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2025年09月07日 イイね!

バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)

バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)タリン二日目(5月28日)はタリン旧市街の観光です。
結構な内容になりそうなので、適当に2回に分けてアップしようと思います。

タリン旧市街は城壁に囲まれており、その城壁内は左図のようになっています(「ガイドブック・地球の歩き方」から借用しています)。
タリンの全体図(下図)にも記載されていますが、トームペアという丘を指す「山の手」(西南方向)と、ラエコヤ広場を中心とした「下町」(東側)に分かれています。


      何れの画像もクリックで拡大します。


11世紀にはエストニア人がタリンに砦を築いていたそうですので、他のバルトの国と異なりエストニアは少しばかり古い歴史を持っているようです。因みにラトビアのリーガで13世紀初頭、リトアニアのヴィルニュスで14世紀なって初めて記録に登場しているとのことです。

alt13世紀にはデンマーク王によって砦は占領され、トームペア城が築かれます。これをデンマーク人の城、町=Tanni Linn と呼び、タリンと言う街名の由来になったと。。。その後、ドイツ騎士団に占拠されたリもしますが、ハンザ同盟加盟等で繁栄するも、16世紀からはプロイセン、ロシアなどに加えて北欧までも取り合いに参加。。。以降、1940~1990年代まではソ連が支配、2004年にEUに加盟というところまで殆ど三国とも同様です。


この日は、ツアー客全員で貴族たちが暮らしていた「山の手」を最初に見学し、その後、商人や職人たちが築いた「下町」に降りて要所を案内してもらい、午後からは自由行動の予定です。


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タリンのホテル=Swissotel Tallinスイスホテルで最初の朝食です。レストランは7時開場でした。

こちらは2泊しますが、ここも安心の朝食。。。だけど、ブッフェなので、いつも同じようなメニューになってしまいます。
ここでも出来立てのオムレツが提供されます。






ホテルをバスで9時に出発、「山の手」の城壁近くまで送ってもらいました。

徒歩でトームペアの丘まで上がって城壁内へ進みました。

トームペア城のっぽのヘルマン
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11世紀に造られた砦は13世紀にはトームペア城に進化、お城はその後もその時々の支配者により増強され、18世紀に現在の姿になっています。こののっぽのヘルマンと呼ばれる塔(左)は15世紀に造られたままの姿をとどめており、エストニアを象徴する存在になっています。


国会議事堂
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トームペア城は、現在は国の議会として使われており、議会開催中だったのか議員さんが登院される場面を目撃しました。


アレクサンドル・ネフスキー聖堂
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帝政ロシア統治時代の1901年に建てられたロシア正教会で、トームペア城の真正面に位置しています。1904年が日露戦争ですから、以降、ロシア革命、2度の世界大戦を経てソ連時代も含めてロシアの権威を象徴する建物です。この建物がトームペア城(=国の議会)の正面にあるのは、エストニア人としては気分の良いものではないでしょうね。
堂内も見学できましたが写真はNG。なので撮っていませんが、日露戦争戦没者の慰霊碑(パネル)がありました。戦没者とは。。。統治していたロシアから徴兵されたエストニア人の方々なのでしょう。。。何とも哀しい話です。


聖マリア大聖堂
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「山の手」の北端にあるパットクリ展望台に向かって歩いている途中にありました。こちらは13世紀以来、タリンにおける中心的教会になっているエストニア最古の教会です。内部の見学はしませんでした。


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政府機関


こちらも展望台に行く途中にありました。
高級車が続々と。。。普通の官僚ではなく大臣クラスの登庁でしょうか。。。送ってきては、狭い路地でUターンして戻っていきました。





パットクリ展望台
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展望台からは「下町」を見渡すことが出来ますので、皆さん景色をバックに記念撮影されていましたが、写真そのものは、この後に訪れた聖ニコラス教会の塔の上からの写真と同類ですので、ここでは代表2点だけを。。。聖オレフ教会(左)と聖霊教会(右)、何れも背後はタリン港。



こちらは、「山の手」を南側に戻って来たところで南端を見た景色です。
キーク・イン・デ・キョク一番奥の塔ネイツィトルンひとつ手前の塔
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キーク・イン・デ・キョク・・・妙な名前です。「台所を覗け」という意味だそうです。
ネイツィトルン・・・中世には売春婦の牢屋として使われたそうです。
この左手に見えている城壁をくぐると。。。


。。。 デンマーク王の庭 へ出ます。
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ここでは、デンマーク国旗の起源となる出来事が13世紀に起こったそうです。残念ながら、私は記念のデンマークの国旗、見落としました (>_<)


デンマーク王の庭から リュヒケ・ヤルク通り を通って「下町」に向かいます。
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ここで、「山の手」と「下町」の高低差24mが実感できます



「下町」で最初の観光は 聖ニコラス教会 です。
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13世紀、ドイツ人商人の居住区に建てられました。

1944年にはソ連の空襲で破壊され、内装は修復されています。




展示品としては貴重なものが多くあり。。。




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。。。主祭壇もそのひとつで、屏風みたいな観音開きの主祭壇に絵画が施されています。




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絵画は、15世紀のドイツのハンザ都市リューベックの職人、ヘルメン・ローデの手により。。。



。。。左側には、船乗りや貧しい人々を救う聖ニコラスの生涯が描かれ(左)。。。
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。。。右側には異教の偶像を破壊し殉教した聖ヴィクトルの生涯が描かれています(右)。



また、同様にリューベックのベルント・ノトケによって15世紀に描かれた「死のダンス」は必見です
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巾7.5mのキャンバスには、左から教皇、皇帝、皇后、枢機卿、国王が骸骨のような死神と踊る様子が描かれています。
この絵のテーマは死の普遍性を強調するものですが、14世紀に流行ったペスト、黒死病によって、更に注目を浴び、死神と踊る人間、その対話を記した注釈(足元に描かれている巻物?に書かれています)は、死を前にした人間の平等性を強調していると評価されています。


高さ50mまでエレベーターで上がることが出来る聖ニコラス教会の塔に上がってみました。
以下は、そこからの眺めです。

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まずは「山の手」にある

アレクサンドル・ネフスキー聖堂。。。



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。。。と聖母マリア大聖堂。


塔高50mが「山の手」との標高差24mを縮めています。







北側、バルト海のフィンランド湾を見たところで、
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聖オレフ教会(左奥)と聖霊教会(右手前)、そしてラエコヤ広場(右下)。




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聖オレフ教会をズームアップしてみると、尖塔が3種類あることが判りました。







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最後に新市街方面。。。南東方向ですが、この高層ビル群の一番奥に宿泊しているSwissotel Tallinスイスホテルが写っています。




















既に11時半です。このあとは小一時間ほど旧市街を散策=ざっと案内してもらって解散、各自昼食をとって、午後は自由行動となりました。



つづく



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 ◇ バルト三国(その1:速報)
 ◇ バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
 ◇ バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
 ◇ バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
 ◇ バルト三国(その5:トラカイへ)
 ◇ バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
 ◇ バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)
 ◇ バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)
 ◇ バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)
 ◇ バルト三国(その10:リーガ旧市街)
 ◇ バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)
 ◇ バルト三国(その12:トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟)
 ◇ バルト三国(その13:スィグルダの次はリーガに戻って。。。)
 ◇ バルト三国(その14:ラトビアからエストニアへ)


Posted at 2025/09/07 21:13:39 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年09月01日 イイね!

バルト三国(その14:ラトビアからエストニアへ)

バルト三国(その14:ラトビアからエストニアへ)東北旅行や8月の仕事等で、気が付けば1か月も間が空いてしまったバルト三国ブログ。。。再開します。恐らく、あと2回ほどで完了すると思いますが。。。

ラトビアの首都リーガを出発して約20分、Juglaジュグラという路面電車・東側終点にて撮った写真です。電車(シュコダ15T)の行先は西側終点のImantaイマンタになっています。


                   何れの画像もクリックで拡大します。


3泊したから3度目の朝食。。。Radisson Blu Latvija Conference & Spa Hotel 最後の朝食です。
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リーガからエストニアの首都・タリンまでは、中欧で幹線道路の役割を担っているE67を北上します。
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E67は、チェコのプラハから、ポーランド、リトアニア、ラトビア、エストニア、そして海路(フェリーです)を経てフィンランドのヘルシンキまで1630kmも続いています。幹線の割には往来が少ないなぁと思っていたら、対向車がバッチで(群れになって)やってきますので、ひょっとしたらと思ったのですが。。。


。。。案の定、片側交互通行です。サラクグリーバという街で橋の付替え工事をしていました。
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おかげで対向車(トラックがメインです)をじっくりと観察することが出来ました (^^)/ 待ち時間は10分も無かったと思います。


エストニアとの国境近くで見た標識です(左)。この日、最初の目的地パルヌが近づいています。
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工事現場から10分ほどのドライブで、ラトビア~エストニアの国境です(右)。最終目的地であるエストニアの首都・タリンまでは、未だ200kmもあります。



エストニアで最初の観光スポット・パルヌに到着しました。
パルヌは、バルト海に面したエストニア屈指のリゾート地として知られています。

バスを降りて防風林の中を歩いていると、ツアーのメンバーが教えてくれた看板(左)がありました。
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自転車道なのは判りますが。。。帰宅後、こちらのサイト(右のような画面です)をみると、看板に記載されていた Route10(Baltic Sea Cycle Route)は9ヶ国に亘り9,100kmを、そして Route13(Iron Curtain Trail)は20ヶ国に亘り10,600kmを走破する自転車道にであることが判りました 欧州は地続きですからスケールが違いますね。特にRoute13は鉄のカーテン路 旧共産圏との国境に沿って走っています。  勉強になりました。



防風林を抜けると、目の前に開けていた。。。

バルトの海   パルヌの海岸は恐ろしいほどの強風でした。
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バルト三国を旅していても、内陸部にあるリトアニアの首都・ヴィルニュスからほぼ真っ直ぐに北上していますので、エストニアに入ってようやくバルト海を目にした、という状況です。



昼食は、海辺のリゾートホテル Hedon SPA & HOTEL内のレストランでいただきます。

ホテルには客室のバルコニーが眩しく映える裏口から入りました(左)。
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前菜は山羊のチーズが乗っているサラダ。。。好みです、そして美味でしたうまい!うまい!うまい!(右)

メインはサーモンのソテー。付け合わせはアスパラとほうれん草と何か? どっちもうまい!うまい!うまい!
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デザートはチュロス(左)。ソースはホットチョコ、カラメルでしたか。黒糖じゃないよね?
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そして、こちらがホテルの正面玄関。。。から出ました。SPA & HOTEL と謳っていますが、ここのスパは泥風呂がウリだそうです。




昼食後は、腹ごなしに?パルヌの旧市街を散策します。

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こちらはタリン門

Wikipediaでは、バルト諸国で現存する唯一の17世紀に建てられた門であると結論づけられています。注)本文を読むと16世紀~18世紀の間に建てられたことは言えそうですが。。。

ここで思い出したのは、ヴィルニュスで観た夜明けの門。。。こちらは、確か16世紀に造られたと言うことでしたので、混乱しますね。

まぁ、とにかくエストニアの首都・タリンへ通じている門ということで、パルヌにあってもタリン門、と言われているようです。


続いては。。。
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アウグスト・ヤコブソン記念碑。

パルヌ出身の劇作家、政治家です。

ソ連の統治下において、エストニア・ソビエト社会主義共和国の最高会議幹部会の議長を務めていたそうですが。。。





以降、散策した順番に(保存されている画像の順番に)続けます。


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エカテリーナ教会(ロシア正教会)。

ロシア皇后エカテリーナⅡの命令と資金援助により、1768年に建てられており、皇后の名前に因んでエカテリーナ教会と名付けられました。





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エリザベート教会


こちらもロシアの影響を受けています。

1744年着工、1747年完成のルーテル教会です。

ロシア皇后エリザヴェータが寄進したことで、エカテリーナ教会と同様、皇后に因んだ名称になっています。



ロシアの皇后は、この地の人々を慈しんでいたという訳ではなく、当時はロシア皇帝軍がこの地方に駐屯しており、駐屯軍兵士のための教会という位置づけではないかと推測します。





街歩きを続けます。気儘に撮った画像の中に、お茶目な婦人警官が入っていました。
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さて、こちらは最後に観たレッドタワーです。





建設時期に関しては諸説あるようですが、パルヌの要塞化工事の一環として、城壁の南東の角に建てられたようですので、ここが旧市街の南端部になります。





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ニューアート美術館です。

この裏に長距離バスセンターがあり、そこでツアーのバスと合流し。。。







。。。一路、エストニアの首都・タリンへ向かいます



タリン到着
パルヌ街道(E67)を約2時間北上。。。タリン旧市街が見えて来ました バックは聖ニコラス教会。
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一旦、ホテルにチェックインして休憩ののち、向かったのは、ミシュラン掲載ということで楽しみにしていたレストラン・Fotografiska 。。。ですが、なかなかいただけないレストランでした (>_<)

まずは、レストランの客としては、ツアー客が2xN名(正確に覚えていませんが偶数名でした)に、添乗員さん2名を加えた 合計2x(N+1)名という総数です。ところが、用意されたのは、生憎、片側N-1名(のサイズが長いスペースにキッチリ)のテーブルでした。なので両側で2x(N-1)名は普通に座れます。
そこに、無理やり2x(N+1)名を押し込みましたから、4名の定員オーバーです。その4名を、両端の(議長席になる)テーブルに押し込みました。つまり、定員2名のテーブル面に4名ずつが座る羽目になりました。
流石に、このレイアウトでは添乗員さんも無理と判断されたのでしょう。添乗員さんの2名分は別室にテーブルを用意してもらって、両端は定員2名に3名で座ることになりましたが、両端各3名のお客さんは狭い思いをしていました。また、この旅最後の(メンバーが全員揃っての)夕飯だったのに、添乗員さんとは別々に食べることになって残念でした。

この段階で、何と気の利かないスタッフだろうと思っていたところ、やってきたビールが(写真を撮っていれば良かったと後悔していますが)、定量の2/3も注がれていなく、それも泡が切れ切れに汚らしく注がれています。一応、苦情を言ったので”修正”これを”辻褄を合わせ”とも言う (-_-メ)して持ってきたのが、このビールです(左)。泡だけ上から足しているのがミエミエで気分は最悪です (>_<)
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実は、名古屋駅新幹線ホームのキヨスクで同様の事例に出くわしたことがあります。生ビールの樽が最後の1杯未満になった時点で注いだところ、このようなことが発生したのです。軽く指摘しただけでしたが、キヨスクでは、サッと配管を新しい樽に繋ぎ変え、勿論グラスも換えて、新たな1杯を提供してくれました。

ミシュラン掲載店が泣きますね (≧◇≦) 名古屋駅ホームの立ち飲み以下です。座席の準備と言い、泡だけつぎ足したことと言い、日本人を舐めていますね旅行社のホームページを見ると、未だにこの店使っています。信じられん (@_@)
あまりの出来事に、前菜・サーモンマリネ(上右)の味は覚えていません。酸っぱかったような気がしますが、家内は美味しかったと言っていますので、美味しかったのでしょう (-_-メ)。

続くメインは、ビーフステーキ(左)。はっきり言って硬かった That's all です。
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デザートは、バスクチーズ(右)。。。と書いてあったと思いますが、出来損ないのババロアみたいでした。味はそこそこ・・・


「ミシュラン掲載」にしては、何なのこの店は???とあまりにも気になったので、帰宅後に軽く調べてみると、星無しのグリーンスターであることが判りました。

マイナス面だけじゃ、私が単なるカスハラかクレーマーしているみたいで癪ですし、気の毒でもあるので、良い面も無理やり。。。そう、ロケーションは抜群でした ロケーションだけはね ミシュランもこれを評価しているのでしょう 笑  食後にテラスで少しだけ記念撮影。。。皆さんは記念撮影されていたようでしたが、私は撮り鉄していました (^^ゞ


景色を若干説明すると、頭が黒い塔は、左から聖母マリア大聖堂、聖ニコラス教会、アレクサンドル・ネフスキー教会です。右端の褐色の塔は、トームペア城城壁の一部・のっぽのヘルマンです。
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左奥にあるタリン駅に到着しつつある列車は、エルロン(エストニアの国鉄)の1300形電車です。この電車は、スイスのシュタッドラー・レール社製で同社のFLIRTが原型になっています。



つづく



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 ◇ バルト三国(その12:トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟)
 ◇ バルト三国(その13:スィグルダの次はリーガに戻って。。。)


Posted at 2025/09/01 23:23:07 | コメント(1) | 海外(遊び) | 日記
2025年07月28日 イイね!

バルト三国(その13:スィグルダの次はリーガに戻って。。。)

バルト三国(その13:スィグルダの次はリーガに戻って。。。)トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟を見学した後、この日(5月26日)、スィグルダで残りの観光はスィグルダ城址のみでした。

昼食をスィグルダでとったあとは、リーガに戻って自由時間を過ごします。
適当に買い物をして夕食を食べたら終わりかな、とリサーチしてはいましたが。。。どうなったことでしょうか?


                    何れの画像もクリックで拡大します。


スィグルダ城址は、トゥライダ城やグートゥマニャ洞窟とはガウヤ川を挟んだ対岸にあります。渓谷を渡るロープウェイもあり、渓谷美を楽しむこともできそうですが、我々はバスで数分の移動となりました。

スィグルダ城跡

こちらのお城は、トゥライダ城より若干早く建造が開始されましたが、同様にたび重なる戦争で破壊されていたようです。

駐車場から歩いて行って、まず見えたのがこちらです。綺麗なお城と思っていたら。。。
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。。。こちらはスィグルダ新城で、1878年に建てられ、当初はマナーハウスとして貴族が使用していたそうです。


。。。で、その裏側に実際のスィグルダ城址がありました。こちらは1207年に建造開始ですので。。。
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。。。新城が明治時代、旧城が鎌倉時代に建てられたことになります。



以上でスィグルダの街の観光は終了し、ホテル・スィグルダ(冒頭に掲示)で昼食をとります。

キッチリ冷えたサラダ(左)、これだけでお腹いっぱいだったかも (^^ゞ  当然、ビール🍺は。。。
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。。。ラトビアのメジュピルス・アルス(右)。

メインはロールキャベツ(左)。これがロールキャベツって判りにくいので断面も載せます(右)。
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キッチリと濃い味で美味しいロールキャベツでしたうまい!うまい!うまい!

デザートは4人テーブルで、メレンゲの色が3種類あったので並べてパチリ。
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往路と同様、小一時間でリーガまで戻ってきました。ホテル着は15時を回っていたと思います。

リーガの旧市街復習と夕飯Radisson Blu Latvija Conference & Spa Hotel

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中央市場への買い出しは、この時に断念していたので、次善の策として考えていたラトビア料理の店にも行ってみようと思いましたが、ホテルの26階にあるラウンジで簡単に済ませた方が(何処も美味しいのですが、少々味が濃いいこともあってお腹を休める意味でも)良さそう。。。と思ったのでトライすることにしました。



近隣のスーパーで土産のビールやチョコレートを買いに行ったりしているうちに、ちょうど良い時間。。。普段は17時過ぎに夕食を食べ始めています。。。になったので、専用のエレベーターで突進。。。



まずはラウンジの中を一周。中々良い眺めです。
但し、どうやったら席を用意してもらえるのか。。。不案内です。システムが判らないけど、夕飯を食べたいのだが。。。と訊いてみると、何か所か席を示してくれました。ラウンジを一周する間に、狙っていた特等席。。。旧市街が一望出来て、賑やかな集団とは離れている静かなエリア。。。を所望したのは言うまでもありません (^^ゞ



以降、ご飯がやってくるまで、復習を兼ねて26階の窓際から旧市街の主な所を撮ってみました。

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練習がてらトロリーバスを撮ったものです。
一段下の左端の写真中央左の街角です。






ラウンジの窓の向きは東南方向です。
リーガの旧市街を、左側から順に3枚(水平方向の画角は約90度です)撮りました。少しずつ重ねて撮っていますので、ほぼ南方向(左)、東南方向(中央)、東北東方向(右)になります。
大きなor判りやすい目印としては、
左:テレビ塔、ラトビア国営公共テレビ局、中央市場、鉄道橋、聖ペテロ教会
中央:聖ペテロ教会、自由記念碑、国立図書館、リーガ大聖堂(これ以降は(右)にも登場
右:リーガ大聖堂、火薬塔、聖ヤコブ教会、スウェーデン兵舎 等が良く見えていました。
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手前に見えている金色坊主の建物は、リーガ観光中のイヤホンガイドでは、一切言及されなかった(と思います)建物です。調べてみるとロシア帝国の一部だった時代にロシア正教会として建立(バルトで最大)されたあとは、ドイツ占領下ではルーテル教会になり、ソ連の占領下においてはプラネタリウムとされるなど、数奇な運命を辿ってきた建物のようです。現在はキリスト生誕大聖堂として修復されています。2010年に、金メッキが鐘楼とドームに施工されています。


再度、左から(南東方向側から)ズームで撮ってみました。あらためて、目印が良く判ります。

ラトビア国営公共テレビ局、中央市場、右端に鉄道橋
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鉄道橋、聖ヨハネ教会、聖ペテロ教会
鉄道橋の写真にリベットが写っているかなぁと期待しましたが。。。無理ですね。
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聖ペテロ教会、自由記念碑、ブラックヘッド会、国立図書館
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リーガ大聖堂、火薬塔、スウェーデン兵舎、聖ヤコブ教会
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ラウンジでの夕飯は、ビール🍺の他に、餃子(奥)とマグロのタタキ(手前)を頼みました。
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胡麻風味と燻製が、美味しくて、とても食べやすかったです。割り箸の袋には。。。
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。。。キッコーマンと印刷されてましたので、キッコーマン監修の味だと思います。




この夜でリーガ3泊目。。。翌日はバルト三つ目の国、エストニアに向かいます。



つづく



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Posted at 2025/07/28 20:04:39 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年07月26日 イイね!

バルト三国(その12:トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟)

バルト三国(その12:トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟)5月26日は、朝からラトビアの首都・リーガの北北西約50kmにあるスィグルダの街へ向かいました。

スィグルダは、山間部を流れるガウヤ川に沿って、古城、城址や洞窟が点在する景色が良い街で、ラトビアのスイスと呼ばれています(個人的にはスイスは大げさだろうと思いますが。。。)。
なお、この日、スィグルダの観光は午前中だけで、午後からはリーガに戻って(と言っても、現地でゆっくりと食事をして戻って来たのは15時を回っていましたが)自由散策になりますが。。。

最初に、スィグルダの街にあるトゥライダ城へ向かいました。


                     何れの画像もクリックで拡大します。


6時起床で6時半からの朝食です。前日と同様、オムレツを作ってもらいました。
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8時半、出発
リーガからスィグルダへはA2(E77)を北北西に進みます。こちらはA3(E264)との分岐点です。
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A2(E77)を進むとスィグルダの先は、リトアニアを経由してロシアのプスコフに着いてしまいます。
右に逸れるA3(E264)は、リトアニアのタルトゥに繋がっています。 ここでもロシアに近い(国境まで170km、プスコフまで230kmほどです)ことを実感します。



トゥライダ城
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渓谷を遡っていくとトゥライダ城に着きます。

こちらは駐車場から10分ほどのトゥライダ城入口。。。北門楼です。即ち北側からのアクセスになります。
奥(約80m先)に見えているのが、大半円塔(西塔)です。



このお城は、1214年にリーガの大司教アルベルトによって造りはじめられました。冒頭の写真に TRAIDAS PILIJ 810 トゥライダ城810 と言う文字が確認されますが、恐らく昨年造られたものかと思います。
その後、18世紀頃まで時代に応じた改修がなされたようですが、1776年に起きた火災後は放棄されて荒れ果てていたようです。つまり、軍事上、政治上重要な役割を担っていたかどうかは判りません。

北門から80m南にある主塔の西側(内門跡)を通って、中庭に入ってみます。こちらは、中庭で西側を眺めたものですが、左側(南側)から南側防護壁、南塔、西側防護壁、西側防護壁の中央部に大半円塔(西塔)主塔の順に並んでいます。
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高さ38mの主塔に上がって南側を見下ろしたところです。蛇行したガウヤ川、上述のお城の構造に加え東側の城壁跡住居の基礎跡などが見えています。この角度から見ても、大半円塔と言われる建物は殆ど方形をしているところが不思議です。
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川向こうの丘に小さく写っている白い塔は、次のブログで訪れるスィグルダ城址だと思います(右)。


北側からお城にアクセスすると、北門楼から内門までは狭隘路になっており、イザと言う時には。。。
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。。。内門を閉じて防御するシステムになっていたそうです(左。。。方位は上が北)。その状況を主塔から眺めたものです。狭隘路の西側の壁は無くなっていますが、北門楼から続く白い道が狭隘路の跡になります(右)。


大半円塔の内部は当時の武具、暮らし、生活様式等を再現した博物館になっています。
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又、建物についての詳細な説明もありました。 こちらはセントラルヒーティング。。。
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。。。に関する解説パネル(左)と暖炉の現物(左)です。




駐車場からお城までの途中には、小さな教会がありました。トゥライダ・ルーテル教会です。
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レンガ色の壁ですが、何と木造です 欧州にしては珍しい、そして質素な教会でした。



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お墓。。。悲恋の少女のお墓です

Turaidas Rose・・・トゥライダの薔薇 と刻まれています。

権力者の横やりに抗って純愛を貫き、僅か19歳で散った少女の伝説ですが、実際に裁判の記録もあるそうです。伝説の詳細はこちら





グートゥマニャ洞窟

次に、その少女が殺されたという洞窟に行きました。トゥライダ城からはバスで数分の所にあります。
悲恋の伝説により恋人たちが集まってくるのでしょうか・・・
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洞窟の外壁(左)にも、内部(右)にもカップルが刻んだという名前が多数あります!
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16世紀のものもあるそうですが、トゥライダの薔薇伝説は17世紀のことですが (^^ゞ


この後は、スィグルダでもう1か所訪問し、昼食となります。



つづく



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Posted at 2025/07/26 23:59:44 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年07月19日 イイね!

バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)

バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)リーガ旧市街の観光を終えてからは、新市街でも旧市街寄りにあるユーゲントシュティール建築群を観に行きました。
ユーゲントシュティールとは19世紀末から20世紀初頭にかけて欧州で流行った美術様式で、フランス語で言うアール・ヌーボ(新しい芸術)を、ドイツ語圏での呼び方でJugendstil(青春様式)と呼んだものだそうです。


                   何れの画像もクリックで拡大します。


3本の通り(ストレールニエク通り、アルベルタ通り、エリザベテス通り)沿いにあるユーゲントシュティール建築群の殆どは、ユダヤ系ロシア人であるミハエル・エイゼンシュテインによって1903年から1906年までの間に建てられています。
以下、特記していない建物はエイゼンシュテインの設計によるものです。また、特別な建物名も付いていないので、歩いた順番に番地で表記して区別することにします。

         
                    ストレールニエク通り4a番地 1905年竣工
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壁に青煉瓦が貼られている右半分の建物です。女性の像を含めて優しく柔らかい表現が綺麗です。現在はリーガ法科大学院、スウェーデン商工会議所などが入っています。
注)左半分の建物は次で紹介する建物(アルベルタ通り13番地)を横から見た形になっています。


                   アルベルタ通り13番地 1904年竣工
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動物、植物、人間等沢山の彫像がありますが、特に女性の表情、喜怒哀楽が豊かです。
装飾的折衷主義ユーゲントシュティール建築の代表例(難しい)だそうですから、やはりここで一番なのでしょうね。


        アルベルタ通り12番地 1903年竣工 K.ベークシェンス、E.ラウベの設計です。
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内部にある螺旋階段が有名です。現在はリーガ・アールヌーボーセンター美術館として使われています。

                   アルベルタ通り8番地 1903年竣工
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窓枠に貼られた青煉瓦が綺麗ですが、柱か出窓のように突き出た建物の中心部がアクセントとなっており、更に中心部の装飾も念入りに造られています。


                   アルベルタ通り6番地 1903年竣工
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壁2面に赤煉瓦を貼ってあります。隣(8番地)と比べて地味です。装飾も控えめですが手は込んでいます。


                   アルベルタ通り4番地 1904年竣工
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中央上半分の窓は曲線で描かれており、ガウディのカザ・ミラやカザ・バトリョほど徹底していませんが、最も完成度が高いユーゲントシュティール建築のひとつ、なのだそうです。また、最上部には、魔除けでしょうか。。。2頭のライオンと3人のメドゥーサの頭部が飾られています。


                   アルベルタ通り2a番地 1906年竣工
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6本の柱に紅い柵のような形で煉瓦を埋め込んだ建物です。女性や用心棒?の人面などで飾られています。玄関前に置かれているのはスフィンクス像です。アパートオーナー協会が入っています。


                   エリザベテス通り33番地 1901年竣工
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エイゼンシュテイン設計最初期のユーゲントシュティール建築なのだそうです。言われてみれば、未だ多くの技法を投入していないような。。。


                                 
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エリザベテス通り10b番地 1903年竣工






壁の半分に青色の煉瓦を貼っているのと、柱に融けこんだ人間の頭部が特徴的です。
また、銀色の像と最上部の怖い顔も目立っています。
















以上、歩いた順に並べてみましたが、歩いた範囲の略図を作ってみました。

左上から右下に向けて歩いており、その順に写真も並べてあります。





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こんなお店が営業していました (^^)/

エリザベテス通り10番地 竣工年、作者未詳




上記エリザベテス通り10b番地の2軒隣です。

10番地は建替えられているのでしょうか。。。



この日の午後は、スペインノルウェーに続いてアールヌーボーの建造物を楽しみました。何れも20世紀初頭の同時期に、欧州各地で同じように競って建てていたというのが興味深いと思います。
派手さを比較すると、スペイン → リーガ → ノルウェー の順ではないでしょうか。。。




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観光の合間にトラム(リーガ市電)の撮り鉄も敢行しましたので、少しだけ紹介します。

        タトラT3A @中央市場西         シュコダ15T @旧市街城壁近く(火薬塔北)
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シュコダエンブレムも誇らしげに、S字カーブを抜けてくるシュコダ15T。上右と同じ。
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タトラT3Aプラハプルゼニのタトラと、又、シュコダ15Tも同じくプラハのシュコダと同類型のトラムです。

ご参考)プラハ、プルゼニの関連ブログは👉  プラハ   プルゼニ

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夕食はレストラン・TAILS に案内されました。TAILSしっぽというだけあって。。。

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        しっぽの形をしたバター            前菜は鯖のペーストにイクラのトッピング


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          スズキのグリル                 デザートはカモミールティーのプリン

前菜。。。鯖のペーストは◎、でもイクラのトッピングは要らないかな?? スズキの皮はパリッパリ身はフワッフワで、これも美味しかったですうまい!うまい!うまい!
カモミールティーのプリンは初めて食べましたが、写真で見てもよく思い出せません (^^ゞ



この日は、3泊も予定されている首都・リーガで、早朝から丸12時間
ルンダーレ宮殿、リーガ旧市街、同新市街と盛り沢山な行程を堪能しましたが、若干疲れました (^^ゞ



つづく



【関連のブログ】
 ◇ バルト三国(その1:速報)
 ◇ バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
 ◇ バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
 ◇ バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
 ◇ バルト三国(その5:トラカイへ)
 ◇ バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
 ◇ バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)
 ◇ バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)
 ◇ バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)
 ◇ バルト三国(その10:リーガ旧市街)



Posted at 2025/07/19 20:20:18 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記

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