
先週
時代おくれさんがアップなさった
若桜町(
わかさと読みます)に、どうしても行ってみたくなり早速行って来ました。
この宿場には、旧国鉄の前身である
鉄道省が昭和5年に開通させた
若桜線の終着駅・
若桜駅があります。若桜線は、現在、第三セクター
若桜鉄道株式会社に引き継がれています。
← クリックで
拡大 若桜駅の正面です。
中国道を
山崎ICで降りて
R29を北上、
戸倉峠以北は
22年ぶりに通ることになりますので、前回の思い出などを話しながら、あっという間に
若桜町で到着しました。
宿場や駅などの案内は、特に
国道には
無かったと思いますが、旧道に入ると駅は
すぐに見つかりましたので、駅に駐車、早速街歩きを・・・

と思ったら、
急な土砂降り
3連休は初日だけお天気

だというので出かけたのに・・・と悔やみつつも、駆け込んだ観光案内所で
傘☂を借りて散策することにしました。
まずは、
蔵通り、
寺通りです。
蔵通り・・・何軒かの蔵が保存されていました。先日の
倉吉の街と同様、
赤瓦が特徴的です。
そして、
赤瓦はお寺の屋根にも使用されていました。こちらは
西方寺と
壽覚院ですが、何故か
同じ造りの建物になっています。まさか
同じ図面で造ったのではないよね??
↓ クリックで
拡大

南側の旧街道に出ると、
仮屋通りと呼ばれる軒下の通路が部分的に保存されていました。

元々は、厳しい冬場の足元を確保するために、
各家は仮屋を設けるよう宿場で
ルール化されていたそうですが、アーケードとして見た場合は、やっぱり少し狭いように思いました。

再び駅に戻って、今日のクライマックス、
駅構内に入ってみます。雨も上がって明るくなってきました。
左奥に見えるのが、
蒸気機関車(C12-167)、
ディーゼル機関車(DD167)と
給水塔。
奥に見えた
蒸気機関車の方にいると、1両編成のディーゼルカー(左)が入ってきました。右の客車とディーゼルカーは動いていませんでした。
機関車への乗降台に登って
転車台を眺めてみました。ストッパーを外せば二人でも回せそうなので回したかったのですが、流石に・・・ 桜

の時期はきれいでしょうね~
転車台の
銘板です。記載内容は・・・上から
昭和五年(B契橋2104)、川崎車輛株式會社製作、活荷重 E33、鐵道省、材料、C. 八幡製鐵所、L. 八幡製鐵所、日本鋼管會社、鈑.浅野造船所、鋲.浅野小倉製鋼所
・・・と書いてあるようです。一部
意味不明な記号があります。

時代おくれさんは、これを知りたかったから
転車台の凹みに降りようと???・・・・以下省略
駅舎、転車台、給水塔、番所など
どれも開業の昭和5年製造のものです。

すっかりお天気

になったので、最後に高台にある
鬼ヶ城跡へ上って
若桜の街を見下ろそうとしたのですが・・・・
林道を登ったところにある
←の
現在地(駐車場)の周りは人気もなく
熊とか猪でも出そうな雰囲気です。それでも意を決して歩き出すと、
突然の雷雨

急いで車に戻って・・・残念ですが
退散することにしました
(^^;)
林道・・・結構
広いし全線舗装されていますが、こんな怖そうな場所が一箇所だけありました。
帰路は、
R29を
戸倉峠の南まで南下、スグに
K48に入って
ガラ空きの県道を東進することにしました

久しぶりの
K48、殆ど車がいないので
大好きな道のひとつです。
東進中に越える
若杉峠の下りで
停まって撮りました。
前回は雪の中を通りましたが、この
写真のヘアピン左下で撮った写真・・・
こちらです ・・・がありました。
この時のものです。

早めに帰路についたので
全部下道で帰っていると、
R312市川の辺りでまたまた
雷雨
に襲われたので、嫁に撮ってもらいました。
播丹道を通ってなくて良かったです。高速でこんなになったら・・・恐いですから。
何度も雷雨
に襲われたのですが、自宅の周りは全く降っていませんでしたので、帰宅早々、庭に
たっぷりと水撒きをしておきました。
Posted at 2013/07/14 16:37:10 | |
ドライブ | 日記