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2025年09月23日 イイね!

バルト三国(その18:タリンで遊んで関空へ)

バルト三国(その18:タリンで遊んで関空へ)バルト三国のブログ、本稿で最終回です。
帰国後も(殆ど毎日が日曜日のくせに)多忙だったり、自分自身の老化(これが一番の原因でしょうが)のせいで手が遅くなったことから、ブログ上でもやっと帰国の途につきました (^^ゞ
今回のツアーでは、帰国の日も午前中は観光が用意されており、午後からEU内を移動(エストニア→フィンランド)し、夕方、日本に向けて出発するという行程です。


                     何れの画像もクリックで拡大します。


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バルトの朝食も、これが最後。。。しばらくは海外の朝食ともお別れです。

ホテルのレストランで、タリン港をバルト海に向けて出航するフェリーを見ながら。。。普通の洋食ですが。。。ゆっくりと朝食を味わいます。



比較的ゆったりとしたツアーで、それでも朝食は大抵6時半からです。そして出発はだいたい8時半から9時頃と、優しい行程が組まれていました。

最終日は出発も10時と更にのんびり。。。


まぁ、午前中の観光も時間調整の感が無きにしも非ず。。。でしたが、私個人としては、結構シリアスな思いを抱いたりしております。

それはさておき。。。




やって来たのは、エストニア野外博物館 
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こちらでは、19世紀から20世紀にかけての農村生活を各地から建物を移築、再現しているそうです。20世紀半ばからは、ソ連の農村政策に則って、エストニアの農業も無理やりコルホーズ化され(恐らく大半は)破壊されていますので、旧いエストニアの農村を残しておこうというエストニアの執念を感じます。


入口からは、正面の直線道路を海辺まで北上し、帰りは一本西側の道を通って教会、消防署。。。
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。。。学校の順に見学しました(場内地図(左)参照)。入口管理事務所にあった公衆電話(右)ですが、バルト三国で初めて見た公衆電話かも知れません。


最初の展示物は、一般農家でした。
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農家では住民に扮した職員さんも出迎えてくれます。茅葺の屋根は日本家屋に似ています。
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一般農家の内部には、農機具や生活道具が展示されていましたが、19世紀とすると。。。
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。。。江戸時代後期になります。そんなものでしょうかね。


更に奥へ直線道路を北上します。博物館ですので当然ですが、車も通らず快適に散策出来ます。
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途中には他にも似たような集落(詳細は判りません)があります。
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直線道路を海辺に近くまで行ったら見えてきた丸太小屋(左)。表に周って見ると。。。
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。。。どうやら漁具などを入れておく倉庫のようです(右)。


漁師の住居らしき建物もあります(左)。 漁師小屋の内部(右)がいかにもって感じです。
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帰路に撮りました。何故か、場内地図にはNATSI TUULIKナチスの風車と書かれている風車です。
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帰路、一本西の道に渡る道路に沿っては教会もありました(左)。祭壇(右)も再現されています。
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ちゃんと消防署もありました(左)。可愛い建物です。 江戸時代の火消しよりも進んでいる?(右)
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学校もありました(左)。内部は学校ではなく、家庭の生活様式が再現されていました(右)。
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約1時間半を野外博物館で過ごしたところでバルト三国の観光は終了しました。


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この8日間お世話になったバスです。日本でもトラックは見かけるSCNIA社製。。。
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。。リアには「SCANIA in cooperation with HIGER」とHIGERとの協業(HIGER社は車体部品全般を担当)を強調しています(中)。  注)HIGER社とは、1998年末に中国蘇州で設立されたバス製造会社です。



タリンの空港からヘルシンキまでは、フィンエアーAY1020便で30分ほどです(左)。
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徒歩でATR72に搭乗します。タリンのターミナルビル。。。可愛いかったです(右)。


タリン離陸直後です。タリン市の東端で北に機首を向けたところです。遠くに見えるのが。。。
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。。。タリン新市街です。その奥に旧市街があるはずですが、明瞭ではありません。


30分ほどでヘルシンキに到着。乗り継ぎに1時間ほど時間があるので、いつもの?お店に入り。。。
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。。。ひと息(左)。 ヘルシンキでは入出国の査印が几帳面に押されます(右)。 上から北欧クルーズ(2018年2月)、スロベニア・クロアチアの旅(2024年9月)、そして今回(2025年5月)とヘルシンキ乗継で欧州旅行をしていますが、何れも同じページに整然と押してくれています。あと1回分余白があります 笑


ヘルシンキからはフィンエアーAY-0067便で関空へ直行です。
離陸後2時間弱で晩ごはんです。エコノミークラスでもワイン🍷とビール🍺が頂けるので。。。
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。。。最近はこのくらいで充分満足です。


今回も、往路は北極経由、復路は内陸周りでした。離陸後3時間で黒海にさしかかり(左)。。。
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。。。同じく11時間半で朝鮮半島です(右)。
最終的に、トータル12時間50分で関空に着陸・・・計画どおりでした。 全体の航路実績は冒頭に載せてあります。



ずっと以前、今思えばコロナ禍になるずっと前ですが、いつかはサンクトペテルブルクに行ってみたいと思っていました。ところが、コロナ禍でグズグズしている間に、ロシアに行くなんてとんでもない状況になってしまいました。
そんな時ですから、サンクトペテルブルクほどではないにしても、その雰囲気が少しでも味わえるバルト三国へ行こうということになり、それもロシアが悪さをしないうちに。。。と、今回の旅行を計画した次第です。
ところが、行ってみると至るところでソ連、ロシアの悪い所が目につき、鼻についてしまいました。弊ブログでも、何か所かその感情にまかせて記述したところがあり、お気づきかと思います。平時にロシアやバルト三国に行っても学べない、気が付かない歴史上のできごと、いま今の悪事、悪行など、良~く判った旅行になったと思います。
そういう意味も含めて、行って良かったです 有意義でした



   - 完 -   



【関連のブログ】
 ◇ バルト三国(その1:速報)
 ◇ バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
 ◇ バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
 ◇ バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
 ◇ バルト三国(その5:トラカイへ)
 ◇ バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
 ◇ バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)
 ◇ バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)
 ◇ バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)
 ◇ バルト三国(その10:リーガ旧市街)
 ◇ バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)
 ◇ バルト三国(その12:トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟)
 ◇ バルト三国(その13:スィグルダの次はリーガに戻って。。。)
 ◇ バルト三国(その14:ラトビアからエストニアへ)
 ◇ バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)
 ◇ バルト三国(その16:タリン旧市街・後半)
 ◇ バルト三国(その17:ロシア戦闘機がエストニア領空を侵犯)



Posted at 2025/09/23 09:21:33 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年09月21日 イイね!

バルト三国(その17:ロシア戦闘機がエストニア領空を侵犯)

バルト三国(その17:ロシア戦闘機がエストニア領空を侵犯)5月に行ったバルト三国のブログも、あと1回で完了を目指して、最後のブログ(エストニアのタリンから関空まで)を準備中です。

ところが、「ロシアの戦闘機がエストニア上空を侵犯した」というニュースが昨日入ってきました。ニュースでも言われていますが、つい最近、ロシアはポーランド、ルーマニアに対してもドローンを侵入させたばかりです 


バルト三国の旅行中においても、12世紀以降の欧州における各国(現在の国とは異なる国々)における侵攻、侵略の歴史を少しは勉強しましたが、バルト三国vs.諸外国という見方をすると、ロシアとその軍事同盟国に対しては、関係が修復出来ていないことを実感します。

こうなってくると、ロシアのウクライナ侵攻(2022.2.24)以前まで、ロシアと普通に?付き合っていた日本人?日本国?の対応ってどうなの?と思っちゃいますね。 日本vs.ロシアの関係を再認識するうえでも、一度、明治維新~日露戦争~日ソ戦争を中心に経緯等をおさらいしておきたい、思います。 プーチンを山口の大谷山荘でもてなしたって、お人好し過ぎると思いませんか?




つづく



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 ◇ バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)
 ◇ バルト三国(その12:トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟)
 ◇ バルト三国(その13:スィグルダの次はリーガに戻って。。。)
 ◇ バルト三国(その14:ラトビアからエストニアへ)
 ◇ バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)
 ◇ バルト三国(その16:タリン旧市街・後半)


Posted at 2025/09/21 23:11:58 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年09月13日 イイね!

バルト三国(その16:タリン旧市街・後半)

バルト三国(その16:タリン旧市街・後半)バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)からの続きです。

聖ニコラス教会を観光後は、旧市街の中心部ラエコヤ広場をスタートして、東側の旧市街を一巡して、午前中はそこで解散となりました。

👈こちらは、自由散策時に観たライ通り。。。三人兄弟(黄色い壁とその両側の家)と聖オレフ教会(奥)です。


                    何れの画像もクリックで拡大します。


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聖ニコラス教会からラエコヤ広場に向かう中間点で、観光案内所前にあった(今となっては)謎の像。。。何だったのか??思い出せません





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広場に着いてみると、旧市庁舎は改装工事中でガッカリ。。。塔の上半分は後で登場します。







ラエコヤ広場
旧市庁舎を右手に見た場所からの広場です。上の写真のやや左より、東向きです。
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そこから更に左=北側を見た写真(左)と、西側(来た方)を見た写真(右)です。
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市議会薬局
オーナーが市会議員だったという1422年創業の薬局。広場の北東の角にありました。
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ドイツ語にすると、Rats(市議会の)apotheke(薬局)になります。



カタリーナの小径
タリン旧市街においても、最も中世らしい場所ということで、連れて行って貰った通路。。。
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。。。中世薬局の角から更に東にあります。ガイドさん撮影の写真が一番それらしいので採用 (^^ゞ

カタリーナの小径で週末はランチも営業しているイタリアン(椅子と机が片づけてある)の前(左)と
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チョット覗いてみた小間物屋(右)。



カタリーナの小径からヴィル門に移動して、ヴィル門から見たラエコヤ広場方面の市庁舎。。。 
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。。。残念ながら、ヴィル門は撮り忘れです (>_<)
市庁舎の塔は高さ65mあって、タリンのシンボルであるトーマスおじいさんが街を見守っています。。。拡大して貼り付けました。

ここでツアーは解散です。我々は、軽くランチを食べることにして、ラエコヤ広場で食べるところを物色。。。改装中の市庁舎1階にあるお店に入りました。



Ⅲドラゴンという居酒屋です。

まぁ、兎に角、変なお店でした。。。その店を仕切っているのは、つっけんどんなお婆おばば
 家内:マッシュルームのコロッケが食べたいのだけど。。。
 お婆:判る??マッシュルームは秋口にしか獲れないんだよっ 今あるわけないじゃないのっ
 家内:じゃぁ、何があるの?
 お婆:ほうれん草のパイならある・・・(家内)これでOK
 私 :(メニュー板見ながら)このSeasabaって何?(鯖の照り焼きを期待しつつ訊いてみました)
 お婆:豚の尻尾だよ、美味しいよ、食べてみるかい?・・・(私)OK食べてみるあとラガーね。
 お婆:・・・でチップは私にいくらくれるんだい?・・・(私)10%
ってな会話をテンポよく交わします。但し、お婆は、怒ってんのか?と思うくらいつっけんどんな言い方でした。家内は横暴なお婆と言ってますが、私は日本人は優柔不断で決断が遅いから、この位言わないと仕事が捌けないのだろうくらいにしか、その時は思っていませんでした。
帰宅後に確認するとネットでの口コミは(本気で怒っている人もいて)散々なものがありますが、わざと中世の居酒屋を演出していたつもりのようでした。
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その豚の尻尾です。まず、終端部から齧ってみましたが、硬くて食えない。。。ちぎれた端部が写っています(右)。次に根っこの方を食べると。。。これがとろける様に美味しいうまい!うまい!うまい!
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市庁舎は工事中ですので、まぁ、よくもこんな店に入ったな、と思うほどの店でしたが、ちゃんと工事中にもかかわらず営業中であることの表示は、されていました。。。中世らしく、皮肉っぽく?


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豚の尻尾という珍しくも美味しいモノが食べられたし、ラガーも飲めたし、私にとってはソコソコに楽しいお店でした。

実は添乗員さんお奨めの店ですが、ひょっとして彼も奨める相手は選んでいるのかも知れませんね (^^ゞ





昼食後の自由散策は、旧市街下町の北部を周ることにしました。地図はこちらをご参照下さい。

ラエコヤ広場広場からピック通りを北上すると、右側に現われたのは。。。
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ブラックヘッドの会館







元は14世紀に組織された社交団体の建物。。。
16世紀に改築され、壁には騎士の姿やハンザ都市の紋章などを表わしたレリーフが飾られていました。

ドアは17世紀のものだそうです。











その先の公園があるY字路にあった。。。
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小さい礼拝堂

気になったので調べてみると、1909年建立の礼拝堂ですが、1960年代には電話ボックス、そしてキヨスクとして使われ、1990年代初頭に閉鎖された、ことが判りました。








ピック通りからヴァイム通りを使ってライ通りに出た所で北側を撮ったのが冒頭の写真です。黄色い建物を中心に並んだ3軒が。。。
三人兄弟です。特徴的な造りについては、後掲の三人姉妹の項に記載します。
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プレートタワー

三人兄弟の前の路地から、北西側城壁を見たところに監視塔が見えました。円筒形ではなく、一部に四角い平面。。。でプレート








三人兄弟から聖オレフ教会までの間に停まっていたバイクです。
チョット珍しいので、撮っておきました。ブリクソン フェスベルク125(左)とQJモーター SRV300(右)です。ブリクソンはストリートビューにも写っていますので、路駐常習者? (^。^)y-.。o○
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ブリクソンはオーストリアのKSRグループが英国をイメージして造ったモデル。QJモーターは中国プレミアムブランドの中国製バイク




alt直ぐに聖オレフ教会に到着しました。

13世紀には史実として記録されているそうですが、現在の姿になったのは1840年で、塔の高さは124m。。。15世紀には159mだったそうです。

オレフと言う名は建設に携わった人の名前で、完成寸前に十字架の取付調整中に彼が落下し。。。




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。。。口から1匹のヒキガエルと1匹の蛇が現われ、彼の身体は直ぐに石になってしまい、人々は彼を哀れんでその名を教会に冠した、という伝説があります。


聖オレフ教会主祭壇です。



教会の裏手(ピック通り側)に周るとありました 外壁に、その伝説の石を発見
キリスト受難の様子を描いたレリーフ(左)と、その下に横たわるオレフの石像(右)です。
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その後、ライ通りからトリ通りを使って再びピック通りへ戻ると(阿弥陀くじのようなジグザグ動き)。。。
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。。。そこには三人姉妹が建っていました。




前述の三人兄弟も同様ですが、15世紀に建てられたタリンの住宅は、ハンザ都市リューベックの法律に従っており、建物の正面部分は道路に面し、上部の壁にはクレーンが設置されて、屋根裏の倉庫への荷下ろしが出来るようになっています。

なお、1階は広い事務所と、その奥に住居が配置されているそうです。













三人姉妹の奥にはスール・ランナ門が。。。
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。。。そして、門の右奥にあるふとっちょマルガレータの屋根がチョコッと見えています。


この時点で、未だ13時半。疲れていたのと、翌日は帰国の日なので体力温存も考慮して。。。
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。。。門を出て直ぐの電停(スール・ランナ門)から。。。


。。。ホテル近くの電停Paberiまでトラム(ポーランドPESA社製ツイスト)に乗って帰りました。
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本当は船舶博物館になっている飛行艇埠頭にも行ってみたいと思っていたのですが、残念でした。
トラム車内前方(左)と、乗って来た2系統Suur-Paala行トラム(右)。




この旅最後の晩御飯は、何と日本食 ホテルに隣接するスーパーに行って買ってきた。。。
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。。。焼き鳥、巻きずし、サラダと赤ワイン、スパークリングワイン、そしてエストニアのビール。。。


。。。を、17時半頃から、こんな景色を眺めながらいただきました。この位が丁度良いうまい!うまい!うまい! 
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なお、このビールは一時期業務スーパーでも輸入・販売していたようです。今度見つけたら買ってみます (^^)/


そして、ここでも撮り鉄
2系統 Kopli ⇆ Suur-Paala 。電車は乗って来たのと同じツイスト(左)。また、前日にも。。。
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。。。撮っていました こちらはスペインCAF社製ウルボスAXL(右)。こちらの方が古く、採用した20両(501~520)全てに女性名の愛称が付けられています。上は513でKatariina、下は515でKoidula ちゃん?です


翌日は帰国の日です。正確には、午後からタリンを発って、ヘルシンキ経由で日本に向かう日で、午前中はタリン郊外のエストニア野外博物館を見学します。



つづく



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 ◇ バルト三国(その13:スィグルダの次はリーガに戻って。。。)
 ◇ バルト三国(その14:ラトビアからエストニアへ)
 ◇ バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)



Posted at 2025/09/13 22:09:37 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年09月07日 イイね!

バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)

バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)タリン二日目(5月28日)はタリン旧市街の観光です。
結構な内容になりそうなので、適当に2回に分けてアップしようと思います。

タリン旧市街は城壁に囲まれており、その城壁内は左図のようになっています(「ガイドブック・地球の歩き方」から借用しています)。
タリンの全体図(下図)にも記載されていますが、トームペアという丘を指す「山の手」(西南方向)と、ラエコヤ広場を中心とした「下町」(東側)に分かれています。


      何れの画像もクリックで拡大します。


11世紀にはエストニア人がタリンに砦を築いていたそうですので、他のバルトの国と異なりエストニアは少しばかり古い歴史を持っているようです。因みにラトビアのリーガで13世紀初頭、リトアニアのヴィルニュスで14世紀なって初めて記録に登場しているとのことです。

alt13世紀にはデンマーク王によって砦は占領され、トームペア城が築かれます。これをデンマーク人の城、町=Tanni Linn と呼び、タリンと言う街名の由来になったと。。。その後、ドイツ騎士団に占拠されたリもしますが、ハンザ同盟加盟等で繁栄するも、16世紀からはプロイセン、ロシアなどに加えて北欧までも取り合いに参加。。。以降、1940~1990年代まではソ連が支配、2004年にEUに加盟というところまで殆ど三国とも同様です。


この日は、ツアー客全員で貴族たちが暮らしていた「山の手」を最初に見学し、その後、商人や職人たちが築いた「下町」に降りて要所を案内してもらい、午後からは自由行動の予定です。


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タリンのホテル=Swissotel Tallinスイスホテルで最初の朝食です。レストランは7時開場でした。

こちらは2泊しますが、ここも安心の朝食。。。だけど、ブッフェなので、いつも同じようなメニューになってしまいます。
ここでも出来立てのオムレツが提供されます。






ホテルをバスで9時に出発、「山の手」の城壁近くまで送ってもらいました。

徒歩でトームペアの丘まで上がって城壁内へ進みました。

トームペア城のっぽのヘルマン
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11世紀に造られた砦は13世紀にはトームペア城に進化、お城はその後もその時々の支配者により増強され、18世紀に現在の姿になっています。こののっぽのヘルマンと呼ばれる塔(左)は15世紀に造られたままの姿をとどめており、エストニアを象徴する存在になっています。


国会議事堂
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トームペア城は、現在は国の議会として使われており、議会開催中だったのか議員さんが登院される場面を目撃しました。


アレクサンドル・ネフスキー聖堂
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帝政ロシア統治時代の1901年に建てられたロシア正教会で、トームペア城の真正面に位置しています。1904年が日露戦争ですから、以降、ロシア革命、2度の世界大戦を経てソ連時代も含めてロシアの権威を象徴する建物です。この建物がトームペア城(=国の議会)の正面にあるのは、エストニア人としては気分の良いものではないでしょうね。
堂内も見学できましたが写真はNG。なので撮っていませんが、日露戦争戦没者の慰霊碑(パネル)がありました。戦没者とは。。。統治していたロシアから徴兵されたエストニア人の方々なのでしょう。。。何とも哀しい話です。


聖マリア大聖堂
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「山の手」の北端にあるパットクリ展望台に向かって歩いている途中にありました。こちらは13世紀以来、タリンにおける中心的教会になっているエストニア最古の教会です。内部の見学はしませんでした。


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政府機関


こちらも展望台に行く途中にありました。
高級車が続々と。。。普通の官僚ではなく大臣クラスの登庁でしょうか。。。送ってきては、狭い路地でUターンして戻っていきました。





パットクリ展望台
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展望台からは「下町」を見渡すことが出来ますので、皆さん景色をバックに記念撮影されていましたが、写真そのものは、この後に訪れた聖ニコラス教会の塔の上からの写真と同類ですので、ここでは代表2点だけを。。。聖オレフ教会(左)と聖霊教会(右)、何れも背後はタリン港。



こちらは、「山の手」を南側に戻って来たところで南端を見た景色です。
キーク・イン・デ・キョク一番奥の塔ネイツィトルンひとつ手前の塔
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キーク・イン・デ・キョク・・・妙な名前です。「台所を覗け」という意味だそうです。
ネイツィトルン・・・中世には売春婦の牢屋として使われたそうです。
この左手に見えている城壁をくぐると。。。


。。。 デンマーク王の庭 へ出ます。
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ここでは、デンマーク国旗の起源となる出来事が13世紀に起こったそうです。残念ながら、私は記念のデンマークの国旗、見落としました (>_<)


デンマーク王の庭から リュヒケ・ヤルク通り を通って「下町」に向かいます。
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ここで、「山の手」と「下町」の高低差24mが実感できます



「下町」で最初の観光は 聖ニコラス教会 です。
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13世紀、ドイツ人商人の居住区に建てられました。

1944年にはソ連の空襲で破壊され、内装は修復されています。




展示品としては貴重なものが多くあり。。。




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。。。主祭壇もそのひとつで、屏風みたいな観音開きの主祭壇に絵画が施されています。




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絵画は、15世紀のドイツのハンザ都市リューベックの職人、ヘルメン・ローデの手により。。。



。。。左側には、船乗りや貧しい人々を救う聖ニコラスの生涯が描かれ(左)。。。
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。。。右側には異教の偶像を破壊し殉教した聖ヴィクトルの生涯が描かれています(右)。



また、同様にリューベックのベルント・ノトケによって15世紀に描かれた「死のダンス」は必見です
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巾7.5mのキャンバスには、左から教皇、皇帝、皇后、枢機卿、国王が骸骨のような死神と踊る様子が描かれています。
この絵のテーマは死の普遍性を強調するものですが、14世紀に流行ったペスト、黒死病によって、更に注目を浴び、死神と踊る人間、その対話を記した注釈(足元に描かれている巻物?に書かれています)は、死を前にした人間の平等性を強調していると評価されています。


高さ50mまでエレベーターで上がることが出来る聖ニコラス教会の塔に上がってみました。
以下は、そこからの眺めです。

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まずは「山の手」にある

アレクサンドル・ネフスキー聖堂。。。



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。。。と聖母マリア大聖堂。


塔高50mが「山の手」との標高差24mを縮めています。







北側、バルト海のフィンランド湾を見たところで、
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聖オレフ教会(左奥)と聖霊教会(右手前)、そしてラエコヤ広場(右下)。




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聖オレフ教会をズームアップしてみると、尖塔が3種類あることが判りました。







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最後に新市街方面。。。南東方向ですが、この高層ビル群の一番奥に宿泊しているSwissotel Tallinスイスホテルが写っています。




















既に11時半です。このあとは小一時間ほど旧市街を散策=ざっと案内してもらって解散、各自昼食をとって、午後は自由行動となりました。



つづく



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 ◇ バルト三国(その14:ラトビアからエストニアへ)


Posted at 2025/09/07 21:13:39 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年09月01日 イイね!

バルト三国(その14:ラトビアからエストニアへ)

バルト三国(その14:ラトビアからエストニアへ)東北旅行や8月の仕事等で、気が付けば1か月も間が空いてしまったバルト三国ブログ。。。再開します。恐らく、あと2回ほどで完了すると思いますが。。。

ラトビアの首都リーガを出発して約20分、Juglaジュグラという路面電車・東側終点にて撮った写真です。電車(シュコダ15T)の行先は西側終点のImantaイマンタになっています。


                   何れの画像もクリックで拡大します。


3泊したから3度目の朝食。。。Radisson Blu Latvija Conference & Spa Hotel 最後の朝食です。
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リーガからエストニアの首都・タリンまでは、中欧で幹線道路の役割を担っているE67を北上します。
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E67は、チェコのプラハから、ポーランド、リトアニア、ラトビア、エストニア、そして海路(フェリーです)を経てフィンランドのヘルシンキまで1630kmも続いています。幹線の割には往来が少ないなぁと思っていたら、対向車がバッチで(群れになって)やってきますので、ひょっとしたらと思ったのですが。。。


。。。案の定、片側交互通行です。サラクグリーバという街で橋の付替え工事をしていました。
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おかげで対向車(トラックがメインです)をじっくりと観察することが出来ました (^^)/ 待ち時間は10分も無かったと思います。


エストニアとの国境近くで見た標識です(左)。この日、最初の目的地パルヌが近づいています。
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工事現場から10分ほどのドライブで、ラトビア~エストニアの国境です(右)。最終目的地であるエストニアの首都・タリンまでは、未だ200kmもあります。



エストニアで最初の観光スポット・パルヌに到着しました。
パルヌは、バルト海に面したエストニア屈指のリゾート地として知られています。

バスを降りて防風林の中を歩いていると、ツアーのメンバーが教えてくれた看板(左)がありました。
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自転車道なのは判りますが。。。帰宅後、こちらのサイト(右のような画面です)をみると、看板に記載されていた Route10(Baltic Sea Cycle Route)は9ヶ国に亘り9,100kmを、そして Route13(Iron Curtain Trail)は20ヶ国に亘り10,600kmを走破する自転車道にであることが判りました 欧州は地続きですからスケールが違いますね。特にRoute13は鉄のカーテン路 旧共産圏との国境に沿って走っています。  勉強になりました。



防風林を抜けると、目の前に開けていた。。。

バルトの海   パルヌの海岸は恐ろしいほどの強風でした。
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バルト三国を旅していても、内陸部にあるリトアニアの首都・ヴィルニュスからほぼ真っ直ぐに北上していますので、エストニアに入ってようやくバルト海を目にした、という状況です。



昼食は、海辺のリゾートホテル Hedon SPA & HOTEL内のレストランでいただきます。

ホテルには客室のバルコニーが眩しく映える裏口から入りました(左)。
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前菜は山羊のチーズが乗っているサラダ。。。好みです、そして美味でしたうまい!うまい!うまい!(右)

メインはサーモンのソテー。付け合わせはアスパラとほうれん草と何か? どっちもうまい!うまい!うまい!
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デザートはチュロス(左)。ソースはホットチョコ、カラメルでしたか。黒糖じゃないよね?
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そして、こちらがホテルの正面玄関。。。から出ました。SPA & HOTEL と謳っていますが、ここのスパは泥風呂がウリだそうです。




昼食後は、腹ごなしに?パルヌの旧市街を散策します。

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こちらはタリン門

Wikipediaでは、バルト諸国で現存する唯一の17世紀に建てられた門であると結論づけられています。注)本文を読むと16世紀~18世紀の間に建てられたことは言えそうですが。。。

ここで思い出したのは、ヴィルニュスで観た夜明けの門。。。こちらは、確か16世紀に造られたと言うことでしたので、混乱しますね。

まぁ、とにかくエストニアの首都・タリンへ通じている門ということで、パルヌにあってもタリン門、と言われているようです。


続いては。。。
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アウグスト・ヤコブソン記念碑。

パルヌ出身の劇作家、政治家です。

ソ連の統治下において、エストニア・ソビエト社会主義共和国の最高会議幹部会の議長を務めていたそうですが。。。





以降、散策した順番に(保存されている画像の順番に)続けます。


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エカテリーナ教会(ロシア正教会)。

ロシア皇后エカテリーナⅡの命令と資金援助により、1768年に建てられており、皇后の名前に因んでエカテリーナ教会と名付けられました。





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エリザベート教会


こちらもロシアの影響を受けています。

1744年着工、1747年完成のルーテル教会です。

ロシア皇后エリザヴェータが寄進したことで、エカテリーナ教会と同様、皇后に因んだ名称になっています。



ロシアの皇后は、この地の人々を慈しんでいたという訳ではなく、当時はロシア皇帝軍がこの地方に駐屯しており、駐屯軍兵士のための教会という位置づけではないかと推測します。





街歩きを続けます。気儘に撮った画像の中に、お茶目な婦人警官が入っていました。
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さて、こちらは最後に観たレッドタワーです。





建設時期に関しては諸説あるようですが、パルヌの要塞化工事の一環として、城壁の南東の角に建てられたようですので、ここが旧市街の南端部になります。





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ニューアート美術館です。

この裏に長距離バスセンターがあり、そこでツアーのバスと合流し。。。







。。。一路、エストニアの首都・タリンへ向かいます



タリン到着
パルヌ街道(E67)を約2時間北上。。。タリン旧市街が見えて来ました バックは聖ニコラス教会。
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一旦、ホテルにチェックインして休憩ののち、向かったのは、ミシュラン掲載ということで楽しみにしていたレストラン・Fotografiska 。。。ですが、なかなかいただけないレストランでした (>_<)

まずは、レストランの客としては、ツアー客が2xN名(正確に覚えていませんが偶数名でした)に、添乗員さん2名を加えた 合計2x(N+1)名という総数です。ところが、用意されたのは、生憎、片側N-1名(のサイズが長いスペースにキッチリ)のテーブルでした。なので両側で2x(N-1)名は普通に座れます。
そこに、無理やり2x(N+1)名を押し込みましたから、4名の定員オーバーです。その4名を、両端の(議長席になる)テーブルに押し込みました。つまり、定員2名のテーブル面に4名ずつが座る羽目になりました。
流石に、このレイアウトでは添乗員さんも無理と判断されたのでしょう。添乗員さんの2名分は別室にテーブルを用意してもらって、両端は定員2名に3名で座ることになりましたが、両端各3名のお客さんは狭い思いをしていました。また、この旅最後の(メンバーが全員揃っての)夕飯だったのに、添乗員さんとは別々に食べることになって残念でした。

この段階で、何と気の利かないスタッフだろうと思っていたところ、やってきたビールが(写真を撮っていれば良かったと後悔していますが)、定量の2/3も注がれていなく、それも泡が切れ切れに汚らしく注がれています。一応、苦情を言ったので”修正”これを”辻褄を合わせ”とも言う (-_-メ)して持ってきたのが、このビールです(左)。泡だけ上から足しているのがミエミエで気分は最悪です (>_<)
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実は、名古屋駅新幹線ホームのキヨスクで同様の事例に出くわしたことがあります。生ビールの樽が最後の1杯未満になった時点で注いだところ、このようなことが発生したのです。軽く指摘しただけでしたが、キヨスクでは、サッと配管を新しい樽に繋ぎ変え、勿論グラスも換えて、新たな1杯を提供してくれました。

ミシュラン掲載店が泣きますね (≧◇≦) 名古屋駅ホームの立ち飲み以下です。座席の準備と言い、泡だけつぎ足したことと言い、日本人を舐めていますね旅行社のホームページを見ると、未だにこの店使っています。信じられん (@_@)
あまりの出来事に、前菜・サーモンマリネ(上右)の味は覚えていません。酸っぱかったような気がしますが、家内は美味しかったと言っていますので、美味しかったのでしょう (-_-メ)。

続くメインは、ビーフステーキ(左)。はっきり言って硬かった That's all です。
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デザートは、バスクチーズ(右)。。。と書いてあったと思いますが、出来損ないのババロアみたいでした。味はそこそこ・・・


「ミシュラン掲載」にしては、何なのこの店は???とあまりにも気になったので、帰宅後に軽く調べてみると、星無しのグリーンスターであることが判りました。

マイナス面だけじゃ、私が単なるカスハラかクレーマーしているみたいで癪ですし、気の毒でもあるので、良い面も無理やり。。。そう、ロケーションは抜群でした ロケーションだけはね ミシュランもこれを評価しているのでしょう 笑  食後にテラスで少しだけ記念撮影。。。皆さんは記念撮影されていたようでしたが、私は撮り鉄していました (^^ゞ


景色を若干説明すると、頭が黒い塔は、左から聖母マリア大聖堂、聖ニコラス教会、アレクサンドル・ネフスキー教会です。右端の褐色の塔は、トームペア城城壁の一部・のっぽのヘルマンです。
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左奥にあるタリン駅に到着しつつある列車は、エルロン(エストニアの国鉄)の1300形電車です。この電車は、スイスのシュタッドラー・レール社製で同社のFLIRTが原型になっています。



つづく



【関連のブログ】
 ◇ バルト三国(その1:速報)
 ◇ バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
 ◇ バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
 ◇ バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
 ◇ バルト三国(その5:トラカイへ)
 ◇ バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
 ◇ バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)
 ◇ バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)
 ◇ バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)
 ◇ バルト三国(その10:リーガ旧市街)
 ◇ バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)
 ◇ バルト三国(その12:トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟)
 ◇ バルト三国(その13:スィグルダの次はリーガに戻って。。。)


Posted at 2025/09/01 23:23:07 | コメント(1) | 海外(遊び) | 日記

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