
9月になって やっと暑さも少し和らいで来たのでエアコンのない模型部屋に入ることが出来る様になりました。
久しぶりに模型部屋に入って 机の横に置いてあった広報館で購入した今年のブルーインパルスのツアーパッチを片付けようとパッチ類を仕舞ってある缶箱を開けたのが運の尽き、次から次へとパッチ類を取り出して思い出に浸ってしまいました。
別にパッチの収集が趣味では無いのですが、随分以前から航空祭に出撃しているのでたまに購入してもなかなかな枚数になってしまいます。
まずはブルーのツアーパッチ。
ブルーのパイロットとキーパーさんが右肩に付けているパッチで 毎年違うデザインのものが採用されています。
左肩には ドルフィンライダーまたはキーパーと書かれたものを付けていますね。

デビュー時のデザインのものはフライトジャケットに付けてあるのでここにはありません。
それでは、まずこれはT-4ブルー デビューの年1996年のもの。ドルフィン(T-4の愛称)デビューと刺繍されています。

当時はブルー自体が会場エプロンにテントを設営して 識別帽や各種パッチ類、イヤーブックなどを販売していて そこで購入しました。
翌1997年4月にアメリカのネリス空軍基地で開催された米空軍創立50周年を記念した航空ショー「ゴールデン エアー タトゥー」に参加。パッチも海を渡るブルーのデザインです。
ショルダー用では有りませんがこんなパッチも作られました。
1998年はシンプルなデザインで、ちょっとガッカリした記憶があります。周りのグレーの部分が刺繍だったら良かったのに。
1999年のパッチは98年と同じデザインで数字のみ99になった、と今まで記憶していましたたが どうも違うみたい。複数の色のカラースモークがパッチをぐるりと2/3ほど廻っているデザインで見覚えがあるのでどこかに入り込んでいるかも知れません。
そして2000年は部隊創設5周年で2枚
この年、2000年7月4日訓練終了後の基地への帰途時に 5番機と6番期が墜落してブルーは三名のパイロットを亡くしています。
この時亡くなった方は少し前に浜松のブルーウイングクラブの集まりに来て頂いて お話を聞きながらお酒を飲む機会がありました。忘れられない思い出です。
実は1991年の同じ7月4日にT-2ブルーが編隊長の空間識失調が原因の事故で 2機と2名のパイロットを亡くしています。
この時 以前ブログに書いた横地さんの元愛機♯112も失われました。
この事故で亡くなられたパイロットのお二人とも浜松基地の待機室でトランプで遊んで天候回復待ちをしたことがありました。
さて、2001年は単独機が編隊に追いつく図柄ですが 上記事故の影響で飛行展示はソロを除く4機で行なわれました。
2002年になると編隊を追う機体は第一単独機と第二単独機に変わりました。
そしてこの年12月の岐阜基地航空祭から本来の6機体制となりました。
2003年
このパッチ(だけではありませんが)に刺繍されている「Challenge for the Creation」(創造への挑戦)は部隊の標語で、塩澤信行3等空佐(当時)が、T-4準備班長の時代に掲げた言葉です。
なお 塩澤3佐は1尉時代にT-2 ブルーにも在籍していて 2佐になった後 1998年からの3年間はT-4ブルーの飛行隊長を務めています。
なぜか2004年が無くて2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
そして2010年はブルーインパルス創立50周年のメモリアルイヤーです。
パッチの上に初代の使用機のF-86F、下に私の大好きなT-2のシルエットが刺繍されています。
ビニールの袋に入っているのは 多分浜松広報館で購入したからです。
民主党政権時代に公務員の副業が制限されて ブルーなどの部隊のブースが一斉に無くなったためです。
2011年 この年は東日本大震災があり、松島基地も大きな被害を受けました。
ブルーインパルスは3月12日の九州新幹線全線開通を記念した展示飛行のため芦屋基地に展開していて被害は免れましたが、松島基地に残っていた♯804が津波に流されて用廃になっています。(現在 垂直尾翼がモニュメントとして松島基地に展示されています)
2012年
東日本大震災の復旧の拠点となった松島基地を使えず ブルーは芦屋基地での仮住まいを続けています。
2013年
そしてこの年は避難先の芦屋基地から松島基地に戻った年でもあります。その記念パッチ
2014年は航空自衛隊創立60周年の年
2015年
2016年
2017年
そして今年 2018年です。
ブルーのツアーパッチ、初期には1~6番機の番号別に6種類あったり 展示飛行を行う基地別にあったりして非常に多くの種類がありました。
現在でも記念飛行のパッチなど これ以外にも沢山の種類が作られています。
なお、タイトル画面はメンバーがユニフォームの右胸に付けている有名なパッチですが これはT-2時代のものです。
6機の上昇する矢印の下に各々二つのアフターバーナーが刺繍されています。これはT-2をあらわしているのですね。
ちなみにレプリカですが86ブルーの時代はこれ、他にも数種類あるみたいです。

当時は5機での演技でした。
所属基地の浜松基地でのみ デュアルソロの6機で演技をしていました。
2016年のT-4ブルーの20周年記念と
ブルーインパルスの50周年記念は少し似ています。
T-2時代の30周年パッチは違ったパターン

横地さんを通じて入手した2枚の内の1枚。ビニールの袋に入っているのは永久保存用のため。
1994年にサンダーバーズが来日して三沢基地航空祭ででT-2ブルーと競演を行いました。
そのとき
「これを逃したら一生サンダーバーズを見ることは出来ないかも!」
と感じて思いきって車で出掛けて行きました。
ところがは2009年に再度来日して浜松基地航空祭でも展示飛行を行ったのですが あいにくの雨。
しかし 前日の予行では青空をバックに華麗な演技を見せてくれていたのでした。
後 自分が持っているブルー関係のパッチはT-2ブルーのファイナルのものと
同じくT-2ブルーの5番機のショルダーパッチくらいかな?
ブルーインパルスに少し関係があるのが、静浜基地の第2教育飛行隊長だった植野2佐(当時)にオネダリして転勤先から送って頂いたパッチ。(識別帽は植野さんの奥様から私が欲しいからダメよ、と言われて諦めました)
実際に着用していた物なので大分使用感があります。
ご存知のように植野さんは86ブルーとT-2ブルーの両方に所属した唯一の方です。
T-2ブルー当時は戦技研究班長、つまり編隊長も経験しています。
もう一人、同じく静浜基地でT-3の実用試験を行なっていた横地さんのパッチ。
これは横地さんの事故の後 奥様から形見分けで頂いたものです。
担当していた学生のコースのパッチも頂きました。
D(デルタ)なので航空学生でしょうか?
1枚目には名前も入っています。
こちらはA(アルファ)なので防大出身でしょう。フライトオフィサーと書いてあります。
このパッチは306SQから浜松の32飛行隊の隊長に移動されてきたS2佐から飲み会時に貰ったものです。
新品ももっていますが大分感じが違います。写真で分かるかな?
上が頂いたもの。
次は31飛行隊と32飛行隊のショルダーパッチです。
31飛行隊

飛行隊の方がネームを入ったものを手配してくださいました。
32飛行隊は残念ながらネームなしです。
最後に ブルーインパルスや浜松の飛行隊の皆さんとお付き合いさせていただくきっかけになった
「浜松ブルーウィングクラブ」のパッチを、これは胸に付けるタイプです。
T-2ブルーの時代

ネームはぼかさせてもらいました(笑
そしてT-4ブルーになって機種更新
T-2ブルーのラストシーズンには業者の方がこんなパッチを作ってくれました。
航空祭で販売もしていたんですよ!
同じようなパッチの写真ばかりで申し訳ありません。
でもこれらを見ていると ブルーの隊員の方や、浜松の飛行隊の皆さんと楽しくお付き合いさせていただいたことを思い出して思わずニッコリしてしまうのです。
※記憶モードで書いています。年号や数字などの間違いなどありましたら優しく教えてくださいね。