
バルト三国のブログ、本稿で
最終回です。
帰国後も(殆ど
毎日が日曜日のくせに)多忙だったり、自分自身の老化(これが一番の原因でしょうが)のせいで手が遅くなったことから、ブログ上でもやっと帰国の途につきました
(^^ゞ
今回のツアーでは、帰国の日も午前中は観光が用意されており、午後からEU内を移動(エストニア→フィンランド)し、夕方、日本に向けて出発するという行程です。
何れの画像もクリックで
拡大します。
バルトの朝食も、これが最後。。。しばらくは海外の朝食ともお別れです。
ホテルのレストランで、タリン港をバルト海に向けて出航するフェリーを見ながら。。。普通の洋食ですが。。。ゆっくりと朝食を味わいます。
比較的ゆったりとしたツアーで、それでも朝食は大抵6時半からです。そして出発はだいたい8時半から9時頃と、優しい行程が組まれていました。
最終日は出発も10時と更にのんびり。。。
まぁ、午前中の観光も時間調整の感が無きにしも非ず。。。でしたが、私個人としては、結構
シリアスな思いを抱いたりしております。
それはさておき。。。
やって来たのは、
エストニア野外博物館!

こちらでは、19世紀から20世紀にかけての農村生活を各地から建物を移築、再現しているそうです。20世紀半ばからは、ソ連の農村政策に則って、
エストニアの農業も無理やりコルホーズ化され(恐らく大半は)破壊されていますので、旧いエストニアの農村を残しておこうという
エストニアの執念を感じます。
入口からは、正面の直線道路を海辺まで北上し、帰りは一本西側の道を通って教会、消防署。。。


。。。学校の順に見学しました(場内地図(左)参照)。入口管理事務所にあった公衆電話(右)ですが、バルト三国で初めて見た公衆電話かも知れません。
最初の展示物は、
一般農家でした。
農家では住民に扮した職員さんも出迎えてくれます。
茅葺の屋根は日本家屋に似ています。

一般農家の内部には、農機具や生活道具が展示されていましたが、19世紀とすると。。。


。。。江戸時代後期になります。そんなものでしょうかね。
更に奥へ直線道路を北上します。博物館ですので当然ですが、車も通らず快適に散策出来ます。
途中には他にも似たような集落(詳細は判りません)があります。
直線道路を海辺に近くまで行ったら見えてきた
丸太小屋(左)。表に周って見ると。。。


。。。どうやら漁具などを入れておく倉庫のようです(右)。
漁師の住居らしき建物もあります(左)。
漁師小屋の内部(右)がいかにもって感じです。

帰路に撮りました。何故か、場内地図には
NATSI TUULIKナチスの風車と書かれている風車です。
帰路、一本西の道に渡る道路に沿っては
教会もありました(左)。祭壇(右)も再現されています。

ちゃんと
消防署もありました(左)。可愛い建物です。 江戸時代の火消しよりも進んでいる?(右)

学校もありました(左)。内部は学校ではなく、家庭の生活様式が再現されていました(右)。

約1時間半を野外博物館で過ごしたところで
バルト三国の観光は終了しました。
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この8日間お世話になったバスです。日本でもトラックは見かける
SCNIA社製。。。



。。リアには「SCANIA in cooperation with HIGER」と
HIGERとの協業(HIGER社は車体部品全般を担当)を強調しています(中)。
注)HIGER社とは、1998年末に中国蘇州で設立されたバス製造会社です。
タリンの空港からヘルシンキまでは、
フィンエアーAY1020便で30分ほどです(左)。


徒歩でATR72に搭乗します。タリンのターミナルビル。。。可愛いかったです(右)。
タリン離陸直後です。
タリン市の東端で北に機首を向けたところです。遠くに見えるのが。。。

。。。タリン新市街です。その奥に旧市街があるはずですが、明瞭ではありません。
30分ほどでヘルシンキに到着。乗り継ぎに1時間ほど時間があるので、いつもの?お店に入り。。。


。。。ひと息(左)。 ヘルシンキでは
入出国の査印が几帳面に押されます(右)。 上から
北欧クルーズ(2018年2月)、
スロベニア・クロアチアの旅(2024年9月)、そして今回(2025年5月)とヘルシンキ乗継で欧州旅行をしていますが、何れも
同じページに整然と押してくれています。
あと1回分余白があります 笑
ヘルシンキからは
フィンエアーAY-0067便で関空へ直行です。
離陸後2時間弱で晩ごはんです。エコノミークラスでもワイン🍷とビール🍺が頂けるので。。。


。。。
最近はこのくらいで充分満足です。
今回も、往路は北極経由、復路は内陸周りでした。離陸後3時間で
黒海にさしかかり(左)。。。


。。。同じく11時間半で
朝鮮半島です(右)。
最終的に、トータル
12時間50分で関空に着陸・・・計画どおりでした。 全体の航路実績は冒頭に載せてあります。
ずっと以前、今思えばコロナ禍になるずっと前ですが、
いつかはサンクトペテルブルクに行ってみたいと思っていました。ところが、コロナ禍でグズグズしている間に、
ロシアに行くなんてとんでもない!状況になってしまいました。
そんな時ですから、サンクトペテルブルクほどではないにしても、その
雰囲気が少しでも味わえるバルト三国へ行こう
!ということになり、それもロシアが悪さをしないうちに。。。と、今回の旅行を計画した次第です。
ところが、行ってみると至るところで
ソ連、ロシアの悪い所が目につき、鼻についてしまいました。弊ブログでも、何か所かその感情にまかせて記述したところがあり、お気づきかと思います。平時にロシアやバルト三国に行っても学べない、気が付かない歴史上のできごと、いま今の悪事、悪行など、
良~く判った旅行になったと思います。
そういう意味も含めて、
行って良かったです! 有意義でした!
- 完 -
【関連のブログ】
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バルト三国(その1:速報)
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バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
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バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
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バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
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バルト三国(その5:トラカイへ)
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バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
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バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)
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バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)
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バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)
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バルト三国(その10:リーガ旧市街)
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バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)
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バルト三国(その12:トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟)
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バルト三国(その13:スィグルダの次はリーガに戻って。。。)
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バルト三国(その14:ラトビアからエストニアへ)
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バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)
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バルト三国(その16:タリン旧市街・後半)
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バルト三国(その17:ロシア戦闘機がエストニア領空を侵犯)
Posted at 2025/09/23 09:21:33 | |
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