バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)からの続きです。
聖ニコラス教会を観光後は、旧市街の中心部ラエコヤ広場をスタートして、東側の旧市街を一巡して、午前中はそこで解散となりました。
👈こちらは、自由散策時に観たライ通り。。。
三人兄弟(黄色い壁とその両側の家)と
聖オレフ教会(奥)です。
何れの画像もクリックで
拡大します。
聖ニコラス教会からラエコヤ広場に向かう中間点で、観光案内所前にあった(今となっては)
謎の像。。。何だったのか??
思い出せません。
広場に着いてみると、
旧市庁舎は改装工事中でガッカリ。。。塔の上半分は後で登場します。
ラエコヤ広場
旧市庁舎を右手に見た場所からの広場です。上の写真のやや左より、東向きです。
そこから更に左=北側を見た写真(左)と、西側(来た方)を見た写真(右)です。

市議会薬局
オーナーが市会議員だったという
1422年創業の薬局。広場の北東の角にありました。


ドイツ語にすると、Rats(市議会の)apotheke(薬局)になります。
カタリーナの小径
タリン旧市街においても、最も中世らしい場所ということで、連れて行って貰った通路。。。

。。。中世薬局の角から更に東にあります。ガイドさん撮影の写真が
一番それらしいので採用
(^^ゞ
カタリーナの小径で週末はランチも営業しているイタリアン(椅子と机が片づけてある)の前(左)と


チョット覗いてみた小間物屋(右)。
カタリーナの小径からヴィル門に移動して、ヴィル門から見たラエコヤ広場方面の
市庁舎。。。

。。。残念ながら、ヴィル門は撮り忘れです
(>_<)
市庁舎の塔は高さ65mあって、タリンのシンボルである
トーマスおじいさんが街を見守っています。。。拡大して貼り付けました。
ここで
ツアーは解散です。我々は、軽くランチを食べることにして、ラエコヤ広場で食べるところを物色。。。改装中の市庁舎1階にあるお店に入りました。
Ⅲドラゴンという居酒屋です。
まぁ、兎に角、
変なお店でした。。。その店を仕切っているのは、つっけんどんな
お婆おばば!
家内:マッシュルームのコロッケが食べたいのだけど。。。
お婆:判る??マッシュルームは秋口にしか獲れないんだよっ
! 今あるわけないじゃないのっ
!
家内:じゃぁ、何があるの?
お婆:ほうれん草のパイならある・・・(家内)これでOK
私 :(メニュー板見ながら)このSeasabaって何?(
鯖の照り焼きを期待しつつ訊いてみました)
お婆:
豚の尻尾だよ、美味しいよ、食べてみるかい?・・・(私)OK食べてみる
!あとラガーね。
お婆:・・・でチップは私にいくらくれるんだい?・・・(私)10%
ってな会話をテンポよく交わします。但し、お婆は
、怒ってんのか?と思うくらい
つっけんどんな言い方でした。家内は
横暴なお婆!と言ってますが、私は日本人は優柔不断で決断が遅いから、この位言わないと仕事が捌けないのだろうくらいにしか、その時は思っていませんでした。
帰宅後に確認すると
ネットでの口コミは(本気で怒っている人もいて)散々なものがありますが、わざと中世の居酒屋を演出していた
つもりのようでした。


その豚の尻尾です。まず、終端部から齧ってみましたが、硬くて食えない。。。
ちぎれた端部が写っています(右)。次に根っこの方を食べると。。。これが
とろける様に美味しい

市庁舎は工事中ですので、まぁ、よくもこんな店に入ったな、と思うほどの店でしたが、ちゃんと工事中にもかかわらず営業中であることの表示は、されていました。。。中世らしく、皮肉っぽく?
豚の尻尾という
珍しくも美味しいモノが食べられたし、ラガーも飲めたし、私にとってはソコソコに楽しいお店でした。
実は添乗員さんお奨めの店ですが、ひょっとして彼も奨める相手は選んでいるのかも知れませんね
(^^ゞ
昼食後の自由散策は、
旧市街下町の北部を周ることにしました。地図は
こちらをご参照下さい。
ラエコヤ広場広場から
ピック通りを北上すると、右側に現われたのは。。。
ブラックヘッドの会館
元は14世紀に組織された社交団体の建物。。。
16世紀に改築され、壁には騎士の姿やハンザ都市の紋章などを表わしたレリーフが飾られていました。
ドアは17世紀のものだそうです。
その先の公園があるY字路にあった。。。
小さい礼拝堂
気になったので調べてみると、1909年建立の礼拝堂ですが、1960年代には電話ボックス、そしてキヨスクとして使われ、1990年代初頭に閉鎖された、ことが判りました。
ピック通りから
ヴァイム通りを使ってライ通りに出た所で北側を撮ったのが冒頭の写真です。黄色い建物を中心に並んだ3軒が。。。
三人兄弟です。特徴的な造りについては、後掲の三人姉妹の項に記載します。
プレートタワー
三人兄弟の前の路地から、北西側城壁を見たところに監視塔が見えました。円筒形ではなく、一部に四角い平面。。。でプレート
!
三人兄弟から聖オレフ教会までの間に停まっていたバイクです。
チョット珍しいので、撮っておきました。ブリクソン フェスベルク125(左)とQJモーター SRV300(右)です。ブリクソンは
ストリートビューにも写っていますので、路駐常習者?
(^。^)y-.。o○

ブリクソンはオーストリアのKSRグループが英国をイメージして造ったモデル。QJモーターは中国プレミアムブランドの中国製バイク。

直ぐに
聖オレフ教会に到着しました。
13世紀には史実として記録されているそうですが、現在の姿になったのは1840年で、塔の高さは124m。。。15世紀には159mだったそうです。
オレフと言う名は建設に携わった人の名前で、完成寸前に十字架の取付調整中に彼が落下し。。。
。。。口から1匹のヒキガエルと1匹の蛇が現われ、
彼の身体は直ぐに石になってしまい、人々は彼を哀れんでその名を教会に冠した、という伝説があります。
聖オレフ教会主祭壇です。
教会の裏手(ピック通り側)に周るとありました
! 外壁に、その
伝説の石を発見
!
キリスト受難の様子を描いたレリーフ(左)と、その下に横たわるオレフの石像(右)です。

その後、ライ通りから
トリ通りを使って再びピック通りへ戻ると(阿弥陀くじのような
ジグザグ動き)。。。

。。。そこには
三人姉妹が建っていました。
前述の三人兄弟も同様ですが、15世紀に建てられたタリンの住宅は、ハンザ都市リューベックの法律に従っており、建物の正面部分は道路に面し、
上部の壁にはクレーンが設置されて、屋根裏の倉庫への荷下ろしが出来るようになっています。
なお、1階は広い事務所と、その奥に住居が配置されているそうです。
三人姉妹の奥には
スール・ランナ門が。。。

。。。そして、門の右奥にある
ふとっちょマルガレータの屋根がチョコッと見えています。
この時点で、未だ13時半。疲れていたのと、翌日は帰国の日なので体力温存も考慮して。。。

。。。門を出て直ぐの電停(スール・ランナ門)から。。。
。。。ホテル近くの電停Paberiまでトラム(ポーランド
PESA社製ツイスト)に乗って帰りました。


本当は船舶博物館になっている
飛行艇埠頭にも行ってみたいと思っていたのですが、残念でした。
トラム車内前方(左)と、乗って来た
2系統Suur-Paala行トラム(右)。
この旅最後の晩御飯は、何と
日本食! ホテルに隣接するスーパーに行って買ってきた。。。


。。。焼き鳥、巻きずし、サラダと赤ワイン、スパークリングワイン、そしてエストニアのビール。。。
。。。を、17時半頃から、こんな景色を眺めながらいただきました。この位が丁度良い



なお、このビールは一時期
業務スーパーでも輸入・販売していたようです。今度見つけたら買ってみます
(^^)/
そして、ここでも撮り鉄
!
2系統 Kopli ⇆ Suur-Paala 。電車は乗って来たのと同じ
ツイスト(左)。また、前日にも。。。



。。。撮っていました
! こちらはスペイン
CAF社製ウルボスAXL(右)。こちらの方が古く、採用した20両(501~520)全てに
女性名の愛称が付けられています。上は513で
Katariina、下は515で
Koidula ちゃん?です
♥
翌日は帰国の日です。正確には、午後からタリンを発って、ヘルシンキ経由で日本に向かう日で、午前中はタリン郊外のエストニア野外博物館を見学します。
つづく
【関連のブログ】
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バルト三国(その1:速報)
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バルト三国(その2:往路ヴィルニュスまで)
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バルト三国(その3:ヴィルニュス初日のランチまで)
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バルト三国(その4:ヴィルニュス初日の午後は街歩き)
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バルト三国(その5:トラカイへ)
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バルト三国(その6:KGB博物館@ヴィルニュス)
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バルト三国(その7:カウナス。。。杉原千畝)
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バルト三国(その8:十字架の丘を経てラトビアの首都・リーガへ)
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バルト三国(その9:ルンダーレ宮殿)
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バルト三国(その10:リーガ旧市街)
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バルト三国(その11:リーガ・ユーゲントシュティール建築群)
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バルト三国(その12:トゥライダ城とグートゥマニャ洞窟)
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バルト三国(その13:スィグルダの次はリーガに戻って。。。)
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バルト三国(その14:ラトビアからエストニアへ)
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バルト三国(その15:タリン旧市街・前半)
Posted at 2025/09/13 22:09:37 | |
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