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2025年02月10日 イイね!

スロベニア・クロアチアの旅(その13:ドゥブログニク旧市街・午前の部)

スロベニア・クロアチアの旅(その13:ドゥブログニク旧市街・午前の部)このツアーも大詰めを迎えており、遂に最後の訪問地となるドゥブログニク旧市街まで来ました。

ドゥブログニクの旧市街から少し離れたリゾートエリアのホテルからは、バスで10分ほど。。。ドゥブログニク旧市街の入口にあたるピレ門まで来ました。


    何れの画像もクリックで拡大します。


冒頭の画像👆は、スルジ山展望台から撮った画像に、ドゥブログニク旧市街の代表的なスポットを追記したものです。


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ピレ門のバス停辺りから、スルジ山展望台を見上げたところです。

これから、写真の右奥にあるロープウェイ麓駅から、左上に小さく写っている展望台に上がります。



ロープウェイ乗り場入口から展望台を見上げたところ(左)。
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ロープウェイから見た北側。。。=ドゥブログニク新港、リゾート地の方向。。。の景色(右)。



展望台へは10分ほどで到着。
アドリア海でひと際輝いて見えるドゥブログニク旧市街俯瞰します!!
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旧港沖(画面左端)に見える船はロストラル・・・イストラ半島のロヴィニで見たクルーズ船です。


要塞、城壁の形、そして連なる屋根の美しさから、アドリア海の真珠と呼ばれるほどです。
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クルーズ船(旧港沖のロストラルと新港のクイーン・アン、合計2隻)の乗船客も次々と上がって来て、展望台は大変な混雑になり (@_@) 名残惜しいのですが、スルジ山から降りることに~
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下りのロープウェイから見た北側の城壁ミンチェッタ要塞(城塞の最高地点)です。


真ん中奥はロヴリイェナツ要塞(旧市街の外にあり。。。上の写真の右端に写っています)。





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ロープウェイの麓駅から、プロチェ門に向かいます。


手前はレヴェリン要塞、そして旧港を挟んだ向こうには聖イヴァン要塞が見えています。
ここからもアドリア海の蒼が眩しく綺麗です。




プロチェ門手前から見た旧港、右側円錐台状の石垣は聖ルカ要塞、その奥に時計台。。。
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。。。時計台左下のドームは聖ヴラホ教会、奥のドームは大聖堂、左端に聖イヴァン要塞


プロチェ門まで来ました(左)。 バス停があって賑やかなピレ門が表門ならば、こちらは裏門か?
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プロチェ門にはドゥブログニクの守護聖人・聖ヴラホ像が彫られていました(右)。


プロチェ門をくぐった辺りで見かけた掲示板です。 クロアチアの独立戦争の傷跡だと判りましたが、
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スロベニアを経由してクロアチアの観光地を南下してきたこの旅行で、初めて独立戦争を認識した瞬間でした。 丁度、この戦争が勃発した年から2~3年は、寝る間もないほど業務量が集中していたこともあり、この年代に起こった出来事は私の脳裏から見事に欠落(流行った音楽も長い間、知りませんでした)しています。 そんなこともあって、この機会に調べたユーゴスラビア戦争を備忘録として整理してみます。

ユーゴスラビア戦争の経緯
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ユーゴスラビアは、第二次世界大戦後(ナチス・ドイツからの解放後)に、社会主義連邦共和国として動き出した。
◆ユーゴスラビアは、5つの民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、イスラム人)、6つの共和国(スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア)から構成されていた(勿論、言語、宗教も多様)。このことが一つの国家として運営することを難しくしていた。
◆中でも、ナチス・ドイツから開放される過程において発生したクロアチア vs. セルビア双方の民族主義者による敵対勢力に対する蛮行は、永く遺恨を残していた。
◆そんな中、1980年代後半にはソ連国内の民主化、ベルリンの壁崩壊等が起こると共に東側諸国に民主化が広がり、社会主義政権が相次いで崩壊した。
◆ユーゴスラビアにおいても、中心となるセルビア共和国のやり方に反発するコソボ自治州の独立宣言('90年7月)を皮切りに、スロベニア('91年6月・・・10日戦争を経て)、マケドニアが独立した。
◆前述のとおりセルビアとの遺恨を抱えていたクロアチアは、セルビア側との激しい戦争を経て1995年までかかって、ようやく独立を果たした。
ボスニア・ヘルツェゴビナにおいても、国内のセルビア人の抵抗が激しく、クロアチアと同様、紛争は1995年まで続いた。
モンテネグロは、国際的に独立を認められた2006年まではユーゴスラビア連邦共和国および国家連合セルビア・モンテネグロの構成国であった。

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この掲示板は「1991-1992にかけてのユーゴスラビア軍、セルビア、モンテネグロによるドゥブログニク侵略で受けた被害個所の地図」であると記載されています。 今回、少しだけ調べたことで、クロアチアがユーゴ軍、セルビア、モンテネグロから侵略された背景も理解できました。


その後、旧市街地(城壁内)を添乗員さんにザッと案内してもらいました。これで、だいたいのことは判りましたので、午後からは自由散策を楽しむことにします。



昼食は、プロチェ門からスグの所にあるこちらのレストランでとりました。テラスもある人気店です。
烏賊がとっても美味しかったです・・・って、何てったってアドリア海ですから (^^ゞ
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つづく



【関連のブログ】
 ◇ スロベニア・クロアチア(速報)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その1:リュブリャナまで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その2:ブレッド湖まで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その3:ブレッド城からポストイナまで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その4:ポストイナ鍾乳洞からクロアチアのオパティアまで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その5:イストラ半島 ①モトブン)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その6:イストラ半島 ②ロヴィニ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その7:イストラ半島 ③プーラからオパティアへ戻る)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その8:ラストケ村経由でプリトヴィッツェ湖群国立公園へ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その9:プリトヴィッツェ湖群国立公園・上の湖)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その10:クルカ国立公園経由でスプリットへ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その11:スプリット旧市街)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その12:【最終形】スプリットからドゥブログニクへ)




Posted at 2025/02/10 23:55:50 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年01月26日 イイね!

スロベニア・クロアチアの旅(その12:【最終形】スプリットからドゥブログニクへ)

スロベニア・クロアチアの旅(その12:【最終形】スプリットからドゥブログニクへ)大分遅れていますが、もうひと頑張りです
9月28日は午前中にスプリットの旧市街を観光し、その後、この旅最後の観光地ドゥブログニクへ移動します。約240kmのバス旅です。

こちらはスプリットの駐車場で見つけた英国ナンバープレリュード。。。しかもパトカー仕様になっています



                  何れの画像もクリックで拡大します。

【注記】
これまで、少しずつ加筆しては【未完成です】とタイトルに付記して更新していたブログの最後の姿はこちらでした (^^ゞ
これに若干のお化粧を加えて本ブログ。。。これで【最終形】とします。ややこしくてスミマセンm(__)m
 


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スプリットでの昼食は、名物のスカンピ(手長エビ)です。

きちっと冷えたサラダも、デザートもイケます。
デザートの中はアイスクリームです。







こちらは、ランチ後に城壁の外にある果物広場で見かけた彫像・・・15 世紀に生まれたクロアチアの国民的詩人であり、ルネサンス時代の人文主義者と言われるマルコ・マルリッチの像です。
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果物広場からバスの駐車場までの間で見かけた冒頭のプレリュード。貼ってあるステッカーを辿っていくと、前日まで開催されていた Cornwall Banger Rally というラリー・イベントの参加車両でした。
この車が写っている動画もあります動画1 動画2
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スプリットを13時半に出発、E65(高速)をマリプロログというボスニアヘルツェゴビナとの国境の町まで走り、その後国道425経由で国道8に入りました。
相変わらず、カルスト地形の中を進んでいますが、もうそろそろアドリア海に出ると思った頃に、見かけた不思議な景色がこちらです。
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Googleマップで追いかけると、ここはピジノヴァツという住民僅か1名(2021年国勢調査結果)の街のようですが、ネレトヴァ渓谷ビューポイントと示されていました。
詳しくは判りませんが、どうやら地元で採れる果物そのもの、その加工品(ジュース、ジャムなど)を特産品として扱っている集落のようです。



ピジノヴァツから10分ほどで、アドリア海にかかるペリェシャツ橋が見えるサービスエリアに到着しました。
全部で13の径間(うち7つが斜張橋・・・中央の5径間が各285m、外側の2径間が各203.5m)、全長2,404mのこのペリェシャツ橋が、このツアーで脚光を浴びている理由とは。。。
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。。。これから我々が行こうとしているドゥブログニクのあるダルマチア地方は、ボスニア・ヘルツェゴビナによって海岸線を分断されたクロアチアの飛び地になっています(左)。
従って、ペリャシャツ橋が完成した2022年の夏までは(旅行をした昨年ですと僅か2年前までは)、クロアチア北方の本土から飛び地に行く際には、一旦ボスニア・ヘルツェゴビナを通過する必要がありました。即ち、クロアチアの出国審査→ボスニア・ヘルツェゴビナの入国審査→同出国審査→クロアチアの入国審査が必要でした。通常でも面倒くさい出入国審査なのですが、旧ユーゴスラビアからの独立戦争を経て成立しているクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナという国の関係が未だに尾を引いていますので、ここでの出入国審査に2時間、3時間を要することもあって、ドゥブログニクへのツアーにおいて、ここでの入出国審査は難関になっていたようです(添乗員さん談)。
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現在は、ペリャシャツ橋のおかげで、国道8を通ってボスニア・ヘルツェゴビナを通過することもなくドゥブログニクへと進むことが出来ます(右)。




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ペリャシャツ橋からは1時間ほどでドゥブログニクへ到着。

こちらはドゥブログニクの新港。。。停泊しているクルーズ船はEUROPAⅡです。







ここから更に10分ほどで、ドゥブログニク旧市街地と新港の間のリゾート地にあるホテルに到着しました。 このホテル@ドゥブロヴニクには2泊します。最初に泊まったブレッドのホテルからは。。。
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。。。レベルが段々良くなってきており、アドリア海に面したこのHOTEL MOREが最高でした。


部屋はそこそこの広さですが綺麗で(左)、バスルームの広さ・使い勝手は◎(中)、そして
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バルコニーは広くて、一応目隠しもあり、快適な空間でした(右)。



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夕食は、ヘルシーなサラダに、地中海の魚。。。詳しくは覚えていませんが、何となく安心したような記憶があります。デザートのケーキもキッチリ冷えており、美味しくいただきました。
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翌日が誕生日だったので、添乗員さんから嬉しいプレゼント(右)。 翌日(誕生日当日)も。。。





明けて9月29日の朝です。 朝日でも。。。とバルコニーから見ると、クルーズ船が静々と。。。
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。。。新港に向けて進んでいます。 キュナード・ライン最新の客船Queen Anne2024年4月竣工です
右奥には、昨夕 新港で見かけたクルーズ船・EUROPAⅡが出航しているのが見えます。

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朝食待ちの間もたいくつすることなく、景色を楽しむことが出来るロケーションです。

夕食も、ここのレストランで食べることにしましたので、夕景も楽しみです。




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朝食も。。。安心のメニューです。
ブッフェですが、日本人仕様になっているのかも知れません。

勿論、スパークリングワインもあります。






いよいよこの旅最後の観光地は。。。ドゥブログニク旧市街地です
ドゥブログニクに入港している2隻のクルーズ船(先ほど到着したQueen Anneと以前ロヴィニで見かけたロストラル)の乗船客で混むことが予想されるので、9時前に出発です。
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9時前の景色。。。こんなに良いお天気になりました 楽しみです



つづく



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 ◇ スロベニア・クロアチア(その2:ブレッド湖まで)
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 ◇ スロベニア・クロアチア(その9:プリトヴィッツェ湖群国立公園・上の湖)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その10:クルカ国立公園経由でスプリットへ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その11:スプリット旧市街)

Posted at 2025/01/26 00:02:34 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年01月24日 イイね!

スロベニア・クロアチアの旅(その12:【未完成です】スプリットからドゥブログニクへ)

スロベニア・クロアチアの旅(その12:【未完成です】スプリットからドゥブログニクへ)大分遅れていますが、もうひと頑張りです
9月28日は午前中にスプリットの旧市街を観光し、その後、この旅最後の観光地ドゥブログニクへ移動します。約240kmのバス旅です。

こちらはスプリットの駐車場で見つけた英国ナンバープレリュード。。。しかもパトカー仕様になっています!



                  何れの画像もクリックで拡大します。


【注記】
以下、未だ文章を記載していません。しばらく纏った時間が取れないので、少しずつ加筆していきますが、とりあえず、未完成のままアップします。加筆するごとに更新しながら完成に向けて進みます。ブログ作成のプロセスをお楽しみ下さい (^^ゞ

一応、骨格まで造りました。。。あと一歩で完成です。2025.1.24 23:20

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昼食はスプリット名物のスカンピ(手長エビ)です。

きちっと冷えたサラダも、デザートもイケます。
デザートの中はアイスクリームです。







こちらは、ランチ後に城壁の外にある果物広場で見かけた彫像・・・15 世紀に生まれたクロアチアの国民的詩人であり、ルネサンス時代の人文主義者と言われるマルコ・マルリッチの像です。
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果物広場からバスの駐車場までの間で見かけた冒頭のプレリュード。貼ってあるステッカーを辿っていくと、前日まで開催されていた Cornwall Banger Rally というラリー・イベントの参加車両でした。
この車が写っている動画もあります。動画1 動画2
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スプリットを13時半に出発、E65(高速)をマリプロログというボスニアヘルツェゴビナとの国境の町まで走り、その後国道425経由で国道8に入りました。
相変わらず、景色はカルスト地形が続いていますが、そこで、もうそろそろアドリア海に出ると思った頃に、見かけた不思議な景色がこちらです。
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Googleマップで追いかけると、ここはピジノヴァツという住民僅か1名(2021年国勢調査結果)の街のようですが、ネレトヴァ渓谷ビューポイントと示されていました。
詳しくは判りませんが、どうやら地元で採れる果物そのもの、その加工品(ジュース、ジャムなど)を特産品として扱っている集落のようです。



ピジノヴァツから10分ほどで、アドリア海にかかるペリェシャツ橋が見えるサービスエリアに到着しました。
全部で13の径間(うち7つが斜張橋・・・中央の5径間が各285m、外側の2径間が各203.5m)、全長2,404mのこのペリェシャツ橋が、このツアーで脚光を浴びている理由とは。。。
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。。。これから我々が行こうとしているドゥブログニクのあるダルマチア地方は、海岸線をボスニア・ヘルツェゴビナで分断されたクロアチアの飛び地になっています(左)。
従って、ペリャシャツ橋が完成した2022年の夏までは(旅行をした昨年ですと僅か2年前までは)、クロアチア北方の本土から飛び地に行く際には、一旦ボスニア・ヘルツェゴビナを通過する必要がありました。即ち、クロアチアの出国審査→ボスニア・ヘルツェゴビナの入国審査→同出国審査→クロアチアの入国審査が必要でした。通常でも面倒くさい出入国審査なのですが、旧ユーゴスラビアからの独立戦争を経て成立しているクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナという国の関係が未だに尾を引いていますので、ここでの出入国審査は2時間、3時間を要することもあって、ドゥブログニクへのツアーにおいて、ここでの入出国審査は難関になっていたようです(添乗員さん談)。
現在は、ペリャシャツ橋のおかげで、国道8を通って何の苦労もなくドゥブログニクへと進むことが出来ます(右)。






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ペリャシャツ橋からは1時間ほどでドゥブログニクへ到着。

こちらはドゥブログニクの新港。。。停泊しているクルーズ船はEUROPAⅡです。







ここから更に10分ほどで、ドゥブログニク旧市街地と新港の間のリゾート地にあるホテルに到着しました。 ドゥブロヴニクには2泊します。最初に泊まったブレッドのホテルからは。。。
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。。。レベルが段々良くなってきており、アドリア海に面したこのHOTEL MOREが最高でした。


部屋はそこそこの広さですが綺麗で(左)、バスルームの広さ・使い勝手は◎(中)、そして
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バルコニーは広くて、一応目隠しもあり、快適な空間でした(右)。



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夕食は、ヘルシーなサラダに、地中海の魚。。。詳しくは覚えていませんが、何となく安心したような記憶があります。デザートのケーキもキッチリ冷えており、美味しくいただきました。
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翌日が誕生日だったので、添乗員さんから嬉しいプレゼント(右)。 翌日(誕生日当日)も。。。





明けて9月29日の朝です。 朝日☀でも。。。とバルコニーから見ると、クルーズ船が静々と。。。
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。。。新港に向けて進んでいます。 キュナード・ライン最新の客船Queen Anne2024年4月竣工です!
右奥には、昨夕 新港で見かけたクルーズ船・EUROPAⅡが出航しているのが見えます。

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朝食待ちの間もたいくつすることなく、景色を楽しむことが出来るロケーションです。

夕食も、ここのレストランで食べることにしましたので、夕景も楽しみです。




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朝食も。。。安心のメニューです。
ブッフェですが、日本人仕様になっているのかも知れません。

勿論、スパークリングワインもあります。






いよいよ最後の観光地は。。。ドゥブログニク旧市街地です!
ドゥブログニクに入港している2隻のクルーズ船(先ほど到着したQueen Anneと以前ロヴィニで見かけたロストラル)の乗船客より先に周りたい場所があるので、9時前に出発です。
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9時前の景色。。。こんなにいいお天気☀になりました! 楽しみです!



つづく
Posted at 2025/01/20 12:25:49 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2024年12月27日 イイね!

スロベニア・クロアチアの旅(その11:スプリット旧市街)

スロベニア・クロアチアの旅(その11:スプリット旧市街)ようやく、スロベニア・クロアチアの旅に戻ってきました。

9月28日は、朝からスプリット旧市街を半日観光し、ランチ後には最終目的地ドブロヴニクへ移動します。
いよいよ旅も終盤になってきました。


       何れの画像もクリックで拡大します。


旧市街から3~4kmの所にあったホテルから、旧市街まではバスで移動します。9時前からの散策開始に備えて、少し早いですが7時から朝食
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ここのホテルは、あまり違和感なく食事が出来ました。また、さりげなくコップに注いでありますが、スパークリングワインも用意してありました。






スプリットはクロアチア第二の都市です。古代ローマ皇帝ディオクレティアヌスが引退を機に1700年前に建造した宮殿の跡がその旧市街となって残っています。

ホテルからバスで数分、やってきたスプリット旧市街の入口です。
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宮殿跡は、南北215m、東西180mの狭い範囲です。その周囲は厚さ2m、高さ20mの城壁によって囲まれており、この写真は、その南東側角から南側を望んだものです。


城壁の各四辺には各々青銅の門(南側)、鉄の門(西側)、金の門(北側)、銀の門(東側)が設けられています。城壁を赤線、各門を各金属の色でGoogleマップの航空写真に着色してみました・・・以降、適宜、Googleマップ及び同ストリートビューをご参照いただくと判りやすいと思います。
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早速、南側の青銅の門から入城します。
宮殿の南半分はディオクレティアヌスの私邸として使われていました。最初にその地下部分に入り込みました。
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地下の構造物は私邸の基礎部分になります。

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なので、私邸はこの上に同じ平面形状で乗っかっていたことになります。普通の家屋の基礎をバカでかくしたようなものです。

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出口だったと思いますが、結構、手の込んだ細かいタイル模様も描かれていました(右)。



一旦、表に出て、この街のランドマークである鐘楼を中心に時計回りに歩きます。八角形の建物は聖ドムニウス大聖堂です。
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冒頭の写真は、ここから左側を観たものです。 このまま南側の城壁に沿って歩いた時に撮りました。



再度、ディオクレティアヌスの私邸に入り、前庭(=玄関です)に出ました。 天井のドームは崩落して
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穴が開き、壁に設けられた棚には彫像なども置かれていたようですが、まさに遺跡という感じです。音響効果が良いからでしょうか。。。アカペラ (^^


前庭の北側にある階段を降りると、ペリスティルという広場に出ます。旧市街の中心部で、南側にある皇帝の私邸、北側にあった兵舎の境界にもあたります。

広場の東側には大聖堂(皇帝のお墓)があります(左)。広場から振り返って見た前庭です(右)。
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皇帝がユピテル神殿として作った洗礼室が広場の西側に残っています(左)。
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ここから、城壁の北方外側に向かいました。

北側には金の門があります。そして、その門の前にグルグール・ニンスキの像があります。
グルグール・ニンスキって誰? ガイドさんの現地での説明で、左足の親指に触ると幸運が訪れるというパワースポットと言う程度しか覚えていませんでしたが、帰宅後の自習で。。。
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。。。グルグール・ニンスキは10世紀に実在した人物。教会でのスラヴ語使用禁止に抵抗した司教で、クロアチアのラテン語化を防ぎスラブ語保護に大きく貢献したといわれている。。。と言うところまで進歩しました (^^ゞ


そして、こちらが北側の城壁と金の門。装飾の細工が細かいです。
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ここまではガイドさんに案内してもらっての散策です。これで旧市街の全容は大方把握したであろう、と言うことでしょう。。。昼食までの1時間半ほど自由行動になりました。


我々は、城壁の外側から攻めました

まずはフロッギーランド。。。チョット不気味でしたが、一応、入口から覗き込みました。
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孫たちに何かお土産を~と立ち寄ったのですが、何でも結構なお値段。。。


城壁の西側も少しばかりブラブラ。。。

コーヒーカップのアート(左)。 真南に見えるアドリア海が眩しいお洒落なマルモントヴァ通り(右)。
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ここからは、城壁内を通って東側の青空市場へ向けて歩いてみます。

スプリットの旧市街の路地は入り組んでいるものの、基本的に直行する道ばかりですし、
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バルセロナの路地と違って強盗など身の危険を感じることもなく(当然、スリやひったくりの類には気を遣いますが)、安全な街歩きを楽しみました。


適当に歩いても、旧市街の中心地であるペリスティル(広場)に出ます。。。
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この広場の北の面には、ネクタイ発症の地・クロアチアの老舗ネクタイ屋さんが店を出しています。
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旧市街の排水口の形状をモチーフとしたスカーフ(左)と老舗CROATAクロアタ社のロゴ入り扉。
通し番号付のネクタイもありましたので、欲しかったのですが、現在は月一回しかお勤めしていないこともあって、却下されました (>_<)


少し寄り道しましたが、東西通路を鐘楼の前を通って東に行くと(左)
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銀の門にぶつかります(右)。


銀の門を出たところにあった青空市場 ランチを控えた時間でしたし、雑貨もまさに雑、だったので
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雰囲気だけ楽しんで、集合地点の広場へと向かいました。



つづく



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Posted at 2024/12/27 19:28:13 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2024年11月27日 イイね!

スロベニア・クロアチアの旅(その10:クルカ国立公園経由でスプリットへ)

スロベニア・クロアチアの旅(その10:クルカ国立公園経由でスプリットへ)9月27日の午後は、約170km南下した所にあるクルカ国立公園を散策し、更に90kmほど南にあるローマ皇帝の宮廷が起源とされている街スプリットまで移動しました。


      何れの画像もクリックで拡大します。


昼食を食べて出発する時の駐車場です。良い感じに欧州バスの展示会場みたいになっていたので、バスの中から1枚撮っておいたものです。
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左から、ボルボ、VDL、メルセデス、セトラ、メルセデス(ミニバン)、セトラX3です。




プリトヴィッツエ湖群国立公園から南下すること約1時間で、この様な景色に。。。
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確かに。。。スロベニアのポストイナ鍾乳洞もですが・・・


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👆ここは、右図のトゥロヴェ・グレデの辺りで、カルスト地形になっています。



ここから標高をうんと下げて。。。










まもなくアドリア海が見えてきました。ザダルの近くです。
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更に南下すること小一時間。。。



ようやくクルカ国立公園に到着しました ここもカルスト地形であることが判ります。
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バスを降りて散策開始です。
ここクルカ国立公園は、プリトヴィツェ湖群国立公園と並び、クロアチアの2大自然美と言われています。。。が、私は、プリトヴィッツエ湖群よりもマイナーで穴場的な自然公園のように感じました。
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144平方キロメートルにもおよぶ園内には、自然が造り出した息をのむような景色が連なっています。


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この美しい滝の水は、1895年にヨーロッパで最初に造られた水力発電所でも活用されており、当時、近接する街シベニクは、世界に先駆けて水力による電力供給を受けていたそうです。
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👆オーストリアの皇帝でありハンガリー国王でもあったフランツ・ヨーゼフ1世も、ヨーロッパで最も美しい滝と言われる名瀑があるクルカ川の絶景を、展望台から長い間眺めていたと書かれていました。


その展望台から見た反対側の景色です 反対側も綺麗
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Skradinski Buk(スクラディン ブク)の滝と言われている滝 川を跨ぐ橋からの眺めです。
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以前は、ここで泳いでも良かったそうです!!! (現在は禁止されています)



滝の近くから、スクラディンの街までの4kmほどは、船で下ります。
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ガイドさんが船のダイヤを間違えてくれたおかげで、この船着き場で、しばらく景色を楽しみました♪



こちらは船着き場の対岸にあったヤルーガ水力発電所・・・
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前述の発電所の後を引き継いで、現在も稼働中です。



クルカ川を跨ぐ国道橋(左)と高速道路のクルカ橋(右)。船からの眺めです。
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スクラディンの街に到着。 なんと可愛らしく綺麗な街でしょう!!
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スクラディンの街からは、再びバスに乗って1時間半、19時頃だったと思いますが、スプリットに到着しました。

夕食。。。ブッフェじゃなくて一安心したところでしたが、メニュー。。。
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。。。忘れました。 白ワインとビールは飲んでいたようですけど (^^ゞ
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メニューに関して追記。。。2024.12.26】
旅の途上で個人ブログに記したメモを確認すると、メインはツナのステーキ(右上)、我慢できずにビール🍺を追加(左下)、デザートはさっぱりとフルーツ(右下)と記載していました (^^ゞ



つづく



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 ◇ スロベニア・クロアチア(その9:プリトヴィッツェ湖群国立公園・上の湖)




Posted at 2024/11/28 21:35:39 | コメント(1) | 海外(遊び) | 日記

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