また研究に没頭せねばならぬ事案が発生してしまった忙しい伊助です、こんにちは。
うちの近所にお城、というよりも砦があったのだそうで、
詳細はまるで不明との由。
これは研究せねばなるまい、と思ったワケでありますのです。
堀城、または中嶋城と言うのだそうであります。
『 所伝無之細川右馬頭城跡ト村老ノ口碑アルノミ 』
細川様のお城があったと村のじいさんが言っておるだけで証拠はありません、
などと書かれてあって、この古地図が描かれた時点ですでに空想の世界だったようであります。
細川右馬頭さんとは信長公に追い出された足利義昭公の側近でありまして、
ガルシア夫人で有名な細川越中に辿り着くまで十代遡らねばならないほどの遠いご親戚です。
中津川堤、と書かれてありますけれど、
中津川は明治期に新淀川開削と供に無くなってしまった川でありますのです。
明治期の古地図と現代地図を重ねた便利なものがございまして、
ピンク色の部分が中津川跡でありますのです。
ここから推測しまするに、おそらく北野高校の北側あたりではなかったか、と思うのであります。
水木しげる先生が新聞配達の途中で肥溜めにハマッたのもこのあたりでありましょう。
研究の成果が出たらノーベル古城賞は確実です。
もうひとつ、永年の研究の成果が現れつつあるものがあるのであります。
『 宮沢賢治は中村主水的ダンディズムの提唱者だった! 』
有名な雨にも負けず、 あれの文言を少し変えますと見えてくるのでありますのです。
嫁ニモマケズ
姑ニモマケズ
上司ニモ奉行所ニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
嫁ト姑ガ恐ヒノデ一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜シカタベサセテモラヘズ
東ニ病気ノコドモアレバ同心ナノデ役目柄シカタナク行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ同心ナノデ役目柄シカタナク行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ同心ナノデ役目柄シカタナク行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ同心ナノデ役目柄シカタナク行ッテツマラナイカラヤメロトイヒ
裏ノ仕事ガ無クテオコヅカイガ無イトキハナミダヲナガシ
奉行所ヲクビニナリソウナ時ハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズクニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ
うむ、これも間違いなくノーベル文学賞だな。
Posted at 2014/04/22 21:05:04 | |
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