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2025年07月12日 イイね!

バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)

バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)ラトビア観光の初日(5月25日)は、午前中にルンダーレ宮殿を観光します。

バルトのベルサイユ宮殿と言われるルンダーレ宮殿は、首都・リーガから南に約80kmの地点・バウスカの町はずれにあります。従って、前日リトアニアから国境を越えてA8を北上して稼いだ距離を、そのまま南下するイメージです。但し、今度はA7を通ります。


                     何れの画像もクリックで拡大します。


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3泊するリーガのホテル、Radisson BLU LATVIJA での初日の朝食です。
リトアニアのヴィルニュスでも Raddison でしたが、やはり系列。。。安心の朝食。。。和食はありませんが、日本と同じ感覚で食べることが出来ます。

こちらでは、注文すれば出来立てのオムレツが提供されます。



出発は8:15。
まずは前日通ったダウガヴァ川沿いの道を前日とは逆の向きに走ります。
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前日、撮りそこなったダウガヴァ川に架かる美しい鉄道橋を撮ろうとしていたら、こんなモニュメントを発見し、一緒に撮りました。

このモニュメントは、「1905年のファイターズ」と呼ばれていて、ロシア帝国時代に起こった労働者たちのデモでの為政者との衝突(血の日曜日事件と呼ばれています)の犠牲者を弔うもので、長いこと埋もれていたものです。



血の日曜日事件は、ロシアの首都・サンクトペテルブルクで発生した衝突を機に、各地に労働者のストライキや農民反乱が拡がり、1907年にかけての第一ロシア革命に繋がったとされています。当時、ロシア帝国の支配下にあったこの地域でも、当然ですが血の日曜日事件は発生しています
元々、くすぶっていた上流階級への不満と上流階級が支配する軍隊における士気の低下=弱体化した軍隊、そこで発生した日露戦争における敗北とそれに起因する国内の混乱。。。等が第一ロシア革命に繋がっているようです。もっとも、日露戦争で日本が勝てたのも、既に軍隊が弱体化していたからでもあるのでしょうから、まさに日本が第一ロシア革命に複雑に関係していると言えるのかも知れません。



ダウガヴァ川の対岸にはラトビア国立図書館(左)が、中洲にはラトビア国営公共テレビ局(右)が見えますが、前日渡った橋(Island Bridge)より1本上流側に架かる橋(Suthern Bridge)を渡って。。。
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。。。A7を南下し、45分でバウスカの街を通過しました。


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こちらはバウスカの市街地を出る橋から見たバウスカ城です。今回は訪問しません。







更に走ること10分ほどで、ルンダーレ宮殿に到着しました。リーガの街を出てからの約75kmを55分で走っています。一応、高速とは言え、日本で言えば信号のない田舎道ですから、結構なアベレージ(平均時速=約82km/H)だと思いました。
駐車場から宮殿までの道からの景色。。。静かで綺麗。手入れも行き届いた美しい庭です (^^)/
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宮殿の正面にて、時間調整中に撮りましたが。。。左のマロニエの木のテッペンに何かある。。。
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。。。コウノトリの巣です 前日も道路沿いに何か所か見えていましたが、キッチリ見えたのは初めて!  この時期は子育て中なのだそうです。

子育て中を観るのは初めてなので、順光の反対側に回ってアップで撮ってみます。まだ孵化していないのでしょうか、子供は写っていません。因みに、飛んでいるコウノトリはこのように見えます。
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結局、10分少々の時間待ちの後、正門(左)を通って、前庭に入って(右)。。。
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。。。奥に見えている正面玄関から宮殿内に入ります。



ルンダーレ宮殿は、ロシアの女帝アンナに愛され、クールランド公(以下、公)にまで昇格したビロン公により、1768年に完成したものです。冒頭にも書きましたが、バルトのベルサイユと言われるバロック様式の豪華な宮殿です。
宮殿内では2階を主体に見学通路が設けられていました。


黄金の間
最初に入った黄金の間と呼ばれる宮殿一豪華な部屋です。ここで公の戴冠式が行われたそうです。
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壁面は金箔を貼った漆喰彫刻人工大理石で覆われ(左)、天井にはフレスコ画が描かれており(右)、贅を尽くした部屋になっています。
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白の広間
舞踏会が開催された広間です。女性のドレスを引き立てる効果がある白一色の内装に注目です
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黄金の間と同様に美しい漆喰彫刻に目を奪われますが、こちらは神話(左)や動物(右)。。。
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。。。そして農村風景(左)など、優しく柔らかい表現が特徴的でした。
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白の間には、磁器の間(右)が繋がって配置されていました。有田焼と思しき作品もありました。


以下、写真を撮っていた宮殿内の見所を順に載せます。

図書室(左)です。また、薔薇の間にあったロココ様式の椅子寄木細工の床(右)です。
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化粧室にあったバスタブ(左)とトイレ(右)です。
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庭の眺めがあまりにも綺麗で公の寝室内を撮り忘れていました。。。公の寝室からの眺め(左)。
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謁見の間にあった調度品はまるで漆塗りのようでした(右)。


イタリアの間には、イタリアの画家の手による絵画が沢山ありました(左)。
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大理石の間は、ダイニングルームとして機能していたようです(右)。


ビリヤード室(左)・・・やけに大きいビリヤード台が置いてありました。
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夫人の寝室も公開されています(右)。



宮殿内部を一通り見学のあとは、ミニトレインに乗って庭園を周ります。所要時間は20分弱でした。

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広い庭園を行ったり来たり巡ってくれたミニトレインです。おかげで楽チンでした。




宮殿内部の観光と合わせてルンダーレ宮殿には1時間半以上滞在しており、この時点で11時半を回っていますが、昼食は未だ食べさせてもらえず。。。このあとリーガに戻る行程が待っています。


つづく



【関連のブログ】
 ◇ バルト三国(その1:速報)
 ◇ バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
 ◇ バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
 ◇ バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
 ◇ バルト三国(その5:トラカイへ)
 ◇ バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
 ◇ バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)
 ◇ バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)


Posted at 2025/07/12 21:55:21 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記

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