広島長崎に原爆が投下される前に、
米軍は、パンプキンとよばれる原爆の模擬弾を日本各地に投下していたのでありますが、
そのうちの一発が地蔵の生家近くの美章園駅に投下され、それが大阪初空襲だった、
と、ずっと信じていた地蔵です、こんにちは。
だって、小学校の郷土史の時間に先生がそう教えたものですから。
地蔵さんの最新研究によりますとそれは日教組の大ウソでありまして、
昭和20年2月17日午後8時に投下された爆弾は通常の1トン爆弾3発でありまして、
一発は美章園駅に、一発は明浄学園という女子校に、
もう一発は寺田町あたりでしょうか、不発だったのであります。
本当のパンプキンは同年7月26日、東住吉区北田辺2丁目に投下されたのでありました。
その時のご近所の体験者のお話は今月19日深夜、
大阪ローカルなのか全国ネットなのかは知らねども、テレビで放映されるらしく
みなさん、必見ですよ。
これ、投下翌日の美章園駅なんですけれど、
線路に大穴が開いているのが見えます。
兵隊さんがやって来て石炭のクズを使ってすぐに埋めてしまったのでありますけれど、
その時に、ホームで直撃を喰らって亡くなった数十人の人の遺体も一緒に埋めたのであります。
そういえば阿倍野区内を走る阪和線は昔から全線コンクリートの高架橋になっておりまして、
なぜかこの場所だけ今でも盛り土のまんまなのであります。
先年亡くなったおいちゃんのお話では近所の寿司屋の娘も一緒に埋まっているのだとか。
大阪城近くの京橋駅にも同じ様なお話があって、
やはり遺体は掘り出されていないまま、毎年慰霊祭が催されておるのであります。
JR全国各地のトンネル等、埋められた遺体伝説がたくさんあるようで、
実際、掘り返したら骨が出てきた所まであったりして、
JRの怠慢は怪談より怖いと思う地蔵です、さようなら。
Posted at 2012/08/06 18:10:04 | |
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