かつて大阪市内を流れていた幻の 『 猫間川 』 。
秀吉時代の大坂城の外堀、という重要な川であるハズなのに、
徳川方に埋められてしまったのか、謎の部分が多い川なのです。
豊臣方が約束を破って掘り返したりしているので、
大正年間までは確かに存在していた川なのです。
写真や下水道として残っているので都心部は研究するほどの事ではないのでありますが、
阿倍野区以南の流路がまるで研究されていないのです。
小学校の地域社会のお勉強で、地図のいちばん下に黒丸で囲った桃が池は
猫間川の跡、と習いました。
だけれども、これが 『 跡 』 ならばその規模からして
淀川以上の大河になるワケで、
大河なれば 『 幻 』 になるワケがなく、
それは 『 跡 』 ではなく、 『 水源地 』 で、そこからチョロチョロ流れていた、
と地蔵は考察するのであります。
一方、古老が 『 猫間川筋 』 と呼ぶ道がありまして、
その道と地図の等高線を重ね合わせますと、
阪神高速松原線・文の里出口が谷底になっていて、
おお、こここそが水源だ、と学会は認めなくても地蔵的には特定出来る場所を発見、
そこから考察するに、水源はひとつではなく、いくつかの小川が合流して猫間川を形成していた、
と断定いたしました。
地図上の 『 河堀口 』 は治水が完成されているこの平成の御世に於いても尚、
大雨が降ると床下浸水の被害の出るところ、
自然状態では川が流れていた、と容易に想像がつきます。
すなわち、地蔵が赤線を引いた部分、
これが 『 ついに幻の猫間川が発見された!決定版 』 であります。
地蔵が猫間川合流地点に特定したデルタ部分に学校の名前が見えますが、
ここは不肖・地蔵の母校であります。
先輩にはジャズ歌手の綾戸知恵嬢がおります。
まあ、ジャズ歌手というよりも、どちらかと言えば最近は介護歌手、
上田正樹や桑名正博という関西系ブルーズ歌手と同じベタなノリで、
まるっきり軽妙にスヰングしない歌手なのであまり好きではありませんが、
後輩のよしみでCDは買ってあげてます。
他にも 工芸高校という文字が見えると思いますが、
ここは 『 天使のダミ声 』 憂歌団・木村の母校です。
そういえば工芸高校の近所でクラスのイトーくんとムラカミさんが
手をつないで歩いているのを目撃したっけなあ。
マツダくんとスギハラさんも手をつないで歩いていたなあ。
ハタさんがタカハシくんにチョコレート渡してるのも見たなあ。
あの時の疎外感と言ったらたまったもんじゃなかったなあ。
でもな、中学のころのモテモテくんというものは例外なく、
長ずるにつれてショボクれた男かデブ・ハゲに変ってしまう、というのが自然の摂理、
オレは昔はモテたんだぜ、と誰も信じない過去の栄光を吹聴する、
困ったオッサンになっているものなんだよ。
ざまあみれ。
最後に笑うのはこのオレさまだ。
お話がどんどん脱線するので、このへんで、ごきげんよろしゅう、さようなら。
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Posted at
2010/06/15 19:55:32