
このツアーも大詰めを迎えており、遂に最後の訪問地となる
ドゥブログニク旧市街まで来ました。
ドゥブログニクの旧市街から少し離れたリゾートエリアのホテルからは、バスで10分ほど。。。ドゥブログニク旧市街の入口にあたる
ピレ門まで来ました。
何れの画像もクリックで
拡大します。
冒頭の画像
👆は、
スルジ山展望台から撮った画像に、ドゥブログニク旧市街の
代表的なスポットを追記したものです。
ピレ門のバス停辺りから、
スルジ山展望台を見上げたところです。
これから、写真の右奥にあるロープウェイ
麓駅から、左上に小さく写っている
展望台に上がります。
ロープウェイ乗り場入口から展望台を見上げたところ(左)。


ロープウェイから見た北側。。。=ドゥブログニク新港、リゾート地の方向。。。の景色(右)。
展望台へは10分ほどで到着。
アドリア海でひと際輝いて見える
ドゥブログニク旧市街を
俯瞰します!!

旧港沖(画面左端)に見える船は
ロストラル・・・
イストラ半島のロヴィニで見たクルーズ船です。
要塞、城壁の形、そして連なる屋根の美しさから、
アドリア海の真珠と呼ばれるほどです。
クルーズ船(旧港沖の
ロストラルと新港の
クイーン・アン、合計2隻)の乗船客も次々と上がって来て、展望台は
大変な混雑になり
(@_@) 名残惜しいのですが、スルジ山から降りることに~
下りのロープウェイから見た
北側の城壁と
ミンチェッタ要塞(城塞の最高地点)です。
真ん中奥は
ロヴリイェナツ要塞(旧市街の外にあり。。。上の写真の右端に写っています)。
ロープウェイの麓駅から、
プロチェ門に向かいます。
手前は
レヴェリン要塞、そして旧港を挟んだ向こうには
聖イヴァン要塞が見えています。
ここからもアドリア海の蒼が眩しく綺麗です。
プロチェ門手前から見た
旧港、右側円錐台状の石垣は
聖ルカ要塞、その奥に
時計台。。。

。。。時計台左下のドームは
聖ヴラホ教会、奥のドームは
大聖堂、左端に
聖イヴァン要塞。
プロチェ門まで来ました(左)。 バス停があって賑やかな
ピレ門が表門ならば、こちらは
裏門か??


プロチェ門にはドゥブログニクの
守護聖人・聖ヴラホ像が彫られていました(右)。
プロチェ門をくぐった辺りで見かけた掲示板です。
クロアチアの独立戦争の傷跡だと判りましたが、


スロベニアを経由してクロアチアの観光地を南下してきたこの旅行で、
初めて独立戦争を認識した瞬間でした。 丁度、この戦争が勃発した年から2~3年は、寝る間もないほど業務量が集中していたこともあり、この年代に起こった出来事は私の脳裏から見事に欠落(流行った音楽も長い間、知りませんでした)しています。 そんなこともあって、この機会に調べた
ユーゴスラビア戦争を備忘録として整理してみます。
ユーゴスラビア戦争の経緯
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◆ユーゴスラビアは、第二次世界大戦後(ナチス・ドイツからの解放後)に、社会主義連邦共和国として動き出した。
◆ユーゴスラビアは、5つの民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、イスラム人)、6つの共和国(スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア)から構成されていた(勿論、言語、宗教も多様)。このことが一つの国家として運営することを難しくしていた。
◆中でも、ナチス・ドイツから開放される過程において発生したクロアチア vs. セルビア双方の民族主義者による敵対勢力に対する蛮行は、永く遺恨を残していた。
◆そんな中、1980年代後半にはソ連国内の民主化、ベルリンの壁崩壊等が起こると共に東側諸国に民主化が広がり、社会主義政権が相次いで崩壊した。
◆ユーゴスラビアにおいても、中心となるセルビア共和国のやり方に反発するコソボ自治州の独立宣言('90年7月)を皮切りに、スロベニア('91年6月・・・10日戦争を経て)、マケドニアが独立した。
◆前述のとおりセルビアとの遺恨を抱えていたクロアチアは、セルビア側との激しい戦争を経て1995年までかかって、ようやく独立を果たした。
◆ボスニア・ヘルツェゴビナにおいても、国内のセルビア人の抵抗が激しく、クロアチアと同様、紛争は1995年まで続いた。
◆モンテネグロは、国際的に独立を認められた2006年までは、ユーゴスラビア連邦共和国および国家連合セルビア・モンテネグロの構成国であった。
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この掲示板は
「1991-1992にかけてのユーゴスラビア軍、セルビア、モンテネグロによるドゥブログニク侵略で受けた被害個所の地図」であると記載されています。 今回、少しだけ調べたことで、
クロアチアがユーゴ軍、セルビア、モンテネグロから侵略された背景も理解できました。
その後、旧市街地(城壁内)を添乗員さんにザッと案内してもらいました。これで、だいたいのことは判りましたので、
午後からは自由散策を楽しむことにします。
昼食は、プロチェ門からスグの所にある
こちらのレストランでとりました。テラスもある
人気店です。
烏賊がとっても美味しかったです・・・って、
何てったってアドリア海ですから
(^^ゞ

つづく
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スロベニア・クロアチア(その1:リュブリャナまで)
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スロベニア・クロアチア(その2:ブレッド湖まで)
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スロベニア・クロアチア(その11:スプリット旧市街)
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スロベニア・クロアチア(その12:【最終形】スプリットからドゥブログニクへ)
Posted at 2025/02/10 23:55:50 | |
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