
先の横浜旅行は雪で大騒ぎになったため、すっかり失念していましたが、
railさんのコメントで思い出しました
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往路の機中で
じゃがポックルを買った際に購入アイテム1個につき、1個
ANA創立60周年記念のマグネットを貰っていたのです

上は現在使用されている
エアバスA320、下は
ANA創業時に使用されていた
ダグラスDC-3です。
創業期に関する記事が
Wikipedia にありました。
ダグラスDC-3についても記載されていますので、以下に
転記します。
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前身
全日本空輸の前身は日本ヘリコプター輸送株式会社と極東航空株式会社である。第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の命令によって、全ての日本国籍の航空機の運航を停止していたが、1952年(昭和27年)に運航禁止期間の解除の決定が下されたことを受けて同年に両社は設立された。
日本ヘリコプター輸送株式会社は、1952年12月27日に、東京を拠点にヘリコプターでの宣伝活動を目的として設立された会社で、通称は「日ペリ」、「日ペリ航空」であった。当初はヘリコプターによる宣伝事業のみを行っていたが、航空機による事業にも参入し、1953年12月15日に貨物航空事業を開始し、1954年2月1日には旅客航空事業も開始した。
極東航空株式会社は、日ペリより1日早い1952年12月26日に、第二次世界大戦前に関西で航空事業を行っていた関係者により大阪で設立。大阪を拠点として、大阪 - 四国・大阪 - 九州といった西日本方面の航空路線を運営していた。
全日本空輸の成立
その後国内航空輸送を一本化するという運輸省の方針などにより、両社は合併に向けて協議を開始する。合併比率でもめたものの、日本商工会議所会頭藤山愛一郎、日本航空協会会長郷古潔、日本航空社長柳田誠二郎らの斡旋により、合併手続きは進み、1958年(昭和33年)3月1日、合併登記が完了した。初代社長には、元朝日新聞社常務取締役で日本ヘリコプター創設者の美土路昌一が就任した。この合併により全日空は、ダグラスDC-3型機 9機、デ・ハビランド DH.114 ヘロン3機、デ・ハビランド DH.104 ダブ4機、ベル47D-1ヘリコプター4機など、合計26機をもって、北は北海道から南は鹿児島までの日本全国19都市を結ぶ、日本国内最大のネットワークを誇る航空会社となった。
このところ不適合が集中的に発生して、運行停止命令まで発せられたB787ですが、早期に、かつ適確に原因を究明して、実機に反映、評判どおり後世に名機として残ってもらいたいものだと・・・
DC-3の記事を見ていて思いました。
私は年間7~80回飛行機に乗っていますが、幸か不幸か、未だB787は未体験です
Posted at 2013/01/19 11:44:22 | |
他愛もないこと | 日記