シャルトルの大聖堂を見学の後は、高速道路A10に戻ってシャンボールを目指しました。
メールというICで高速道路を降り、地方道を通ってシャンボールに向かう途中に見えてきたのは。。。
何れの画像もクリックで
拡大します。
サンローラン原子力発電所です。
1983年に稼働を開始したフランス製のプラントで、
ロワール川の水で冷却されているそうです。
その
ロワール川に架かる橋。。。
修理中で片側相互通行でした。
そこからは直ぐにシャンボール城に到着(15時)。
ロワール地方随一の美しさを誇るシャンボール城の全景です
!
いかにもな写真です。 下調べの時点で撮りたかったのですが、普通のルートで城内に入るとしたら、

撮れないだろう、と諦めていました。ところが添乗員さんが勘違いして、こちら(表玄関)側に案内してくれたので、水鏡は撮れませんでしたが、この
北西方向からの1枚を撮ることが出来ました。
この日の入場口(フランス国旗の下です)は正反対の
南東方向にありました(左)。


厳重なセキュリティチェックの後、説明用タブレットを受け取って入場します。中は、
螺旋階段を中心に用途別に各部屋が配置されていました。
確か4階まで続いていた
螺旋階段・・・現在の低層階ビルにも使える構造ではないかと思います。
螺旋階段を屋上まで上がって眺めた
南東方向の庭です。フランス国旗の下に入口があります。

庭の
並木は四角い形に仕上げられています。これを
カーテン剪定と言うらしいです。現在のフランスではポピュラーな剪定法ですが、
当時は権力の象徴であったとの説明でした。
東側方面の景色です。
コソン川が東側から北側に向けて流れています(左)。


この城には尖塔ではなく、
丸いドーム状の塔が幾つも造られています(右)。 日本で言うところの
うだつに相当する
富の象徴であったようです。
北西側の眺めです。最初に撮った写真全景の写真は
左奥に見える橋のたもとで撮ったものです。
梱包された木箱が展示してありました。
1932年、ナチスが政権を握るとともに、フランスは美術品の避難計画を立案し、その後、順次避難させたましたが、シャンボール城はその避難品の数々を仕分けする
トリアージ センターとして活用されたようです。
敷地内の南側には、小さいながらも端正な教会が建てられていました。
お城の南西側の面を
西側から(左)と、
南側から(右)見た画像です。

西日を受けて輝くシャンボール城。。。広大な見学範囲でしたので、集合時間に遅れた人々を。。。

待っている時間を利用して、最後に駐車場から撮りました
!
17時、若干遅れてシャンボール城を後にし、この日の
宿泊地トゥール市に向かいました。
出発直後、地方道84号から
ロワール川沿いの951号に出るT字路で見かけた交通事故です。
発生直後でした。
写真は右から左に向かう直進車だと思われます。
ロワール川沿いを走ること5~6kmで現れた
水道橋です。遠くから良く目立っていました。

良く判りませんが、
クリスマス高架橋 by Google Map ということでした。
最後になり恐縮ですが、写真に方角を付けて解説していましたので、方角が判りやすいように

Google Mapの航空写真を添付します。
南東の庭と
北西の庭を目印にご参照ください。
つづく
【関連のブログ】
◇
フランス旅行(その1:速報)
◇
フランス旅行(その2:シャルトルまで)
Posted at 2025/03/25 22:28:55 | |
海外(遊び) | 日記