
オスロ1日観光のうち、午後の部です。
因みにこのツアーでは、この夜から東京出発組と合流、明朝からベルゲン鉄道でベルゲンまで行き、夕方からクルーズ船に乗ります。我々大阪出発組は、クルーズの前後に丸一日のご当地観光が組み込まれた余裕のある日程になっています。
← 及び以下
↓何れの画像もクリックで
拡大します。
こちらは、
「病める子」(ムンク作)・・・午前中の最後と午後からも再訪したオスロ国立美術館にて(詳細は後述)
ホテル近くで昼食を取ったあとは、いよいよ自由行動・・・
オスロ街歩きの開始です。まずは、通りの突き当りに見える
オスロ大聖堂へ向かいました。
正面がオスロ大聖堂です。
市内にはトラムが縦横に走っていますが、交通量はこんな感じで少なかったです。(オスロ市の人口は
66万人で、現在の静岡市より少ないのです)
礼拝堂内部に入ってみました。
ノルウェー国教ルーテル派の総本山の風格を感じます。ステンドグラスは午前中に見た彫刻家ヴィーゲランの弟の作品です。
フレスコ画も落ち着いた色合いです。
6000本のパイプから成るパイプオルガンも壮観です。
大聖堂を出たら、次は
カール・ヨハン通りに行ってみました。この通りは
オスロ中央駅(写真の突き当りに写っています)から
王宮に続いている
オスロの目抜き通りです。
伊・FIREMA社製のトラムです。
中央駅前にて
翌朝列車に乗る
オスロ中央駅。
左側は駅舎をホテルに使用している模様で、
Comfort Hotel Grand Central の看板が上がっていました。
更に東南に歩いて
オペラハウスまでやってきました。おっきな建物が建っていて、この屋上から見た港の景色が良いそうなのですが、雪の坂道だったので諦めて、岸壁から対岸の第二埠頭を眺めるだけに~ 停泊中の客船は
CROWN SEAWAYS。
これで一応はオスロ市街の東半分は歩きましたので、午前中にザッと見たムンクの作品の数々を
もう一度じっくり見ようと・・・
オスロ国立美術館まで戻りました。
こちらには、ノルウェーを代表する画家
エドヴァルド・ムンクの作品が沢山収蔵されていますが、有名な
「叫び」を描く直前の1890年前後の作品が特に面白かったです。
冒頭の
「病める子 The Sick Child」(
1886年)は、それまでの写実主義(リアリズム)とは違う筆使いが良いのですが、当時は
痛烈に批判されたそうです。
この作品には、ムンクが5才の時に結核で母を亡くし、その後、14才の時に姉を亡くすという、幼児期に意識した死や不安について上手く表現されていると思います。
こちらは、その5年後、3度目のパリ遊学中の作品
「ラファイエット街」(
1891年)。
印象派の影響を受けたものと言われています。
そして、最後に・・・有名な作品である
「叫び」(
1893年)は
こちらをクリック
さすがに・・・
前日夜遅くのチェックインと街歩き(万歩計では17千歩超)で
疲れてしまい、ホテルに戻って休憩することにしました。
足元が悪い(凍っている)ので家内にとっては負担になったか・・・2時間ほどホテルでゴロゴロしていた後でも、晩飯に出かけるのも億劫になっていましたが、せっかくだからと、目をつけていたウォーターフロントにあるレストランまで行くことに・・・往路は下り坂なので歩いて行きました。
そのレストランは、2013年に開店した
蒸気船ルイス号ゆかりの
Louise Restaurant & Bar
疲れたのと昼食が重かったのとが重なって食欲がイマイチだったので、美味しそうな
前菜6種盛りと
オマール海老&サラダをシェアすることに~
これに中ビールと白ワインを飲んで、
味、分量、そしてお店の雰囲気とサービスに充分満足した晩飯でした。
ホテルまでの帰路は、少し元気が出てきたのか、
目の前にタクシーがいたのに乗りもせず、ノーベル平和センター、市庁舎、カール・ヨハン通りの

イルミネーション

を楽しみながら、
出てきて良かったね、と話しながら
徒歩で戻りました
明日は、いよいよ世界屈指の美しい車窓と言われる
ベルゲン鉄道に乗ってノルウェー海側のベルゲンまで移動して、夕方から
フィヨルド&オーロラクルーズ船に乗ります。
つづく
【関連のブログ】
◇
北欧クルーズ(その1)
◇
北欧クルーズ(その2:概要及びオスロまで)
◇
北欧クルーズ(その3:オスロ観光 午前
ブログ一覧 |
海外(遊び) | 日記
Posted at
2018/03/03 17:20:02