
長崎では
乗り鉄しながら撮り鉄したほかは、
平和公園周辺を巡り、浜町の
吉宗よっそうで遅い昼食を食べただけ・・・それでも10時前に出発して、帰船は15時前・・・でした。
何と言っても、この
平和記念像は
被爆地長崎のシンボルです。最初に訪れました。
幼児の頃からの記憶ですと、
コンクリート色(白に近い灰色)をしていたはずなのですが、青銅色に。。。
塗ったのかなぁ
何れの画像もクリックで
拡大します。
天を指した
右手は原爆の脅威を示し、水平に伸ばした
左手は平和を祈念し、軽く閉じた
瞼は原爆犠牲者の冥福を祈っているのだそうです。
今回、手前にある池。。。噴水のある池は
平和の泉と呼ばれ、被爆し水を求めてさまよった少女の手記を刻んだ石碑が建てられていることを知りました。
平和記念像の手前には、
放射状をした建造物の基礎があることに気がつき、きっと監獄の跡だろう、と思っていたのですが、調べると長崎刑務所
浦上刑務支所跡であることが判りました。

被爆当時、ここにいた134名(受刑者、被告人81名)は
全員死亡、造船所で役務に就いていた約300名は難を逃れたそうです by Wikipedia
平和記念像から約350m南側には、爆風により破壊された
浦上天主堂の遺壁が移築され、近くには黒御影石で造られた
爆心地を示す碑が建っています。


被爆50周年記念事業碑(左)と浦上天主堂遺壁(右)
ここから100mほど東側に斜面を上がった所に、被爆50周年記念事業の一環で開館した
長崎原爆資料館がありました。この資料館は、前回訪れた2年後に開館しており、
初めて訪れました。


原爆を投下したB-29がエノラゲイでありことは良く知られていますが、これは広島へ投下した機体であり、
長崎に投下したB-29はボックスカーという名称であることを、ここで知りました。


実は、
私も家内も被爆2世(母と義父が長崎で被爆)なのですが、30年前には未だ建っていた私の生家と爆心地との距離感を確認したり、それぞれの今があるのは、いくつもの偶然が重なった結果であることを痛切に感じながら、展示物を見ていました。
最後は、浜町にある
吉宗よっそうで昼食です。

一日乗車券の裏表紙に記載のとおり、
1系統・観光通からスグの通りにあります。
慶応2年創業ですから、この町屋も150歳以上になっていると思われます。
30年前は
木札をキーンと鳴らして、二階の座敷へ案内されましたが、今回は混雑していたこともあって
クルーズ船の乗客も何組か来店していました、直ぐにランチにありつける
一階のテーブル席へと。。。
銀座の吉宗
よっそうですと、
茶碗蒸しと
皿うどんのセットもあるのですが、こちらでは
茶碗蒸しと
蒸し寿司のセットに決まっています。30年前もそうでした (^^ゞ
季節外れの暑さの中を約3時間遊んできたので、
ビールが美味い!! 当然、
茶碗蒸しも蒸し寿司も美味い!
と言った調子で、
今回の長崎観光は終了しました。
つづく
【関連のブログ】
◇
日本列島クルーズ(速報)
◇
日本列島クルーズ(その1:横浜から長崎へ)
◇
日本列島クルーズ(その2:長崎で乗り鉄しながら撮り鉄した)
Posted at 2024/06/01 21:35:55 | |
その他旅行 | 日記