
ラトビア観光の初日(5月25日)は、午前中に
ルンダーレ宮殿を観光します。
バルトのベルサイユ宮殿と言われるルンダーレ宮殿は、首都・リーガから南に約80kmの地点・
バウスカの町はずれにあります。従って、前日リトアニアから国境を越えてA8を北上して稼いだ距離を、そのまま南下するイメージです。但し、今度はA7を通ります。
何れの画像もクリックで
拡大します。

3泊するリーガのホテル、
Radisson BLU LATVIJA での初日の朝食です。
リトアニアの
ヴィルニュスでも Raddison でしたが、やはり系列。。。安心の朝食。。。和食はありませんが、
日本と同じ感覚で食べることが出来ます。
こちらでは、注文すれば出来立ての
オムレツが提供されます。
出発は8:15。
まずは前日通った
ダウガヴァ川沿いの道を前日とは逆の向きに走ります。

前日、撮りそこなった
ダウガヴァ川に架かる美しい鉄道橋を撮ろうとしていたら、こんな
モニュメントを発見し、一緒に撮りました。
このモニュメントは、
「1905年のファイターズ」と呼ばれていて、ロシア帝国時代に起こった労働者たちのデモでの為政者との衝突(
血の日曜日事件と呼ばれています)の犠牲者を弔うもので、長いこと埋もれていたものです。
血の日曜日事件は、ロシアの首都・サンクトペテルブルクで発生した衝突を機に、各地に労働者のストライキや農民反乱が拡がり、1907年にかけての
第一ロシア革命に繋がったとされています。当時、
ロシア帝国の支配下にあったこの地域でも、当然ですが血の日曜日事件は
発生しています。
元々、くすぶっていた
上流階級への不満と上流階級が支配する
軍隊における士気の低下=弱体化した軍隊、そこで発生した
日露戦争における敗北とそれに起因する
国内の混乱。。。等が
第一ロシア革命に繋がっているようです。もっとも、日露戦争で日本が勝てたのも、
既に軍隊が弱体化していたからでもあるのでしょうから、まさに
日本が第一ロシア革命に
複雑に関係していると言えるのかも知れません。
ダウガヴァ川の対岸には
ラトビア国立図書館(左)が、中洲には
ラトビア国営公共テレビ局(右)が見えますが、前日渡った橋(Island Bridge)より1本上流側に架かる橋(Suthern Bridge)を渡って。。。


。。。A7を南下し、
45分でバウスカの街を通過しました。
こちらはバウスカの市街地を出る橋から見た
バウスカ城です。今回は訪問しません。
更に走ること10分ほどで、
ルンダーレ宮殿に到着しました。リーガの街を出てからの
約75kmを55分で走っています。一応、高速とは言え、日本で言えば信号のない田舎道ですから、結構なアベレージ(平均時速=約82km/H)だと思いました。
駐車場から宮殿までの道からの景色。。。静かで綺麗。手入れも行き届いた
美しい庭です
(^^)/
宮殿の正面にて、時間調整中に撮りましたが。。。左の
マロニエの木のテッペンに何かある。。。

。。。
コウノトリの巣です
! 前日も道路沿いに何か所か見えていましたが、キッチリ見えたのは
初めて! この時期は
子育て中なのだそうです。
子育て中を観るのは初めてなので、順光の反対側に回ってアップで撮ってみます。まだ孵化していないのでしょうか、
子供は写っていません。因みに、飛んでいるコウノトリは
このように見えます。

結局、10分少々の時間待ちの後、
正門(左)を通って、
前庭に入って(右)。。。


。。。奥に見えている正面玄関から宮殿内に入ります。
ルンダーレ宮殿は、ロシアの女帝アンナに愛され、
クールランド公(以下、公)にまで昇格した
ビロン公により、
1768年に完成したものです。冒頭にも書きましたが、バルトのベルサイユと言われる
バロック様式の豪華な宮殿です。
宮殿内では2階を主体に見学通路が設けられていました。
黄金の間
最初に入った黄金の間と呼ばれる
宮殿一豪華な部屋です。ここで公の戴冠式が行われたそうです。
壁面は
金箔を貼った漆喰彫刻と
人工大理石で覆われ(左)、天井には
フレスコ画が描かれており(右)、贅を尽くした部屋になっています。

白の広間
舞踏会が開催された広間です。女性のドレスを引き立てる効果がある
白一色の内装に注目です
!
黄金の間と同様に美しい
漆喰彫刻に目を奪われますが、こちらは神話(左)や動物(右)。。。

。。。そして農村風景(左)など、
優しく柔らかい表現が特徴的でした。


白の間には、
磁器の間(右)が繋がって配置されていました。
有田焼と思しき作品もありました。
以下、写真を撮っていた
宮殿内の見所を順に載せます。
図書室(左)です。また、
薔薇の間にあった
ロココ様式の椅子と
寄木細工の床(右)です。

化粧室にあった
バスタブ(左)と
トイレ(右)です。

庭の眺めがあまりにも綺麗で公の寝室内を撮り忘れていました。。。
公の寝室からの眺め(左)。

謁見の間にあった調度品はまるで漆塗りのようでした(右)。
イタリアの間には、イタリアの画家の手による絵画が沢山ありました(左)。

大理石の間は、
ダイニングルームとして機能していたようです(右)。
ビリヤード室(左)・・・やけに大きいビリヤード台が置いてありました。

夫人の寝室も公開されています(右)。
宮殿内部を一通り見学のあとは、
ミニトレインに乗って庭園を周ります。所要時間は20分弱でした。


広い庭園を行ったり来たり巡ってくれたミニトレインです。おかげで楽チンでした。
宮殿内部の観光と合わせてルンダーレ宮殿には1時間半以上滞在しており、この時点で11時半を回っていますが、
昼食は未だ食べさせてもらえず。。。このあとリーガに戻る行程が待っています。
つづく
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Posted at 2025/07/12 21:55:21 | |
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