
トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟を見学した後、この日(5月26日)、
スィグルダで残りの観光はスィグルダ城址のみでした。
昼食をスィグルダでとったあとは、リーガに戻って自由時間を過ごします。
適当に買い物をして夕食を食べたら終わりかな、とリサーチしてはいましたが。。。
どうなったことでしょうか?
何れの画像もクリックで
拡大します。
スィグルダ城址は、トゥライダ城やグートゥマニャ洞窟とはガウヤ川を挟んだ対岸にあります。渓谷を渡るロープウェイもあり、渓谷美を楽しむこともできそうですが、我々はバスで数分の移動となりました。
スィグルダ城跡
こちらのお城は、トゥライダ城より若干早く建造が開始されましたが、同様にたび重なる戦争で破壊されていたようです。
駐車場から歩いて行って、まず見えたのがこちらです。
綺麗なお城!と思っていたら。。。

。。。こちらは
スィグルダ新城で、1878年に建てられ、当初は
マナーハウスとして貴族が使用していたそうです。
。。。で、その裏側に実際の
スィグルダ城址がありました。こちらは1207年に建造開始ですので。。。

。。。新城が明治時代、旧城が鎌倉時代に建てられたことになります。
以上でスィグルダの街の観光は終了し、
ホテル・スィグルダ(冒頭に掲示)で昼食をとります。
キッチリ冷えたサラダ(左)、これだけでお腹いっぱいだったかも
(^^ゞ 当然、ビール🍺は。。。


。。。ラトビアのメジュピルス・アルス(右)。
メインはロールキャベツ(左)。これが
ロールキャベツ?って判りにくいので断面も載せます(右)。


キッチリと濃い味で美味しいロールキャベツでした


デザートは4人テーブルで、メレンゲの色が3種類あったので並べてパチリ。
往路と同様、小一時間でリーガまで戻ってきました。ホテル着は15時を回っていたと思います。
リーガの旧市街復習と夕飯@
Radisson Blu Latvija Conference & Spa Hotel

中央市場への買い出しは、
この時に断念していたので、次善の策として考えていたラトビア料理の店にも行ってみようと思いましたが、
ホテルの26階にあるラウンジで簡単に済ませた方が(何処も美味しいのですが、少々味が濃いいこともあってお腹を休める意味でも)良さそう。。。と思ったのでトライすることにしました。
近隣のスーパーで土産のビールやチョコレートを買いに行ったりしているうちに、ちょうど良い時間。。。普段は17時過ぎに夕食を食べ始めています。。。になったので、専用のエレベーターで突進。。。
まずはラウンジの中を一周。中々良い眺めです。
但し、
どうやったら席を用意してもらえるのか。。。不案内です。
システムが判らないけど、夕飯を食べたいのだが。。。と訊いてみると、何か所か席を示してくれました。ラウンジを一周する間に、狙っていた
特等席。。。旧市街が一望出来て、賑やかな集団とは離れている静かなエリア。。。を所望したのは言うまでもありません
(^^ゞ
以降、ご飯がやってくるまで、復習を兼ねて26階の窓際から旧市街の主な所を撮ってみました。
練習がてらトロリーバスを撮ったものです。
一段下の左端の写真中央左の街角です。
ラウンジの窓の向きは
東南方向です。
リーガの旧市街を、左側から順に3枚(水平方向の画角は約90度です)撮りました。少しずつ重ねて撮っていますので、ほぼ南方向(左)、東南方向(中央)、東北東方向(右)になります。
大きなor判りやすい目印としては、
左:テレビ塔、ラトビア国営公共テレビ局、中央市場、鉄道橋、聖ペテロ教会
中央:聖ペテロ教会、自由記念碑、国立図書館、リーガ大聖堂(これ以降は(右)にも登場
右:リーガ大聖堂、火薬塔、聖ヤコブ教会、スウェーデン兵舎 等が良く見えていました。



手前に見えている金色坊主の建物は、リーガ観光中の
イヤホンガイドでは、一切言及されなかった(と思います)建物です。調べてみるとロシア帝国の一部だった時代に
ロシア正教会として建立(バルトで最大)されたあとは、ドイツ占領下では
ルーテル教会になり、ソ連の占領下においては
プラネタリウムとされるなど、数奇な運命を辿ってきた建物のようです。現在は
キリスト生誕大聖堂として修復されています。2010年に、金メッキが鐘楼とドームに施工されています。
再度、左から(南東方向側から)ズームで撮ってみました。あらためて、目印が良く判ります。
ラトビア国営公共テレビ局、中央市場、右端に鉄道橋
鉄道橋、聖ヨハネ教会、聖ペテロ教会
鉄道橋の写真に
はリベットが写っているかなぁと期待しましたが。。。無理ですね。
Posted at 2025/07/28 20:04:39 | |
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