イーハトブに行った折、宮沢賢治先生の自筆原稿を拝見させて頂いて
目の前に光明が一筋、それを機に新たなる世界が広がった伊助です、こんにちは。
ああ、こんな小学生以下の文字でも生きて行けるのだ、と。
代々、佐竹藩、あるいはその周辺の隠居藩にて祐筆を務めていた、という尾村家に
旗本の不良次男坊でゴクツブシだったウチのご先祖が養子に入ったワケなんですけれど、
そのおかげでじいちゃんもとうちゃんも書の達人でありまして、
年末ともなれば方々から頼まれた年賀状を山のように積み上げておったワケであります。
ですけれど、天王寺の、阿部野橋の、その下で拾われたという伊助が
先祖代々のDNAを受け継いでいるワケもなく、とんでもない悪筆でありまして
人前にて字を書くことが苦痛以外の何者でも無かったのであります。
それが宮沢先生の原稿を拝見して以来、
悪筆というものは天から与えられた特殊な才能である、と自覚いたしまして
お年賀状等は出来るだけ自筆で書くように心がけておるワケであります。
でありますから本日只今、たいへん永らくお待ち頂いた自筆お年賀状、発射いたしました。
受けとられた方々は到着後、大切に保管して頂いて、
伊助の死後、建設されるであろう尾村伊助記念館に寄贈して頂くか、
あるいは何でも鑑定団に出品して頂いて大もうけして頂きたい、と存じます。
お話はずんずん変ります。
昨年10月より一向に卒業できる気配が無かったタンゴ№3、
やっとご卒業できました。
おめでとうございました。
なので、新たなる課題曲、コスト作のエチュード、始めました。
ギターという楽器はわりといい加減でありまして、
運指やポジションなんぞはテキトーでいいんですけれど、
エチュードでありますから右手も左手もビッシリと運指の指示が書いてあるのであります。
テキトー王の伊助には拷問なのであります。
絶望のタンゴから抜け出せた、と思ったら今度は拷問、苦痛、
去年の3月にテキストを頂いた際、こんなの1年かからんわ、と思ったものが
まだ半分以上残っておるのであります。
とは言え、まもなく入学後一年、
半年続いたらいいや、と思っておったものが一年続きました。
いや、半年で修了しないといけないものが一年かかってまだダメだ、というベキでありましょうか。
もうすぐ53歳、ライバルは小学生、伊助です、さようなら。
Posted at 2014/01/13 17:13:24 | |
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