2007年09月18日
今日のお話には 『 オチ 』 はない。
ただの ウンチクである。
信州オフの興奮覚めやらぬうちに信州と大阪の意外な関係についてである。
信州といえば善光寺である。
その昔、仏教が我国に伝来したころ、
それまでの神道を擁護する一派と、仏教推進派の間で争いが起こった。
端的に言えば、物部 VS 蘇我 である。
その争いで、大陸から輸入した仏像を擁護派が川に捨ててしまったのである。
場所は書物によると 『 難波の堀江 』 とあるから
おそらく中ノ島~天満橋~大阪城の、どこかであろう。
あるとき推進派がその場所を通りかかると、川面が金色に輝いている。
はて? と思って探ってみると捨てられた仏像が出てきた。
こうしてサルベージされた仏像が現在の善光寺のご本尊なのである。
善光寺に辿り着くまでに、また紆余曲折があるのだが、長くなるので省略する。
もうひとつ。
信州土産の筆頭は 『 野沢菜 』 であろう。
わが出生の地、大阪・天王寺は 『 天王寺蕪 』 という蕪が名産品だった。
現在では天王寺に農家なんぞがあるハズもなく、絶滅している。
大阪府立大学の研究室には種子が保存されているそうだが、
復活したという噂も聞かない。
おそらく江戸期のことだと思うが、
信州人の一人が、この美味しい蕪の種を持ち帰り栽培したらしい。
ところが粘土質の天王寺とは土壌も違うし、気候もまるで違う。
先日も信州にて一寸先が見えぬほどの霧を体験したばかりである。
べんせい~ しゅくしゅくぅ~~ よるかわをぉぉぉ~ わたる~~
詩吟で有名な山本勘介発案による川中島合戦 『 キツツキ戦法 』。
霧にまぎれて謙信公の背後を突く、という作戦である。
結果的に察知されて失敗に終るのだが、
ああ、この濃霧なら有りえる作戦だなあ、と感動を覚えた。
話が脱線したが、それほど気候・気温が違う、ということである。
結局、信州では天王寺蕪が育たずに、葉っぱだけが成長したと云う。
この葉っぱが 『 野沢菜 』 なのである。
まあ、なんのオチもないお話はこれでオシマイである。
ご清聴ありがとう。
じゃ、野沢菜の種を天王寺で育てたらカブラになるか?
というツッコミは ナシな。
Posted at 2007/09/18 17:35:31 | |
トラックバック(0) | 日記