朝からネットサーフでみつけた画像です。
地蔵生家前・今はすでに廃線になった南海平野線苗代田停留所です。
現在はこの地下を地下鉄谷町線が走っています。
すでに阪神高速松原線が建っておりますので昭和50年代の画像でしょう。
画像右手の民家は藤原歯科、
ポメラニアンを飼っていて診療室に入ってくるたびに、
ここに入っちゃダメでちゅよ~ とダッコして連れて行き、
その手のままで患者の口に手を突っ込む恐ろしい歯科医でしたが
医者というより近所のおっちゃんでしたのでみんな平気なよき時代でした。
藤原歯科から数メートルのところにお地蔵さまが在りました。
大坂の陣のころに安置されたそうで、ここは徳川方の本陣にも近く激戦地で、
おそらく戦死者を弔ったのでありましょう。
この世に居られるときは子供の遊び相手でも、あの世に戻ればエンマさまでも逆らえない、
怖い仏さんなんだぞ、あそこの家のヤツが一度動かしたとき、夜な夜な帰せ、帰せ、と
腹の上に登って来て怖かったそうな、とじいちゃんがよく聞かせてくれました。
地蔵のハンドルネームの由来もここからであります。
幼稚園のころ、うちでネコの子が産まれ、地蔵はそれを溺愛していたのですが、
よそへもらわれて行き、お別れの日、母恋しと泣き喚く建速須佐之男命のごとく
号泣して暴れる吾輩を見て、気の毒に思った近所のおばちゃんが犬の子を拾って来てくれました。
もう名前も忘れてしまいましたが、クロ、とかコロ、というような名前だったと思います。
飼育係りの地蔵が幼稚園に行っている間、
散歩が面倒だからと母に放し飼いにされていて、
この藤原歯科の前でクルマに轢かれて死にました。
地蔵の動物愛護精神はこのころ養われたのでありましょう。
とある分野で高名だった地蔵のおいちゃんが講演会にて
純粋なる弱者救済の精神は透明な動物愛護の精神より発する、と
地蔵を評価してくれていた、と後年人づてに聞きましたが
当時すでに地蔵はプロのいじめっ子でした。
あまり関係ないようです。
昭和40年の話なりき。
Posted at 2010/06/09 16:21:37 | |
トラックバック(0) | 日記