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2025年06月29日 イイね!

バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)

バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)5月24日は、リトアニアの首都・ヴィルニュスを出発し、カウナス、十字架の丘経由で次の国、ラトビアの首都・リーガに向かいます。

カウナスは、ヴィルニュスがポーランドに占領されたWW1とWW2の間、リトアニアの首都になっていました。
その22年間、日本領事館だった建物が、カウナスの高級住宅街に残っており、現在は杉原千畝記念館になっています。


👈こちらは、杉原千畝が実際に発行したビザの1枚です。但し、ビザの顔写真の部分が顔出しパネル様式になっています。杉原千畝記念館にありました。


                  何れの画像もクリックで拡大します。


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朝の6時半、ヴィルニュスでの朝食です。

前日に撮り忘れていたのですが、ゆで卵が登場したくらいで、前日も同様。。。安心の朝食でした。





8時半出発で、ヴィルニュスからは1時間と少々でカウナスに到着。
まずは、上述の高級住宅街の入口付近でバスを降り、徒歩で杉原千畝記念館に向かいます。

杉原千畝は、このカウナスの日本領事館に勤務していた1940年7月から8月の間、多くのユダヤ系難民にビザを発給して彼らの命を救ったことで知られています。
今でこそ知られるこの功績ですが、1980年代になって海外(イスラエルなどユダヤ系社会)で注目され始めました。それでも国内では、ビザ発給は戦前の政府の指示に背いた杉原千畝の独断によるものであった点を重く見てしまったため、日本国政府による公式の名誉回復がなされたのは、以下のとおり2000年になってのことでした。

これまでに外務省と故杉原氏の御家族の皆様との間で、色々御無礼があったこと、御名誉にかかわる意思の疎通が欠けていた点を、外務大臣として、この機会に心からお詫び申しあげたいと存じます。日本外交に携わる責任者として、外交政策の決定においては、いかなる場合も、人道的な考慮は最も基本的な、また最も重要なことであると常々私は感じております。故杉原氏は今から六十年前に、ナチスによるユダヤ人迫害という極限的な局面において人道的かつ勇気のある判断をされることで、人道的考慮の大切さを示されました。私は、このような素晴らしい先輩を持つことができたことを誇りに思う次第です。
                                            — 2000年10月10日の外務大臣河野洋平による演説





昔の田園調布の街を思わせる街並みを徒歩数分。。。杉原千畝記念館に到着しました。
記念館に残っていた領事館当時の写真(下)と比べると、現在、塀は取り払われていますが。。。
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。。。杉原夫婦に、何としてでも人々の命を救おう、と言う気にさせた多くの人が押し寄せた門は、希望の門、命のヴィザと名付けて残されています(右)。










altこちらは、当初ビザを発行していた執務室です。
終盤は、ホテルやベルリンへの車上でも書いていたそうです。

多くの人の命を救ったそのビザですが、ユダヤ人難民避難の枠組みとしては
1)身分証明書
2)受入国ビザ
3)日本通過ビザ

の3点セットで機能させたものと思われます。




まずは1)身分証明書です。解説に以下の内容が記載されていました。
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1940年、在カウナス英国領事館は、ポーランド亡命政府に代わって、身分証明書を発行するという重大決断を下しました。この証明書は、占領下のポーランドからパスポートや正式な身分証明書を持たずに逃れてきた難民を支援するためのものでした。
彼らがこの部屋で杉原千畝に手渡したのは、まさにこの証明書でした。そして彼はそこに「命のビザ」を書き記したのです。
この協力は、第二次世界大戦が勃発するなかで行われた緊急かつ人道的な外交努力の象徴であり、難民にとって命をつなぐ貴重な支えとなりました。



続いて2)受入国ビザです。 
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オランダ領事館の外交官・ヤン・ツヴァルダイクが発行したもので、オランダ領への受け入れを示しています。便宜的にオランダ領への入国ビザとなっていますが、ユダヤ人難民が日本経由で他国へ逃れるための重要な書類となっていました。

3)の日本通過ビザと合わせて1)に記載されています。



最後になりますが、杉原が発行した3)日本通過ビザです。
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英文で、スリナム(スリナム共和国:旧オランダ領ギアナ)、キュラソー島(オランダ領)およびその他のオランダ領への渡航に際し、日本通過を認めることが記載されています。
和文では、査証(蘭領行き、敦賀上陸)、滞在拾日限、昭和十五年七月三十一日、在カウナス、領事代理、杉原千畝 が読み取れます。



因みに、冒頭に載せた査証は、これより1か月ほど後、8月23日に発行されたビザです。英文部分がスタンプになっています。これは、査証を発行するのに万年筆が折れ、腕が萎えるほどで、合間に杉原夫人が腕のマッサージをされたという逸話もありますから、効率アップのために改善されたことが窺えます。


館内には、不穏な足音が忍び寄る時期とはいえ、当時の日本領事の生活を偲ぶ備品がありました。
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杉原千畝記念館には小一時間滞在の後、カウナス旧市街に向かいました。

最初に訪れたのは、14世紀にはドイツ騎士団との戦闘の場になっていたカウナス城です。
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偶然ですが、左端に旧市庁舎イエズス教会(何れも後掲)が写っていました。


1410年、ヴィータウタス大公がドイツ騎士団にタンネンベルクの戦いで勝利を収めてからは、トラカイ城と同様、お城としては機能していないようでした。
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お堀の縁をゆっくりと散歩していると見えてきた聖ゲオルギオス教会。。。ぶっといゴシック様式
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ぐるっと周って市庁舎広場にやってきましたが。。。広場は敷石の全面改装工事中で入れません。
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イエズス教会(左)は全容が判りにくく、白鳥にたとえられる旧市庁舎(右)もパッとしません。

工事塀に描かれていた鳥瞰写真でイメージを膨らませることに。。。して下さい。
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その市庁舎広場に沿って歩いていくと。。。
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ヴィルニュスと同様、カウナスの街にもありました・・・聖ペテロ・パウロ教会
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リトアニア最大のゴシック様式の教会です。





沢山のフレスコ画が描かれた壁、そして凝った造りの彫刻で飾られた祭壇に。。。。暫し見入ってしまいました。


この時点で正午前。







聖ペテロ・パウロ教会から1kmほどの場所にあるレストランMIESTO SODASで昼食です。

マッシュルームスープ(左)とコルドゥナイ(リトアニア風水餃子)ですうまい!うまい!うまい!
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スープもリトアニア風水餃子も、とても美味しいのですが、何しろ量が多い!!


アイスクリームでお口直し (^^)/







この後、午後は十字架の丘があるシャウレイ経由ラトビアの首都・リーガまで、あと270kmほどのバス移動があります。



つづく



【関連のブログ】
 ◇ バルト三国(その1:速報)
 ◇ バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
 ◇ バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
 ◇ バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
 ◇ バルト三国(その5:トラカイへ)
 ◇ バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)


Posted at 2025/06/29 21:00:52 | コメント(1) | 海外(遊び) | 日記

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