画像のアルバムをご存知だろうか。
先日紹介したハーレムにあるコットンクラブの近所に
『 ミントンズハウス 』 というキャバレーがあった。
ダンスの伴奏に辟易していた若手音楽家がこの店が閉店後の深夜に集まり
自ら 『 ビー・バップ 』 と名付けた実験音楽を夜々研究していたのである。
おい、このコードはこっちのコードに置き換えられるぞ?
いや、そのコードだったらこの音が使えるかも?
より自由な音楽を求めて当時主流だったスイングからの脱却を試みていた。
集まったジャズマンの顔ぶれと言えば、
チャーリー・パーカー、ディジ・ガレスピー、セロニアス・モンク、
マックス・ローチ、バド・パウエル、ロイ・エルドリッジ、チャーリー・クリスチャン等、
錚々たるメンバーだった。
当時、いちはやく彼らの創造する音楽の凄さに気がついた愛好家が、
スコッチ社の紙テープに磁石の粉を塗った自作のテープレコーダーを使って
録音したのが画像のアルバム 『 ミントンズハウスのチャーリークリスチャン 』
なのである。
当然の如く録音状態は劣悪である。
吾輩がこのアルバムを初めて聴いたのは17歳の冬である。
天王寺のジャズ喫茶 『 トップシンバル 』。
この劣悪な録音が
もの凄い音 で鳴っていたのだ!
一緒に聴いていた友人なんぞは、
( 以前、オイルキャッチタンクの変換アダプターを作ってもらった、
町工場に勤めるメガネの彼である。)
頭が痛くなったわ! と2分ほどで退出したほどである。
チャーリー・クリスチャンが奏でるエレキギターの音が
『 カキーン! 』 という凄い音圧と切り立ったエッジで我々の耳を直撃したのである。
1941年といえば日本ではまだゼロ戦がデビューしたばかりの年である。
そんな時代にエレキギターを自由自在に操っていた男がいること自体が驚愕であるが、
なによりもトップシンバルのオーディオが奏でるその音が吾輩の青春のひとコマに
深く刻み込まれてしまったのである。
SPは当時主流のタンノイでもJBLでもなく、英国製の小型器である。
APも定番のマッキントッシュやラックスマンではなく、
ただのプリメインである。
日本各地のジャズ喫茶を巡ったが、一番ショボい部類であろう。
しかし、トップシンバルの音より凄いジャズ喫茶は他に存在しない、
とハッキリ断言出来る。
オーディオは腕だ!
と悟った17の冬。
吾輩はいまだその幻の音を追い求めている。
どうすればあの音が出るのか、まだ解らない。
久しぶりにトップシンバルを訪れると、
時代の流れか、女人禁制の雰囲気があった店内にはカップルが溢れていて
音圧はイージーリスニングに成り下がっていた。
装置はCDに変ったがシステムは昔のままである。
オールドSPが 『 俺も昔は・・・ 』 とつぶやいた気がした。
『 それを言っちゃあお終いよ・・ 』
SPの肩をポンと叩いて吾輩は店を後にした。
筆者注)
50年代録音に、ラッパの朝顔からツバキが飛んできて
シンバルから火花が出るような音を求めて調整したシステムで
現代録音をかけると悲惨な状況になりますので
よい子はけっしてマネしないで下さい。
Posted at 2007/11/14 08:04:03 | |
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