雨にけぶる神島に
南方熊楠を思ふ
昭和大帝がまだ皇太子であそばされたころ
戦艦長門に守られながら和歌山に行幸なされました。
生物学者でもあらされました昭和大帝は、
奇人・変人として勇名を馳せていた南方熊楠から
粘菌についてご説明をお受けになられました。
和歌山県知事が好き好んで変人を陛下に会わせたのではありません。
当時和歌山には熊楠しか生物学者がいなかったからであります。
周囲は非常にヒヤヒヤしたらしいのですが、
陛下は熊楠にとても好感を持たれ、楽しいひとときをお過ごしになられたのであります。
時は過ぎ、戦争が終って平和な世の中になると、
陛下は先の大戦の反省と平和への祈りの思いから精力的に全国を行幸なされました。
ふたたび和歌山の地に行幸なされたとき、陛下は侍従にふと仰られたそうです。
『 むかし、このあたりに熊楠という人がいてね、楽しかったよ・・ 』
そうして詠まれたお歌が冒頭の御製であります。
御製に一個人の名前が登場するのは異例中の異例であります。
憎まれっ子世にはばかる、の理はここでも生きているようです。
いや、熊楠先生や粘菌のお話をするつもりではありせん。
地蔵の年金のお話です。
とうとうねんきん特別便が来ました。
イキナシ住所が違ってました。
まったく油断もスキもありゃしません。
年金が本当に必要な人はお年寄りです。
お年寄りには読みづらい漢字だらけの細かい説明書が入っていました。
ちかごろ老眼の進行している地蔵にも読みづらかったです。
なのに、なのに、自分の名前だけ、
枡添要一
とバカデカく書かれていました。
自分の名前は片すみに小さく、
説明書きは大きく優しい字で、と思うのは地蔵だけでしょうか。
Posted at 2008/09/09 15:27:05 | |
トラックバック(0) | 日記