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2019年12月22日

2019 SUZUKA Sound of ENGINE 5 (11/16)

2019 SUZUKA Sound of ENGINE 5 (11/16)

歴代の国内フォーミュラ最高峰のF2やF3000の走行です

走行したマシンの背景や当時の気になっていたレースなど

そんなことを思い返しながら写真をまとめてみました

昔懐かしいことを思い出したり改めて知ることがあったり

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1978年の全日本F2選手権に参戦したノバ532P/BMW M12/7

このマシンは星野一義がドライブし、シリーズチャンピオンを獲得したマシン

ノバエンジニアリングが製作したF2でデザイナームーンクラフトの由良拓也

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自宅にあったカーマガジン2003年12月号にノバ532Pの記事が載っていました

1983年に徳島のカーコン倶楽部のショールームにノバ532Pが展示されている

店主が客寄せ展示用として知人から100万円で購入したエンジンないF2マシン

ショールームで展示していたので購入時のきれいな状態で保管されていたそうです

この記事は連載ですがこの後のカーマガジンは手元には無し。気になる記事だな~

今回走行したノバ532Pは、カーマガジンで紹介されていたモノなのかな?

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78年星野一義はノバ532Pでヨーロッパ選手権に殴り込みを掛けたが惨敗に終わる

最終戦で来日したヨーロッパ勢を返り討ちするつもりがマシントラブルでリタイヤ

マシンから降りた星野一義は悔しさのあまり大泣きするなど話題の多いマシンだ

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1984年の全日本F2選手権に参戦したマーチ842/BMW M12/7

このマシンは2015年に享年65歳で他界した松本恵二がドライブしたマシン

ぶっきら棒な関西弁が印象的な松本恵二ですが言葉の中に優しさが感じられました

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1984年の全日本F2選手権のシリーズ・ポイント・ランキング

1位・中島悟 2位・ヨハンソン 3位・星野一義。松本恵二は5位だった

松本恵二は引退する1992年まで常に上位争いをしていたドライバーでした

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1986年の全日本F2選手権に参戦したマーチ86J/ヤマハOX66

ホンダのライバルだったBMWに変わって登場したヤマハは5バルブエンジンで対抗

OX66は開幕から3連勝を記録するがホンダがエンジンを改良し5連勝を記録する

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1986年の全日本F2選手権のシリーズ・ポイント・ランキング

1位・中嶋悟 2位・星野一義 3位・ジェフ・リース

このダンロップカラーのマシンをドライブしたエイエ・エルグのランキングは6位

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ちなみに86年シリーズチャンピオンになった中嶋悟は翌年からF1にフル参戦する

個人的には国内F2時代の中嶋悟はクールで冷めた感じで好きではありませんでした

中嶋とは正反対に感情を出しまくる星野一義の方が好きでいつも応援していました

しかし、F1で活躍する中嶋悟の姿はとてもカッコよく常に応援していました

次こそ表彰台へ…と、毎回期待していましたが、結局その夢は叶いませんでしたね

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1988年の全日本F3000選手権に参戦したマーチ88B/コスワース・ヤマハOX77

1987年からF2からF3000に代わった国内最高峰のトップフォーミュラレース

1988年のこのマシンはロス・チーバーがドライブしたがランキング10位に留まる

同じヤマハOX77搭載のフットワークカラーの鈴木亜久里はシリーズタイトルを獲得

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1988年の全日本F3000選手権のシリーズ・ポイント・ランキング

1位・鈴木亜久里 2位・星野一義 3位・エマニュエル・ピロ 4位・関谷正徳

この年、亜久里はF1日本GPでラルースからスポット参戦するが結果は16位完走

このF1日本GPはセナがMP4/4でスタート時にエンジンストールさせ出遅れたが

奇跡の追い上げで優勝しシリーズチャンピオンを決めた歴史的な名レースでしたね

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1990年の全日本F3000選手権に参戦したローラT90/50/無限MF308

このマシンは片山右京がドライブしたモノ。この年は星野一義も同じカラーリング

当時CABINのCMでもサポートドライバーが登場していたので印象に残っています

キャビンのCMは松本恵二(86~87年) 星野一義(88~92年) 片山右京(92~93年)

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1990年の全日本F3000選手権のシリーズ・ポイント・ランキング

1位・星野一義 2位・小河等。片山右京はシリーズ5位で優勝もなかったが

翌年はシリーズチャンピオンとなり、1992年からラルースでF1デビューした

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1990年の全日本F3000選手権でキャメルカラーのマシンが走っていたかな?

パンフレットでは1990年のローラT90/50/無限MF308となっていました

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1990年はセナとプロストの争いが日本GPまでもつれ込む1コーナー事件が発生

WRCはランチア・デルタとトヨタ・セリカの戦い、GrpAはR32 GT-Rがデビュー

2輪ではレイニー・シュワンツが活躍するなど話題豊富な時代だったと思います

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1993年の全日本F3000選手権に参戦したローラT93/50/無限MF308

ドライバーはF1でザウバーやウィリアムズに在籍したフレンツェン

フレンツェンは1997年にウィリアムズでシリーズランキング2位となる

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1993年の全日本F3000選手権のシリーズ・ポイント・ランキング

1位・星野一義 2位・エディー・アーバイン 3位・ロス・チーバー

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1996年のフォーミュラ・ニッポンに参戦したローラT96/51/無限MF308

この年から全日本F3000選手権はフォーミュラ・ニッポンに変更された

このマシンは「ペドロ・デ・ラ・ロサ」と「ノルベルト・フォンタナ」がドライブ

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1996年のフォーミュラ・ニッポンのシリーズ・ポイント・ランキング

1位・ラルフ・シューマッハ 2位・服部尚貴 3位・星野一義

星野一義はこの年をもって23年間のフォーミュラレースから退いていました

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1998年のフォーミュラ・ニッポンに参戦したローラT98/51/無限MF308

このコスモ石油のローラを見れば「野田英樹」とすぐわかるほど印象深いマシン

印象深いわりに98年のシリーズランキングは10位と思ったより低い成績だった

野田英樹といえば娘のJUJUちゃん(13歳)がとても有名な存在になっていますね

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1998年のフォーミュラ・ニッポンのシリーズ・ポイント・ランキング

1位・本山哲 2位・影山正美 3位の脇阪寿一は98年からF3からステップアップ

顔ぶれを見ると日本のレースシーンの世代交代が感じられる年だったよう思います

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2005年のフォーミュラ・ニッポンに参戦したローラB03/51/無限MF308

ドライバーはチーム(TAKAGI PLANNING)オーナーも兼任する高木虎之介

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2005年のフォーミュラ・ニッポンのシリーズ・ポイント・ランキング

1位・本山哲 2位・井出有治 高木虎之介 は9戦フル出場ながらゼロポイント

1995年にF3000に21歳でデビューした虎之介は天才レーサーと呼ばれていました

その後F1で、もっと活躍すると思ったが、思ったほど活躍することがなかったな~
ブログ一覧 | SUZUKA Sound of ENGINE | クルマ
Posted at 2019/12/22 18:00:42

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この記事へのコメント

2019年12月23日 9:36
こんにちは。
ノバは、多分15年は友人のガレージに棲息中だと思います。
かなり前の鈴鹿のイベントで、星野選手自身がドライブして、
スパイ針がその日の許容範囲を遥かに越したとこで止まってたそうです。
カーマガジンに載ったか聞いておきますね。

大負けした最終戦には、ヨーロッパF2チャンプのブルーノジャコメリがいて、いきなしコースレコードを2秒短縮したんで、ジャコメリショックて言葉が生まれたそうです。
その時のエンジンはアルファロメオだった気がするんですが、確かトラブルでリタイアした気がします。
マーチのシャーシがウイングカーで、設計思想か違ったとCGに書いてた記憶があります。
殆どリジットに近いバネレートで、日本のメカは理解出来なかったて書いてたんじゃなかったかな?
以後由良氏は、以後FISCOのグラチャンに専念して上級フォーミュラは作ってないんじゃないですかね?
コメントへの返答
2019年12月25日 21:28
こんばんは

由良さんの「ゆらたく屋」を見ればノバ532Pの当時の欧州遠征の様子が細かく書かれていましたね。
星野一義(30歳)由良拓也(26歳)山梨社長(39歳)情熱に満ち溢れた若者たちの挑戦ですよね。
2戦戦って全く歯が立たず予定を切り上げ帰国するしかなかった若者にとっては悔しかったでしょうね。
まだまだ、ヨーロッパとのクルマ文化に大きな格差がある時代ですよね。
でも、この頃の悪戦苦闘している背景を知ることで当時のレーシングカーの魅力は倍増します。

返り討ちをたくらんだ1978年の最終戦の鈴鹿では、なぜか由良さんはヘアピンの観客席で見学。
残り10周を切った時点で星野はジャコメリを抜きトップを快走。
しかし、由良さんの見ているヘアピンでドライブシャフトを折ってリタイヤ。
由良さんはすぐに星野に駆け寄り、二人で悔し泣きしたとか。青春ドラマのような展開。こういう話は大好きですね。

子供の頃からクルマ好きでしたが、漠然と見ていたこともあり、歴史的背景を知らないことだらけ。
今からでも遅くないので、旧いクルマのエピソードを楽しんでいきたいと思います。

manoueさんのコメントも楽しく読ませていただきました。いろいろ教えてくださいね。

ちなみにジャコメリが載っていたマシンのエンジンも当時定番のBMW M12/7みたいですね。では(^^)/
2019年12月26日 15:07
ありがとうございます。
BMWエンジンだったんですね。
胸のつっかえが取れました。
東京で学生だった時代で、
GFのフェッタ1.8クーペのステアリングをよく握ってたんですが、
整備してくれてた麻布自動車のメカから、今年の欧州F2チャンプEGはロメオ、ドライバーはジャコメリて聞かされてた記憶と、
鈴鹿でリタイアした時はBMWだったて微かな記憶もあって、
つっかえていました。
最近ほんと駄目なんですよ、色んな記憶が朧げになってきて。
この年、故石川岩男さんが全日本でパーフェクトウイナーになり、
翌年平さんがジュニアでパーフェクトウイナーでA級に上がり、
私もノービス250でデビュー、忘れたくない時代なのに...
日記を書けとけばよかったて思うんですよ。
コメントへの返答
2019年12月26日 21:07
manoueさんは根っからのアルフェスタなんですね。
78年は私13歳。ジャコメリがBMWだったことはネット情報ですよ~(^^♪

私が2輪のレースに興味を抱いたのが1983年。
RIDING SPORT誌が創刊され世界GPの情報に触れられるようになり喜んでいました。

その年の3月、石川岩男がルマンで天に召されたことを知りました。
RIDING SPORTに掲載された屈託のない石川岩男の笑顔が記憶に残っています。

1983年はケニーVSスペンサーの一騎打ちの年。毎号結果が楽しみで仕方なかった。
二人に割り込む片山敬済もカッコよかったですね。
これからの活躍が期待された石川岩男の死は本当に残念でした。

あれ、manoueさんはノービス250に参戦しているなんて、凄い方なんですね!
私みたいな凡人からは見たら天上人ですよ! では、では!

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