けて内蓋がグラスバックでないと、どうも買う気が起きないのです。
例外は先日の逓信省 電話交換時計のような業務用くらい。
まぁ余計な出費や場所が取られないのは良いので、集中型のコレクションとしてやっていきたいと思います。
全部に手を出していたら収集がつきませぬ。
蒐集だけに。

という事で今回の時計はこちら。





エストマン商会と思われる個体です。
既にそこそこ奇麗で動きもします。
近年に手入れされてあるようですが不明なので、内部を知る意味も込めて分解清掃します。



完全ジャンク状態の別個体と。
左に写っているのがそれですが、「エストマン」とカタカナ表記されています。
同じ王冠マークながら形が若干異なるものの、名無しの方もエストマン商会として出品がありましたので、そうなのだろうと判断しました。



購入の決め手はこの機械。
鍵巻き兼用設計にスリーフィンガーブリッジ、しかもイングリッシュレバー脱進機採用です。
機械をいつでも見られる商館時計にとって、多石仕様に負けないカッコよさではないかと思います。



このチラッと見える勾玉型のカウンターウェイトがそのヒント。
仕組み自体はアンクル脱進機なのですが、爪石が通常のアンクルと異なり直角に付いています。
テンプとガンギ車との間で動力が90度向きを変えるんです。

で、この個体は暫く購入を迷っていました。
オク購入ですが開始価格が高く、誰も手を付けなかったのが理由の一つ。
金額的には格安スタートの終値と大差ないかそれ以下なのですが、スタートが高いと何故か人が寄らないんですよね…あれ不思議。
何かウラがあると思うのでしょうか。Ada Gajah Dibalik Batu。
「岩の後ろに象が居る」転じて裏の意味があるよ、というインドネシアの諺です。同名の歌もお薦め。

もう一つの理由はこの写真の通り、「機械の風防が無いじゃない」という点。
人気のアウラ構文。
ただそれも入手のアテがあるので大した問題ではないのですが。

ところで…例の台詞に始まる一連のシーンが(本来の意味でもネタとしても)人気ですが、「葬送のフリーレン」や「断頭台のアウラ」等と渾名されると、どうしても「北海のハリマオ」がつられて出てしまいます。
仕方ないじゃない。デコトラ好きだもの。

ハリマオの綴りはHarimauでして、マレー語で「虎」の意味。
ドイツ語じゃありませぬぞbosku。
いやboskuの皆さんなら常識だろうよ。現地語だもの。


脱線が過ぎましたが、ここでエストマン商会について概要を。
とは言ってもこの商館は情報が少なく、ネットで見つかる日本語の資料は「開港のひろば」がほぼ唯一でした。

エストマン商会(Oestmann&Co.,A.)は、アントン エストマン(Anton Oestmann)氏が設立した会社で、当時のシャム バンコックより明治2年に来日しました。
L.クニフラー商会やカール・ローデ商会へ勤務した後に、横浜に支店を開業したのは明治20年の事でした。
アントン氏は明治15年に設立していた神戸の支店で仕事をしていたそうで、横浜支店を切り盛りしていたのは弟のカール(Carl Oestmann)氏でした。

輸入専門商社であり、時計の他には織物・ガラス板・皮革製品・薬品・洋酒等を取り扱っていたそうです。
所在地は、横浜居留地では74番(明治22年~)、明治28年から34年までは76番で、日本での同社の活動は明治41年頃までだったようです。
なお、アントン氏は明治35年にドイツへ戻っており、ハンブルクに設立した支店で日本の事業を調整していたとの事です。

マークは「王冠にエストマン」が代表例ですが、「エストマン」表記が無い物も多く、王冠の意匠にもいくつか種類があるようです。
「騎馬」が複数の商館で使われたマークであったように、別の商館でも王冠をトレードマークにしていた可能性が捨てきれません。

今回の出典は「開港のひろば 第59号」とドイツのサイト「Meiji Portraits」より。

そしてこの時計の年代予想ですが、ちょっと難しい。
活動期間の短い商館でもないし、後で書きますがこの脱進機はシリン式とアンクル式の間です。
ただ鍵巻き兼用設計でダボ押し採用という事から、ダボ押し全盛期の真ん中である1900年、つまり明治33年よりちょっと前位かなと思います。
明治30年頃としておきましょうか。



さて分解です。
特に変わった意匠があるケースではないながら、前面風防はヒンジの無い摩擦式。
商館時計では少数派かもしれません。
単なる経験不足かもしれませんが…



機械を出しました。今回は特に修理歴の記載は無いようです。
こちら側はごく普通の設計。
ダイヤルもクラックなく奇麗ですが、特に豪華な仕上げではありません。



ナンバーズマッチを確認。



裏面です。
初めて分解するイングリッシュレバーが楽しみ。
よく見るアンクル式と異なり、アンクルのブリッジも輪列と同じ作りです。
テンプの下に隠れていないのですね。



出ました。アンクルです。ガンギ車と一緒に。
この形がイングリッシュレバー式の証拠となります。

通常はクレーンゲームのアームかマジックハンドの如く、カウンターウェイト(無しの場合もあります)から爪石までが一直線。
しかしこちらはレバーの側面に爪石があります。

余り深い事を語れるほどの知識がまだありませんが、シリンダー脱進機から一段進化した、アンクル脱進機の初期の姿。
名称の通りイギリス発祥で、王室の宮廷時計師トーマス マッジ氏による発明。
マッジさんは時計にまつわる様々な発明をされた凄く凄い方です。

発明の意図はシリン式の弱点であった摩擦の低減を狙ったものでした。
1756年(宝暦6年)頃と言われており、その後のスイスレバー脱進機(クラブトゥース、一般にアンクル脱進機と呼んでいる方式)に繋がりました。

こと商館時計に限ってみれば、まだまだ目にした個体数自体が少ないものの、大多数はアンクル式かシリン式のようです。
イングリッシュレバー式は、歴史的にはアンクル式とシリン式の間に位置する筈ですが、何故かシリン式よりも希少な様子です。
やはり商館時計の多くがスイス製であった事が大きいのでしょうか。
以前の記事にも書いた事ですが、当時は国や地域によって技術が独自に発展や普及していたとされ、同じ時代でも全く違う機構を持った時計が色々とあったそうです。



途中経過。
今回の機械はダボがケースとは別パーツとして付いており、機械だけの状態でも指で押せる作りです。
ぱっと見はほぼ一緒でも細かい部分に個性があるのが、商館時計の面白さの一つかと思います。



全バラできましたが、今回も筒かなは固く嵌っていました。無理せず進めます。



洗浄した部品が乾くまでの間にケースを磨きます。
今回は既に奇麗めなので、酸洗いを省いて研磨していきます。



風防ベゼルとの隙間に、分解せずにコンパウンドを使った形跡あり。



無事に組めたので動作確認…何かテンプの振りが弱い気がする。
巻き上げ回数も僅か8回と少ないので、少々主ゼンマイが長いのかも。
分解時にも「何か長いし反発が弱い気がする」と思ったので。
テンプはぱっと見問題無さそうなので、トルク不足の可能性を疑ってみます。



以前ジャンクから外したゼンマイと比較。
左が今回の個体に入っていたもので、右がほぼ同じサイズのジャンクから取ったもの。
やはり長さが違います。



巾もほぼ同じだったため組んでみました。
良い感じの占有具合かと。

…ですがテンプの様子は大して変わらず。
ひげを調整して少々良くなった気はしますが、やはり頼りない感じ。
平置きならまだ良いものの、立てると途端に弱くなります。
まぁ、100年以上経っている時計ですから仕方ないでしょうか。

縦置きで放置しても1日止まらない事は確認したので、とりあえずケースに組んでみます。
大幅なズレが無ければヨシにしましょうか。
暫く動かす内に元気が出てくるかもしれません。
次は買ってきた風防ガラスを微調整しないと…







という事で完成。
ガラスの調整は撮るのを忘れました。
元がそんなにくすんでいなかったので、見違える程の差は無いですね…



風防はほぼぴったりでしたが、薄さもあって無理を避けるべく若干削りました。
多分1mm位じゃないかな…
意外と深く嵌るベゼルだった事もあり、良い感じにフラットな見た目となりました。

動きの方も暫く置いたところ調子が出てきたようで、結局日差-数十秒~1分程度になりました。
テンプの振りが緩やかなのは個性という事で良さそうです。



素敵な機械を正面から。
緩急針が振り切ってるのは突っ込まないでくだされ。

イングリッシュレバーはその後のアンクル式よりも動作音が大きいと言いますが、テンプの振り具合のせいか然程気にならず。
機械時計の魅力でもあるので、少々残念でもあり…まぁ良いでしょう。


次回も多分時計です。
次の扇風機はまだ少し先。
車は…もっと先になりそうですね。
エクリプスクロスのネタはできるかもしれません。
Posted at 2024/03/23 22:50:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 時計他アンティーク系 | 趣味
2024年03月17日 イイね!

年号表記があると一味違う ヲロスヂ_バァク商会 20型商館時計 明治33年頃

扇風機のストックが(戦前型は)掃けたので、また時計に戻ってきました。
昭和40年代の機種は沢山溜まってるんですけどね…
あれはあれで手がかかるので、もう少し眠らせようかと。

そんな今回のお題ですが、当方2個目のヲロスヂ_バァク商会のもの。









マークは三日月に鷹。鷲かもしれませんが。
機械は石がシャトン止めになっており、そこそこ以上のグレードな模様。
一目見て他と違う個性…というのは無いようですが、「ここが残念」というダメージも無さそうです。
精々グラスバックの風防に欠けが多いくらい。

商館時計の定番である、ダボ押し時合わせにアンクル脱進機な事、それと後述の通り8年しか存在しなかった商館という点から、恐らく明治33年頃の時計ではないかと思われます。

購入の決め手はズバリ「商館名の刻印が実に当時っぽいから」。
「ヲロスヂ_バァク商會」の右書き表記に読みの響き、何とも昔っぽくて良いじゃないですか。
それだけで同社扱いの時計が好きなくらい。

実は既に騎馬印の物を持っていますが、そちらは近年に整備済みらしくそのまま動いています。
なので自分で整備するのと記事にするのは今回が初めて。
商館の概要を記しておきたいと思います。


ヲロスヂ_バァク商会(Etablissements Orosdi-Back, Ltd.)は明治28年創業、日本においては明治36年まで営業していたとされています。
フランス系商館として知られ、百貨店を各国に開いていたようです。
横浜での所在地は、明治29年時点で居留地168番、明治34~36年は同78番でした。

現在もパリに本店があるとされますが、こちらでは確証が得られていません。
エジプトに当時の建物が残っており、現在も別の形で使われているのは事実らしいです。
オスマン帝国への輸入業を中心に財を成した商社であり、トルコ、エジプト、チュニジア、ブルガリア、ルーマニア、マケドニア、レバノンといった、東欧~中東の各地で支店や百貨店を経営していました。

創業者はAdolf Orosdi氏とMaurice Back氏で、共にハンガリー出身のユダヤ人でした。
社名はヒューレット・パッカードのように連名になっているんです。
更に創業の地はトルコのイスタンブールなので、実はフランス発祥ではありません。

しかし明治21年にはパリに本店を構えたため、その後日本に入ってきた商館として語るならばフランス系となるのですね。
時計を扱った商館としては8年しか存在しなかったのですが、今日でも結構な頻度で同社の時計が出てきます。
短期集中で多数輸入販売したのだろうと言われています。

マークは今回の「三日月に鷹」と手持ちの「騎馬」の他、「丸扇(花火とも?)」、「三日月に旭日」、「蝙蝠」などがあったようです。


それでは整備に行きましょう。



まずは取出しから。
ダイヤルの裏面には、「大正六年」と読める書き込みが。
明治30年代の時計なのは間違いない為、恐らくはオーバーホールした際の記録でしょう。
こうした書き込みは度々見かけるのですが、スタンプである事も多いようです。
こちらのように手書きで「大正」と書かれていると、それだけで説得力が増して見えるのは何故でしょうか。



今回もナンバーズマッチ。



裏面です。ここからが本番。
地板直径は45mmなので、リーニュに換算すると20型となります。
普通かやや控えめサイズな商館時計です。
先日のゴリアテ(逓信省 電話交換時計)と比べるととても小さく見えます。



2番車のシャトンのビスが1本ありません。
ジャンクか部品箱から漁ってきましょう。



途中経過です。
特に問題は無いものの、当時超高級品だったはずの時計で、更にハイグレードな仕様にも拘らず、意外と仕上げの粗い箇所が目立ちます。
ちょうどこの写真に写っていない部分ですが、4番車とガンギ車のブリッジ側面はヤスリ跡が残っていますし、香箱を外した「抜け」の部分にはバリがありました。

これらを単に「手抜き」とか「安い仕上げ」と見るのは容易いですが、「もしかして当時の新人職人が手掛けたのかしら」なんて思うと面白いものです。
100年経った今もちゃんと動きそうですから、それで良いんだと受け入れましょう。
でもまずは分解清掃を成功させないと。



香箱です。今回はゼンマイ切れも無いようです。
長さ(香箱に占める割合)も良い感じのようですが…端部はこれで良いのかしら。
巻いていくと途中で空回りしそうな気がします。



…とか言ってたら、取り出しにミスってブッ飛ばしちゃいました。
そのせいで折り返しが欠損。結果的に曲げ直す羽目に。



全バラできました。
筒かながかなり固かったので、今回は敢えて外さずに行きます。



洗浄後、組み立てに当たってまずはゼンマイの端部処理。
この位で良いかしら…(不十分だったようで、組んだ後に巻いたら弾けましたのでもう少し曲げました)



ひとまず動作確認。
とりぜず平置きでは調子よく動くようです。
上手い具合にガンギ車の回る瞬間が写りました。



今回は偶然ながら、機械の組み立てより先にケース清掃を始めていました。
素人のため無事に直るか不明なので、この流れは一種の賭けです。
電話交換時計の一件が少々トラウマでして。



とは言いつつも、無事完成しました。
緩急針はけっこう進み方向にしていますが、これで日差-30秒程度に収まったので良いかと思います。
縦置きでその位なのでズレを気にせず実用できます。



裏面も奇麗で気になる凹みもありません。



2番シャトンのビスも良さげなのが見つかりました。
この時計にとって何年ぶりかは不明ですが、また一つ現役復帰が叶いました。
テンプのアガキ調整に薄紙を貼ってあったので、それなりに最近の整備歴はあったのかも。

何となくサクッと出来てしまいましたが、かなりラッキーな事でしょうね。
改めて考えれば、100年以上前の精密機械なんですから。
次回も多分時計ネタです。
Posted at 2024/03/17 22:41:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 時計他アンティーク系 | 趣味
2024年03月09日 イイね!

随所に輝く独創設計、但し逆ネジ注意 日立扇風機 TO A-30型 大正15年頃

昨年から温めていたというか眠らせていたネタが始動しました。
が、まぁ…勉強になったな、というのが一番の感想でしょうか。

お題は日立製作所の12吋扇風機、TO A-30型。
大正15年とされる雑誌広告が残っている事から、その頃の製品と思われます。
以前レストアしたTO A-12が雷光ガードであり、正統進化形であろうこの型が細かいガードという点からも間違い無さそうです。
一応資料もありますので、最後までお付き合い頂ければと。

なお、「TO」の2文字目は「ゼロ」ではなく「オー」のようです。
A-12の首振り無しタイプが「TN」となっているため、NormalとOscillatorでNとOなのかと。



実機です。同型2台。
変則的なご紹介になった理由は後程。

埃っぽい方が部品取りで、艶のある方がメインの直す個体。
部品取りの入手までには約4か月かかりました。
メイン機のファンとファンガードの艶は再塗装によるもの。
下地処理と塗り方が今一でしたので、敢えて劣化のある部品取りの方へ交換します。

尚このA-30型、そこそこ見ると思いきや、探すと意外に出てきません。
メインの方は箱付きだったというのも珍しく、自分は見た記憶がありませんでした。
それがそう高くない値段で手に入りました…までは良かった。



こちらはメインの方のギアボックス。
首振り不可との事で買いましたが、大抵この時代のジャンク品はそう書かれるもの。
機構的には無事でも、油の固着で渋かったり操作方法が分からなかったりするためです。
しかしまさか、本当に内部が壊れているとは。レアケースです。

三菱や富士みたく、外から分かる部分がこうなっていないと見分けが付きませんね…
原因はそれらと同じく、亜鉛合金の結晶粒間腐食と思われます。
それに蓋は破壊しないと開けない状態…しかしこれは罠でした。



こちらは部品取り機。同様に蓋は半分壊していますが、中身は無事です。
しかし、こうしなければ成らぬ状態だと思い込んでいました。
「やらかし」だと気づく直前の写真です。

要は「ネジ部が膨張して、壊す勢いで思い切り力をかけないと外せないのだろう」と思い込んでいたのです。
この状態から更に残った部分を割り、テンションが抜けて回せるようになり…

「コイツ逆ネジじゃねぇか」と気づく訳ですね。
申し訳ない事をしてしまった。

しかし言い訳をするならば、ギアボックスの蓋が左ネジになっている機種ってほぼ無いんですよ。
これまで70台くらいの整備経験がありますが、日立以外は右ネジだった記憶しかありません。
…裏を返せば、日立をほぼ手掛けてこなかったツケ。
そこにメイン機の中身が崩壊していましたから、すっかり先入観に捕らわれたという事です。

慣れと慢心、思い込み。
出費以上に心の痛む勉強代でした。

とはいえ、それなりに無事にネジ部を外せたのはまだ運がある証かもしれません。
修復に挑戦します。



見比べた結果、メインの方の蓋のがダメージが少ないのでこちらを採用します。
幸運にも鉄鋳物のようですので、鈑金ハンダが使えます。
亜鉛合金だとかなり悩む事になります。



こんな風に。
強度もかなりいい感じ。後はプライヤの傷を何とかして、塗装すれば大丈夫。
それにしても鈑金ハンダは頼もしい。





このガリガリ君状態をどうにかします。
まずは…



どこぞのDIYハック動画の如く旋盤ごっこ。
折角円形ですので、回しながらヤスリを当てるのが正解でしょう。



天面の塗装も落とせばこの通り。
パテ埋めが要るかと思いましたが、この程度ならそのまま塗っても良さそうです。

塗装に使うのは自分の定番、カンペの水性アクリルシリコンスプレー。
塗りやすさ・仕上り・乾燥時間・カブリ耐性などがかなりハイレベルです。
それでいて高くないのが嬉しい。

これでようやく普段の順序に戻れます。



ここで一旦、入手から着手までの経緯を書きたいと思います。

この個体を入手したのは昨年でして、冒頭の通り箱付き&奇麗目の個体として、そこそこ安価で入手できました。
更に以前には「ホリデイズPresents 菊菱工廠コレクション」にて当時の絵葉書を頂いており、それがこのTO A-30の製造工場のものでした。





これです。
上は工場全景、下が「工場の一部」とあり、扇風機が沢山写っています。
出荷直前の組み立て工程のように見えますが、並んでいるのは恐らく同型。
折角資料が手に入ったので実機も欲しいな、まだ持ってない機種だしな…という所でした。

しかし届いてみれば、ギアボックス内部だけが破損と言う珍しい症状。
このまま単品での修理は難しいと判断し、暫く眠らせる事としたのでした。

そして今回、無事にドナーが見つかりまして修理開始と相成りました。
本当に部品取りできるのかを検証すべく、先んじて分解したために変則的となりました。

結果、蓋を破壊してしまう凡ミスはありましたが、一応リカバーできたのは不幸中の幸い。
当該機種の経験不足故に起きた事故でしたが、修理の経験値が生きて軌道修正が叶いました。

なおこちらの機種、日東科学(後に童友社が引継ぎ)よりプラモデル化もされています。
そちらは何度かパッケージが変わっていますが、一つには「一九二五年製」と記載があります。
先述の年代予想とも合っていますね。



話を戻しましょう。
ギアボックス蓋の乾燥を待つ間に内部を清掃しました。
タイプこそ芝浦や三菱(甲型)でおなじみの遊星式ですが、流石日立だけあって独自設計になっています。
初代A-12型の開発にも、他社特許に頼らない自力での設計に拘ったエピソードがあります。

一番下、イモネジの横に居る大小の丸板は、クリアランス調整のシムらしきもの。
2個の鉄球はインターナルギア代わりのセンターギア(と一体のキャリア、クローバー状の窪み部分)に嵌り、回転しないようケースへロックする役割を果たします。



中身だけ組んでみました。
マニュアルミッションの中身みたいでカッコいい。

機構と言うか原理自体は他社同様の遊星ギア式。
先端につまみが付くアッパシャフト、その下部はDカットが施され、遊星ギアのキャリアと連結。連動して回転します。
ロアシャフトは遊星機構の太陽ギア及び首振りカムと繋がっており、減速されて回転が伝わるのです。



真横から。
特徴的なのは、遊星ギアが2段になっていて、互いに歯数が異なる事。
通常、遊星機構はリング状のインターナルギアが外周を囲みますが、それが内側になるよう工夫してあるんです。

設置状態での位置関係で上段となるのは首振りカムのロアシャフトを、下段はインターナルギア代わりのセンターギアとそれぞれ噛み合います。
オーソドックスな遊星機構では、遊星ギアが太陽ギアとインターナルギアを同じ歯で回しますので、普通の1段タイプとなります。
それを変えた上に上下で歯数を違えるという細かさよ。
手のかかる設計を敢えて取り入れた事になりますね。

わざわざこうしたのは…より小さく組み立てやすい機構を目指したのでしょうか。
或いは、これは組み立てる段階になって分かった点ですが、「首振りOFF時にはその位置でロックされる」という機能を備えており、そのための構造かもしれません。

普通は首振りをOFFにすると、手で左右に動かせる状態になります。
この時に仰角をつけてあると、左右どちらかに勝手に方向が変わってしまうんですね。
恐らくはそれを避けるべく、ロック機構を盛り込んだ設計としたのでしょう。
A-12型も凝った切り替え機構で有名ですが、そちらも首振りしない際は正面固定になる構造でした。

ただ…これが良いのかどうかは好みの問題かもしれません。
フリーになってくれた方が便利という場合もありますので…

整備を行う者の視点から感じる長所は、何と言っても完全分解できる点でしょう。
カムも右ネジでの差し込み+イモネジでのロックなので簡単に分解できます。
なお、メイン機の元のギアボックスで破損していたのは遊星ギアキャリアでした。
この部分だけ亜鉛合金らしく、残念ながら結晶粒間腐食が起きたようです。
現にこちらの個体も若干皹と膨らみが出ています…これ以上進行しませんように。

ちなみに組み立ての際には、先に内部を組んでボックスへ入れ込んでおかないといけません。
芝浦等に慣れていると、グリスアップの都合(隙間なく詰める場合)で先にモートルケースへ取り付けてしまうのですが、それをやると非常に組み立てにくくなります。
遊星ギアキャリアの先端にはシム的に薄いプレートが付く事と、歯数の違う2段遊星ギアの間に、同じく2段ギアの付いたロアシャフトを通すのが難しいからです。

グリスアップに関しても、キャリア自体が回転する構造のため、みっちり詰めてしまうのは良くないでしょう。



先にギアボックスの見通しを立てたので、これからようやっと本体です。
先にガードが外れていますが、日立のこのモデルは他に例の無い「上下分割式」。
エンブレムが下半分に固定されており、半円に突き出た部分にはベゼル縁から伸びた深いリブがあります。
上半分のガードの前方は、エンブレム裏へ引っ掛ける事でロックされるんです。
ご紹介は最後で。



恒例マイクスタンド。



配線を外すため裏蓋へ。
この型の日立はいくつか見ましたが、同じ綿打ち電線に揃いのちょっとゴツいプラグが付いていましたので、電線は出荷後の後付けではないようです。
ですがこのように、扇型の小窓を付けたクイックアクセス構造が取られています。
シリアルのプレートが蓋に取りついているのも面白い。



開けました。
モートルへ行く線は全てこの面にナット留め。
整備しやすくて助かります。



碍盤を外しました。
こちらは特に他と変わりませんね。
陶器に黒塗装です。



モートル線にコイル状の保護チューブが付くのが特徴の日立製ですが、中身はこんな風。
色分けされた布巻き線です。
この保護のお陰か、この頃の日立製はモートル線がオリジナルな事が多いようです。



続いてモートルの分解へ。
エンドベルを外します。



難なく取れました。
コイル全体に塗装がしてあります。
普通はワニス仕上げですが更に塗ってあるのでしょうか。
ちょっと調べるとこの型は元からこの仕上げらしく、腐食や断線により強くしたと思われます。



また、電線引き出し部のブッシュは差し込み式としてあり、交換が容易。
ギアボックス蓋の逆ネジはトラップでしたが、全体的にメンテに親切な設計が目立ちます。





そして独特な点がまた一つ。
モートルを固定する軸の先ですが、ロックピンが入っていました。
シャープの機種などもこの位置に割ピンを入れるものがありますが、こうすると仰角調整ナットの反対側に刺さるビスが要らなくなります。
見た目がスッキリしますが…どちらが良いかと言うと人それぞれでしょうね。
これが見つからないと分解できませんし(普通は分解しませんけれど…)。

しかし工夫されているのは、首を真横にしないとピンが抜けないようにネックピースに鍔が付いていた事。
普通の首振り動作では至らない角度まで回さないと外せません。
割ピンでない代わりに抜け止めの設計がされていました。



それではモートルケースとコイルの清掃へ。
とは言っても現時点で結構奇麗です。



この機体も漆なのでしょう、汚れを落とすだけで光ってくれます。
状態の良い個体は手入れも楽で嬉しいですね。
本当のジャンク状態を蘇らせるのもやり応えはありますが…





エンドベルのビフォーアフター。
これも元が奇麗なので、写真では艶が出た程度。
実際に見ると100年経っているとは思えない質感です。



基台ですが、こちらも汚れを軽く落とせば大丈夫でした。
銘板も元が奇麗なようで、磨きやすい状態でした。





この程度で十分かと。
なおこちらの銘版、他でよくある真鍮板ではないように見えます。
特にスイッチの方は鉄メッキなんじゃなかろうか。
茶色い点錆が出ていましたので。

黒塗装部分も当時の他社製より強いようで、粗目のコンパウンドでも薄くなりませんでした。
何と言うか、戦後の物の感覚です。

また、銘板の下には東京電燈の型式認定証が残っています。
現在の東京電力に繋がる会社ですが、新一万円札の肖像・渋沢栄一氏が設立者の一人です。
こういった貼り付けタイプや鉛の封印タイプなど、古い扇風機に電力会社の認定証が付いて来るのは多々あります。
封印タイプだと大抵はエンドベルの向かって右側なんですよね。



こちらはギアボックスとエンドベルの間に入るガスケット。
さながらエンジンパーツのようですが、これも他社には見られない点です。
グリス(オイル)滲みを防止するためでしょうね。

続いて碍盤ですが写真がありませぬ。
基本的に汚れ落としに留まる部分ですが、自分は端子の磨きと接点グリス塗布も行います。
接触不良を無くすと共に、操作も滑らかになってタッチが心地よくなります。

更にこの機種のスイッチバーは、シンプルにビスとナットで留めてありました。
緩み止めを優先してカシメやハンダでのロックが定番の箇所で、ストレートに分解可能なのは珍しいです。
端子部分は銅板で別パーツが組んであり、ここにもひと手間かかっていました。



ロータです。これも普通っちゃ普通。
しかしシムの数が他より多いですね。リア側は脅威の7枚。
それに三菱や芝浦がメタル+圧縮紙なのに対し、日立はフルメタル。
泣いたり笑ったりできなくはなりません。



こちらは清掃後のネックピースですが、ここにも工夫が光っています。
反対側には仰角制限ビスの嵌る溝がありますが、普通こちらの面はただ平面の地金。
わざわざ薄切りドーナツ状にプレスしたパーツを嵌めてあり、接触面積を減らして仰角調整の操作が軽くなる構造です。
これもまた初めて見た設計…日立、やりますな。

そしてここで思い出したのは、日立の創業者である小平浪平氏の格言。

「日本の工業を発展させるためには、それに用いる機械も外国から輸入するのではなく、自主技術、国産技術によって製作するようにしなくてはならない。それこそが日本が発展していく道だ。」

まだ国産の工業品が少なく、近代的な技術の多くが海外由来だった時代ですから、輸入や真似でなく「自国・自社の技術」である事に拘ったのでしょう。
基礎が身に着かなければ応用も出来ません。
その意識やレベルは天地の差かもしれませんが、レストアや車弄りをやっていて自分も感じる所です。

そして元箱にも、このようなメッセージが書いてあります。



◆御使用の方にお願ひ◆

◎日立製品御使用の御方は必ず添付取扱説明書を御精讀下さい。
◎弊社は全く日本人の頭と腕とによる純國産品を造り出さうと務めて居ります。
◎製品の向上改善は一に愛國の誠から迸る各位の助言と鞭撻に俟つの外ありませぬ。
◎國産愛護の為め不備の點は大小となく御高教の程御願ひ申します。


現代の感覚からするとえらく堅い印象ですが、当時のこのような言い回しってどうも好きなんです。
原文ママに書きましたが、検索せずとも割とすんなり読めてしまいます。
特に自分の場合、学生時代の一時は旧字体で板書をしてましたので、一種の黒歴史ながらスキルにもなりました。

1行目は今でも書かれる当然の事で、2行目は正しく小平氏のポリシーに則るメッセージですね。
戦前の製品なので、3行目のような事もごく普通に書かれて受け止められる社会でした。
これが本来、万国で普通の感覚なのではと思います。
4行目は現代だと「お気づきの点がございましたら…」となるであろう一文ですね。

この2行目での言いたい事は、単に歩留まりとか仕上がり、精度や耐久性の点だけでなく、製品作り自体への工夫・拘りという意味ではないかな…
と、分解して見えた数々の箇所に感じました。
「モータの日立」とはよく言われる事ですが、それ以外の機構にも工夫が沢山盛り込まれていて面白い一台ですね。

さて、部品の清掃が終わりましたので、ここからは組み立てに入ります。
今回は配線交換がありませんからサクッと行きましょう。





電源コードのプラグですが、今回のA-30型はちょっと分厚いこれがオリジナル。
3台ほど手元に来ては去って行った個体がいずれもこれでしたので。

250V/10Aという現在無い規格になります。
当然ながら逓信省の型式認定も無い頃のもの。
形状こそ当時の定番であるポニーキャップですが、しっかり端子カバーまで付いていてアメリカンな雰囲気のプラグです。

ゴムブッシュはモートル線を含めた3か所とも、現行品のΦ12型がぴったり合いました。



グリースカップとフェルト。
造りは普通なものの、ローレットが無い代わりにカップ下端にすり割りがあるので、ペンチで掴まずにマイナスドライバで開け閉めを行います。
故に固まられると怖い。まぁ溝が大きいので、大きいマイナスを使えば良いのですが。





エンブレムも再生しました。
錆の影響で少々剥げていますが、元はシルバーメッキだったようです。



そしてガードはこんな構造。
これまたよく考えられています。
シンプルなツールレス構造ながら強度も十分。



色々ありましたがようやく完成です。
当時の絵葉書と共に撮影。



後ろ姿。絵葉書も同じ向き。
こうして見ると普通なだけに、内部があれ程工夫されているとは想像できないのも個性の一つ。
チューニングカーで言えば「スリーパー」枠かしらね。

外観から一つ言えるのは、首振りアームと仰角調整の蝶ナットが他の多くとは逆向きな点でしょうか。
まぁ富士電機もそうなのですが…



古い絵葉書と、それに描かれた物が目の前に一緒に居る感動。



最後は箱も一緒に。
この機種の元箱は見かけた記憶が無く、地味にレアものと思われます。
絵葉書と一緒に並べると、新品当時の気分が味わえます。

絵葉書は当時色々な分野で出回ったものの一つですが、扇風機等の家電のノベルティで貰えたりもしたのでしょうか。



カラーの絵葉書。
縦向きの方は大正15年に広告としても発行されたらしいです。

なおここで面白いのは、大正末期の製品ながら「扇風機」呼びである事。
この頃から扇風機(または煽風機)とも呼ばれましたが、どちらかと言うと「電氣扇」が多数派でした。
しかも日立自身、この後の機種の箱では電氣扇表記になっているようです。
手元の昭和9年のカタログも電氣扇になっていました。



という事で、以上です。
いつもより更に文量が嵩んでしまいましたがレストア記録でした。

今回は普段扱わない日立製という事で、それだけで学べる点が多くありました。
しかも随所に工夫が凝らされていて、失敗と共に「こんな構造もあったのか」と勉強になりました。
この先もまた他のメーカを扱うと、別の発見があるのでしょうね。
だからレストアはやめられない。
Posted at 2024/03/09 23:29:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | アンティーク家電 | 趣味
2024年03月03日 イイね!

標準時計の前身、正体は巨人 逓信省 24型電話交換時計 大正期

今回も時計のネタですが、商館時計からちょっと離れてみました。
そしてこの文も一度書いては消し、もう一度書いたもの。
少々回り道がありました。

蘊蓄コーナーもいつもより長いので、作業をご覧になりたいだけでしたらスクロール推奨です。

さて、今回のお題はこちら。





いきなり2個写っていたり分解途中だったりで失礼…
とはいえどちらも役割は同じ。
ケース裏蓋に「逓信省」の銘が入った、通称「電話交換時計(交換時計、逓信時計とも)」。
24型機械搭載で、ケース直径は65㎜を超える巨大さです。

今回はこちらをニコイチにして修理しますが…本当なら左の個体だけで仕上がる筈だったもの。
その理由は後程。
メインとなる個体は右側の、風防が割れている方になります。


まずはこの時計の概要について。
電話交換時計という名前と逓信省の銘からも伝わってきますが、この時計は電話交換手が通話時間を測るためのものです。
交換局の写真を検索すると、机にスタンドを置いて立てていたり交換機に引っ掛けてあったりするものが出てきます。

日本で電話が使われ始めた、即ち電話交換事業が始まったのは明治23年の12月16日。
東京と横浜の交換局からのスタートでした。
市内通話は定額制で月額40円、現在の価値に換算すると約15万円だそうで…とても個人では持てない代物ですな。
更に市外通話は5分で15銭、大体2250円相当との事で、これを計測するための時計が電話交換時計となります。

ケース・機械とも懐中時計の様式に倣っていますが、このように壁掛けやスタンド設置で利用する時計ですので、24型という巨大なサイズです。
落ち運びはそもそも想定しない用途から、文字盤が大きく正確に時間を読める事が優先されたのでしょう。
後は交換機前の狭いスペースでも置ける事との両立かなぁ。

そして、昭和6年になると服部時計店(精工舎)がこの交換時計の供給を開始したそうです。
かの19セイコーがデビューしたため、それをベースとしてケースのみ24型にしたものでした。
そのため裏蓋を開けると、ケースに対して小さな機械が収まっている形でした。
陸軍精密時計や海軍甲板時計など、軍用にも派生したとの事です。
鉄道時計は昭和4年に先んじて登場しており、同じく19セイコーベースでした。

またこれがベースとなり、時計店向けの標準時計(修理調整の際に歩度の基準とするもの)にもなりました。
電話交換手が過去の存在となってからも、鉄道時計と共に昭和46年まで作られたそうです。
確か5姿勢検査で、検査証(時差記録)付きだったはず。


一方今回扱う個体は、特に精工舎や服部を示すマークは無く、機械自体が24型となっている古いタイプのようです。
メインとする方には内蓋裏に「ARGENTAN」や「SWISS MADE」の刻印はありますが、先に入手の方にはダイヤル下部の小さな「SWISS MADE」のみ。
共にメーカー不明です。

ではスイス製なのは間違いないとして、元ネタは何であろうか…
機械まで24型であるため、最初からこのサイズで設計されたのは確か。
ならば理由がある筈で、特注よりかは現地で別の目的があったと考えるのが自然でしょう。

調べてみれば、どうも正体は「ゴリアテ(Goliath Watch、巨人時計とも)」ではないかと思われます。
直径6cm(24型)以上の懐中時計をこう呼ぶのですが、身に着けて持ち歩くための時計ではありません。
戦前には懐中時計を「提げ時計」と呼んだ通り、馬車の車内に吊り下げて使うのが主だったようです。
大型の為かパワーリザーブも長く、30時間~8日巻きとの事です。

生まれた頃には馬車しか走っていなかった…誰がDIO様だ。
ですが真面目な話、ジョースター家にもゴリアテはあったかもしれませんね。ジョースター卿は爵位持ちの名士ですので。

「Argentan Goliath Watch」等で検索するとこれと似た感じの時計が出てきますから、19セイコー以前の時代はこれを輸入して交換時計として使ったのではないでしょうか。
…なんて考えたところで、「ポケット・ウォッチ物語にもゴリアテの記述があったなぁ」と確認したところ…



写真4-44としてしっかり載ってました。
「逓信省」が縦書きで機械もシリン式との事で別機種ではありますが、目的や特徴は同様。
これを斜め読みした時の記憶が朧げにあって、それで導けたのかも…
ちょっと内容を引用させて頂きますと、

「戦前、電話を所管していた逓信省には、通話時間を計るのに使い、交換時計とか、逓信時計とかよばれたゴリアテがあった。国鉄でも標準時計として使われていた。そういう意味で『業務時計』という呼び方もある。」

との事。
やっぱりルーツはゴリアテで合っていましたね。


という事で「とりあえず昭和6年以前のものであろう」というのは確かかと思われます。
19セイコー及びセイコーシャ鉄道時計のデビュー以前まで考えるなら昭和4年以前。
そして商館時計でおなじみの玉ねぎ龍頭でありながら、時刻合わせがダボ押しから龍頭巻きに進化している、という点からすると…
まぁ大正時代のどこかだろうなと予想ができます。
ダボ押し式の末期がちょうど明治終わりと重なり、交換時計が19セイコーベースになるのが昭和初めだからです。

この交換時計自体にも結構な種類があるようで、24型機械だけでも数種ある模様です。
19セイコーベースのものでも、銘が電電公社になったりセコンドが黄色と白で塗り分けになったりと進化していきました。


そして次に、予定外のニコイチになった理由。
本来修理を進めていた方ですが、分解清掃と動作確認まではスムーズでした。
しかしいざケースへ納めようと言うところで、机の上で数cm落下させてしまいました。
それが致命傷となってしまい、天真の穴石が割れてしまったのです。
元よりいくつかの石はヒビが入っていましたので、予兆はあったのでしょう。
大きく重い機械なのが災いしたかもしれません。
試行錯誤はしたものの回復できず、仕方なく部品取り待ちとなったのでした。
一時扇風機修理に逃げるくらいにはショックでしたね…

そんな折、暫し待って出てきたのが今回メインの個体でした。
本当はテンプ周りだけ移植して…なんて思っていたところ、ほぼ同じ仕様ながら僅かに違うモデルのようで、そう上手く部品取りとは行きませんでした。
しかし意外な事に、3mm位ありそうな厚い風防が酷く割れいている一方で、機械の状態が良く石の割れもありませんでした。
それなら足りないビスや無事なダイヤル等を移植しつつ、こっちを直してしまおう…となった訳です。

尚、どちらの個体もケースと機械のシリアルが合っていません。
普通の時計と異なる製造方式だったのか、あるいはそれこそ服部の商館時計のようにケースだけ国産とかかもしれませんね。
機械とケースの工房が違うのは当時のスイスでは普通ですから、単にそれだけの理由かも。

そんなこんなで風防も奇跡的にほぼ同じサイズでしたため、パーツ移植による修理としたいと思いました。
こんなに大きな風防、多分手に入らないでしょうし…


…いつも以上に長い前置きとなりましたが、分解清掃に参りましょう。




まずケース裏蓋の内側から。
ARGENTANとありますが、銀を意味するArgentとは何が違うのか…?

これは洋銀、洋白またはニッケルシルバーと呼ばれる素材で、銅・ニッケル・亜鉛の合金。
故に銀ではありません。
銀に似た見た目と良好な特性(高い硬度と加工の容易さの両立等)で知られ、2代目500円硬貨が身近な存在かと思います。
バイメタルとなった現行3代目も、外周は引き続き洋銀だそうです。
そのほか楽器の素材としても使われるとの事。

外観は白銅に似ており、亜鉛が入れば洋銀、無ければ白銅となりますが…見た目から判断するのは難しいそう。
洋銀はGermanSilverとも呼ばれ、その通りドイツで製法が進化したものですが、Argentan(アージェンタン、ドイツ語読みならアルゲンタンでしょうか)と呼ばれるのは、1823年にエルンスト アウグスト ガイトナー氏が確立した方法によるものだそうです。
同年にヘニンガー兄弟も同様に製法を編み出したそうで、そちらはNeusilver(ノイシルバー、新しい銀ですね)と呼ぶそうです。



機械を取り出してダイヤルを外しました。
機構的には龍頭巻きであること以外、特に変わったところは無いようです。
しかしデカい。ホルダに収まりません。



ここでエボ―シュ工房のヒントらしき刻印を発見。
スイスの十字に「DEPOSE」。

結構調べたのですが、フランス語で意匠登録や特許を示す単語だとか、いやそれなら最後のEがアクサンテギュになるとか、特定に至る情報は掴めず。
十字マークも単にスイスを現すようで、Lorsaに近いマークながらあちらは盾に十字。
商館時計でも見た事のある組合せなのですが…
もっと勉強しないと分からない事なのでしょう。



裏面です。
先に直そうとした方は青焼きのブレゲひげでしたが、こちらは銀色の平ひげ。
何となくこちらの方が若干古そうな印象です。
とはいえ奇麗な状態で…クラッシュした外観とのギャップがなかなか。
1個目共々15石の機械です。

状態自体は良さげなものの、ブリッジのビスが足りません。
ケースへ固定するビスも片方しか無く、1本あるのも丸頭でオリジナルではなさそう。
更には角穴車が無理矢理右ネジのビスで止めてありました。
強引な事するねぇ…



はい全バラ完了。
ビス関連以外では特に気になるところ無し(素人目線)。
汚れも一見して汚いレベルではありませんでした。

強いて言えば若干ゼンマイが短い気がするくらいでしょうか。
念のため先に来た方から移植しようか。



ゼンマイ比較。
左がメイン機に入っていたものですが、やはり少々短いようです。
香箱に占める割合が少なく感じました。



移植する方は山形に曲がっていたので修正。
ひげゼンマイもそうですが、「90°ルール」と「180°ルール」を知っていれば割合簡単に直せます。
詳しくは海外動画を検索くだされ。



部品洗浄と足りない部品を補いつつ、まずは機械の組み立て完了。
角穴車の左ネジも何とか山が生きていました。

ドキドキしつつ巻き上げれば、途中から既にテンプが回り始めました。
かなり元気よく振ってくれています。良かった…
大型のテンプが勢いよく振っているので、動作音も中々のものです。





そしてケース。
外側は真鍮みたいな酸化状態になっていますが…果たしてどうなるでしょうか。
出来上がってのお楽しみ。



こちらは機械をケースに固定するビスです。
移植にあたって若干サイズ差があり、本当ならぴったりのが見つかればベストなのですが…
特に大型のためビスが長く、更に時計用とあって非常に細い。
なので仕方なく加工しました。

頭の径が大きかったので、写真右のものを左のサイズまで削りました。
ビス穴径も0.1mmほど小さかったので、少々心苦しいながらも地板・ブリッジの穴を拡張しました。



そして完成です。長かった…
風防も移植していますが、こちらは1mmほどベゼルが大きく、接着で対応しています。



裏面。確かに銀っぽい色になりました。
ヘアライン風の仕上げは元からのようで、「逓信省」を消そうとした感じではありません。
配布元の組織名を削ってあるものがあるんです。時計に限らず。



1個目との比較です。
裏面の「逓信省」は共に右読みの横書きですが、深さと書体が明らかに異なります。
機械にも感じた印象ですが、修理した個体の方がより古そうな感じ。



蓋と機械。
一部ビスを移植していますが、違和感なく仕上がりました。
素人仕事でこれなら十分満足です。

とはいえ結構な進み傾向なので、そこは今後調整が要るかもしれません。
Advance側にする程やや遅れ設定になるのは何故なんだぜ…
ひげの偏りか何かでしょうかね。





そしてこんな2ショットも。
ホリデイズさんから購入の「仙台逓信局」湯飲み。
地元にあった局なので愛着も割り増しです。
もしかすると、当時この組み合わせが現役としてあり得たのかもしれません。

しかし逓信局(逓信省)は「〒」マークが示す通り郵便事業も所掌していましたので、電話交換業務とは別の場所だったかも…
とはいえ、「逓信」繋がりのペアという事でひとつ。



統制番号は「会18」。
お隣福島県の会津本郷焼と思われます。
本郷焼の統制陶器はおろし金が多いらしく、これだけでも貴重な品になると思います。
仙台逓信局自体も空襲で焼けてしまったため、戦火を逃れて現在まで存在しているのは大変有難い事です。


以上、当方初となる業務用時計のご紹介でした。
次回は…また扇風機に戻ると思います。
こちらもまた、時間がかかってやっと進んだ個体がありまして。
Posted at 2024/03/03 22:45:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 時計他アンティーク系 | 趣味

プロフィール

「仕上げ進行中 http://cvw.jp/b/2115746/48580997/
何シテル?   08/03 23:12
菊菱工廠と申します。 「工廠」なんて言いましても、車いじりは飽くまで素人。 電装系なら結構自前でこなします。 ちょっとした金具作りなんかも。 ナ...
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