かつて大阪に存在した伝説の 『 入江塾 』 をご存知だろうか。塾生のほとんどを灘高や ラサールに進学させた、と云う、伝説の進学塾である。塾生には タレントのラサール石井を始め、高名な代議士、医師、役人、枚挙にいとまなし。中学の同級生の 久野くんのご両親は、この入江塾に闘争心を燃やし、自ら 『 久野塾 』 なるものを設立された。当然、久野くんはその塾生第一号である。吾輩はご存知のように大天才であるがゆへ、春の新学期にもらったばかりの真新しい教科書を、その日のうちに読破理解して、つまらぬ一年間を過ごしていたので進学塾などとは無縁であった。進学塾などに通う者を 実際、鼻で笑っていた。なぜ、そこまでしなければ学習できぬのか、と。当然、久野くんも吾輩の嘲笑・いじめの対象であった。久野くんは赤貧家庭の吾輩とはちがい、公立など眼中になく、ラサール一本に絞ってたため、内申書などどこ吹く風、先生の言うことなど全く無視、授業中にお弁当を貪り食っていた。隣りの席で教科書を盾にしてお弁当を食べる久野くん。ふと お弁当の中身を覗けば毎日、焼き飯が入っている。吾輩の大好物、焼き飯である。吾輩はうらやましかった。だがそれは焼き飯ではなかった。玄米に麦飯を混ぜたものに ウメボシ1個のおかずであったのである。まだ健康食品などという意識のない時代である。おそらくは経営間もない久野塾の収入では、それが せいいっぱいのお弁当だったのであろう。早弁してたのは、みんなと一緒にお弁当が食べられなかったんだよね、久野くん。君の哀しみに、やっとこの歳になって気がついたよ、久野くん。同級生の多くは、まだ君がツッパって早弁してたと思っているハズだよ。久野くん、お元気ですか?ボクは元気です。