• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

TMKのブログ一覧

2025年03月25日 イイね!

フランス旅行(その3:シャンボールまで)

フランス旅行(その3:シャンボールまで)シャルトルの大聖堂を見学の後は、高速道路A10に戻ってシャンボールを目指しました。

メールというICで高速道路を降り、地方道を通ってシャンボールに向かう途中に見えてきたのは。。。


       何れの画像もクリックで拡大します。


alt


サンローラン原子力発電所です。




1983年に稼働を開始したフランス製のプラントで、ロワール川の水で冷却されているそうです。




alt






そのロワール川に架かる橋。。。

修理中で片側相互通行でした。







そこからは直ぐにシャンボール城に到着(15時)。

ロワール地方随一の美しさを誇るシャンボール城の全景です
いかにもな写真です。 下調べの時点で撮りたかったのですが、普通のルートで城内に入るとしたら、
alt
撮れないだろう、と諦めていました。ところが添乗員さんが勘違いして、こちら(表玄関)側に案内してくれたので、水鏡は撮れませんでしたが、この北西方向からの1枚を撮ることが出来ました。


この日の入場口(フランス国旗の下です)は正反対の南東方向にありました(左)。
altalt
厳重なセキュリティチェックの後、説明用タブレットを受け取って入場します。中は、螺旋階段を中心に用途別に各部屋が配置されていました。


確か4階まで続いていた螺旋階段・・・現在の低層階ビルにも使える構造ではないかと思います。
alt


螺旋階段を屋上まで上がって眺めた南東方向の庭です。フランス国旗の下に入口があります。
alt
庭の並木は四角い形に仕上げられています。これをカーテン剪定と言うらしいです。現在のフランスではポピュラーな剪定法ですが、当時は権力の象徴であったとの説明でした。


東側方面の景色です。コソン川が東側から北側に向けて流れています(左)。
altalt
この城には尖塔ではなく、丸いドーム状の塔が幾つも造られています(右)。 日本で言うところのうだつに相当する富の象徴であったようです。


北西側の眺めです。最初に撮った写真全景の写真は左奥に見える橋のたもとで撮ったものです。
alt


alt


梱包された木箱が展示してありました。

1932年、ナチスが政権を握るとともに、フランスは美術品の避難計画を立案し、その後、順次避難させたましたが、シャンボール城はその避難品の数々を仕分けするトリアージ センターとして活用されたようです。




alt


敷地内の南側には、小さいながらも端正な教会が建てられていました。










お城の南西側の面を西側から(左)と、南側から(右)見た画像です。
altalt


西日を受けて輝くシャンボール城。。。広大な見学範囲でしたので、集合時間に遅れた人々を。。。
alt
待っている時間を利用して、最後に駐車場から撮りました



17時、若干遅れてシャンボール城を後にし、この日の宿泊地トゥール市に向かいました。

alt


出発直後、地方道84号からロワール川沿いの951号に出るT字路で見かけた交通事故です。
発生直後でした。

写真は右から左に向かう直進車だと思われます。







ロワール川沿いを走ること5~6kmで現れた水道橋です。遠くから良く目立っていました。
alt
良く判りませんが、クリスマス高架橋 by Google Map ということでした。



最後になり恐縮ですが、写真に方角を付けて解説していましたので、方角が判りやすいように
alt
Google Mapの航空写真を添付します。 南東の庭北西の庭を目印にご参照ください。



つづく


【関連のブログ】
 ◇ フランス旅行(その1:速報)
 ◇ フランス旅行(その2:シャルトルまで)


Posted at 2025/03/25 22:28:55 | コメント(1) | 海外(遊び) | 日記
2025年03月22日 イイね!

フランス旅行(その2:シャルトルまで)

フランス旅行(その2:シャルトルまで)速報以来、音沙汰無しだったフランス旅行のブログを再開します。
3月12日に帰国しておりましたが、時差ボケ修正、横浜で仕事等があり、放置していましたが、ようやくです。


3月5日夜は、CDGシャルル・ド・ゴール空港に到着後、空港と同じロワシー地区にあるホテルに宿泊し、翌朝からのツアーに備えました。


      何れの画像もクリックで拡大します。



alt

3月6日の朝食です👉👉👉👉👉

違和感のない安心の朝食です。
美味しいミニトマトでしたうまい!

ただ、朝食会場入りからチェックアウトまで1時間という慌ただしさです (+_+)

ゆっくり🚽に行けないと、道中がふあんフアン不安







この日は、ロワシーからパリの外周部を周り、ロワール地方を1)シャルトル、2)シャンボール、で観光し、3)トゥールまで移動して宿泊するという行程です。

パリの外周部で事故渋滞に引っかかりましたが、その後はA10からA11と高速道路を順調に乗り継いで、A11をシャルトルICで降りた時は20分遅れの行程でした。
ICから一つ目のラウンドアバウトまで来ると、もうシャルトル市に入っており、シャルトル大聖堂が遠くに見えてきます。この日ひとつ目の観光スポットです
alt


alt
ウール・エ・ロワール県の県庁所在地でもあるシャルトル市は、奈良県桜井市と友好都市になっています。

市街地の入口には、燈籠を置いた簡単な日本庭園(桜井公園)がありました。








クルティーユ通りを通るバスから撮ったシャルトル大聖堂。。。南側から見た全体像になります。
alt



シャトレ広場でバスを降りると、広場には#Chartres=お約束の文字モニュメントが そして、その向こうには良い感じでシャルトル大聖堂が見えてきました。
alt
西側前方部分が入口となっており、そこにある二本の尖塔は形が異なることが良く判ります。右側が12世紀以来建っているもので、左側は16世紀に造られたものだそうです。


その西側前方の入口です。ここは王の扉口と呼ばれています。中央の扉の上部アーチには。。。
altalt
中央にキリスト、左下から時計回りに獅子・マルコ、人間・マタイ、鷲・ヨハネ、牝牛・ルカ。。。と主な重要人物が彫られています。また、下部には12聖人が彫られています。


中に入ると、大きな空間に大勢の観光客。。。にしては、皆さん静かに過ごしています。この大きな空間をご本尊を中心に反時計回りに周ることにします。 最初に惹きつけられたのは、冒頭の画像・・・ステンドグラスです。これは南側の扉口の上部に取り付けられている薔薇窓ランセット窓です。

奥の方に行くと、壁には沢山の彫刻があります。聖母マリアとキリストの生涯を表しているそうです。
altalt


alt
一番奥の方だったと思いますが、独立した礼拝堂がありました。

冒頭の画像をはじめ、これらのステンドグラスはシャルトルブルーと呼んで称えられるほど青色が綺麗に出ており、時間を忘れて見入ってしまいました。




alt























👈こちらは。。。
ほぼ一周して、ご本尊を振り返ったところです。


ここでもシャルトルブルーが綺麗でした。









一周しているので、正面には最初に入ってきた西側にある入口が見えます。

左側が南面で、右側が西側の入口上部にある薔薇窓とランセット窓です。
alt


             薔薇窓                         ランセット窓
altalt
今になって思えば、北側にも綺麗な薔薇窓があったはずなのですが、陽当りがイマイチで、シャルトルブルーを堪能出来なかったことが残念です。北側とは言え、厳密には北西方向ですので、夕方になれば陽当りは良くなるはず。。。今後、行く予定の人は、午後の観光が良いかも知れません。




外に出て南側側面からも外観を眺めてみますが、大きすぎて画面には入りきりません。
altalt


南側扉口です。  この上部にある窓を室内から見たのが冒頭の画像になります。
altalt
扉の中央柱はキリストです(左)。また、アーチ部には最後の審判の様子が彫られています(右)。



集合時間まで時間があったので、旧市街も少し歩いてみました。
altalt

altalt
旧正月のお祭り騒ぎが終わった後でしたので、その文化圏の人々の姿はなく、実に静かな佇まいの街を感じることが出来ました。 旧正月後であったこと。。。今回の旅行で良かった点のひとつとして挙げることが出来ます。





これで、ひとまずシャルトルの観光は終了し、シャトレ広場に面したレストランで昼食になりました。
altalt
まず豆のスープ・・・カレー風味でしたが、カレーが苦手の僕でも大丈夫でした(左)。
続いて鱈系の魚。。。クリームは美味しかったですが、もうちょっと塩味があっても良いかな?という感じです。歳のせいか???(右)



昼食後は、更に120kmほど南のシャンボールに向かいます。



つづく


【関連のブログ】
 ◇ フランス旅行(その1:速報)



Posted at 2025/03/22 08:18:18 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年03月14日 イイね!

フランス旅行(その1:速報)

フランス旅行(その1:速報)3月5日から12日までの間、フランスllllllに行っておりましたので、みんカラ。。。全く使えませんでした。

これまで、仕事で何度か、また欧州旅行のついでにパリに宿泊したことはあるのですが、フランス及びパリの観光を主目的とした旅行は初めてです。
このコースを選んだ理由はモンサンミッシェルが含まれているから家内の選択です (^^ゞ


                     何れの画像もクリックで拡大します。


最近は深夜便で欧州に行くことが多かったのですが・・・
alt


今回は、久しぶりに昼間発の便でしたので、念のために早朝に家を出て関空へ向かいます。


すると、阪神高速を通るリムジンバスから、大阪港に入るクルーズ船、ノルウェージャン・スピリットが見えました。



alt
乗るのはエールフランスエアバスA350
当然ですが、欧州のエアラインはエアバスが多いですね。

因みに、エールフランス機に乗るのは40年ぶりです
エコノミークラスでしたが、トイレは頻繁に掃除しているし、アルコールは呑み放題。。。サービスは◎でした。




コースの概要はこんな感じです👇   ロワール地方からノルマンディー地方を3日間で周って
alt
最後はパリに3泊します。



取り急ぎ、速報ということで、各所1枚ずつの写真or動画をアップします。


最初はロワール地方です。まず訪れたシャルトル大聖堂 
alt



続いてはシャンボール城 古城が多いロワール地方において随一の美しさです。
alt



トゥール駅近のホテルMercure Tours Center Gareからのトレインビュー




続いてノルマンディ地方に入って。。。モンサンミッシェルで迎えた朝 
alt



そこから北上してルーアンノートルダム大聖堂
alt



alt







最後はパリに戻ってきました。



パリにはゆっくりと3泊したので、最終日の夜はセーヌ川ナイトクルーズを楽しみました



この日は月齢11.2 十三夜の月🌔でした。

パール・エッフェル塔と言えるでしょうか? 
船から須磨穂ちゃんで写したものです (^^ゞ









つづく
Posted at 2025/03/14 07:58:11 | コメント(2) | 海外(遊び) | 日記
2025年02月21日 イイね!

スロベニア・クロアチアの旅(その15:【完結編】ドゥブログニクの午後から帰国まで)

スロベニア・クロアチアの旅(その15:【完結編】ドゥブログニクの午後から帰国まで)ドゥブログニクの午後は、まず城壁巡りをやった後、遊覧船で海から旧市街を眺めることにしていました。

他のツアー客は遊覧船観光を優先したので、夕方の集合までの自由時間は二人っきりで過ごすことになります (^^ゞ


      何れの画像もクリックで拡大します。



夕方まで目いっぱい観光

遊覧船の出発時刻までの20分ほどを、指定された旧港にある船着き場で待っていると。。。
alt
このテントの中でお待ちにお客さんから、「君たちはクリスタル・クルーズだから、この船着き場じゃないよ~」と言われました。
リュックに付けていたツアーのバッジ👉altを見て教えてくれたようです。確認すると、彼らは沖に停泊中のクルーズ船ロストラルの乗船客でした。
このオレンジ色のテンダーボートで旧市街地に上陸して観光を終え、ロストラスに戻るところです。



気の良い人たち。。。同じ東ヨーロッパで戦争しているのがウソのようです。


クリスタル・クルーズ  こんな所でクリスタル・クルーズの名前を聞くとは予想もしていませんでしたが。。。
元々は日本郵船が設立したクルーズ専門の子会社です。 紆余曲折があった後、現在はイギリスの会社が2隻のクルーズ船(クリスタル・シンフォニー及びクリスタル・セレニティ)とブランド使用権等無形資産を取得し、この2隻のクルーズ船を運航中です。なお、過去にクリスタル・クルーズ社が所有していたクリスタル・ハーモニーを郵船クルーズ社に売却、郵船クルーズはこれを飛鳥Ⅱとして運行中です。


さて、やってきたちっぽけな遊覧船に乗り込みます
風が出てきたアドリア海で遊覧船は大揺れしていますが、高級リゾート感満載の景色を楽しみます。
alt
ロクルム島の北岸まで来ました。 少し大きな観光船に乗った他の人たちは、島の南側を周ったそうですが、南岸には見事なヌーディストビーチがあって、写真を撮るのも憚られたと言ってました。


出港後、聖イヴァン要塞を周ってボカール要塞(手前)、ロヴリイェナツ要塞(奥)を巡ります(左)。
altalt
その後、ロクルム島の北側まで来て(右、上上)。。。


。。。ドゥブログニクの東岸に沿って(左)旧港まで戻ります(右)。
この辺りも、草原に岩肌が点在する典型的なカルスト地形であることが判ります。
altalt
ドゥブログニク旧市街、旧港を海上の正面から眺める珍しい画像だと思います(右)。
正面に聖イヴァン要塞、その奥が旧港、左奥にボカール要塞、右上がミンチェッタ要塞です。




下船後は、旧港に近い聖イヴァン要塞にくっついて建っている海洋博物館に入りました。
altalt
ドゥブログニクは、イタリア半島とバルカン半島の間にあるアドリア海に面しているからでしょうか。。。第一次世界大戦までは蒸気船の建造でも頑張っていたようです。また、一帯にある塩田で採れる塩は、ドゥブログニクの貿易船団において重要な収益源になっていたようです。
altalt




集合時刻までの時間に、午前中にザッと案内してもらった教会を訪ねてみました。

聖ヴラホ教会・・・ドゥブログニクの守護聖人・聖ヴラホを祀ってあり、主祭壇には聖ヴラホの銀製の像があります。午前中の旧市街散策の際に通ったプロチェ門にあった像と同じ形をしています(右)。
altalt


セルビア教会・・・ルジャ広場の一等地にある聖ヴラホ教会とは違って、狭い路地の裏通りに建っていました。真っ白な壁が青空に映えていました。
altalt


その後、総督邸、ルジャ広場周辺の土産物店を見ているうちに集合時刻となり、あと幾つかある教会には入らないまま、ドゥブログニク旧市街の観光を終えることになりました。






この旅、最後の晩餐。。。ここで、50年も前の偶然が判明

この日の夕食は自由に食べて下さいとのこと。。。ドゥブログニク旧市街で食べることも考えたのですが、宿泊しているHOTEL MOREには、街からもディナー客が来るほどのレストランが併設されているので、夕食はホテルでとることにしました。

勿論、アドリア海に沈むが観賞できるロケーションにも期待しての選択です (^^ゞ
alt

少しだけ早くレストランに入り、沈むを観ながら、同行の皆さんと楽しい時間を過ごしました。

alt


こちらで夕食を食べたのは7名。料理が出てくるころには、すっかりマジックアワーになっていました。
alt


分量が多いことを見越して、いつも通りカルパッチョ(左)とステーキ(右)をシェアしましたうまい!うまい!うまい!
altalt




altクロアチア最後の夜。。。この日は私の誕生日でした。前日には、既報のとおり添乗員さんからプレゼントを頂戴しましたが、この日はホテルからお祝いをしていただきました。

美味しそうなワインでしたので、旅行中、とても仲良くしていただいたM夫妻にお声がけし、夕食後に自室で改めて🥂を~ 
【注】マジックアワーの写真👆はM夫人撮影です。

帰国前日で荷造りにお忙しいところ、お引止めし話しが弾んだ結果。。。何と50年前にMご主人と私は、横浜の片隅で生活圏を同じくしていて、しかも(もう故人になりますが)共通の知人がいて、二人ともその人に大変お世話になった間柄であったことが判明したのです!! 
立場が違っていたので、知り合うことは無かったでしょうが、恐らくお互い見かけたことがあった可能性は高いだろうと思われます。
50年も前の偶然に驚愕&感激したものでした。






帰路も面白かった

翌9月30日は帰国の日。。。5時半起床、6時半荷物回収&朝食開始、7時半出発。。。と慌ただしくドゥブログニク空港へ向かいました。

その後、行きと同様にFinnair🛫でヘルシンキへ。ヘルシンキでは2時間ほど乗り継ぎの待ち時間がありますが、Finnairはスターアライアンスグループではなくラウンジが利用できないので、勝手に(自由に?)Nordic Kitchenでランチ(左)。サンドイッチもスカンディナヴィアン🍺も美味しかったですうまい!
altalt
関空行きのFinnairに乗り込むと間もなく機内食が出てきました(右)。こちら、チキンとポテトサラダが日本人向けで美味しかったですうまい! ブロイラー状態 (/ω\) ・・・と、ここまでは順調でしたが。。。


映画を見ながらの食事も終わって、ふと航路図を見ると。。。
alt
せっかくドゥブログニクから3時間もかけてヘルシンキまで北上したのに、この飛行機は、北極まわりではなく南の元いた方向(ドゥブログニクの方向)に向かっているではないですか!! 我が目を疑いました!! 目悪いですけど。。。
往路は北極まわりでしたし、わざわざ3時間北上したのですから、普通は北極まわりだと思いますよ? ねっ? ネッッ!!!

往復で6時間(ヘルシンキでの待ち時間を入れると8時間くらいか?)も行ったり来たりしていたことになります。

それでも、順調なのですけどね、航路図さえ見なければ! 南に向かっていることに気づきさえしなければ、何とも思わないわけですからね (^^ゞ




すっかり諦めた私は、映画三昧、音楽三昧しながら、文句も言わず普通に機中の人していました。
altalt
それでも、忌々し気に証拠の航路図は撮っていました。 タシケントの北方です(左)が、今でも信じられません。ホントは北極まわったのじゃないの?って。 そして関空到着です(右)。






この旅を一言で表すと。。。
スロベニア・クロアチアの旅。。。満足した!! です。
自然の景色、旧市街の散策など奥深く、盛りだくさんで、最初から最後まで充実したツアーでした。未だイタリアにも行ったことがない我々が、いきなり古代ローマ帝国の深い歴史の一部を少しだけ味わうことが出来たのも想定外でした。あと数年は海外を楽しみたいと思っており、改めて、いつかはイタリアへ、と思うこの頃です。




   - 完 -   海外旅行ブログとしては珍しく完了までこぎつけました (^^ゞ




【関連のブログ】
 ◇ スロベニア・クロアチア(速報)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その1:リュブリャナまで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その2:ブレッド湖まで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その3:ブレッド城からポストイナまで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その4:ポストイナ鍾乳洞からクロアチアのオパティアまで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その5:イストラ半島 ①モトブン)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その6:イストラ半島 ②ロヴィニ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その7:イストラ半島 ③プーラからオパティアへ戻る)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その8:ラストケ村経由でプリトヴィッツェ湖群国立公園へ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その9:プリトヴィッツェ湖群国立公園・上の湖)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その10:クルカ国立公園経由でスプリットへ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その11:スプリット旧市街)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その12:【最終形】スプリットからドゥブログニクへ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その13:ドゥブログニク旧市街・午前の部
 ◇ スロベニア・クロアチア(その14:ドゥブログニク旧市街・午後は城壁から



Posted at 2025/02/21 18:54:33 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年02月12日 イイね!

スロベニア・クロアチアの旅(その14:ドゥブログニク旧市街・午後は城壁から)

スロベニア・クロアチアの旅(その14:ドゥブログニク旧市街・午後は城壁から)青空の下、ドゥブログニク旧市街の散策が続きます。

午後からは自由散策時間となりましたので、まずは城壁を一周することにしました。
レストランのすぐ近くにあるプロチェ門から入り、聖ルカ要塞にある城壁入口から上がり、反時計回りに城壁を3/4周します。


                    何れの画像もクリックで拡大します。


alt
こちらは記載のとおりドゥブログニク・パスと呼ばれる入場券です。



城壁だけでなく、周辺の市バス1日券、各種博物館の入場券、割引券もセットになっており、なんと35€ユーロ(\5,600 @1€=\160)もします
普通のコピー用紙みたいな紙質ですので、くちゃくちゃになりましたが、なくさないように注意して使っていました (^^ゞ


各入口では、左上のQRコードをスキャンして確認しています。まさか、コピーする人はいないと思いますが。。。




聖ルカ要塞から見た旧港・・・この日は、どのタイミングでも綺麗な蒼い空と海でした。
alt


城壁に上がった辺りで。。。手前にドミニコ会修道院の塔、奥に聖イヴァン要塞が見えます(左)。
altalt
奥に見えた旧市街に連なる屋根。。。ツインのドーム塔はセルビア教会(右)。


旧市街の路地を見下ろし(左)、城壁の最高地点・ミンチェッタ要塞を目指します(右)。
altalt


ミンチェッタ要塞の階段を上がりながら、来た方向を眺めました。 城壁、旧市街、アドリア海の蒼。。
alt
。。。お天気、どれもこれも素敵なひとときでした (^_-)-☆  沖合の島はロクルム島と呼ばれています。



ミンチェッタ要塞の覗き窓から見て。。。これがアドリア海か~と改めて感激もひとしお (^^ゞ
alt
真下にフランシスコ会修道院が見えています。







この旅で初公開 

ミンチェッタ要塞のテッペンで外国人女性に撮ってもらった記念の写真です。




再び城壁に戻って西側に進みます。 クルーズ船・ロストラルが大きく見えます(望遠効果?)。
alt
二つ離れて見えるドーム塔は聖ヴラホ教会(左)と大聖堂(右)です。



ピレ門の上まで来ました。 ピレ門から旧港まで続くプラツァ通りの賑わい!!
alt
通りの左(手前)にフランシスコ会修道院、突き当りに時計台、右側にセルビア教会(ツインのドーム)と大聖堂も写っています。


ボカール要塞の角まで来たところに、クロアチアの独立戦争での攻撃の痕が残されていました。
altalt
敢えて、そのままにしてあるのだと思います。先の侵略マップと照合すると、ダメージが集中している場所ではなさそうですが、屋根や舗装が破壊されているエリアになっています。



海側の城壁まで来ました。手前右に ボカール要塞、奥正面にロヴリイェナツ要塞が見えます。
alt


海側の城壁に沿って歩きます(左)。城壁の外は海 日光浴をする人でいっぱいです(右)
altalt


旧市街地には、壁やその他建具類に比べて屋根だけが新しい家が多いことに気づきました。
alt
先の侵略マップを見ると、燃え落ちた家々はあるにしても(9棟マークされています)、爆撃によって直接、間接的に屋根に被害を受けた家々は広範囲に亘っており、恐らく、それらは屋根だけが補修されて新しくなっているものだと思われます。



この後、城壁巡りの終着点、聖イヴァン要塞(左)から旧港(右)に出て、観光船に乗ることにします。
altalt
旧港(右)の右端に見える桟橋から観光船が出港するまで、暫し桟橋付近で休憩しました。


つづく



【関連のブログ】
 ◇ スロベニア・クロアチア(速報)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その1:リュブリャナまで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その2:ブレッド湖まで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その3:ブレッド城からポストイナまで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その4:ポストイナ鍾乳洞からクロアチアのオパティアまで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その5:イストラ半島 ①モトブン)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その6:イストラ半島 ②ロヴィニ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その7:イストラ半島 ③プーラからオパティアへ戻る)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その8:ラストケ村経由でプリトヴィッツェ湖群国立公園へ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その9:プリトヴィッツェ湖群国立公園・上の湖)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その10:クルカ国立公園経由でスプリットへ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その11:スプリット旧市街)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その12:【最終形】スプリットからドゥブログニクへ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その13:ドゥブログニク旧市街・午前の部


Posted at 2025/02/12 22:32:17 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記

プロフィール

現住所変更(横浜 → 神戸)に伴い追記しました。(2011.5.17) ****************************************** ...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

掲示板

<< 2025/6 >>

12 34567
8 910 11 121314
151617 18192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

代行ドライバーとの会話・‥の巻 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/08/21 09:58:09
雨の日の鉄分補給 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/05/02 19:43:04
もみじの飛騨・信州ドライブ(その3:上高地を発つ三日目の朝まで) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/01/08 08:05:17

愛車一覧

スバル インプレッサ スポーツ スバル インプレッサ スポーツ
前車の劣化?に伴い、買い替えを決めましたが、車両購入のタイミングが悪くて好みの新車が無く ...
スバル インプレッサ スポーツ スバル インプレッサ スポーツ
2022年に発生したリアのハブベアリング損傷に続き、CVTも損傷(異音発生)したため、2 ...
日産 プリメーラ 日産 プリメーラ
2016.2.28  12年で約8.5万km乗りましたが、車齢や家計(私もいつの間にか雇 ...
トヨタ カルディナ トヨタ カルディナ
ここ数年専有していた次男が新車を購入し、その下取り車としたことにより、本日(2014.3 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation