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TMKのブログ一覧

2025年02月10日 イイね!

スロベニア・クロアチアの旅(その13:ドゥブログニク旧市街・午前の部)

スロベニア・クロアチアの旅(その13:ドゥブログニク旧市街・午前の部)このツアーも大詰めを迎えており、遂に最後の訪問地となるドゥブログニク旧市街まで来ました。

ドゥブログニクの旧市街から少し離れたリゾートエリアのホテルからは、バスで10分ほど。。。ドゥブログニク旧市街の入口にあたるピレ門まで来ました。


    何れの画像もクリックで拡大します。


冒頭の画像👆は、スルジ山展望台から撮った画像に、ドゥブログニク旧市街の代表的なスポットを追記したものです。


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ピレ門のバス停辺りから、スルジ山展望台を見上げたところです。

これから、写真の右奥にあるロープウェイ麓駅から、左上に小さく写っている展望台に上がります。



ロープウェイ乗り場入口から展望台を見上げたところ(左)。
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ロープウェイから見た北側。。。=ドゥブログニク新港、リゾート地の方向。。。の景色(右)。



展望台へは10分ほどで到着。
アドリア海でひと際輝いて見えるドゥブログニク旧市街俯瞰します!!
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旧港沖(画面左端)に見える船はロストラル・・・イストラ半島のロヴィニで見たクルーズ船です。


要塞、城壁の形、そして連なる屋根の美しさから、アドリア海の真珠と呼ばれるほどです。
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クルーズ船(旧港沖のロストラルと新港のクイーン・アン、合計2隻)の乗船客も次々と上がって来て、展望台は大変な混雑になり (@_@) 名残惜しいのですが、スルジ山から降りることに~
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下りのロープウェイから見た北側の城壁ミンチェッタ要塞(城塞の最高地点)です。


真ん中奥はロヴリイェナツ要塞(旧市街の外にあり。。。上の写真の右端に写っています)。





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ロープウェイの麓駅から、プロチェ門に向かいます。


手前はレヴェリン要塞、そして旧港を挟んだ向こうには聖イヴァン要塞が見えています。
ここからもアドリア海の蒼が眩しく綺麗です。




プロチェ門手前から見た旧港、右側円錐台状の石垣は聖ルカ要塞、その奥に時計台。。。
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。。。時計台左下のドームは聖ヴラホ教会、奥のドームは大聖堂、左端に聖イヴァン要塞


プロチェ門まで来ました(左)。 バス停があって賑やかなピレ門が表門ならば、こちらは裏門か?
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プロチェ門にはドゥブログニクの守護聖人・聖ヴラホ像が彫られていました(右)。


プロチェ門をくぐった辺りで見かけた掲示板です。 クロアチアの独立戦争の傷跡だと判りましたが、
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スロベニアを経由してクロアチアの観光地を南下してきたこの旅行で、初めて独立戦争を認識した瞬間でした。 丁度、この戦争が勃発した年から2~3年は、寝る間もないほど業務量が集中していたこともあり、この年代に起こった出来事は私の脳裏から見事に欠落(流行った音楽も長い間、知りませんでした)しています。 そんなこともあって、この機会に調べたユーゴスラビア戦争を備忘録として整理してみます。

ユーゴスラビア戦争の経緯
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ユーゴスラビアは、第二次世界大戦後(ナチス・ドイツからの解放後)に、社会主義連邦共和国として動き出した。
◆ユーゴスラビアは、5つの民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、イスラム人)、6つの共和国(スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア)から構成されていた(勿論、言語、宗教も多様)。このことが一つの国家として運営することを難しくしていた。
◆中でも、ナチス・ドイツから開放される過程において発生したクロアチア vs. セルビア双方の民族主義者による敵対勢力に対する蛮行は、永く遺恨を残していた。
◆そんな中、1980年代後半にはソ連国内の民主化、ベルリンの壁崩壊等が起こると共に東側諸国に民主化が広がり、社会主義政権が相次いで崩壊した。
◆ユーゴスラビアにおいても、中心となるセルビア共和国のやり方に反発するコソボ自治州の独立宣言('90年7月)を皮切りに、スロベニア('91年6月・・・10日戦争を経て)、マケドニアが独立した。
◆前述のとおりセルビアとの遺恨を抱えていたクロアチアは、セルビア側との激しい戦争を経て1995年までかかって、ようやく独立を果たした。
ボスニア・ヘルツェゴビナにおいても、国内のセルビア人の抵抗が激しく、クロアチアと同様、紛争は1995年まで続いた。
モンテネグロは、国際的に独立を認められた2006年まではユーゴスラビア連邦共和国および国家連合セルビア・モンテネグロの構成国であった。

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この掲示板は「1991-1992にかけてのユーゴスラビア軍、セルビア、モンテネグロによるドゥブログニク侵略で受けた被害個所の地図」であると記載されています。 今回、少しだけ調べたことで、クロアチアがユーゴ軍、セルビア、モンテネグロから侵略された背景も理解できました。


その後、旧市街地(城壁内)を添乗員さんにザッと案内してもらいました。これで、だいたいのことは判りましたので、午後からは自由散策を楽しむことにします。



昼食は、プロチェ門からスグの所にあるこちらのレストランでとりました。テラスもある人気店です。
烏賊がとっても美味しかったです・・・って、何てったってアドリア海ですから (^^ゞ
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つづく



【関連のブログ】
 ◇ スロベニア・クロアチア(速報)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その1:リュブリャナまで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その2:ブレッド湖まで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その3:ブレッド城からポストイナまで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その4:ポストイナ鍾乳洞からクロアチアのオパティアまで)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その5:イストラ半島 ①モトブン)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その6:イストラ半島 ②ロヴィニ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その7:イストラ半島 ③プーラからオパティアへ戻る)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その8:ラストケ村経由でプリトヴィッツェ湖群国立公園へ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その9:プリトヴィッツェ湖群国立公園・上の湖)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その10:クルカ国立公園経由でスプリットへ)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その11:スプリット旧市街)
 ◇ スロベニア・クロアチア(その12:【最終形】スプリットからドゥブログニクへ)




Posted at 2025/02/10 23:55:50 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2025年02月08日 イイね!

餘部駅 → 香住で撮り鉄

餘部駅 → 香住で撮り鉄大雪だぁと世間で騒いでいる数日前から狙っていました
山陰本線の雪景色が良いか、京丹後鉄道の雪景色が良いか悩み。。。
7日、可能ならば両方ともと欲張って出かけましたが時間切れで、結果的に山陰本線の餘部駅から香住駅にかけて撮って終わりました。



                  何れの画像もクリックで拡大します。


冒頭の写真は、餘部駅の手前から見た余部橋りょうです。何度か来ていますが、雪の中は初めてでするんるん
ここで浜坂行のキハ47を撮ろうと暫し待ちましたが、大分遅れており、餘部駅で撮ろうと思っていた次のはまかぜ1号が撮れなくなるので、諦めて移動。。。



道の駅・あまるべに駐車して、JRの駅までは余部クリスタルタワーエレベータですで上がります。随分昔ですが、最初に来た時は徒歩で上がりました。 餘部駅や余部橋りょうについては初回訪問時のブログをご参照ください。

通路は駅ホームへの往復範囲に限定して、しっかり除雪されています。つまり、その範囲外のエリアは見事に雪に覆われており、従って、観光用に駅南面に設けられた展望台への上り道は完全に埋まっていました (T_T) 因みに、展望台に設置されているライブカメラの画像はこちらで見ることが出来ます。




餘部駅
エレベータで餘部駅に上がって、雪に埋もれた上述の様子を確認している最中に、30分ほど遅延しているはまかぜ1号がやってきました
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左端に写っている青いガラス張りの塔がエレベータです。

架け替えられた余部橋りょうの特徴であるS字カーブ。。。トンネルから出た所で線路が右に平行移動している様子。。。が、微かに見えています。





次の上りを待っている20分ほどの間に、良い感じに雪が降り始めて。。。
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タラコ色のキハ47がやってきました







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播但線と違って、2両編成で運用されており、さすがに幹線は違いますね。








この時は、未だ京丹後鉄道にも行くつもりでしたので、これだけ撮って次のスポットへ急ぎますが、
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厳しい冬の余部海岸の風景も忘れずに撮っておきました。



道の駅・あまるべでお土産を買った際に、店員さんから鎧駅までの道の情報を聞いて一安心。。。人家があるので除雪はされているだろうとは思ってはいたのですけど。。。インプレッサで行くのには全く問題なさそうです。




R178から余部橋りょう
。。。R178を鎧駅方面に走っていると、冒頭の写真に写っているように撮り鉄のベストポジションで作業中だった除雪車がいないことに気づきました。思えば、昼休みなのですね。そこでシメシメと、ベストポジションに駐車。。。そこには先客京都ナンバーのデミオがいました。

10分ほどではまかぜがやってきました。
あれ?何か後ろにくっ付いているぞ~(左)。。。この正体については後で判りました。
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先ほど上った餘部駅へのエレベータが見えます。如何に高いか高さが41mもあります判ります(右)




鎧駅
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余部橋りょうからはR178 → K4 → K166を通り、数分で鎧駅に着きます。

K166の小さな峠付近は圧雪状態でしたし、幸い単独走行でしたので、新調したスタッドレスタイヤの性能を試してみました
前後方向の喰いつきは全く問題ないと思いますが、左右方向に関しては、面白いほど滑ってくれました。勿論、わざとそういう操作をしての結果で、普通にしていれば問題はないと思います。




持参した昼食を頬張っている間に到着した同好の士の後をついて、既に使用されなくなった旧上りホームにやってきました。

こちらは、列車通過前に撮った鎧港です。 余部以上に寂寥を感じる冬の日本海です。
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同好の士に確認すると、当初予定のはまかぜ4号より10分早く回送列車がやってくるとのこと。。。
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それは、何とはなあかりの回送でした。 赤島トンネルを出てくるところを捉えました。


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はなあかり・・・昨年秋に導入されたキハ189をベースとした観光列車です。


ということは、先ほど余部橋りょうで見たはまかぜ、と思っていた列車は、はなあかり増結かにカニはまかぜだったというわけです (^^ゞ





次のはまかぜ4号は、当初2番目の候補としていた鎧駅東側のカーブで撮ろうと、急ぎ足で向かいます。
赤島トンネルから鎧駅にかけてのはまかぜ4号。。。既に使われなくなった旧上りホーム(右側)と現在のホーム(左)が地下トンネルで繋がっている鎧駅の造りが良く判る画像が撮れました (^_-)-☆
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大阪側先頭車両はキハ189-1006鳥取側先頭車両はキハ189-2であることが(原画像では明瞭に)判ります。午前中に撮ったはまかぜ1号がそのままはまかぜ4号として戻ってきたのでした。
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この鎧駅でも、前の餘部駅でも、線路が見事に雪に埋もれているからだと思いますが、車輪が線路の継ぎ目を通過する際の金属音(ガタンゴトンというかカタンカタンと言う音です)が全く聞こえません。静々と特急が通過していく、不思議な感覚でした ヽ(^o^)丿



この時点で時刻は13:45。京丹後鉄道(宮津方面)に周ることは諦めて、下道で帰ろと決意・・・

走り始めて間もなく香住の街に入るところで矢田川を渡りますが、その時視界に入ったのは。。。




矢田川橋りょう香住駅まで500mほどの地点です。
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30分後には、豊岡行きの普通列車が撮れる

と待ちました。

本来、車を停めて待てる場所ではないのですが、管理者の方のご厚意に甘えての待機でした (^^ゞ




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この撮影を最後に、あとは一般道、高速道路を利用して、ノンストップで自宅まで帰りました。

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撮ったキハ47が、14:44香住発豊岡行きですから、同時刻にインプレッサもスタートしたことになります。

無料の高速も含めて高速道路では、殆どクルーズコントロールを制限速度以下に設定して走ったので、良い燃費になっています。






以下はオマケです。

降り積もった雪の中、長靴を履いて楽チンにアクセスしている同好の士を撮ったものです。
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R187から余部橋りょうを写した場所(左)と、鎧駅での旧上りホーム(右)


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ほう長靴ね~と現地では納得&感心したものの。。。

そうだ! 長靴+スノーシューだともっと楽チンに。。。
👈例えば、今回諦めた余部橋りょうを見下ろす展望台へも、体力さえあれば行けるな、と次回からは、長靴とスノーシューを積んでいこう、と思います。




Posted at 2025/02/08 14:03:07 | コメント(0) | おすすめ紹介 | 日記
2025年02月03日 イイね!

今年はカレンダーの当たり年

今年はカレンダーの当たり年昨日(2月2日)は節分👹
偶々、長男夫婦がやってきて、恵方巻食べ、家内の誕生日🎂を食べました。更に、長男嫁が嬉しいプレゼントを~

Kawasaki のカレンダーを持参してくれました。
今年はカレンダーに恵まれているなぁ、と思っていたので、更にラインナップが充実しました


                     何れの画像もクリックで拡大します。


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こちらは、元々自分の部屋にかけていたドラクロアの絵画集某社からの頂き物です。

1、2月はモノトーンですが、3月以降はカラフルな色使いでパリの街角を表現した絵が多くて、こちらもお気に入りです。

2年半前に自宅をダウンサイズ化していますので、これ以上架ける場所がありません。なので、このカレンダーとKawasakiのカレンダーを気分次第で架け替えようと思います。



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こちらは、世界各国の風景写真のカレンダーです。1、2月はホースシューベンドHorseshoe Bend@米国アリゾナ州(コロラド川)です。こちらも、某社からの頂き物です。


日本でも、同様に川が蛇行した景色が見られます@和歌山県あらぎ島


このカレンダーはリビングで使っています。

















これまでは、ハリスに結んで吊っていたカレンダーを、簡単に取替可能なように、細工しました。

これで、自室のカレンダーは、Kawasaki ドラクロア 架け替えが簡単に出来るようになりました。


Posted at 2025/02/03 21:52:50 | コメント(0) | 他愛もないこと | 日記
2025年02月02日 イイね!

金沢から白川郷へ(後半)

金沢から白川郷へ(後半)金沢から白川郷へ(前半)に続いて、1月28日はホテル日航金沢からはじまります。
降雪を祈念しておりましたが、残念ながら、金沢駅前は雨模様でした (T_T) なので、慌てて出発することもなく、このホテルを選択した第二の理由。。。美味しい朝食をゆっくりと食べることにします。
因みに、第一の理由はOne Harmony(オークラ ニッコー ホテルズ会員)のポイントを使って宿泊できるからです。


                    何れの画像もクリックで拡大します。


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その美味しい朝食です
数年前、最初にこのホテルを利用した際に食べた金沢名物の車麩くるまふを使ったフレンチトーストにはまってしまい、以来、朝食では欠かさずお願いしています。
前回から、その車麩が半分(右端のちぎれたタイヤみたいなもの)になり、車輪の形をしていないのが残念ですが、お味は変わっていません。




降雨のおかげで、この日は白川郷でそんなに長居はしないだろうと思いますので、出発は10時を大きく周っていました。


道路に降雪もなさそうですので、楽しい下道を通らずに高速で白川郷まで移動します。約1時間で到着。。。通常の駐車場(せせらぎ公園駐車場)は満車でしたので、臨時駐車場(みだしま公園)へ回されます。

前々日が白川郷がライトアップされた日だったとはいえ、雪の少ない平日に、何故こんなに車が多いのか?? しばらく観察していると判ってきました。 車の大半は名古屋か岐阜、飛騨のレンタカーなのです そして聞こえてくるのは異国語ばかり
つい先日、鮫洲で日本国の運転免許証を取得する外国人のニュースを見たところです。 直接的な関連は無さそうですが、何となく納得しました。 と同時に、外国人旅行者が運転する車に絡んだトラブルが起こった際の心得を再確認しておこう、と思いました。
幸運にも、これまで走行中に他車とのトラブルを起こしたことはありません。但し、ブログにも記載していますが、駐車中に他車(他者)からドアパンチ、激突されたことはありますし、飛来落下物による車両の損傷も経験しています。それだけでも、暗く、憂鬱な気持ちになりましたので、上述の実態(これまで薄々は感じていましたが)を目の当たりにしての、予防的な独り言です。



さて、白川郷の散策を開始します。

駐車場からメインストリートを通って中心地に向かうと、右手に白川八幡神社が見えてきます。
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この日は、このメインストリートの向こうに見える丘の上に上がって雪の白川郷を俯瞰します


白川八幡神社の周辺。。。周りに日本人は見当たりませんが、何故かインバウンドの方々も。。
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。。お参りされています。 地面への積雪はそこそこありますが、屋根に積もった雪の殆どは、融けたか、降ろされているようです。


丘に向かって右側の集落経由で、丘へ登るルートに入り15分ほど歩きました。。。
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ほぼ頂上まで来たところで見える景色。。。白川郷俯瞰です

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ここ数日間暖かいのと、屋根の雪下ろし作業のせいでしょうか?? 屋根に雪がないと。。。
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どう工夫しても、間が抜けてみえます。。。残念


と言うことで、暫し眺めていましたが、欲求不満のまま丘を下ります。

降ろした雪の処理も、高齢化対策、作業の効率化が進んでいることが、良~く判りました。
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前回は10年前の秋に訪問していますので、今回は雪に埋もれた古民家、合掌造りを楽しむ。。。
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。。。と同時に外国人観光客の多さに戸惑いながらの散策になりました。


出来るだけ観光客が写らないように配慮していますが、写っている人は外国人観光客です。
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実際、90%ほどが中国、東南アジア諸国からのお客さん、5%が白人のお客さん。そして。。。
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。。。日本人は残りの5%といった割合だと感じました。
以前は、大陸からのお客さんのお行儀の悪さが話題になっていましたが、ここでは、あまり目立った様子ではありませんでした。 その代わり? 東南アジア系(だと思いますが)の、路上における我が物顔で傍若無人な振舞いが目立っていました。
本日(2/2)の日経によると、最近は、中国からは団体客が減って富裕層を中心にした個人旅行者が多くなっているようです。そしてカード利用額が3割上昇し、その使用内訳としては家電量販店、ショッピングセンターが減り(多分、爆買いは減少)、高級品を扱う専門店やデパート、旅館が増えた、との記事がありました。。う~ん、お行儀の悪い団体客が減った理由はここにありか?


我々は、一般的なお土産屋さんには一度だけ入って、どぶろくを買いました。やはり、そこでのメインのお客さんは外国人のようです。 その後入った豆屋さん(豆専門店)には、外国人にも好まれるような味付けの豆類も置いてありましたが、お客さんは我々だけだったと思います。


最後に、白川郷のメインストリートで最初に撮った写真と同じ場所で1枚撮っておきました。
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最初の1枚と比較して、すっかりお天気が回復していることが判ります。



駐車場からは、荘川(中)、白川郷(右)、せせらぎ公園(左)の眺めが良かったので撮りました。
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青空の下、白川郷を俯瞰した丘への道、雪化粧した飛騨の山々もバッチリです




帰路は、どう走るか、どこかに寄るか等全く決めてませんでしたので、とりあえずR156を南下し。。。
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。。。その時、初めて間近で見た御母衣湖です。
結局、この後、まっすぐ帰ろうということになって、ひとつ南にある荘川ICから真っ直ぐ帰神しました。



途中、東海北陸道に入ってスグにひるがの高原SAでランチにして、多賀SAで10分ほど仮眠しただけで、神戸まで戻ってきました。

ひるがの高原SA → 多賀SA間のMFD(左)と多賀SA → 神戸間のMFD(右)です。
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それぞれの区間燃費は、17.0km/L、17.2km/Lになっていますが、満タン法で計算すると、この1割減と言ったところでしょう。

ここで、27日に金沢で給油した時の燃費記録が変なことに気づきました。通常ですと、満タン法での燃費は、MFD指示の燃費より1割ほど悪いのですが、27日の記録は逆転しています。
給油ノズルの自動停止設定が、普通のGSの設定と違っていたのでしょうか?27日は早めに給油を停止したようなデータになっています。なので、1月27日と29日の燃費記録に記載のMFDを0.9倍して実燃費(満タン法燃費)を推測すると、それぞれ14.67km/L、14.04km/Lになります。この値と走行距離から(早めに給油を停止しなかったら入ったであろう)給油量を計算すると、それぞれ23.65L、32.47Lになります。これは実際に給油した量の合計56.01Lに近い値になりました。
以上より、
1月27日給油分の燃費記録における燃費・16.52 は 14.67km/Lに、また1月29日給油分の燃費記録における燃費・13.02 は 14.04km/Lになるものと考えられます。




燃費のことで、遠回りしましたが、金沢と白川郷ドライブは、残念ながら降雪に恵まれなかったものの、久しぶりにインプレッサを走らせて楽しめました (^^



Posted at 2025/02/02 20:26:19 | コメント(1) | ドライブ | 日記
2025年01月30日 イイね!

金沢から白川郷へ(前半)

金沢から白川郷へ(前半)1月27、28日で金沢から白川郷を周ってきました。

新調したスタッドレスタイヤを試すのと、雪景色を楽しみにしていたのですが。。。結果は、案の定、雪の上は一切走らないままの帰宅となりました (T_T)


      何れの画像もクリックで拡大します。



朝8:10にエンジンをかけ2時間15分、最初のトイレ休憩は舞鶴若狭道の三方五湖PA(左)です。
敦賀以北が目的地の場合、名神経由よりマイペースで走行できる舞鶴若狭道がお気に入りです。
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179kmを平均燃費17.1km/Lで走行しています。また、しっかり平均時速も稼いでいます。




今回の目的地近くの駐車場にインプレッサを停め、近くの北鉄電車・石川線野町駅に来ました。
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12時半頃でした。 ここは、偶々目的地に近いので、ついでに立ち寄ったのですが。。。

中々の収穫でした。これは帰路にもう一度立ち寄って撮った車両です。北鉄電車の7202は。。。
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東急の7000系のお古です。東急では7138(1964年製造)として活躍していたもので、まさに私が子供の頃に東急東横線で乗っていた車両そのものなのです 顔の部分は改良されて変顔になっていましたが、車両の側面(ドア、窓、ステンレスのパネルの形状)を見て確信したので、帰宅後調べて判明しました。




さて、本来の目的地は。。。
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にし茶屋街・・・ひがし茶屋街主計町かずえまち茶屋街と並ぶ金沢三茶屋街のひとつ・・・です。

ひがし茶屋街には何度か行っています(若い頃は、東の廓ひがしのくるわと呼ばれていて、今はありませんが、当時良い民宿があって、確か4回宿泊したことがあります)が、にし茶屋街は初めてです
【注】東の廓と言う呼称は、どうやら住民に配慮した地名としての不適切用語みたいになっていて、現在は使われていません。



野町駅からは徒歩数分で、にし茶屋街に着きます。 👆のパステルカラーの建物は、西検番事務所と言って、芸妓さん達の稽古場や管理事務所として、大正11年(1922年)に建築されたものです。この街でこの建物だけが洋風建築で目立っており、茶屋街に入って最初に目に入りました。


街全体の雰囲気は、ひがし茶屋街よりも静かでこじんまりとしていますし、観光客も少ないうえに大人しいので、街を静かに楽しめます。
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こちらで遅い昼食としました。 店内のお客さんもひがし茶屋街と比べると静かです、本当に 夜は呑もうと思っていましたので、控えめにオーダーしましたが。。。
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魚は勿論、お寿司も茶碗蒸しも味噌汁も、お値段以上に美味しくいただきました。
また、お店の大将から最後に一言お声がけをいただきましたが、お人柄が判る良いお方でした。帰る頃には看板が下げられていたので、良いタイミングでお店に入ったみたいです。



食後は、もう一軒。。。資料館に入りました。
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内部には、漆塗りの装飾品などが配置され、当時の雰囲気が感じられる豪華なお茶屋の様子が再現されていました。


最後にこちらで、節分バージョンの落雁を買って、次の目的地へ向かうことに。。。








次の目的地は室生犀星記念館。。。徒歩で10分ほどの所にあります。
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室生犀星の生家跡に建つ記念館です(左、パンフから)。 本人は父親宅の女中さんであった生母を知ることもなく、生後まもなく近くのお寺(雨宝院)に引き取られたそうです。その雨宝院にも寄ってみました(右)。


せっかくですので、もうひとつの茶屋街・・・主計町かずえまち茶屋街にも行ってみました。遅くなったので、車で茶屋街をさぁ~っと通り抜けただけで写真は撮っていません。 次回のお楽しみ、ということにしてあります (^^ゞ




そして、お宿はホテル日航金沢。。。金沢駅前です(右)。 丁度、夕陽が沈む時間でしたので、
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しばらく頑張ってみましたが、だるま夕陽は出現しませんでした(左) 暖かいからでしょうかね?




夕食は、金沢おでん これを食べたいと家内が言うので、駅ビルのおでんやさんに直行しました。
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2人で良く食べ、良く吞みました お値段もそこそこに~



夜は、フジテレビのやり直し10時間半会見を見ながら、降雪を期待して翌日のコースを考えていると。。。くっだらねぇ!!と家内が怒り出して、本日は終了となりました。ホントに野次馬だかゴロツキだか判らないような自称記者たちが暴れたに大事なところを邪魔されて時間だけを浪費した会見でした。



つづく


Posted at 2025/01/30 23:54:35 | コメント(0) | ドライブ | 日記

プロフィール

現住所変更(横浜 → 神戸)に伴い追記しました。(2011.5.17) ****************************************** ...

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