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2025年02月21日 イイね!

スロベニア・クロアチアの旅(その15:【完結編】ドゥブログニクの午後から帰国まで)

スロベニア・クロアチアの旅(その15:【完結編】ドゥブログニクの午後から帰国まで)ドゥブログニクの午後は、まず城壁巡りをやった後、遊覧船で海から旧市街を眺めることにしていました。

他のツアー客は遊覧船観光を優先したので、夕方の集合までの自由時間は二人っきりで過ごすことになります (^^ゞ


      何れの画像もクリックで拡大します。



夕方まで目いっぱい観光

遊覧船の出発時刻までの20分ほどを、指定された旧港にある船着き場で待っていると。。。
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このテントの中でお待ちにお客さんから、「君たちはクリスタル・クルーズだから、この船着き場じゃないよ~」と言われました。
リュックに付けていたツアーのバッジ👉altを見て教えてくれたようです。確認すると、彼らは沖に停泊中のクルーズ船ロストラルの乗船客でした。
このオレンジ色のテンダーボートで旧市街地に上陸して観光を終え、ロストラスに戻るところです。



気の良い人たち。。。同じ東ヨーロッパで戦争しているのがウソのようです。


クリスタル・クルーズ  こんな所でクリスタル・クルーズの名前を聞くとは予想もしていませんでしたが。。。
元々は日本郵船が設立したクルーズ専門の子会社です。 紆余曲折があった後、現在はイギリスの会社が2隻のクルーズ船(クリスタル・シンフォニー及びクリスタル・セレニティ)とブランド使用権等無形資産を取得し、この2隻のクルーズ船を運航中です。なお、過去にクリスタル・クルーズ社が所有していたクリスタル・ハーモニーを郵船クルーズ社に売却、郵船クルーズはこれを飛鳥Ⅱとして運行中です。


さて、やってきたちっぽけな遊覧船に乗り込みます
風が出てきたアドリア海で遊覧船は大揺れしていますが、高級リゾート感満載の景色を楽しみます。
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ロクルム島の北岸まで来ました。 少し大きな観光船に乗った他の人たちは、島の南側を周ったそうですが、南岸には見事なヌーディストビーチがあって、写真を撮るのも憚られたと言ってました。


出港後、聖イヴァン要塞を周ってボカール要塞(手前)、ロヴリイェナツ要塞(奥)を巡ります(左)。
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その後、ロクルム島の北側まで来て(右、上上)。。。


。。。ドゥブログニクの東岸に沿って(左)旧港まで戻ります(右)。
この辺りも、草原に岩肌が点在する典型的なカルスト地形であることが判ります。
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ドゥブログニク旧市街、旧港を海上の正面から眺める珍しい画像だと思います(右)。
正面に聖イヴァン要塞、その奥が旧港、左奥にボカール要塞、右上がミンチェッタ要塞です。




下船後は、旧港に近い聖イヴァン要塞にくっついて建っている海洋博物館に入りました。
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ドゥブログニクは、イタリア半島とバルカン半島の間にあるアドリア海に面しているからでしょうか。。。第一次世界大戦までは蒸気船の建造でも頑張っていたようです。また、一帯にある塩田で採れる塩は、ドゥブログニクの貿易船団において重要な収益源になっていたようです。
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集合時刻までの時間に、午前中にザッと案内してもらった教会を訪ねてみました。

聖ヴラホ教会・・・ドゥブログニクの守護聖人・聖ヴラホを祀ってあり、主祭壇には聖ヴラホの銀製の像があります。午前中の旧市街散策の際に通ったプロチェ門にあった像と同じ形をしています(右)。
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セルビア教会・・・ルジャ広場の一等地にある聖ヴラホ教会とは違って、狭い路地の裏通りに建っていました。真っ白な壁が青空に映えていました。
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その後、総督邸、ルジャ広場周辺の土産物店を見ているうちに集合時刻となり、あと幾つかある教会には入らないまま、ドゥブログニク旧市街の観光を終えることになりました。






この旅、最後の晩餐。。。ここで、50年も前の偶然が判明

この日の夕食は自由に食べて下さいとのこと。。。ドゥブログニク旧市街で食べることも考えたのですが、宿泊しているHOTEL MOREには、街からもディナー客が来るほどのレストランが併設されているので、夕食はホテルでとることにしました。

勿論、アドリア海に沈むが観賞できるロケーションにも期待しての選択です (^^ゞ
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少しだけ早くレストランに入り、沈むを観ながら、同行の皆さんと楽しい時間を過ごしました。

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こちらで夕食を食べたのは7名。料理が出てくるころには、すっかりマジックアワーになっていました。
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分量が多いことを見越して、いつも通りカルパッチョ(左)とステーキ(右)をシェアしましたうまい!うまい!うまい!
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altクロアチア最後の夜。。。この日は私の誕生日でした。前日には、既報のとおり添乗員さんからプレゼントを頂戴しましたが、この日はホテルからお祝いをしていただきました。

美味しそうなワインでしたので、旅行中、とても仲良くしていただいたM夫妻にお声がけし、夕食後に自室で改めて🥂を~ 
【注】マジックアワーの写真👆はM夫人撮影です。

帰国前日で荷造りにお忙しいところ、お引止めし話しが弾んだ結果。。。何と50年前にMご主人と私は、横浜の片隅で生活圏を同じくしていて、しかも(もう故人になりますが)共通の知人がいて、二人ともその人に大変お世話になった間柄であったことが判明したのです!! 
立場が違っていたので、知り合うことは無かったでしょうが、恐らくお互い見かけたことがあった可能性は高いだろうと思われます。
50年も前の偶然に驚愕&感激したものでした。






帰路も面白かった

翌9月30日は帰国の日。。。5時半起床、6時半荷物回収&朝食開始、7時半出発。。。と慌ただしくドゥブログニク空港へ向かいました。

その後、行きと同様にFinnair🛫でヘルシンキへ。ヘルシンキでは2時間ほど乗り継ぎの待ち時間がありますが、Finnairはスターアライアンスグループではなくラウンジが利用できないので、勝手に(自由に?)Nordic Kitchenでランチ(左)。サンドイッチもスカンディナヴィアン🍺も美味しかったですうまい!
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関空行きのFinnairに乗り込むと間もなく機内食が出てきました(右)。こちら、チキンとポテトサラダが日本人向けで美味しかったですうまい! ブロイラー状態 (/ω\) ・・・と、ここまでは順調でしたが。。。


映画を見ながらの食事も終わって、ふと航路図を見ると。。。
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せっかくドゥブログニクから3時間もかけてヘルシンキまで北上したのに、この飛行機は、北極まわりではなく南の元いた方向(ドゥブログニクの方向)に向かっているではないですか!! 我が目を疑いました!! 目悪いですけど。。。
往路は北極まわりでしたし、わざわざ3時間北上したのですから、普通は北極まわりだと思いますよ? ねっ? ネッッ!!!

往復で6時間(ヘルシンキでの待ち時間を入れると8時間くらいか?)も行ったり来たりしていたことになります。

それでも、順調なのですけどね、航路図さえ見なければ! 南に向かっていることに気づきさえしなければ、何とも思わないわけですからね (^^ゞ




すっかり諦めた私は、映画三昧、音楽三昧しながら、文句も言わず普通に機中の人していました。
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それでも、忌々し気に証拠の航路図は撮っていました。 タシケントの北方です(左)が、今でも信じられません。ホントは北極まわったのじゃないの?って。 そして関空到着です(右)。






この旅を一言で表すと。。。
スロベニア・クロアチアの旅。。。満足した!! です。
自然の景色、旧市街の散策など奥深く、盛りだくさんで、最初から最後まで充実したツアーでした。未だイタリアにも行ったことがない我々が、いきなり古代ローマ帝国の深い歴史の一部を少しだけ味わうことが出来たのも想定外でした。あと数年は海外を楽しみたいと思っており、改めて、いつかはイタリアへ、と思うこの頃です。




   - 完 -   海外旅行ブログとしては珍しく完了までこぎつけました (^^ゞ




【関連のブログ】
 ◇ スロベニア・クロアチア(速報)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その1:リュブリャナまで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その2:ブレッド湖まで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その3:ブレッド城からポストイナまで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その4:ポストイナ鍾乳洞からクロアチアのオパティアまで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その5:イストラ半島 ①モトブン)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その6:イストラ半島 ②ロヴィニ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その7:イストラ半島 ③プーラからオパティアへ戻る)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その8:ラストケ村経由でプリトヴィッツェ湖群国立公園へ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その9:プリトヴィッツェ湖群国立公園・上の湖)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その10:クルカ国立公園経由でスプリットへ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その11:スプリット旧市街)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その12:【最終形】スプリットからドゥブログニクへ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その13:ドゥブログニク旧市街・午前の部
 ◇ スロベニア・クロアチア(その14:ドゥブログニク旧市街・午後は城壁から



Posted at 2025/02/21 18:54:33 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年02月12日 イイね!

スロベニア・クロアチアの旅(その14:ドゥブログニク旧市街・午後は城壁から)

スロベニア・クロアチアの旅(その14:ドゥブログニク旧市街・午後は城壁から)青空の下、ドゥブログニク旧市街の散策が続きます。

午後からは自由散策時間となりましたので、まずは城壁を一周することにしました。
レストランのすぐ近くにあるプロチェ門から入り、聖ルカ要塞にある城壁入口から上がり、反時計回りに城壁を3/4周します。


                    何れの画像もクリックで拡大します。


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こちらは記載のとおりドゥブログニク・パスと呼ばれる入場券です。



城壁だけでなく、周辺の市バス1日券、各種博物館の入場券、割引券もセットになっており、なんと35€ユーロ(\5,600 @1€=\160)もします
普通のコピー用紙みたいな紙質ですので、くちゃくちゃになりましたが、なくさないように注意して使っていました (^^ゞ


各入口では、左上のQRコードをスキャンして確認しています。まさか、コピーする人はいないと思いますが。。。




聖ルカ要塞から見た旧港・・・この日は、どのタイミングでも綺麗な蒼い空と海でした。
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城壁に上がった辺りで。。。手前にドミニコ会修道院の塔、奥に聖イヴァン要塞が見えます(左)。
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奥に見えた旧市街に連なる屋根。。。ツインのドーム塔はセルビア教会(右)。


旧市街の路地を見下ろし(左)、城壁の最高地点・ミンチェッタ要塞を目指します(右)。
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ミンチェッタ要塞の階段を上がりながら、来た方向を眺めました。 城壁、旧市街、アドリア海の蒼。。
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。。。お天気、どれもこれも素敵なひとときでした (^_-)-☆  沖合の島はロクルム島と呼ばれています。



ミンチェッタ要塞の覗き窓から見て。。。これがアドリア海か~と改めて感激もひとしお (^^ゞ
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真下にフランシスコ会修道院が見えています。







この旅で初公開 

ミンチェッタ要塞のテッペンで外国人女性に撮ってもらった記念の写真です。




再び城壁に戻って西側に進みます。 クルーズ船・ロストラルが大きく見えます(望遠効果?)。
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二つ離れて見えるドーム塔は聖ヴラホ教会(左)と大聖堂(右)です。



ピレ門の上まで来ました。 ピレ門から旧港まで続くプラツァ通りの賑わい!!
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通りの左(手前)にフランシスコ会修道院、突き当りに時計台、右側にセルビア教会(ツインのドーム)と大聖堂も写っています。


ボカール要塞の角まで来たところに、クロアチアの独立戦争での攻撃の痕が残されていました。
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敢えて、そのままにしてあるのだと思います。先の侵略マップと照合すると、ダメージが集中している場所ではなさそうですが、屋根や舗装が破壊されているエリアになっています。



海側の城壁まで来ました。手前右に ボカール要塞、奥正面にロヴリイェナツ要塞が見えます。
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海側の城壁に沿って歩きます(左)。城壁の外は海 日光浴をする人でいっぱいです(右)
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旧市街地には、壁やその他建具類に比べて屋根だけが新しい家が多いことに気づきました。
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先の侵略マップを見ると、燃え落ちた家々はあるにしても(9棟マークされています)、爆撃によって直接、間接的に屋根に被害を受けた家々は広範囲に亘っており、恐らく、それらは屋根だけが補修されて新しくなっているものだと思われます。



この後、城壁巡りの終着点、聖イヴァン要塞(左)から旧港(右)に出て、観光船に乗ることにします。
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旧港(右)の右端に見える桟橋から観光船が出港するまで、暫し桟橋付近で休憩しました。


つづく



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 ◇ スロベニア・クロアチア(速報)
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 ◇ スロベニア・クロアチア(その8:ラストケ村経由でプリトヴィッツェ湖群国立公園へ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その9:プリトヴィッツェ湖群国立公園・上の湖)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その10:クルカ国立公園経由でスプリットへ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その11:スプリット旧市街)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その12:【最終形】スプリットからドゥブログニクへ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その13:ドゥブログニク旧市街・午前の部


Posted at 2025/02/12 22:32:17 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年02月10日 イイね!

スロベニア・クロアチアの旅(その13:ドゥブログニク旧市街・午前の部)

スロベニア・クロアチアの旅(その13:ドゥブログニク旧市街・午前の部)このツアーも大詰めを迎えており、遂に最後の訪問地となるドゥブログニク旧市街まで来ました。

ドゥブログニクの旧市街から少し離れたリゾートエリアのホテルからは、バスで10分ほど。。。ドゥブログニク旧市街の入口にあたるピレ門まで来ました。


    何れの画像もクリックで拡大します。


冒頭の画像👆は、スルジ山展望台から撮った画像に、ドゥブログニク旧市街の代表的なスポットを追記したものです。


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ピレ門のバス停辺りから、スルジ山展望台を見上げたところです。

これから、写真の右奥にあるロープウェイ麓駅から、左上に小さく写っている展望台に上がります。



ロープウェイ乗り場入口から展望台を見上げたところ(左)。
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ロープウェイから見た北側。。。=ドゥブログニク新港、リゾート地の方向。。。の景色(右)。



展望台へは10分ほどで到着。
アドリア海でひと際輝いて見えるドゥブログニク旧市街俯瞰します!!
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旧港沖(画面左端)に見える船はロストラル・・・イストラ半島のロヴィニで見たクルーズ船です。


要塞、城壁の形、そして連なる屋根の美しさから、アドリア海の真珠と呼ばれるほどです。
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クルーズ船(旧港沖のロストラルと新港のクイーン・アン、合計2隻)の乗船客も次々と上がって来て、展望台は大変な混雑になり (@_@) 名残惜しいのですが、スルジ山から降りることに~
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下りのロープウェイから見た北側の城壁ミンチェッタ要塞(城塞の最高地点)です。


真ん中奥はロヴリイェナツ要塞(旧市街の外にあり。。。上の写真の右端に写っています)。





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ロープウェイの麓駅から、プロチェ門に向かいます。


手前はレヴェリン要塞、そして旧港を挟んだ向こうには聖イヴァン要塞が見えています。
ここからもアドリア海の蒼が眩しく綺麗です。




プロチェ門手前から見た旧港、右側円錐台状の石垣は聖ルカ要塞、その奥に時計台。。。
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。。。時計台左下のドームは聖ヴラホ教会、奥のドームは大聖堂、左端に聖イヴァン要塞


プロチェ門まで来ました(左)。 バス停があって賑やかなピレ門が表門ならば、こちらは裏門か?
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プロチェ門にはドゥブログニクの守護聖人・聖ヴラホ像が彫られていました(右)。


プロチェ門をくぐった辺りで見かけた掲示板です。 クロアチアの独立戦争の傷跡だと判りましたが、
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スロベニアを経由してクロアチアの観光地を南下してきたこの旅行で、初めて独立戦争を認識した瞬間でした。 丁度、この戦争が勃発した年から2~3年は、寝る間もないほど業務量が集中していたこともあり、この年代に起こった出来事は私の脳裏から見事に欠落(流行った音楽も長い間、知りませんでした)しています。 そんなこともあって、この機会に調べたユーゴスラビア戦争を備忘録として整理してみます。

ユーゴスラビア戦争の経緯
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ユーゴスラビアは、第二次世界大戦後(ナチス・ドイツからの解放後)に、社会主義連邦共和国として動き出した。
◆ユーゴスラビアは、5つの民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、イスラム人)、6つの共和国(スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア)から構成されていた(勿論、言語、宗教も多様)。このことが一つの国家として運営することを難しくしていた。
◆中でも、ナチス・ドイツから開放される過程において発生したクロアチア vs. セルビア双方の民族主義者による敵対勢力に対する蛮行は、永く遺恨を残していた。
◆そんな中、1980年代後半にはソ連国内の民主化、ベルリンの壁崩壊等が起こると共に東側諸国に民主化が広がり、社会主義政権が相次いで崩壊した。
◆ユーゴスラビアにおいても、中心となるセルビア共和国のやり方に反発するコソボ自治州の独立宣言('90年7月)を皮切りに、スロベニア('91年6月・・・10日戦争を経て)、マケドニアが独立した。
◆前述のとおりセルビアとの遺恨を抱えていたクロアチアは、セルビア側との激しい戦争を経て1995年までかかって、ようやく独立を果たした。
ボスニア・ヘルツェゴビナにおいても、国内のセルビア人の抵抗が激しく、クロアチアと同様、紛争は1995年まで続いた。
モンテネグロは、国際的に独立を認められた2006年まではユーゴスラビア連邦共和国および国家連合セルビア・モンテネグロの構成国であった。

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この掲示板は「1991-1992にかけてのユーゴスラビア軍、セルビア、モンテネグロによるドゥブログニク侵略で受けた被害個所の地図」であると記載されています。 今回、少しだけ調べたことで、クロアチアがユーゴ軍、セルビア、モンテネグロから侵略された背景も理解できました。


その後、旧市街地(城壁内)を添乗員さんにザッと案内してもらいました。これで、だいたいのことは判りましたので、午後からは自由散策を楽しむことにします。



昼食は、プロチェ門からスグの所にあるこちらのレストランでとりました。テラスもある人気店です。
烏賊がとっても美味しかったです・・・って、何てったってアドリア海ですから (^^ゞ
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つづく



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 ◇ スロベニア・クロアチア(その10:クルカ国立公園経由でスプリットへ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その11:スプリット旧市街)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その12:【最終形】スプリットからドゥブログニクへ)




Posted at 2025/02/10 23:55:50 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年01月26日 イイね!

スロベニア・クロアチアの旅(その12:【最終形】スプリットからドゥブログニクへ)

スロベニア・クロアチアの旅(その12:【最終形】スプリットからドゥブログニクへ)大分遅れていますが、もうひと頑張りです
9月28日は午前中にスプリットの旧市街を観光し、その後、この旅最後の観光地ドゥブログニクへ移動します。約240kmのバス旅です。

こちらはスプリットの駐車場で見つけた英国ナンバープレリュード。。。しかもパトカー仕様になっています



                  何れの画像もクリックで拡大します。

【注記】
これまで、少しずつ加筆しては【未完成です】とタイトルに付記して更新していたブログの最後の姿はこちらでした (^^ゞ
これに若干のお化粧を加えて本ブログ。。。これで【最終形】とします。ややこしくてスミマセンm(__)m
 


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スプリットでの昼食は、名物のスカンピ(手長エビ)です。

きちっと冷えたサラダも、デザートもイケます。
デザートの中はアイスクリームです。







こちらは、ランチ後に城壁の外にある果物広場で見かけた彫像・・・15 世紀に生まれたクロアチアの国民的詩人であり、ルネサンス時代の人文主義者と言われるマルコ・マルリッチの像です。
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果物広場からバスの駐車場までの間で見かけた冒頭のプレリュード。貼ってあるステッカーを辿っていくと、前日まで開催されていた Cornwall Banger Rally というラリー・イベントの参加車両でした。
この車が写っている動画もあります動画1 動画2
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スプリットを13時半に出発、E65(高速)をマリプロログというボスニアヘルツェゴビナとの国境の町まで走り、その後国道425経由で国道8に入りました。
相変わらず、カルスト地形の中を進んでいますが、もうそろそろアドリア海に出ると思った頃に、見かけた不思議な景色がこちらです。
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Googleマップで追いかけると、ここはピジノヴァツという住民僅か1名(2021年国勢調査結果)の街のようですが、ネレトヴァ渓谷ビューポイントと示されていました。
詳しくは判りませんが、どうやら地元で採れる果物そのもの、その加工品(ジュース、ジャムなど)を特産品として扱っている集落のようです。



ピジノヴァツから10分ほどで、アドリア海にかかるペリェシャツ橋が見えるサービスエリアに到着しました。
全部で13の径間(うち7つが斜張橋・・・中央の5径間が各285m、外側の2径間が各203.5m)、全長2,404mのこのペリェシャツ橋が、このツアーで脚光を浴びている理由とは。。。
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。。。これから我々が行こうとしているドゥブログニクのあるダルマチア地方は、ボスニア・ヘルツェゴビナによって海岸線を分断されたクロアチアの飛び地になっています(左)。
従って、ペリャシャツ橋が完成した2022年の夏までは(旅行をした昨年ですと僅か2年前までは)、クロアチア北方の本土から飛び地に行く際には、一旦ボスニア・ヘルツェゴビナを通過する必要がありました。即ち、クロアチアの出国審査→ボスニア・ヘルツェゴビナの入国審査→同出国審査→クロアチアの入国審査が必要でした。通常でも面倒くさい出入国審査なのですが、旧ユーゴスラビアからの独立戦争を経て成立しているクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナという国の関係が未だに尾を引いていますので、ここでの出入国審査に2時間、3時間を要することもあって、ドゥブログニクへのツアーにおいて、ここでの入出国審査は難関になっていたようです(添乗員さん談)。
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現在は、ペリャシャツ橋のおかげで、国道8を通ってボスニア・ヘルツェゴビナを通過することもなくドゥブログニクへと進むことが出来ます(右)。




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ペリャシャツ橋からは1時間ほどでドゥブログニクへ到着。

こちらはドゥブログニクの新港。。。停泊しているクルーズ船はEUROPAⅡです。







ここから更に10分ほどで、ドゥブログニク旧市街地と新港の間のリゾート地にあるホテルに到着しました。 このホテル@ドゥブロヴニクには2泊します。最初に泊まったブレッドのホテルからは。。。
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。。。レベルが段々良くなってきており、アドリア海に面したこのHOTEL MOREが最高でした。


部屋はそこそこの広さですが綺麗で(左)、バスルームの広さ・使い勝手は◎(中)、そして
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バルコニーは広くて、一応目隠しもあり、快適な空間でした(右)。



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夕食は、ヘルシーなサラダに、地中海の魚。。。詳しくは覚えていませんが、何となく安心したような記憶があります。デザートのケーキもキッチリ冷えており、美味しくいただきました。
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翌日が誕生日だったので、添乗員さんから嬉しいプレゼント(右)。 翌日(誕生日当日)も。。。





明けて9月29日の朝です。 朝日でも。。。とバルコニーから見ると、クルーズ船が静々と。。。
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。。。新港に向けて進んでいます。 キュナード・ライン最新の客船Queen Anne2024年4月竣工です
右奥には、昨夕 新港で見かけたクルーズ船・EUROPAⅡが出航しているのが見えます。

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朝食待ちの間もたいくつすることなく、景色を楽しむことが出来るロケーションです。

夕食も、ここのレストランで食べることにしましたので、夕景も楽しみです。




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朝食も。。。安心のメニューです。
ブッフェですが、日本人仕様になっているのかも知れません。

勿論、スパークリングワインもあります。






いよいよこの旅最後の観光地は。。。ドゥブログニク旧市街地です
ドゥブログニクに入港している2隻のクルーズ船(先ほど到着したQueen Anneと以前ロヴィニで見かけたロストラル)の乗船客で混むことが予想されるので、9時前に出発です。
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9時前の景色。。。こんなに良いお天気になりました 楽しみです



つづく



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 ◇ スロベニア・クロアチア(その10:クルカ国立公園経由でスプリットへ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その11:スプリット旧市街)

Posted at 2025/01/26 00:02:34 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年01月24日 イイね!

スロベニア・クロアチアの旅(その12:【未完成です】スプリットからドゥブログニクへ)

スロベニア・クロアチアの旅(その12:【未完成です】スプリットからドゥブログニクへ)大分遅れていますが、もうひと頑張りです
9月28日は午前中にスプリットの旧市街を観光し、その後、この旅最後の観光地ドゥブログニクへ移動します。約240kmのバス旅です。

こちらはスプリットの駐車場で見つけた英国ナンバープレリュード。。。しかもパトカー仕様になっています!



                  何れの画像もクリックで拡大します。


【注記】
以下、未だ文章を記載していません。しばらく纏った時間が取れないので、少しずつ加筆していきますが、とりあえず、未完成のままアップします。加筆するごとに更新しながら完成に向けて進みます。ブログ作成のプロセスをお楽しみ下さい (^^ゞ

一応、骨格まで造りました。。。あと一歩で完成です。2025.1.24 23:20

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昼食はスプリット名物のスカンピ(手長エビ)です。

きちっと冷えたサラダも、デザートもイケます。
デザートの中はアイスクリームです。







こちらは、ランチ後に城壁の外にある果物広場で見かけた彫像・・・15 世紀に生まれたクロアチアの国民的詩人であり、ルネサンス時代の人文主義者と言われるマルコ・マルリッチの像です。
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果物広場からバスの駐車場までの間で見かけた冒頭のプレリュード。貼ってあるステッカーを辿っていくと、前日まで開催されていた Cornwall Banger Rally というラリー・イベントの参加車両でした。
この車が写っている動画もあります。動画1 動画2
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スプリットを13時半に出発、E65(高速)をマリプロログというボスニアヘルツェゴビナとの国境の町まで走り、その後国道425経由で国道8に入りました。
相変わらず、景色はカルスト地形が続いていますが、そこで、もうそろそろアドリア海に出ると思った頃に、見かけた不思議な景色がこちらです。
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Googleマップで追いかけると、ここはピジノヴァツという住民僅か1名(2021年国勢調査結果)の街のようですが、ネレトヴァ渓谷ビューポイントと示されていました。
詳しくは判りませんが、どうやら地元で採れる果物そのもの、その加工品(ジュース、ジャムなど)を特産品として扱っている集落のようです。



ピジノヴァツから10分ほどで、アドリア海にかかるペリェシャツ橋が見えるサービスエリアに到着しました。
全部で13の径間(うち7つが斜張橋・・・中央の5径間が各285m、外側の2径間が各203.5m)、全長2,404mのこのペリェシャツ橋が、このツアーで脚光を浴びている理由とは。。。
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。。。これから我々が行こうとしているドゥブログニクのあるダルマチア地方は、海岸線をボスニア・ヘルツェゴビナで分断されたクロアチアの飛び地になっています(左)。
従って、ペリャシャツ橋が完成した2022年の夏までは(旅行をした昨年ですと僅か2年前までは)、クロアチア北方の本土から飛び地に行く際には、一旦ボスニア・ヘルツェゴビナを通過する必要がありました。即ち、クロアチアの出国審査→ボスニア・ヘルツェゴビナの入国審査→同出国審査→クロアチアの入国審査が必要でした。通常でも面倒くさい出入国審査なのですが、旧ユーゴスラビアからの独立戦争を経て成立しているクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナという国の関係が未だに尾を引いていますので、ここでの出入国審査は2時間、3時間を要することもあって、ドゥブログニクへのツアーにおいて、ここでの入出国審査は難関になっていたようです(添乗員さん談)。
現在は、ペリャシャツ橋のおかげで、国道8を通って何の苦労もなくドゥブログニクへと進むことが出来ます(右)。






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ペリャシャツ橋からは1時間ほどでドゥブログニクへ到着。

こちらはドゥブログニクの新港。。。停泊しているクルーズ船はEUROPAⅡです。







ここから更に10分ほどで、ドゥブログニク旧市街地と新港の間のリゾート地にあるホテルに到着しました。 ドゥブロヴニクには2泊します。最初に泊まったブレッドのホテルからは。。。
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。。。レベルが段々良くなってきており、アドリア海に面したこのHOTEL MOREが最高でした。


部屋はそこそこの広さですが綺麗で(左)、バスルームの広さ・使い勝手は◎(中)、そして
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バルコニーは広くて、一応目隠しもあり、快適な空間でした(右)。



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夕食は、ヘルシーなサラダに、地中海の魚。。。詳しくは覚えていませんが、何となく安心したような記憶があります。デザートのケーキもキッチリ冷えており、美味しくいただきました。
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翌日が誕生日だったので、添乗員さんから嬉しいプレゼント(右)。 翌日(誕生日当日)も。。。





明けて9月29日の朝です。 朝日☀でも。。。とバルコニーから見ると、クルーズ船が静々と。。。
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。。。新港に向けて進んでいます。 キュナード・ライン最新の客船Queen Anne2024年4月竣工です!
右奥には、昨夕 新港で見かけたクルーズ船・EUROPAⅡが出航しているのが見えます。

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朝食待ちの間もたいくつすることなく、景色を楽しむことが出来るロケーションです。

夕食も、ここのレストランで食べることにしましたので、夕景も楽しみです。




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朝食も。。。安心のメニューです。
ブッフェですが、日本人仕様になっているのかも知れません。

勿論、スパークリングワインもあります。






いよいよ最後の観光地は。。。ドゥブログニク旧市街地です!
ドゥブログニクに入港している2隻のクルーズ船(先ほど到着したQueen Anneと以前ロヴィニで見かけたロストラル)の乗船客より先に周りたい場所があるので、9時前に出発です。
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9時前の景色。。。こんなにいいお天気☀になりました! 楽しみです!



つづく
Posted at 2025/01/20 12:25:49 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記

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