大河内老人(83)とは一体ゼンタイ、何者??
という声にお応えして略歴を記しておこうと思います。
大河内財閥の跡取り息子として育った大河内老人(83)は、
ゼニ目当てに群がってくる人々が大嫌いで、いつかは家ごと潰してやろうと狙っていたところ、
石油技師としてシベリア探査中、父死スの報に接す。
コレサイワイ、と大河内家の財産をすべて他人にくれてやり、
たったひとりの妹を連れ横浜から船に乗って神戸には行かずに北海道へ行こうとしたところ、
妹がおなかが空いたと泣くものだから、船から下りてお弁当を探しに街へ行っているうちに
予定時間より早く船が出港してしまう。
それっきり妹と生き別れになってしまった大河内老人(83)は、ヤケノヤンパチ、
父の形見にひとつだけ残しておいたアメリカ製の金の懐中時計を質屋に叩き込み、
全財産でバナナを買って食ってしまう。
流浪の末、やっと辿り着いた北海道の漁村にてヤクザ同然の網元の手先となって
バクチのツケを馬に乗って回収してたりしたそうな。
馬に興味を持った大河内老人(83)、馬具職人の弟子となる。
独立して馬車なんぞを作ってみたところ、
おお、あなたは大河内家の御曹司、見事な馬車であらしゃりますなあ、
と皇族の目にとまり、以後、畏れ多くも天皇陛下の馬車職人となる。
やがて世は自動車の世の中に変り、老人、独学にて自動車工学を学び、
しばらくは宮中にて自動車修理などをしておったそうなのじゃが、
米英との対決の気運高鳴る時代、自ら志願して海軍航空隊の整備兵となりラバウルに配属。
西沢・坂井・岩本等、歴戦のパイロットが駆るゼロ戦は、
みな老人の手で整備される。
ちなみに、彼らはアンテナをノコギリで切ったりして
ゼロ戦を自分仕様にチューニングしていたそうな。
やがて老人、マラリアにアメーバ赤痢を併発、本土に送還治療中に終戦を迎える。
その後、バクロ・ガタロ・サンドイッチマン・バーテン・テキヤ等、
職を転々としつつ現在に至りしも、
機械整備の夢絶ちがたく、地蔵号専任整備士となる。
一説には上州・新田郡三日月村の産まれ、とも云われるが定かではない。
父の形見の懐中時計はフタを開くとオルゴールが鳴り、
その曲は 『 金髪のジェニー 』 だったという。
Posted at 2010/07/23 19:19:25 | |
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