• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

TMKのブログ一覧

2025年09月23日 イイね!

バルト三国(その18:タリンで遊んで関空へ)

バルト三国(その18:タリンで遊んで関空へ)バルト三国のブログ、本稿で最終回です。
帰国後も(殆ど毎日が日曜日のくせに)多忙だったり、自分自身の老化(これが一番の原因でしょうが)のせいで手が遅くなったことから、ブログ上でもやっと帰国の途につきました (^^ゞ
今回のツアーでは、帰国の日も午前中は観光が用意されており、午後からEU内を移動(エストニア→フィンランド)し、夕方、日本に向けて出発するという行程です。


                     何れの画像もクリックで拡大します。


alt


バルトの朝食も、これが最後。。。しばらくは海外の朝食ともお別れです。

ホテルのレストランで、タリン港をバルト海に向けて出航するフェリーを見ながら。。。普通の洋食ですが。。。ゆっくりと朝食を味わいます。



比較的ゆったりとしたツアーで、それでも朝食は大抵6時半からです。そして出発はだいたい8時半から9時頃と、優しい行程が組まれていました。

最終日は出発も10時と更にのんびり。。。


まぁ、午前中の観光も時間調整の感が無きにしも非ず。。。でしたが、私個人としては、結構シリアスな思いを抱いたりしております。

それはさておき。。。




やって来たのは、エストニア野外博物館 
alt
こちらでは、19世紀から20世紀にかけての農村生活を各地から建物を移築、再現しているそうです。20世紀半ばからは、ソ連の農村政策に則って、エストニアの農業も無理やりコルホーズ化され(恐らく大半は)破壊されていますので、旧いエストニアの農村を残しておこうというエストニアの執念を感じます。


入口からは、正面の直線道路を海辺まで北上し、帰りは一本西側の道を通って教会、消防署。。。
altalt
。。。学校の順に見学しました(場内地図(左)参照)。入口管理事務所にあった公衆電話(右)ですが、バルト三国で初めて見た公衆電話かも知れません。


最初の展示物は、一般農家でした。
alt


農家では住民に扮した職員さんも出迎えてくれます。茅葺の屋根は日本家屋に似ています。
altalt


一般農家の内部には、農機具や生活道具が展示されていましたが、19世紀とすると。。。
altalt
。。。江戸時代後期になります。そんなものでしょうかね。


更に奥へ直線道路を北上します。博物館ですので当然ですが、車も通らず快適に散策出来ます。
alt

途中には他にも似たような集落(詳細は判りません)があります。
alt


直線道路を海辺に近くまで行ったら見えてきた丸太小屋(左)。表に周って見ると。。。
altalt
。。。どうやら漁具などを入れておく倉庫のようです(右)。


漁師の住居らしき建物もあります(左)。 漁師小屋の内部(右)がいかにもって感じです。
altalt


帰路に撮りました。何故か、場内地図にはNATSI TUULIKナチスの風車と書かれている風車です。
alt


帰路、一本西の道に渡る道路に沿っては教会もありました(左)。祭壇(右)も再現されています。
altalt


ちゃんと消防署もありました(左)。可愛い建物です。 江戸時代の火消しよりも進んでいる?(右)
altalt


学校もありました(左)。内部は学校ではなく、家庭の生活様式が再現されていました(右)。
altalt


約1時間半を野外博物館で過ごしたところでバルト三国の観光は終了しました。


*******************************************************************************


この8日間お世話になったバスです。日本でもトラックは見かけるSCNIA社製。。。
altaltalt
。。リアには「SCANIA in cooperation with HIGER」とHIGERとの協業(HIGER社は車体部品全般を担当)を強調しています(中)。  注)HIGER社とは、1998年末に中国蘇州で設立されたバス製造会社です。



タリンの空港からヘルシンキまでは、フィンエアーAY1020便で30分ほどです(左)。
altaltalt
徒歩でATR72に搭乗します。タリンのターミナルビル。。。可愛いかったです(右)。


タリン離陸直後です。タリン市の東端で北に機首を向けたところです。遠くに見えるのが。。。
alt
。。。タリン新市街です。その奥に旧市街があるはずですが、明瞭ではありません。


30分ほどでヘルシンキに到着。乗り継ぎに1時間ほど時間があるので、いつもの?お店に入り。。。
altalt
。。。ひと息(左)。 ヘルシンキでは入出国の査印が几帳面に押されます(右)。 上から北欧クルーズ(2018年2月)、スロベニア・クロアチアの旅(2024年9月)、そして今回(2025年5月)とヘルシンキ乗継で欧州旅行をしていますが、何れも同じページに整然と押してくれています。あと1回分余白があります 笑


ヘルシンキからはフィンエアーAY-0067便で関空へ直行です。
離陸後2時間弱で晩ごはんです。エコノミークラスでもワイン🍷とビール🍺が頂けるので。。。
altalt
。。。最近はこのくらいで充分満足です。


今回も、往路は北極経由、復路は内陸周りでした。離陸後3時間で黒海にさしかかり(左)。。。
altalt
。。。同じく11時間半で朝鮮半島です(右)。
最終的に、トータル12時間50分で関空に着陸・・・計画どおりでした。 全体の航路実績は冒頭に載せてあります。



ずっと以前、今思えばコロナ禍になるずっと前ですが、いつかはサンクトペテルブルクに行ってみたいと思っていました。ところが、コロナ禍でグズグズしている間に、ロシアに行くなんてとんでもない状況になってしまいました。
そんな時ですから、サンクトペテルブルクほどではないにしても、その雰囲気が少しでも味わえるバルト三国へ行こうということになり、それもロシアが悪さをしないうちに。。。と、今回の旅行を計画した次第です。
ところが、行ってみると至るところでソ連、ロシアの悪い所が目につき、鼻についてしまいました。弊ブログでも、何か所かその感情にまかせて記述したところがあり、お気づきかと思います。平時にロシアやバルト三国に行っても学べない、気が付かない歴史上のできごと、いま今の悪事、悪行など、良~く判った旅行になったと思います。
そういう意味も含めて、行って良かったです 有意義でした



   - 完 -   



【関連のブログ】
 ◇ バルト三国(その1:速報)
 ◇ バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
 ◇ バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
 ◇ バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
 ◇ バルト三国(その5:トラカイへ)
 ◇ バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
 ◇ バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)
 ◇ バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)
 ◇ バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)
 ◇ バルト三国(その10:リーガ旧市街)
 ◇ バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)
 ◇ バルト三国(その12:トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟)
 ◇ バルト三国(その13:スィグルダの次はリーガに戻って。。。)
 ◇ バルト三国(その14:ラトビアからエストニアへ)
 ◇ バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)
 ◇ バルト三国(その16:タリン旧市街・後半)
 ◇ バルト三国(その17:ロシア戦闘機がエストニア領空を侵犯)



Posted at 2025/09/23 09:21:33 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年09月21日 イイね!

バルト三国(その17:ロシア戦闘機がエストニア領空を侵犯)

バルト三国(その17:ロシア戦闘機がエストニア領空を侵犯)5月に行ったバルト三国のブログも、あと1回で完了を目指して、最後のブログ(エストニアのタリンから関空まで)を準備中です。

ところが、「ロシアの戦闘機がエストニア上空を侵犯した」というニュースが昨日入ってきました。ニュースでも言われていますが、つい最近、ロシアはポーランド、ルーマニアに対してもドローンを侵入させたばかりです 


バルト三国の旅行中においても、12世紀以降の欧州における各国(現在の国とは異なる国々)における侵攻、侵略の歴史を少しは勉強しましたが、バルト三国vs.諸外国という見方をすると、ロシアとその軍事同盟国に対しては、関係が修復出来ていないことを実感します。

こうなってくると、ロシアのウクライナ侵攻(2022.2.24)以前まで、ロシアと普通に?付き合っていた日本人?日本国?の対応ってどうなの?と思っちゃいますね。 日本vs.ロシアの関係を再認識するうえでも、一度、明治維新~日露戦争~日ソ戦争を中心に経緯等をおさらいしておきたい、思います。 プーチンを山口の大谷山荘でもてなしたって、お人好し過ぎると思いませんか?




つづく



【関連のブログ】
 ◇ バルト三国(その1:速報)
 ◇ バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
 ◇ バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
 ◇ バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
 ◇ バルト三国(その5:トラカイへ)
 ◇ バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
 ◇ バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)
 ◇ バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)
 ◇ バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)
 ◇ バルト三国(その10:リーガ旧市街)
 ◇ バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)
 ◇ バルト三国(その12:トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟)
 ◇ バルト三国(その13:スィグルダの次はリーガに戻って。。。)
 ◇ バルト三国(その14:ラトビアからエストニアへ)
 ◇ バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)
 ◇ バルト三国(その16:タリン旧市街・後半)


Posted at 2025/09/21 23:11:58 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年09月18日 イイね!

横浜出張は変化もなく。。。

横浜出張は変化もなく。。。毎月一回の横浜出張。。。正確には出張ではなく、出勤ですが。。。今月も行ってきました。
富士山も見えず、大桟橋へのクルーズ船発着もなく、面白くも何ともない出張でした。 ただ。。。

。。。食べ物には恵まれました😋😋😋


       何れの画像もクリックで拡大します。


👆冒頭の画像は、季節の天ぷら@天吉です。右上がトラフグ(半分食べたあとです)、レンコンの下がイワシ、サーモン。。。と続く魚の天ぷらがとっても美味しかったです😋😋😋


そして、帰路の車窓は、たわわに実った稲(左)、左奥に何か見えると思ったら。。。
altaltalt
。。。平塚市の日向岡住宅でした(中)。 次、新幹線からの富士山定点観測地点@富士市においては空振り(右) 
平塚市の日向岡住宅はJR東海のCFにも出てきます(12:00に一瞬出てきますのでお見逃しなく)。



alt
良いところナシで、正午を迎える前に新横浜で買ったお寿司を★🍺をお供に食べ始めます。
毎度のことですが、鯵の握りヤリイカ尽くしにするか迷った挙句の選択は正解でした😋😋😋

たったの4切れですから、あっという間に完食です。






その後は、東海道線が併走する地点を中心に景色を眺めたり、読書をする間に新大阪に到着すると、新神戸まではスグですので。。。
alt

伊丹空港発着の飛行機に見入って。。。

撮れれば撮る

こちらはJALのエンブラエル190のようです。
撮った時刻は13:19でした。時刻表を見ると長崎か宮崎から飛んできた便になります。


。。。山陽新幹線の六甲トンネルに入ったら、降りる準備にかかります。




新神戸からは、引っ越してから3年が経過する街に向けて、最後は登山電車ではありません。。。神戸電鉄です)で登ります
alt

この写真、ちゃ~んと50‰(パーミル)勾配標(線路の斜度を示す標識)が写っています写してます
神戸電鉄の路線には至る所に50‰の勾配標が立っています。



そう言えば、全国の登山鉄道を経営する鉄道会社7社による親睦団体・全国登山鉄道‰会では、今年も昨日(9/17)からパーミル会ヘッドマークを付けた電車を走らせているそうです。これも機会があれば撮ってみたいと思っています。

ちなみに同会の箱根登山鉄道では、箱根湯本駅発車直後から80‰の勾配が出現しており、力強く登っていく電車を見て驚いたことがあります。
こちらの映像の19:00にその場面が出てきます。






<ご参考>
‰(パーミル)とは、千分率のことです。1000分の幾つか、を指します。%(パーセント)が百分率で100分の幾つか、を指しているのと同じパターンです。従って、勾配が50‰ですと、1000mで50m上がることになります。


Posted at 2025/09/18 21:11:25 | コメント(1) | 出張関連 | 日記
2025年09月13日 イイね!

バルト三国(その16:タリン旧市街・後半)

バルト三国(その16:タリン旧市街・後半)バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)からの続きです。

聖ニコラス教会を観光後は、旧市街の中心部ラエコヤ広場をスタートして、東側の旧市街を一巡して、午前中はそこで解散となりました。

👈こちらは、自由散策時に観たライ通り。。。三人兄弟(黄色い壁とその両側の家)と聖オレフ教会(奥)です。


                    何れの画像もクリックで拡大します。


alt


聖ニコラス教会からラエコヤ広場に向かう中間点で、観光案内所前にあった(今となっては)謎の像。。。何だったのか??思い出せません





alt







広場に着いてみると、旧市庁舎は改装工事中でガッカリ。。。塔の上半分は後で登場します。







ラエコヤ広場
旧市庁舎を右手に見た場所からの広場です。上の写真のやや左より、東向きです。
alt

そこから更に左=北側を見た写真(左)と、西側(来た方)を見た写真(右)です。
altalt


市議会薬局
オーナーが市会議員だったという1422年創業の薬局。広場の北東の角にありました。
altalt
ドイツ語にすると、Rats(市議会の)apotheke(薬局)になります。



カタリーナの小径
タリン旧市街においても、最も中世らしい場所ということで、連れて行って貰った通路。。。
alt
。。。中世薬局の角から更に東にあります。ガイドさん撮影の写真が一番それらしいので採用 (^^ゞ

カタリーナの小径で週末はランチも営業しているイタリアン(椅子と机が片づけてある)の前(左)と
altalt
チョット覗いてみた小間物屋(右)。



カタリーナの小径からヴィル門に移動して、ヴィル門から見たラエコヤ広場方面の市庁舎。。。 
alt
。。。残念ながら、ヴィル門は撮り忘れです (>_<)
市庁舎の塔は高さ65mあって、タリンのシンボルであるトーマスおじいさんが街を見守っています。。。拡大して貼り付けました。

ここでツアーは解散です。我々は、軽くランチを食べることにして、ラエコヤ広場で食べるところを物色。。。改装中の市庁舎1階にあるお店に入りました。



Ⅲドラゴンという居酒屋です。

まぁ、兎に角、変なお店でした。。。その店を仕切っているのは、つっけんどんなお婆おばば
 家内:マッシュルームのコロッケが食べたいのだけど。。。
 お婆:判る??マッシュルームは秋口にしか獲れないんだよっ 今あるわけないじゃないのっ
 家内:じゃぁ、何があるの?
 お婆:ほうれん草のパイならある・・・(家内)これでOK
 私 :(メニュー板見ながら)このSeasabaって何?(鯖の照り焼きを期待しつつ訊いてみました)
 お婆:豚の尻尾だよ、美味しいよ、食べてみるかい?・・・(私)OK食べてみるあとラガーね。
 お婆:・・・でチップは私にいくらくれるんだい?・・・(私)10%
ってな会話をテンポよく交わします。但し、お婆は、怒ってんのか?と思うくらいつっけんどんな言い方でした。家内は横暴なお婆と言ってますが、私は日本人は優柔不断で決断が遅いから、この位言わないと仕事が捌けないのだろうくらいにしか、その時は思っていませんでした。
帰宅後に確認するとネットでの口コミは(本気で怒っている人もいて)散々なものがありますが、わざと中世の居酒屋を演出していたつもりのようでした。
altalt
その豚の尻尾です。まず、終端部から齧ってみましたが、硬くて食えない。。。ちぎれた端部が写っています(右)。次に根っこの方を食べると。。。これがとろける様に美味しいうまい!うまい!うまい!
alt


市庁舎は工事中ですので、まぁ、よくもこんな店に入ったな、と思うほどの店でしたが、ちゃんと工事中にもかかわらず営業中であることの表示は、されていました。。。中世らしく、皮肉っぽく?


alt

豚の尻尾という珍しくも美味しいモノが食べられたし、ラガーも飲めたし、私にとってはソコソコに楽しいお店でした。

実は添乗員さんお奨めの店ですが、ひょっとして彼も奨める相手は選んでいるのかも知れませんね (^^ゞ





昼食後の自由散策は、旧市街下町の北部を周ることにしました。地図はこちらをご参照下さい。

ラエコヤ広場広場からピック通りを北上すると、右側に現われたのは。。。
alt
ブラックヘッドの会館







元は14世紀に組織された社交団体の建物。。。
16世紀に改築され、壁には騎士の姿やハンザ都市の紋章などを表わしたレリーフが飾られていました。

ドアは17世紀のものだそうです。











その先の公園があるY字路にあった。。。
alt
小さい礼拝堂

気になったので調べてみると、1909年建立の礼拝堂ですが、1960年代には電話ボックス、そしてキヨスクとして使われ、1990年代初頭に閉鎖された、ことが判りました。








ピック通りからヴァイム通りを使ってライ通りに出た所で北側を撮ったのが冒頭の写真です。黄色い建物を中心に並んだ3軒が。。。
三人兄弟です。特徴的な造りについては、後掲の三人姉妹の項に記載します。
alt



alt
プレートタワー

三人兄弟の前の路地から、北西側城壁を見たところに監視塔が見えました。円筒形ではなく、一部に四角い平面。。。でプレート








三人兄弟から聖オレフ教会までの間に停まっていたバイクです。
チョット珍しいので、撮っておきました。ブリクソン フェスベルク125(左)とQJモーター SRV300(右)です。ブリクソンはストリートビューにも写っていますので、路駐常習者? (^。^)y-.。o○
altalt
ブリクソンはオーストリアのKSRグループが英国をイメージして造ったモデル。QJモーターは中国プレミアムブランドの中国製バイク




alt直ぐに聖オレフ教会に到着しました。

13世紀には史実として記録されているそうですが、現在の姿になったのは1840年で、塔の高さは124m。。。15世紀には159mだったそうです。

オレフと言う名は建設に携わった人の名前で、完成寸前に十字架の取付調整中に彼が落下し。。。




alt














。。。口から1匹のヒキガエルと1匹の蛇が現われ、彼の身体は直ぐに石になってしまい、人々は彼を哀れんでその名を教会に冠した、という伝説があります。


聖オレフ教会主祭壇です。



教会の裏手(ピック通り側)に周るとありました 外壁に、その伝説の石を発見
キリスト受難の様子を描いたレリーフ(左)と、その下に横たわるオレフの石像(右)です。
altalt





その後、ライ通りからトリ通りを使って再びピック通りへ戻ると(阿弥陀くじのようなジグザグ動き)。。。
alt
。。。そこには三人姉妹が建っていました。




前述の三人兄弟も同様ですが、15世紀に建てられたタリンの住宅は、ハンザ都市リューベックの法律に従っており、建物の正面部分は道路に面し、上部の壁にはクレーンが設置されて、屋根裏の倉庫への荷下ろしが出来るようになっています。

なお、1階は広い事務所と、その奥に住居が配置されているそうです。













三人姉妹の奥にはスール・ランナ門が。。。
alt
。。。そして、門の右奥にあるふとっちょマルガレータの屋根がチョコッと見えています。


この時点で、未だ13時半。疲れていたのと、翌日は帰国の日なので体力温存も考慮して。。。
alt
。。。門を出て直ぐの電停(スール・ランナ門)から。。。


。。。ホテル近くの電停Paberiまでトラム(ポーランドPESA社製ツイスト)に乗って帰りました。
altalt
本当は船舶博物館になっている飛行艇埠頭にも行ってみたいと思っていたのですが、残念でした。
トラム車内前方(左)と、乗って来た2系統Suur-Paala行トラム(右)。




この旅最後の晩御飯は、何と日本食 ホテルに隣接するスーパーに行って買ってきた。。。
altalt
。。。焼き鳥、巻きずし、サラダと赤ワイン、スパークリングワイン、そしてエストニアのビール。。。


。。。を、17時半頃から、こんな景色を眺めながらいただきました。この位が丁度良いうまい!うまい!うまい! 
alt
なお、このビールは一時期業務スーパーでも輸入・販売していたようです。今度見つけたら買ってみます (^^)/


そして、ここでも撮り鉄
2系統 Kopli ⇆ Suur-Paala 。電車は乗って来たのと同じツイスト(左)。また、前日にも。。。
altaltalt
。。。撮っていました こちらはスペインCAF社製ウルボスAXL(右)。こちらの方が古く、採用した20両(501~520)全てに女性名の愛称が付けられています。上は513でKatariina、下は515でKoidula ちゃん?です


翌日は帰国の日です。正確には、午後からタリンを発って、ヘルシンキ経由で日本に向かう日で、午前中はタリン郊外のエストニア野外博物館を見学します。



つづく



【関連のブログ】
 ◇ バルト三国(その1:速報)
 ◇ バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
 ◇ バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
 ◇ バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
 ◇ バルト三国(その5:トラカイへ)
 ◇ バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
 ◇ バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)
 ◇ バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)
 ◇ バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)
 ◇ バルト三国(その10:リーガ旧市街)
 ◇ バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)
 ◇ バルト三国(その12:トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟)
 ◇ バルト三国(その13:スィグルダの次はリーガに戻って。。。)
 ◇ バルト三国(その14:ラトビアからエストニアへ)
 ◇ バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)



Posted at 2025/09/13 22:09:37 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年09月07日 イイね!

バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)

バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)タリン二日目(5月28日)はタリン旧市街の観光です。
結構な内容になりそうなので、適当に2回に分けてアップしようと思います。

タリン旧市街は城壁に囲まれており、その城壁内は左図のようになっています(「ガイドブック・地球の歩き方」から借用しています)。
タリンの全体図(下図)にも記載されていますが、トームペアという丘を指す「山の手」(西南方向)と、ラエコヤ広場を中心とした「下町」(東側)に分かれています。


      何れの画像もクリックで拡大します。


11世紀にはエストニア人がタリンに砦を築いていたそうですので、他のバルトの国と異なりエストニアは少しばかり古い歴史を持っているようです。因みにラトビアのリーガで13世紀初頭、リトアニアのヴィルニュスで14世紀なって初めて記録に登場しているとのことです。

alt13世紀にはデンマーク王によって砦は占領され、トームペア城が築かれます。これをデンマーク人の城、町=Tanni Linn と呼び、タリンと言う街名の由来になったと。。。その後、ドイツ騎士団に占拠されたリもしますが、ハンザ同盟加盟等で繁栄するも、16世紀からはプロイセン、ロシアなどに加えて北欧までも取り合いに参加。。。以降、1940~1990年代まではソ連が支配、2004年にEUに加盟というところまで殆ど三国とも同様です。


この日は、ツアー客全員で貴族たちが暮らしていた「山の手」を最初に見学し、その後、商人や職人たちが築いた「下町」に降りて要所を案内してもらい、午後からは自由行動の予定です。


alt
タリンのホテル=Swissotel Tallinスイスホテルで最初の朝食です。レストランは7時開場でした。

こちらは2泊しますが、ここも安心の朝食。。。だけど、ブッフェなので、いつも同じようなメニューになってしまいます。
ここでも出来立てのオムレツが提供されます。






ホテルをバスで9時に出発、「山の手」の城壁近くまで送ってもらいました。

徒歩でトームペアの丘まで上がって城壁内へ進みました。

トームペア城のっぽのヘルマン
altalt
11世紀に造られた砦は13世紀にはトームペア城に進化、お城はその後もその時々の支配者により増強され、18世紀に現在の姿になっています。こののっぽのヘルマンと呼ばれる塔(左)は15世紀に造られたままの姿をとどめており、エストニアを象徴する存在になっています。


国会議事堂
altalt
トームペア城は、現在は国の議会として使われており、議会開催中だったのか議員さんが登院される場面を目撃しました。


アレクサンドル・ネフスキー聖堂
alt
帝政ロシア統治時代の1901年に建てられたロシア正教会で、トームペア城の真正面に位置しています。1904年が日露戦争ですから、以降、ロシア革命、2度の世界大戦を経てソ連時代も含めてロシアの権威を象徴する建物です。この建物がトームペア城(=国の議会)の正面にあるのは、エストニア人としては気分の良いものではないでしょうね。
堂内も見学できましたが写真はNG。なので撮っていませんが、日露戦争戦没者の慰霊碑(パネル)がありました。戦没者とは。。。統治していたロシアから徴兵されたエストニア人の方々なのでしょう。。。何とも哀しい話です。


聖マリア大聖堂
altaltalt
「山の手」の北端にあるパットクリ展望台に向かって歩いている途中にありました。こちらは13世紀以来、タリンにおける中心的教会になっているエストニア最古の教会です。内部の見学はしませんでした。


alt
政府機関


こちらも展望台に行く途中にありました。
高級車が続々と。。。普通の官僚ではなく大臣クラスの登庁でしょうか。。。送ってきては、狭い路地でUターンして戻っていきました。





パットクリ展望台
altalt
展望台からは「下町」を見渡すことが出来ますので、皆さん景色をバックに記念撮影されていましたが、写真そのものは、この後に訪れた聖ニコラス教会の塔の上からの写真と同類ですので、ここでは代表2点だけを。。。聖オレフ教会(左)と聖霊教会(右)、何れも背後はタリン港。



こちらは、「山の手」を南側に戻って来たところで南端を見た景色です。
キーク・イン・デ・キョク一番奥の塔ネイツィトルンひとつ手前の塔
alt
キーク・イン・デ・キョク・・・妙な名前です。「台所を覗け」という意味だそうです。
ネイツィトルン・・・中世には売春婦の牢屋として使われたそうです。
この左手に見えている城壁をくぐると。。。


。。。 デンマーク王の庭 へ出ます。
altalt
ここでは、デンマーク国旗の起源となる出来事が13世紀に起こったそうです。残念ながら、私は記念のデンマークの国旗、見落としました (>_<)


デンマーク王の庭から リュヒケ・ヤルク通り を通って「下町」に向かいます。
altalt
ここで、「山の手」と「下町」の高低差24mが実感できます



「下町」で最初の観光は 聖ニコラス教会 です。
alt

13世紀、ドイツ人商人の居住区に建てられました。

1944年にはソ連の空襲で破壊され、内装は修復されています。




展示品としては貴重なものが多くあり。。。




alt












。。。主祭壇もそのひとつで、屏風みたいな観音開きの主祭壇に絵画が施されています。




alt







絵画は、15世紀のドイツのハンザ都市リューベックの職人、ヘルメン・ローデの手により。。。



。。。左側には、船乗りや貧しい人々を救う聖ニコラスの生涯が描かれ(左)。。。
altalt
。。。右側には異教の偶像を破壊し殉教した聖ヴィクトルの生涯が描かれています(右)。



また、同様にリューベックのベルント・ノトケによって15世紀に描かれた「死のダンス」は必見です
altalt
巾7.5mのキャンバスには、左から教皇、皇帝、皇后、枢機卿、国王が骸骨のような死神と踊る様子が描かれています。
この絵のテーマは死の普遍性を強調するものですが、14世紀に流行ったペスト、黒死病によって、更に注目を浴び、死神と踊る人間、その対話を記した注釈(足元に描かれている巻物?に書かれています)は、死を前にした人間の平等性を強調していると評価されています。


高さ50mまでエレベーターで上がることが出来る聖ニコラス教会の塔に上がってみました。
以下は、そこからの眺めです。

alt
まずは「山の手」にある

アレクサンドル・ネフスキー聖堂。。。



alt










。。。と聖母マリア大聖堂。


塔高50mが「山の手」との標高差24mを縮めています。







北側、バルト海のフィンランド湾を見たところで、
alt
聖オレフ教会(左奥)と聖霊教会(右手前)、そしてラエコヤ広場(右下)。




alt











聖オレフ教会をズームアップしてみると、尖塔が3種類あることが判りました。







alt




最後に新市街方面。。。南東方向ですが、この高層ビル群の一番奥に宿泊しているSwissotel Tallinスイスホテルが写っています。




















既に11時半です。このあとは小一時間ほど旧市街を散策=ざっと案内してもらって解散、各自昼食をとって、午後は自由行動となりました。



つづく



【関連のブログ】
 ◇ バルト三国(その1:速報)
 ◇ バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
 ◇ バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
 ◇ バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
 ◇ バルト三国(その5:トラカイへ)
 ◇ バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
 ◇ バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)
 ◇ バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)
 ◇ バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)
 ◇ バルト三国(その10:リーガ旧市街)
 ◇ バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)
 ◇ バルト三国(その12:トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟)
 ◇ バルト三国(その13:スィグルダの次はリーガに戻って。。。)
 ◇ バルト三国(その14:ラトビアからエストニアへ)


Posted at 2025/09/07 21:13:39 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記

プロフィール

現住所変更(横浜 → 神戸)に伴い追記しました。(2011.5.17) ****************************************** ...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

掲示板

<< 2025/10 >>

   12 34
5 6 7891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

リンク・クリップ

代行ドライバーとの会話・‥の巻 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/08/21 09:58:09
雨の日の鉄分補給 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/05/02 19:43:04
もみじの飛騨・信州ドライブ(その3:上高地を発つ三日目の朝まで) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/01/08 08:05:17

愛車一覧

スバル インプレッサ スポーツ スバル インプレッサ スポーツ
前車の劣化?に伴い、買い替えを決めましたが、車両購入のタイミングが悪くて好みの新車が無く ...
スバル インプレッサ スポーツ スバル インプレッサ スポーツ
2022年に発生したリアのハブベアリング損傷に続き、CVTも損傷(異音発生)したため、2 ...
日産 プリメーラ 日産 プリメーラ
2016.2.28  12年で約8.5万km乗りましたが、車齢や家計(私もいつの間にか雇 ...
トヨタ カルディナ トヨタ カルディナ
ここ数年専有していた次男が新車を購入し、その下取り車としたことにより、本日(2014.3 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation