住吉区杉本町付近。
大和川が大きく蛇行しています。
ここは 『 浅香の曲がり 』 と呼ばれ、
通称を 『 千両曲がり 』 と言います。
江戸時代、洪水を防ぐため大和河内の国境・国分あたりから
大阪城の方へ北上していた大和川を真っ直ぐに西へ付け替えた際、
上町台地の硬い岩盤に突き当たり一寸も先へ進めなくなったため、
蛇行しているのです。
かなりの難工事で、この辺りに棲むキツネの祟りという風評が流れました。
それを証明するかの如く、
この工区を担当していた姫路城主・本多中務大輔忠国が急死、
恐れた姫路藩士が全員引揚げてしまうという事件まで発生。
しょうがないからお金持ちの織田家、松平家が代わりに掘り進めたのですが
一寸掘るのに千両もかかった、というので 『 千両曲がり 』
と呼ばれました。
また一書曰く、この辺りの庄屋さんが自分の土地が川になるのを嫌がり、
代官に曲げるよう千両払った、という説もあるようですが、
地蔵は上町台地岩盤説の方が妥当だと思います。
子供にとって、ここまで自転車で遊びに行くのは大冒険でありまして、
近所のまーくんを連れて行ったのですが、
後日、まーくん単独で冒険敢行、川にはまって溺れる事件発生。
なんでそんなところまで遊びに行ったのか!と追求された際、
地蔵の名前が浮上、地蔵は無実なのにこっぴどく叱られました。
とにかく、近所で発生する事件は全部、地蔵のせいにされた、
古き佳き時代のお話です。
野茂がアメリカに行ったのも、月に人間が行ったのも、
全部地蔵が悪いのさ。
Posted at 2010/06/13 07:52:05 | |
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