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2025年07月28日 イイね!

バルト三国(その13:スィグルダの次はリーガに戻って。。。)

バルト三国(その13:スィグルダの次はリーガに戻って。。。)トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟を見学した後、この日(5月26日)、スィグルダで残りの観光はスィグルダ城址のみでした。

昼食をスィグルダでとったあとは、リーガに戻って自由時間を過ごします。
適当に買い物をして夕食を食べたら終わりかな、とリサーチしてはいましたが。。。どうなったことでしょうか?


                    何れの画像もクリックで拡大します。


スィグルダ城址は、トゥライダ城やグートゥマニャ洞窟とはガウヤ川を挟んだ対岸にあります。渓谷を渡るロープウェイもあり、渓谷美を楽しむこともできそうですが、我々はバスで数分の移動となりました。

スィグルダ城跡

こちらのお城は、トゥライダ城より若干早く建造が開始されましたが、同様にたび重なる戦争で破壊されていたようです。

駐車場から歩いて行って、まず見えたのがこちらです。綺麗なお城と思っていたら。。。
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。。。こちらはスィグルダ新城で、1878年に建てられ、当初はマナーハウスとして貴族が使用していたそうです。


。。。で、その裏側に実際のスィグルダ城址がありました。こちらは1207年に建造開始ですので。。。
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。。。新城が明治時代、旧城が鎌倉時代に建てられたことになります。



以上でスィグルダの街の観光は終了し、ホテル・スィグルダ(冒頭に掲示)で昼食をとります。

キッチリ冷えたサラダ(左)、これだけでお腹いっぱいだったかも (^^ゞ  当然、ビール🍺は。。。
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。。。ラトビアのメジュピルス・アルス(右)。

メインはロールキャベツ(左)。これがロールキャベツって判りにくいので断面も載せます(右)。
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キッチリと濃い味で美味しいロールキャベツでしたうまい!うまい!うまい!

デザートは4人テーブルで、メレンゲの色が3種類あったので並べてパチリ。
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往路と同様、小一時間でリーガまで戻ってきました。ホテル着は15時を回っていたと思います。

リーガの旧市街復習と夕飯Radisson Blu Latvija Conference & Spa Hotel

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中央市場への買い出しは、この時に断念していたので、次善の策として考えていたラトビア料理の店にも行ってみようと思いましたが、ホテルの26階にあるラウンジで簡単に済ませた方が(何処も美味しいのですが、少々味が濃いいこともあってお腹を休める意味でも)良さそう。。。と思ったのでトライすることにしました。



近隣のスーパーで土産のビールやチョコレートを買いに行ったりしているうちに、ちょうど良い時間。。。普段は17時過ぎに夕食を食べ始めています。。。になったので、専用のエレベーターで突進。。。



まずはラウンジの中を一周。中々良い眺めです。
但し、どうやったら席を用意してもらえるのか。。。不案内です。システムが判らないけど、夕飯を食べたいのだが。。。と訊いてみると、何か所か席を示してくれました。ラウンジを一周する間に、狙っていた特等席。。。旧市街が一望出来て、賑やかな集団とは離れている静かなエリア。。。を所望したのは言うまでもありません (^^ゞ



以降、ご飯がやってくるまで、復習を兼ねて26階の窓際から旧市街の主な所を撮ってみました。

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練習がてらトロリーバスを撮ったものです。
一段下の左端の写真中央左の街角です。






ラウンジの窓の向きは東南方向です。
リーガの旧市街を、左側から順に3枚(水平方向の画角は約90度です)撮りました。少しずつ重ねて撮っていますので、ほぼ南方向(左)、東南方向(中央)、東北東方向(右)になります。
大きなor判りやすい目印としては、
左:テレビ塔、ラトビア国営公共テレビ局、中央市場、鉄道橋、聖ペテロ教会
中央:聖ペテロ教会、自由記念碑、国立図書館、リーガ大聖堂(これ以降は(右)にも登場
右:リーガ大聖堂、火薬塔、聖ヤコブ教会、スウェーデン兵舎 等が良く見えていました。
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手前に見えている金色坊主の建物は、リーガ観光中のイヤホンガイドでは、一切言及されなかった(と思います)建物です。調べてみるとロシア帝国の一部だった時代にロシア正教会として建立(バルトで最大)されたあとは、ドイツ占領下ではルーテル教会になり、ソ連の占領下においてはプラネタリウムとされるなど、数奇な運命を辿ってきた建物のようです。現在はキリスト生誕大聖堂として修復されています。2010年に、金メッキが鐘楼とドームに施工されています。


再度、左から(南東方向側から)ズームで撮ってみました。あらためて、目印が良く判ります。

ラトビア国営公共テレビ局、中央市場、右端に鉄道橋
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鉄道橋、聖ヨハネ教会、聖ペテロ教会
鉄道橋の写真にリベットが写っているかなぁと期待しましたが。。。無理ですね。
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聖ペテロ教会、自由記念碑、ブラックヘッド会、国立図書館
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リーガ大聖堂、火薬塔、スウェーデン兵舎、聖ヤコブ教会
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ラウンジでの夕飯は、ビール🍺の他に、餃子(奥)とマグロのタタキ(手前)を頼みました。
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胡麻風味と燻製が、美味しくて、とても食べやすかったです。割り箸の袋には。。。
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。。。キッコーマンと印刷されてましたので、キッコーマン監修の味だと思います。




この夜でリーガ3泊目。。。翌日はバルト三つ目の国、エストニアに向かいます。



つづく



【関連のブログ】
 ◇ バルト三国(その1:速報)
 ◇ バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
 ◇ バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
 ◇ バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
 ◇ バルト三国(その5:トラカイへ)
 ◇ バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
 ◇ バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)
 ◇ バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)
 ◇ バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)
 ◇ バルト三国(その10:リーガ旧市街)
 ◇ バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)
 ◇ バルト三国(その12:トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟)



Posted at 2025/07/28 20:04:39 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年07月26日 イイね!

バルト三国(その12:トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟)

バルト三国(その12:トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟)5月26日は、朝からラトビアの首都・リーガの北北西約50kmにあるスィグルダの街へ向かいました。

スィグルダは、山間部を流れるガウヤ川に沿って、古城、城址や洞窟が点在する景色が良い街で、ラトビアのスイスと呼ばれています(個人的にはスイスは大げさだろうと思いますが。。。)。
なお、この日、スィグルダの観光は午前中だけで、午後からはリーガに戻って(と言っても、現地でゆっくりと食事をして戻って来たのは15時を回っていましたが)自由散策になりますが。。。

最初に、スィグルダの街にあるトゥライダ城へ向かいました。


                     何れの画像もクリックで拡大します。


6時起床で6時半からの朝食です。前日と同様、オムレツを作ってもらいました。
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8時半、出発
リーガからスィグルダへはA2(E77)を北北西に進みます。こちらはA3(E264)との分岐点です。
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A2(E77)を進むとスィグルダの先は、リトアニアを経由してロシアのプスコフに着いてしまいます。
右に逸れるA3(E264)は、リトアニアのタルトゥに繋がっています。 ここでもロシアに近い(国境まで170km、プスコフまで230kmほどです)ことを実感します。



トゥライダ城
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渓谷を遡っていくとトゥライダ城に着きます。

こちらは駐車場から10分ほどのトゥライダ城入口。。。北門楼です。即ち北側からのアクセスになります。
奥(約80m先)に見えているのが、大半円塔(西塔)です。



このお城は、1214年にリーガの大司教アルベルトによって造りはじめられました。冒頭の写真に TRAIDAS PILIJ 810 トゥライダ城810 と言う文字が確認されますが、恐らく昨年造られたものかと思います。
その後、18世紀頃まで時代に応じた改修がなされたようですが、1776年に起きた火災後は放棄されて荒れ果てていたようです。つまり、軍事上、政治上重要な役割を担っていたかどうかは判りません。

北門から80m南にある主塔の西側(内門跡)を通って、中庭に入ってみます。こちらは、中庭で西側を眺めたものですが、左側(南側)から南側防護壁、南塔、西側防護壁、西側防護壁の中央部に大半円塔(西塔)主塔の順に並んでいます。
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高さ38mの主塔に上がって南側を見下ろしたところです。蛇行したガウヤ川、上述のお城の構造に加え東側の城壁跡住居の基礎跡などが見えています。この角度から見ても、大半円塔と言われる建物は殆ど方形をしているところが不思議です。
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川向こうの丘に小さく写っている白い塔は、次のブログで訪れるスィグルダ城址だと思います(右)。


北側からお城にアクセスすると、北門楼から内門までは狭隘路になっており、イザと言う時には。。。
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。。。内門を閉じて防御するシステムになっていたそうです(左。。。方位は上が北)。その状況を主塔から眺めたものです。狭隘路の西側の壁は無くなっていますが、北門楼から続く白い道が狭隘路の跡になります(右)。


大半円塔の内部は当時の武具、暮らし、生活様式等を再現した博物館になっています。
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又、建物についての詳細な説明もありました。 こちらはセントラルヒーティング。。。
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。。。に関する解説パネル(左)と暖炉の現物(左)です。




駐車場からお城までの途中には、小さな教会がありました。トゥライダ・ルーテル教会です。
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レンガ色の壁ですが、何と木造です 欧州にしては珍しい、そして質素な教会でした。



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お墓。。。悲恋の少女のお墓です

Turaidas Rose・・・トゥライダの薔薇 と刻まれています。

権力者の横やりに抗って純愛を貫き、僅か19歳で散った少女の伝説ですが、実際に裁判の記録もあるそうです。伝説の詳細はこちら





グートゥマニャ洞窟

次に、その少女が殺されたという洞窟に行きました。トゥライダ城からはバスで数分の所にあります。
悲恋の伝説により恋人たちが集まってくるのでしょうか・・・
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洞窟の外壁(左)にも、内部(右)にもカップルが刻んだという名前が多数あります!
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16世紀のものもあるそうですが、トゥライダの薔薇伝説は17世紀のことですが (^^ゞ


この後は、スィグルダでもう1か所訪問し、昼食となります。



つづく



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 ◇ バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)
 ◇ バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)
 ◇ バルト三国(その10:リーガ旧市街)
 ◇ バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)



Posted at 2025/07/26 23:59:44 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年07月19日 イイね!

バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)

バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)リーガ旧市街の観光を終えてからは、新市街でも旧市街寄りにあるユーゲントシュティール建築群を観に行きました。
ユーゲントシュティールとは19世紀末から20世紀初頭にかけて欧州で流行った美術様式で、フランス語で言うアール・ヌーボ(新しい芸術)を、ドイツ語圏での呼び方でJugendstil(青春様式)と呼んだものだそうです。


                   何れの画像もクリックで拡大します。


3本の通り(ストレールニエク通り、アルベルタ通り、エリザベテス通り)沿いにあるユーゲントシュティール建築群の殆どは、ユダヤ系ロシア人であるミハエル・エイゼンシュテインによって1903年から1906年までの間に建てられています。
以下、特記していない建物はエイゼンシュテインの設計によるものです。また、特別な建物名も付いていないので、歩いた順番に番地で表記して区別することにします。

         
                    ストレールニエク通り4a番地 1905年竣工
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壁に青煉瓦が貼られている右半分の建物です。女性の像を含めて優しく柔らかい表現が綺麗です。現在はリーガ法科大学院、スウェーデン商工会議所などが入っています。
注)左半分の建物は次で紹介する建物(アルベルタ通り13番地)を横から見た形になっています。


                   アルベルタ通り13番地 1904年竣工
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動物、植物、人間等沢山の彫像がありますが、特に女性の表情、喜怒哀楽が豊かです。
装飾的折衷主義ユーゲントシュティール建築の代表例(難しい)だそうですから、やはりここで一番なのでしょうね。


        アルベルタ通り12番地 1903年竣工 K.ベークシェンス、E.ラウベの設計です。
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内部にある螺旋階段が有名です。現在はリーガ・アールヌーボーセンター美術館として使われています。

                   アルベルタ通り8番地 1903年竣工
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窓枠に貼られた青煉瓦が綺麗ですが、柱か出窓のように突き出た建物の中心部がアクセントとなっており、更に中心部の装飾も念入りに造られています。


                   アルベルタ通り6番地 1903年竣工
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壁2面に赤煉瓦を貼ってあります。隣(8番地)と比べて地味です。装飾も控えめですが手は込んでいます。


                   アルベルタ通り4番地 1904年竣工
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中央上半分の窓は曲線で描かれており、ガウディのカザ・ミラやカザ・バトリョほど徹底していませんが、最も完成度が高いユーゲントシュティール建築のひとつ、なのだそうです。また、最上部には、魔除けでしょうか。。。2頭のライオンと3人のメドゥーサの頭部が飾られています。


                   アルベルタ通り2a番地 1906年竣工
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6本の柱に紅い柵のような形で煉瓦を埋め込んだ建物です。女性や用心棒?の人面などで飾られています。玄関前に置かれているのはスフィンクス像です。アパートオーナー協会が入っています。


                   エリザベテス通り33番地 1901年竣工
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エイゼンシュテイン設計最初期のユーゲントシュティール建築なのだそうです。言われてみれば、未だ多くの技法を投入していないような。。。


                                 
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エリザベテス通り10b番地 1903年竣工






壁の半分に青色の煉瓦を貼っているのと、柱に融けこんだ人間の頭部が特徴的です。
また、銀色の像と最上部の怖い顔も目立っています。
















以上、歩いた順に並べてみましたが、歩いた範囲の略図を作ってみました。

左上から右下に向けて歩いており、その順に写真も並べてあります。





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こんなお店が営業していました (^^)/

エリザベテス通り10番地 竣工年、作者未詳




上記エリザベテス通り10b番地の2軒隣です。

10番地は建替えられているのでしょうか。。。



この日の午後は、スペインノルウェーに続いてアールヌーボーの建造物を楽しみました。何れも20世紀初頭の同時期に、欧州各地で同じように競って建てていたというのが興味深いと思います。
派手さを比較すると、スペイン → リーガ → ノルウェー の順ではないでしょうか。。。




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観光の合間にトラム(リーガ市電)の撮り鉄も敢行しましたので、少しだけ紹介します。

        タトラT3A @中央市場西         シュコダ15T @旧市街城壁近く(火薬塔北)
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シュコダエンブレムも誇らしげに、S字カーブを抜けてくるシュコダ15T。上右と同じ。
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タトラT3Aプラハプルゼニのタトラと、又、シュコダ15Tも同じくプラハのシュコダと同類型のトラムです。

ご参考)プラハ、プルゼニの関連ブログは👉  プラハ   プルゼニ

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夕食はレストラン・TAILS に案内されました。TAILSしっぽというだけあって。。。

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        しっぽの形をしたバター            前菜は鯖のペーストにイクラのトッピング


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          スズキのグリル                 デザートはカモミールティーのプリン

前菜。。。鯖のペーストは◎、でもイクラのトッピングは要らないかな?? スズキの皮はパリッパリ身はフワッフワで、これも美味しかったですうまい!うまい!うまい!
カモミールティーのプリンは初めて食べましたが、写真で見てもよく思い出せません (^^ゞ



この日は、3泊も予定されている首都・リーガで、早朝から丸12時間
ルンダーレ宮殿、リーガ旧市街、同新市街と盛り沢山な行程を堪能しましたが、若干疲れました (^^ゞ



つづく



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 ◇ バルト三国(その10:リーガ旧市街)



Posted at 2025/07/19 20:20:18 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年07月15日 イイね!

バルト三国(その10:リーガ旧市街)

バルト三国(その10:リーガ旧市街)5月25日、午前中ルンダーレ宮殿を観光して首都リーガに戻って来た時には、既に13時近くになっていましたが、昼食はオアズケ状態でした。
と言うのも、リーガ入口に位置する中央市場の観光 → リーガ市内のレストランで昼食、とした方が、動きとして無駄がないからだと考えられます。

👈リーガ大聖堂前・ドーマ広場でのワンシーン。


                   何れの画像もクリックで拡大します。


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ということで、まずは中央市場です。
信号待ちの間に撮りました。

ドイツ軍が残していった20世紀初頭に建てられた飛行船格納庫を移築し再利用したカマボコ型のドームが4つ並んでいました。




カマボコ型ドーム内を散策してみます。
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ウサギの肉もありますとの案内でしたので、撮った写真(右)に写っている値札部分を翻訳すると、ウサギは見つからず、代わりに牛タン、鶏頭そしてトカゲと書いてあることが判明しました (^^ゞ


生鮮食品や乳製品、更には土産物店などもあって見ていて楽しいものですが、旅行者としては。。。
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。。。売られているのは食材がメインで、そのまま食べられるものは少ないので、チョット買えないなぁ、と思いました。実は、翌日の夕飯は自由食でしたので、中央市場で何か買う(テイクアウトする)ことも選択肢のひとつにしていたのですが、この時点で候補から外しました。




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そんな市場でしたので散策は早めに切り上げて、思ったより早く旧市街周辺部にあるFORESTというレストランに到着。

喉を潤した🍺のは13:40でした。

サラダはチーズ入り。



メインは柔らかポークのグリル(左)。 デザートはアップルパイ+シャーベット(右)でした。
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何れも美味しくいただきました。お腹が空いていたから、という理由だけではないと思いますうまい!うまい!うまい!




午後からの(と言っても14時半を回ってから。。。ようやくですが)観光は、リーガ旧市街から始まります。

三人兄弟
まるで兄弟のように並んでいる中世の住宅です。17番地のプレートが見えているのがリーガで最も古い住宅です。そこから左に19番地、21番地と連なった3軒が三人兄弟です。17番地には小さい前庭があるのに対して、左の2軒は順に間口が狭くなって、余裕がありません。但し、17番地の建設当時には課せられていた窓税が廃止されたため、残りの2軒は目いっぱい大きな窓を持っている、という変化が興味深いものでした。
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旧市街観光時は、全て左隅に写っている電動のミニバスで移動したので、楽チンでした。


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三人兄弟の家の前の道に丁字路繋がる路地を歩くと見えてくる聖ヤコブ教会


尖塔の途中にある出っ張りには鐘が吊ってあります。
15世紀に建て直されて以来、色々と不評だった鐘で、一旦は取り外されたのですが、2001年のリーガ800年祭を機に取り付けられているそうです。














ミニバスは、一旦リーガ大聖堂前のドーマ広場を経て猫の家に向かいます。


リーガ大聖堂 
この写真に写っている4枚揃いのランセット窓(中からはステンドグラス)は最後に入場して観ます。
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猫の家
ドーマ広場を北東に進むと見えてきます。
猫。。。ドイツ人が支配的なギルド(組合)に、加入させてもらえなかったラトビア人商人が怒って猫の像を設置したもので、当初は隣接するギルド会館にお尻を向けていたそうです。
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猫の家の北には火薬塔(左)があり、ソ連軍が撃ち込んだ鉄球が今も残っています。
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更に旧市街の境界を東に進むとラトビアの独立を記念して建てられた自由記念碑(右)が見えました。左奥には、宿泊しているホテル Radisson BLU LATVIJA が写っています。翌日の夕方には、ここの26Fにある SKYLINE BAR からこちら側の景色を眺めながら夕食をとりました。


そこから南下して旧市街中心に向かう途中、外から眺めただけの聖ヨハネ教会と。。。
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。。。聖ペテロ教会(左)。その前に建つグリム童話ブレーメンの音楽隊(右)の像には。。。
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。。。童話の登場動物(ニワトリ、ネコ、イヌ、ロバ)が勢揃いしていました。姉妹都市ブレーメンから寄贈されたそうです。


ブラックヘッドの会館
14世紀から500年以上もかけて構築されたのに、1941年にドイツ軍の砲撃で破壊されたものの。。。
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。。。1999年に修復が完了と刻まれています(下右)。同様に、広場にはリーガの守護聖人・聖ローランドの像も再建されていました。
そして、壁にはハンザ都市の紋章(左からリーガ、ブレーメン、リューベック、ハンブルク)とギリシャ神話の神々の像が飾られており(上)、彫金細工が美しい壁時計も、月、日、時刻そして月齢を刻む仕掛けになっています(下右)。
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因みに、この時は5月25日、15:37、月齢27.5でした。 この写真から、月、日、時刻、月齢を読み取ると見事に合致しています。感動しました



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広場の反対側にあった市庁舎です。

ラトビアの国旗、ウクライナの国旗、欧州旗、そしてリーガ市の紋章(左から)が掲げられていました。







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旧市街をひととおり周遊したので、ミニバスと別れて。。。


リーガ大聖堂に入場







楽しみにしていたステンドグラス(先ほど、外から見た4枚揃いのランセット窓で、各々タイトルが付けられています)、パイプオルガンとご対面です。






ステンドグラス。。。入口側から順に~


   👇寄進者・ティゼンハウゼン一家と聖母マリア
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  礎石を敷くアルバート司教👇
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 リーガ市長に信仰の自由宣告書を渡すリヴォニア騎士団長👇
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スウェーデン王グスタフⅡアドルフを迎える大聖堂前のセレモニー👇
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見事なステンドグラスに見入ったあとは、これまた美しいパイプオルガン



16世紀からある木彫りのフレームに、1883年に造られたパイプオルガン本体を組み込んだものです。






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頂部に天使の像がある説教壇


天使の像を頭上に掲げてお説教というのも可愛い気がしますけど (^^ゞ








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主祭壇

全体的にシンプルに造られていると思いました。








主祭壇のアップ(左)。。。右側には1709年の大洪水の際の水位を示すプレートが~(右)
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リーガ大聖堂から出た所で、ドーマ広場を見渡すと証券取引所美術館(左)と。。。
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。。。ラトビアラジオ放送局(右)が見えました。



次は新市街地に向かいますので、バスに乗るために旧市街の外まで歩きます

altその途中で案内されたスウェーデン門。。。リーガに唯一残る城門です。

城壁を利用して住宅が建てられた際に付け加えられた門ですが、17世紀当時、外国人と会うことを禁じられていたにもかかわらず、スウェーデン兵と密会していたリーガの娘が、捕らえられて門の内側に塗りこめられた、という逸話があります。
そのため、真夜中になると娘のすすり泣きが聞こえるようになった、そうです。




スウェーデン門の外にあるスウェーデン兵の兵舎(左)に沿って歩いて行くと。。。
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。。。今も一部残っている城壁がありました(右)。リーガが城塞都市であったことが判ります。

この辺りは、先ほど通った火薬塔や自由の記念碑に近い場所で。。。何度も通ったような気がします。




続いて、バスで新市街にあるユーゲントシュティール建築群へ向かいます。



つづく



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 ◇ バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)
 ◇ バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)


Posted at 2025/07/15 23:54:27 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年07月12日 イイね!

バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)

バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)ラトビア観光の初日(5月25日)は、午前中にルンダーレ宮殿を観光します。

バルトのベルサイユ宮殿と言われるルンダーレ宮殿は、首都・リーガから南に約80kmの地点・バウスカの町はずれにあります。従って、前日リトアニアから国境を越えてA8を北上して稼いだ距離を、そのまま南下するイメージです。但し、今度はA7を通ります。


                     何れの画像もクリックで拡大します。


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3泊するリーガのホテル、Radisson BLU LATVIJA での初日の朝食です。
リトアニアのヴィルニュスでも Raddison でしたが、やはり系列。。。安心の朝食。。。和食はありませんが、日本と同じ感覚で食べることが出来ます。

こちらでは、注文すれば出来立てのオムレツが提供されます。



出発は8:15。
まずは前日通ったダウガヴァ川沿いの道を前日とは逆の向きに走ります。
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前日、撮りそこなったダウガヴァ川に架かる美しい鉄道橋を撮ろうとしていたら、こんなモニュメントを発見し、一緒に撮りました。

このモニュメントは、「1905年のファイターズ」と呼ばれていて、ロシア帝国時代に起こった労働者たちのデモでの為政者との衝突(血の日曜日事件と呼ばれています)の犠牲者を弔うもので、長いこと埋もれていたものです。



血の日曜日事件は、ロシアの首都・サンクトペテルブルクで発生した衝突を機に、各地に労働者のストライキや農民反乱が拡がり、1907年にかけての第一ロシア革命に繋がったとされています。当時、ロシア帝国の支配下にあったこの地域でも、当然ですが血の日曜日事件は発生しています
元々、くすぶっていた上流階級への不満と上流階級が支配する軍隊における士気の低下=弱体化した軍隊、そこで発生した日露戦争における敗北とそれに起因する国内の混乱。。。等が第一ロシア革命に繋がっているようです。もっとも、日露戦争で日本が勝てたのも、既に軍隊が弱体化していたからでもあるのでしょうから、まさに日本が第一ロシア革命に複雑に関係していると言えるのかも知れません。



ダウガヴァ川の対岸にはラトビア国立図書館(左)が、中洲にはラトビア国営公共テレビ局(右)が見えますが、前日渡った橋(Island Bridge)より1本上流側に架かる橋(Suthern Bridge)を渡って。。。
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。。。A7を南下し、45分でバウスカの街を通過しました。


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こちらはバウスカの市街地を出る橋から見たバウスカ城です。今回は訪問しません。







更に走ること10分ほどで、ルンダーレ宮殿に到着しました。リーガの街を出てからの約75kmを55分で走っています。一応、高速とは言え、日本で言えば信号のない田舎道ですから、結構なアベレージ(平均時速=約82km/H)だと思いました。
駐車場から宮殿までの道からの景色。。。静かで綺麗。手入れも行き届いた美しい庭です (^^)/
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宮殿の正面にて、時間調整中に撮りましたが。。。左のマロニエの木のテッペンに何かある。。。
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。。。コウノトリの巣です 前日も道路沿いに何か所か見えていましたが、キッチリ見えたのは初めて!  この時期は子育て中なのだそうです。

子育て中を観るのは初めてなので、順光の反対側に回ってアップで撮ってみます。まだ孵化していないのでしょうか、子供は写っていません。因みに、飛んでいるコウノトリはこのように見えます。
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結局、10分少々の時間待ちの後、正門(左)を通って、前庭に入って(右)。。。
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。。。奥に見えている正面玄関から宮殿内に入ります。



ルンダーレ宮殿は、ロシアの女帝アンナに愛され、クールランド公(以下、公)にまで昇格したビロン公により、1768年に完成したものです。冒頭にも書きましたが、バルトのベルサイユと言われるバロック様式の豪華な宮殿です。
宮殿内では2階を主体に見学通路が設けられていました。


黄金の間
最初に入った黄金の間と呼ばれる宮殿一豪華な部屋です。ここで公の戴冠式が行われたそうです。
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壁面は金箔を貼った漆喰彫刻人工大理石で覆われ(左)、天井にはフレスコ画が描かれており(右)、贅を尽くした部屋になっています。
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白の広間
舞踏会が開催された広間です。女性のドレスを引き立てる効果がある白一色の内装に注目です
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黄金の間と同様に美しい漆喰彫刻に目を奪われますが、こちらは神話(左)や動物(右)。。。
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。。。そして農村風景(左)など、優しく柔らかい表現が特徴的でした。
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白の間には、磁器の間(右)が繋がって配置されていました。有田焼と思しき作品もありました。


以下、写真を撮っていた宮殿内の見所を順に載せます。

図書室(左)です。また、薔薇の間にあったロココ様式の椅子寄木細工の床(右)です。
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化粧室にあったバスタブ(左)とトイレ(右)です。
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庭の眺めがあまりにも綺麗で公の寝室内を撮り忘れていました。。。公の寝室からの眺め(左)。
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謁見の間にあった調度品はまるで漆塗りのようでした(右)。


イタリアの間には、イタリアの画家の手による絵画が沢山ありました(左)。
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大理石の間は、ダイニングルームとして機能していたようです(右)。


ビリヤード室(左)・・・やけに大きいビリヤード台が置いてありました。
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夫人の寝室も公開されています(右)。



宮殿内部を一通り見学のあとは、ミニトレインに乗って庭園を周ります。所要時間は20分弱でした。

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広い庭園を行ったり来たり巡ってくれたミニトレインです。おかげで楽チンでした。




宮殿内部の観光と合わせてルンダーレ宮殿には1時間半以上滞在しており、この時点で11時半を回っていますが、昼食は未だ食べさせてもらえず。。。このあとリーガに戻る行程が待っています。


つづく



【関連のブログ】
 ◇ バルト三国(その1:速報)
 ◇ バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
 ◇ バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
 ◇ バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
 ◇ バルト三国(その5:トラカイへ)
 ◇ バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
 ◇ バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)
 ◇ バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)


Posted at 2025/07/12 21:55:21 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記

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