宮本輝が好んで描くような泥の川が流れ貧民の棲む場末の我が町にも秋が来ますた。
大人の事情で吾輩のオツムは若干オーバークールぎみでつ。
早くもニット帽にご登場願わねばなりません。
全国のアデランス愛用者のみなさん、
完璧に隠した、と思っているのはあなただけです。
一目見れば幼稚園児にもバレバレですよ?
さて、オーバークールの吾輩のオツムがいきなりヒートアップしますた。
そう、亀田ー内藤戦であります。
目頭が熱くなりました。
一家を守るとうちゃんの姿と闘いを義務付けられた弟魂に魅せられました。
夜逃げ・家出をくり返し、自業自得とはいえ、
孤立無援、天蓋孤独だった吾輩にとってファミリーは宝であります。
みなさんご存知の夜桜美女軍団や我家の大事な一人娘などは
吾輩が死守せねばならぬ 『 神器 』 なのであります。
よい子のみなさんには家族は宝、と言っても理論的にご理解頂けるだけで、
おそらく吾輩の心情などは想像だにつかぬものでありましょう。
さて、『 死守 』 する場合、
吾輩が 『 正しいとうちゃん像 』 としてお手本にするのが
プラムクリークから数十マイル離れた寒村、
ウオールナットグローブにお住まいのチャールズ・インガルス氏であります。
そしてもうお一人、それが亀田家のとうちゃんであります。
本日は紙面の都合上、とうちゃんのお話は次の機会に残しておくとして、
『 正しい闘う弟像 』 のお話であります。
弟、というものはつらい商売である。
生まれたときから 『 負ける事を義務付けられている 』 のである。
まず、とうちゃんには絶対勝てない。
この歳になっても、まだとうちゃんには勝てる気がしない。
キャッチボールしたときの手の痛さ、とうちゃんには勝てない。
日曜大工、ノコギリで切った材木の真っ直ぐさ、とうちゃんには勝てない。
お風呂でしぼったタオルの硬さ、とうちゃんには勝てない。
世のとうちゃんがまだ恐かった時代の子なら、
この想いはご理解頂けるであろう。
それからにいちゃんである。
特に、子供の頃は圧倒的な体格差、体力差により絶対に勝てぬ。
近所ではにいちゃんの同級生たちとも遊ぶ事になる。
当然、泣かされる。
リベンジしてやりたいが腕力ではかなわぬ。
そこで、だ。 ここで 『 弟魂 』 が炸裂するのである。
一矢報いん!の想いを胸にたぎらせ、
泣かされた相手の家へ行き、石コロを投げつけてガラスを割るのである。
ガシャン!という音を聴きながらダッシュで逃げ去るのは実に卑怯ではあるが
『 弟 』 の中では その勝負は 『 勝利 』 で完結するのである。
とにかく弟というものは不屈の生き物であって、
将棋の盤をひっくり返してしまうという古典的な手法から、
いじめっ子のクツを片一方、焼却炉で燃やしてしまうという卑劣な手法まで
勝つためのあらゆる方法、あらゆる手段を排除しない。
大敗に甘んじることを良しとしない。
決して負け犬には成り下がらない。
負けてもそれを認めない。
それが負けることを義務付けられて生まれて来た弟の 『 正義 』 なのである。
先日の亀田戦、 反則ワザが出た。
世間では完璧なまでに亀田を非難する。 当然である。
ルールあるスポーツなのである。
ただ吾輩は、怖いとうちゃん、ツオイにいちゃん、という環境に想いを馳せるのである。
チャンプを高々と抱え上げ、投げ飛ばした瞬間、
彼の中の勝負は 『 勝利 』 で完結したのではないか、と。
よくぞやってくれました! と喝采した吾輩であった。
一方、情けないのはチャンプである。
勝ってから吠えるのはみっともないからおよしなさい。
『 ルール 』 で勝っただけだ。
君は投げ飛ばされて負けたのだ。
みじめな姿だったよ。
三つ子の魂 百まで。
一生 いじめられっ子でいなさい。 ヽ(-ι-З)ノ
Posted at 2007/10/13 18:01:03 | |
トラックバック(0) | 日記