歴代の国内フォーミュラ最高峰のF2やF3000の走行です
走行したマシンの背景や当時の気になっていたレースなど
そんなことを思い返しながら写真をまとめてみました
昔懐かしいことを思い出したり改めて知ることがあったり
1978年の全日本F2選手権に参戦したノバ532P/BMW M12/7
このマシンは星野一義がドライブし、シリーズチャンピオンを獲得したマシン
ノバエンジニアリングが製作したF2でデザイナームーンクラフトの由良拓也
自宅にあったカーマガジン2003年12月号にノバ532Pの記事が載っていました
1983年に徳島のカーコン倶楽部のショールームにノバ532Pが展示されている
店主が客寄せ展示用として知人から100万円で購入したエンジンないF2マシン
ショールームで展示していたので購入時のきれいな状態で保管されていたそうです
この記事は連載ですがこの後のカーマガジンは手元には無し。気になる記事だな~
今回走行したノバ532Pは、カーマガジンで紹介されていたモノなのかな?
78年星野一義はノバ532Pでヨーロッパ選手権に殴り込みを掛けたが惨敗に終わる
最終戦で来日したヨーロッパ勢を返り討ちするつもりがマシントラブルでリタイヤ
マシンから降りた星野一義は悔しさのあまり大泣きするなど話題の多いマシンだ
1984年の全日本F2選手権に参戦したマーチ842/BMW M12/7
このマシンは2015年に享年65歳で他界した松本恵二がドライブしたマシン
ぶっきら棒な関西弁が印象的な松本恵二ですが言葉の中に優しさが感じられました
1984年の全日本F2選手権のシリーズ・ポイント・ランキング
1位・中島悟 2位・ヨハンソン 3位・星野一義。松本恵二は5位だった
松本恵二は引退する1992年まで常に上位争いをしていたドライバーでした
1986年の全日本F2選手権に参戦したマーチ86J/ヤマハOX66
ホンダのライバルだったBMWに変わって登場したヤマハは5バルブエンジンで対抗
OX66は開幕から3連勝を記録するがホンダがエンジンを改良し5連勝を記録する
1986年の全日本F2選手権のシリーズ・ポイント・ランキング
1位・中嶋悟 2位・星野一義 3位・ジェフ・リース
このダンロップカラーのマシンをドライブしたエイエ・エルグのランキングは6位
ちなみに86年シリーズチャンピオンになった中嶋悟は翌年からF1にフル参戦する
個人的には国内F2時代の中嶋悟はクールで冷めた感じで好きではありませんでした
中嶋とは正反対に感情を出しまくる星野一義の方が好きでいつも応援していました
しかし、F1で活躍する中嶋悟の姿はとてもカッコよく常に応援していました
次こそ表彰台へ…と、毎回期待していましたが、結局その夢は叶いませんでしたね
1988年の全日本F3000選手権に参戦したマーチ88B/コスワース・ヤマハOX77
1987年からF2からF3000に代わった国内最高峰のトップフォーミュラレース
1988年のこのマシンはロス・チーバーがドライブしたがランキング10位に留まる
同じヤマハOX77搭載のフットワークカラーの鈴木亜久里はシリーズタイトルを獲得
1988年の全日本F3000選手権のシリーズ・ポイント・ランキング
1位・鈴木亜久里 2位・星野一義 3位・エマニュエル・ピロ 4位・関谷正徳
この年、亜久里はF1日本GPでラルースからスポット参戦するが結果は16位完走
このF1日本GPはセナがMP4/4でスタート時にエンジンストールさせ出遅れたが
奇跡の追い上げで優勝しシリーズチャンピオンを決めた歴史的な名レースでしたね
1990年の全日本F3000選手権に参戦したローラT90/50/無限MF308
このマシンは片山右京がドライブしたモノ。この年は星野一義も同じカラーリング
当時CABINのCMでもサポートドライバーが登場していたので印象に残っています
キャビンのCMは松本恵二(86~87年) 星野一義(88~92年) 片山右京(92~93年)
1990年の全日本F3000選手権のシリーズ・ポイント・ランキング
1位・星野一義 2位・小河等。片山右京はシリーズ5位で優勝もなかったが
翌年はシリーズチャンピオンとなり、1992年からラルースでF1デビューした
1990年の全日本F3000選手権でキャメルカラーのマシンが走っていたかな?
パンフレットでは1990年のローラT90/50/無限MF308となっていました
1990年はセナとプロストの争いが日本GPまでもつれ込む1コーナー事件が発生
WRCはランチア・デルタとトヨタ・セリカの戦い、GrpAはR32 GT-Rがデビュー
2輪ではレイニー・シュワンツが活躍するなど話題豊富な時代だったと思います
1993年の全日本F3000選手権に参戦したローラT93/50/無限MF308
ドライバーはF1でザウバーやウィリアムズに在籍したフレンツェン
フレンツェンは1997年にウィリアムズでシリーズランキング2位となる
1993年の全日本F3000選手権のシリーズ・ポイント・ランキング
1位・星野一義 2位・エディー・アーバイン 3位・ロス・チーバー
1996年のフォーミュラ・ニッポンに参戦したローラT96/51/無限MF308
この年から全日本F3000選手権はフォーミュラ・ニッポンに変更された
このマシンは「ペドロ・デ・ラ・ロサ」と「ノルベルト・フォンタナ」がドライブ
1996年のフォーミュラ・ニッポンのシリーズ・ポイント・ランキング
1位・ラルフ・シューマッハ 2位・服部尚貴 3位・星野一義
星野一義はこの年をもって23年間のフォーミュラレースから退いていました
1998年のフォーミュラ・ニッポンに参戦したローラT98/51/無限MF308
このコスモ石油のローラを見れば「野田英樹」とすぐわかるほど印象深いマシン
印象深いわりに98年のシリーズランキングは10位と思ったより低い成績だった
野田英樹といえば娘のJUJUちゃん(13歳)がとても有名な存在になっていますね
1998年のフォーミュラ・ニッポンのシリーズ・ポイント・ランキング
1位・本山哲 2位・影山正美 3位の脇阪寿一は98年からF3からステップアップ
顔ぶれを見ると日本のレースシーンの世代交代が感じられる年だったよう思います
2005年のフォーミュラ・ニッポンに参戦したローラB03/51/無限MF308
ドライバーはチーム(TAKAGI PLANNING)オーナーも兼任する高木虎之介
2005年のフォーミュラ・ニッポンのシリーズ・ポイント・ランキング
1位・本山哲 2位・井出有治 高木虎之介 は9戦フル出場ながらゼロポイント
1995年にF3000に21歳でデビューした虎之介は天才レーサーと呼ばれていました
その後F1で、もっと活躍すると思ったが、思ったほど活躍することがなかったな~